レンズ越しのセイレーン
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Report
Report2 ヒュプノス
前書き
あなたのそばでわたしは眠る
エレンピオス北部。ヘリオボーグ精霊研究所。源霊匣研究の一大拠点であり、有事には軍事要塞にも早変わりする巨大研究施設の、所長室。
「……またかよ」
ドアを開けた所長、バランは入口で溜息をついた。
所長室の仮眠用ベッドの上ですやすや眠る、一人の少女。バランのここ最近の頭痛の種であった。
ユースティア・レイシィ。従弟アルフレドの友人。バランも駆けずり回り、命の危険に晒された、過日のアルクノアによる親善使節団襲撃事件で知り合った少女だ。
そのユースティアことユティが何故、所長室のベッドで寝ているかというと――
所長とはいえバランも研究員だ。部屋を開ける時間は長い。ある日、所長室に戻ると、ユティがベッドを無断使用して寝ていた。バランはドアに鍵をかけた上で(決してやましい行為に及ぼうとしたからではなく、職員に目撃されてあらぬ誤解を招きたくなかったからだと断言する)、彼女を起こして理由を尋ねた。
――“アナタの顔見たくて来た。ここで待ってたら必ず会えると思って待ってた。そしたら寝てた”――
それからユティはたまに所長室に訪れては、眠るようになった。
ひんぱんでもないし、自宅に押しかけられるよりマシかとポジティブに考え、バランは少女の奇行を黙認した。
そして、現在に至る。
「おーい。そんなとこで無防備に寝てると襲っちまうぞー」
お決まりの文句を適当に放る。返事はない。
バランは資料の束をデスクに適当に置いてから、ベッドに膝を突いて、ユティの上に覆い被さる。
「おーい、お嬢さーん。オオカミですよー」
返事がない。
バランは手を伸ばし、ユティの額にかかった髪をどけて――髪質ユリウスに似てんなー、と思ったが今はスルーだ――ほっぺたを抓った。
「おーい。ユースティア~」
「……ぅ」
ようやくユティはうっすらまぶたを開けた。
「あ、れ? ここ……」
「おはよう、お寝坊さん。目が覚めたとこで状況確認しようか。今、君、どんな状態?」
ユティはまぶたを両手でこすってから、バランをじっと見上げた。
「バランに襲われそうになってる」
「大正解。で、こういう時の対処法は?」
「悲鳴を上げる、または、相手の急所を蹴る」
「後者は男としてあんまりされたくないけど、両方正解。悲鳴ってのは相手が名誉ある人間、例えば俺みたいな管理職だとひっじょーに有効だね」
「したほうがいいの?」
「君が身の危険を感じるならそうすべき」
眠気の残る蒼い眸がゆらゆら彷徨う。――いやそこでシンキングタイムを挟むのは女子としていかがなものか。普通はコンマゼロで悲鳴だろう。
やがて答えが定まったのか、ユティはまっすぐにバランを見据えて言った。
「いいよ。バランがしたいなら、手、出しても」
バランは面食らって言葉が出なかった。
……しばらくして、彼はユティの上からどいて深い深いため息をついた。ユティは起き上がって不安げに首を傾げる。
「あのね。男のロマンは恥じらう乙女に迫ることなの。現実には『イヤよイヤよも好きの内』なんて求めたらセクハラ扱いされるって分かってても男は夢を捨てらんないの。そうでなくても程よくイヤがってくんないと燃えないの。分かる?」
「……ごめんなさい。次から気をつけます」
「あと相手は選ぶこと。女の子なら特にね。今日の教えは彼氏ができるまで封印しときなさい」
「はい」
「よろしい。んじゃ、もっかい寝ていーよ」
許可を出すなりユティはベッドに倒れた。今のは明らかに受身を取っていない音だったが、本人はウトウトし始めているので平気なのだろう。
「そんなに眠い?」
「ねむ、い」
「ルドガーんちに下宿してんだろ? 気を遣って眠れないのか?」
「ちょっと、違う。警戒してる、から、浅くしか、寝てないの」
「ルドガーに襲われないかって?」
「違う。ルドガーが襲われないか」
クランスピア社のエージェントならなまじの敵は撃退できると思うが。
「バランのそばが一番よく眠れる」
もう一度聞こうとした時には遅かった。少女はすでに眠りの世界に帰ってしまっていた。
――従弟の連れという時点でただ者ではないと察したが、深くは問わなかった。従弟にも、異国からはるばる渡り来た新人研究員にも。
どうせ1年前みたく世界規模のでかい案件を背負っているに決まっている。あいにくとバランはそこまで重い荷物は負いたくない。
言われれば手は貸してやるが、どいつもこいつも言いやしない。
(たすけて――って言えない大人になるのが、一番めんどいってのに)
その点、ユースティアは分かりやすい。彼女がバランに求めるのは快適な睡眠環境、それだけだ。
不眠症らしきことは今まで話す中で気づいていた。理由を問うたのは今日が初めてだったというだけで。
(この分だとアルフレドも一枚噛んでんだろーなー。何でみんなして望んで苦労をしょい込むんだかねえ)
もっともバランも人のことは言えた義理はないが。何せ研究に研究を重ねても失敗続きの源霊匣の開発責任者などしているのだから。
バランは眠る少女の下からブランケットを引っ張り出し、上からかけてやってから、デスクに座った。
「――おやすみ。陰の努力家さん」
さて、とバランは伸びをしてデスクに資料を広げた。国を憂う一研究者として、自分もあと少し頑張ろう。
後書き
オリ主とバランがどんな関係かを端的にまとめてみました。オリ主の世界でもバランとのやり取りはこんな感じです。実践と質疑応答による教育。ただし手は上げませんし出しません(←重要)。
ちなみに本作のバランさんにとってオリ主ちゃんは完全に圏外です。従弟の友人というだけの知り合いです。乗っかったのも単にオリ主の危機管理意識を養うためです。何だかんだでいい人です。
【ヒュプノス】
「眠り」を神格化した神。人の心を静め、悩みを慰める。人の死は、ヒュプノスが与える最後の眠りであるという。他の神々に誰それを眠らせてくれと頼まれると、ほぼその頼みを受け入れて対象を眠らせるという、人の良い性格。
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