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【旧】銀英伝 異伝、フロル・リシャール

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外伝 マドレーヌ


アッテンボロー士官学校3年次のお話。
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外伝 マドレーヌ

 父さんから電話があった。
 弟のダスティが士官学校の休暇で帰ってくるのだという。可愛い可愛いダスティ坊や。哀れな哀れなダスティ坊や。
 父さんとお爺ちゃんの企みで、人殺しのために士官学校に送られた私の弟である。考えてみれば、弟が士官学校に入学してから3年は経過しているようだ。あっという間の3年。入ってみれば入ってみたで、どうやら楽しくやってるらしく、ここ3年はまともに顔も見せなかった不義理な弟である。あんなに私たちアッテンボロー三姉妹が可愛がったと言うのに。こう見えても美人三姉妹としてそれなりに有名だったのだ。もっとも私たちがちょっかいをかけすぎたせいで、弟は独身貴族を標榜しているらしいが……。

 ちなみ今日はなぜか先輩も一緒に来るという。どうやら弟が頭の上がらぬ先輩らしい。これだから弟はいつも押しが弱いのだ。

 嫁に行ったユニス姉さんも、ダスティが帰ってくると聞いて今日は戻ってきているという。久しぶりに姉さんの作った美味しいマドレーヌが食べられるかもしれない。美味しいものに目がないのは女の子の特権。妹のニーナも今日は大学から早めに帰ってくるだろう。

 かくいう私も、今日は早めに秘書のお仕事を切り上げて家に帰ってきた。
 一応こう見えても一軒家の実家、アッテンボロー家。塀には植物のツタが生い茂り、門の鉄は錆びかけているけど、こまめに手入れされた庭や、綺麗に掃除された玄関先を見る限り、母さんも元気にやっているみたいだった。

 玄関に入ると、キッチンの方角から素晴らしくいい香りがしてきた。これは、姉さんのマドレーヌだ!
「ただいま!」
「キャロル姉さん、おかえり」
 ドアを空けてダイニングに入った私を、いち早く見つけたのはダスティだった。なんていうこと! 身長が伸びて、体もすっかり男の子のようになんている。
「ダスティおかえり!」私は思わず抱きつく。「また大きくなったんじゃない!?」
「やめてよ、姉さん」
 ダスティが嫌そうに逃げる。
「キャロル、おかえり」
 母さんがキッチンから出てきた。久しぶりに会ったからか、ちょっと小さくなったような気がするけど、まだ肌もつやがあって、元気そうで良かった。
「ただいま、母さん。あれ? ユニス姉さんは?」
「キッチンよ」
「あら、じゃあやっぱり!」
 私はキッチンを覗く。
 すると、そこには真剣な表情でケーキを作っている姉とーー
——見知らぬ男がいたのである。


「フロル・リシャールと言います。ダスティくんの4つ先輩の」
 その男は、姉と一通りの技巧を競い合い、それをオーブンに入れたあと、キッチンから出てきて挨拶をした。明らかに順序がおかしいと思わざるを得なかったが、さきほどのこのフロルという男の真剣な顔は、それを諌める声を失わせる何かがあった。

「はじめまして、次女のキャロル・アッテンボローよ」
「どうも」
「フロルさん、お料理上手ね」
 今は紅茶を飲みながら、のほほんとしたユニス姉が言う。姉は私たち三姉妹でダントツに料理が上手かったのだから、その姉をしてこう言わしめるというのは、相当な腕なのだろう。だって……あれ……姉はよくも悪くも天然で、お世辞というものを知らない人だからね。

「料理というか、お菓子作りが趣味なもんで」
「相当な腕よ。私だって負けちゃいそうだもの」
「恐縮です」
「それは凄いわね」

 褒められたフロルはどこか恥ずかしげに笑う。ほぅ、よく見ればこの男、なかなかの美男子じゃないか。もうちょっと雰囲気に鋭いものがあれば、かなり映えそうである。髪は薄い茶色。目は透き通った水色で、身長は185くらいだろうか。整った顔立ち、その体は既に軍人として必要なだけ鍛えられていると言った感じで、さきほどまで姉と並んでマドレーヌを作っていた人間には見えない。もっとも、筋骨隆々というほどでもなく、まるでしなやかな弓を思わせる体だった。

「まぁ男ばかりの士官学校に言ってますからね、あまり披露する機会がないのです」
「でもなんでまた、今日は私たちのうちに?」
「いや、ダスティが実家に帰るって聞いたので、面白そうだと思いましてね。付いてきてしまったわけです。ご迷惑でしたか?」

 いえいえ、そんな、と女性一同。そういえば、ニーナはまだ帰ってきてなかった。もしかしたら車で父さんを拾って帰ってくるのかもしれない。

「にしてもダスティ、随分美人な姉を持ってるじゃないか」
「やめてくださいよ、先輩。こう見えて男には怖い姉なんですか……ら……」

 ダスティは私の笑みの裏に込められた意味を、違うことなく理解したらしい。その減らず口が大人しくなり、彼の顔は真っ青になった。冷や汗まで出ている。

「どうした、顔色悪いぞ、ダスティ」
「い……いえ、なんでもありません。アハハハハハ……」
「そういえばフロルさんは士官学校の方だそうですが、どちらの科にいらっしゃるのかしら?」
 ユニス姉が聞く。
「私は戦略研究科に在籍しておりました」
「あら、ならエリートさんなのかしら?」
「どうでしょう、私より優秀な人間はごまんといるでしょうね。もっとも、負けるのが嫌いな性分ですから、あまり負けたことはないですよ?」

 彼はそういうと紅茶に手を伸ばす。そうか、彼の髪は透き通った紅茶の色なのか。
 そのとき玄関からドアが開いた音がした。どうやら父か、ニーナが帰ってきたらしい。

「ただいま」
 最初に入ってきたのは父だった。
「久しぶりだな、不良息子」
「何を言いやがる、このクソ親爺」
「こらこら、やめなさい二人とも」
 この流れはいつも変わらない。二人は会うといつも喧嘩ばかりしているのである。そして母がそれを止めるのだ。
 その父の後ろからニーナが顔を出す。
「久しぶり、ニーナ」「おかえり」
 私と姉が彼女に声をかけた。
「久しぶり、ユニス姉、キャロル姉。父さん拾ってて遅くなっちゃ……た……」

 ニーナは言葉の途中でどうやらフロルという男に気付いたらしい。思い返してみれば、ダスティの4つ上ということは、私の一つ下、ニーナの一つ上ということになる。それにしてもニーナのあの表情は何だろう。顔を赤らめ、目が心なしか潤んでいるように見える。

「ニーナ?」
「えっ、あ、何?」
「この人はダスティのお世話になってる先輩の——」
「フロル・リシャールです。よろしく」
 彼はわざわざ席を立って名乗った。ニーナはぼぅ、っとした顔でそれを見ている。あの顔は!
(なんてこと……ニーナの悪い癖がまた発症したのね)
 ニーナには惚れやすい、という非常に面倒で困った癖があったのだ。
「ほぉ、君がフロルくんか」
「はじめまして、ダスティの父上で、新聞記者のパトリック・アッテンボローさんですね」
「いかにもそうだが」
 フルネームで尋ねられた父はちょっと不思議そうな顔をした。
「ちょっと、お話があるんですが」


 彼が父とともに書斎に籠って話をしている間、私たちは焼き上がったマドレーヌを食べることにした。どうやらユニス姉がマドレーヌを作っていると、横からあのフロルという男が自分も作りたいと申し出たのだという。
「おおおお」
 出来上がったマドレーヌはどちらも素人けだし、上手いものである。
「じゃあ私は先にユニス姉の頂くわね!」
 私は懐かしいそのマドレーヌを手に取った。まだ熱い。ほくほくで口に運ぶと、なんとも言えない美味しさが口の中を広がった。
「ん〜、美味しい!」
「じゃあ私はフロルさんのを頂くわ。作ってる最中から、ずっと気になってたから」
 母はその横からフロル作のマドレーヌに手を伸ばした。私も2つめはそちらを食べよう。ユニス姉もそちらを食べたようだ。
 だが、食べた二人が固まった。
「え? どうしたの? まずいの?」
 フロル作のマドレーヌを口を開けて食べる寸前だった私は、思わずそう聞いた。横のニーナも慌ててそちらのマドレーヌを口に含む。すると、目を見開いて驚いた表情。
「「「美味しい!!!」」」
 三人の口から出たのは、絶賛の言葉だった。
 一人遅れた私もそれを食べる。
 一口食べて驚いた。口の中に広がるきめ細やかな甘み、甘いのに甘過ぎない上品さ、そして微かに広がるマロンの香り、それでいてふっくらとしている絶妙感。
「え、凄い、何この美味しさ」
「マドレーヌは私が一番最初に習った菓子なんです」
 父の書斎から戻ってきたフロルが、私たちの後ろから声をかける。私たちは一斉に振り向き、その菓子職人を見つめた。
「先輩のマドレーヌ、そんなに美味しいんですか?」
 一人だけ興味がない風を装っていたダスティも、今更それに手を伸ばした。一口食べて目を見開く。さすがにニーナと姉弟だけあってリアクションも同じだ。
「美味しい! 先輩、これって店で売れるレベルですよ!」
「ははは、ありがとな」
 彼は照れたように笑っている。その後、ユニス姉からその作り方を根掘り葉掘り聞かれ、それに親切丁寧に答える姿は、私たち三姉妹の心に何かを残していくものだった。
 そしてその時、フロルの後ろにいた父が、深く思い悩んでいるような顔をしていたことに、誰も気付かなかった。


「それじゃあ、今日はお邪魔しました」
 フロル・リシャールは夕飯の前にそう切り出した。
「あら、今日は食べて行っていいのに」
「ええ、是非食べて行って下さい! フロルさん!」
「ユニスさん、ニーナさん、どうもありがとうございます。ですが残念ながら用事がありまして、行かなくてはならないのです。本当に申し訳ございません」
 私は心の中で肩を落とした。だが、この出逢いは何かを感じさせるものだった。とても紳士的で、お菓子作りが天才的に上手い、エリート軍人なんてなかなかそういるものではない。軍人というのはもっと荒っぽいものだと思っていたが、これはいい意味で期待を裏切られた気持ちだ。まだ20代前半だから、結婚うんぬんを意識していたわけじゃないけど、これはなかなかどうして、いい縁だと思う。
 もっとも、ダスティは何かを言いたそうな顔をしているが、私はまたあの青年を我が家に連れてくるよう、しっかりと言い含めなくてはならないだろう。


「ダスティ」
 彼が去ったあと、父がダスティに話しかけていた。
「なんだよ」
「あのフロルという青年……何者だ?」
「ああ、何を父さんに言ったかは見当もつかないが、俺が及びも付かないほどの人物ってのはその通りだ」
 父はそれに何か納得したように、何度も頷いた。


 そうして、フロルのアッテンボロー家訪問は幕を下ろしたのである。























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※訂正※
ダスティン→ダスティ
ルーカス→パトリック
嫁に嫁いだ→嫁に行った
 
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