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無印編
第二十話 後
クロノさんとなのはちゃんの模擬戦。いや、果たしてそれは模擬戦と呼称してもいいものだろうか。
『さあ、始めよう』
そう呟くように口にしたなのはちゃんは、リンディさんの「待ちなさいっ!」という制止の声も無視して、クロノさんから距離を取るようにはるか上空へと飛び立った。それを見て、なのはちゃんの変身ともいうべき変化に呆然としていたクロノさんも、なのはちゃんがやる気満々なのを見て、意識を切り替えたようにカード型のデバイスをなのはちゃんのレイジングハートのように杖に変化させて、構えた。
クロノさんが戦う体勢に入ったのを見て、大人になったなのはちゃんはクロノさんを上空から見下しながら笑っていた。それが楽しいことのように。おもちゃを見つけた子供のように。
二人の間と僕たちにも緊張感が漂う。次になのはちゃんが何をするか分からないからだ。もう、クロノさんは自分から仕掛けるつもりはないらしい。管制塔では、固唾を呑んで、二人を無言で見つめ、エイミィさんがなのはちゃんが大人になった原因を探るためか、すごい勢いでキーボードのようなものを叩く音だけが静かに鳴っていた。
僕たちは動くことができなかった。あまりの事態に動揺しているというほうが正しい。何も考えられない。パニックで訳が分からないときは、頭が空っぽになるというが、まさしくその状態だった。それになにより何をしていいのか分からない。なのはちゃんの下へ向かうべきなのだろうが、なのはちゃんが戦っている訓練室の場所を僕は知らない。リンディさんに聞ける余裕があるとも思えない。よって、僕ができるのはここで事態の推移を見守ることだけだった。
不意に、その緊張感を破るようになのはちゃんがレイジングハートを掲げるように突き出す。その瞬間、レイジングハートを中心として展開される弾、弾、弾、弾。一つが二つ。二つが四つ。四つが八つという風に次々と増えていくなのはちゃんの魔法弾。昨日もシューティングゲームのような弾幕だと思ったのだが、今のなのはちゃんの弾幕は、それに輪をかけてすさまじいものとなっていた。
気がつけば、なのはちゃんの周りは、なのはちゃんが作った桃色の魔法弾で一杯。クロノさんの視点から見るスクリーンでは、空が二、魔法弾が八といった情景で、その中に一人佇む黒いバリアジャケットのなのはちゃんだけが異様さを醸し出していた。
『アクセルシューター、シュート』
水面のように静かな声で、指揮者のようにレイジングハートを振り下ろし、彼女の周りに浮かぶ魔法弾に命令を下す。その命令はおそらく唯一つだ。つまり、見下しているクロノさんを狙うことだろう。
僕の予想を裏付けるようにアクセルシューターといわれた魔法弾の数々は、一直線にクロノさんめがけて走り始めた。その弾速は、昨日の模擬戦で見たときよりも間違いなく速くなっていた。クロノさんの上空から振り下ろされた魔法弾が着弾するまでの時間は僅か。数秒あるかないかだろう。おそらく数百ものアクセルシューターが地面にほぼ同時に着弾した瞬間、アクセルシューターが爆発し、煙が訓練室の下のほうに充満すると同時に僅かだがアースラが揺れた。
「まさかっ! 結界で包まれている訓練室ごと揺らすほどの威力なのっ!?」
揺れることは予想外だったのか、リンディさんがモニターの中の光景を見ながら叫ぶ。それだけで、今のなのはちゃんの魔法弾の威力がどれだけ桁違いか分かろうというものである。
しかし、それだけの爆発に巻き込まれたはずのクロノさんは大丈夫なのだろうか。
だが、どうやら心配は杞憂だったようだ。爆発の際の煙の一部から飛び出してきた黒いバリアジャケットは間違いなくクロノさんだったから。あのアクセルシューターの中をどうやって掻い潜ってきたのか僕には分からないが、さすが執務官というべきなのだろうか。
必殺に近い魔法をかいくぐられてなのはちゃんも困っているのかな? と思ったが、違った。モニターの向こう側のなのはちゃんは煙の中から飛び出してきたクロノさんを見て笑っていた。まるで、それを期待していたように。どういうことだろうか。僕はあの魔法で蹴りをつけるものだと思っていたのだが。
煙から飛び出したクロノさんは一直線になのはちゃんに向かう。おそらく、接近戦で勝負するつもりなのだろう。なのはちゃんは基本的に遠距離から中距離の魔法を使う魔導師だ。僕が知る限りでは、なのはちゃんは近接での魔法を知らないはずだ。だから、クロノさんもそれを見切っての勝負なのだろう。
しかし、ここで先ほどの笑みが分かろうとは思わなかった。
一直線になのはちゃんの元へ向かっていたクロノさんの動きが止まった。その両手、両足には桃色の紐が動きを束縛するように絡まっている。あれは、僕が知っている魔法と同じであれば、バインドといわれる魔法である。なるほど、あの笑みの意味は、これだったのだろう。クロノさんが近接戦闘を仕掛けてくるところまで読んでいた。おそらく、いつものクロノさんなら気づいたかもしれないが、この状況で気づけ、というのも酷な話である。
そして、なのはちゃんは、バインドで身動きが取れないクロノさんに向けてすぅ、とレイジングハートの先端を向けた。クロノさんもバインドから抜けようともがいていはいるが、抜け出せる気配はない。
『いくよ、レイジングハート』
―――All right.My Master.
なのはちゃんの呼び声にレイジングハートは応える。それが引き金だったようにレイジングハートの宝石の部分を頂点として、環状魔方陣が展開されていた。
『ディバィィィィン』
レイジングハートの内部で高まる魔力をその場にいた誰もが感じただろう。僕だってモニター越しにも関わらず、魔法をあまり理解しているといえるわけでもないのに、レイジングハートを見ているだけでぞくっ、とした震えがくるのだから、魔法をよく知っているこの場の管制塔の面々はいわずもながである。
「っ! 総員っ! 対ショック姿勢っ!!」
『バスタァァァァァァァッッッ!!』
リンディさんがその場にいた全員に何かに捕まるように告げたのと同時にレイジングハートから桃色の光が発射される。それは一筋の光となりながら少しは離れた空中で磔になっているクロノさんに向けて一直線に向かう。
『くっ!』
さすがにその魔力は拙いと思ったのか、クロノさんは磔になったまま正面に三枚のシールドのようなものを展開するが、なのはちゃんの魔法の前には焼け石に水だった。まるで水に濡れた和紙でも破るように易々とシールドが貫かれ、なのはちゃんの魔法は、クロノさんに直撃する。クロノさんを貫いた魔法はそのまま訓練室の壁に直撃―――直後、ずんっ! という先ほどのアクセルシューターのときとは比べ物にならないほどの揺れが僕たちを襲っていた。
周りからきゃっ! という悲鳴やぐっ! と何かに堪えるような声が聞こえた。僕もその一人で目の前にあったコンソールの端にしがみつくようにして何とか揺れから耐え切ることができた。
何とか体勢を整えて急いで画面に目を向けてみると、そこに写っていたのは、絶対的な勝者として宙に佇むなのはちゃんと落ち葉のように落ちていくクロノさんの姿だった。
「クロノっ!」
「クロノくんっ!」
あのまま落ちれば大怪我ということが分かるのか、リンディさんとエイミィさんがクロノさんの名前を叫ぶ。室内と言っても訓練室はそれなりの高さがあり、普通にクロノさんが磔にされていた位置から落ちれば、あの世行きは逃れられないだろうが、クロノさんは幸いにしてバリアジャケットを着ている。だから、大丈夫だとは思うのだろうが。だが、その心配すら無用だった。空中から落ちていたクロノさんだったが、地面に激突する直前、トランポリンのように桃色のシールドが現れ、クロノさんを受け止めたからだ。
桃色ということを考えれば、なのはちゃんの魔法なのだろう。そこで改めてなのはちゃんに視線を向けたが、大人になったなのはちゃんは、クロノさんが地面に落ちるのを確認した後、空中からゆっくりとクロノさんに近づく。まさか、これ以上まだ何かするつもりなのか、と一瞬、管制塔に内に緊張が走ったが、心配は無用だったようだ。
クロノさんに近づいて、完全にクロノさんに意識がないことを確認したなのはちゃんは、ずっと浮かべている笑みをさらに強めて言う。
『勝った………あははははははっ! 勝った! 勝ったっ!』
誰もがそれを異様なものを見るような目で見ていた。僕は何ともいえない不思議な気分だ。もしも、これがなのはちゃんが元のなのはちゃんのような子どもがやれば、無邪気に喜んでいるといえるだろう。だが、目の前のスクリーンに写るなのはちゃんは、大人と言っても過言でもない年齢なのだ。子どものように喜ぶという動作がなんともちぐはぐだった。
しかし、なのはちゃんはそんなに負けたことが悔しかったのだろうか。いや、それだと昨日の恭也さんの言葉がおかしくなる。あれは、僕との時間を作るための勝負だったはずだ。ならば、今日のお昼に約束したとことでなのはちゃんの目的は達せられたはずなのだ。だから、今回のようにクロノさんとの模擬戦の勝負にこだわる必要はないはずだ。
もしかして、僕はまだ何か見落としている、あるいは、まだ僕の知らない何かをなのはちゃんは抱いているのだろうか。
『ショウくんっ! 見てたっ! わたし、かっ……た……よ』
突然、考え事をしている最中に名前を言われて驚いたが、それよりも驚いたのは、僕に勝利報告している途中で、なのはちゃんが糸が切れた操り人形のようにふっ、と支えを失い、前のめりに倒れたことだ。しかも、倒れる途中で再び桃色の繭に包まれ、今度は短時間で再び姿を現したが、今度は真っ白な聖祥大付属小の制服と元の年齢のなのはちゃんだった。
だが、そんなことはどうでもよく、それよりも倒れたことが気になった。
「なのはちゃんっ!?」
「なのはっ!!」
さすがにこれは兄である恭也さんも気になったようだ。もしも、訓練室の場所が分かっていたら、すぐにでも駆け出していただろう。僕だって駆け出していたはずだ。だが、場所が分からない今はスクリーンを見ているしかない。
逆にリンディさんにしてみれば、今が好機だったのだろう。クロノさんが落ちたときから呆けていたが、我を取り戻したように指示を出す。
「すぐにクロノ執務管となのはさんを救護室へっ! 急いでっ!」
その指示で止まっていた時が動き出したように管制塔が慌しくなった。他の職員に指示を出すもの。今の指示が聞こえていたのか、スクリーンの向こう側では、訓練室に雪崩れ込むように入り込んでい来る数人の職員の人達。彼らによって担架のようなもので運ばれるなのはちゃんとクロノさん。彼らが運ばれる先は救護室とやらなのだろう。
やがて、それらの作業を見守ったリンディさんは、改めて振り向き、僕たちと真正面に向き合う。その表情は、話し合いのときの柔和な笑みは消え去り、触れれば切れるような真剣な表情が浮かんでいた。それもそうだろう。明らかに先ほどのなのはちゃんは異様だ。時空管理局たちの人たちよりも長く一緒にいる僕でさえもそう思う。
そして、その原因を僕たちが知っていると思っても別段不思議な話ではない。だから、僕は、リンディさんが次に口にする言葉も簡単に予想ができた。
「―――少しお話を伺ってもよろしいでしょうか?」
リンディさんの問いという名の強制に僕たちには、はい、という肯定の言葉以外を持ち合わせてはいなかった。
◇ ◇ ◇
さて、リンディさんから話を伺いたいといわれた僕たちだが、なのはちゃんについてならむしろ、僕たちが聞きたいぐらいだ。なにがどうなれば、あんな変化が起きるのか僕たちが知りたい。少ししつこいぐらいになのはちゃんのことを聞いてきたリンディさんだったが、僕たちが本当に何も知らないことを悟ったのか、「分かりました」という言葉で質問を打ち切った。
「あの……」
「あ、はい、なんでしょう?」
「なのはちゃんはどうなるんでしょうか?」
僕たちが、一番興味があるのはそこだった。クロノさんを模擬戦で下したのは、模擬戦だったということで大丈夫だろうが、あの変化だけは説明がつかない。僕たちも説明することができない。何らかの魔法が働いていることは容易に想像できるが。しかし、彼らの驚きようからしても、なのはちゃんの状態が普通の魔法では説明できないことを物語っていた。だからこそ、なのはちゃんの処遇が気になった。
だが、その僕の問いに対してもリンディさんは少しだけ考え込むような仕草をした後、口を開いた。
「そうですね。今は意識を失っていますし、あんな状態になりましたから、検査も必要でしょう。なんにしても意識を取り戻したからと言って、すぐにご帰宅させることはできないと思います」
リンディさんの回答は予想通りといえば、予想通りだった。あの姿になったなのはちゃんを見て、すぐさま帰宅させることができるというのはありえない。それになにより、あれが魔法に関係しているというのであれば、彼らに見てもらったほうがいいというのは正論だ。なにせ、こちらには魔法文明がない上に門外漢なのだから。だが、だからといって、それじゃ、後は任せました、というわけにはいかないだろう。
信頼していないわけではないが、彼らとは知り合ってまだ二日だ。すべての信頼を置くには時期尚早だろうと僕は見ている。
「あの……それじゃ、僕も付き添っていいですか?」
だから、僕はなのはちゃんの傍にいることにした。万が一と考えているが、彼がなのはちゃんに手を出せないように監視ぐらいはできるだろう。そして、それは僕だけではなく、恭也さんも同様の気持ちだったらしい。恭也さんも僕の申し出の後、続いて同じことを申し出た。
僕たちの申し出に対して、リンディさんは、今度はあまり考えることなく、許可を出してくれた。彼らが何を思っているか分からないが、ともかく、なのはちゃんの傍にはいられるのだから文句は言わないことにしよう。
許可をもらえれば後は行動あるのみだ。今日は、家に帰るつもりで家を出てきた。なのはちゃんに付き添うとすれば、今日は帰ることができないだろう。ならば、一度家に連絡するべきだ。それに僕が着ている服はまだ制服だ。着替えも必要になるだろう。連絡のついでに一度帰ろうかな。
僕の出した結論だが、恭也さんたちも同様だ。なにより、恭也さんは今日の結果を士郎さんたちに報告しなければならないだろうし、なのはちゃんのことも報告しなければならないだろう。もしかしたら、僕よりも大変かもしれない。
そんなことを考えていた矢先、僕たちが話し合いをやっている部屋に入ってくる人影が三つあった。一人は、ユーノくん。一人はエイミィさん、そして、最後の一人は意外な人物だった。
「失礼します」
その先頭に立っていたのは、黒いズボンとシャツを着たクロノさんだった。なのはちゃんと同じように救護室に運ばれたはずなのだが、もう目が覚めたのだろうか。
「クロノさん、大丈夫なんですか?」
「ああ、魔力ダメージだけだったからね。身体はなんともないんだが、魔法を使うことは、ちょっとの間、無理そうだ」
クロノさんは苦笑いしながらしれっと答えたが、中身を吟味してみると、それは意外と大変なことのように思えた。魔法を使うことができないって、大げさなことなんじゃ。なのはちゃんの友人としては責任の一端を感じてしまうのは僕が日本人だからだろうか。僕はその罪悪感に耐え切れず、クロノさんに頭を下げた。
「すいません。まさか、なのはちゃんがあんなことになるなんて……」
「気にしないでくれ。あんなことは誰も想像できなかったさ」
先のことは、クロノさんの中では既に割り切ったことらしい。本当に気にした様子がないように笑っていた。それを見て少しだけ安心する。もしも、引きずっていたりしたら、どこか大変な事態につながりそうな気がしたからだ。
「それよりも、君にユーノが用事があるらしいぞ」
「え?」
クロノさんに促されて、指を指された方向を見てみると、申し訳なさそうにユーノくんが立っていた。
「どうしたの?」
「うん、少しショウに手伝って欲しいことがあるんだ」
「手伝って欲しいこと?」
「うん、ちょっとね。ここじゃ、説明できないからちょっといいかな?」
ジュエルシードの件なら今の段階では、時空管理局が携わるはずだ。魔法に関しても、今は魔法が使えないクロノさんならまだしも、僕のお師匠様とも言えるユーノくんに対して僕が手伝えることは殆どないはずなのだが。だが、僕が考えたところで、頼みごとが分かるわけもない。そもそも、ユーノくんが無理難題を言ってくるとは思えないし、多少、無理なことでも友人の彼の頼みならば、無下に断わるつもりはなかった。
「分かったよ。どこに行けばいいの?」
「うん、着いてきて」
僕を先導するように先を歩くユーノくん。僕は彼についていこうと思ったのだが、その前にやることがあった。
「恭也さん、そういうわけですので、僕は少しユーノくんを手伝ってから行きます」
「分かった。それじゃ、俺たちは出口の近くで待ってるから、終わったら着てくれ」
「え? でも……」
それは流石に気が引けた。なにせユーノくんのことを手伝うとは言ったが、その手伝いがどれだけの時間がかかるか分からないからだ。僕たちが来たのが夕方だ。もしかしたら、もう日が暮れてしまっているかもしれない。それを考えると時間は有限だといってもいいだろう。だから、僕のために待つ時間を作るのは心苦しかった。
「あ、大丈夫だと思うよ。すぐに終わるし」
どうしよう? と困っていた僕に救いの手を差し伸べてくれたのはユーノくんだった。彼の言葉から推察するに、どうやら手伝いと言っても簡単なものらしい。少しなら待ってもらうのもいいかな? と思って、僕は待ってもらうことにした。
そんな調子で、僕はユーノくんと一緒に恭也さんたちとは途中まで一緒に用事があるという場所へと向かうのだった。
◇ ◇ ◇
僕の目の前で眠り姫のように髪の毛を解いたセミロングのなのはちゃんが、つい数時間前のことなどなかったような安らかな寝顔で寝ていた。
僕がいる場所は、アースラに用意された一室だ。客室なのだろうか。ベット以外には特に何もなく、本当に寝泊り専用の部屋のように思えた。
一時は救護室で寝ていたなのはちゃんだったが、救護室のベットは硬く、治療には向いているが、眠るには不向きらしい。なんでも、診察の結果、なのはちゃんは、魔力切れなどではなく、ただの寝不足だったようだ。それで模擬戦が終わった後で緊張が切れてしまい、眠ってしまった、と。
最初のほうで心配されていた魔法の変身による後遺症のようなものは一切見当たらず、本当に寝ているだけというのが結論だった。その結果に安心するべきだろうか、あるいは、何もなかったことに驚くべきだろうか。もっとも、あの変身とも言うべき原因が分からない以上、僕には何とも言いようがなかった。
ちなみに、救護室にいた保険医のような先生に尋ねてみたところ、回答は分かりません、だった。自分が診察したのはなのはちゃんだけで、少なくともなのはちゃんには何の問題もないことだった。しかし、だったら、なのはちゃんの変身は一体なんだったのだろうか。
僕が考えても仕方ないことだが、家への連絡は、本当に短時間で終わったユーノくんの手伝いの後、偶然、居合わせたアルフさんに任せた。よって今の僕は、なのはちゃんの傍にいること以外は手持ち無沙汰になってしまったので、考えても仕方ないことと思いながらも、思考をそちらに向けてしまうのだ。ちなみに、ユーノくんの手伝いは、単純にレイジングハートへアクセスすることだった。最初に作った僕のユーザ権限でアクセスすることができると、なぜかユーノくんとユーノくんと一緒にいた技師の人は驚いていたが。
「んっ……んん……」
さて、どうして、なのはちゃんは変身できたのか、という命題に対していくつかの選択肢を考えかけたところで、突然、なのはちゃんの眉が動き、起きる直前のような声を出した。その予想は正しかったのだろう。僕が上から覗き込むのと同時になのはちゃんはゆっくりとその瞼を開いた。まっすぐ、なのはちゃんの大きな瞳が僕を見つめてくる。
「え……あれ? ショウ……くん?」
まだしっかりと意識が覚醒していないのだろうか、ややはっきりしない様子でなのはちゃんが問いかけてきた。
「おはよう、なのはちゃん。そうだよ、翔太だ」
「えっ!!」
掛けられた布団を跳ね除けるような勢いで、上半身を起こすなのはちゃん。上から覗き込んでいた僕だったが、危うくヘッドバットを喰らうところだった。幸いにして間一髪避けることはできたが。
「えっと……私、アースラに来て……そうだ、あの人と模擬戦をして……」
起きたばかりで記憶が混濁しているのだろうか、一つ一つ思い出すようになのはちゃんは今日のことを口にする。あの模擬戦のことも。何か反応を見せるのだろうか、と思って注意深く観察する。だが、僕が予想していた方向とはまったく逆方向の反応をなのはちゃんは見せてくれた。
「あ、そうだっ! ショウくんっ! 私ね、あの人に魔法で勝ったよっ!! 見ててくれた?」
「あ、うん」
無邪気に笑いながら僕に報告してくれるなのはちゃん。あまりに彼女が無邪気に笑って言うものだから、あのときの事実はそんなに重いものではないのではないだろうか、という疑念すら沸いてくる。だが、そんなわけがない。誰も彼もが呆気に取られた事態だ。重大な事件でないわけがない。
「ショウくん?」
僕が心配そうな表情をしていることが気になったのだろうか、なのはちゃんも心配そうな声で僕に声を掛けてくれた。一度は聞こうか、あるいは聞くまいか、悩んだが、このまま知らないでは済まされないと思い、僕は意を決してなのはちゃんに尋ねる。
「ねえ、なのはちゃん」
「なに? ショウくん」
「あの模擬戦でなのはちゃんが成長したのは何だったの?」
僕の問いにびくっ! と肩を震わせ、僕から目を逸らして、一言呟く。
「魔法……だよ」
「嘘だね」
僕はなのはちゃんの言葉を一言でそう断言した。
僕となのはちゃんの友人としての付き合いは一ヶ月足らずだが、本当のことを言うときに目をそらすような子じゃないことぐらいは知っているつもりだ。だから、目を逸らして言うということは、何かしら後ろめたいことがあるからに違いない。
「僕に本当のことを教えてよ」
促すようにできるだけ優しい声で声を掛ける。だが、なのはちゃんからの反応は芳しくない。逸らしたままの視線で、時折、僕の表情を見るためか、ちらっ、と僕を見てくる。その様子は、まるで悪戯が見つかった子どものようである。
「ね、怒らないから」
子どもがこういう態度に出るときは、相手に様子を伺っているときだ。もっとも、様子を伺った後の反応は子どもによって異なるが、反応を見守るという点では同じだ。なのはちゃんの様子からは何かしら不安に思っている様子が伺えたので、僕は安心させるような意味で笑みを浮かべたまま、本当のことを言うように促した。
「……本当なの? 嫌ったりしない?」
「本当だよ。約束する」
現時点で、僕は怒ったりするつもりはなかった。ましてや、嫌ったりなど。
僕が約束するという言葉を発したためだろうか。なのはちゃんはゆっくりと空気を吸い込み、やがて、意を決したような表情をして、彼女は、その小さな口を開いて、真実を僕に告げてくれた。
「ジュエルシードを使ったの」
―――――言葉を失うとはまさしく、このことだろうか。
ジュエルシードを使った? 最初は、彼女なりのジョークだということを疑った。だが、それにしては悪質だ。ならば、本当のことだと思ったほうがいい。だが、そうだとすると、一瞬、怒らないと言いながらも怒りが沸いてきた。なのはちゃんは、集める過程で、あれが危険なものだという認識はあったはずだ。
それを使ったというなのはちゃんに怒りが沸いてきたが、約束もあるし、事情も聞いていないので、僕はその怒りを静めるために一度、大きく深呼吸して怒りを静めて再度、尋ねた。
「どうして、そんなことをしたの?」
あれが危険なものという認識がない状態なら仕方ない。だが、彼女は知っていたはずだ。あれは、危険なもので暴走の危険性すらあり、願いも見当違いな方向に叶えるということを。そうと知りながら手を出したなのはちゃんの事情を僕は知りたかった。
やがて、僕の真剣な目を見たからだろうか、なのはちゃんは、重い口をゆっくりと開いた。
「だって……魔法で負けたら、ショウくんとは一緒にいられないから」
「え?」
なのはちゃんの言葉を不思議に思った。一緒にいられないというのは、どういうことだろうか?
僕のその疑問に答えるようになのはちゃんはぽつぽつと続きを話し始めた。
「私は、ショウくんみたいに頭よくないし、ショウくんよりも身体が動かせるわけじゃないし、ショウくん見たいにみんなから頼りにされているわけじゃない。私には、魔法しかショウくんに頼られることないの。だから……だから……負けられないの。魔法だけは」
それは、なのはちゃんの独白だったのだろう。もしも、恭也さんからなのはちゃんの背景を知らなかったら、僕は彼女の独白の意味が分からなかったのかもしれない。だが、恭也さんから事情を聞いている今、僕は彼女が言っている意味が理解できた。
なのはちゃんの最初の友達が僕だった。
ならば、それよりも以前はどうだったのだろうか。なんの努力もしていなかった? そういうわけではなかったのだろう。だが、それでも友達ができなかった。その原因をなのはちゃんは自分自身に感じてしまった。何もできないから。さらに、僕という友達ができた切っ掛けが魔法だったというのも彼女の考えに拍車をかけたのだろう。
だが、それは、間違いだ。なのはちゃんが言うことは、つまり、友人に理由を求めているのだから。例えば、あいつはお金持ちだから、宿題を写させてくれるから、大きなグループの取りまとめだから、そんな理由で、友人になるのと変わらない。友人に利益を求めている。もしかしたら、もう少し大きくなれば、そんな中で友人を作ることになるだろう。
しかし、僕たちはまだ小学生だ。小学生なのに、そんな理由で友人になるなんて悲しすぎる。せめて、子どもといえる年のうちは何の考えもなく、何の理由もなく友人を作ってもいいのではないかと思う。だから、僕は、なのはちゃんは考えを改めるべきだと思った。
「はぁ、なのはちゃん、僕がなのはちゃんと友達になったのは、魔法が使えるからじゃないよ」
「え?」
「魔法の力はもしかしたら切っ掛けかもしれない。だけど、それにこだわったつもりはないよ。僕よりも頭がよくなくてもいいよ。身体が動かせなくてもいいよ。僕がなのはちゃんと友達になったのは、なのはちゃんだからだよ。だから、魔法で負けても気にしなくてよかったんだ」
僕の言葉を聞いて、なのはちゃんは驚いたような表情をしていた。もっとも、魔法のおかげで僕と友達だったと思っていたなら、それは根本から考えを覆すものなのだから仕方ないだろう。
「ほんとう、なの?」
やや震える声で、訪ねてきたなのはちゃん。信じられないのも無理はないのかもしれない。ここ一ヶ月はそのつもりだったのだから。だが、それは間違いなのだと教えるために僕は、頷いた。
「うん。だから、クロノさんに負けても何も心配なんていらなかったんだ。それでも、僕となのはちゃんは友達なんだから」
「それじゃ、ショウくんとずっと一緒にいられるの?」
「うん」
「一緒にお弁当食べてくれる?」
「うん」
「一緒に手を繋いでくれる?」
「うん」
「一緒にお風呂に入ってくれる?」
「いや、それは」
流れで、うん、と言いかけたが、言葉の内容を考えるとさすがに拙いと思い、頷くことはできなかった。だが、それを口にした瞬間、なのはちゃんが、やっぱりといった感じで表情を歪めるので、僕は慌てて訂正せざるを得なかった。
「ああ、うん、うん、いいよ」
再び笑顔。肯定した瞬間に何かを売り渡したような気がしたが、気にしないことにした。
僕が肯定した後、それが全部だったのだろうか、なのはちゃんは、何も言わなくなった。だが、笑顔を僕に向けたまま、その大きな瞳から小さな雫を流し始めた。言うまでもなく涙だ。それは一つ流れ出したのを皮切りに次々と雫が流れ始めた。
「なのはちゃん、泣いてるの?」
「あ、あれ?」
僕の指摘で初めて気づいたようになのはちゃんは、急いで袖で涙を拭う。だが、それでは間に合わないほどに次から次に涙は流れる。最初は拭っていたなのはちゃんだったが、やがてダムが決壊したように声をあげて泣き始めた。
これは、放っておけないと思った僕は、なのはちゃんが寝ているベットの上に上がり、なのはちゃんを抱きかかえるようにして背中を何度か叩いてやった。なのはちゃんが泣いた理由はよく分からない。もしかしたら、僕の言葉が何かしらの琴線に触れるものだったのかもしれないし、利益による友人じゃないことに安心したのかもしれない。
その涙がうれし涙だとしても、泣いているときは人肌が安心できるものだ。だから、何も言わず、僕はなのはちゃんの背中をぽんぽんとあやすように叩きながら泣き止むのを待っていた。
なのはちゃんが泣いていたのは、どのくらいの時間だっただろうか。ずっと胸を貸していたものだからよく分からない。だが、それだけの時間を掛けただけあって、ようやくなのはちゃんは泣き止んでくれた。
泣き止んだのを確認して、僕が離れると、なのはちゃんは目を真っ赤にして、照れたように笑っていた。
「え、えへへ……」
「もう、大丈夫?」
僕の問いになのはちゃんはコクリと頷いてくれた。
「ふぅ、よかった」
それで、話が途切れてしまった。別に話すことがないからだ。とりあえず、なのはちゃんが変身した理由が分かったが、これを話すのは明日になるだろう。少なくともことが大きすぎる。まさか、ジュエルシードを使っていたなんて。非常に拙いような気がする。何とか、矛先を逸らせないか考えておく必要があるかもしれない。
そんなことを考えていて、無言の時間があったからだろうか、思考の海から再びなのはちゃんを見てみると、半ば舟をこいでいた。そういえば、なのはちゃんが寝ていた理由は寝不足に近いものだった。泣くという行為は意外と体力を使うのだ。だから、また眠くなったのかもしれない。
「なのはちゃん、眠いなら寝たほうがいいよ」
起きていてもやることがない。ならば、なのはちゃんの体力を考えても寝たほうがいいだろう。なのはちゃんのこともこの後、来る予定の恭也さんたちにも知らせないと拙いだろうし、一度外に出る必要があるかもしれない。そう考えていたのだが、不意に袖を引かれたような気がした。
「なに? なのはちゃん」
よく見ると寝る体勢になったなのはちゃんが僕の袖を引いているだけだった。何か用事があるのだろうか? と思って尋ねてみると、なのはちゃんは、とんでもないことを口にした。
「あのね……一緒に寝よう?」
「えっと、それは……」
まさか、家でアリシアちゃんといわれたことと一緒のことを言われるとは思わなかった。ここで拒否することは簡単だ。だが、拒否すれば、また、なのはちゃんは泣きそうな表情に顔をゆがめるのだろう。それを考えると事実上、拒否権はないのと同じだった。
「はぁ、分かったよ」
僕がそう答えるとなのはちゃんは、嬉しそうな顔をして、少しだけ僕のためにスペースを空ける。幸いにしてというか、なんというか、この部屋のベットは、子どもの僕らからしてみれば、大きすぎるもので二人で寝るには丁度いいものだった。僕は靴を脱いで、なのはちゃんの布団の中にお邪魔する。せめての抵抗で僕は天井を見ることにした。
「それじゃ、なのはちゃん、おやすみ」
「うん、ショウくん、おやすみ」
まるで安心したような声のおやすみ。しかも、よほど眠かったのだろうか、その後、すぐにすぅ、すぅ、という寝息が聞こえてきた。
もう少ししたら、出て行って恭也さんたちを迎えようと思っていた僕だったが、服が掴まれている僕には、このベットから出られる術はなかった。恭也さんが来たら助けてもらおうと思ったのだが、驚いたり、色々と僕も疲れていたのかもしれない。なのはちゃんが眠りに入った数十分後、僕もまた夢の世界へと旅立つのだった。
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