亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第九十二話 改革へ
帝国暦 486年 9月20日 オーディン 新無憂宮 オイゲン・リヒター
「どういう事かな、リヒター」
「さて、私も同じ事を卿に聞きたい気分なのだがな」
私の答えにブラッケがフンと鼻を鳴らした。さっきからしきりに周囲を見渡しては溜息を吐いている。少しは落ち着け。
もっともブラッケがソワソワするのも分からないでは無い。夜遅く新無憂宮に呼び出され南苑に通されれば誰でも驚くだろう。南苑は皇帝が私生活を過ごす場だ、本来廷臣が足を踏み込める場所では無い。つまり我々は非公式に呼び出されたという事になる。
呼び出された理由は何か、何故南苑に通されたのか……、ブラウンシュバイク公とはこれが初対面と言うわけではない。公からの依頼で一度改革について話をしている。まだ女帝陛下が公爵夫人で有ったころだ……。反応は良くも無ければ悪くもない、そんな感じだった。そして同時期にリッテンハイム侯からも改革について問い合わせを受けている……。
その二人が今国政の頂点に居る。多分改革についての話だろうが家具、調度の見事さが更に不安感を煽る。どうにも場違いな場所に居る……。またブラッケが溜息を吐いた。思わずこちらも溜息が出る。どんな話になるのかは分からないがさっさと要件を済まして帰りたいものだ。
「待たせた様だな」
ドアが開いて男が入ってきた。間違いない、ブラウンシュバイク公だ。その後ろを女性が付いてくる。女帝陛下だ、ブラッケと顔を見合わせ慌てて椅子から立ち上がり頭を下げた。
「それでは話が出来ん、座ってくれ」
公の声が聞こえたが、だからと言って“はい分かりました”と座ることなど出来ない。二人が座るのを待って五つ数えてから頭を上げて座った。ブラッケも一拍遅れて座る。
「二人とも初めてだな、女帝陛下だ。わしにとっては家の中で主君であったのだが最近では家の外でも主君であらせられる。二十四時間、頭の上がらぬお方だ」
公が笑い声を上げ女帝陛下も苦笑している。多分冗談なのだろうがとても笑う事など出来ない。私もブラッケも顔を引き攣らせているだけだ。もしかすると笑っているように見えるかもしれない。
「アマーリエ、二人を紹介しよう。カール・ブラッケ、オイゲン・リヒターだ。この二人は帝国には社会改革が必要だという開明派でな、元は貴族であったが今ではフォンの称号を捨てている。昔はどうにも変わり者だと思ったが、最近では先見の明が有るのだと感心している。革命が起こっても殺される事は有るまい、我らと違ってな」
答えに窮していると女帝陛下が公を窘めた。
「貴方、二人が困っておりますよ。ヘル・ブラッケ、ヘル・リヒター、夜遅く、苦労をかけます。夫の冗談を悪く取らないでくださいね」
女帝陛下が目で謝罪してくる! 勘弁してくれ!
「そのような事は……、カール・ブラッケでございます」
「オ、オイゲン・リヒターでございます」
しどろもどろの我らの挨拶に女帝陛下は軽く笑みを浮かべて頷いた。やはり育ちが違うな、自然と頭が下がってしまう。
「本来ならリッテンハイム侯も此処に来るはずだったのだがな……」
公が幾分表情を曇らせた。どうやらリッテンハイム侯は改革に反対らしい、だとすると改革の実現は難しいのかもしれない。ブラッケに視線を向けると彼も同じ思いなのだろう、眉間にしわを寄せている。
「地球教の件で手が離せんのだ、済まんな」
「はあ」
拍子抜けした。ブラッケも顔から力が抜けている。地球教か……、確かにリッテンハイム侯は内務尚書だ、担当者ではあるが……。
「そのように厄介な相手なのでしょうか? 既にオーディンでは支部も壊滅しあとは地球制圧だけと伺っておりますが」
私の問いかけに公が顔を顰めた。女帝陛下も憂欝そうな表情をしている。どうやら私の考えは浅はからしい。
「日に日に厄介さ、おぞましさが増してくる。なんとも薄気味悪い連中だ。あの連中、何をしていたと思う」
「……何をと言われましても」
「地球教の信者にサイオキシン麻薬を与えていた」
「サイオキシン麻薬?」
私の言葉にブラウンシュバイク公が頷く。ブラッケに視線を向けた、ブラッケは呆然としている。
「しかし、何のために? そのような事をすれば信者を徒にサイオキシン麻薬の中毒患者にしてしまいますが……」
気を取り直して問いかけたブラッケの言葉に公が頷き笑みを浮かべた。何処か怖い様な笑みだ。
「ヘル・ブラッケの言う通りだ。信者はサイオキシン麻薬の中毒患者になってしまう。そのうえで洗脳する……」
ブラウンシュバイク公が何を言ったのかよく分からなかった。ブラッケと顔を見合わせたが彼も困惑したような表情をしている。止むを得ず公と女帝陛下の顔を交互に見ながら問いかけた。
「洗脳、ですか?」
「そうだ、洗脳だ。最近の宗教は人を救う事よりも人を奴隷、いやロボットにする事を選ぶらしい。ロボットは文句を言わんからな。善悪の判断もない、命じられたことを実行するだけだ。まあ悩みが無くなって良いのかもしれん、救いと言えば救いだな。どうだ、便利だろう」
ブラウンシュバイク公が笑っているが私には笑うことは出来ない、ブラッケも顔を強張らせている。
「貴方、笑うのはお止めになって。お二人が困っていらっしゃるわ。第一不謹慎です」
公を窘める女帝陛下の言葉によく分からないうちに頭を下げていた。
「そうだな、笑いごとではないな……」
ブラウンシュバイク公が笑うのを止めた。そして深い溜息を吐く。
「連中、反乱軍、いや自由惑星同盟でも同じ事をしていた。自由惑星同盟でも皆連中のおぞましさに震え上がっている。最近ではわしはトリューニヒト委員長、シトレ元帥の両名と随分と親しくなったような気がするよ。あのおぞましい連中に比べれば彼らは叛徒かもしれんが人間だからな、地球教の化け物よりはましだ」
疲れた様な口調だ。いやブラウンシュバイク公は間違いなく疲れているのだろう。女帝陛下も痛ましそうな目で公を見ている……。しかし何時までもこうしては居られない……。
「……それで、我々を此処へ招かれた理由ですが……」
「うむ、そうだな、ぼやいていても始まらんな」
ブラウンシュバイク公が女帝陛下と顔を見合わせた。陛下が頷く、それを見て公も頷いた。公が我々に視線を向ける、強く、そして厳しい視線だ。ゆっくりと口を開いた……。
「以前改革案を貰ったな。それを実施しようと考えている」
ブラッケに視線を向けた。彼も私を見ている。瞳に有るのは喜びと不安だ。ブラウンシュバイク公は何処まで本気なのか……。また何故改革を行うのか、確認しなければならない。
「その理由は?」
私の問いかけにブラウンシュバイク公は沈黙した。視線を伏せ俯き加減に考え込んでいる。
「ブラウンシュバイク公……」
ブラッケが問いかけたが肘を掴んで止めた。ブラッケが私を見る、首を振って止めるとブラッケは強い目で私を見たが不承不承口を噤んだ。
一分、二分……、どのくらい経ったか、五分程も過ぎた頃だろうか、公が顔を上げた。
「以前から改革が必要だとは考えていた。だがどう進めればよいか正直迷っていた。しかし地球教の所為で迷っている暇はなくなった。このままでは帝国は連中に潰されるだろう……」
「まさか……」
「事実だ、リヒター。……帝国は連中に間違いなく滅ぼされるだろう。帝国は悲惨な状況になる」
嘘ではないだろう、公の声は悲痛と言って良かった。そして女帝陛下は無言で公に寄り添っている。
「帝国は今不安定な状況にある。例のカストロプの一件で平民達の不満はかつてないほど高まっている。……リヒテンラーデ侯が死んでくれたのは幸いだった。そうでなければ暴動が起きていたかもしれん」
首を振りながら話すブラウンシュバイク公に頷いた。否定はできない、あのカストロプの一件にはどんな人間でも怒りを覚えるだろう。あれほど権力者の身勝手さが露わになったことは無い。
「地球教は帝国でも自由惑星同盟でも排撃されている。連中には行き場は無いのだ、となれば生き残るために何をするか……。卿らにも簡単に想像がつくだろう」
なるほど、そう言う事か……。念のために口に出して確認してみた。
「つまり平民達を使嗾し、国内を混乱させるというのですな」
そうではない、と言うようにブラウンシュバイク公は首を横に振った。
「混乱で済むかな、リヒター、その見方は甘いだろう。連中が狙うのは革命のはずだ。何らかの形で政府、或いは貴族と平民を衝突させる。その後は両者を煽り……いや煽る必要もないかもしれん。お互いに恐怖から勝手に衝突をエスカレートさせるだろうな。行きつく先は革命だ」
黙っているとブラウンシュバイク公が言葉を続けた。
「革命が終わった後、地球教がどうなっているか……。或いは生き残っているかもしれんな。誰にも気づかれないように細々と生き残っているかもしれん。だが我々は如何だろう、まず間違いなく滅んでいるだろうな」
ブラッケがチラッと私を見た。
「……リッテンハイム侯もそうお考えなのですな。地球教の策動を防ぐために、滅ばぬために改革が必要だと」
「そうだ、同じ考えだ、ヘル・ブラッケ。帝国を守り繁栄させるには、我らが明日を生きるためには改革が必要だと考えている」
ブラッケがまたチラッと私を見た。
「他の貴族達はどう思うでしょう?」
「改革には反対するだろうな。しかし彼らの事は気にしなくて良い、こちらで対処する。平民達の不満を解消するには何から始めれば良い」
「……」
気にしなくて良いか……。それなりの対策が有るという事だな。ブラッケと顔を見合わせた。彼の目に力が籠っている。どうやらこちらも性根をすえて取り掛かる必要が有るようだ。
「分かりました、では先ず……」
宇宙歴 795年 9月24日 第一特設艦隊旗艦 ハトホル ジャン・ロベール・ラップ
ようやく第一特設艦隊が巡航艦パルマと合流した。もうすぐ連絡艇でヴァレンシュタイン提督がハトホルに戻られるだろう。提督の帰還を聞いて旗艦ハトホルの艦橋にはホッとした様な空気が流れている。皆の表情、雰囲気には緊張は見られない。
我々にとってはフェザーンと地球の関係も気掛かりだったがそれ以上にヴァレンシュタイン提督の安否が気掛かりだった。だがそれもようやく終わる。提督がこの艦に戻れば安心だ。チュン少将もようやく安心したのだろう。周囲に笑顔を見せている。
この一週間、特設第一艦隊の司令部は気が気ではなかった。ヴァレンシュタイン提督にもしもの事が有れば一体我々はどうなるのか……。最悪の場合は艦隊の解体という事も有り得る。それでは一体何のためにこれまで訓練をしてきたのか分からない。ようやく艦隊として機能し始めた第一特設艦隊が何の意味もなく消滅してしまう。
ヴァレンシュタイン提督が旗艦ハトホルの艦橋に現れたのは巡航艦パルマが第一特設艦隊に合流したと報告が有ってから三十分程経ってからだった。副官のミハマ中佐、ローゼンリッター、それと見慣れない同盟の軍人達、さらに銀河帝国のレムシャイド伯、そして憔悴した様子のフェザーン自治領主ルビンスキーが一緒だった。
「閣下、御無事でのお戻り、心からお慶び申し上げます」
チュン参謀長が敬礼と共に無事を喜ぶと皆も一斉に敬礼した。提督が答礼をする。
「心配をかけた事、謝ります」
「以後はこのような事はなさらないでください。閣下のお命は閣下御一人の物ではないのです。余りにも無謀過ぎます」
チュン参謀長がヴァレンシュタイン提督に注意をした。少し緊張している。参謀長だけではない、皆も緊張している。年が若いとはいえ相手は上官なのだ、機嫌を損ねるのではないかという懸念が有る。
「有難う、以後は気を付けます」
皆の緊張が解けた。何人かが顔を見合わせ頷いている。安心したのだろう、ヴァレンシュタイン提督は自らの非を認め素直にチュン参謀長の忠告を受け入れてくれた。峻厳と言われる提督だが他者の忠告を受け入れない方ではない、それが確認できたのが嬉しいに違いない。俺も同感だ、他者を責めるだけで自分の非を認められないなど暴君以外の何物でも無いだろう。
その後、ヴァレンシュタイン提督が一緒に艦橋に入って来た人間を紹介してくれた。見慣れない同盟の軍人はフェザーン駐在武官のヴィオラ大佐とその部下達だった。ミハマ中佐に部屋の割り当てを命じると提督はチュン参謀長に問いかけた。
「戦闘訓練の結果は如何ですか」
「はっ、当初予定した戦闘訓練メニューは半分が終了しています」
止むを得ない事だ、提督を迎えに行くために訓練は中断された。そして結果は必ずしも良いとは言えなかった。相手は正規艦隊だったのだ、元々の練度が違う。チュン参謀長の表情も決して良くない。
「そうですか、後で訓練結果の映像を見せてください」
「承知しました」
多分提督は顔を顰めるに違いない。しかし提督はハイネセンに戻らざるを得ない。訓練は戻ってからハイネセン近郊で行う事になるだろう。司令部ではそう見ている。
「私に何か連絡が入っていますか」
「第一特設艦隊には帰還命令が出ています。それとトリューニヒト国防委員長、シトレ元帥から連絡が欲しいと」
「なるほど、他には」
普通は此処で直ぐ連絡をするものなんだがな。こんな事は慣れているのかもしれない。
「ワイドボーン提督、ヤン提督より戻り次第連絡が欲しいと、会って話がしたいそうです」
「……他には」
少し顔を顰めたな。どうやら厄介だと思っているのかもしれない。多分後回しだな。
「情報部のバグダッシュ准将より連絡が有りました。戻られたら連絡が欲しいと」
提督が考えている。はて、何か引っかかるものが有るのか……。
「他には何か有りますか」
「いえ、有りません」
「そうですか、……私は部屋に戻ります。ワイドボーン提督、ヤン提督には明日、ハトホルで会いたいと参謀長から伝えてください」
「承知しました」
やはり後回しか。残念だったな、ヤン、ワイドボーン。それにしても提督が気にかけたのはバグダッシュ准将からの連絡だったな。情報部か、一体何が有ったのか……。
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