MUV-LUV/THE THIRD LEADER(旧題:遠田巧の挑戦)
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17.初陣Ⅰ
20.初陣Ⅰ
・慣熟訓練五日目
実戦を三日後に控えたキメラズの面々は未だに連携訓練に移れないでいた。訓練プログラムで撃震と同程度の結果は出せているのだが、それは同時に新型の性能を引き出せていないということだ。
その一方で巧は何とか機体特性を掴み、思い通りに操れるようになってきた。衛士適正にものを言わせた訓練量にものを言わせて熟練の衛士でも成し得ない速さで訓練課程をこなしていたのである。
しかしキメラズ全体の錬度は到底実戦に耐えられるものではなかった。そのことは全員が分かっていたことで、周防隊長を始めとした隊員たちは監督役である岩崎に直談判に行った。
「岩崎参与……、実戦試験の日を変えていただきませんか?こういうことを言うのは情けないのですが、今の隊員の慣熟訓練達成度では実戦は無理です。せめて連携訓練をこなす時間をください。そうすれば乗り切ることができます。」
強面の周防が申し訳なさそうに岩崎に告げる。その表情は暗く、自分の不甲斐無さを責めているようであった。ブリーフィングではいつも決然としている周防にしては珍しい様子で、それは心からそう思っていることを示していた。
しかしそれを聞いた岩崎は見下したような眼で隊員たちを見渡すと非常な決定を告げる。
「ふん!なぜ私が貴様らの尻拭いをしなくてはならない。情けない奴らだ。決定に変わりはない。三日後には実戦だ。それで死ぬというならそれもデータの一つ。帝国の新型は貴様らの様なゴミには相応しくなかった、そういうことだ。」
それは隊員たちを奮起させようという激励でなく、心底そう思っていると分かる言葉だったキメラズの面々はもちろんその言葉に顔色を変えたが、周防はそれを制して粘り強く交渉を続ける。ここで怒りにまかせ殴りかかれば軍法違反でどんな罰を受けるかわからない。ここはインド。MPの調査など入らない。この無能な上官の考え一つで命すら左右されるのだ。 そしてメンバーが減れば唯でさえ危ない試験の危険性が増してしまう。
煮えたぎる気持ちを必死に腹に収めながら周防は説得を続ける。
「我々の無能は認めます。参与のご意見ももっともです。しかし新型の性能を引き出せていない状態で実戦データを取っても有効な結果は得られません。そして撃墜されたとなれば効果で貴重な試験機と、人命を失うことになります。そうなれば計画の進行に致命的な遅れをもたらします。それは参与も本意ではないはず。どうかご再考を!」
いかに無能といえど本来の役目は計画の進行を監督すること。ならば三日後の実戦試験がもたらすデメリットを説けばいい。岩崎が予定の固持という意地を犠牲にすればより良い結果を生むことができる。周防はそう考えていた。しかしその気持ちを岩崎は無情な言葉で切り捨てた。
「それは俺の責任ではない。貴様らの惰弱さのせいだろう。貴様らが全員死んでも計画は本土の部隊がやるだけだ。それに栄えある帝国の新型を扱って死ぬようなら貴様らの命に価値はない。話は終わりだ。分ったらさっさと訓練に戻れ。私には用事がある。」
それを聞いた時キメラズ全員が悟った。この上官に軍人として、否、人としての正しさなど欠片ほどもないということを。まだ知り合って間もないが岩崎が毎晩のように街へくり出し酒と女に溺れていることは全員知っている。戦術機の知識もなく、任務に対する責任感もなく、権力だけ振りかざす。しかし軍において上官の命令は絶対。
結局キメラズの隊員たちは実戦の日時を遅らせることも希望を得ることもなく、ただただ絶望の中で岩崎が部屋を出るのを見送ることしかできなかった。
◆
瀬崎side
このカルカッタ基地に来てから数日、突然の辞令に焦ったが状況は呑み込めてきた。どうやら俺がCIAのスパイとして活動していることがばれてしまったらしい。いや、ばれたというよりは疑われていると言ったところか…。完全にばれていれば左遷なんて生易しい処罰で終わるはずがない。この罰ゲームのような異動はおそらく厄介払いだろう。全員ではないが何人かの名前は知っていた。軍需物資の横流しの噂がある奴らだ。
もしCIAと繋がっている証拠をつかまれていれば薬物や催眠を使った尋問、下手をすれば拷問で廃人なんてこともあり得るだろう。それを考えれば今の状況は捨てたもんじゃない。連絡手段がないとはいえ新型の情報も手に入った。これを手土産にすれば帝都での諜報活動などしなくても俺の評価は鰻登り。晴れて米国人としての市民権と安全で裕福な生活が保障されるだろう。そうすれば貧乏で陰気な帝国とはおさらばだ。
俺も若いころは帝国に忠誠を誓った軍人だった。ヨーロッパの戦線で地獄を見るまでは人類の明るい未来と、帝国の繁栄を夢見ていたものだ。今思えばアホらしいことだが…。仲間が半分ぐらいBETAに食われたころにCIAからの誘いが来てそれに乗ったが、それがなければ今頃俺もBETAの糞になっていただろう。あんなふざけた戦いはこりごりだ。
だがインドでの戦術機試験を超えなければ俺に未来はない。扱いが難しく検証すらまともにやっていない戦術機、新任や初陣を済ませていないガキ、短い訓練期間、無能な上官。こんな部隊で生き残れるとは思えない。何とかしなければ…。
一番有効なのは上官の買収だ。死なない一番簡単な方法は戦場に出ないことだ。だがそれは難しい。衛士の訓練で怪我をする可能性があるのは格闘訓練ぐらいだが、試験部隊であるキメラズの訓練でそれはない。仮病などは軍医が見れば一発だ。
しかし上官を買収してしまえば特殊任務とか適当な理由で実戦を避けることができる。俺の上官と言えば周防大尉と岩崎参与だが、先ほどの遣り取りを見れば買収するなら岩崎参与の方だろう。あいつは国や世界なんてものに興味はないだろうし、優越感に浸れる環境を用意してやれば簡単に転ぶだろう。
瀬崎side out
◆
岩崎の後を追いかけ瀬崎は声をかける。にこやかで友好さを前面に押し出した表情。CIAのスパイとして帝都に潜り込む際に徹底的に仕込まれたものだ。
「岩崎参与、少し時間をいただけますか?」
「くどいぞ!決定は変わらないと言ったはずだ。これ以上邪魔するなら懲罰を与えるぞ!」
「いえ、別件です。ここでは話しにくいことなのですが…。」
「何故私が貴様の話を聞かねばならん?」
岩崎は早く色街に出かけたい様子。それを見とると瀬崎は心の中で舌打ちをしながら交渉を始めた。
「岩崎参与にも旨みがある話ですよ。そうですね、参与の部屋に酒でも持って伺います。今は亡きボルドーの30年物です。湿度や温度の管理が難しく少々味は落ちていますが、日本のワインより遙かに上等です。どうですか?」
帝都で諜報活動をしている過程で米国経由で手に入れた高級品で自分で飲むつもりでいたが背に腹は代えられない。瀬崎は酒と女に目がない岩崎の嗜好からこれなら話を聞かせることができると踏んでいた。
一方で岩崎は瀬崎という男を計りかねていた。もし瀬崎の言うことが本当なら滅多にない機会だが、相手の腹が読めない。実戦試験の話でないなら何なのか。ヨーロッパの高級酒はEU戦線が崩壊して以降は非常に高値で取引されている。収集家に売れば10年は遊んで暮らせるほどのものだ。それを空けてまで聞かせたい話とは何か…。
「それは素晴らしいな。しかしそれが本当なら貴様の話を聞くまでもない。酒などの嗜好品を持ち込むことは軍法に反する。没収することもできる。」
「ごもっともです。しかし私の話を聞き入れてくれれば酒よりももっと素晴らしいものを差し上げることができます。いかがですか?」
「ほう…。」
そこまで聞けば岩崎にも瀬崎の持ちかける話が読める。おそらく違法な取引だろう。キメラズとは色々な言葉で飾っても厄介払いのために結成された死兵部隊。この部隊にいるということは大なり小なり後ろ暗い部分があり、このままいけば実戦試験という名の処刑が待っているのだ。
当たり前だが瀬崎は死にたくないのだろう。そのための交渉を裏ルートから来る利益を材料に持とうとしている。
これはチャンスかもしれない―。岩崎はそう考えていた。帝国に尽くしてももう自分が浮かび上がる機会はない。一族の威光ももはや薄れた。一族の顔に泥を塗った自分はもう一生帝国に飼い殺しにされるだろう。ならばこの話に乗ってみるのも悪くはない。
「良いだろう。ついてこい。」
この日、岩崎は完全に帝国に見切りをつけた。米国での豊かな暮らしと酒と女。それを瀬崎から受け取る代わりに、実戦は『特殊任務』を与えることで回避させる。そしてその『特殊任務』は岩崎の権限で得た試作機の全データを米国に横流しすることであった。
◆
場面は変わってブリーフィングルームではキメラズの隊員たちが実戦に向けた訓練の話し合いをしていた。
「実戦試験は予定通り進められることが決定した。しかし我々の慣熟訓練は未だ不完全だ。無策で出撃すれば全滅すらあり得る…。後三日のうちに何とか方策を見つけなければならない。誰か意見はあるか?」
「今全体の訓練達成度はどうなっているんですか?これまでのブリーフィングで全然達成できていないのは分かっているんですが…。」
「西谷中尉、説明を。」
「はい。まず個人の訓練到達度では遠田少尉がトップです。応用課程、発展過程ともに完了し、シミュレーター戦闘における数値も開発当初予想していたものを上回っています。次点は大きく離されて春日少尉。撃震のレベルは超えていますが新型の性能を引き出し切れてはいません。機体に振り回されている感じです。その次は隊長と周防中尉です。それ以外の方は実戦は危険なレベルだと思います。数字上では撃震程度のものは出ていますが、使いなれない機体のシミュレーターで撃震程度なら実戦ではもっと下がると思います。」
「ということだ。本来ならもっと慣熟する時間を取っておきたいところだが、後三日で実戦。最低限の連携を確認しなくては確実に死ぬだろう。」
本来なら連携訓練ももっと時間を取らねばならない。エレメント、小隊、中隊の単位に様々な状況に対応するための陣形。それらを過不足なく行うには互いの考えを理解した阿吽の呼吸が必要だ。一朝一夕で身につくものではない。
「無理だ…出来るわけがない。」
南が弱音を吐く。本来なら戒められるところだが、その思いは隊員全員が持っていたもの。咎める者はいなかった。
「…いいか。そもそも無理難題な試験なんだ。視点を変えよう。いかに敵を倒すかではなく、生き残ることを最優先させて作戦を練るんだ。」
絶望的な状況に希望を見出す為に、隊員たちは必死に策を練る。結局その日の午前はそれだけに費やしてしまったが、何とか作戦はたった。キメラズは生き残りをかけて残り二日半、死ぬ気で訓練する。岩崎と瀬崎が裏切りの密談をしている間に。
◆
そして初陣の日は来た。生き残る策を練ったブリーフィング中に岩崎からは瀬崎が『特殊任務』のために実戦には参加しないことが伝えられた。無論その内容は気になったが上官が『特殊任務』と言ったからにはその内容は秘匿されている。Need to Know の原則というものだ。知るべきことがあるなら知らされる。知らされないということは知る必要がないということ。岩崎がそういった原則を守るとは思えなかったが、上官であることに変わりはない。口を挟むことはできなかった。
巧は機体に乗り込みシステムチェックを入念に行った。整備班を信用していないわけではない。しかし自分の命を託す機体のチェックは自分がやりたかった。初陣衛士の平均生存時間は八分。その死の八分を乗り越え再びここに戻ってこれるかどうか。それを思うと巧は腹の奥から湧き上がってくる吐き気を感じた。柳田と真剣を交えたとき、総戦技演習のとき、日米合同演習のとき。巧は同じような感覚になった時は何回かあったが、それとは比べ物にならない重圧を感じていた。シミュレーターではBETAに何回も撃墜された。その回数が増えるごとに巧は仮想空間での死に慣れていった。戦っている時は実戦さながらの気持ちでも、撃墜された後は網膜投影されたスコアを確認しながら反省するだけだ。しかし実戦で死ねば次は無い。バラバラにされて文字通り死ぬような苦しみを味わった後、この世から消え去り目が覚めることはないのだ。
巧の精神が乱れ切って、半ば狂ったように機体のシステムチェックをしているとき、作戦に参加する全衛士に通信が入った。
「諸君、おはよう。私は本作戦の指揮をとるパウル・ラダビノット准将である。作戦開始まで後120分。既に各隊で聞いていると思うが作戦の概要を確認する。」
巧たちキメラズの初陣を飾る作戦はボパール・ハイヴ連続漸減作戦という名称がつけられていた。
ボパール・ハイヴは1990年にインド亜大陸の中央に造られた13番目のハイヴであり。EU戦線崩壊後、核兵器の使用によって何とか食い止めていたBETAの東進が再び活性化した契機を与えたハイヴである。オリジナルハイヴの南方に直接位置し、その豊富な人材と広い土地を利用した戦術でオリジナルハイヴから出てくるBETAを削っていたインド軍が敗北したことで戦線が伸びきってしまったため統一中華戦線はBETAの侵攻に持ちこたえられなかったのである。
そこで国連軍、大東亜戦線を含め各国の軍隊が力を結集して大規模な漸減作戦が決行されようとしていた。連続して漸減作戦を仕掛けることで一時的にボパール・ハイヴ内のBETA数を減らし、その後ハイヴ占領戦を行いインドからBETAを駆逐と戦線を立て直しを行うという計画である。その第一弾に巧たちキメラズは選ばれていた。
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