機動6課副部隊長の憂鬱な日々
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第102話:エリーゼ・シュミット、退院す
12月に入って、最初の週末。
俺は休みの朝の寝坊を楽しむこともなく、普段通りの時間に目を覚ました。
すばやく着替えると、自室を出てなのはとヴィヴィオの寝室に入る。
明りがないので暗い部屋の中を、足音をたてないようにベッドへと近づくと
静かに寝息を立てるなのはとヴィヴィオの寝顔が目に入る。
俺は、なのはにキスをしてヴィヴィオの頭をそっとなでると、
2人の寝室を出て、静かに我が家を後にした。
エレベータで1階に下り、駐車場に向かうと自分の車に乗り込む。
近くのファーストフードショップに行くと、ドライブスルーでマフィンと
コーヒーを買い、郊外に向かって車を走らせる。
1時間ほど走って、住宅街の中にある一軒の家の前に車を止めた。
車を降りて門をくぐり、玄関ドアの横にある呼び鈴を鳴らした。
家の中から小さくパタパタという足音が聞こえ、ガチャッという音とともに
玄関ドアが開かれる。
「あら、ゲオルグ。おはよう」
「うん。おはよう、母さん」
「寒いでしょ。早く入りなさい」
「ありがとう」
ドアをくぐって玄関に入ると、奥から母さんのよりも重い足音が聞こえてくる。
足音の主は、少しして玄関に顔を見せた。
「早かったな、ゲオルグ」
「まあね。準備があるなら手伝おうと思ってさ」
俺はコートを脱ぎながら、普段着姿の父さんに向かって話す。
「そうか・・・。だが、準備は私と母さんで昨日のうちに済ませたよ」
「そうだったんだ。まあ、それならそれでいいよ」
俺は父さんの後についてリビングへと向かう。
ソファに座ると、キッチンに向かった母さんが声をかけてきた。
「ゲオルグ。朝ごはんは?」
「途中で食べてきたよ」
「そう。じゃあ、お茶だけでいいわね」
「おかまいなく」
キッチンに居る母さんに届くように大きめの声で話す。
しばらくソファに座ってのんびりしていると、奥の部屋に入っていた父さんが
リビングに戻ってくる。
「最近はどうなんだ? 仕事のほうは」
「珍しいね、父さんがそんなことを聞くなんて」
「例の事件から情勢が不安定だからな。商社の人間としては
管理局の動向は気になるんだよ」
「そういうことなら、俺はノーコメントだね。広報にでも聞いてよ」
俺がそう言うと、父さんは肩をすくめて苦笑する。
「やれやれ・・・ケチな息子を持つと苦労させられるな。
少しくらいは話してくれてもいいだろうに」
「そうもいかないのは判ってるだろ? もっとも、俺みたいな下っ端が
父さんの知りたいような情報は持ってないけどね」
「そうかい。それは残念だな」
その時、キッチンから母さんが姿を現す。
母さんは、トレーの上にあるお茶の入ったカップをテーブルに置くと、
自分自身は父さんの隣に腰を下ろした。
「2人とも、ずいぶん話が弾んでたみたいね。何の話をしていたの?」
「大した話じゃないよ。ただの雑談」
「ふむ。ただの雑談・・・ね」
父さんは俺の方を横目に見て、口元をゆがめながら言う。
「なんだよ、父さん」
「いいや。確かに大した話はできなかったと思ってね」
「なんだよ・・・感じ悪いなあ」
俺が口をとがらせて父さんに言うと、母さんが俺と父さんの間に割って入る。
「2人とも、朝っぱらからくだらない言い争いはやめなさい!」
母さんの荒っぽい物言いに、俺は父さんと無言で顔を見合わせると、
そろって小さく肩をすくめた。
そんな俺達の様子を見ていた母さんが、先ほどとはうってかわって
にこにこと笑っていた。
「それにしても、お父さんとゲオルグがこんな風に話せるようなるなんて
つい半年前には思いもしなかったわ。それに、エリーゼも・・・」
母さんは感極まったのか、言葉を詰まらせ涙をぬぐう。
俺と父さんはその様子を見ると、お互いの顔を見合わせて苦笑するのだった。
1時間ほどリビングで話をしたあと、俺たちは実家の車で姉ちゃんが
入院している病院に向かった。
車を駐車場に置き、3人で病院の建物に向かって歩く。
姉ちゃんの病室の前まで来ると、先頭を歩いていた母さんが立ち止り、
病室のドアを前にして大きく深呼吸をしてから、ドアに手を伸ばす。
母さんがドアをノックする音が、静かな廊下で妙に響いた。
「どうぞー」
ドアの向こうから姉ちゃんの声が聞こえてくる。
母さんがドアを開け、先頭を切って病室に入る。
父さんがそれに続き、俺は最後に入った。
病室に入ると、すでに入院中ずっと着ていたパジャマから着替えた姉ちゃんが
背を起こしたベッドに座って、俺達の方を見ていた。
「あ、みんな。ずいぶん早いね」
「そういうあんたこそ、もう着替えてるじゃない」
「だって、この退屈なとこからやっと退院できるんだもん。待ちきれなくって」
姉ちゃんはベッドの上で伸びをしながら、晴れやかな表情で言った。
「退屈ってなあ・・・、退院までこぎつけたとはいえ、
身体はまだまだ回復しきっていないんだから、気をつけないといけないよ」
父さんが姉ちゃんのほうを心配そうに見ながら言う。
「わかってるよ、お父さん。だからリハビリだって頑張ってるし」
「ならいいんだけどね。だけど、くれぐれも無理はしないようにな」
「うん」
父さんの言葉に頷く姉ちゃんの顔は、少し涙ぐんでいるように見えた。
そのとき、ノックの音が病室の中に響いた。
母さんが返事をするとドアが開いて、姉ちゃんの主治医の先生が
病室に入ってきた。
「これは、ご両親と・・・弟さんでしたね。
本日は退院おめでとうございます」
「先生、娘を助けて頂いてありがとうございます」
父さんの言葉に合わせて、俺と母さんも先生に頭を下げる。
「どうか頭を上げてください。真にエリーゼさんを救われたのは
弟さんたちですし、私のしたことは医師として当然のことですから」
先生はそう言って、深く頭を下げたままの父さんの肩に手を置いた。
父さんは顔を上げると、先生の手を強く握った。
「それでも先生は娘の命の恩人です」
「そう言っていただけると、私もうれしいですよ」
先生は父さんのそばから、姉ちゃんのベッドの方に歩み寄る。
「シュミットさん。調子はよさそうですね」
「はい。今すぐにでも走りだせそうなくらいです」
姉ちゃんの言葉に、先生は声を上げて笑った。
「それは結構。今日で退院ですし、お元気なのは何よりです」
そこまで言って、先生の顔が真剣な表情に変わる。
「ですが、まだまだ歩行訓練も始まったばかりです。
くれぐれも無理はなさらないように」
「はい。判っています」
先生の真剣な口調に、姉ちゃんも真剣な表情で頷いていた。
「だといいのですが、あなたはすぐに無理をしますからね。
ご両親にもきちんと見守っていただかなくては」
先生はニヤニヤと笑いながらそう言うと、何かを思い出したように手を打った。
「ここに来た本来の目的を忘れるところでした。
お父さんとお母さんにお話ししておきたいことがありますので、
別室にお越しいただけますか?」
先生の言葉に父さんと母さんは不安そうな表情を浮かべる。
「先生、娘の容体でなにか・・・」
先生は父さんや母さんの顔を見て、一瞬驚いた表情をすると、
すぐに苦笑を浮かべて顔の前で手を振る。
「いえいえ、そうではないんです。
退院してから気をつけて頂きたいことがありますので
1時間ほどお話したいんですよ」
「そういうことですか。判りました」
父さんはそう言って先生に向かって頷くと、俺の方に向き直る。
「ゲオルグ。私と母さんは先生と話してくるから、頼むな」
父さんの言葉に俺が頷くと、父さんと母さんは先生の後に続いて
病室を出て行った。
俺はその背中を見送って、大きく息を吐くと窓際に立って外の景色を眺めた。
部屋の中は暖房が効いていて暖かいのだが、窓際は外気の冷たさが
薄いガラスを通して伝わってくるのか、少し肌寒かった。
「ゲオルグ、今日は仕事じゃなかったの?」
後ろから聞こえてきた声に、姉ちゃんの方を振り返る。
「今日はもともと休みだったんだよ」
「戦闘部隊に勤務してるのに?」
「ま、いろいろあってね」
JS事件以後の出動制限のおかげで、6課のメンバーは週に1日の
休みが与えられるようになった。
ただ、それを姉ちゃんに言うわけにもいかず、俺は適当にごまかした。
「ふーん。まあ、詳しく聞こうとは思わないけどね」
姉ちゃんは、言葉の裏に何かあると気付いたようで、鋭い目をむけてくる。
俺が黙っていると、姉ちゃんはふと表情を和らげた。
「ところでさ、身体が完全になったら管理局に復帰しようと思ってるんだけど、
大丈夫かな?」
「はぁ?何言ってんだよ。そんなことを考えるのは早すぎるだろ」
呆れてため息をつきながらそう言うと、姉ちゃんは首を傾げる。
「そうかなぁ? 生きていくのに仕事はしなきゃいけないし、
どうせ働くなら経験のあるところで働きたいもん。
それが無理ならどんな仕事につくか、早めに考えときたいってのもあるしね」
「気持ちは判るけど、当分はそういうことは考えなくていいだろ。
姉ちゃんには7年分の未払い給料も支給されるし、任務中の負傷だから
見舞い金も出るだろ? 当分働かなくてもいいくらいの金は持ってるじゃん」
「お金だけじゃないよ。なんか仕事をしてないと、気が滅入ってくるし」
姉ちゃんは少しヒートアップしてきたのか、俺の方に身を乗り出してくる。
「そんなことより、まずは父さんと母さんの気持ちをくんでやれよ。
姉ちゃんの死亡通知を受け取ったあと、母さんは2週間は寝込んでたし、
父さんだって1カ月は仕事にもいかずに家でごろごろしてたんだ。
それくらい心にダメージを受けたんだぞ。2人を安心させるためにも
しばらくはおとなしくしてろって」
少し語気を強めてそう言うと、姉ちゃんは気弱な表情を見せる。
「それを言われると弱いんだよね・・・。ま、しょうがないか」
「うん。管理局への復帰の件は、俺の方で確認してみるから」
「そう? ありがとね、ゲオルグ」
「いいって。俺が姉ちゃんにしてやれることって、そんなことしかないし」
姉ちゃんは、俺が言った言葉に首を振る。
「そんなことないよ。あんたのおかげでお姉ちゃんは命が助かったんだし。
そのあとだって、管理局への申請とかいろいろやってくれたでしょ。
管理局関係ではお父さんもお母さんも頼れないから、助かったよ。
ほんと、あんたには感謝してるんだから」
「そんなの・・・大したことじゃないよ」
「いいじゃない。私が感謝してるって言ってるんだから、
あんたは素直にそれを受け取っとけばいいの」
姉ちゃんはそう言って、俺の頬を軽くつねる。
「・・・わかった」
俺が小さく頷くと、姉ちゃんは満足げに笑った。
それから30分ほど病室の椅子に座って本を読んでいると、
姉ちゃんが俺を呼んだ。
「ゲオルグ。お父さんたちが帰ってきたら、すぐに出たいから
車いすに移るのを手伝ってくれる?」
「ん? ああ、いいぞ。どうすればいい?」
俺が尋ねると、姉ちゃんは部屋の隅の方を指差した。
「とりあえず、車いすを持ってきて」
姉ちゃんが指差した方を見ると、折りたたまれた車いすが置かれていた。
俺は車いすを広げると、姉ちゃんのベッドのそばまで押していく。
「ありがと。じゃあ、ちょっと乗り移るから落ちないように見ててね」
俺が頷くと、姉ちゃんはベッドの落下防止柵などを利用して
器用に車いすへと乗り移った。
「ふぅ。これは何度やっても緊張するわ」
「見てる方は、もっと気が気じゃないけどな」
「お母さんも同じこと言ってたけど、そんなに危なっかしい?」
「というより、落ちたらかすり傷じゃすまないだろ。心配なんだよ」
その時、ドアをノックする音が病室に響いた。
姉ちゃんが返事をすると、父さんと母さんがドアを開けて入ってくる。
「あら、もう車いすに乗ってるの?」
「うん。お父さんとお母さんが戻ってきたら、すぐに帰りたかったしね」
母さんは姉ちゃんの答えを聞いて、呆れた目を姉ちゃんに向ける。
「あんたは相変わらずせっかちね。小さいころから変わらないんだから」
母さんの言葉に、俺は昔のことを思い出していた。
子供のころ、姉ちゃんとおやつを買いに行くことがよくあった。
家の近くにあったスーパーに行くのだが、その道中では、すたすたと
自分のペースで歩く姉ちゃんに手をひかれているために、当然ながら
姉ちゃんよりも身体の小さかった俺は走らなければならず、
店に着くころには息も絶え絶えだった。
しかも、息を整えてようやくお菓子を選び始めたころには、姉ちゃんは
とっくに自分の分を選び終えていて、俺が選んでいるのを隣で
イライラしながら見張っていて、大抵は俺が迷っている間に
勝手に俺の分も選んでしまい、さっさと精算を終えてしまうのである。
もちろん、帰りも俺が走らされるのは言うまでもない・・・。
そんな記憶をさかのぼっていた俺は、思わず母さんの言葉に笑ってしまった。
「ゲオルグ・・・」
押し殺した姉ちゃんの声で我に返ると、姉ちゃんが無表情に
俺の顔を見上げていた。
恐怖を感じた俺は、あわてて姉ちゃんから距離を取ろうとするが、
それよりも早く姉ちゃんは俺の方に手を伸ばしてきた。
次の瞬間、俺の頬に激痛が走る。
「いでででで、やめてくれよ姉ちゃん!」
俺は姉ちゃんに抗議するのだが、俺の頬をつねり上げる力は
弱くなるどころかむしろ強くなる。
痛さで涙が出てくるに至って、姉ちゃんはようやく手を離したのだが、
その顔には、満足げな笑みが浮かんでいた。
「お姉ちゃんをバカにしたら許さないんだからね」
「・・・はいはい」
俺はバカバカしくて反駁する気力もなく、適当に相槌を打った。
そのとき、母さんが俺と姉ちゃんの間に割り込んでくる。
「エリーゼ。ゲオルグにはたくさん世話になったんだし、
あんたも大人なんだから、そういうのはいい加減控えなさい」
「お母さん? だって、ゲオルグが・・・」
姉ちゃんは母さんに反論しようとするのだが、母さんに見据えられて
語尾が小さくなっていく。
やがて、姉ちゃんは肩を落として、母さんに向かって頭を下げた。
「・・・はい」
「よろしい」
母さんが満足げに頷くと、父さんが口を開いた。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
父さんの言葉に全員が頷き、母さんが姉ちゃんの車いすを押そうとする。
が、俺はその手を遮った。
「母さん。俺が押すよ」
「そう? じゃあ、お願いね」
母さんは微笑を浮かべて小さく頷くと、姉ちゃんの荷物を持って、先に
病室を出ようとしている父さんの後に続いた。
俺も、姉ちゃんの車いすを押してそのあとに続く。
車いすの上で、姉ちゃんは相変わらずうなだれていたが、
ふと顔を上げると、前を向いたまま小声で俺に話しかけてきた。
「ごめんね、ゲオルグ」
「いいって。あんまり気にすんなよ」
俺がそう答えると、姉ちゃんは俺の方を振り返り、目を丸くしていた。
「昔はよく喧嘩になったのに、あんたもおとなしくなったのね」
「そうか?」
俺が尋ねると、姉ちゃんは大きく首を縦に振る。
「うん。なんだかゲオルグが年上の人みたい」
「まあ、眠ってた時期を差っ引けば、精神年齢は俺の方が年上だしね」
俺がそう言うと、姉ちゃんは不満げに唇を尖らせる。
「なんか、悔しいんだけど・・・」
姉ちゃんの様子を見て、俺は思わず苦笑してしまう。
「負けず嫌いなのも相変わらずなのな」
「ほっといてよ!」
姉ちゃんは少し語気を強めてそういうと、前を向いてしまった。
俺は小さく肩をすくめて、無言で車いすを押していく。
「ゲオルグ」
エレベータホールを前に、姉ちゃんが急に声をかけてきたので
俺は少しびっくりしてしまう。
「なんだよ、姉ちゃん」
「私、今でもあんたのお姉ちゃんだよね?」
弱々しい声でそう言う姉ちゃんの気持ちが少し判った気がした。
「当り前だろ。姉ちゃんはいつまでたっても俺の姉ちゃんだよ」
「ありがと、ゲオルグ」
努めて明るい声で答えた俺に、姉ちゃんは少しうつむき加減で
小さくそう言った。
姉ちゃんを乗せて車で病院を出た俺達は、真っ直ぐ家に向かった。
玄関の前まで来ると、姉ちゃんはきょろきょろと家を見ていた。
「どうしたんだ、姉ちゃん?」
「ん? ちょっとね・・・」
姉ちゃんはそう言うと、庭の方をじっと見ていた。
そして、ゆっくりと口を開く。
「ホントに何年も眠ってたんだなって、実感したよ」
「今さら何言ってんだよ」
「だって、目が覚めてからはずっと病院だったでしょ。
7年っていう時間の流れを実感できてなかったの。
もちろん、お父さんやお母さんの姿を見て、年取ったなあって思ったし、
ゲオルグだって見違えるほど大きくなった。
でもね、この家を見てホントに長い間寝てたんだなって・・・」
姉ちゃんはそこで言葉を詰まらせた。
見ると姉ちゃんの肩がわずかに震えていた。
俺はその肩にそっと手を置く。
「お帰り、姉ちゃん」
「うん・・・」
姉ちゃんは俺の手に自分の手を重ね、小さく頷いた。
「2人とも、何やってるの? 寒いんだから早く入りなさい」
先に行き、玄関のドアを開けて待っている母さんが俺達の方を振り返って、
手招きをしていた。
「じゃあ行くぞ、姉ちゃん」
「うん。お願い」
姉ちゃんがそう言って頷くのを待って、俺は姉ちゃんを乗せた車いすを押し、
家の中に入るのだった。
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