戦国異伝

「やはり。その名は尾張にも響いて折るか」
「話には聞いております」
　いささか畏まって氏真に答えたのだった。
「何でもその教養、軍略、知識は天下に比類なきものとか」
「その通りじゃ。いや、凄い方であってな」
「そこまでなのですか」
「父上の師でもあったし麿の師でもある」
　こうも竹千代に話す。
「そしてそなたもじゃ」
「私もですか」
「麿と共に和上に学ぼうぞ」
　竹千代を誘うのだった。
「それでどうじゃ」
「そこまで仰るのなら」
「それではな」
　こうしてだった。竹千代は雪斎に学ぶこととなった。雪斎は竹千代を教えるうちにだ。やがて彼に対してこんなことを言うようになった。
「どうやらそなたはだ」
「何でしょうか」
「今川の臣に止まる者ではないな」
　その彼を前にしての言葉である。
「それ以上の器だ」
「それ以上ですか」
「天下を統べることができるやも知れん」
「いえ、それは」
「いや、そうじゃ」
　謙遜しようとする竹千代をここでは制した。
「そこまでの才があるな」
「だといいのですが」
「だがそなたより先に進む者がおるな」
　雪斎はこんなことも言ったのだった。
「その者を立てずにはいられぬな」
「その方をですか」
「立てよ」
　今竹千代に告げた言葉は一言だった。
「さすればじゃ。立てよ」
「そして私はどうなるのでしょうか」
「その者と共に大きなことをするな」
　竹千代のその相を見つつ。述べた言葉だった。
「天下にとってな」
「天下を太平にできるでしょうか」
「できる。必ずや」
「左様ですか。では私は」
「そなたの様な相の者ははじめて見た」
　雪斎の今の言葉はまじまじとしたものであった。
「よもやそこまでとはな」
「和上は相がおわかりになられるのですね」
「相を見るのも学問のうちじゃ」
　そうだというのである。
「だからじゃ。知っておる」
「それでなのですか」
「竹千代よ」
　あらためて彼の名前を呼んでみせたのであった。
「よいか」
「何でしょうか」
「そなたにはわしの全てを教えよう」
　厳かな声であった。
「わしの知っていることを全てじゃ」
「全てですか」
「左様、そしてじゃ」
「そして」
「それを活かすのじゃ」
　こうも彼に告げた。
「天下の為にじゃ」
「天下の為に」
「それが今川の為になるならばそうせよ」
　雪斎の言葉は深かった。まるで底知れぬ何かを既に見ているように。
「よいな。今川の為にじゃ」
「はい、それでは」
「しかし今川よりも天下の民が大事だと思えばじゃ」
「その時はどうされよと」
「そなたが望むようにせよ」
　竹千代にだ。任せるというのである。
「その時はだ」
「天下の民の為ですか」
「それが最も大事なのじゃ」
　雪斎は竹千代を見ていた。そうしてそのうえで語っていた。