銀河英雄伝説~その海賊は銀河を駆け抜ける
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第二十一話 謀議
帝国暦 489年 5月 10日 フェザーン 自治領主府 アドリアン・ルビンスキー
「昨日、そなたの言った事は真実か」
「はい、徐々に徐々にではありますがフェザーンの利益は辺境の海賊に奪われつつあります。そして帝国も同盟も海賊を利用してフェザーンの利益を押さえようとしている……。フェザーンの未来は決して明るいとは言えません。現にこの執務室には何とかしてくれと泣きついて来る者達が一日、一日と増えつつあるのです」
俺の言葉にデグスビイ主教は顔を顰めた。
「フェザーン商人が泣き言を言うとは……、存外にだらしがないではないか。汝らの力はそれほど弱いものではあるまい」
本気で言っているとは思えんな。連中の手強さは地球もよく分かっているはずだ。首を横に振って否定しながら海賊の手強さを訴えた。
「なかなか、そのように生易しい相手ではありません。交易もやれば戦争もやる、謀略も使う。手強い相手です」
デグスビイ主教は今度は唸り声を上げた。肉付きが薄く血色の悪い顔で唸っているとまるで病人のように見える。
「そうだな、連中の所為でこちらも思わぬ齟齬をきたした……」
「と言いますと?」
「トリューニヒトよ。前年の内乱であの男を我らの手の内に入れた、そう思ったのだがな……。イゼルローン要塞が落とされた事で政権を投げ出した。今では誰もあの男を相手にせぬ……。全くの無駄になった、何のために助けたのやら」
ぼやく口調に失笑しそうになったが堪えた。気持ちは分かるがトリューニヒトを責められるだろうか? 俺がその立場でも逃げ出したくもなるだろう。アルテミスの首飾りは粉砕され第十一艦隊はほぼ全滅、そしてイゼルローン要塞が陥落し三百万人の人間が人質になった。あの状態で政権を引き受ける人間が居た方が奇跡に近い。ジョアン・レベロが評議会議長になったと聞いた時には正気かと耳を疑ったものだ。
「だが何より厄介な事は帝国と同盟の共倒れは不可能に近いと思われる事だ。そうではないか、ルビンスキー」
「私もそう思います。国力にあまりにも差が生じました。この差を埋めるのは容易では有りません」
“うむ”とデグスビイ主教が頷く。
「そしてイゼルローン要塞が落とされた事で同盟がローエングラム公の行く手を阻むことは難しくなりましたな」
俺の言葉にデグスビイ主教がまた顔を顰めた。
「おまけにあの海賊め、金髪の小僧を煽ったそうではないか」
「そうですな、宇宙を統一しろと言ったそうです」
「忌々しい奴だ! 何なのだ、あいつは!」
同感だ、俺も同じ事を言いたい。何なのだ、あの海賊は? フェザーンにとっては天敵のような存在だ。そして地球にとっても……。
地球の復権、全銀河の支配をもくろむ地球教にとって現状は必ずしも満足できるものではない。むしろ状況は酷く悪い。地球教の戦略は帝国、同盟の共倒れだ。だが同盟は先年の帝国領侵攻で大敗、今回の内乱で弱体化した軍事力をさらに弱体化させた。一方の帝国は内部からドラスティックに改革されつつある。両者の国力差は開く一方だ、デグスビイ主教も認めるように共倒れは不可能に近い……。
この事態にどう対応するか……。帝国に肩入れし帝国に宇宙の統一をさせる、その後に帝国を乗っ取る。それも考えたがなかなかに難しい。乗っ取るにはそれなりの力が要る。だがローエングラム公がフェザーンの権益をどこまで認めるか……。いや、その前にフェザーンは何を以ってローエングラム公に協力するのか……。
財力……、内乱で門閥貴族を潰した今、帝国の財政は一気に改善した。ローエングラム公にとってフェザーンの財力面での協力は必ずしも必要不可欠のものではない。イゼルローン要塞が同盟に有るのならフェザーン回廊の通行を提案出来るが要塞はあの海賊が御祝儀としてローエングラム公に献上してしまった。全く碌でもない事をしてくれる。
つまりフェザーンには取引に使える決定的なカードが無い。ローエングラム公にとってフェザーンは変な権益を認めてまで味方にするより軍事的に征服してしまった方が面倒が無い存在だろう。或いは黒姫一家の対抗勢力としてフェザーンの権益を認めると言う可能性も有る。しかしその権益は黒姫一家よりも小さなものになるはずだ。これまでの貢献度の違いから言ってそうならざるを得ない……。
邪魔だな、やはり黒姫は邪魔だ。フェザーンのためには黒姫も黒姫一家も邪魔以外の何物でも無い。なんとか潰したいと思いボルテックに工作させたが上手く行かなかった。手強い相手だ、ボルテックはいささか黒姫を甘く見た。辺境の海賊と何処かで侮ったのだろう。軽視すべきではなかったし俺も注意すべきだった。ローエングラム公、そして同盟との駆け引きを見ても黒姫は互角以上に立ち回っている。
「フェザーンにとっても地球にとっても現状は満足できるものではありませんな」
「同感だ、そして嘆いてばかりいても仕方がない事も理解している。何か策が有るか?」
綺麗な青い眼をしている、しかし不快感を感じるのは何故だろう。多分視線に偏狭な執拗さを感じるからだろう。
「さて……」
「殺すか?」
「海賊を、ですか?」
「難しいか……」
デグスビイ主教の青い眼がじっとこちらを見ている。辟易する思いがしたが懸命に耐えた。眼を閉じ考える振りをする。五つ数えてから目を開けた、まだ俺を見ている……。
「不可能、とは思いません。しかし黒姫を殺しても黒姫一家が残るのではフェザーンの苦境は変わりません。そして現在の帝国と同盟の状況もです。あまり意味は無いでしょう」
「そうだな」
デグスビイ主教が俺の言葉に頷いた。そしてまた問いかけてきた。
「殺す事で黒姫一家を分裂させることは出来ぬか」
「……」
その事は俺も考えないではなかった。だが分裂するだろうか? 分裂するにしても直ぐという事は有るまい。そして黒姫を殺した時、真っ先に疑われるのはフェザーンだ。あまり面白い事ではない。
「不確定要素が多すぎるか」
「はい」
「所詮は意趣返し、そう言う事だな」
「……」
デグスビイ主教が頷いている。偏執狂では有っても馬鹿ではないか……。せめてもの救いだな。
「フェザーンの苦境を救い、帝国の力を削ぎ、同盟の国力を回復させる。それが必要だという事か」
「はい」
俺が頷くとデグスビイ主教が顔を近づけてきた、堪えろ。
「有るか、そのような方法が」
「同盟の国力を急速に回復させるのは無理でしょう。となれば時間を稼ぐしかありますまい」
「……」
青い眼がじっとこちらを見ている。重苦しい眼だ。
「ローエングラム公を……」
「殺すか」
「はい」
答えてから大きく息を吐いた。デグスビイ主教は即答した、やはり地球教もその事を考えたか。
「主導権争いで帝国を混乱させる、そう言う事だな」
「そうです」
「その混乱の中で黒姫一家を潰す……」
「不可能とは思いません、ローエングラム公の部下達は黒姫を必ずしも好んではいない……」
デグスビイ主教が“ウーム”と唸っている。ジロリとこちらを見た、寒気がする目だ。
「殺せるのか、ルビンスキー」
「そこが何とも……。何と言っても相手は帝国の支配者です、警備は厳しい。しかし他に手が有るとも思えません」
デグスビイ主教がまた唸った。
「ボルテックは使えぬか」
「帝国の、そして黒姫の監視が厳しいようです。難しいでしょう」
デグスビイ主教の表情が歪んだ。“詰まらぬ事をするからだ”と吐き捨てる、腹は立ったが黙って頭を下げた。
「やむを得ぬな、ローエングラム公はこちらで始末するほかあるまい」
大きな嘆息と共に言葉が出された。芝居がかった態度が鼻についたが神妙に相手役を務めるしかあるまい。
「と申されますと、そちらで手が有りますか?」
「うむ」
自信ありげだな、成功率は高いと見ている。
「……こちらでお手伝いできることは」
「無用だ、そなた達は帝国からも海賊からも目を付けられている。余計な事はしなくていい」
こちらの手を汚さずに済むのであれば望むところだ、精一杯申し訳無さそうな表情を作って一礼した。
話しが終わるとデグスビイ主教は饗宴の誘いを断って部屋を出て行った。やれやれ、一体何が楽しみで生きているのか……。狂信的な教条主義者と言うのはさっぱり分からんな。デグスビイ主教と入れ替わる様に部屋に若い男が入って来た。新しい補佐官、ルパート・ケッセルリンク……。
「お話はお済みですか」
「終わった。もてなしは要らんそうだ。一体何が楽しみで生きているのか……」
俺の言葉に補佐官が冷笑を浮かべた。
「主教のおもりも大変ですな、それで如何なりました」
「向こうでやるそうだ」
「ほう、ではこちらは」
「有難い事に何もする事は無いそうだ、大分自信ありげであったな」
「それはそれは……、手を汚さずに済むという事ですか」
ルパートがまた冷笑を浮かべた。あまり見ていて楽しいものではない。
「結果的にボルテックの失敗は悪くなかったようだ、結果的にだがな」
「なるほど」
「こちらはじっくりと見物させてもらおう、成功を期待してな」
「そうですな」
ルパートがまた冷笑を浮かべた。
帝国暦 489年 5月 15日 アムリッツア ヴィルヘルム・カーン
「それで、何か分かったか」
『分かりませんや、動きが全くねえんですから』
投げやりな口調だな、この野郎……。口だけじゃねえ、顔まで不貞腐れていやがる。
「ヨハン・フレーベル、てめえ、不貞腐れてんじゃねえ。もう五日だぞ、五日! 何も掴めねえとは何事だ!」
『そんな事を言っても……、相手は寝たきりですからねえ、爺さん。手の打ちようがねえですよ』
溜息交じりの声だ。駄目だな、不貞腐れる以上に参っている……。
「男爵本人から話を聞けなんて言っていねえだろう、他は如何なんだ、使用人はどうだ、誰かと接触はしてねえのか」
俺の問いかけにフレーベルは首を横に振った
『駄目ですね、主が寝たきりだと屋敷の人間も殆ど外に出ねえ。全然動きがねえんです』
溜息が出そうだな。五日もかけて何も出てこねえとは……。いや、出る出ねえよりも動きがねえ、こいつが一番厄介だ。親っさんの杞憂か? しかしな、まだ始まったばかりだ。それに親っさんの懸念は有り得ねえことじゃねえ。そしてキュンメル男爵は確かに予想外だ、それだけに成功する可能性は有るだろう。
『爺さん、これ、いつまで続けるんです。みんなウンザリしていますぜ。妙な動きは無いか探れと言われても相手は寝たきりの病人なんだから……』
「グタグタ言うんじゃねえよ。相手はローエングラム公の側近、お嬢様の親戚なんだ、目え光らせる必要が有るだろう」
『だったら海賊屋敷の連中にやらせればよいでしょう。なんで俺達が……。大体昨日はお嬢様が来ましたからね、もう少しで海賊屋敷の連中と鉢合わせするところでしたよ』
「連中じゃ駄目なんだよ。誰にも知られたくねえんだ」
駄目だな、フレーベルは納得していねえ。仕様がねえな、はっきりと言った方が良いか。金髪の暗殺と言えばやる気を出すだろう。それに囚われると妙な所で見落としをしかねないと思って敢えて言わなかったんだが……。今のままじゃ見えてる物も見過ごしてしまう。
「フレーベル、良く聞け。キュンメル男爵を探れというのはな、親っさんの命令だ。それでも不服か?」
『親っさんの?』
おいおい、素っ頓狂な声を出してるんじゃねえよ。
「そうだ、親っさんはな、何処かの馬鹿がキュンメル男爵を利用して良からぬ事をしようと考えねえかと心配しているんだ」
『良からぬ事って……』
「良からぬ事さ、……例えばだぜ、金髪の暗殺とか」
声を潜めて囁くとギョッとしたような表情を見せた。まだまだ若いな、フレーベル。
『でも、相手は寝たきりの病人ですぜ、爺さん。親っさんの思い過ごしじゃねえんですかい』
「なら良いんだがな、困った事に男爵はお嬢様の親戚だ、金髪が見舞いとか言い出さねえとも限らねえ、そうだろう?」
『……』
考え込んでいるな、よしよし、もうひと押しだ。
「何もねえなら良いんだよ。だがなあ、もし金髪に万一の事が有ったら、お前、ただじゃ済まないぜ」
『ちょっと、爺さん』
「親っさんの警告を無視したことになるからなあ」
『ちょっと、待ってくれよ爺さん、脅すなよ』
おやおや、随分とビビってるじゃねえか。もう少し脅してやるか、ちったあ真面目にやるだろう。
「脅しじゃねえよ。親っさんの怖さはおめえも分かってるだろう。下手を打つとどっかの海賊みてえにブラックホールに叩き込まれるぞ。生ゴミは要らねえってな」
『……生ゴミって』
青くなっていやがる。ここらで締めるか。
「フレーベル、もう一度だけ言うぜ。キュンメル男爵の周囲を見張れ。妙な動きをする奴が居ねえかしっかり調べるんだ」
『……分かりやした』
「こいつは親っさんの命令だ。親っさんをコケにするようなマネはするんじゃねえぞ」
『はい』
よしよし、これで少しは気合を入れなおすだろう。全く、世話の焼ける奴らだぜ……。
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