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【旧】銀英伝 異伝、フロル・リシャール

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穏やかな日々


穏やかな日々

 イヴリンはフロルの家に頻繁に訪れるようになった。だがカリンと彼女の間にこれと言った確執は生まれなかった。それはフロルがしっかりとカリンを安心させていた、というのもあるし、イヴリンが積極的にカリンに気に入られよう、としていたせいもあるだろう。もっともイヴリンは最初こそ、猫を被ってカリンに媚を売っていたが、それが通用するカリンではなかった。

「イヴリンさん、なんか前より太った?」
 カリンはイヴリルのお腹周りを見ながら、どこか底意地の悪い笑みを浮かべながらイヴリンの痛いところ指摘する。
「そ、そんなわけないわよ!」
 イヴリンは彼女で、実のところわかっているのだ。
「ハイネセンって美味しいもの多いもんね」
「ち、違うわ! ちょっと2キロくらい増えただけよ」
「それにフロルさんのケーキって最高に美味しいもんね」
「ええ、わかるわ。凄く食べちゃうの」
「うんうん、それで成長期でもないイヴリンさんはその栄養がお腹に行っちゃうんですよね」
「違うわよ!」

 うん、あれは仲がいいということだろう。どうにもカリンが会話の主導権を握って、年上のはずのイヴリンがいいように弄られている気がするが、それも仲がいいという証拠なのだろう。そもそも女心には鈍いことで定評のあるフロルである。彼女らが女性なりの親睦の深め方を実践しているなら、それは結構なことだ、と思っていたのである。

 実のところイヴリルはこうまで早くカリンと打ち解けるとは思っていなかった。鈍くともフロルは優しくていい男である。カリンがフロルを盗まれるとしてこちらを敵視するだろうと思っていた。だがフロルはカリンと話し合ったらしく、先日の空港とは打って変わって、普通に接することができるようになっていた。もっとも、頭の回転が早く小生意気なところのあるカリンに、いいように翻弄されているのだが。

 だがカリンの言ったことも本当である。フロルの作るケーキがとてもつもなく美味しいので、彼が出すまま食べると、体重が加速度的に増加するのであった。成長期のカリンにはそれがいい栄養になっているようだが、そんなもの十年も前に終ったイヴリンにとってはただの脂肪に直結するのだ。
 ヴァンフリート基地ではそんな時間も余裕もなかったのだが、ハイネセンに戻ってからのフロルは、リハビリもかねて、今までの鬱憤を晴らすかのように毎日ケーキを作っているのである。カリンは純粋に喜んでいたが、イヴリンは純粋でいられるべくもなかった。

「カリン、イヴリン、もうそろそろお昼にしよう。何が食べたい?」
「バスタ!」
「イヴリンもそれでいい?」
「ええ、いいわ」

 フロルの作る料理は手が込んでいる。職人気質、というのもあるだろうが、パスタにおいてもソースから麺から自分で一から作るのだ。本来はあまり得意ではなかったのだが、キャゼルヌ夫人の協力によって、今はそれなりのレパートリーを獲得しつつあった。



 その日はフロルのリハビリも終えようとしていた、7月上旬のことであった。翌週にはカリンの10歳の誕生日が控えている。
 イヴリンとカリンは先ほどから雑誌を見ながらきゃっきゃと騒いでいた。その横にはメスのシェルティー、エリィがべったりとカリンに付き添っている。
 エリィは最初こそ、見知らぬイヴリンを警戒していたようだったが、今ではすっかり慣れたようだった。エリィは大人しい犬で、吠えることすら少ない。もっとも散歩には毎朝カリンと元気一杯に走っているので、健康には違いないのだが。
 今ではカリンもイヴリンも、年の離れた友達のように仲が良くなっていた。一つにはカリンがませていた、ということだが、イヴリンの人格の根底が幼いというのも理由に挙げられるだろう。
 フロルはそんな平和な景色を横目に、パスタのソースを作りながら、片手間にミルクプリンのブランマンジェを作っていた。ハイネセンは夏に向けてその気温を順調に上げつつあって、きっといいデザートになるだろう。



 そんなところにとある珍客があったのである。



 ドアベルが鳴った。フロルはキッチンの壁にもついている小型ディスプレイを見る。そこには学者然とした黒髪の大佐と、12歳ほどの亜麻色の髪を持った利発そうな少年が立っていた。
「おお、ヤンか」
『フロル先輩、お久しぶりです。すみません、突然お邪魔しちゃって』
 画面越しに会話するフロルだったが、久しぶりの再会を素直に喜んでいた。相変わらずヤンは風体が軍人らしくなくて、隣りにいる少年の従者のように見える。もしかしなくとも、この少年はユリアン・ミンツだろう。

「なぁに、おまえさんにはいつでも俺の家に来いと言ってたからな。よく来てくれた、入ってくれ」
 フロルは端末を操作してドアのロックを解除した。


「カリン、イヴリン、お客さんだ」
 二人で楽しそうにしている|淑女《レディ》達にフロルは声をかける。
「誰?」
 イヴリンが肩越しにこちらを向いて聞く。
「ヤン・ウェンリーとその被保護者だ」
「ヤンって、あのヤン・ウェンリー?」
 カリンは突然、自分の保護者から出たビックネームに驚いたようだった。そうか、そういえばカリンには話したことがなかったのだ。
「ああ、あのエルファシルの英雄、ヤン・ウェンリーだよ」
「誰が英雄ですって?」

 ちょうどそこにヤンとユリアンがリビングに入ってきた。この家には応接室などという気の効いた部屋はないのだ。それにいつもフロルがそんな気を使う男ではないと、ヤンも知っていた。だがヤンにとって不意打ちだったのは、フロルの家に妙齢の女性と可愛らしい少女がいたことだった。彼はすぐにフロルがトラバース法によって、自分と同じように子供を預かっていることを思い出したが、その女性の方は明らかにフロルの彼女であるだろうと考えた。
 もしかすると、一家団欒——この言葉は正確ではないだろうが——を自分は邪魔してしまったのではないだろうか。

「ヤン、また性懲りもないことを考えてるな」
 フロルはそのヤンの困った顔を見て、笑いながら言う。

 イヴリンはとっくに猫被りモードに移行しており、カリンは寝そべっていて変になった髪やら服を必死に直している。
 ヤンの後ろに立っているユリアンは、どこか困った顔で所在なさげであった。

「すみません、先輩。すっかり失念してました」
「気にするな、二人とも俺の家族だ」
 フロルは肩を竦めて見せる。それよりも、フロルはこの時間に来たヤンの思惑をすでに看破していた。
「それよりもヤン、おまえさん、俺に昼飯を作らせるために昼時に来たな」
「ええ、まぁ」
 ヤンは士官学校でも、その卒業後でも、何度かフロルの家に来てご飯を食べている人間だった。それはヤン・ウェンリーという男が生活面にいて明らかな劣等生であるため、フロルが面倒を見ている、という側面もある。だがそれ以上に、この面倒くさがりな男はフロルという都合の良い先輩を、狡猾に活用していたという側面もあるだろう。
 ヤンもフロルも、面倒くさがりという点において性格的な類似性を持っていたが、逆に好きなことはとことん好きという点も同じであった。ヤンにとってはそれが歴史に対する熱意であり、フロルにとっては菓子を始めとする料理なのであった。ヤンはフロルの熱意を利用していたし、フロルもまたヤンから聞かされる歴史話が嫌いではなかった。前世では地球にいたフロルにとっては、それ以後の歴史というのは存外興味を誘われる対象だったのだ。

「そんなことだろうと思ったよ」
「すみません、日を改めます」
「変な気を使うな、おまえさんらしくもない。料理が3人前から5人前になっても大して変わらんよ。それよりも、その美少年を俺に紹介しれくれるかな」
「ええ、もちろん」

 ヤンはその言葉にほっとしながら、自分の後ろに立っている少年を、前に立たせる。ユリアンは先ほどから、フロルの家にいる、フロルの髪の色を薄くしたような紅茶色の髪を持ち、青紫色の瞳を持った少女に目が釘付けだったが、自分の尊敬する保護者の目線に気付いて、赤面して前に立ち直した。

「ユリアン・ミンツです。ヤン・ウェンリー大佐にお世話になっています」
「そうか、君がユリアンくんか」
「フロル先輩は、知ってるんですか? ユリアンを」
「まぁね」
 フロルはそこで少しだけ寂しそうな顔をしたが、すぐに笑顔を作った。

「ヤン、ユリアン、よく来たな。今パスタ作ってるから、少し待ってくれ。あ、そうだ、カリン、おまえも自己紹介したらどうだい?」
 カリンはカチコチになってヤン・ウェンリーを見ていたが、それでも礼儀正しく、可愛らしくお辞儀をして、自己紹介をした。フロルはそこでユリアンが熱い目線でカリンを見ていることに気付いた。
(どうやら面白いことになったようだ)
 彼は将来くっつくであろう二人を見て、微笑ましくてたまらなかった。

「私はイヴリン・ドールトン大尉です。フロルのパートナーです」
「あ、それは、ええっと、こちらこそ」
 ヤンはなんだかよくわからない返事を返していた。彼の女性に対する対応はいつもあんな感じだ。その女性が自分の部下だったり上司だったり、とにかく役職を持っていて、仕事として接する分にはなんの問題もないのだが、それが私的に女性と接するとなると、いつも困ったような反応をするのだ。

「四人とも、もうすぐパスタも茹で上がる。リビングのテーブルには椅子が4つしかないから、カリン、椅子を一つ持ってきてくれるかな?」
「うん」
 その日のカリンは長くなった髪をポニーテールにして、いつか買ってやった白いワンピースを着ていた。フロルがもしも幼女趣味だったら放ってはおかないほど可愛らしい。



 ユリアンは目の前を歩きすぎた可憐な少女を思わず目で追っていた。とても可愛らしい女の子である。今日、このフロル・リシャール中佐の家に来ることになったのは、昼ご飯を用意するのが面倒になったヤンの思いつきで、ユリアンはそれに付いて来ただけだったのだ。まったく、唐突な出逢いと言えよう。
「ユリアン、近くの官舎にフロル・リシャールという男がいてね」
 ヤンはぽんと、手を打ち合わせて、何かを思いついた動作のあと、ユリアンに言った。
「ええ、知ってますよ、大佐。大佐の先輩だった人でしょう?」
「ああ、いろいろと世話になったというか世話をしたというか、まぁそういう人なんだけどね、フロル先輩は私は持っていない大きな特技を持っているんだ」
「はぁ」
 ユリアンには話の出口が見えなかったが、どうやら自分は昼食を悔い損ねることは避けられるらしい。
「先輩は料理の達人なんだ。いや、正確にはお菓子作りなんだが、それでも私が作るよりは百万倍美味しいご飯を作ってくれるだろう。私などは先輩の作ったご飯で、士官学校時代空腹を凌いだと言ってもいいくらいだけどね、そこで今日は先輩の家に行かないかい?」
「いいんですか? 突然行ったら先方も困りますよ?」
「いやいや、そういうことは何度もあったが、先輩はいつも料理を作ってくれたから大丈夫だ。それにおまえに先輩を会わせてやりたいしね」
 ということになって、突如ユリアンはフロル中佐の官舎に来ることになったのだった。だがいざ行ってみると、そこには大きなシェットランド・シープドックがいたり、褐色の肌をもった色っぽい美人がいたり、人形のように可愛らしい女の子がいたのである。ユリアンにしてみれば、初対面ばかりという話で、しかも女の子の可憐さにどきまぎしているというところだった。
 フロル中佐は3か月前に戦闘中負傷して、大変なことになったと聞いていたが、今はキッチンに立って柔らかい笑顔を浮かべている。なるほど、悪い人ではなさそうだ、とユリアンは思った。ヤン大佐も軍人らしい風貌ではないのだが、フロル・リシャールという人はまた違った意味で軍人らしくない。なんというか温和さが彼の顔に現れていて、それが命をかけたやり取りをする人間らしくないのである。大佐が言っていたパテシィエの方がしっくり来る、というのだろうか。だがこの顔で辛辣なことも言う皮肉屋だ、とヤン・ウェンリーは言っていた。それはかなりの毒が籠っていることだろう。厳つい人が毒を吐いてもそれは違和感がないのだが、優しそうな人が放つ悪罵はそれ以上の威力を持つものである。



「ユリアンくんも随分可愛い顔してるのね」
 イヴリンは亜麻色の髪の少年を見ながら、ヤン大佐に言った。昔には男として興味を持ったことのあるヤンだったが、今のイヴリンはフロルしか眼中にないので、何の含みも持たずに話している。
「ええ、保護者よりよっぽど出来た子ですよ」
「へぇ、そうですか」

 イヴリンはここで面白いことを思い出していた。
 トラバース法、というのは成立当初こそ、その合理性や画期的なシステムが話題になったが、引き取った保護者の虐待や血の繋がらない者同士の不和など、多くの問題を抱えた悪法として最近は評判を落としていたのだ。一つに人を殺す、という軍人の職業上、子供を育てることに適さないという根本的な欠陥があったのだろう。
 だが、このヤン・ウェンリーも、フロル・リシャールも、軍人らしくないというところが、保護者と被保護者の間にいい人間関係を築くことに、上手いこと一役立っているようだった。このようなケースは少ないと言えるだろう。ヤンもユリアンも仲が良さそうだし、フロルとカリンは言わずもがな、なのである。

「私は自慢じゃないですが、生活面において及第点をもらえるような男じゃないんですふが、ユリアンが代わりにそういうことをしてくれましてね。とても助かっています」
「おまえさん、体の良い召使いを雇ったということか」
 フロルはキッチンから皮肉る。
「違う、と断言できないのが悔しいですけどね。でも、私は私なりにユリアンの人生を憂いてましてね」
「いつもいつも退役したいと言っている男が人生について語っても、説得力があるようには思えんなぁ」
「……先輩、また皮肉に一段と毒が籠っている気がするんですが」
「そうかな。まぁこの3か月、のんびりとやっていたおかげで元気が余ってるんだろうよ」
 フロルは彼独特の笑い方をしながら言う。彼が皮肉を言う時には、いつもあの笑みが頬に浮かぶのだった。

 カリンがよっこらへっちらと椅子を運んでたが、ユリアンは自分より二つ年下の少女を見かねて手を貸してやっていた。カリンは素直に礼を言う。それにユリアンは照れたように笑う。どうもあの坊やはカリンに気があるようだ、とイヴリンは気付いていたが、カリンの方は何も感じていないことも察していた。


「ほら、昼食だぞ」
 フロルは出来上がった5人分のサーモンのクリームパスタを皿に移す。カリンとイヴリンはいつものようにそのお皿をリビングに運んだりフォークを用意する。料理を作るのはたいていフロルの分担で、それ以外はカリンとイヴリンが手伝っているのだ。もちろんフロルは手作りでエリィのご飯も用意している。料理やお菓子作りに関しては、フロルは器用極まりないのである。

 フロルが席についてから、みんなでいただきますと言ったあと、食べ始める。カリンは大好きなパスタを小さな口に勢い良く運んでいたが、それ以上にヤンとユリアンの食べっぷりも豪快というべきだった。
「ヤン……おまえさん、まさかまた」
「いや、ちゃんと食べてますし、食べさせてますよ」
 ヤンはその言葉に慌てたように言う。
「じゃあ今朝はちゃんと食べたのか?」
「……ええ、まぁ一応」
「どうせユリアンに作らせたんだろう」
「はい」
「で、おまえさんは惰眠をむさぼっていたんだな」
「ええ、よくわかりますね、先輩」
「おまえさんという奴は」
 フロルは呆れたように額を抑えた。
 ユリアンはきっといつも外食か、もしくはユリアンが自分で作った料理を食べていたのだろう。そんな彼にとって一番のごちそうは、キャゼルヌ家で頂くキャゼルヌ夫人の手料理だったのである。そしてこのフロルの作る料理も、そこまでの腕前ではないにしろ、相当に美味しいものだった。

「おかわりはいくらでもあるから、ゆっくり食べていいぞ、ユリアン」
「おかわり!」
 カリンが空になったお皿をフロルに突き出す。
「はいはい」
 フロルは微笑みながら立ち上がり、キッチンで新しいパスタを盛ってあげる。
「フロルさんのお料理、本当に美味しいです」
「そうか、ありがとうな、ユリアン」
「だから言っただろう、フロル先輩は料理の達人だって」
「イヴリン、今日のパスタはどう?」
「ええ、とても美味しいわ。でもヤン大佐じゃないけど、女なのに私はこんな料理、作れないわ」
「料理なんてただのスキルさ。イヴリンはそんな事を気にしなくていい。イヴリンの魅力はそんなことじゃないよ」
「! ……フロル!」
「今日もイヴリンとフロルは熱々ね」
「カリンちゃん、二人はいつもこんな感じなのかい?」
「ええ、私の目の前なのにね。ヤンさんもなんか言ってやって下さい」
「いや、ええっと」
「ヤンは色事には疎いから無理だぞ、カリン」
「そんな言い方されたくないですよ、先輩」
 そうやって、賑やかな昼食の時間は過ぎていった。



 パスタのあと、イヴリンはヤンに三次元チェスを申し込んだ。カリンはエリィに抱きつきながら、その様子を興味津々と見ている。
 そんな中、ユリアンは一人、書斎に呼ばれていた。フロルが誘ったのである。彼は幾分かの戸惑いとともに、フロルの後ろについてった。初対面である中佐が、いったいなぜ自分を呼んだのか、わからなかったこともある。多少の不安がない、のではなかった。もっともヤンがここまで信用している男、という点において彼もそこまで深刻には考えてはいなかったが。

「ユリアン、君はミンツ大尉……いやミンツ中佐のお子さんだね」
 フロルとユリアンは書斎のソファに向かい合って座った。そしてフロルが話を切り出した。
「はい。……父を知ってるんですか!」
 ユリアンは驚いたように声を上げた。実のところ、彼はキャゼルヌの部下だった父の話を、一通りキャゼルヌから聞いていた。生前の父も、キャゼルヌという上司についてはいくらか好意的な話を息子にしていたのである。だが、このフロルという男について、父から聞いたことはなかった。
「ああ、昔キャゼルヌ先輩の仕事場で会ったことがあるよ」
「そう……ですか」
「ああ、彼が入れてくれた紅茶を飲みながら、いろいろ話したよ」
 フロルはその人のことを思い出したような顔をして言う。
「ユリアンという可愛い男の子がいることとか、君のお母さんが既に亡くなっていることとかね」
「そうだったんですか」
 ユリアンは突然の話に戸惑っていたが、何より生前の父を知っているフロルに聞きたいことがあった。
「父は……フロルさんから見て、どんな人でしたか?」
「とても誠実で優しそうな人だった。軍人としても有能で、それに気さくな人だったよ。君も知ってる通りね」
 フロルはそこまで言うと、ソファから立ち上がった。書斎にあるデスクの引き出しを空けると、手帳から何かを取り出した。彼は大切そうにそれを持つと、ソファに戻って、それをユリアンに差し出した。
 ユリアンはそれを恐る恐る受け取った。

 それは、ユリアンと彼の両親が写った、写真だった。

「これは!」
 ユリアンは心臓が止まったかと思った。
「実は、その時にお互いの家族の写真を見せ合ったんだけどね、間違って私がミンツ中尉の写真を持って帰って来てしまってね。それから返そう返そうと思ってたんだが、結局返せなかった。だから、君に返すよ」
 フロルはユリアンを見ながら、優しく言った。

 ユリアンは自分の目から零れ落ちる涙を、止められなかった。
 そこにはまだ小さかったユリアンを抱いて幸せそうな笑みを浮かべた母親と、父親が写っていたのだから。

 ユリアンは父の死後、父方の祖母に引き取られていた。そもそもミンツ家はかつての自由惑星同盟建国者アーレ・ハイネセンの|長征一万光年《ロンゲスト・マーチ》に参加した名家だったのだが、帝国から亡命した平民の子孫だったユリアンの母を、ユリアンの祖母は『息子を奪った女』として嫌悪していた。更にユリアンのことすらも孫とは思わず、『息子を奪った女の息子』と忌避して、母と一緒の写真は焼き捨てられ、父と一緒の写真は何処かに隠されてしまったため、両親を偲びたくても幼い頃の写真は1枚も無かったのである。

 それが、今日、唐突に家族三人が写った写真が彼の手元に戻って来た。

「実は……事情があって、僕は母の写真を一枚も持っていなかったんです」
 ユリンは流れ落ちる涙を必死に拭いながら、フロルに言う。
「だから、三人で写った家族写真なんて、当然一枚も持ってなくて、それが、あの——」
「その一枚は、ミンツ中尉が、お気に入りの一枚と言って、大切に持っていた写真だ。今、君のご両親は既にこの世界にはいないけど、君の父上は君を大切に思っていたし、写真を見ての通り、君の母上も君を愛していたのだろう。それに君の保護者であるヤン・ウェンリーという奴は、まぁいろいろと困った奴なんだが」
 ユリアンは泣きながらも、そこで少し笑った。
「俺の大切な、本当に大切な友人だ。俺が命をかけても守ってやりたい、そう思える男なんだ。だから、あいつを頼む。あいつも、君のことを心底気にかけているだろうから」
「はい……、フロルさん、本当にありがとうございます」
「いや、お礼を言われても困るよ、ユリアン」
 フロルは困った、という風に苦笑しながら頭をかく。
「私は君の父上からとってしまった写真を、返しただけなんだから。だけど、大切にとっておいてよかった。君の支えになるなら、本当にね」

 ユリアンはその言葉に、さらに涙が溢れて来たようだった。フロルは顔を伏したユリアンの頭をぽんぽん、と触ると、そっと彼を残して書斎を出ようとした。

「あ、そうだ。ユリアン」
 ドアのところで立ち止まったフロルは、背中越しにフロルに話しかける。
「あと30分もしたら、おいしいデザートができるんだ。だからその時に紅茶を入れてくれるかな? シロン星の美味しい紅茶があるから、君に入れて欲しい」
「……はい」
「きっと、君の方が美味しく入れられるだろうからね」
 フロルはそっと書斎のドアを閉めた。30分後には、ユリアンは笑顔で出て来るだろう。ミンツ中尉直伝の紅茶が飲めるなら、フロルはとっておきのクリームブリュレを作ろうかと、冷蔵庫の中身を思い出していた。



























 
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