さまよえるオランダ人
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第二幕その六
第二幕その六
「この方は。それでですな」
「はい」
オランダ人はダーラントの言葉に頷く。しかし目はゼンタを見ている。
「娘は優しいだけでなく貞節で」
「貞節。そうだ」
オランダ人はその言葉に反応を示した。目の色が変わったのだ。
「この乙女なのか。私を救ってくれるのは」
「幻みたいなこと」
ゼンタもゼンタで恍惚となっていた。
「まさかここでこの方に御会いできるなんて」
「苦しみを忘れ憧れを思い出す。暗い夜の営みより一人の女性を仰いだ」
「今日この日に私は報われるのね」
二人の言葉が混ざり合う。
「心に燃える暗鬱の灼熱が消えていく。愛か、いやこれは」
オランダ人は言う。
「救済への憧れか。これは」
「我が胸に萌える苦しみ、これは一体」
ゼンタもまた。ダーラントを他所に二人の世界に入ろうとしていた。
そして。オランダ人が一歩前に出た。そのうえでゼンタに対して問う。
「あの」
「はい」
「私で宜しいでしょうか」
その蒼ざめた顔でゼンタに問うた。
「私で。どうなのでしょうか」
「私は父の言葉に従います」
これがゼンタの返事であった。
「それが私の意志です」
「そうですか」
「ええ。運命が何と言おうとも」
こうも言うのだった。
「私は従います」
「そうですか。この見知らぬ者に対して」
「そのようなことは関係ありません」
だがゼンタはまたオランダ人に言った。
「私は。何があろうとも」
「そうですか。この苦しみに満ちた生活が終わり長きに渡って憧れていた休息が貴女の愛によって訪れるというのですね」
「それこそが私の生涯の勤めです」
ゼンタの言葉は変わらない。
「そう信じています」
「天使が舞い降りた」
オランダ人は呟いた。
「今ここに。これこそが救済なのだ」
「私にとって運命が舞い降りてきたのね」
ゼンタもまた呟いていた。
「今まさに」
「ですが」
ここでオランダ人はふと何かを思い出して。それで言うのだった。
「貴女がこれから私と共に歩む運命がどんなものか御存知だろうか」
「運命ですか」
「そう、その犠牲の大きさを知ったならば。永遠の貞節を守れなければ」
「貞節を守ることは女の聖なる務め」
ゼンタはオランダ人の言葉に静かに答えた。
「御安心下さい。貴方に何があろうとも私は生涯貞節を誓います」
「生涯ですか」
「はい、死に至るまでの貞節を」
「私は救済を見出した」
オランダ人はここまで聞いて空を見上げた。その顔は恍惚となっていた。
「悪魔よ不幸の星よ聞くがいい。私は永遠の貞節を見出したのだ」
「この方の船は永遠に休む。休息が今訪れる」
「さて、二人共」
ダーラントがここで二人に声をかけてきた。
「はい」
「何、お父様」
「外に出よう」
こう二人に提案するのだった。
「外では皆待っているぞ」
「皆が」
「そうだ」
今度はゼンタに対して答えた。
「我々が帰って来た御祝いだ。是非楽しもう」
「そうね」
「わかりました」
二人はその言葉に頷く。ゼンタは笑顔で、オランダ人は蒼ざめた顔で。二人は正反対な顔でそれぞれ頷いて応えるのだった。
「二人の御祝いでもある」
ダーラントは満面の笑顔だった。
「じゃあ行くか」
「わかったわ、お父様」
「救済に」
二人は部屋を出てそのまま外に向かう。外に向かい部屋には誰もいなくなった。ただオランダ人の肖像画が闇の中に浮かんでいるだけだった。
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