戦国異伝
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第九十二話 凱旋の後その七
「まず我等は殿の後ろに控えておりまする」
「主はわしじゃな」
「左様です。では殿にこれより宮廷の作法のことを」
「おおよそのことは知っておる」
書を読んでだ。それも知っている信長だった。
「実に細かいがのう」
「では今宵はおさらいということで」
「そうするとするか」
「殿はここぞという時はこなされますからな」
こうした礼節を弁えた行動も取れるというのだ。実際に道三と会った時は見事そうしてあの道三を驚かせ認めさせた。そうしたこともできる男なのだ。
林はその時の信長もよく見ていた。そして幼い頃からの彼もだ。だからこそ言うのだった。
「だからこそ安心できます。殿は」
「わしはか。では誰が安心できぬ」
「この者達です」
慶次に可児達を見ていた。そのうえでの言葉だった。
「全く。この者達と礼節は」
「縁がないというのじゃな」
「全くです」
そうだというのだ。
「まあ。動かなければそれでよいですが」
「寝たらどうなりますか」
「寝てみよ。只ではおかん」
林はかなり本気で可児に告げた。
「帝の御前で居眠りをするというのじゃな」
「それはいけませぬか」
「だからしてみよ。只ではおかんわ」
林は平手は柴田と違い慶次が悪戯をしたからといって無闇に殴ったりはしない。だがそれでも今回は別だというのだ。容赦しないというのだ。
「殴るどころでは済まぬぞ」
「ではその時は」
「介錯はわしが務めてやろう」
即ちだ。切腹させるというのだ。
「覚悟しておれ」
「ううむ。そうきますか」
「帝じゃぞ。不敬があってはならぬ」
林は朝廷のことをよく知っていた。それでだ。
真剣な顔になりそのうえでだ。こう言うのだった。
「わかったな。よいな」
「わかり申した。確かに帝ともなれば」
「失礼なぞ考えられぬことじゃからな」
「源氏物語でしたな」
不意にだ。慶次はこの古典を話に出した。尚この書は信長も持っている。だが信長はそうした雅は知っていてもそれとはまた別の嗜好を持っている。否定はしないがだ。
その源氏物語についてだ。慶次も言う。
「あの物語の帝と同じくですな」
「そうじゃ。尊い方なのじゃからな」
「そう言って頂ければわしにもわかります」
「わかればよいがな。しかし御主源氏物語を読んでおったか」
「はい、実は」
「ふむ。意外じゃな」
慶次のその話を聞いてだ。林は思わず首を捻った。
そしてそのうえでだ。こんなことも言ったのだった。
「御主が源氏物語を読むとは」
「結構好きです。あと古今集や土佐日記も」
「むっ、そういったものもか」
茶も好きだったりする。慶次は意外と風流人なのだ。
林も彼の風流は知っていた。だが源氏や古今和歌集まで読んでいると聞いてだ。彼の思わぬ深さにだ。唸りながらこう言ったのである。
「御主も隅に置けぬな」
「隅にですか」
「そうしたことに興味があるのはよいことじゃ」
林は平手程ではないがそうしたことに明るい。無論朝廷のことにもだ。
それでだ。慶次にあらためて言ったのである。
「ではじゃ」
「それではですか」
「今度和歌を共に詠もうぞ」
「面白いですな。それでは」
「出来ぬのは政だけか」
だが和歌の誘いと共にだ。林は慶次にこのことも言った。
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