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【旧】銀英伝 異伝、フロル・リシャール

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事は動き始める


事は動き始める

 年も明けた帝国暦486年、宇宙暦795年の1月3日。
 フェザーン自治領主、アドリアン・ルビンスキーは、その補佐官たるニコラス・ボルテックから報告を受けた。彼にとって帝国、同盟両国の内政外交経済軍事の秘密報告は日課といって差し支えないものであった。フェザーンは軍隊を持たない国家である。彼らは武力でもってその独立を成しているのではなく、情報と、それから生み出される莫大な金の力でそれを保っていた。そのため、フェザーンでは歴代の領主を、血縁ではなく実力でもって選出している。政治形態としてはむしろ同盟のそれに近いかもしれない。だが、権力の集中は帝国のそれであり、更にいえば領主個人の指導者としての能力は両国のそれを上回っている。今、もっとも未来が明るいのはフェザーンであり、つまり彼の星の政治は順調だったのだ。
 そんな歴代領主の中でも若さを誇ったルビンスキーも、今年で40歳となっている。彼は端正な顔つきではなかったが、その目つきや顔立ちから彼の雄猛な精力と意志の強さが見て取れた。


 その日の報告は、第6次イゼルローン攻略戦の顛末から始まった。帝国軍は数万の戦死者を出したが、同盟軍は帝国に倍する死者をヴァルハラへと送り出した。

 よくも、愚かに戦争をしている、とルビンスキーは心中で嗤った。

 彼がその中でも特に注目したは、同盟軍の准将、少将級の将官の戦死者数だろう。報告によると、あの皇帝の寵姫、グリューネワルト伯爵夫人の弟が活躍したという。ここ数年、順調に昇格してきた男だったが、どうやら純軍事的な才能もそれなりにあるという。ルビンスキーはその男、ラインハルト・フォン・ミューゼル少将の資料も目を通したことがあった。さすが皇帝の寵姫の弟、顔の出来は人並み以上だったが、どうやら才覚もそれに相応のモノがあるらしい。先の戦いの戦功によって、中将に昇進したという。もっとも今はまだ数千隻程度の指揮官である。いったいどこまでの将器があるのかは、今後次第、ということだった。
 この情報から読み取れるのは、それだけではない。同盟軍の弱体化が先10年ほどで深刻化するだろうということも、わかるのだ。恐らく今、同盟軍上層部は頭を抱えているに違いない。軍隊でもっとも深刻な事態は、能力のない人間が将兵を率いることだった。
 獅子の率いる羊の群れは、羊の率いる獅子の群れに優するという。いかに同盟に無能が揃っていたとしても、その程度の道理はわかっているはずだった。もっとも、ルビンスキーの目から見れば、帝国も、同盟も、羊に率いられた羊の群れであり、つまりは五十歩百歩というところであったが。


 次に報告されたのは、2月に帝国がアスターテ方面に進軍するという情報である。
「ご苦労な事だな。3万5千隻もの討伐軍を、皇帝の戴冠30周年の記念のために出兵させるというのか」
「はい、どうやら治世において大した業績を上げなかったことをごまかすためだそうで」

 ボルテックは物腰柔らかく、目の前に座っている男に言葉をかけた。ボルテックにとって領主の席は魅力的である。だが、自分がこの男よりも有能である、という勘違いはしていなかった。少なくとも、今は、自分よりこの男の方が優れている。それは政治的手腕、という点においてもそうであったし、謀略、果ては色の道においてもそうだった。今は彼の元で、少しでも多くを吸収し、いつかより上の地位を目指したい、と考えるボルテックである。

 対して、ルビンスキーは専制政治という厄介な代物について考えていた。彼にしてみれば、専制政治など非合理的で前時代的な政治形態に過ぎなかった。そもそも少数が大多数を虐げながら支配しようとすること自体、非効率的なのである。あの制度はルドルフ・フォン・ゴールデンバウムのような異常者、他人を統率する能力に突出した天才にしか運用できぬ。皇帝、という地位はそのような者だけが辛うじて担いうるのだ。そのルドルフにしてみても、年をとってからは明らかな能力の低下によって晩節を穢した。天才は死ぬまで天才とは限らない。若き頃は聡明を誇った王が、晩年に虐政に狂うこともよくある話なのだ。

 更に言えば、政府や国家という政治組織を単一の者が管理運営することは、並大抵の職責ではない。その結果、皇帝という者に率いられる存在であった帝国は、今やその外周に群がる外戚貴族などによって壟断されている。皇帝フリードリヒ4世の無能がわかるというものだった。もっとも今の皇帝は30年間に渡って、悪政を引いたわけではない。ただ漫然と現状を維持し続けただけの30年である。だが、ルビンスキーの評価は高くない。組織の長たる者、常に組織の繁栄を目指すべきだ、というのが彼の主義なのだ。その点、皇帝は論外なのだった。
 同盟にしても同様である。建国の機運も気概も忘れ、前例主義と事なかれ主義に走り、帝国に対する軍事活動も政治外交も平凡と無能の間、というところだった。経済に至っては年々フェザーンへの依存を強めるばかり。おおよそ、優れた国家運営からはかけ離れている。だが、ルビンスキーは民主主義が悪いとは思わない。安全度が高い統治方法である、とは評価している。だが権力の集中と暴力を恐れるがあまり、優秀な者が一人や二人現れていても、その他の無能によって頭を押さえつけられる。もしルビンスキーが同盟に生まれていれば、到底耐えられないことだっただろう。その点、彼はまさにフェザーンに生まれるべくして生まれた男なのだ。

 彼は自らの掌の上ですべての物事が進むことを好む。そのためにもっとも必要なものは、軍事でも、はたまた経済でもない。情報であった。情報こそが彼の最大の武器であり、そしてその脳髄がそれを最大限に活用する装置なのだ。人が自らの思う通りに動く、あの快感。自らが神になったかのような優越感。自治領主になるために、対立候補の閥を内部分裂させ崩壊させたあの時から、ルビンスキーはその甘美な魅力の虜であったのだ。


 その彼をして不愉快たらしめたのは、ボルテックの告げた最後の報告であった。
「同盟に潜らせていた情報員からの連絡が途切れているだと?」
「はい、現在諜報網はその機能を30%近く低下させています」
 同盟に潜入させていたフェザーンの諜報員、つまりスパイが次々に交信途絶になっているという。ルビンスキーは片眉を上げた。面白からざることであった。
「同盟が情報網の引き締めをしているのか?」
「我々の方としても、帝国の妨害の線を辿りましたが、どうやら帝国の諜報員も次々に排除されている模様です」
「すると、同盟の情報系のセクションか」
「はい、特に軍部に近いところにいた者は綿密にパージされています。どうやら軍部の情報部が策動しているようかと」
「つまらんな。情報部を統括しているのは、誰だ?」
「ドワイト・グリーンヒル大将かと」
「それは形式上の統括者に過ぎん」
 そもそもドワイト・グリーンヒルは、ここ数度の会戦の参謀長を務めており、そんなことに構っている余裕はあるはずがなかった。グリーンヒルは軍人としては無能ではないようであったが、かといってそこまでの才気はないはずだった。それなら、もっと階級が上がっているはずである。
「ではその配下が動いているのでしょうか」

 ルビンスキーは黙して頭を働かせる。歴代のフェザーンが築いて来た諜報組織は決して脆弱なものではなかった。彼自身、領主に就任した最初の仕事は、帝国と同盟の諜報活動の強化だったのだ。帝国も、同盟も、フェザーンにしてみればまだまだ情報管理体制が甘かった。だが、それを問題視し、行動に移すだけの者が同盟に現れた。ルビンスキー肝煎りの諜報員たちを秘密裏に闇に葬っている。

「……早急に調査しろ。グリーンヒルの周りにいる人間を洗い出せ。調べられる範囲で情報部の動きを探れ」
「はい、わかりました」
「それとフェザーンの情報管理も徹底させろ。同盟が国内の掃除を済ませれば、必ずフェザーンや帝国にその手を向けてくる。決して許すな」
 ルビンスキーは地球教の線からも同盟を調べようかと思っていた。これほどの被害を受けたが、恐らく早晩ネットワークは回復できるだろう。問題は、それだけの能力を持った人間が同盟に現れたことである。そして排除して来たということの意味。これはもしかするとフェザーンに対する挑戦状……。



           ***



 シドニー・シトレ元帥は統合作戦本部長として、ビルの本部長室で職務を果たしていた。彼の仕事は多岐に渡る。本来、統合作戦本部とは同盟政府の国防委員会の下部組織に当たる。後方勤務本部、技術科学本部がこれに並び、更に防衛、査閲、人事、情報など9部局が国防委員会の下につく。ちなみにドワイト・グリーンヒルは情報部の部長を兼任している。
 軍事行動の主幹を成す宇宙艦隊は、統合作戦本部の属するところのものであった。つまりシトレ元帥は制服組のトップであり、戦時における最高司令官代理でもあったのだ。

 その彼が今、考えているのは第11艦隊の処遇だった。先の会戦で、20名近くの少将、准将クラスが戦死していた。一番の有力株であったウィレム・ホーランド少将も先の会戦で戦死し、大将へと死後昇進をしている。彼は自分をブルース・アッシュビーの再来と自負していたようだったが、戦死してもその記録を抜くことは出来なかったようだった。
  副司令であるルグランジュ少将などもなかなかに有能な少将であったが、功も立てずに中将昇進、艦隊司令官任命をすることはできない。差し当たって、適当ではなかった。
 シトレは一度には、宇宙艦隊総参謀長であったドワイト・グリーンヒルの顔を思い出した。だが、彼はここ数度の活躍により、統合作戦本部次長が内定している。今更一個艦隊の指揮官をせよ、ということも頼めまい。
 しかしながら、シトレ元帥はドワイト・グリーンヒル大将を呼び出した。彼にも同じ悩みを共有してもらおうと、考えたのである。そして彼を待つシトレに、とある電話が入った。彼は苦々しくそれに受け答えしていたが、最後には承諾の言葉を口にしたのである。


 そのやり取りの10分後、グリーンヒルはシトレの元に出頭した。
「グリーンヒル大将、実は君に考えて欲しいことがあったのだが」
「第11艦隊のことですかな」
 グリーンヒルは言われる前に答えを言った。シトレは重々しく頷く。グリーンヒル大将は有能であった。彼は将来の統合作戦本部長との呼び声も高い。軍の中でもっとも良識的であり、若い者の間でも信頼が厚い。最近の会戦では宇宙艦隊司令長官であるラザール・ロボス元帥と共にいることが多いが、このシトレ=ロボスの競争関係においても、中立を保つ紳士であった。

「貴官はこの人事、どうすればよいと思う」
「人事部はなんと?」
「臨時に少将レベルの者を艦隊司令にせよ、と」
「それは少し……」

 グリーンヒルは眉を顰めた。別にそれは前例にないから、というわけではない。少将レベルの者を艦隊司令に据えると、他の少将が大きく不満を抱くことが目に見えているからである。軍の階級制度に置いて、上の階級になればなるほど人数が減るのは道理であったが、特に少将と中将の境には大きな狭間があったのである。少将はせいぜい数千隻の分艦隊司令、だが中将になるとこれは辺境星域の司令であったり、宇宙艦隊の司令を務められる。その大きな距離を、むやみに乗り越えるのは好ましくないのだ。

「慣例は絶対ではないが、確かに望ましい結果ではない」シトレは同じことを言う。「しかし、どうにも適当な中将がおらんものだ。だいたいの者は、既に各々の部署で中核をになっている。これを引き抜くというわけにも行くまい」
「では、やはり今少将の者が中将に昇進するまでは……」
「うむ、そこで一時的に第11艦隊は宇宙艦隊から外す。防衛部の守護部隊に編入させ、これにルグランジュを当てる」
「確かに、星域の守護部隊の司令は少将でもいいでしょう。ですが、同盟の所有する艦隊数が減ってしまいますが?」

 軍人とは基本、より多くの軍事力を求めるものである。それが戦時中ならばなおさら、というところである。更に、総力戦を訴える政府中枢からしても、それは受け入れられないのではないか、とグリーンヒルは考えたのである。

「それに関しては問題ない。他の艦隊は今も厳然と存在している。実はな、この案は国防委員長からの意見なのだ」
 さきほどの電話が、それであった。
 グリーンヒルがこの言に驚いたのは当然である。現在の国防委員長はヨブ・トリューニヒト。彼は主戦派の重鎮として中核を成し、軍人であるグリーンヒルから見ても過剰と思える国粋主義を唱えていた。
「彼には彼の思惑があるようだ。しかもこの件、どうやらあのリシャール准将が動いているらしい。先日の新年パーティーの時に、な」
 シトレは彼のシンパからの情報で既にそれを知っていた。フロル・リシャール……。なかなかどうして、あんな優男然としているが、やっていることは過激であった。最近は情報部に公式には存在しない第3課を設立し、それの拡大と充実を図っているという。これは統合作戦本部長だから知っている事実であった。だが、関係者以外でその存在を知っている者は、情報部長たるグリーンヒルを除いて同盟軍でも10人もいないだろう。
 だがそのことを聞いてなかったらしいグリーンヒルにはこれにも驚いたような顔をした。それはシトレにとっても意外であったが、フロルの秘密主義もどうやら徹底しているらしい。シトレはフロル・リシャールという男を士官学校の時から目にかけていた。純軍事的才覚ならばあるいは後輩であったヤンやラップといい勝負かもしれなかったが、それ以外の才能、謀略などの分野で必須な腹黒さ、二面性といったものがあの男には備えられていた。フロルにはフロルという人格と、それとは全く違う裏の顔があることを、シトレは微かに嗅ぎ取っていた。もっともそれに気付いている人間は、ほとんどいないはずだった。それにはフロルのことを長いこと知り合っていなければ、気付くことはできないだろう。フロル・リシャールは奇妙な男だった。それはシトレにも見当のつかない、違和感だった。



           ***



 日付が遡ること2日。
 フロルはトリューニヒト主催の新年パーティーに呼ばれていた。この手のパーティーは将軍レベルの将官になると、割と頻繁に招待されるものである。軍関係のパーティーはもちろんのこと、軍に近しい企業のパーティーや、政治家のものも多い。もっとも、今まで地味にのし上がって来たフロルよりも、エル・ファシルの英雄であるヤン・ウェンリーの方が誘いは多いはずだったが、彼がこういうパーティーに出席しているという話は聞かなかった。ある意味ではヤンという男の人間性がわかろうという話だったが、単におべっかを使うことが面倒だというのがフロルの個人的見解だった。その点フロルは、おべっかやお世辞を彼よりは上手く使いこなす。前世も含めれば人生を50年近く生きているのだ。多少の処世術は身に付こうというものだった。

 さすが国防委員長が主催のパーティーである。周りを見ると、軍中枢の将軍クラスが多い。シトレ元帥やロボス元帥はもちろん、グリーンヒル大将も会場の入り口で姿を見かけた。先ほどは第2艦隊のパエッタ中将もいた。恐らく、トリューニヒトに媚を売りに来たのだろう。だが、親トリューニヒトといえば、あの男もいるだろう。

「おお、リシャール准将じゃないか!」
「……お久しぶりです。パストーレ中将閣下」
 ラウロ・パストーレ中将、その人である。フロルはかつて、パストーレが率いる分艦隊で勤務していた。史実よりもパストーレが早く中将に昇進しているのも、フロルのおかげ、という話である。とある遭遇戦にてパストーレを助けたことから、フロルはパストーレより高く評価されていた。偏重、と言っても良い。そのことをフロルは喜んではいなかったが、さりとてそれを拒絶するほど子供でもなかった。彼はパストーレの元で、何より彼自身が生き残るために最善を尽くしただけである。

「リシャール准将も、順調に昇進を重ねているようだ。私も鼻が高い」
——別にあなたのおかげではない。
とフロルは考えたが、何も言わなかった。どうにも、パストーレと周波数が合わないのである。もっとも、悪い人間ではない。だが、フロルを苛立たせるのに長けた男だった。
「は、ありがとうございます」
「現在は第五艦隊の参謀をしているのだったかね?」
「はい。ビュコック提督の元で軍務に励んでおります」
「そうか……あの老将から学べる者は多いだろう。精進したまえ」
「は、頑張ります」
——ならまずおまえがしろ。
とフロルは心の中で呟いたが、口に出すようなことはしない。フロルは我慢強いのだ。
『ヤン大佐も、少しは見習って欲しいんですけどね』とはヤンの養い子たるユリアンの言葉である。

「ところで、今日は私が貴官とあのお方の顔つなぎをしてやろう」
「顔つなぎ、ですか?」
「そうだ」
 パストーレはまるでそれが自分だけに許された特権かのように胸を張ったが、フロルにとっては滑稽という話である。そしてフロルも誰に会わされるか、察知はついていた。


「やぁ、フロル・リシャール准将。こうやって会うのは初めてだね。知っての通り、私は国防委員長のヨブ・トリューニヒトだ」
「はい、存じております」
 返すフロルの言葉は無難、の一言だったろう。特別、媚を売りたい相手ではない。フロルにとってトリューニヒトは|煽動政治家《アジテーター》で裏切り者のクソ野郎なのだ。もっとも、今の段階でそれを知っているのはトリューニヒト本人とフロルだけである。社会人として一応の礼儀を有するにしても、それ以上のことはしたくなかった。関わりたくないのである。
 だが、外面だけは立派だ。長身で姿勢の良い美男子で、服装や動作は洗練され、行動力と弁舌に優れた頼れる中堅政治家。今後同盟を担って行く次世代の指導者。トリューニヒトを修飾するいくつもの美辞麗句も、外見だけは適切に表しているようだった。 

「リシャールくん、君はなかなか興味深い人間だ」
 パストーレを下がらせて、パーティーの人ごみの中で二人だけになるトリューニヒトとフロル。フロルはその意味をよく理解していた。トリューニヒトはフロルが欲しいのだ。
「ありがとうございます」
「君はあの、|ヤン・ウェンリー《エル・ファシルの英雄》の一つ先輩だそうだが、その彼よりも先に昇進をしている。もっとも、今までの軍歴において彼ほど目立った功績があるわけではないのだが、なぜだか手堅く昇進をしているようだ。不思議ではないか。『いつの間にやら昇進している』とある軍高官の言葉だ」
「小官は自分の本分を全うしているだけです」
「いや、謙遜はいい」
 トリューニヒトは人当たりのよい笑みを浮かべる。フロルが大嫌いな笑みだった。

「君は個人的功績が立ちにくい時にこっそりと功績を立て、自分は全体の中で隠れて動いているように見える。まるで極力目立たないように、と気をつけているみたいだ」

 トリューニヒトの指摘はフロルにとって苦しいものだった。フロルは転生者という素性から、あまり大っぴらに活躍することを避けていたのだ。一つに、それによって本来の歴史が狂いすぎれば、フロルのアドバンテージが減ってしまうから、というのもあったし、フロルはヤンを補佐したいとは思ったが彼を従えたいなどと考えたことはないから、というのも理由だった。だが、事実だけ見れば、フロルはヤンをも凌ぐエリートなのだった。

 不幸にも、イゼルローンでの若手喪失が、今になってフロルを目立たせることに繋がっているのだった。

「いえ、小官は——」
「だから謙遜はいいのだ、リシャールくん。私は君を高く評価している。パストーレくんの下で働いていた頃からね」
——やはりトリューニヒトの差し金だったのか。
 フロルは中尉から大尉に昇進する時、一般よりも早く昇進した。フロルはそれが政治家の圧力と疑っていたが、その推測を裏付けた言葉であった。

「は、ありがとうございます」
「君は私のことをどう思う?」
「……今後、国を背負って行く責任ある愛国政治家、かと」
 それはフロル流の皮肉、というものだった。トリューニヒトは国を背負いはするものの、無責任に国を売り払った売国政治家なのである。だが、悲しむべきことに、それはトリューニヒトの一般的評価に近い。

「ふむ、どうやら高く評価されているようだね」
 だがトリューニヒトはそれを見抜けなかった。一つに、自分の客観的評価がフロルの言った通りだと考えていたせいもあるが、よもや初対面の人物が強烈な悪意と皮肉を自分に抱いているなどとは考えられなかったせいもあるだろう。
「君は今の軍部をどう思う」
 トリューニヒトは質問を一歩進めた。
「どう、と言いますと?」
「今の軍部はどうにも覇気に欠けている」
「我々は民主国家の軍隊です。|覇《・》気はいらないでしょう」
「そういう問題ではない。今の軍部は権力を持ちすぎている、と言っているのだ。そのくせここ数度の戦闘で勝利を得ることもない。国民には、勝利と叫んでいるがね。私はね、リシャールくん、国防族の議員として軍を強く支持しているし、国民を鼓舞もしているが、今の軍部は気に入らんのだよ」
「……はい」
 トリューニヒトは微笑する。否定の言葉が出てこなかったからである。
「君はそのことについてどう思う?」
「軍の手綱を政府が握るのは、文民統制の基本であります。軍の暴走は暴力の発露と同義です。それは防がねばなりますまい。ですが、軍隊の権力を抑えんとして、軍事力が弱体化しては、同盟の滅亡に繋がりかねません。さじ加減が肝要かと」
「なるほど、正論だ」
 トリューニヒトにしてみれば、許容の範囲である。一般的に多少気の利いた軍人なら、考えることだろう。
 フロルはわざと、平凡な意見を言ったつもりだったが、トリューニヒトは良くとってしまったようだった。

「では君は名誉の戦死を遂げられたホーランド大将についてはどう思う」
「彼は自信と実力に溢れた人間でした。ですが、どうやら自信が実力を上回ってしまったようですね」
「ふむ、なかなか鋭い観察眼だ」
 トリューニヒトにしてみれば、自分に好意的な人間を褒めることに労力は厭わないのである。相手が自分の味方になれば、彼の思惑通りなのだ。
 だがフロルはトリューニヒトのシンパに入るつもりはなかった。だが、かといって目の敵されることも避けたい、というものである。優柔不断、というわけではない。トリューニヒトには組さない。組すれば、将来反逆者の共犯とされるからだ。だから、中立を保たんと、当たり障りのないことを言っているつもりなのだ。
 ここに、両者の齟齬があったろう。
 トリューニヒトはパストーレの腹心の配下が自分に好意的であると思っていたが、フロルは中立たらんとしている意思が伝わっていると思っていたのだ。

「ちなみに、次の第11艦隊の司令官席が、ホーランドのために空いていたそうだが、そのまま空席になっているようだ。君は誰が良いと思う」
 それは准将に尋ねる質問ではなかっただろう。だが、トリューニヒトは聞いてみた。実力を測らんとしていた。もちろん、フロルもこの問題を知っている。フロルがバグダッシュ、ベンドリングと共に広げた情報網は国内海外ともにその規模と精度を増加しているのだ。
「小官の私見ですが、現在同盟は数度の敗戦により士気が落ちています。そのせいで、国内の治安も悪くなる一方です。辺境では、宇宙海賊の類も出ていると聞きます」
 マルガレータが引ったくりにあったのも、その余波だろう。
「確かにその報告は聞いている」
「そこで、一時的に第11艦隊を守備隊に編入してはいかがかと」
「! だが、それでは艦隊数が減るではないか」
「しかるべき将官が現れれば、戻せばいいのです。無能な人間にそれを任せて、全滅の憂き目を見るよりは幾分マシかと」
 トリューニヒトは視線を鋭くした。そしてフロルの言葉の裏を探ろうとした。そしてあることに気付く。目の前の男、フロル・リシャールは准将だ。中将までは、あと、二つ。

「つまり、寝かせておけと?」
「ワインも寝かせておけば価値が上がります。国内の治安向上、将兵の再訓練、充分に手間と時間をかければ、数年後には精鋭部隊になるでしょう」
 これにはフロルの思惑もあった。彼は艦隊数を減らし、将来のアムリッツア会戦を起こさないように暗躍していたのだ。同盟の滅びの歌は、あの戦いでその声を大きくした。あの会戦さえなければ、同盟が滅びることはなかっただろう。あの莫大な損害を防ぐために、彼は情報を収集し、秘密裏に活動を始めていた。帝国の脅威を正当に評価し、安易な作戦を防がんとしていたし、あの戦いで儲けるであろう軍需産業の犯罪を探ってもいた。早いところではロボスの身辺の洗い出しも始めている。そしてその一環で、同盟の艦隊数を減らそう、としたのだ。さすれば、あの戦いに動員される艦隊が単純計算で一つ減ることになる。艦数一万隻、温存できればそれに越したことはない。
 だが、トリューニヒトはそう捉えない。
 フロルが、自分のために残しておけ、と言っていると思ったのだ。
 それはトリューニヒトから見れば、自信家の強弁と見えた。だが、この男は至って冷静に話している。ホーランドのような自己陶酔の色も見えない。この男は、まともに思考してそれを望んでいる。
 それに提案自体は異例にしても、理に適っていないわけでもないのだ。長期にわたる帝国との攻防で、国内の守備隊の規模は年々縮小していた。それを戻す、と考えれば間違ってはいない。それに、フロルの言う通り、むやみに手駒の艦隊を失うのも惜しいのだ。
——悪くないかもしれない。
——それに、
——この男も、使える。
 トリューニヒトは満足だった。フロルは自分に媚びへつらうことはしないが、避けようともせぬ。それに有能で、自信家でもあるようだ。
「君はなかなか政治的センスもあるようだ」
「恐縮です」
「わかった、話はその流れで進めていよう。もう少し待ってくれれば、君をパストーレくんの元に戻してやれるだろう」
 この時、フロルは自分の致命的なミスを悟った。自分はそんなこと、毛ほども望んではいないのだ。だが、トリューニヒトはそれがフロルの喜ぶことだと思っている。そして何より、トリューニヒトは私に恩を売ろうとしている!
 例えそれが恩ですらなく仇であっても、相手が恩と考えていればこちらはそれを返さねばならないのだ!
 何よりトリューニヒトが自分を味方にできると考えていることが拙いのだ。フロルは中立になろうとしていたが、トリューニヒトはそう受け取らなかったのだから。

「い、いえ。私は別に——」
「気にすることはない。パストーレくんの強い希望もあるのだ。もうそろそろ、自分の腹心の部下を、自分の艦隊に戻したいとね」
——それはそうだろう。無能なのだから、まともな部下がいなければ戦死するだろう。
——もしかして、トリューニヒトもそれに気付いているのだろうか。
 つまり、フロルという有能な軍人をおべっか使いのパストーレの補佐につけ、自分に都合の良いパストーレの戦死を防ごうというものであった。更にはフロルの歓心も手に入り、一石二鳥とトリューニヒトだけが思っていたのである。

「待っていたまえ、国防委員長たる私が融通を利かせてやろう。なに、それぐらい大したことではない」
 フロルは諦めた。ここで何を言ってもトリューニヒトはそれを聞かない。
「……はい」
「それでは、また会おう、リシャールくん」
 フロルは猛烈に頭を動き始めさせた。自分はこれでトリューニヒトに恩を売られてしまうのだ。押し売りであっても、それは恩。これはトリューニヒト派軍人に組み込まれることではないか。彼は拙くなった自分の立場について、パーティーの終わりまで頭を巡らすことになる……。





















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※訂正※
ルビンスキーにとっては→ルビンスキーは
ハインリヒ4世→フリードリヒ4世
選出されている→選出している
ラジエーター→アジエーター→アジテーター
効→利
わかるのだの文脈
アスターテ→イゼルローン
 
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