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その男ゼロ ~my hometown is Roanapur~

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#47 "Uncle SAm"

 
前書き

私はルイカ・モニンスキーさんと不適切な関係を結びました。



ーアメリカ合衆国42代大統領 ビル・クリントンー



 

 
【11月3日 AM 11:26】

Side イディス・ブラックウォーター

「ん?この街をどう思うかって?
ふふ。
アンタも随分面白い事を聞いてくるね。
そうさねえ……
気付きゃあ、アタシも長いこと、この教会と共に年を重ねてきたからね。
まあ厭きない街ではあるよ。
昔は寂れたただの港町だったんだけど、いつの間にやらねえ。
今じゃあ全く騒々しい街になっちまったよ。

特に最近はね。
まだ例の襲撃事件も治まってないんだろ?
武器が売れんなあ良いことだけど、あまり長引くようだとね。
長い目で見りゃ損の方がでかいよ。
もっとも今一番大変なのはバラライカんとこだろうけどね。
まあ、全ては主のお与え下さった試練だよ。
その試練に抗うも素直に受け入れるのもソイツの自由なんだ。
天上におわします我らが父は慈悲深いお方さ。
どんな人生を送るもそれは全てアタシらの自由なんだよ。

これは神の御意志に背く?
こんな事をすれば罪深い?
何故人の世には貧富の差がこれ程生まれるのか?
何故不幸な子供が生まれてくる?
何故アタシらはこんな街でこんな仕事をしているのか?

笑わせてくれるよ。
主のお考えはアタシら下界の人間ごときに測りしれるもんじゃないさ。
人は己がやりたい事を好きなようにやればいいのさ。
生きたいように生きればいい。
主は何も仰られないさ。
人に罰を与えるのは所詮人だよ。
そんなところかね。

ふふ、でも本当にどうしたんだい?
いきなりそんな事を聞いてくるなんてさ。
アンタにしちゃ珍しいじゃないか。
本国から何か言われたのかい?
アンタんとこも色々大変だろうしね」

「いえ、そう言うわけでは………すいません。話を戻しましょう」

そう言って"私"は改めて姿勢を正す。
考えてみればシスター・エダとしてではなく、イディスとしてこの応接室に入るのも随分久しぶりだ。
しかし改めて思うが、やはり"私"と"あたし"の切り換えにはサングラスが一番効く。
例えこうして尼僧服を纏っていても、あの、すっかり顔に馴染んでしまった、フォックススタイルのサングラスを掛けない限り、"私"はシスター・エダではない。

バージニア州ラングレー。
ポトマック川を見下ろす尾根の上に、楓と松の木立に囲まれるようにひっそりと建てられている我が古巣。
世界の警察を自認する我が麗しの母国。
その海外に於ける重要な"目"
その目を構成する細胞の一つとして"私"はこの地にいる。
ロアナプラ唯一の教会たるリップオフ教会。
その用心棒、シスター・エダを偽装身分(カヴァー)として。

神の家たる教会の中に設えられた応接室は、それに相応しい清謐さと落ち着きに満ちている。
そして目の前には長年主に仕え続けてきた老尼僧が、慈愛の笑みをたたえながら悠然と紅茶を飲んでいる。
そして私が身に纏うは神の愛に祝福された尼僧服。
なかなかに趣ある光景と呼べるのではないだろうか。
もっとも、老尼僧の右目が黒い眼帯で覆われており、既にその肉体の一部を主の身許へ送ってしまっている事。
そして供されている話題が些か修道女二人が話すには似つかわしくない、といったあたりに目を瞑ればだろうが。

「さて、それで今日の連絡会の様子が知りたいって事だったね。
議事録か音声が入り用かい?」

「はい。ぜひ入手を」

さて、今日の連絡会で何が話し合われ、何が決定されたのか。
それによっては"私"か"あたし"のどちらになるかは分からないが、忙しくなるかもしれない。
サングラスを外し、久し振りに裸眼で見るシスター・ヨランダの顔を見ながら、"私"は心密かに溜め息をついていた。
全くロアナプラ(この街)は賑やか過ぎる。
よくもまあ、こんな街が成立しているものだ。

連絡会。

この街で起こる様々な問題を解決する、それこそ成り立たせ続ける、為に不定期に開催されている、謂わばロアナプラ版首脳会談(サミット)

主な出席者はこの街でも特に有力な四つの組織(三合会、ホテル・モスクワ、コーザ・ノストラ、メデジン・カルテル)の幹部。
稀にその傘下にある組織の幹部を招いた拡大集会もあるそうだが、今日はどちらになるやら。

タイ奥地に広がる麻薬の一大産地。 黄金地帯(ゴールデントライアングル)
そこから産出される麻薬の流出港として栄えるここロアナプラ。
その街を安定させるための共同統治案として生み出されたマフィアどもの協議会。
共存共栄というお題目を掲げ(文字どおりお題目だ。実際すぐこの前も連絡会に参加しているメデジン・カルテルとホテル・モスクワが殺り合った)、外部からの敵を徹底的に排除する事でこの街の異常性を保っている。

今日の議題は疑いもなく、いま街を騒がせてる襲撃犯の事だろう。
主な標的はホテル・モスクワのようだが、その本当の目的は未だ分かっていない。
組織の壊滅か、或いはバラライカ個人への遺恨か。
この街の利権を狙ってか、自分の所属する組織での地位向上を狙ったか。

いずれにせよ、バラライカというのがまずい。
よりにもよってあの戦争凶を怒らせるとは……
私の立場、というよりも私の所属する組織としてはこれは見過ごせない事態だ。
率直に言って、現在の我が職場を取り巻く環境は非常に芳しくない。
ソ連邦の崩壊以後、明確な敵を見失った我々には一時廃止論さえ挙がったものだ。
組織の存続こそ叶えられたが予算は年々削減される一方。
ベテランの作戦要員(ケース・オフィサー)は次々と新天地へと旅立っていく。
日々発言権を失い、かつての力を喪いつつある我が組織としては海外での派手な動きは勘弁してもらいたい。
まして麻薬絡みの事件など以ての外だ。
ただでさえ現政権は内治に目を向けているというのに。
外で気にしているのは中東、或いは中国あたりだろうか。
噂では中東和平にかなり力を注いでいると聞く。
やれやれ、ノーベル平和賞でも狙っているのか………

大統領含め、現政権の閣僚達にはこんな東南アジアの片田舎など全く視界に入っていないだろう。
そう言えば大統領にはベトナムでの兵役忌避の噂もあったな。
余計に目を向けたくなくなるわけだ。

とは言え麻薬がらみで大きな動きがあれば、本国の麻薬検挙にも影響が出る可能性がある。
全く無視を決め込むという訳にもいくまい。
しかもこのあたりの土地は実に揉め事を起こしにくい土地ときてる。
中東なら石油利権という旨味、と言うより国内シンジケートからの要望か、がある。
だが、まさか金になるからといって麻薬の生産地を支配、管理するわけにもいくまい。
何せ我が国は"正義の味方"なのだから。
中央アジアの地下資源を狙うにしても、それこそ中国の顔色を窺わねばならんだろう。
おいそれとは手は出せまい。
あちらも香港返還やら、民主化運動の余波など色々と頭を悩ませていることだろうし。
足元で火事が起こったからといって即座に我が国の介入なぞ認めまい。
第一ベトナムの記憶もまだまだ新しい。
東南アジア(この土地)に兵を送るとするなら、相応の時間と理由が必要だろう。
決して軽視してよい土地ではないのだがな、ここは。
特に最近では"例のテロリスト"がアフガニスタンに潜入したとの噂もある。
往時の我が組織であれば、もっと詳細な情報が掴めるのだろうがな。
何とも、もどかしいところだ。
連中のような狂犬には首に縄どころか、薬でも射って大人しくさせておかなくては、その内とんでもない事をやらかしかねない。
どこまで分かっているのやら………

つまるところ政権、組織、個人としてもこの街には安定していてもらわなくては困るという事だ。
間違ってもバラライカの暴発なんて事態だけは避けなくては………

「おや、何だかお疲れのようだね。
若いからって無理しちゃいけないよ。
まあ、紅茶でもお飲み。
焦ったって何も掴めやしないのさ。
全てを(すく)えるのは主の御手だけ。人の小さな手じゃあ、せいぜい掬えるのは川に浮かぶ葉の一枚くらいさ」

「はい、いただきます……」

そう言って紅茶のカップを持ち上げる。
立ち上る湯気が顎を(くすぐ)り、香気が鼻に届く。
本国にいた頃はもっぱらコーヒー党だったが、シスターに感化されたか最近は紅茶も中々いいものだと思えるようになってきた。
ただシスター・エダとして過ごす時間が長い分、あまり紅茶を飲む機会もない。
暴力教会の糞シスターは優雅に午後のティータイムを楽しむ趣味がある、なんて噂でもばら蒔かれた日には街を気軽に歩けやしない。
二挺拳銃(トゥーハンド)あたりに聞かれたら何を言われることやら。

「ふふ」

対面から聞こえてきた笑い声に視線をカップの表面から持ち上げる。
今日のシスター・ヨランダは何かとご機嫌なようだ。
珍しく神の話など持ち出すし、さて何かあったのだろうか。

「何か?シスター」

私の訝しげな視線を(しわ)の刻み込まれた分厚い皮膚で受け止めながら、教会の管理者たる老尼僧はカップをテーブルに置いて語り出す。
長い年月を生きてきたことを感じさせるしゃがれた、だが不思議と聞き取り易いその声で。

「なに、あの連絡会という代物さ。
まがりなりにも成立はさせているだろ?
立場も生まれも考えも人種も違う連中だらけのあんなもんをだよ。
張のやつもなかなかやるもんだ。
マフィアなんてどいつも似たようなもんだけど、それでもこの街の連中はやたら意気のいいのが揃ってるからね。
あの伊達男が何を考えてんのかは知らないけど、何かを守り続けるってのはしんどいもんさね。
壊すことに比べりゃ遥かにね。
そう、壊れるのは一瞬なんだよ。
長い年月を重ねたものでも、どんなに多くの人間が関わったものでも。
どれだけ人の思いが積み重ねられたものでも、一瞬でね」

「………」

そう言ってシスターは唯一残された片目を閉じた。
その長い半生に刻まれた記憶を思い返そうとするかのように。

私とシスター・ヨランダが出会ったのは当然ながらここロアナプラだった。
だが任地に赴く前に、私は直属の上司であるところの情報本部第二課長リチャード・レヴンクロフトから現地に於ける協力者たる女性についてレクチャーを受けていた。
その内容は些か信じ難いものではあったが、その中身に一切の誇張が無かった事を今では嫌というほど思いしらされた。

何しろシスターがスパイ稼業などという世界の裏側に首を突っ込んだのは、まだ前の世界大戦の時分。
当時は鉤十字(ハーケンクロイツ)の旗の下、女を武器に諜報戦を潜り抜けた毒婦だったとか。
その後も国際社会の裏側を生き抜き、今ではここロアナプラで教会のシスターなんてやっているわけだ。
こうして我々のような組織と繋がりを持ちながら。

しかし先程のシスターの言葉で思い至ったのだが、あの連絡会という代物はなかなかに皮肉の聞いた連中で構成されている。

中国系マフィア
ロシアンマフィア
イタリア系マフィア
南米系マフィア

我が国にとっての将来の仮想敵
かつて世界の東半分を支配した過去の大敵
恐らく永遠に敵であり朋友でもある故郷
防波堤として育てたはずが、いつしか大きな津波となってしまった隣人

誰かがそう狙ったわけでもあるまいに、見事なまでのフォーカードだ。
あと一枚ジョーカーが加わればファイブカードじゃないか。
別にこの街の連中が徒党を組んで、我が国に対抗しようとしているわけではない事など百も承知なのだが。
それでもあまりいい気分ではない。
街がこんな状況下にあり、かつシスターがやたらと神の話なんて持ち出したせいか、どうも運命というやつに皮肉の一つでもぶつけてやりたい気分になってるようだ。

ん?

ジョーカー?

ああ、ジョーカーと言えば………

「そう言えばシスターはラグーン商会の、ゼロについて何かご存じではないですか?
あの男がどう動いているかとか」

テーブルにカップを置き、対面で未だ沈黙したままのシスターに訊ねてみた。
これはいい機会かもしれない。
あの不気味な男に関する情報を少しでも掴みとるための。

「おやおや、あの子も色々なとこから注目されてるね」

「あの子、ですか」

私の質問にシスターは片手を頬に当てながらゆっくりと口を開いた。
あの男をあの子呼ばわりとは少し驚いたが、そこは流石の貫禄というべきだろう。
益々期待を持てそうな予感に私は心持ち体を前のめりにさせ、シスターの言葉に意識を集中させた。

「あの子はね、この街で産まれたんだよ。
それから何年かアタシが、と言うかアタシとアタシが面倒みてた娘たちで育ててやったんだよ。
ふふ、古い話さ」

「シスターが!」

今度は心持ちどころではなく、はっきりと椅子から腰を浮かしてしまった。
目を見開き、みっともなくも口を開けたままの私に注意を促す事もせず、シスターは話を続けた。
その様子は他人に自分の孫自慢をする祖母以外の何者にも見えなかった。

「今じゃあ"ゼロ"なんて名乗ってんだろ?
全く格好つけてるもんだね。
昔はしょっちゅうピーピー泣いては、あの娘に抱き付いていってたもんだったよ。
アタシは叱り飛ばす役だったから、あまりなついちゃこなかったね。
今でも教会(うち)にゃあ、あまり寄り付かないだろ?
アタシに怒られるんじゃないかとビビってんのさ。
全く図体ばかりデカクなっても……」

「か、彼は何者なんですか?」

シスター・ヨランダの言葉を遮るように言葉をぶつけた。
両手をテーブルの上へ叩きつけてしまったので、カップが僅かに揺れ音を立てる。
が、そんな事に構ってはいられない。
なに?
あの男とシスターは知り合い?
いや、育てられていた?
シスターに?
シスター・ヨランダに?
半世紀以上に渡って、世界の裏側を独力で生き抜いてきた女傑シスター・ヨランダに?
そんな妖怪染みた彼女に子供の頃から育てられていただと?
しかも、しかも……こ、この街で…このロアナプラで生まれて育った……

「ただのガキだよ。アタシにとっちゃあね」

シスターはアッサリとそう答えた。
そしてこれで話は終わりだと言う事だろうか。
カップを持ち上げ、興奮し立ち尽くしたままの私など、まるで存在しないかのようにまたその香りを楽しみ始めた………

























"私"が"私"のまま礼拝堂に来たのはさて何度目だったか。
人類全ての罪を背負い磔となった男を(かたど)った木彫りのそれを静かに見上げる。

神にすがる資格なんて、とっくに無くしてしまっていたのだと思っていたのだけれど。
シスターの話によればそうでもないようだ。
人は己のやりたい事をやりたいようにやればいい。
神がどう思うかなど人たる身には分かる訳がない、か。

口の中が苦味をもった唾液で満たされる。
情報を生業(なりわい)とする工作員として、私は知る事こそが私の成すべき事だと思ってきた。
ありとあらゆる情報を知る事、掴む事。
そこから全てが始まるのだと。

「さて、」

礼拝堂の説教檀に置かれたままのフォックススタイルのサングラスを手に取り、ゆっくりと顔にかける。

「街に繰り出すとしようかね」

"あたし"は振り返り堂の出口へ向かう。

とっくに修道服は脱ぎ捨て、いつもの服に着替えている。

知らない事があれば調べるだけ。
あたしがやることはそれだけさ。
なあに、何も心配するこたあない。
何たってあたしのバックは強力なんだ。
遠い海の向こうと高い空の上。
双方に向かって投げキッスを一つかましてから、あたしは礼拝堂の扉を開け放った………











 
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