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或る皇国将校の回想録 前日譚 監察課の月例報告書

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四月期 新任大尉の着任報告

発 〈皇国〉兵部大臣官房
  〈皇国〉兵部省陸軍局人務部

宛 〈皇国〉陸軍中尉 馬堂家氏族 馬堂豊久殿

昇進・転属辞令

    〈皇国〉陸軍砲兵中尉 馬堂豊久殿

皇主陛下より御預かりし権限をもって、〈皇国〉兵部大臣は貴官に以下のごとく命ずる
皇紀五六四年三月末日をもって貴官の〈皇国〉陸軍砲兵中尉並びに駒州第三砲兵旅団次席副官としての任を解く。
これに代わり皇紀五六四年四月一日をもって貴官を〈皇国〉陸軍砲兵大尉並びに〈皇国〉兵部省陸軍局人務部監察課首席副官附副官 兼 同監察課主査へ任ずる。

本令到着後、貴官は可及的速やかに着任準備を整えこれを遂行するべし

〈皇国〉兵部大臣 東州伯爵 安東吉光
〈皇国〉兵部省陸軍局人務部長 陸軍少将 宮野木清麿



或る皇国将校の回想録前日譚 監察課の月例報告書
四月 新任大尉の着任報告



皇紀五百六十四年 四月一日 午前第八刻
兵部省・陸軍局人務部監察課 首席監察官執務室
首席監察官附副官 馬堂豊久大尉


「本日付で首席監察官附き副官ならびに監察課主査を拝命いたしました、馬堂豊久大尉です」
 眼前のこれから付き従う事になる上官を見据えながら馬堂豊久大尉は内心、冷や汗をながしていた。 ――監察課、名前こそ“課”であるがその組織構造は極めて特異なものである。監察課長は人務部次長が兼任し、首席監察官1名とその指揮下にある監察官5名、事務を分掌する企画官1名とそれを補佐する士官・官僚たちによって構成されている。
その業務は〈皇国〉陸軍将校達の人事考課・受勲の事前審査――そして不祥事、“外部”即ち文民に関わるそれの調査、服務規定違反など内部罰則を犯した陸軍士官の実態把握を行い、必要ならば陸軍局長の裁可をうけて憲兵を指揮し、高等軍法会議へと送検する事である。
 監察課の業務関する一般的な将兵達の認識はこうした不祥事の告発者であり、とくに将校団にとっては“間諜”として見られている。

 ――尤も、そうした機能はけして十全に発動しているわけではないが、憲兵隊と並び陸軍内における自浄能力を担っている要職である事には違いない。
 その中で実働部隊である監察官達の管理を分掌し、特に重要な事案に関して調査の陣頭指揮をとる者が豊久の直属の上官となる首席監察官である。

「首席監察官の堂賀静成大佐だ。よろしく頼む」
豊久がこれから仕える事になる上官はがっしりとした顔貌と猛禽類のような鋭角的視線の持ち主であった。四十後半くらいだろうか、と豊久は見積もっていた。
 堂賀大佐の事は彼も知っている。憲兵上がりで駐〈帝国〉総領事館の駐在武官を経験している。大物の情報将校である。
 ――自分はもうじき二十四、この年で平時に大尉までなれた事は決して悪くない。陪臣士官としては順調な出世街道を歩んでいると云えるだろう。この人の下で学べるのは悪くない。
「はい、首席監察官殿。」

「君は豊長閣下のお孫さんだったな。私も昔はあの方の下で働いたものだった。
もっとも、あの方は皇都憲兵隊司令の大佐で私は大尉だった――私と君のようにな
大尉も馬堂豊長閣下の名に恥じぬ良き働きを期待している」
そして首席監察官は不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。
「それでは早速、仕事を覚えて貰おう。あと一月もしたら苦情の波が押し寄せてくるぞ。
それまでにここのやり方を覚えてもらうぞ」

「はい、首席監察官殿。」


同日 午後第八刻
皇都 馬堂家上屋敷 喫煙室
馬堂家嫡男 馬堂豊久



「今日でお前も正式に大尉か。それに兵部省勤務、悪い遊びを教わる時期だ。
――あぁ、しかもお前はその火消しにまわる部署だったな」

「父上は経験が?」

「ない――だが人務第二課に居た時にはなんどか出入りしている。
まぁなんだ。あそこで生真面目にやっていると爪弾きにされるのがオチだ。
加減が重要だ、腐らせるのも問題だからな。上手くやらないと今後、軍に居られなくなる。
――それで馬堂大尉クン、監察課員となった気分は如何かな?」
そう云うと軍監本部兵站課運輸班長にして軍政家としての名望を築きつつある馬堂豊守大佐は兵部省に抜擢された新任大尉へと実に楽しそうに笑みを向けた。
「父上、その不吉すぎる笑いはやめて下さい。――確かに、そうなると色々と学ぶことが多そうな場所ですね。御祖父様の弟子が直属の上官ですからそれはもう色々と」
――そうなると御祖父様の弟子って肩書は本当に頼もしいものだ。
豊久はため息をついた。

「弟子?誰だそれは?」
 自身の名前に反応し、豊長は退役してから打ち込んでいる杖の手入れから目を上げた。
「堂賀大佐です、確か御祖父様が皇都憲兵隊の司令をなさっていた時に新任の大尉だったとか」

「堂賀大尉――――あぁ!高等班の堂賀か!確かに目端の利く奴だった。
――そうか、もう大佐になっていてもおかしくないな」
そういうと嬉しそうに退役少将は嬉しそうに幾度も頷く。
「陸軍局の首席監察官か――あとはもう一つ部署を回れば准将だろうな。
うむ、お前も奴から学ぶことは多いぞ。これから先、堂賀の仕事を何一つ見落とすな。
いいか、情報の扱い方を学ぶ相手としてはこの〈皇国〉でも最高級だろう」
 豊長は鋭い視線で孫を見据える。
「――いいか。これから先、(まつりごと)に身を投じるのならば、絶対に学ばねばならんことだ。わすれるな」

「はい、大丈夫ですよ、形が変わっても馬堂は確と残して見せます」
 息子が口を引き締めて頷くと豊守は生真面目な顔で問いかける。
「それは良いがお前の先――子供はどうするのだ?」

「え?」
 硬直した息子に容赦なく父は追撃をかける。
「馬堂家をお前の代で潰すつもりか?」

「え?」
 あまりにも唐突な話題転換に豊久は完全に硬直した。
「それは困る、なにより私も孫を見てから死にたいからな」
 便乗した豊守は実に楽しそうにしたり顔で頷くと豊長が更に畳み掛ける
「儂も曾孫が成人するところくらいは見て死にたい、あぁ、娘一人と息子一人だと良いな。
うむ、実に良い」
 
「え?え?」

「というわけで、お前も大尉になったことだ。お前が皇都に居るうちに縁談をまとめたい。
なに、安心しろ。雪緒達とも相談して良い相手をみつけてやるさ」
 敵勢の混乱を見抜いた軍事官僚は容赦なく潰走するまで攻勢を続ける。
「・・・・・・え?」

「うむ、せっかく馬堂の者が全員、皇都に揃っておるのだ。豊守が皇都から転任される前に済ませなくてはならんな。うむ、実に喜ばしいこれで肩の荷が一つ下りる」
豊長がわざとらしいほどにしみじみとそう云いながら頷くのを阿吽の呼吸でその息子が引き取り、結論を告げた。
「と、いうわけで夏までには見合いに漕ぎ着ける、いいね?」
 
「ア、ハイ」
 ――おかしいなぁ、単身赴任から帰ってきたのにこっちの方が胃が痛いよ?
給仕を務める辺里がそっと差し出した茶が黒茶ではなく薬茶であることに気づいた豊久は弛緩した笑みを浮かべてそれを啜った。


四月二十八日 午前第十一刻
兵部省 陸軍局人務部 監察課 
首席監察官附副官 兼 監察課主査 馬堂豊久大尉


「――酔っぱらった兵たちが果物を利用した即応防御戦術演習をおっぱじめて果樹園を荒らされた?こんなもの聯隊長あたりで処理できる問題だろうが。
苦情を出したのは――州議だと?話を大きくして実績作りか、衆愚政治だな―― 一応は官房か局長まで上げるか首席殿の判断を仰ぐか。
――匿名で横流しの告発か。前任者の泥を被るつもりはないって事だろうな――これは企画官殿に割り振って随時監察で判断すれば問題ないな。特別監察にする程の案件じゃないだろう、こっちは判子だけ貰っておこう。――しかし、送られる先は北領鎮台の兵站部か、この調子だと当分、俺らと企画官殿達だけで課の業務を回さなきゃならんな」
 ばさばさと月末――異動が落ち着いてから急に増え始めた苦情申し立てや事故の報告書の束を裁きながら自身の上官に上げる書類の分別を行っている。その分量は膨大なものである。課附きの主査を兼任しており、隣の企画官室との連絡役も担っているのである。
「――こんなんで有事になったらどうすんだ?」
 そうぼやきたくなる程、大量の不手際や汚職の告発の津波が監察課を襲っている。着任後の揉め事・混乱は豊久自身も経験が無いわけではないが情報が集約されるとその量に驚きを禁じ得なかった。少なくともここにそうした情報がこれだけ集約されている事は閉鎖的だと評される陸軍にも自浄能力がある事の証明であるのだと前向きに考えなおし、馬堂豊久陸軍大尉は再び眼前に展開した報告書の山と交戦を再開した。
「副官、首席官殿はおられるか?」
 監察官の一人である新沢中佐が豊久に問いかける。
「監察官殿、申し訳ありませんが首席監察官殿は人務部長閣下の御呼出しで外出しております。御用件は私が承ります」
ぴしり、と背筋を伸ばして豊久が相手に答える。
「おらんのか、じゃあ貴様にこれを預けておこう。後で首席監察官殿に御決裁をいただいてほしいのでな」
そう云うと抱えていた書類の束を豊久の執務机に乱暴に置いた。
「あ・・・」
墨液が容器から跳ね上がり、出来立ての報告書に降りかかった。
「それでは」
それを一瞥し、新沢監察官は副官の視線を避けてそそくさと立ち去って行く。
「・・・・・・」
無言でダメになった報告書を捻り潰し、素敵な監察官をシベリア(北領)送りにすべく鬼気迫った形相で書き直しにとりかかった。


同日 午後第三刻半
兵部省 陸軍局 人務部 監察課 首席監察官執務室
首席監察官附副官 兼 監察課主査 馬堂豊久大尉



「お疲れ様だな、副官」

「はい、首席監察官殿。当分はこの調子でしょうか?」

「去年は五月に入るまでは件数は落ちるがこのままだ。なに、大事は二年目、三年目の課員に任せれば良い。回された小規模な案件を熟して来月には監察課員として一人前になるものだ。――だが、今年はそうもいかない。駆け込みの仕事が入った。官房副長閣下から人務部に直接下りてきた案件だ」

「官房副長から下りてきた案件?」
豊久は思わず眉を顰めた。
 ――官房副長といえば陸軍の厄介事のにおいがするな。
「あぁ、だが裏事情は厄介だがそう危ない話ではない。駆け込みの受勲審査だ」

「――受勲ですか?その言い方だと余程の大事だと思いましたが」
 上官の予想外の言葉に豊久は首を傾げた。
「衆民院の選挙があり、執政と閣僚も変わったばかりだ。連中は衆民達に良い顔をしたくて軍費を削るつもりだ。兵部省として概算提出する前に陸軍は実績を求めている」

「概算の制作は七月から――あぁ、その前に局長協議がありましたね。
五月まではこっちも案件処理に大忙となると、人務から手札を得るなら今からとりかかる必要がありますね」
 局長会議とは官房長が座長を務める軍政方針と概算要求の割り当てを定めるための会議――という名の予算の奪い合いの事である。この二十年、大規模な戦争もなく兵部省に割り当てられる予算が抑えられている事から双方の政治的抗争は近年激化しつつあり、数年前から陸軍の影響力が強い将家が席を占める兵部大臣ではなく、文官である官房長が座長代理を務める事になった。

「その通りだ。そして――これが今の所尤も材料として使う最有力候補らしい」
そう云って堂賀首席監察官は瓦版の切り抜きと人務第二課の報告書を差し出した。
「あぁ、三月の襲撃事件ですか、確かにあれはここ最近では大規模な戦闘だった。
二万金を賭けた大一番でしたね」
大手両替商である鈴鳴屋が給与支払いの為に支店へ正貨の輸送を行っていた馬車を出発させた事が全ての始まりであった――情報を何者かが漏らしたのだ。
金を目当てに小金がばらまかれ、六十名を超える匪賊が襲撃する。それを匪賊討伐の為に派兵されていた皇州都護鎮台第三聯隊第一大隊第三中隊から井田中尉率いる小隊が急行し、交戦。小隊長の鋭剣を折れる程の悪戦を経て中隊主力の到着によって匪賊たちは降伏する。
双方と被害者を合わせて十三名死亡、二十八名負傷、十二名行方不明と莫大な犠牲者を出すが、幸いにも軍側が死人を出さず。辛うじて面目を守った形になった。

「井田中尉は確か衆民でしたからこれで受勲して大尉で昇進、退役ですかね。
退役すると云ったのならば銃兵章の他に年金付のものも一つ推薦しますか?
これだけ注目度が高いのですから、それもありかもしれませんね。
功五級でも年百八十金は給付されますからそれ以上に予算を得られれば採算があう」
 皮肉をとばしてにやり、と笑う副官に堂賀は険しい顔で首を振る。
「――問題がなければそれも考えるがな、疑惑が残っていることを忘れるな。正貨が丸々四千金も消えている。鈴鳴屋は即座に資金を工面し、その後の業績も堅調そのものだ。
確かに影響は少ないが四千もの金貨が行方不明なのは変わりない」

「――四千金が致命傷にならないあたり、流石は天下の両替商閣下と云ったところですね。
向こうにとっては誤差の範囲なのでしょう」
 そういって肩を竦める若い副官に堂賀は眉を顰めた
「あぁ、だがしがない軍人にとっては相当な額だぞ?兵部大臣閣下の年給並みだ。衆民なら五年は遊んで暮らせる」

「給金が安く、昇進が行き詰っている衆民中尉なら喉から手が出る程の額だとでもおっしゃるのですか?」
 不快そうに眉を顰める副官に首席監察官は苦笑して頷いた。
「その疑いを払拭したいからこそ態々こちらに回されたのだろうさ。消えた金が軍人の懐に入っていたとなったら最悪の事態だが流石に官房が直々に監察をしたら引っ込みがつかなくなる――何らかの行動をせざる得なくなる」

「――我々なら単なる考課評定に必要な随時監察で済ませられますからね。問題がないのなら後は広報の仕事になる。問題があっても表面化する前にどうにでもできる」
 若い副官の言に堂賀はにやり、と笑い、肩を叩いた。
「正解だ――それではこの件は我々が行うことになる」

「はい、ですが首席監察官殿直々の事前審査となりますと、騒ぎになりそうですが」

「そう云っても手が空いている監察官はもう居ないだろう?
つい今さっき最後の監察班を龍州に送る書類に判子を押したばかりだ。
今回の監察は可能な限り兵部省局長会議までに決着をつける必要がある。幸いなことに今回の事案は皇州都護鎮台の管区であり、さして遠出する事にはならん。
この時期ならば私が出向いてもさして不自然でもあるまい」

「解りました、首席監察官殿。それでは明日までには日程を立てて、課長閣下に提出しなくてはなりませんね」

「あぁ、監察の開始は三日後で組んでくれ。
最初は鎮台司令部だな。そこから下げていく必要があるが――折衝の二日前には結論を出さねばならない。」
 豊久はそれを聞きながら急いで計算を始める。
「鎮台司令部なら兵部省から半日の距離です。そちらに腰を据えて人務の書類を精査、その後に対象を出頭させて査問、それで十分ではないでしょうか?
さすがに一ヵ月も前の現場に臨場してもさしたる痕跡が分かるとは思えません」

「あぁ、だが関係者の証言書類やら関係書類は警察と憲兵から持ってこなくてはいかんな。
そちらの連絡も頼む」

「私は今から軍監本部で根回しを行ってくる。連絡を済ませたら今日はもう上がってくれて大丈夫だ」
「はい、直ちに取りかかります」
「あぁ明日一番に日程表を見せてくれ、その後に課長と部長閣下に提出する。
貴様も遠出の準備をしていてくれ、場合によっては向こうに残ってもらう必要がでてくるかもしれんからその準備も怠らないように」
 そういうと首席監察官は外套を手に取り部屋を出る。
「半刻までに州警務局に導術連絡を送りますと、今から送れば担当者が残ってくれるだろうが・・・鎮台司令部は六刻まで幕僚部は機能している筈だからこっちにも――あぁ全く、急な出張なんてありがたくて涙が出る!」
 上官が居なくなったのを見計らってから副官の吠える声が執務室に響いた。


 
 

 
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