戦国異伝
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第四十話 桶狭間へ一
第四十話 桶狭間へ
信長は起きていた。そのうえで己の部屋にいた。
今部屋にいるのは彼一人だ。帰蝶もいなければ小姓達もいない。ただ一人そこにいてだ。座していた。
暫く座し時を過ごしているようだった。部屋の中には灯り一つない。真っ暗がリの中である。彼はその中でだ。一人で座していたのである。
しかし暫く経ってからだ。彼は立ち上がった。そしてだ。
顔を右に向けてだ。こう言ったのである。
「帰蝶、おるか」
「はい、こちらに」
すぐにであった。その帰蝶が来た。まるで影の様にだ。彼の側に来た。
そしてそのうえでだ。己の夫に問うのであった。
「何を為されますか?」
「何をすると思うか」
「舞われますね」
帰蝶は夫の前に控えて座ったままだ。こう答えた。
闇の中に二人の姿が浮かんでいる。その闇の中でだ。帰蝶は夫に言うのである。
「そうされますね」
「そうじゃ。舞う」
その通りだと答える信長だった。
「そしてそのうえでじゃ」
「御出陣ですね」
「そのつもりじゃ。今こそその時じゃ」
まさにそうだとだ。信長は言うのである。
「しかしその前にじゃ」
「あの舞をですね」
「わしが舞うものは一つしかない」
不敵な笑みを闇の中で浮かべての言葉だった。
「あれしかな」
「そうですね。それでは」
「では舞おう」
「鼓があります」
それは既にだ。帰蝶の手の中にあった。
そしてそれを手にだ。信長に話すのである。
「ではすぐに」
「舞うぞ。よいな」
「はい、それでは」
こうしてだった。信長は持っていたその扇を手にしてだ。そのうえでだった。
舞を舞いはじめる。帰蝶は鼓を鳴らす。その中で舞いだ。信長は詠うのだった。
「人間五十年」
まずはこの言葉からだった。そしてだ。
さらにだ。舞を続けながら詠っていく。
「下天のうちを比ぶれば」
敦盛だ。平家物語に出て来る若武者平敦盛を詠った舞をだ。舞いつつ詠っていくのだ。
「夢幻の如くなり」
この場所も詠う。さらに続ける。
「一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」
この部分もだ。強く詠いだった。
さらに続けてだ。そうしてであった。
「これを菩提の種と思ひ定めざらんは」
それはだ。どうかというのだ。
「口惜しかりき次第ぞ」
こう詠いながら舞うのだった。そうしてだ。
舞を終えた。するとすぐにだ。
「具足はあるな」
「はい」
またしてもすぐに答える帰蝶だった。
「もうすぐ傍に」
「持って参れ」
信長は一言で済ませた。
「よいな」
「それでは」
こうしてだった。すぐにその具足が持って来られた。無論陣羽織もだ。織田家の青いそれをだ。信長は己で身に着けた。その動きは実に速かった。
帰蝶は彼が具足を身に着け陣羽織を着ている中でだ。その間にだ。
飯を持って来た。湯もある。そして信長が具足も陣羽織も身に着け終わるとだ。
「湯づけ」
「こちらに」
それをすっと差し出す。信長はそれを受け取るとだ。
すぐに東南のだ。義元がいる方を向いてだ。
立ったままそれをかき込みだ。そのうえで帰蝶がこれまた用意していた勝ち栗と昆布も口の中に入れてだ。それから彼女に告げるのだった。
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