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【旧】銀英伝 異伝、フロル・リシャール

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フロル、帰還


フロル、帰還

 覚醒は痛覚と同時だった。
 フロルはうすぼんやりしながら、自分が意識をもっていることを自覚した。右胸が痛い。だがその痛みが、何よりも自分が生きていることの証明だった。彼の体は彼の意志から離れたかのように、まったく動こうとはしなかったが、それは恐らく麻酔のせいだろうということに彼は気付いて、無駄な努力をやめた。
 どうやら自分は病室にいるようだった。空けることも億劫な目蓋の上から、白い光が差し込んでいるようだった。自分のベットの横に、誰かが座っている気配があった。感覚がないはずの右手を、誰かの手が握りしめていることに彼は気付いた。
(誰だろう?)
 首を動かすことも、目蓋を動かすこともできないフロルは、また再び意識を沈めて行った。



 2度目の覚醒は明快だった。
 彼は自分の頭がしっかり動き始めていることに気付いた。どうやら時刻は夜のようだ。しっかりと目を開けて、左の窓を見ると、窓の外は真っ暗であった。
 視線だけを窓に向けていたが、自分の右手に人がいることに気付いて、彼は首を向けた。そこにいたのは、整った顔を沈黙させ、腕を組んで座っている剛胆な男だった。
「お気付きになりましたか、リシャール中佐殿」
 シェーンコップは起きる素振りすら見せず、先に話しかけてきた。
「……ああ、俺は生きてるようだな」
 フロルの声は彼自身が驚くほど、か細く力ないものだった。
「ええ生きているでしょうよ。まだ足は地に着いているし、声も聞こえる」
 シェーンコップはいっそ、不敵というような笑みを浮かべた。
「シェーンコップ、おまえが俺の看病をしていたのか?」
「目覚めたら隣りに男がいるってのはなかなかにおぞましいことだが、ここに座っている男の方はもっとおぞましいね。もっとも、俺は今ちょっと様子を見ていろ、と言われて座っているだけで、ここ3日間この椅子に座っていたのは別の人物だがね」
「イヴリンは無事か」
「ああ、三日三晩寝ずにあんたの手を握っていられるほどには、ね」
「……よかった」
 フロルは痛む右胸を意識しながら、小さく溜め息を吐いた。
「ついでに言うなら、セレブレッゼ中将やフィッツシモンズ中尉も無事だ。俺はともかく、あいつらはあんたに礼を言うつもりらしいぜ」
「そのうち一人はあんたの女だと思ったが、俺に何か言うことはないのか」
「俺にはないさ。だが、|薔薇の騎士《ローゼンリッター》としてはなかなかだった、という評価はしているがね」
「手厳しいな」
 フロルは苦笑した。なかなかどうして、シェーンコップも凄い男だ。だが、彼がその不敵な笑みを浮かべられているのだから、自分の努力は報われたというところだった。
「リューネブルクは?」
「逃がしたよ。だが、あいつとの白兵戦を禁じて、銃撃で対処するようあんたがしつこく言ったおかげで、あいつの戦斧で死んだ奴はいない」
「あいつを殺るのか?」
「ああ、先代の連隊長の仇討ちだ」
 シェーンコップは、言うことを言った、という顔をして席を立った。恐らく彼は他の人々を呼びに行くのだろう。そういうところの配慮は、意外とできる人間である。



 廊下を走って来るような音がして、ドアに視線を向けたフロルの前に姿を現したのは、イヴリン・ドールトンだった。彼女はしっかりとした意識を保っているフロルを見て、何かを言おうとしたが、言葉が口に出ないで、ただ彼に駆け寄って、その右手を握りしめた。
「イヴリン」
 声もなく泣く彼女を見て、フロルは彼女がどれだけ心を痛めていたかを知った。そしてそんな心配をさせてしまった自分を苦々しく思った。だが、この傷のおかげでイヴリンは無事だったのだ。いかに紳士的なラインハルトやキルヒアイスであっても、同盟の女士官が捕虜になったら、大変なことになっていただろう。だから、今ここで泣いているだけ、マシというものだった。
「イヴリン、俺はもう大丈夫だ」
「……何が大丈夫よ」
 彼女の声は震えて、そして小さかった。
「あんた、一回心臓止まったのよ。銃線が右鎖骨下動脈を傷つけていて出血が止まんなくって……もう、大変だったんだから」
「ごめん」
 フロルは可能な限り優しく、言った。
「ごめん、イヴリン」
「……何が死ぬな、よ。あんたが死にそうになってどうすんのよ」
「ああ、その通りだ」
「私をおいて、死なないでよ」
 フロルは左手で、泣いているイヴリンの頭を、その柔らかい髪の毛を優しく撫でた。
「みんな、無事か?」
 イヴリンは小さく頷いた。
「そうか」
 フロルはそれを聞いて安心した。どうやらなんとかなったようだ。死ぬはずであった人間は死なず、自分も生き残った。上出来、というべきだった。



 彼女が涙の壼を空にした頃、病室にはシンクレア・セレブレッゼ中将が現れた。中将は数日前よりやつれていたようだったが、その姿はしっかりとしている。
「中将、お元気そうで何よりです」
「中佐こそ、本当によくやってくれた。……本当に、ありがとう」
 セレブレッゼは万感の思いを込めて、頭を下げた。フロルもその意味は理解していた。フロルがいなければ、基地の防衛戦は早期に瓦解し、増援は遅くなり、人的被害ももっと増えていただろう。だがそれだけではなく、セレブレッゼの前で命を張ったことに対して、彼が感謝しているということも理解していた。
「いえ、最初に言ったでしょう? 全力を尽くしただけです」
 セレブレッゼは何かを噛み締めるような顔をしたあと、中将の推薦と防衛戦の戦果、名誉の負傷によってフロルが大佐に昇進するであろうことを告げて、病室を辞した。フロルは彼が去る前に、シェーンコップの昇進もできるよう、頼み込んだ。
 セレブレッゼは色々と思うところがあったようだが、それを承諾し、約束した。これで恐らくシェーンコップは大佐になり、|薔薇の騎士《ローゼンリッター》連隊の連隊長として正式に任命されるだろう。
 その間、彼の副官はずっとフロルの右手を握っていたのだが、セレブレッゼは何も言おうとはしなかった。



 次に現れたのはヴァレリー・リン・フィッツシモンズ中尉であった。イヴリンと彼女は顔見知りだったらしく、お互いの顔を見て小さく笑い合い、お互いの無事と、お互いの男の無事を祝った。
 フロル自身はヴァレリーとの面識はなかったが、彼女は丁重に彼に頭を下げて感謝の言葉を口にした。彼もまた、それに応えた。もっともシェーンコップの口調が移ったのか、
「美人薄命って言葉は、俺が一番嫌いな諺なんだ」
などと応えたせいで、かなりきつくイヴリンに睨まれてしまったが。

 ヴァレリーとイヴリンは一緒に病室を出て行ったが、その際イヴリンに一つ頼み事をした。ハイネセンにいるキャゼルヌに彼が無事であると、伝えるように頼んだのである。



 そのあと、担当医官がやってきて、彼の肺の損傷が激しく、また右鎖骨下動脈が傷ついており、そこからの出血が大変であったこと、肺は人工再生した有機人工器官で置き換えたので、今後の運動などに制限はつかないこと、などをフロルに伝えていった。
 フロルは内心、ここまでの医療技術が進んでいることに、改めて驚いた。恐らく彼の前世で今回のような傷を受けたならば、確実に死んでいただろう。彼はそこにも感謝した。この胸の痛みや違和感は一か月ほどでなくなるという。この段階で超長距離ワープが可能になるので、そこでハイネセンに戻り、更にリハビリに三か月はかかるとのことだたった。
 フロルはそれに了解した。


 フロルはそこからの一か月、つまり4月一杯をセレブレッゼ中将の手に余る軍事的な事後処理に費やし、5月3日、思いの他長く駐在した、このヴァンフリート4=2を発って、一路ハイネセンに帰還を目指した。それには基地撤退の最後まで居残っていた|薔薇の騎士《ローゼンリッター》連隊やセレブレッゼ中将が同行し、ここにヴァンフリート4=2同盟基地は爆破処分されたのであった。

























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※訂正※
増援の来週は→増援は
見識→面識
 
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