SAO─戦士達の物語
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ALO編
六十二話 行動開始
川越の桐ヶ谷家に帰るまでの間、和人は一言も口を開かなかった。自分の聞いた言葉が信じられないのか、或いは絶望したのかと言う顔で自転車を漕ぐその姿は非常に危なっかしく、一体何度危険な場面での制止を呼び掛けたのか分からない。そのおかげで、帰りの道のりは行きの倍以上疲れた気がした。
「夕飯には降りてこいよ?」
「…………」
此方の呼び掛けに答えず階段を上って行く和人を、涼人はため息を突きながら眺める。
現在四時半。
立ち直るにはまだ、時間が短すぎた。
「ん、おはえひ」
「おう、ただいま……ってコラ、何勝手に食ってんだ。それ俺が作った奴だぞ」
「んっ……朝あんな事したんだからこれで帳消しよ」
「あり、まだ許してくれて無かったのね」
「当 然 です」
リビングに入ると、直葉が涼人の焼いたメイプルマフィンをほおばっていた。自分で食べるつもりだったので少し注意すると、少しに拗ねた様な声が帰って来る。
「ふむ……あんまりしつこいと好きな男の子にも振り向いてもらえんぞ」
「ん゛っ!?」
お返しにと言う訳ではないが、飲み物を飲んだ後リビングを出る直前に、少し反応を見ようと反撃の言葉を落としてみた。すると、息が詰まるような声が聞こえる。舌戦の上手い奴ならサラリとスル―するのだろうが……残念なことに直葉はまだこういう事に関する反応が単純だった。次の質問にしても……
「へーぇ。居るのか?」
「居なーいっ!」
これでは居ると言っている様なものである。
────
階段を二階へと上がり、一番奥の自分の部屋へと向かう。途中和人の部屋に寄るか迷ったが、いまは考えを整理する時間が必要だろうと言う事でスルーする。もっとも、今の和人に考えを整理出来るだけの頭が残っているか自体少々疑問だったが。
部屋に戻り、電気を付けてから少し調べ物をするために机の上のパソコンを起動する。最近は色々とする事が有ったため机の上が少しごちゃごちゃしていたものの、元々大きな机だったお陰でスペースにはまだ余裕があった。すると、
「ん?」
画面上に新着メールを示すマークが点灯していた。ちなみにパソコンのフィルター機能が発達して、この時代「迷惑メール」と言うのは殆ど死語になりつつあったりする。
「エギルか。……これを見ろって……」
送り主はエギルだった。アインクラッド第50層で雑貨屋を経営していたあの男は総務省の役人から連絡先を入手した知り合いのプレイヤーたちの中で唯一一度会った人間だ。本名はアンドリュー・ギルバート・ミルズと言うやっぱりと言うか、英語で、驚く事に現実でも店を持っていた。その店が台東区の御徒町にある。
一度会った折メアドを交換したりして、結構頻繁に連絡を取り合う事はしている。まぁ和人はそうでもないらしいが、これが案外良い情報をくれたりするのだ。そして今回も……その類だった。
メールのタイトルは【Look at this】
「添付ファイルに写真っと……wow、こりゃまた……」
開いた写真のファイルはかなり引き延ばした物らしく、ポリゴンが荒くなっている。金色の鉄格子の様な物が手前に、奥には椅子やベットの様な物とそれと……一人の少女が映っていた。
「良いタイミングじゃん」
長い栗色の髪、横顔は憂いを帯びており、背中からは透明な翅の様な物が覗いているが、その顔は涼人の知る、アスナと言う少女と確かに同一な物に思えた。
すぐさま、エギルに電話をかける。
Call……call……出た
「もしもし?リョウか?」
「おうエギル。お前の店今晩開いてる?」
「言うまでもねぇだろ。さっさと来い、電話じゃ説明しきれん」
「イエス・サー」
こうして涼人は、一日に二度出かけるハメになった。
────
川越から東京都台東区御徒町までは大体一時間程度の時間がかかる。その道程を移動する電車の中で、腕を組みながら幾つかの事柄を涼人は考えて居た。
自分が先程の病院で須郷に疑いを持ったのは、単純に幾つかの要素が組み合わさった結果だ。
あの病院で彰三氏と和人が眠る明日奈に向かいながら悲壮感に暮れて居た時須郷が見せた一瞬の歪んだ笑顔。あの眼の中に、涼人は何かを確信する様な光を見た気がしたのだ。その時は一体何を確信しているか分からなかったのだが、その後の須郷の態度で一つの仮説が立った。
『この状況は僕にとってはとても都合が良いんだ』
あの台詞を吐いた時にも、須郷の眼には何かを確信している光が宿っていたのだ。しかも、その台詞が涼人に疑いを持たせるには十分すぎるものだった。
考えてみればあの状況は、須郷にとってのみ都合が良すぎるのだ。
あの流れから見るに、須郷が結城家に入り込む事は奴自身以前から計画していた事なのだろう。十六歳になり唯一のその道である明日奈が結婚が出来る歳になったまでは良い物の、意思確認ができない明日奈を利用して書類上の結婚をするために明日奈の親を丸め込む前に、SAOプレイヤーたちが目覚めてしまった。このまま行けば明日奈の拒絶に寄り須郷の計画は一時的にしろ何に座礁していたはずだ。
しかし“偶然”にも、明日奈は目覚める事無く、しかも周囲のSAOプレイヤー達が目覚めて居るにも関わらず明日奈を含めた約300人だけが目覚めない状況は、“図らずも”明日奈の両親の不安を煽り、須郷の交渉をやりやすくしてしまった。
誰も得する事など無いはずの今回の出来事で、須郷だけが明らかに人生レベルの得をしている。これが偶然だろうか?須郷に涼人が疑いを持ったのは、そこからだった。
『まぁ、最後のあれに関しちゃ、やり過ぎた感は有るけどな……』
しかしだからと言って、須郷の後を追う必要は本来なら無かった。病室の事だけでこれらの事を推察する事は出来たからだ。それでも涼人があの時須郷を追ったのは、アスナでは無くそれ以外の人々、未だ眼のさめない300人の人々の行方が気になったから。
アスナの他に300人もの人々が目覚めない事については、アスナ一人だけが目覚めないのでは不自然な事を考えたカムフラージュだと考えるのが一番自然なのだが……それならば、100人程度でも十分なのではないかと言うのが涼人の疑問だった。いやむしろ、懸念と言うべきか。
確かに須郷は科学者だ。しかしその分野はフルダイブ研究……そんな男の前に転がっている何時でも脳に訴えかける力の強いナーヴギアを使って脳をいじくりまわせる300人の人間を、はたしてあの男がほおっておくだろうか?
『嫌な予勘がすんだよな……』
もしかしたら、もしかすると……
涼人自身は自分で気付いていなかったが、彼は何時に無く本気に……必死になっていた。
────
山手線御徒町駅から徒歩でいくらか歩き、少しゴチャっとした感じの裏通りに、さいころを模した看板を掲げたその店はあった。
《Dicey Café(ダイシー・カフェ)》
カランカラン、と言う涼しげな音と共に扉を開き、中へと入る。客は居ないようだ。
「いらっしゃい」
「よっ。なんだぁ?お客いねぇじゃん」
「うるせぇ。夜はこれからだろうが」
「さいで」
軽く言葉を交わし、奥へと進む。
黒っぽく光るテーブル四つに、カウンター席と言う決して大きくは無い店だが、その狭さのまた心地よい。
エギルの前のカウンターに座り、メニューを見る。
「何にする?コーヒーか?」
「嫌味かテメェ。んー、ココアで」
「相変わらずの甘党なんだな」
「まぁな」
言いつつカウンターの反対側を向く店主の後ろ姿を一瞥しつつ、もう一度店の中を見渡す。店内はしっかりと掃除されているし、一度来た限り味も悪く無い。
昼はカフェ、夜はバーになると言う話だし、なんだかんだでエギルが向こうに居た間奥さんの細うでによって二年もの間守られてきた店だという話だから、地理的にも決して悪い訳ではないのだろう(無論奥さんの努力の賜物だろうが)。
そんな事を思っている間に、店主がココアを此方に差し出して来た。
「お待ちどうさん」
「おっ、どうも。さて……で?あの写真、何だよ?」
「その前に……これ、知ってるか?」
言いつつ、エギルは四角いプラスチックパッケージを此方に差し出して来た。表面に印刷されたグラフィックを見る限り、明らかにゲームソフトだ。ハードは二つのリングを象ったロゴマーク。名前は……《AmuSphere》
「《アミュスフィア》。ナーヴの後継機か……」
「流石にそれくらいは調べてるか。あぁ。そいつはVRMMO《仮想大規模型オンライン》だ」
アミュスフィア。
ナーヴギアによる《SAO事件》が有った後にも止まる事が無かったVRニーズに答えるために開発された後続機で、メーカー側曰く、「今度こそ安全!」と言う事らしい。ちなみに現在は従来式の据え置き型ゲームとのシェアも完全に逆転し、SAOと同型のソフトタイトルも数多く発売されていると言う事で、その人気は全世界規模だそうだ。
まぁ今の所、涼人に関して言えば二年の間に発売されていた据え置き型ゲームソフトの方を適当に追いかけるのに忙しかったので、その手のタイトルには手を出して居ないのだが。
「で、タイトルは……アルフヘイム・オンライン?」
「いや。《|ALfheim Online(アルヴヘイム・オンライン)》と読むんだとよ。意味は……《妖精の国》」
「ふぅん……妖精……ねぇ」
確かに、表のイラストにはファンタジー風の衣装を身に纏った少年と少女が剣を携え費消している図が描かれている。
「で?内容は?……楽なゲームなのか?」
「ある意味じゃ楽かもな。ある意味じゃ偉くハードだが」
「あン?」
「どスキル制で、プレイヤースキル重視何だそうだ。しかもPK推奨」
「って事は……レベル無しか」
スキル制と言う事は、レベルの要素はむしろ有る程度抑えられているのだろう。
エギル曰く、上昇するのは書くスキル値が反復性で上昇して行き、HPは育ってもさして上昇しないらしい。ちなみに、グラフィックや動きの制度に関してはスペック的にはSAOにも迫ると言う。
レベルなしならプレイヤースキルで有る程度の所まではやれるかもしれないが……
「PK推奨っては?」
「複数の種族が合って、別種族ならキル有りなんだと」
「その仕様で人気出んのかよ……」
別種族間なら無条件でキル有りと言うのは、要はいつでもどこでも他のプレイヤー襲われる危険があると言う事だ。楽しく狩りをしていようが、ただの散歩だろうがお構いなし。
どういったキルなのかは不明だが、もし複数人でキルするのが普通なら、プレイヤーはよほど腕に自信が無ければ一人で町を出る事すら困難になるだろう。が……
「ところが、今大人気なんだそうだ。理由は飛べるからだとさ」
「飛べる?空をか?」
「ああ。何でも、フライト・エンジンとか言うのを採用してるんだと」
思わず高く口笛を吹く。
SAO以前のVRゲームにも一応空を飛べるものはあったが、それは戦闘機を操って空を飛ぶと言う有りがちな物で、実際に自分自身で空を飛ぶ事は出来なかった。
まぁ仮に羽を背中に付けたとしても、現実の人間に羽が無い以上それをどう動かすべきなのか分からないため無駄なためなのだが……
「どうやって?」
「初心者はスティック型のコントローラーを使うそうだが……上級者になるとそれなしで飛べるらしい。制御も相当難しいそうだがな」
「なるほどなぁ……」
どうやって有りもしない部位を動かすのか非常に興味のある所だったが、取りあえず今は関係無いので考えるのはやめにして、再びエギルに向き直る。
「で、さっきの写真だが……」
「あぁ。これだな」
先程と同じく、カウンターの下からエギルが一枚の写真を取り出す。そこには、問題の少女の顔が写し出された写真が合った。
「どう思う?」
「俺が見る限り、似てるな」
「やっぱりか」
質問に答えてやると、巨漢の店主は腕を組んで「むぅ」と唸った。ココアを一口飲みながら、涼人が問う。
「此処までの話から察するに、これもこのゲームん中か」
「あぁ。此処だ」
言うと、エギルはパッケージを裏返し、その表面をトントンと叩いた。
裏に有ったのは、ゲーム内と思われる画像や、概要など。そして、その世界の俯瞰図だった。
全体的には円形の世界だ。中心から、それぞれの方向に向かってそれぞれの種族ごとに放射状に分割された領土が。そしてその中央には、巨大な樹の絵があり、エギルはそこを刺していた。
「世界樹。と言うらしい。なんでもプレイヤーの当面の目標が、その樹の上の方に有るエリアに到達することなんだそうだ」
「到達って事は……飛ぶのにも何か制限があんのか?」
「あぁ。無限には飛べないように時間制限が有るんだと、そのせいで一番下の枝にもたどり着けないらしい」
「ふぅん……じゃどうやって枝に辿り着いたんだ?まさか根元にこの子が居た訳じゃねぇだろ?」
憮然とした態度で言ったエギルに、涼は再び問いを飛ばす。と、エギルは何処か笑いをこらえるように口角を持ち上げた。
「あぁ。変なたくらみをした奴等が居てな。体格順に肩車して五段の多段ロケットの要領で飛んで、上を目指した」
「変っつーか馬鹿だな。何処にでも居るんだなぁそう言う奴」
涼人がけらけらと笑って返すのを、エギルもニヤニヤと笑いながら言う。
「まぁ確かに馬鹿だな。が、目論見自体は悪くなかったらしくてな。枝に後一歩と言う所までかなり肉薄したらしい。それでその5人目が到達高度を証明するためにとりまくった写真の一枚に、奇妙な物が映り込んでいた」
「この子か」
表情を改めた涼人に続き、エギルも再び憮然となる。
「正確にはその子が入った鳥かごが、枝の一本にぶら下がってたんだと」
「鳥籠ぉ?囚われのお姫様だってのか?どう考えても似合わねぇだろ彼奴にゃ」
「もしもそうなら、そもそもそれどころじゃないがな」
互いに苦笑しながら話すうち、涼人はカップのココアを飲み終わっていた。
「ま、大体の事情は分かった。サンキューな。情報量何コルだ?」
「ツケにしといてやる。それと円で払え円で。で?行くのか」
「そうさな……ちぃと確かめる程度には行くかも知んねぇ」
ニヤリと笑いながら言った涼人の曖昧な返事を、エギルは間違いなく肯定の返事で有ると受け取った。
「……もう一つ、今度は俺から相談がある」
「あン?」
再び憮然とした態度で腕を組んだエギルに、涼人は首をひねる。
「この事、キリトにはどうする」
「ん~……わりぃ。お前から明日にでも説明頼めるか」
「大丈夫なんだろうな?アイツは……」
「アスナの事となったら暴走する。だろ?まぁ幾らかは抑え込むさ。だてに彼奴と義兄弟設定結んでたわけじゃねぇしな。それに、ちっと色々とあってな。あんまのんびりしてる暇ねぇんだ」
苦笑しながら言った涼人に、エギルがその顔を僅かに曇らせる。
「なんかあったのか」
その問いに……
「っま、それに関しちゃ笑い話にでもなってから話すさ」
涼人はニヤリと笑って答えた。
────
ダイシー・カフェから、御徒町駅へ行く道程の中で、涼人は思考を続ける。
エギルから貰った情報。《アルヴヘイム・オンライン》略称《ALO》の情報は、非常に優良な物だったと言えよう。何しろALOのパッケージの裏に有った運営体が、かのレクトの子会社。《レクト・プログレス》なのだ。
現在数あるVRMMOの中で、唯一アスナにそっくりな少女が見つかったのが、“たまたま”アスナに目覚めてほしくない男が勤務する《レクト》。その子会社で、しかもその少女が居るのは一般のプレイヤーでは間違いなく立ち入る事が出来ないエリアの鳥籠の中。こんな出来過ぎた話があるものか。
本来ならばすぐにでも総務省の役人に調査を依頼したいところだがしかし、いかんせん「~の可能性が高い」で止まっている部分が殆どなのも事実だ。可能性だけで一つも確信が無いのでは、公的機関を動かすには少々材料不足だろう。つまり……
『俺達でやるしかねぇ……』
恐らく明日エギルが知らせれば、焦っている和人は間違いなくエギルの情報に飛び付くだろう。エギルの所に有ったALOは、そのためにエギルの店に置いてきた。ハードはナーヴギアでも動くらしいから、すぐにアミュスフィアを買う必要も無い。
アスナの件が解決すれば、恐らく残りの約300人の状況にも何らかの変化が起きるはずだ。
何が何でも……!
『まずは、ALO手に入れねぇとな』
そう思いつつ、涼人は眼前に見えた駅へと急いだ。
────
秋葉原でALOのソフトとその他諸々を買い、涼人が家に帰りつくと既に時刻は9時を回っていた。
一応夕飯に間に合わない事はメールしておいたが、これは直葉の小言でも覚悟しておかなければならないかと思いつつ、リビングのドアを開けると……
「ただいま……あり?」
リビングには誰もいなかった。部屋に行ったのだろうか?
「だとしても電気くれぇ消してけよな……」
ぶつぶつ言いつつ、涼人は上着を脱ぎ、取りあえず壁に掛けられているハンガーにかけると、風呂に向かった。
────
風呂からあがり、置いておいた着替えに着替えると、そこには和人と直葉の母であり、涼人の叔母である桐ヶ谷翠が居た。
彼女の方は、ソファに座ってテレビを見て居る。
「あ、叔母さん。お帰り」
「あら、りょう君上がったの?ただいま」
ぷらぷらとパックジュース片手に手を振る翠に涼人は微笑ましくなる。
「今日遅いんすね。残業?」
「そ、残業代出無いけどね」
そう言いつつもなんだかんだ楽しげに笑うその顔は、年の割にかなり若いその顔に良く似合っている。……というかこの人本当に今年四十なのかと偶に疑問になる。化粧かなり薄めであるのにもかかわらず目立った小じわは殆ど分からないし、直葉に遺伝したのだろう勝ち気そうな瞳と後ろで無造作に束ねた髪は、どう見ても三十前半くらいに見える。
コンピュータ系雑誌社の編集と言う仕事柄色々と活発に動きまわっているのは知っているが……成程、働く女性は美しいと言うのは、あながち間違いではないのかもしれない。
「お風呂、叔母さん最後っすから」
「はいは~い」
「んじゃ」
「あ、りょう君」
牛乳を飲み干し、冷蔵庫から更に一本先程買って来たボトル緑茶を取り出してリビングから出ようとすると不意に翠から声が掛けられた。
「ん、なんすか?」
「その、最近和人と直葉……どう?」
どう?と言うのは質問としては曖昧な部位に入る言葉だと思われたが、それだけで涼人は翠が聞いたい事の大体を察し、答える。
「良い感じっすよ。今日なんか朝、試合してましたから」
「剣道の?」
「です」
「そう……和人が……」
涼人の言葉に、翠はクスリと笑うと、勢いよく立ちあがった。
「さてと!私も早くお風呂入って来ようかしらね!」
「ですな」
最後に廊下で分かれる直前、翠は涼人に「ありがとうね。りょう君」といって、脱衣所に姿を消した。
「何もしてないんだけどなぁ……」
そんな事を言いつつ、涼人はペットボトル片手に階段を上がって行く。
涼人部屋には、小さいながら冷蔵庫があるので、自室に飲み物やなんやを置いておくのには結構重宝していた。と……
「オイオイ……だらしなさすぎやしねぇかぁ?」
自室への途中、和人の部屋の扉が開いたままになっているのを見つけて、涼人は呆れたように溜息を突いた。
「扉ぐれぇ閉じて寝ろよ……っん?」
電気もついて居ないし、寝て居るのだろうと扉を閉じようとした時、部屋の中の和人のベットの上に、妙な点がある事に気が付いた。人型のふくらみが……二つ?
「へぇ…………」
何故か直葉が和人と顔を向かい合わせ、すぐ近くに突き合わせて寄り添うように寝て居た。
「慰めてやってくれた……のか?スグ。ありがとな」
言いつつ二人の従兄妹の頭を微笑みつつサラサラと撫でる。
少し和人を放ったまま出たのは心配だったのだが、予想外にも直葉が和人を気遣ってくれたらしい。和人の頬には、涙の跡があった。
「よーく寝ろよ、カズ。明日からは、忙しくなっからな」
二人の上に毛布をしっかり掛けなおし、羽毛布団をかけつつ、聴こえはしないだろう言葉を小さく呟いて涼人は部屋を出る。
『スグはまぁ……ほっとくか』
明日の朝が少し楽しみだった。
First story 《未だ終わらず》 完
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