木の葉芽吹きて大樹為す
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萌芽時代・抱負編
頑健な肉体を持って生まれてくる千手一族はその反面、子供が生まれ難い一族だった。
私や扉間は、長である父上が壮年に差掛かってから生まれた待望の子供であり、私や扉間が成長するにつれ、父上は第一線を徐々に退き始めていた。
――――最近では、私と扉間の二人が一族の指揮を執る事が多くなっていた。
水の国の大名から領地を荒らす敵国の忍び一族を討滅して欲しいとの依頼を受け、それを果たして集落に戻った。そして入れ替わりに、現頭領である父上に熟練のくのいちである母上を含めた千手の忍び達が任地に向かってから、数日。
次期頭領として、長の代理として、千手を任された私は特に何かをする事もなく、ミトと共に座敷で寝転んでいた。
ここ最近、任務に明け暮れる日々を送っていたせいか、今日の様に何も無い一日が無性に恋しかった。
戦場で燃える炎や、鉄臭い血と錆の匂い、親を求めて泣き叫ぶ子供達の声。
それら全てから解放されて、私は久方ぶりの泡沫の日々の中を、ただただ微睡んでいた。
「……柱間様、お疲れのようですね」
「まあね。ここ最近、激戦区ばかりに行かされたからね」
寝転がったせいで乱れた髪を、ミトが櫛で梳いてくれる。
集落の見張りには木分身達を向かわせているおかげで、本体の私はこうして怠けられる。
「いいなぁ。柱間様の黒い髪。私もこんな派手な色じゃなくて、柱間様の様な髪が良かった」
「ええ〜? ミトの髪は綺麗だよ。何より、オレの一番好きな色だし」
うずまき一族特有の、強い生命力を象徴する様な鮮やかな赤い髪。
その髪をそっと指で透きながら嘯くと、お行儀が悪いと言わんばかりに叩かれた。
「もう! 確かに柱間様は他の殿方よりも勇ましくお強い御方ですけど、女子の身なのですから、もう少々言動にはお気をつけ下さいませ!」
ミトは家族同様、自分が女の身である事を知っていて、今では私を女扱いしてくれる数少ない人物である。
私自身、自分の性別が曖昧になる事が多いから、そう言った意味では本当に助かっています。
「――にしても、嫌な雨だな」
「そうですね……。ずっとこの様な日ばかりが続いて……」
窓の外で降り注ぐ雨音を聞きながら小さく呟けば、ミトが同意する様に首肯した。
どんよりと曇った雲の隙間から、無数の雨が降り注ぐ。
父上が一族の者達を連れて旅立って以来、ずっとこんな天気だ。
見回りに行っている木分身達に同情する。こんな雨の中、わざわざ好き好んで濡れ鼠にはなりたくないよ。
にしても、本当に静かな日だ。
雨が地面へと降り注いでいる音以外、他に何の音も聞こえない。
静かで、静かすぎて、それが何故か不安を掻き立てる。
「早く……、頭領が帰って来られると良いですね」
「そうだな」
同じ事を思ったのか、ミトが小声で囁いてくる。
ミトの言う通りだ。早く父上や母上が帰ってくると良い――そうすればきっと、この嫌な感じは解消されるだろう。
――……嫌な雨が降る、十五歳の日だった。
*****
日中ずっと降り注いでいた雨脚がようやく和らいで、本降りから小雨へと変わり始めたのが、夕方に差掛かる頃。
不意にそれまで静かだった集落がざわつき始め、私は先程まで手入れをしていた刀を置いて、ミトと共に騒ぎの中心へと向かった。
「――どうした! 何があった!?」
「兄上!」
「柱間様!!」
一族の者達が出入りに使っている集落の門の一つの前に、一族の者達が集まっている。
嫌な予感がして、人々の間を掻き分けて、押し進んだ。
「扉間、一体何が……!」
思わず、目を剥く。
目の前にいたのは、数日前から父上や母上と共に任地に向かっていた一族の中でも、手練で知られる忍者だった。
その彼が、全身大火傷を負った状態で、同じ様に大怪我を負った仲間に支えられてぐったりしている。
直ぐさま我を取り戻して、治癒を始める。本来ならば、然るべき場所に移してから行うべきだろうが、怪我の状態が状態なだけにそんな事を言っていられない。
「――ミト! お前は邸に戻って医療道具を持って来てくれ! 他の者達はこの二人のために部屋を用意しろ!!」
殆ど怒鳴る様にそう叫べば、ミトは見開いていた瞳に力を取り戻して、邸の方へと走り出す。
遅れて、一族の者達でも一際足が速い者達が怪我人のための部屋の準備をすべく走って行く。
「……申し訳、ありません。柱間様……」
「喋るな! 話が有ればもう一人に聞く! 今は大人しく治療されておけ!!」
どれだけ高熱の炎に焼かれれば、この様な悲惨な怪我を負えるのだろう。
ましてやここ数日の天気はずっと雨だった。並大抵の忍者の扱う火遁では、湿気の強いこの空気の中で火遁を発生させる事だって出来ないだろう。
「感知系の者達は、直ぐさま探索に入れ! もしかしたら二人の後を追って来ている者が居るかもしれない! 医療忍術に長けた者は応急処置をした後の二人を任せるからその準備を! あと、念のため非戦闘民を一カ所に集めておけ!!」
「はい!!」
今まで一人だって、怪我人を死なせた事は無かった。私が治療すれば、死の淵にいる者だって現世へと戻って来たんだから、今回だって大丈夫だ。
その自信に支えられ、周囲にいる一族の者達に治療片手に指示を飛ばす。
……よし、応急処置は済んだ。
「柱間様、部屋の準備ができました!」
「わかった! こっちはもう大丈夫だ。爛れていた肌の治療と、傷ついた臓器の再生を行った」
「はい!」
引き戻して来た一族の者達に、大火傷を負った忍びを任せて、私はもう一人へと向き直る。
傷ついた仲間を担いで、必死に走って集落まで戻って来たのだろう。私が治療を行っている間、仲間から一瞬たりとて目を離さなかった彼は、もう大丈夫だと知ってぼろぼろと涙を零した。
「今度はお前の番だ。先の奴よりも軽症とはいえ、お前だって怪我人なんだ。大人しくしていろ」
「うぅ……っ! すみません、柱間様。本当にすみません……!」
肋骨が数本砕かれ、全身に刻まれた裂傷……左の腕なんて筋が切られている。
そして先の忍び同様、彼の体のあちこちに火傷の痕があった。
この傷で、よくぞここまで負傷した仲間を担いで走って来れたものだ。
「よく頑張ったな……。お前のお蔭であいつはもう大丈夫だ。流石のオレも、死者を生き返らせる事は出来ないからな」
「死者……。そうです、柱間様。お伝えしなければ……!」
動く右腕を必死に動かして、彼は私の右腕を掴む。
ぎらぎらとした輝きの両眼に射すくめられ、私は何故か自分の耳を塞ぎたい衝動に襲われた。
「我々は、任務中に敵方の忍びの集団の襲撃を受けたのです……!」
必死に紡がれる言葉に、その場に残っていた一族の者達も医療道具をもって走り寄って来たミトも、動きを止める。
降りしきる雨音に吸い込まれない様に、彼は必死に声を張り上げる。
――気付けば治療は既に完了していて、私は自身の腕を掴んでいる彼の手に自分の手を重ねていた。
「今回の、雇い主の敵方に当たる者達が雇った忍びで……、我々は応戦したものの……」
苦しそうに、慚愧の念に耐えかねる様に彼の表情が歪む。
「頭領を始めに、奥方様……ならびに俺達以外の一族の者は……皆、やられました」
絞り出された声に、扉間やミトを始めとする一族の者達が一斉にざわめく。
頭領は私の父上、奥方様は母上の事だ……私の両親は彼の言う事が正しければ敵に殺されてしまったのか。
「待て! まだ父上や母上が亡くなったと断じるには早すぎるのではないか!」
悲鳴の様な声が隣の扉間から上がる。弟の叫びに呼応する様に、他の者達も次々に同意の声を上げた。
「俺だって……! 俺だってこんな事言いたくない! でも、見たんだ!」
俺達が逃げられる様に前に出た頭領が、首を刈り取られたのを……!
頑健な千手一族と言えど、首を切り落とされてしまえば即死だ。
一族の者達が息を飲み、ミトが膝から崩れ落ちる。扉間の口の端から、押し殺した憤怒の声が漏れた。
「相手の特徴を覚えているのか?」
「黒髪に、赤い目を持っていた……。それに、鎧に刻まれた『うちわ』の家紋……」
「写輪眼の、うちは一族じゃな。“千の手を持つ一族”と呼ばれる我らに対抗出来る者と言えば、奴らしかおるまい」
千手の中でも長老格の忍びがそう言えば、一族の者達が次々に怒りの声を上げる。
そんな中で、私の心は恐ろしい程凪いでいた。
「……わかった。報告、ご苦労だった。敵の襲撃を受けた地点を覚えているか?」
一族の者達に彼の体を任せ、影分身を作る。……まずは、報告の真偽を確かめなくては。
「オレの影分身を襲撃された場所へと向かわせた。情報の真偽が判明次第、会合を開く。暫くは負傷者の看護や集落の警備を強化しておけ」
「――はっ!」
先に運ばれて行った一族の者からも話を聞いておかなければならない。
何か言いたげな扉間やミトの物言いた気な表情に気付かぬ振りをして、私は足を早めた。
「すみません、柱間様。お見苦しいところをお見せ致します」
「構わない。こちらとしても治療ついでにお前の話を聞きたいと思っていた」
先に運ばれて行った一族の忍びの元へと向かう。
千手の中でも医療行為に従事している者達が揃って私に対して頭を下げる中、先程まで大火傷を負っていた男は、私を見つけて頭を垂れた。
起き上がろうとするのを遮って、先程中断させた治癒の続きに入る。
部屋の中に居た者達に目配せをすると、心得た様に皆下がって行った。
「――……話は聞いた。お前達を……父上達を襲った襲撃者はうちはの者達で間違いないのか?」
「はい。移動中に奇襲を受け、我々二人を除けば皆……やられました」
――やはり……父上達の生存は絶望的なのか。
胸の奥から破って出てきそうな何かに必死に蓋をする。
声だけは嫌になる程、淡々とした響きを宿したままだった。
「ここ最近の雨天続きでよくぞここまでの火傷を作れたな。相手は余程の手練だったのか」
「そうですね。相手の数は我々よりも多かったのですが、その中でも群を抜いて異彩を放っていたのが……二人」
「二人?」
「ええ。うちは一族の、子供です。歳はおそらく扉間様と同じ位でしょう。その二人の兄弟が放つ火遁の術。この天気の中でも、これだけの威力を発揮しました」
全く、末恐ろしい子供がいるものだ。
そんな事を思いながら、治癒を終了する。体の隅々まで治療は終了したが、それでも傷を負った事での精神的な疲労は生半可な物ではないだろう。そのまま清潔な寝台の上に載せて、布団をかけてやった。
「……マダラと、イズナ。そう呼ばれておりました。おそらく、今後のうちは一族を担って行くのはあの二人で間違いないと思われます」
「分かった。報告感謝する。怪我は完治したとはいえ、疲労はたまっている。暫く安静しておけ」
「柱間様……いえ、頭領」
背中を向いた途端、頭領と呼ばれた。
振り向きたくなるのを必死に堪えて、殊更冷静な声で続きを促した。
「マダラ達兄弟は、あなたの事を知っている様でした。お父上……先代を殺したのもその二人です」
「……どうしてオレの名前が出てくる? 何を聞いた?」
「――先代の首を刈り取った後、兄の方……マダラが言っておりました。『千手の木遁使いの父と言えど、この程度か』と」
それきり途絶えた声に何かを返す事も無く、私は乱暴に部屋の扉を押し開ける。
――そしてそのまま、外へと飛び出した。
「はぁ……、はぁ……!」
とにかく目的なんて物は無く、走るだけ走った。
気が付いたら集落の外れにいて、こんな時でも一族を守る義務を忘れられない自分を嗤う。
雨が降っていて良かった。これなら泣いたとしてもそれを隠せる。
「は、はは……!」
父上が死んだ。殺したのはうちはで、相手は幼い子供だったという。
うちは、マダラ。うちはイズナ。
おそらくあの少年達で、間違いないだろう。
「とんだ、因果じゃないか……! 私が助けた、あの兄弟が、父上達を殺したのか……!!」
空に向かって、大きく吠える。
いままでずっと人を助けて来た事を、後悔した事は無かった。
甘いと言われても、そうすることを変えなかったせいなのか……! その報いがこれか。
ぐるぐると周囲が回る。吐き気がこみ上げ、あまりの怒りに歯を食いしばる。
どうしよう、本当にどうしよう。
今からうちはの集落に、攻撃を仕掛けに行こうか。
なに、いくら写輪眼所有者と言えど自分が引けを取る事はあるまい。
襲撃して、父上達の仇を取ってさっさと集落に返って来れば良い。
そうすれば、そうすれば――――。
「う、うぅ……っ!」
胃液が逆流して、強い酸味と苦味が喉を焼いた。
その場に膝を付いて、四つん這いで喘ぐ。なんてみっともない姿なのだろう。
扉間を始めに、誰にもこんな姿を見せられない――見せたくない。
折角ミトが綺麗にしてくれた黒髪が雨に濡れて、額に鬱陶しく張り付く。
乱暴に口元を拭って、雨のせいで霞んでいる世界を睨みつけた。
仇を取って、それでどうする。そんな事をしてどうなるのだ。
吐いた胃液が地面に雨と共に沁み込んでいき、地に置いた左手がぬかるみに指の跡を作る。短く切り揃えた爪の間に泥が入り込んだ。
全身を焼き尽くす様な怒りが、雨に打たれているせいか静かに冷えていく。
ふらつく足で地面を踏みしめながら立ち上がって、曇天に隠された太陽を仰ぐ様に――視線を空へと持ち上げた。
「違う、そうじゃないんだ……!」
七歳の頃からずっと胸を苛んでいた靄の正体がようやく分かった。
父上が殺されたのも、うちはの少年が父上を殺したのも、この世界を構成しているシステムが原因で生み出された“単なる悲劇”の一つに過ぎない。
この戦国時代を何とかして打破しない限り、この様な悲劇は何度だって続くし、その度に私の様に怒りに駆られて涙を流す者の数は増え続けるのだ。
任務で人を殺した事もある、何の恨みもない者に襲いかかられた事もある。
その度に、私は厭だ厭だと思いながらも、だからといって何かを為す事をしなかった。
戦場で傷ついた者を治して、感謝の念を告げられる事で誤摩化し続けて来た……その報いが来ただけなのだ。
「うちはの子供達ではない……! 本当に父上達を殺したのは、この世界だ……!!」
――――吠える。
曇天の向こうに隠された太陽を睨みながら、胸で渦を巻く靄を振り払う様に大声で叫んだ。
嫌ならば、嫌だと思うのであれば、見て見ぬ振りをする前にしなければいけない事が山ほどあったのに。
――そこまで思い至って、背後に誰かが立つ気配を感じた。
「姉者……! この様な所におられたのですか!」
「――……扉間、ミトまで」
雨に濡れるにも関わらず、傘の一本も差さずに私の弟妹達が肩で息をしながら背後で佇んでいた。
泣きそうに顔を歪ませたミトが、手にした白いタオルを頭へと掛けてくれる。
軽くそれで汚れた顔や手を拭いてから、心配そうにこちらを見つけてくる弟妹達の銀と赤の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
二人が驚いた様に肩を竦めて、上目遣いに私を見上げてきた。
「姉者……」
「柱間様」
「扉間、ミト。……オレは、いや、私は決めたぞ」
久しく使ってない一人称を使用すれば、驚いた様に二人が目を丸くした。
降り注ぐ雨の下、三人で向かい合う。様々な感情が入り乱れた瞳が私を見つめ返してくる。
「父上達は任務で死んだ。殺した相手も、任務で父上達を殺した――その事が分かるな? 真に報復すべき相手はうちはではないんだ」
「ですけど、姉者……!」
許せない、と弟の瞳が揺れる。
どうして私が仇を擁護する様なことを言うのか理解出来ない、とも。
「私はね、扉間。“任務だから仕方ない”という言葉だけで……恨んでいない相手を殺すのも、大事な相手を殺されるのも、もうごめんだ……!」
――だから、決めた。
もう前世の記憶も“千手柱間”の事などどうでもいい。オレは、私は、自分のしたい事をしてやる。
「変えてやろう、扉間。こんな世界、きっと間違っている。毎日の様に戦が起こり、忍びはそれに投入されては無為に命を散らして逝くのが当たり前なんて、そんなの私はもうごめんだ。そして、一族以外の人間には価値がなく、ただ一族だけを守れば良いと言う考えを持ったままでは、この戦国の世は終わらない……!」
ミトが小さく息を飲む。
心に巣くう激情を内に秘めた声は、私の心の内を象徴する様に熱を帯びていた。
「――手始めに、私は忍びの頂点を目指す。そうでもしなければ一族にも、それ以外の者達にも声は届かない。何も力が無いままでは、幾ら間違っていると叫んだところで世界に掻き消されてしまうだけだ」
千手の始祖は、平和には『愛』が必要だと説いたらしい。
その答えはきっと正解だけれども、それだけでは世界を変えられる程、強くも正しくもないのだ。
扉間が息を詰める。
そうしてから、強い輝きを宿した瞳で私の目を覗き込んだ。
「――――オレも協力致します。姉上の願いは、オレの願いでもありますから」
共に、今の世界を変えてやりましょう。
そう言って私の冷えきった手を握りしめてくれた弟に、辛うじて平静を装っていた顔がみっともなく歪むのを感じた。
次いで、重なった私達の手の上にもう一つの小さな掌が乗せられる。
掌の持ち主は私達の視線に気付いて、そっと微笑んでみせた。
「何の力も無い私ですけど、私もお二人と志しは同じです。もうこんな世界は私だってうんざりです」
非力な私ですけど、お二人の同志として迎え入れては下さいませんか?
そう言って、強い眼差しで私達を見つめる。
泣き出す代わりに、泣き笑いの表情を浮かべる。一人ではないと言う事実に、胸がじんわりと熱くなった。
「勿論大歓迎に決まっているだろ、ミト」
「共に頑張ろう、ミト」
私達は三人で顔を見合わせながら、笑った。
――その数日後。
連日降り続いた雨が上がり、父上達の葬儀が終わるのと同時に、私は千手の頭領を正式に襲名した。
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