愛の妙薬
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第一幕その二
第一幕その二
「今日はね」
彼女は手にした本を広げながら言った。
「トリスタンとイゾルデのお話よ」
「トリスタンとイゾルデ!?」
「一体どんな話なの!?」
皆はそれを聞いただけで目を輝かせていた。
「聞きたい?」
アディーナはそんな皆に対して尋ねた。
「勿論」
皆はそれに対して当然といったふうに答えた。これで決まった。
「それじゃあ」
彼女は本を顔の前に持って来た。そして読みはじめた。
「コーンウォールにいたトリスタンという騎士はアイルランドの美しいお姫様イゾルデに恋をしました。けれど冷たい彼女は一向に振り向いてくれません」
「僕と同じだなあ」
ネモリーノはそれを聞いて呟いた。
「本当にどうにかならないかなあ」
「それでそのトリスタンという騎士はどうしたの?」
皆はアディーナに続きを尋ねた。やはり彼等の殆ども字が読めないのだ。
「それで彼は知り合いの魔法使いに尋ねました。どうしたら姫に愛されるようになるか」
「僕も愛されたい」
ネモリーノはそこでまた呟いた。
「その魔法使いは彼にあるものを手渡しました。それはどんな人でも振り向かせることのできる愛の妙薬でした。トリスタンはそれを貰うとすぐに飲みました」
「愛の妙薬」
ネモリーノはそれを聞いてハッとした。
「それがあれば僕も」
だが誰も彼のそんな様子には気付かない。ただアディーナの話の続きを待っている。
「飲んでどうなったの!?」
「あとはもうおわかりの通り」
彼女は悪戯っぽく笑って言った。
「氷の様なお姫様も彼に夢中になってしまいました。こうしてトリスタンは想いの人を手に入れることができたのです」
「いい話だなあ」
皆それを聞いて頷きながら言った。
「そんな薬があれば」
「本当だよ」
ネモリーノはそれを聞いて言った。
「僕にその薬があれば」
そこでアディーナを見た。
「彼女だって僕を振り向いてくれるのに」
それを思うだけでたまらなかった。彼はその話を聞いて増々アディーナを欲しいと思った。
「欲しいなあ、そんな薬」
村人達は話を聞き終えるとうっとりとして言った。
「そうしたら恋が実るのに」
「格好いい彼氏が手に入るのに」
それぞれ思うところは少し違うがおおむね同じであった。誰もが恋を思ってその薬のことを欲しいと思った。
皆口々に話をした。その薬について。ここで太鼓を叩く音が聞こえてきた。
「あら」
娘達が太鼓の音がした方に顔を向けた。
「軍の行進の太鼓の音だな」
年老いた男が言った。
「ああ、そういえば今日辺りここに軍が来るんだったな。宿営に」
「宿屋が準備をしていたぞ、大喜びで」
「何、それを早く言え」
「酒屋の旦那、あんたはいつものんびりし過ぎるんだよ、それ位前もって聞いておけよ」
村人達はそう言いながら道を開ける。するとそこに軍の一団がやって来た。
見れば四十人程である。おそらくこの村の宿営のためだけの部隊らしい。おそらく訓練か何かで立ち寄ったと思われる。殺伐としたところはなく穏やかな様子であった。軍服も綺麗で銃もよく手入れされていた。
「やあやあ皆さん」
その中の一人が村人達の前に出て来た。
「お騒がせして申し訳ない。私はこの隊の軍曹でベルコーレという者ですが」
見れば立派な口髭を生やした偉丈夫である。肩の階級章が兵士達のそれよりも立派であった。手には小さな花束がある。
「皆さんに一時の休息の場を頂きたい。よろしいでしょうか」
「喜んで」
「一緒に楽しくやりましょう、束の間の休息を」
村人達は快くそれを認めた。
兵士達は村人達の間に入る。そして共に酒と食べ物、そして談笑を楽しみはじめた。
「何か面白い人ね」
アディーナはベルコーレを横目に見てジャンネッタに囁いた。
「そうね。わりかし格好いいし」
「キザっぽいところもあるけれどね」
見れば軍服の胸のポケットに花なぞを入れている。髭もよく切り揃えてあり髪にも油を塗っている。かなりの伊達男であることはすぐにわかった。
「おや」
ここでベルコーレもアディーナ達に気付いた。
「これはこれは」
そして二人に近付いて行った。
「一体何をする気だ!?」
ネモリーノはそれを見て顔を顰めさせた。
「僕のアディーナに言い寄ったら只じゃおかないぞ」
そう言いながら如何にも不安そうな様子で成り行きを見守った。
ベルコーレはそれに気付くことなく手に持っている小さな花束をアディーナに差し出した。
「可愛らしいお嬢様だ」
そしてその花束をアディーナに差し出した。
「これはささやかな貢ぎ物です」
だがアディーナはそれは手にとらない。じっとベルコーレを見ている。
「どういうつもりだ!?」
ネモリーノは身を乗り出してそれを注視した。
「まさかあいつ」
もう気が気でなかった。ふとアディーナの視界の端に入ったように見えた。だが彼女はそれがわかっているかどうか。顔には全く出さない。ただベルコーレを見据えている。
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