| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

【旧】銀英伝 異伝、フロル・リシャール

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第6次イゼルローン攻略戦(1)


第6次イゼルローン攻略戦(1)

 フロル・リシャールという男の特色は、後世の歴史家によって体系化され分類されるほど、多種多様に渡る。
 彼が類稀な戦術家、戦略家、謀略家、だという評価はまだしも、菓子職人としての腕前、料理家としての技能などは本来趣味の類と言うべきものだった。趣味が一流である、という点においては、帝国軍において名声を手に入れて後に「芸術家提督」「文人提督」の異名を持ったエルネスト・メックリンガー提督と比べる者も多い。

 だが、フロル・リシャールがフロル・リシャールであるために必要不可欠であったものは何か、と問われることがあるならば、みな一様に、彼の情報収集能力の高さ、と答えたであろう。

 フロル・リシャールはこの第6次イゼルローン要塞攻略戦時において、既に同盟軍情報部有志と結託し、独自の情報収集組織を結成していた、という資料が残されている。彼は誰よりも<情報>というものを重視した男であった。もっとも、彼はこれを強調したことはない。一つには、情報戦に熱心である、という姿勢はディスアドバンテージになるという判断だったようだが、彼は自らのみが握っている情報を、切り札として好んで使うところがあったようである。彼は戦争をするにあたって、同盟軍内部の情報、帝国軍の情報、フェザーンの情報、そのすべてを集めていた、という逸話が残っている。当時の同盟軍において、情報部はあくまで裏方の一つであり、兵站部と共に明確な活躍の場がない部署であった。もっとも、エリートの出世コースの一つであり、頭脳的には同盟屈指の者が集まっていたのだが、それを活用できる者がいなかったのである。
 そこにおいて、新たに頭角を表してきたフロル・リシャールは、情報戦の天才であったろう。彼は戦場で戦う前に、勝つために必要な情報を手に入れ、戦うための兵站を確実に調達し、そして万全の態勢で戦うことを好んだ。もっとも、それが成せるようになるには、彼はまだこの時、階級が低すぎたのである……。





 12月1日。自由惑星同盟軍は、ついにイゼルローン要塞の前面に全軍を展開させた。雷神《トゥール》のハンマーの射程外、6.4光秒の距離である。ホーランド少将の命名したところの、|D線上のワルツ・ダンス《ワルツ・ダンス・オン・ザ・デッドライン》である。
「なんとも、いいセンスじゃないか」
とはフロル・リシャールの言葉である。彼は自分にセンスがあるとは思っていなかったが、だとしてもなんと酷いものか、と思っていたのである。もっとも、その言葉は傍らにいた作戦参謀のラオ大尉しか聞いていなかった。ラオ大尉はこの大佐の言葉に対して、沈黙を保った。ネーミングはこの際、重要ではないからであろう。

 今回の作戦の肝は、今まで5回に渡る血の染み付いた経験であった。イゼルローン要塞主砲、雷神《トゥール》のハンマーの射程限界を正確に測定し、その線上を同盟軍3万隻が軽快に出入りして敵の突出を誘う。これは艦隊運動として技術的難易度の極点であり、タイミングが一瞬でもズレれば、みすみす雷神《トゥール》のハンマーの一閃に、全艦隊が撃砕されてしまうに違いない。これを完璧に制御するソフトウェアは、極めて高度と言わざるを得ないだろうが、それは芸術的な贅沢と無駄に溢れており、軍隊としての完成形を、必ずしも体現してはいない。
 要塞から出撃した帝国軍は2万隻。3対2の戦力差の中、互いに主砲を斉射し、火蓋は切って落とされた。数万の光の線が宙空を貫き、爆発光がスクリーン上で明滅する。
 同盟軍の狙いはこの艦隊主力3万隻を囮に使って、ホーランド少将率いるミサイル艦部隊3000隻が死角よりイゼルローン要塞に接近、ミサイルの雨を降らせるというものであった。駐留艦隊2万隻は主力との戦闘によって、それに対応することが出来ず、もしも引き上げる動きを見せたならば、第5次イゼルローン攻略戦のさながらの並行追撃作戦に移る算段であった。
 他方、帝国軍はD線上まで艦隊を進め、火力の応酬をしつつ、要塞砲射程内に同盟軍を引きずりこもうとしたが、自分たちまで要塞主砲に巻き込まれてはたまらないため、凹形に近い陣形で中央部を空け、敵の艦列を収束させつつ引き込もうとしている。このような極度に難易度の高い艦隊技術の競い合いが、戦端から2時間も続いたのである。



 フロル・リシャール大佐は予想通りの索敵情報を手に入れたあと、急ぎ自らの所属する第5艦隊旗艦リオ・グランテに移った。艦隊司令官、ビュコック提督に会うためである。第5艦隊は予備兵力として後方で待機中であった。
「おう、リシャール大佐」
 ビュコックは現れたフロルに対してそう話しかけた。フロルはすぐに敬礼をする。ビュコックもまた、座ったまま答礼をする。その目は前方で行われている艦隊同士の押し合いを見ていた。だが、フロルの顔を見て、何かを感じ取ったようだった。

「先日は、狐を仕留め損なったそうじゃが」
「はい、あれは大魚でした」
 フロルは顔に悔しさを滲ませながら、そう答えた。ビュコックもまた、戦闘報告書を読んでいるので、かの敵の異常性は既に知りうるところである。

「それで、あと15分ほどでミサイル艦部隊が突撃を開始するのじゃが、いったい何かね? 我が艦隊の投入はまだ先になるじゃろうが」
「気になる小部隊があります」
 フロルは持って来た情報端末を、リオ・グランテ艦橋にあるスクリーンに接続した。いくつかの操作ののち、敵の戦力配置図が現れる。これは彼らが予備兵力として前線より離れた位置にいるために、手に入った情報だった。前線の艦隊では、目の前にいる敵に対処するので精一杯で、落ち着いて戦力配置を眺めている余裕はなかったろう。

「ビュコック提督、これが敵の現在の戦力配置です」
「ふむ、3万対2万、数の上ではこちらの勝利じゃが、敵には要塞があるでな」
「ええ、ですが敵の方が数が少ないので、防御網の隙を突く、というホーランド少将の作戦案にはある程度理解が出来るのですが、この敵をご覧下さい」

 フロルが示したのは、敵2万隻の艦隊の右端に、予備戦力としておかれているであろう分艦隊であった。だが、その分艦隊は通常の3000隻構成ではなく、せいぜい1700隻と索敵レーダーは言っていた。
「うむ」
「ビュコック提督、1700隻、思い出しませんか?」
「これは……もしや先日の」
「私は、そう思っております」
 フロルは断言した。もっとも、彼はそれがラインハルトの艦隊だと、知っていたのである。もっとも、彼は会戦の始めまで、ラインハルトがそこにいるかは疑問であった。彼はラインハルトの命こそ逃したが、彼を一度敗北させていたからである。だが、そこに小艦隊は現れた。そして1700隻という中途半端な艦隊構成は、あの恐るべき”小賢しい敵”に違いないのだ。あの時、打ち漏らした敵はおよそ半数。つまり、だいたい1500から1700あまりの敵が、あの時逃した艦数なのだから。

「ちと、厄介じゃな」
「はい、あの位置は不味いです。恐らく、こちらの戦術は既に読み切った上での配置かと」
「たった1700隻じゃが」
「残念ながら、我々の作戦を潰えさせるには1700隻でも十分でしょう」

 ビュコックは小さく舌打ちをした。なるほど、ホーランド少将の示した3万の本隊を囮にして、3000隻のミサイル艦部隊でもって直接攻撃を加えるという作戦案は、なかなか壮大で敵の虚を突くものだった。だが著しく防御の弱いことで有名なミサイル艦部隊ならば、たった1700隻でも壊滅させられるのだ。こんなイゼルローンくんだりまで来て、たかが1700隻の小艦隊によって作戦を崩壊させるなど、馬鹿馬鹿しいの一言であった。
 確かに、ミサイル艦による攻撃、これは有効であろう。だが、それによってイゼルローン要塞に損害が与えられたとしても、それだけではイゼルローンは落ちまい。所詮は傷をつける、という程度であって、それとイゼルローン奪取はなんの繋がりもないのだ。

「本来、イゼルローンは攻略する対象であります。ですが、5度にも渡る失敗のおかげで、イゼルローンに近づいたり、もしくは傷をつけるだけでも武勲とされてしまうのが今の同盟の現状です。ですが、これは戦略的になんの意味も持ちません。ましてミサイル艦部隊は敵の側背攻撃を受けるでしょう。さらに困ったことに、あの艦隊、あの1700隻はホーランド艦隊さえ突破すれば、そこから一隻の妨害もないまま総司令部を強襲できるのです」

 ビュコックはフロルの言っている意味を、一字一句間違うことなく理解していた。敵がもしあの艦隊であるならば、ホーランド程度の浅知恵などは軽く見抜き、そしてフロルの言った通りに攻撃するであろう。それは大いに考えられうる展開であった。確率論ではない。その可能性がある時点で、軍人はそれを考慮し、動く必要があるのだ。
「……第5艦隊、移動する。位置、総司令部の上部」
 今更作戦を中止することはできまい。例え中止を決めたとしても、あのホーランド少将がそれに従うことはないだろう。あの者は自分をブルース・アッシュビーの再来と自負しているそうだが、笑止千万だった。
 せめてできることと言えば、ミサイル艦部隊が突破されても、総司令部を攻撃されぬようにすることである。第5艦隊は予備兵力として後方で待機していた。例え総司令部を後ろに押しのけてでも、盾にならねばなるまい。



「そ、総司令部より通信です!」
 総司令部を下に見ながら前線に出ようと移動していると、光速通信が飛んで来た。恐らく、指示にない行動をした第5艦隊を叱るつもりだろう。
「出せ」
 フロルはビュコックの席の斜め後ろに立った。チュン艦隊は、今回は本隊のすぐ傍にいる。今回は独自行動はしないだろうという判断から、チュン少将からも艦隊旗艦にいてよいと言われていた。
「ビュコック提督。これはいったいどういうことですかな?」
 画面に現れたのはドワイト・グリーンヒル参謀長であった。どこか怒気を感じさせる表情で、言葉厳しく詰問調である。
「グリーンヒル参謀長、ミサイル艦部隊は駄目じゃよ」
「な、何を仰る?」
 ビュコックの第一声に、グリーンヒルは怒気以上の驚きをもって反応した。それはそうだろう。今、まさにこれから始まるであろう、今回の作戦の要を、駄目だと言っているのだから。
「儂の索敵部隊からの報告じゃ」
 これはビュコックのはったりであった。
「敵左翼の端におる小艦隊1700隻は、あの逃した”小賢しい敵”だそうじゃ。恐らく、こちらの作戦を見抜いておるぞ」

 グリーンヒルは顔に一瞬の焦りを走らせた。彼がヤン大佐に提出させたいくつもの戦況パターンの一つに、少数精鋭の高速運動によってミサイル艦部隊が攻撃される可能性が、示されていたのだ。もっとも注釈に、『客観的かつ戦局全体を的確に見渡せる敵将がいる場合に限る』とあったのだが、あの”小賢しい敵”にはそれに当てはまるのではないか。

「で、では」
「ミサイル艦部隊はもう攻撃を開始する。中止は間に合わん。第5艦隊が総司令部の盾になる。場所を空けてくれんかね」
「わかりました、ビュコック提督」
 グリーンヒルはビュコックに丁寧な敬礼をして通信を切った。総司令部が後退をする。その空いた隙間に第5艦隊が入り込む。
 そして、ホーランド艦隊が突入を開始した。


 雷神《トゥール》のハンマーの死角から、多頭ミサイルの群がイゼルローンの液体金属に突き刺さる。着弾の光がイゼルローンを装飾した。
 イゼルローン要塞も、迎撃光子弾幕を斉射してそれに対応したが、対応しきれるわけはなかった。ホーランド少将率いるミサイル艦部隊の放った固体のミサイルと、気体化したミサイルとが、要塞の至近空間を埋めつくし、莫大なエネルギーの余波が、嵐となって要塞表面を走り抜けた。
 イゼルローン要塞の巨体から見れば、微量でしかないミサイル艇の大群が、正面からの砲戦の間隙をくぐり抜け、要塞の一カ所に集中攻撃をかけたのである。ここまでは思い通りであった。ホーランドが言い放った華麗な作戦は、彼の思惑通り、蟻の一穴を巨体に穿つ功を奏するかに見えた。
 だがその時、このミサイル艦部隊の艦列に、白熱した穴が穿たれた。連鎖する爆発光はミサイルごと艦艇を吹きとばし、部隊は瞬く間にその数を減らして行く。
 
 ラインハルトの側面攻撃であった。防御力の弱いミサイル艇群を側背から苛烈な火力でもって攻撃し、これをいとも簡単に突破したのである。
「俺の艦隊は、たかだか1700隻。戦術レベルで考えれば、たかが1700隻だ。だが、この1700隻がイゼルローンを救ったのだ」
 ラインハルトは旗艦の艦橋において、輝くような生気の満ちた笑みを浮かべ、ホーランド艦隊を蹂躙していた。
「閣下、もうすぐ敵艦隊を突破しますが?」
「計算では敵総司令部まで艦隊はなかったはずだが……」

 ラインハルトは目の前のスクリーンに映し出された、三次元配置図を睨んでいた。そこには、本来いなかったはずの艦隊が待ち構えている。
「どうやら、我が艦隊の行動を予測していたようですね」
 キルヒアイスは凍結された笑みを浮かべたラインハルトに言う。

 ラインハルトも一瞬、拳を握りしめたが、すぐにそれを緩めた。我々は敵の作戦主力であったミサイル艦部隊を見事打ち破った。敵総司令部を急襲することは叶わなかったが、十分な戦果と言えるだろう。
「敵にも出来る奴がいるらしいな」

 ラインハルトは、それが若い将校であることに気付いていた。恐らく、佐官程度であろう。もし提督であるならば、今回のような穴だらけの作戦に抗議するだけの発言力があるはずである。このように次善策を講じる程度しかできないのは、総司令部の作戦に口を出す権力がないということを意味している。だがそれでも、一つの艦隊をどうにか動かす程度の階級であり、そして何より、同盟自身が自分の作戦が思い通りに進行中と浮かれている最中《さなか》に、その綻びを予知できるだけの軍事的才能を有している。

「キルヒアイス……、もしかしたら、あの艦隊にいるのではないか?」
「ええ、そうかもしれません。我々を罠に陥れようとした敵将が」
 ラインハルトは前方に重厚で隙のない陣を構える艦隊の姿を、目に焼き付けていた。表記には第5艦隊の文字。
(第5艦隊に『奴』はいる!)


 本来ならば15倍以上の規模を誇る同盟軍は、イゼルローン要塞主砲の攻撃範囲を避けるために、数の優勢を生かすことができなかった。陣型を拡げれば、雷神《トゥール》のハンマーに薙ぎ払われる。その結果、極度に前後に細長い紡錘陣型をとり、その尖端をラインハルトに向けて突進する以外にないのであった。
 ラインハルトと同盟軍との攻防は、面積が小さい分、密度は只ならぬものであった。本来なら、その圧倒的な兵力比で、まともな戦闘になるはずがないのだが、包囲されぬかぎり、ラインハルトは負けぬ自信があったのだ。正面から来るしかない敵を次々と翻弄し、ラインハルトは集中砲火と柔軟な進退によって敵の損害を増やし続けた。

 だが、ラインハルトの目的は同盟軍の出血死ではない。それ以前に自分の艦隊が摩耗し尽くすことがわかっていたし、そのような無謀を行う若さを、ラインハルトは既に矯正していたのである。彼の目的は、ラインハルト一人に武勲を独占されまいとして、突出してくるであろう帝国諸艦隊である。そのまま混戦に持ち込み、その隙に撤退する。本来ならば混戦は望ましくないが、個人的武功に今回は満足する、という心の余裕を、ラインハルトは先日の件で獲得していたのだ。

「我が艦隊に告ぐ。敵とこのまま交戦するが、敵艦隊を無理に突破する必要はない! 徐々に後退しながら、我が艦隊は撤退する! だがその代わり、後方にあるミサイル艦部隊の残存兵力を掃討する! 高速機動部隊は混乱中のミサイル艦部隊を徹底的に叩け! ワルキューレ部隊発進! 小賢しいミサイル艦部隊を一艦も帰すな!」

 ラインハルトは前方の第5艦隊と交戦しつつ、徐々にイゼルローンに撤退した。一方、後方で打ち破ってきたホーランド艦隊の掃討は、一種執拗なまでの徹底さでもって行われた。ラインハルトは艦数の絶対的少なさを客観的に把握しており、そしてその弱点をその頭脳と高速運動で補っていた。
 2210時になるに至って、ラインハルトの目論み通り、味方艦隊がイゼルローンより出撃した。2240時、味方艦隊とスイッチする形で、ラインハルトの艦隊は要塞に撤退していった。戦果は敵作戦主力の殲滅、そして敵軍3万隻の阻止。おおよそ、満足すべき戦果であった。





















 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧