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ソードアート・オンライン 幻想の果て

作者:真朝
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十二話 夢の終わるとき

見る者の動きを止めてしまいそうな程の迫力と重圧を纏った刺突が放たれる。ヒヤリとする悪寒を背筋に感じながら白銀の突撃槍(ランス)による一撃を飛び退いて躱す、確実にこちらの真芯を捉えているその攻撃は避けるのにも多大な集中力が入用だった。

かつての仲間と殺し合う。そんな悲劇的な状況であるというのに、自分の頬が吊り上り笑みの形をつくっているのを自覚していた。不思議とは思わない、今自分が抱いている感情は悲しみなどではなく紛れも無い喜びなのだから。

日本という国の社会に生きる一人の少年として当たり前のような教育、むしろ学歴というものを重視していた両親から世間一般のそれより数段厳しいものを受けてきたアルバは一般的な常識も、大衆的な倫理感も持ち合わせていた。

それ故にこのゲームの中で生を(まっと)うしたいという願いは多くの人間には決して受け入れられないだろうということは理解していたし、これまで誰にも打ち明けることは無かった。

それでも他者を殺害せしめることを厭わない犯罪者ギルドに身を落とさず、攻略を目指すプレイヤー達の中で活動し続けたのはひとえに、この世界に日陰者の身では得られない魅力が満ちていたせいだろう。

各層に点在する異国情緒や幻想感に溢れる街々を巡る日々の楽しさは、学力競争に追われひたすら勉学や習い事に明け暮れさせられた日常とは比べるべくも無く、彼が持つ少年の心を捕らえて離さず、胸をわかせて止まなかった。

リアルの姿を知るものがこの世界でアルバートとして生きる自分を見れば別人にしか見えないだろう、そう自覚できるほどにかつての自分は感情を表に出さず、世を厭んでいた。我が子を自らの世間体を盛り立てる道具のようにしか見ない両親の淀んだ瞳も、周囲の者を全て競争相手とするような進学校の張り詰めた空気も、全てが疎ましかった。

多くのプレイヤーにとっては呪詛でしかなかった茅場晶彦によるデスゲームの宣告が、アルバにとっては忌まわしい日常からの開放を祝う祝詞のようだった。そして今、彼の胸の内にはあのはじまりの日に勝るとも劣らぬ感動が満ちている。

自分の愚かな願いを間違っていると否定するわけでもなく、下らないと切り捨てるわけでもなく、ただ受け入れ、付き合ってくれた、目の前で剣を交わす少年。

自らのカーソルを犯罪者の(オレンジ)色に染めてその決意を示した彼の覚悟は疑いない。夢見た世界で、己の在り方を認めてくれる相手がいる。その事実にこれまでの人生で感じたことがないほどの生の実感をアルバは得ていた。

嬉しさのあまり頬に浮く笑みの形は死闘の只中にありながらも、しばらくは崩れそうに無い。





すぐ脇の空間を貫く豪閃、辛くも身をよじり突撃槍(ランス)の一突きを回避しつつ両手で握り締めた剣を横薙ぎに振るいつける。しかしシュウは即座に突いた突撃槍(ランス)を跳ね上げその護拳で迫る剣の腹を打ち上げ軌道を逸らす。

「チッ!」

ならば――と両手剣が流される勢いを殺さずそのまま片足を軸に体ごと回転し、一周させた剣を再度シュウ目掛けて打ち込む。切り返す手間を省いたその斬撃は威力、速度共に申し分ないものだったが咄嗟に掲げられた左の盾により直撃は阻まれる。

だが大きな金属音を響かせたその衝突を受け流しきるまで至らなかったようで、盾の陰でシュウが顔をしかめる。手応えからもそこそこのダメージを与えることができたことが感じとれる、しかし強引な連撃の直後に出来た僅かな隙を見逃す相手でもなかった。

一撃を加え後退しようとしたアルバの身をシュウが一息に突き出した突撃槍(ランス)が追い打つ。ソードスキルもかくやという勢いで放たれたその刺突を身をよじりながら避けようとするも、至近距離ということに加え武器を振りぬいた直後では十分な回避姿勢をとれず、避け切れなかった穂先が横腹をかすめ削り一条のダメージエフェクトを刻んだ。

視界の端で自身のHPバーが現象するのを確認しながら低く後方へ跳び構えを取り直す。戦闘開始から武器を打ち交わすこと数合、お互いに決定打を欠いてはいたが今のようなダメージ交換の攻防を繰り返し、アルバのHPは三割近くが削られイエローゾーンも近づいている。

シュウのHP残量も似たようなものだろう、自分が得意とする一撃離脱戦法がまともに通用しないことに内心アルバは舌を巻いていた。アルバが繰り出す一撃一撃の威力は決して低いものではない、どころかマスターしている両手剣スキルによる補正、そして一撃が重くなる(トップヘビー)武器の特性を生かした攻撃の威力は攻略組にも迫るだろうと自惚れ抜きに自負していた。

そんな攻撃を受け続ければもうシュウのHPはイエローゾーンを割っていてもおかしくはないはずだがそんな手応えはない。それほどの低ダメージに押さえこんでいるのはひとえに彼の防御技術の巧みさ故だろう。

避けるというのならば攻撃に反応さえできたなら後は単純に運動能力の問題だ。しかし防御となれば話は違う。なにせ相手は全力で武器を振るいつけてくるのだ、ただ武器や盾を構えるだけではエネルギーの差で吹き飛ばされるだけである。剣などでそれを行った場合は下手をすれば押し込まれた自分の武器で自分を傷付けることすらある。

正しく攻撃を受け止めようとするならしっかりと姿勢を固め盾に用いる獲物を支えなければならないがその場合でも受け手にかかる負担は大きい。しかも彼のようにダメージを逃がすため衝突直後に攻撃の軸を逸らし受け流してみせるのはもはや達人芸だ。

防御用の盾だけで行っているのならばまだしもシュウは右手の突撃槍(ランス)に備わる護拳ですら同様の防御を披露して見せる。現実とは違い武器防御スキルによるアシストが得られるとはいえ、重心も安定しにくい武器の面積も狭い護拳でそれをなしているのは彼個人の技量としか考えられない。

カウンターを受けずに、三六〇度ほぼ全方位をカバーするこの守りを突破するには以前《聖竜連合》の短剣使いがやって見せたように突撃槍(ランス)を打ち払って懐に飛び込むのが定石だろうが、生憎アルバの武器は長大な刀身の両手剣。

そんな真似をするには向いてもいないし、よしんば飛び込めたところで剣を振るには近すぎる。しかしこのまま削り合いを続けどちらのHPが先に尽きるかを競うチキンレースに興じるのはリスクが高すぎる。

――まあ、いい頃合かな。

HPの減り具合を見てそんな思考を頭に浮かべると、アルバは両手剣の切っ先を後ろへ流し、左肩の上で刃を垂直寄りに立てて構えた。そうして膝を曲げ溜めをつくると両手剣から耳に響く高い音と共に、眩い白の光が漏れ出す。

ソードスキル発動の兆候にシュウが眉を顰めていた。そのいぶかしむような反応も当然だ、対人戦において動きがスキルのモーションに誘導され、使用後には硬直時間まで発生してしまうソードスキルは連撃に組み込むなりして使用するのが一般的だ。

それなのに距離が開いたこの状況からソードスキルで攻めかかろうとするこちらを怪訝に思うのは普通の反応だ。両手剣には攻撃の後も突進し続けることで距離を空けることが出来る《アバランシュ》というスキルが存在するが今アルバの剣が纏い始めた白い光の色はそれとは異なる技であることを示している。

「――っ!」

両手剣に光が満ちた瞬間、アルバは鋭く地を蹴ってシュウへと向かい駆ける。攻撃を防ぐために掲げられる盾に、自らぶつけるように白光を纏う両手剣を叩きつけていく。剣と盾がぶつかり合い耳に障る金属音が響く。

薙ぎ払うようなその斬撃をシュウはやや押し込まれながらも受けきり、盾の表面を滑らせるように流し払った。反撃に移ろうと疾走の勢いのまま横へ流れていくアルバにシュウが突撃槍(ランス)を向けるが、その先にあったものを目にしたシュウの動きが止まる。

《アバランシュ》のような突進しながらの薙ぎ斬りを放ったアルバの両手剣、それがいまだライトエフェクトを発生させたまま、その光が減衰していくどころか輝きを増している光景に。意表を突かれた様子のシュウにしてやったりと獰猛に笑ってみせると、アルバはそのソードスキルの本領を発揮させる。

「行くぜ」

「くっ!」

システムアシストに導かれるままに前に出した足を軸として、アルバは自身の身を独楽(こま)のように回し振りぬいた両手剣で再び打ち込んでいく。シュウは咄嗟に盾を引き寄せそれを受け防ぐが動きが似た先程の連撃を遥かに上回る威力の斬撃に表情が苦悶へと歪む。

斬撃と同時にまたシュウの横合いへと大きく踏み込んだアルバは、いまだ白光を纏い続ける両手剣を振りかざし更なる回転斬りを見舞っていく。高速で周囲を駆け回りながら立て続けに斬りつけるアルバの動きにシュウの防御が次第に遅れだした。

「ぐあっ!……」

そのうちにとうとう両手剣の一閃が守りをすり抜けシュウの身に赤々とした仮想の傷跡を刻み込む。続く斬撃こそ突撃槍(ランス)の護拳で打ち払ったものの相当なダメージが入った筈だ。繰り出した斬撃の数は八。最後の一撃を終え距離を空ける。

スキル使用後に課せられる硬直時間が終わると両手剣を肩に担ぎシュウへと向き直る。初見の技で連撃がいつまで続くか予測できなかったのだろう、ややばかり息を乱しているように見えるシュウは絶好の反撃機会であったはずの瞬間を既に逸していた。

「……今のは?」

「《タンペート・ド・ネージュ》、両手剣最上位連撃技だ。多分敏捷寄りにステータス振ってないと習得できないんじゃねえかな」

未知のスキルについての誰何に答えるアルバ。これまでシュウやトールとパーティを組んでいたときにも見せたことのない。アルバにとって切り札といえる技だった。高い機動性と攻撃力を併せ持つこの技の終わり際をシュウが見切り、彼が得意とする一撃必殺級のソードスキルを打ち込めるか、それがアルバが予想していたこの戦いの分水嶺だった。

そして結果は現状の通りである。盾越しとはいえ強攻撃の連続ヒット、そして一撃入ったクリーンヒットによりシュウのHPは大幅に削られた筈だ、イエローゾーンを割り込みレッドゾーンにまで達しているかもしれない。拮抗は崩れ、状況はアルバ有利へと傾いていた。

しかしそんな状況に至ってもシュウの瞳は戦意を失ってはいない、いつもの構えを取りながらぎらついた鋭い視線をアルバへと送っている。その姿を見てアルバの胸にはある思いが去来していた。――ラストボス、物語の終着点となるMMORPGにあってはならない存在だ。クリア条件が定められたSAOならば第百層のエリアボスこそがその役を担うのだろうが、アルバには自分にとって目の前の少年こそがその代名詞を冠するに相応しいように思えた。

だからきっと、彼を倒せれば、この世界で為せないことはもう何もないと、その一瞬夢想したのだ。絶体絶命であるはずのこの状況でもシュウは己のカウンタースタイルを崩すつもりはないらしく、自分からは攻めようとしない。次に同じ技を受けたとしても防ぎきれるという自信でもあるというのか。

――面白い、と内心で呟きアルバは両手剣を左肩に担ぎなおし、《タンペート・ド・ネージュ》の構えをとる。この技は一撃毎にターゲットの切り替えが有効で、定める狙いを変えることで軌道を微細に変化させることすら可能だ。それにシュウがどう対応して見せるのか、そんな好奇心がアルバにその選択を選ばせたのかもしれない。時間が停止したように動きを止める二人。一秒が数分にも感じられるような緊張した時間が流れやがて、スキルの冷却時間(クールタイム)が終了し、両手剣に再び白く眩い光が溢れ出す。

「おおおっ!」

決着へと向かい地を蹴ったアルバ、その視界が次の瞬間鋼の色に埋め尽くされた。

「なっ!?……がっ」

直前にアルバの目が捉えたシュウの左手を押し出すように突き出した動き、盾をアルバの顔面に向け放り投げたのだ。金属の塊をぶつけられたとてソードスキルを使用しているアルバの動きが止まるわけがない、守りという生命線を支える盾を捨てて何を、考えたアルバの戻った視界、目と鼻の先にシュウは踏み込んできていた。

距離を測るように盾を手放した左手を前へ掲げ、引き込んだ右の突撃槍(ランス)にはソードスキルの発光、迫る自身を迎え撃とうとするシュウの姿にアルバはまさか、という念を抱かざるをえなかった。たとえ彼のソードスキルの威力が凄まじいものだろうと、ただの一撃で残ったHPの全てを刈り取ることは出来ないとアルバは踏んでいた。

たとえ胸を串刺しにされようとも自分が放とうとしているソードスキルがその程度で止まるものではないということも知っていた。盾を失い決定的に防御力を欠いては攻撃にとても耐えられないだろう。なのに何故――と、刹那の内にそこまで思考したときアルバは気付いた、彼が放とうとしているソードスキルと、瞳の向く先に。

突撃槍(ランス)を包んでいる深緑の光は彼が得意とし最も多用する《ランメ・カノーネ》のものではない、同じ単発技ではあるものの威力で劣り、発動速度で上回る《ランメ・ゲヴェーア》のものだ。そして何より、シュウの目。視線で射殺さんとばかりに鋭い、自分を見ているはずのそれがどこかずれているように見えたのだ。その視線を追った先に気付いた瞬間、アルバの背筋をこの戦闘が始まってから最大の悪寒が駆け抜ける。

「――っ!」

声は出さずとも彼が裂帛の気合をその一撃に込めていることは感じ取れた、アルバが剣を振るより早く、突き出された突撃槍(ランス)は正確に、細い剣の(ガード)を柄の側から穿っていた。

――ありえねぇっ……!

そんな言葉が口をついて出そうになる。ソードスキルにより高速で動く剣、そのガード部という的としては小さすぎる一点を突撃槍(ランス)の穂先で狙い穿つなどどれほどの攻撃精度(アキュラシー)があれば可能なのか、それは目を疑わざるをえないほどの神業だった。ソードスキルのシステムアシストにより剣を振りぬこうとする力と《ランメ・ゲヴェーア》の衝撃による負荷がアルバの手に降りかかる。

「ぐっ……ああああっ!」

剣を握る手を限界まで握り締め堪えようとするが、重なった二つのエネルギー総和は敏捷型のアルバに耐え切れる限界を超えていた。両手剣はアルバの手から吹き飛ぶように零たれ、後方へと飛んでいく。武器落とし(ディスアーム)、モンスターならば一層にもこの属性を持つ攻撃を扱う個体は存在するが、プレイヤーが行うには武器の握りが弱くなる部分を見つけ出し的確に攻撃を打ち込まなければ再現できない、いわゆるシステム外スキルに属するそれをこの土壇場でシュウは成功させたのだ。

武器が手から離れたことにより行使していたソードスキルが中断される。そしてスキルが中断されたからとて、硬直時間まで消えるわけではない。身動きができず静止してしまうアルバの右腕を、がしりとシュウが盾を放ったことにより空いた手で掴む。アルバの《タンペート・ド・ネージュ》という大技に比べシュウの《ランメ・ゲヴェーア》は小技と呼ぶべきもので使用後の硬直も短く、彼の方が再行動可能になるのは早かった。

「くそっ……たれ」

毒づきながらメニューのショートカットから予備の武器に切り替えようとするも、掴まれた状態の右腕で上手くメニューウィンドウを開けずにいるアルバの目の前で引き絞り、矛先を向けるシュウ突撃槍(ランス)に焔のような、朱い光が灯る。そのライトエフェクトを見たアルバは息を呑んだ、そのソードスキルは彼と暫くパーティを組んでいた彼にも見たことがないものだったからだ。

「っ、らぁぁ!」

アルバが咄嗟に足を振り上げる、体術系ソードスキルが発動しシュウの顔を横から蹴りつけるが、シュウはまるで地に根を張ったかのようにびくともしない。拘束を解けず焦燥するアルバの眼前で、深く腰を落とし長い溜めをつくり終えたシュウの突撃槍(ランス)に燃え盛っているかのように揺らめく朱の光が宿る。

これはまずい。その一撃が致命的なものになるという予感がアルバの胸を満たす。しかし、最早彼にその状況を覆す術は残されていなかった。シュウの突撃槍(ランス)が唸りを上げて大砲のようなサウンドエフェクトを発生させながら突き込まれる。

突撃槍用最上位単発技《ランメ・ドーラ》、全ソードスキルの中でも単発技としてはトップクラスの威力を持つ一撃が、アルバの胸の中心を穿ち貫いた。





「ハハ……ハ、やっぱすげぇなシュウは、あんな負け方するなんて思ってなかったぜ」

「最後に気を抜いたな、同じ技で来るべきじゃなかった。あれがお前の敗因だよ」

突撃槍(ランス)で胸を串刺しにされたままアルバが乾いた笑いを漏らす。貫かれている胸からは血のように赤いエフェクト光が漏れ出るように明滅している。貫通系武器に体を貫かれていることにより貫通継続ダメージが発生しているのだ。既にアルバは最後の一撃でレッドゾーンまでHPを削られていた、彼のHPがゼロに至るのは時間の問題だろう。


「ああ……つい、魔が差しちまったんだよな」

「言い残すことがあるなら……聞いてやる」

最後の時が近づくのを感じ取ったシュウの言葉にアルバは噴き出すように笑うと、視線を外し、遠くを見るような目をして、かすれた声を出す。

「そうだな……お前には言ってなかったことがあるんだけどよ。俺って結構……往生際が悪いんだよな!」

言葉の最後、語気を荒げたアルバは左手で腰のポーチをさぐり、あるものを取り出した。それはピンクの色をした宝石、HPを瞬時に全快させる回復結晶だった。

「チッ!」

使用を許せば一瞬で形勢が変わってしまう。目の前に出して見せられたそれをシュウは即座に左の手で払いのけた。同時に拘束を逃れたアルバは後ろへ跳び、突撃槍(ランス)の貫通状態が解除され胸に丸く刻まれたダメージエフェクトから漏れでるエフェクト光も収まる。

アルバは更にポーチから抜き出したスローイングナイフをシュウの背後へと投じる、青いライトエフェクトを纏いナイフが飛んだ先で、悲鳴のような馬の嘶きが上がった。シュウが顔を向けるとそこでは彼が騎乗してきた蒼い毛並みの馬が前脚を折るように倒れこんでいた、よく見れば右の前脚、膝から先が部位欠損状態に陥っている。

「悪いなシュウ、俺はまだ……終わりたくないんだよ」

言い捨てるなりアルバは身を翻して疾走を開始し、瞬く間に遠ざかっていく。敏捷型な彼だけにその速度はとてもシュウに追いつけるものではない。しかしシュウは遠ざかるアルバの背中を見つめながら、慌てるでもなく突撃槍(ランス)を地に刺し、呟いた。

「ああ俺も、お前には言ってなかったことがあるんだよ、アルバ」

聞こえない距離で彼に向けた言葉を口にしたシュウは腕を振りメニューウィンドウを開くと、項目の一つ、スキルウィンドウに指を滑らせた。





夜空の下、草原フィールドを真っ直ぐにアルバは駆けていた。馬の足は封じた、そしてシュウは筋力型のプレイヤー、追いつかれる心配はない。十分に距離をとったなら転移結晶で逃げれば、いやその必要もないかもしれない。今シュウのカーソルはオレンジ。街に入ろうとすればNPCのガーディアンに襲われてしまう。フレンド追跡機能をオフにすれば後を追うことすらもできなくなるはずだ。

不様な真似をしているとは彼自身思っている。しかしそんな真似をしてでも生きたいと思えるほどに、この世界での生を手放すことは彼には耐え難いことだった。ただ一つだけ、心残りがあるとするなら、こんな汚い手段で逃げた自分を彼が見損ないはしないだろうか、ということだけだった。

一キロほども走ったところで後ろを振り返ったのは、そんな思いが後ろ髪を引いてのことだった。しかし、その先にあった光景に思わずアルバは足を止めてしまった。

「え……?」

彼方の小さく見える彼、シュウは自分を追おうともせずに死闘を繰り広げた丘の上に立っていた。そして何より目を引いたのはそんな彼が掲げた右手に輝く、夜の暗い空を照らしだす光。それは紛れもないソードスキルの発光だった。

一体何をしようとしているのか、この世界では唯一の遠距離攻撃である投剣スキルを持ってしても数十メートルの射程が精々。あんな位置から手を出すことなど出来はしない、筈であるのに、アルバはまるで心臓を鷲掴みにされたかのような緊張を感じていた。

「シュウ、まさか……お前……」

その常識を覆す、一つの可能性を脳裏に思い描き瞠目するアルバの視線の先で、夜空に太陽が生まれたかのようなサンライトイエローの輝きがピークに達しようとしていた。





そのスキルの存在に気付いたのはいつ頃だったろうかと、シュウは不意に思い返していた。五十層を過ぎていたのは覚えている、ある日スキルウィンドウを開くとそこにあった見覚えのない表示に首を傾げたのだった。バグの一種かと考えもしたがこのゲームはGM不在、管理者に尋ねることも出来はしない。

情報屋が発行する名鑑にも記載のない事実がその存在を公言するのを憚らせた。それは下手をすれば不特定多数の人間から妬みや嫉みを買いかねない代物だったからだ。密かに練習していた投剣スキルの影響だろうかと考えたこともあったが、この存在を得るきっかけとなったのはそれとは異なる、別の何かだろうという予感はしていた。

突撃槍(ランス)を逆手に持ち、矛先を前方へ向け、彼方へ走り去っていくアルバの背を見据え視線を集中させる。事を成すまでは決して閉じないと心に決め、目をしかと見開き、小さく見える少年の背を凝視する。周囲の光景がぼやけていく中、彼の姿だけは手を伸ばせば届きそうなほどにはっきりと像を結んでいた。

届かせる、その意思の下に限界まで視神経を働かせていくと、肩より上の位置で引いた突撃槍(ランス)に山吹の光が生まれるのが感じられた。これで条件は整った、あとは自分がどれだけこのスキルを導けるかにかかっている。すると睨み続けていたアルバが不意にこちらを振り返ったのが確認できた。ソードスキルのライトエフェクトに気付いたのか、気の抜けた表情を浮かべ足まで止めている。

「人に見せるのは初めてなんだ、よく見ておけよアルバ」

持てる限りの筋力値で左足を踏み込み、狙いを定めた少年目掛け、全力を込めたその一撃を()じた。





エクストラスキル無限槍、最上位投撃技《ヴォーダン・ヴルフ》

必中にして必殺の槍の担い手たる主神の名を冠したスキルにより投じられた突撃槍(ランス)は、太陽の如き光の軌跡を残しながら夜空を一直線に奔り、瞬き一つの間には目標たるアルバのもとに到達していた。狙い過たず、アルバを捉えたその槍は彼の腹部を貫き、投撃の威力のあまり吹き飛ばすようにその身を浮かせていた。

その一投は残り僅かだったアルバのHPを余すことなく削り取った。激しい戦闘、そして高位スキルの連続使用に耐久値が限界を迎えたらしく、突撃槍(ランス)の槍身にピシリとひびが生じる。

「ああ――」

視界の端にゼロの淵へと向かっていくHPバーを収めながら、アルバは槍を投げ放った少年の方を見ていた。こんな技は最前線でも誰も見たことがないだろう、ユニークスキルというプレイヤーの中でただ一人にしか発現しないというというものの名がアルバの頭に浮かぶ。

「ハハハ……いくらなんでもすごすぎだろお前。まあ……これはこれで、ありかな」

最後の瞬間、アルバが浮かべた表情は笑みだった。やり残したことは多くあったけれども、彼のお陰で、最後まで自分はこの世界の住人として生きることが、出来たのだからと。突撃槍(ランス)がひび割れポリゴンの欠片へと変じて砕け散ると同時に、アルバの体もまた乾いた破砕音とともにポリゴン片へと分解され、消えた。 
 

 
後書き
残すはエピローグのみとなりますが遂に出してしまいましたユニークスキル無限槍。
二刀流に神聖剣以外は九十層以降出現、無限槍は穂先が分裂するとかいろいろな説あるようでしたが出したいという欲求を止められませんでした、このあたりまだまだ未熟なのでしょうね。

名前が出ているユニークスキルの中でも無限槍は名前を見た時点で響きが良くシュウに持たせてしまった次第です。どんな技にしようかと考えているとどうしても十三キロの人が頭にちらついてしょうがなかったですが。 
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