蒼き夢の果てに
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第2章 真の貴族
第17話 湖畔にて
前書き
第17話更新します。
先導する導く者に付き従いしばらく飛行した後、かなり平坦な場所に到着した俺とタバサ。
それまでは、地上三十センチから、高くても一メートル以内の高度を浮遊しながらの移動だった事を考えると、今回の飛行はかなりの距離を移動した事になると思いますね。
周囲を一当たり見渡してみる俺。しかし、相変わらず、ゴツゴツとした、火山性の岩が存在するだけで、その中に生命の存在を感じる事はない。
同時に感知の精度を上げ、危険な魔獣・幻獣の類が近くに存在していないのか、についての調査も行うが、こちらも問題なし。
しかし……。
しかし、少し微妙な感じだとは思いますけど、人の手が入っている可能性が有る場所じゃないですかね、ここは。
それに、少し……いや、かなり神聖な雰囲気が有る場所のように感じたのですが。
この導く者に案内された場所は、一種の霊場のような、少し特殊な雰囲気の場所で有る事は間違い有りません。
「ここが目的地」
短く、簡潔にそう俺達に告げる導く者。……って言うか、案内人。
……なのですが、この紅い山の基本的な風景。ごつごつとした岩場のみが続く殺伐とした景色が存在するだけで、この場所には、何処を探しても極楽鳥の巣らしき物は見当たらないのですが。
「ここに、古の盟約に基づき、香木を用いて祭壇を築いて貰う。
そうすれば、この地を訪れた彼が、自らと祭壇に火を放って再生の儀式を行う事と成る」
その導く者の発言に、流石に驚いた気を発するタバサ。
……って言うか、何故に、極楽鳥の雛を護るのに祭壇が必要なのでしょうか?
それに、香木で作る祭壇って……。
更に、再生の為に、自らと祭壇に火を放つ?
いや、確かに、鳥……つまり、羽族は火行に属する連中だったとは思うのですが。
「香木と言うのは、沈香……つまり、伽羅や白檀の事ですか?」
俺は、タバサを自らの右側にそっと降ろしてから、導く者に聞いた。
もっとも、そんな物がそう簡単に有るとは思えないですし、そもそも、その香木にしたトコロで、もっと南の方で無かったら産出しない物だと思うのですが。
具体的に言うと東南アジアの方で産出される代物だったような記憶が……。
ただ、極楽鳥自体が、そちらの方にも生息して居る鳥ですから、微妙に合っているとは思うのですが。
それに、香木で祭壇を築く必要が有る鳥を、俺はひとつ知っています。
もっとも、あの霊鳥はエジプトで祭壇を組んで再生するはずなのですが……。
確か、古代ギリシャの歴史家ヘロドトスが書き残した歴史書の中に、そう言う記述が有ったと思いますから。
「それで間違いない」
あっさりと、そう答えてくれる導く者。彼女の雰囲気は平静そのもの。タバサとは雰囲気や話し方が違いますが、それでも、この答え方や雰囲気からは、やや事務的な対応をしているような気がして来ます。
人間……いや、他人とは簡単に慣れ合いたくない、と言った雰囲気と説明したら伝わり易いですか。
但し、確かに答えるのは簡単ですけど、そんな希少な木材を簡単に手に入れて、祭壇を組み上げるって事が簡単な訳はないと思うのですが。
俺以外にはおそらく不可能じゃないですか。長い期間を掛けて、今回の再生の儀式用に準備をしていない限りは。
しかし、俺の方も、そして準備期間を持っていた方でも、元手がどれぐらい必要か、そして、今までにどれぐらい莫大な資金を投入しているか判らないのですけど……。
「それで、その香木は何処を探したら見つかるのですか?」
もっとも、ここで文句を言っても仕方がないですか。それも込みでタバサに命じられた仕事ならば、粛々とこなして行くだけです。
そう思い、現実的な対処方法として必要な質問を行う俺。
それに、出来る事ならば、ある程度の場所が特定された方が良いですから。このハルケギニアの地に香木の群生地が有るのならば、……なのですが。
確かに、最初の一本はハルファスに調達して貰う心算ですけど、祭壇を組むのなら、ある程度の本数が必要となるはずですしね。
それならば、その群生地と言う物が判ったのなら、俺とタバサのふたりで、そこから調達して来た方が良いと思いますから。
俺の仙術の中には、確かに望みの植物を発見出来る仙術が有るのですが、それは、その目的の植物を知っている事が前提と成ります。
つまり、最初のサンプルだけは絶対に必要と言う事なんですよ。
「それを探して来るのも、盟約の内に入っている。わたしが出来るのは、この場への案内と祭壇の組み方の説明だけ」
かなり素っ気ない雰囲気。つまり、最初から変わりのない態度で、そう答えを返して来る導く者。
う~む。これは、この近辺で群生地を探すよりも、少々お金が掛かりますけど、ハルファスから手に入れる方が安全で、しかも確実ですか。
何故なら、沈香は虫や病気などによる防御反応によって強く香るように成る樹木だったと思いますし、白檀の方は、他の植物に寄生する寄生植物だったような記憶が有りますから。
いくら仙術で有ったとしても、この種類の樹木を速成栽培出来る仙術を、俺は行使出来ませんからね。
「それでは、一体、何時までにその祭壇を準備したらよろしいのでしょうか?」
次に、時間的な猶予の部分の説明を求める俺。
これは、おそらくですけど、単純に極楽鳥の雛を護ると言う任務では無さそうな雰囲気だと言う事は感じては居るのですが……。
其処までない頭で思考を巡らせた後、
いや、そうとばかりも言い切れないか。ある意味、雛を護ると言えば、護る事にも成りますか。再生した直後の若鳥を指して、雛と表現したとするのなら。……と、まったく別の答えに辿り着く俺。
まして、ガリア王家からの命令は、極楽鳥の巣を護れ、ではなく、極楽鳥の雛を護れでしたから。雛が居るのなら巣が有るはずだ、と思ったのは俺の頭で有って、タバサはそんな事は一言も言っていませんでしたね。
それに、今までこの仕事をガリアで行って来た可能性の高い家系のジョルジュが接触を取って来た夜に届いた指令の内容と言う事は、これも俺の能力を試していると言う事なのでしょうかね。
今度は、ガリア王家、もしくは、タバサに指令を発している人物が。
「彼がこの地を訪れるのは、今から十日の後。それまでに、祭壇を組み上げて置けば問題ない」
それまでとまったく変わる事のない、導く者の対応。タバサと似て居なくもないですか。
どちらも素っ気なくて、用件のみの非常に事務的な口調。まして、表情にも、そして口調にも全く揺らぎと言う部分を感じさせる事はない。
但し、この導く者からは、タバサよりも更に大きな、故意に平静な雰囲気を装っている者特有のある種の力みに似た気を発する事が存在する、と言うぐらいの違いが有りますかね。
しかし、成るほど。これは、その香木製の祭壇を組み上げるまでには結構、余裕が有るみたいですね。もっとも、俺的には、ですけどね。
流石に普通人ならば、祭壇を組むほどの香木を十日で準備するのは難しいはずですから。
長い時間を掛けて準備していない限りは。
「そうしたら、今度の再生は、一体、何百年ぶりの再生に成るのですか?」
更に、普通に考えるのならば、これも聞いて置くべきでしょう。
それに、これを聞いて置けば、この任務が極楽鳥の雛の護衛などでは無く、あの霊鳥の再生に関わる任務と言う事に成ります。
しかし、このガリアと言う国は、首都の南に、赤と火に関係する場所が有って、そこの山脈に西洋版の朱雀が再生する場所が有ると言う事ですか。
この近辺で一番大きな国で有るのは理解出来ますね。
「今から約300年前に前回の再生が行われた。
しかし、彼に取っては、この時が一番危険な時」
導く者が簡単に答えた。それにしても流石に、あの霊鳥。世紀単位での儀式と言う訳ですか。
それに、話は大体理解出来ました。確かに、あの霊鳥は永遠の生命に関わる存在。情報が洩れたとしたら、妙な野心に駆られた連中が現れないとも限らないと言う事です。
折角、祭祀的に言うと、ガリアに取って非常に有利な場所で、紅い霊鳥の再生の儀式が行われるのです。国家の繁栄や、民の安寧を願うのならば、この再生の儀式を他者に邪魔させる訳には行きません。
そう思い、導く者との会話の終わった俺が、タバサを見つめる。これは、問い掛け。
タバサが、その俺の視線に対して、小さく首肯いて答える。これは了承。
ならば、
「判りました。無事に祭壇用の香木を手に入れて見せましょう」
……と、導く者に答える俺でした。
……って言うか、結局、俺の方がメインで交渉をやらされた様な気がするのですが。
☆★☆★☆
さてと、そうしたら、次は我が蒼き姫君の説得なのですけど……。
これは無理かも知れないな。
おっと、その前に……。
「先ず、今回の任務に関してなんやけど……。俺は、単純な極楽鳥の雛の護衛などではないと思っているんやけど、タバサはどう思っているんや?」
この再生の儀式が行われるらしい場所に辿りついてから、俺と導く者と呼ばれている炎の精霊王か、それとも、この火山を擬人化した姿なのかは判らないのですが、その正体不明の少女とのやり取りをただ見つめるのみで、一切、口を出して来る事の無かった蒼き姫に話しを振る。
それに、そもそもが、そのオーストラリアや東南アジアなどの熱帯域に生息しているはずの極楽鳥が、こんな山に住んで居ると言う事自体が不思議だったんですよね、最初から。
ここでは、餌の確保さえ容易ではないでしょう。まして、その雛の護衛に祭壇などを必要とする訳が有りません。
俺の問いに、コクリとひとつ首肯くタバサ。そして、
「わたしも、極楽鳥については、文献でのみ目にした事が有る程度の知識しかない。そして、その極楽鳥がガリアに生息していると言う話は聞いた事が無かった」
……と、そう続ける。
成るほど。文献に極楽鳥の記述が有ると言う事は、少なくとも、エルフの地経由で、極楽鳥……つまり、風鳥の話は入って来ていると言う事ですか。
「そのタバサの知っている極楽鳥と言うのは、美しい羽を持っている脚が無い鳥で、常に宙を漂い、天の露を食すると言う風に記述されていなかったか?」
引き続き為される俺の問いに、コクリと首肯くタバサ。
成るほど。大航海時代は未だ訪れていないみたいですけど、エルフの地を経由して情報ぐらいは伝わって来ていると言う事ですか。
但し、これは間違った知識なのですが。
「せやけど、今回の任務に関わって来ている鳥は、厳密に言うと、そんな鳥やない。
西洋で言うなら、不死鳥。フェニックス。東洋風に表現するなら、朱雀と言う鳥の事やと思う」
いや、おそらくは、フェニックスの方で間違いない。
何故ならば、あの導く者と言う存在との会話の中で、俺が想像していた鳥は、極楽鳥などでは無く、フェニックスの方です。
そもそも、極楽鳥が香木で築かれた祭壇に火を放って、その中に自ら飛び込んだとしたら、極楽鳥の香木焼きガリア風と言う料理が出来上がるだけです。
おっと、イカン。思考が、何処か別の世界に飛んで行くトコロでした。無理矢理、軌道修正っと。
それに、そんな冗談は何処かに放り出して、この任務を解決する方が先ですから。
そうしたら……。
「えっと、な。一応、俺としてのこの案件の解決方法の説明をしたいんやけど、聞いて貰えるかいな」
俺の問い掛けに、普段通りの透明な表情で首肯くタバサ。ここまでは、別段、不満げな雰囲気は有りません。
「先ず、俺の解決策は、ハルファスに香木の調達を頼み、その代金として、ノームに宝石や貴金属の収集を依頼。同時に、ハゲンチに錬金術で貴金属の錬成も依頼する。
この方法ならば、間違いなく、二日も有れば祭壇を築く程度の香木は集められると思う」
その間、タバサは学院に帰って、今まで通りの学生生活を営めば良い。
但し、これは……。
案の定、俺のその意見は、ふるふると首を横に振ったタバサに因って否定される。
そして、
「この任務は、わたしに与えられた任務で有り、貴方一人で行うべき仕事では無い」
タバサが、普段通りの口調でそう答えた。その仕草、及び雰囲気は普段通り、静謐そのもの。この程度の問い掛けでは、彼女の心を揺らす事は出来ないと言う事ですか。
それに、彼女の言い分にも一理有ります。
当然、反論する余地は有りますが、何もかも俺が出来るからと言って過保護にして仕舞うのも問題が有りますし、それでは、彼女は相棒と言う関係では無くなります。
そもそも、これは過保護と言うよりは、面倒だから全部俺がやって仕舞います。と言うレベルのやり方で有って、決してタバサの為を思っての事ではないですから。
「だったら、タバサの解決方法が有ると言う事やな」
そう聞く俺。おっとイカン。その前に、聞いて置くべき事が有りましたか。
「一応、そのタバサの解決方法を聞く前に、その香木と言う物について聞いて置くか。
そもそも、その香木と言う物をタバサは知っているのか?」
もっとも、その香木が何であるのかを知っていたら、野生の状態で、このヨーロッパ……つまり、ハルケギニア大陸に存在している可能性は限りなくゼロに近い事も知っているはずなのですが。
タバサは、俺の質問にひとつ首肯く事によって肯定を示す。そして、
「森の妖精に対して質問を行い、彼女から詳細は聞いている。少なくとも、このハルケギニア大陸で、その香木が野生で群生している場所は、彼女が知っている範囲ではない」
成るほど。ただ漫然と、俺と導く者の交渉を見つめていた訳ではないと言う事ですか。
ならば、タバサが示す次善の策と言う物が、俺が持っている次善の策と同一の物で有る可能性が高いとは思いますね。
但し、その次善の策の問題は……。
「但し。この地は、古来よりサヴォワ伯爵家の領地で有り、彼の家になら、何らかの伝承に従い香木を準備している可能性も有る」
タバサがそう続けた。普段通りのやや抑揚に欠けた、淡々とした口調で。
確かに、俺もその方法に付いては考えてはみました。まして、ガリア王家の方でも何らかの形で祭壇用の香木を準備している可能性も有ります。
それに、この方法ならば、少なくとも俺の不可思議な能力をガリア王家に類推される可能性が少しは減ります。多分、少しだけですけどね。
しかし……。
「その方法やと、交換条件で何を要求されるか判らない。
お金や宝石類。貴金属と交換、と言う程度ならば良いけど、それでもこちらの足元を見て来る可能性も有る。
まして、タバサが呑めない要求の可能性やって有るやろう?」
西洋風の騎士道を順守するのなら、そんな事は有り得ない。……のですが、そもそも、そんな物は絵に描いた餅。順守した人間がほとんどいないからこそ、物語の中ではそう言う騎士道が存在しているのですから。
それに、命令をして来たのが誰かは知らないのですが、ソイツの手の平の上で踊っているような状態も気に入らないのですけど。
但し、それは単に、俺のちっぽけな矜持だけの問題なんですけどね。
「先ずは、魔法学院に戻って、彼に聞いてみる。それからでも、考えるのは遅くはない」
☆★☆★☆
「香木ですか?」
転移魔法で、ほぼタイムラグなしに魔法学院に戻り、その足でジョルジュの元を訪れたタバサと俺。
もっとも、俺としては、コイツの実家に頼るぐらいなら、俺の式神を頼って欲しかったのですけど……。ただ、それでは、タバサの方が俺に頼り過ぎていると言う気分になるとは思いますから、これはこれで仕方がないのですが。
「来ると思っていましたよ」
少し、してやったりの雰囲気を漂わせながら、そう言うジョルジュ。
但し……。
「それにしても、御早い御着きですね。
ここに来たと言う事は、伝承に残っている場所に行ったと言う事のはずですが」
……と、そう聞いて来るジョルジュ。
もっとも、この質問に関してはマトモに答える必要は無いでしょう。それに、ここはタバサが交渉を行う場面ですから、俺が口を出す必要も有りません。
「サヴォワ伯爵家が集めている香木を譲って貰いたい」
何時もと変わらぬ、やや抑揚に欠けた、彼女独特の口調で、そう簡潔に依頼内容を告げる蒼き姫。
……って言うか、直球勝負ですね、タバサさんも。
確かに、この状況で腹芸は必要ないとも思うのですが、それにしたって、もう少し遠回しに相手に告げる方法だって有るでしょうに。
「確かに、元々がガリア王家の命で集めていた物ですから、貴女が王家の一員で有るのなら喜んでお渡しするのですが、残念ながら貴女は違いますから」
少し苦笑に似た笑みを浮かべた後、こちらは、大体想定通りの答えを返して来るジョルジュ。この勿体ぶった台詞の後には、おそらく、交換条件の無理難題が控えているのでしょう。
それにしても……。成るほど。この世界でも香木は、多少、流通している代物なのですか。それに、このフェニックス関係の伝承は、古代ギリシャのヘロドトスが記述した内容なので、彼がこの記述を行った頃には香木がヨーロッパにも知られていた可能性が高いと言う事です。
それならば、この中世ヨーロッパに似た世界でも、香木が多少存在したとしても不思議では有りません。
「ならば、流通しているルートか、香木の群生地を教えて欲しい」
しかし、粘ると言う事も無く、話を展開させる蒼き姫。先ほどのジョルジュの台詞から推測すると、何か交換条件を出して来る雰囲気だと思ったのですが。
いや、もしかすると、これも彼女独特の交渉術の形かも知れませんか。
もっとも、この場面ではタバサの方から話を展開させようが、ジョルジュの方から交換条件を出させようが、大して差は無いとは思うのですが。
「私は別に譲る訳には行かないと言った訳ではないのですが。
確かに、香木は貴重な物ですが、それは、ガリア王家からの命によって集めていた物です。
まして、此度の再生の儀式に使用しなければ、次はまたかなり先の話となりますから、我が家が集めて来た香木を今回も使用して、次の分は、その時までに集め直せば済む事です」
少し苦笑するような感じで、そう答えるジョルジュ。
……って言うか、結局、ジョルジュの方から言わせましたか。
そして、更に続けて、その交換条件を口にする。
「そうですね。別に、大して必要な事も無いのですが、貴女方に領内の危険な亜人や魔獣、邪龍の退治でもやって貰いましょうか」
☆★☆★☆
紅と蒼に照らされた、静かな湖の畔。
本来ならば、空の蒼と紅。そして、同時に水面に映った蒼と紅を愛で、ありふれた愛の詩を口ずさむべき夜。
しかし、今宵のレマン湖の湖畔には、異常に強い獣の体臭に似た悪臭と、そして、それよりも更に強い死の臭いが充満していた。
但し、死の臭いの元凶は、ヤツラの方では無く、俺たちの方なのですが……。
さりげない様で上空の月を見上げている少年が一人。
帯剣はしているが、マントは付けて居らず、更に魔術師の杖を持っている訳でもない。
……この状況を簡単に餌が得られる好機と捉えるか、それとも何らかの罠と疑うか。
俺を見つけたそのオーク鬼の集団が、俺を完全に包囲する陣形で接近して来る。
成るほど。罠を疑うよりも、餌を得る好機と捉えましたか。
確かに、それなりに知恵が有るのは認めますが、それでも、こんな街道から離れた森の傍に、少年が一人で居る事自体が不思議とは思わないのでしょうかね。
もっとも、少々の罠ならば、その集団の数の暴力で粉砕出来ると言う希望的観測の元の行動かも知れませんが。
俺の背後は湖。尚、この湖の対岸がサヴォワ伯爵領のトノンの街です。
その一瞬後。
オーク鬼の包囲陣形の一角に何故か乱れが生じていた。
そう、約五メートルの距離を一瞬の内にゼロにして、俺がオーク鬼の中心に切り込んだのだ。
棍棒を振りかぶった姿勢のまま首を刎ねられて仕舞うオーク鬼。
そして、返す刀で背後から接近して来た別の個体を斬り伏せる。
刹那、魔法の効果範囲ギリギリの位置に隠れていたタバサの放った氷の矢が、一気に十体近いオーク鬼を凍らせて仕舞う。
元々、彼女の魔法の才は高い。その上、今では以前の彼女が使用していた魔法よりも、効率や威力の上で格段に強化された、魔界や神界、そして、仙界の魔法を使用している。
これでは、あっと言う間に俺以上の使い手と成るのは当たり前ですか。
……って言うか、現状では単なる虐殺以外の何物でもないと思うのですが。
それに、タバサの魔法も、敵集団内に斬り込んでいた俺を誤爆する事なく、的確にオーク鬼のみをロックオンして凍らせています。
この事実から見ても、彼女の元々の魔法の才が、かなり高いと言う事の証明になるのでしょうね。
尚、元々、そう知能の高くないオーク鬼も、この場に現れた人間が普通の自らの餌と成るべくして現れた存在ではない事を気付いたのか、われ先に森の方に逃げ去って行く。
あれから四日。確か、ハルケギニアの暦で説明すると四月、第四週、エオーの曜日と言う日付らしいです。
但し、この国の一週間は八日間有るらしいのですが。
もっとも、紅と蒼のふたつの月が有るような世界ですから、一週間が八日だろうが、九日だろうが、大した差は無いとは思うのですが。
それで、われ先に森の方に逃げて行ったオーク鬼は、そこに待ち伏せて居たジョルジュと俺の式神達にすべて討ち取られて仕舞いました。
……尚、何故か竜殺しのジョルジュくんも、このサヴォワ伯爵領内の危険な魔獣、亜人退治の行脚に同行しているのですが。
タバサのお目付け役としては当然の行動と言えば、そうなのですが。
しかし、これでは、交換条件としての意味が無くはないでしょうかね。
おっと、少し思考がずれて行く。無理矢理、軌道修正っと。
それで、このオーク鬼自体が陰の気の塊のような存在で、真っ当な生命体と言うモノでもないので、このハルケギニア世界に居て良い生命体ではないとは思います。ですから、退治されるのは仕方がないと言えば仕方がないのですが……。
何故ならば、真っ当な生命体なら、間違いなく女性に相当する存在が居るはずなのですが、少なくともこの世界のオーク鬼は男性格の個体しか存在しないらしいですから。
おそらく、コイツラは、元々人間だった者に何かが憑く事によって堕ちた存在なのだと思います。
例えば、生きながら餓鬼道に堕ちた者とかの成れの果て、と言う感じで……。
尚、この四日の間。俺とタバサは、ジョルジュに付き合わせられて、東にはぐれのワイバーンが居ると言われると、行って素直に説得し、西にグリフォンが家畜を襲っていると言われたら、行って説得むなしく退治をすると言う結末に成り。北にオーク鬼の集団が現れたと言う情報に大急ぎでやって来て、先ほど、作戦通りにすべて退治して仕舞ったと言う状況なのですが。
もっとも、ワイバーンやグリフォンはそれぞれを示す印を得る事が出来たので、後に俺の召喚魔法で召喚して、式神として契約を交わす事も可能となったので、俺的には、それなりの収穫が有ったと言えば有ったのですが。
……やれやれ。それでも、なんとなく、ため息しか出て来ない気分ですね。相手が人に害しか与えない、まして陰の気の塊だったとしても。
ただ、これで、後は先ほど血祭りに上げたオーク鬼たちの魂を鎮めて、迷わずに彼らの故郷、オルクルの身元に旅立てるように弔いの笛を吹く事で、このオーク鬼退治の仕事も終了ですか。
ちなみに、その際に、印……納章を得る事も出来るのですけど、オーク鬼を俺が召喚出来る訳がないでしょう。こいつらは、少々、陰に傾き過ぎている存在ですから。
おっと。それと同時に、サラマンダーの浄化の炎で、火葬にしてやる事を忘れる訳にも行かないな。
このオーク鬼は、きっちり受肉している存在ですから、大量の死体から妙な病気が発生しないとも限らないですからね。
☆★☆★☆
殺戮の現場となった場所から少し離れた野営の地は、現在、完全に夜に支配された世界と成っていた。
その陰の気に包まれた世界の中で、陽の気を放つ焚き火の明かりのみが、この周辺では唯一の人工的な存在かも知れないな。
それで現在は、ちょうど昨日から今日に移り変わる時間帯。タバサは、アウトドアの基本シュラフに包まれて、焚き火の直ぐ傍でお休み中です。
まぁ、今は四月なのですから、流石に簡単に野宿を出来る季節では有りません。いくら、焚き火を絶やさなかったとしてもね。
それでも念の為に、タバサの傍にはサラマンダーに居て貰っていますから、彼女が寒さから風邪をひく等と言う事はないとは思うのですが。
尚、俺の式神の内、ハゲンチとノームは資金調達の御仕事を。そして、ハルファスは祭壇の準備と再生の儀式を行う地を護る為の壁……霊的な意味で言う壁なので、その場に実際に壁を作っている訳では有りません。その壁を構築する為に現地に残っているので、現在の俺達を実体化して護って居るのは、ウィンディーネとサラマンダーの二柱の式神と成っています。
う~む。ただ、こう、多方面に戦力を分散させると、流石に各所の戦力が低下しますか。
これは、俺やタバサの護衛専用の式神を用意する必要が有ると言う事ですね。
それと、未だ焚き火の番の時間には成っていないのですが、何故か、俺の目の前には、俺と同じように竜殺し殿が座っています。
そう。その視線は、焚き火の炎を見ているのか、それとも俺を見ているのかは判らないのですが、妙に上機嫌な雰囲気を纏って……。
もっとも、コイツのバイオリズムは、むしろこれからの時間帯の方が好調を指し示す時間帯と成るので、上機嫌となるのは仕方がない事だとは思うのですが。
彼は、夜の子供たちの王だと思いますから。
まぁ、良いか。少なくとも、今のトコロ、ヤツから悪意のようなモノを感じる事など有りません。
それに、人間と違って、ヤツら、真の貴族と言う連中は、闇討ちなどと言う方法を取る事はあまり有りません。もしもそんな事を行った事がヤツらのコミューンに知れ渡ったら、それが自らの名誉を著しく傷付ける事と成りますからね。
彼らに取っては、名誉とは非常に重要な事です。おそらく、人間の貴族よりも。
おっと、ジョルジュくんとの話を開始するその前に……。
【シルフ。タバサにだけ音声結界を施して、余計な雑音で目を覚まさせないようにしてやってくれるか】
一応、【念話】にて、シルフにそう依頼する俺。
それに、もしかすると、これから先は、タバサには聞かせられないボーイズ・トークが出て来る可能性も有りますから。
ここは慎重に事を運ぶ必要が有ります。
「なぁ、何で、こんな無駄な事を俺にさせているんや?」
シルフの音声結界がタバサに対して施されたのを確認した後に、そうジョルジュに話し掛ける俺。
一応、微妙な関係の相手なのですが、それでも、今のトコロは問題ないでしょう。
そう思い、最初から疑問だった事をジョルジュに聞いてみる事にしたのですが。
それに、コイツや、コイツの一族の能力ならば、駆け出しの仙人……いや、未だ道士程度ですか。地仙と言うにも少し遠いな。道士のタバサや、龍種とは言っても、人間の姿形から変わる事の出来ない俺に、こんな事をやらせても意味は有りません。素直に自らが手を下せば済むだけの話です。
もっとも、焚き火に照らされたヤツの顔の微妙な陰影が、俺を妙に不安にさせて、こんな、しょうもない事を聞く気になった可能性も否定出来ないのですが。
「最初から言って有るように、大して意味は有りません。
そもそも、王家の命によって集めていた香木ですから、今回の再生の儀式に使用しなければ、また数百年後にまで眠らせて置くだけ品物です。
まして、タバサ嬢に市場に出回っている香木を、期日までに集める手段は無かったでしょう」
確かに、タバサには無かったのは事実です。それに、市場に香木が出回っている量も、おそらく、フェニックスが再生する為に必要な祭壇を組み上げられる程の量が出回っているとも思えませんから。
「それとも、何か無理難題を申し上げた方が良かったのですか?」
妙に気分のノリが良いのか、あの決闘騒ぎの時と比べるとかなり饒舌となった竜殺し殿が、そう聞き返して来た。
もっとも、あの場には俺以外にも多くの人間が存在していたので、この国……いや、トリステインでの異端扱いと成りかねない発言を、お互いに交わす事が出来なかったと言う理由も有って、言葉が少なかった可能性も有るのですが。
「無理難題と言うのは、香木を市場価格よりも高値で売りつけるとか、宝石や貴金属との交換を要求して来るとか言う話か?」
それ以外の無理難題で、その上、こちらが実行可能な事と言う物がイマイチ思いつかないので、一応、そう聞き返してみる俺。
尚、その理由に関しては、この任務を失敗させて仕舞うと、そのフェニックスや導く者と交わしたと言う古の盟約と言う物にヒビが入って仕舞い、結局のトコロ困るのは、俺やタバサでは無く、ガリア王家やコイツの実家の方と成るはずですから。
「いえ。貴方を私の家来に差し出せ、と言うのが一番面白かったと思いますよ。
高位の韻竜を配下に持てば、私の格も上がりますからね」
……成るほど。確かに無理難題かな。その上、俺の正体についても感づいていやがる。
これは、見鬼の才などでは無く、ちゃんとした見鬼が行えると言う事なのでしょう。
見鬼の才だけでは、単に普通の人に見えないモノが見えると言うだけです。これをちゃんと訓練して、相手の正体を見極める能力が見鬼と言う技術です。
これを身に付けると、人間に擬態した何者かの正体を見極める事も出来るように成ります。
当然、その相手の擬態する能力が、見鬼の能力を上回ったら判らないですし、一度も出有った事もない存在や、知識としても知らない存在ならば判らないのですが。
そして、ヤツは韻竜と言う言葉を口にしました。タバサから聞いた話に因ると、韻竜と言うのは、この世界に於ける俺のような存在を指す言葉らしいです。
但し、既に絶滅したと言われているらしいのですが。
もっとも、ジョルジュが出会った事が無ければ、俺の正体。人に擬態した龍と言う事を見破れる訳はないので、もしかすると、眼前のコイツのように、何処かには存在しているのかも知れませんが。
完全に、人に擬態して、人間として人の社会に溶け込んだ俺と同じような存在が。
「せやけど、俺の正体が判っているのなら、龍種が、簡単に膝を屈するような種族ではない事も知っていると思うんやけど、どうなんかいな」
俺は、先ほどまで考えていた事をオクビにも出す事なくそう答える。
それに、そもそも、タバサの方の理由……あのランダム召喚が魔法学院の進級試験で、俺が彼女の使い魔に成らなければ彼女が退学する事に成る、と言う事実が無ければ、俺は使い魔に成る事など有りませんでした。
そんな中で、如何な貴族……夜の一族の王たる種族の一員で有ったとしても、俺に膝を屈せさせる事はかなり難しい事に成ります。
おそらく、もう一度。今度は双方、己の矜持を掛けての戦闘が行われる必要が有ると思いますね。
そして、再びの戦闘でも俺は勝利する心算ですから。
如何な夜魔の王とて、龍と相対して勝利するのは難しいでしょう。
龍とは大自然の化身。ここで簡単に膝を屈したら、御先祖さんに顔向けが出来ませんからね。
「ひとつ、私からの質問もよろしいでしょうか?」
何が楽しいのか、さっぱり理由が判らないのですが、妙に上機嫌な雰囲気で、竜殺し殿がそう問い掛けて来た。
う~む。矢張り、コイツのバイオリズムは夜の闇が濃くなれば濃くなる程、良く成って行くと言う事なのでしょうね。
「まぁ、俺が答えられる範囲内ならばな」
俺は、そう答える。
尚、俺のバイオリズムは別に陽光に左右される訳ではないのですが、俺自身に取って、睡眠が非常に重要な行為である以上、夜警の仕事にはあまり向いている生命体では有りません。
もっとも、その程度で不機嫌になると言う程のモノでもないのですが。
「貴方は、タバサ嬢と寝食を共にしているのですが、本当のトコロ、どうなのです。
平静を保って居られる物なのですか?」
……って、いきなり、何を言い出すのですか、この夜魔の王は?
少し、虚を突かれて冷静さを失い掛けた俺ですが、しかし、出来るだけ平静を装いながらひとつ深く呼吸を行う。
一瞬、会話が途絶えた。周囲は夜と、思い出したかのように小さく爆ぜる焚火の気配にのみ支配された。
………………。
……大丈夫。この程度の乱れなら夜気と炎の気を深く吸い込み、身体を循環させる事で立て直す事は出来る。
流石に、夜魔の王との会話ですから、冷静さを失っては、どんな呪を掛けられるか判ったモノでは有りませんから。
「これが、この世界のルールだと最初に言われたからな。
それに俺の能力では、離れた場所で眠っているタバサを護る方法はない。俺の式神達からは、ふたりが同じ場所に居る事が前提ならタバサも同時に護るが、タバサ一人を護るのは、使い魔としてのオマエの仕事だと言われて仕舞った」
ただ、式神達は、半ば面白がってそう言っているとも思うのですが、タバサを護るのは、使い魔としての俺の仕事の一番重要な部分で有るのは事実ですから。これを他人に任せる訳には行きません。
しかし……。
「少しの欺瞞が見えますね。私は、平静を保って居られるのか、と問い掛けたのです。
何故、同じ部屋で寝食を共にしているのか、と言う理由を問うた訳では有りません」
かなり冷静な判断で答えを返して来るジョルジュ。そして、何故か、探偵と真犯人との会話を彷彿とさせるシーン。
しかし、巧妙にすり替えてやろうかと思ったのですが、流石に簡単に回避はさせて貰えないみたいです。
ならば……。
「ならば聞くが、魔法、剣術、共に重要なモンはなんや?」
そう、逆にジョルジュに対して問い掛ける俺。
但し、質問に対して、質問で返すのは、あまり良い事ではないのですが。
「成るほど。共に、精神をコントロールする術を学ぶ技術ですね。
故に、彼女のような魅力的な少女の傍に居ても精神をコントロールする術を持っていると」
ジョルジュはそう答えた。
成るほどね。何にしても頭の回転の速い人間は助かる、と言う事です。イチイチ細かい説明まで為す必要がないですからね。
「俺は、師匠に激しい感情に乱される事を戒められている。
更に、智を貴び、常に学び続ける事も重要だと教えられている。
そして、剣を振るい、心身を鍛える事を貴び、しかし、粗暴に成る事を戒められている。
この教えを守る事が、俺と師匠の約束やからな。目の前……それも、手を伸ばせば届く位置にどんな相手が現れたトコロで、この教えを破る訳には行かない」
そんな事を行うと、俺と師匠の絆を自らが断って仕舞う事と成りますから。
俺が、俺の故郷に帰るには、この師匠との絆は重要です。まして、この教えに背けば、道を外した事となり、俺自身が邪仙化する可能性も否定出来ません。
少し、会話が途切れる。そして、その空白を、再びの夜の静寂が覆い尽くして仕舞った。
……タバサは完全に意識を夢の世界へと旅立たせているな。
彼女の置かれている状況から考えると、父親が暗殺され、母親の状態が正気では無くなってからは、彼女が深い眠りに就く事は無かったと思う。
但し、今は、深い眠りに就いている。
これは、俺が彼女と契約を交わさせた水の乙女や森の乙女。そして、花神の存在が大きいと思います。
その理由は、タバサの身に危険が迫った事に式神達が気付けば、彼女らと霊的に繋がったタバサに、危険が迫った事を報せる事に成っているはずですから。俺も、そう言う約束を式神達と交わしているから、この部分は間違い有りません。
つまり、何時でもタバサ自身が気を張っていなければならい事は無くなった、と言う事です。
父親が暗殺され、母親も毒を盛られた少女が、自らの身を護る為には、常に気を張って生きて来たと思います。
自らと、正気を失った母親の生命を護る為に。
もっとも、彼女の式神たちが信用されているので有って、俺が全幅の信頼を得ている訳ではないとは思うのですけどね。
まったく信用されていない訳ではないとは思いますが、余り、自らの存在を過度に考えるよりは、この程度の認識で居た方が良いでしょう。
まぁ、と言う訳ですから、タバサに聞かれる心配は現在のトコロは有りません。
ならば、
「なぁ、ジョルジュさん。ひとつ、質問が有るんやけど、良いかいな」
後書き
それでは、次回タイトルは『襲撃』です。
何故か、戦闘シーンが続きますが。
追記。
それにしても……。ハーレムの定義が曖昧なんですが、入れて置いた方が良いのでしょうかね。
更に、主人公最強も。
主人公の能力が高い設定なのは、敵と成る連中が強すぎるので、流石に、一般人から始まるのでは、余りにも御都合主義的と言うか……。神から選ばれて、全てを滅する、と言う能力でも授けられない限り無理な奴らを敵に回すから、なのですが。
神様から選ばれるのがオッケーならば、もっと楽なのですが、それでは物語の大前提が崩壊しますから。
ハーレムに関しては……。輪廻転生を扱うので。
ネタバレに成りますが、主人公の前世は一度や二度じゃないですよ。つまり、その転生して来た回数だけ、微妙な人間関係が存在すると言う事ですから。
まして、一度ぐらいの転生で、物語中で描かれている能力を得る事は出来ないでしょう。
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