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無印編
第十七話 裏 (すずか、なのは、忍)
月村すずかは、姉の言葉が信じられなかった。
「え……? 嘘だよね、お姉ちゃん」
嘘だといってほしかった。冗談よ、と苦笑交じりで言ってほしかった。だが、すずかの願いは届かない。真剣な顔をして姉の忍は首を左右に振ったからだ。
「どうしてっ!? どうして、ショウくんに私たちのこと話すなんてっ!」
ことの始まりは、お風呂にも入って本でも読んで寝ようか、という時間帯に忍に呼ばれたことからだった。忍に呼ばれたすずかは最初は、軽い気持ちで彼女の前に座ったのだが、話が進んでいくにつれて簡単に聞き逃せる事態ではないことに気づいた。
なにせ会話の内容は、彼女の中では禁忌であった自分の一族について、たった二人しかいない友人の一人である蔵元翔太に話すということなのだから。それが何を意味するのか、姉に分からないはずはないのに。
「すずか、落ち着きなさい。さっきから言ってるけど、ショウくんもこちら側の可能性が高いのよ。それを確かめるために話すだけよ」
「でも、絶対じゃないんでしょう?」
「それは……」
忍が言いよどむ。もしも、翔太がはっきりとすずかたちのような裏側に所属する人間なら、所属している組織などが詳細にわかっているはずだ。月村、否、夜の一族というのは裏の世界では頂点に近い存在であるのだから。だが、忍はそれを一言も口にしない。ただ、裏側に属する人間である可能性が高いといっているだけだ。もしかしたら、白である可能性もあるのだ。
すずかにとって蔵元翔太は、たった二人しかいない友人の一人。人と関わることを避けていたすずかにできた、しかも、自分のことを受け入れてほしいと思っていた人物なのだ。このまま彼と付き合っていけば、自分のことを話すこともあったかもしれない。彼と関係を深めるにはすずかの一族の問題は避けては通れないのだから。
だが、それもすずかの想像の中では、ずっとずっと先の話であるはずだった。少なくとも小学生の間はまったく関係のない話だったはずだ。それが、突然、降って湧いた話だ。すずかが拒否反応を起こすのも無理のない話だった。
その後も二人で言い合うが、話は平行線のままだった。
片や月村が裏側を治めている海鳴の街で起きていることを正確に把握したいという夜の一族としての立場を取る忍とせっかくできたお友達を万が一にも失いたくないすずか。どちらも譲らず、妥協点を見出せず、平行線が続く。
「お姉ちゃんのバカッ!!」
いくら話してもこちらの言い分を理解してくれない姉に憤っていつもは使わないような言葉を捨て台詞にすずかはその話し合いの場を後にした。後ろから忍の待ちなさいっ! という言葉が聞こえたが、そんなもので制止させられることはなかった。
話し合いの場を後にしたすずかは自分の部屋に戻り、ベットに倒れこむ。今の話が嘘だったらいいのに、と思いながら。
もし仮に、翔太が裏側に所属する人間だとしたら、それはすずかにとって喜ばしいことだ。自分のような存在も容認してくれるだろうから。
それに十に満たない幼い年ながらもすずかは、月村が治める土地で裏側の事件を把握するのは大事だということが分かっているし、翔太とアリサ以外のクラスメイトならどうぞご自由に、というだろう。
だが、翔太とアリサだけは、失いたくなかった。万が一、まったく裏側には関係なくて、あのバケモノを見る目で見つめられることが嫌だった。記憶を消されて、自分を赤の他人に見られることが嫌だった。一人になるのが嫌だった。
「どうしよう?」
すずかの明晰な頭脳は、このまま自分が拒否してもいずれ翔太との会談があることを理解していた。一族の大事と自分の我侭。天秤に乗せたとき、どちらに傾くなど考えるまでもない。すずかの友人など、夜の一族から大事の前の小事なのだから。
忍の言い分を受け入れても、拒否しても導かれる結果は変わらない。だが、翔太の立場がはっきりしない以上、万が一にでも翔太がなにも関係ない人間である可能性があるのなら、その結果は回避したかった。
だから、すずかは考える。夜の一族と蔵元翔太の会談という結果を回避する方法を。だが、経験が浅いすずかに回避する方法など簡単に見つけられるはずもなく、考え込んでいるうちにすずかは自分のベットの上で眠りに落ちてしまった。
◇ ◇ ◇
高町なのはにとって一番大切な時間は放課後の数時間だった。
なのはにとって唯一の友人である、友人と言ってくれる翔太と一緒にいられるこの時間、この時間だけがなのはの心のよりどころだ。この時間を得ることを思えば、辛い朝の訓練にも耐えられたし、いくらでも強くなろうと思える。だからこそ、この時間を邪魔する子にいい感情が浮かぶはずがない。
なのはが翔太の隣を歩きながら、下足場へ向かっている途中、職員室の方向から重そうにプリントの束を持って歩いている少女が目に入った。なのはの覚えが正しければ、昨日、ジュエルシードが発動した家に居た子だったはずだ。あの金髪の子と一緒にいたような気がする。そして、憎たらしいことに翔太の親友を自称する子だったことを思い出していた。
そんな重そうな紙の束を持って運んでいる女の子を翔太が放っておくはずがない。その少女に翔太が駆け寄り、何かを話していた。どうやら、図書委員の仕事で大量の紙の束を運んでいたらしい。
そんなのどうでもいいから、行こうよ、となのはは翔太に言いたかった。だが、なのはが翔太に対してそんな風に言えるはずがない。その女の子と話している翔太だったが、もし、その子と話すことを中断させて、翔太を不快にさせたら、それはなのはにとって一大事だ。だから、こうして事情を聞いている翔太の後ろ姿をなのは見ているしかなかった。
話が進むにつれて漏れ聞こえる声で、どういう状況か分かってきた。つまり、彼女はもう一人の図書委員に逃げられて、一人で図書館便りを作らなければならないらしい。
嫌な予感がした。いや、それは確認に近い。なのはがよく知る翔太ならば、こんな状況で、彼女に別れを告げるという選択肢はないと知っていたから。それでも、それでも、なのは、黒髪の彼女よりも自分を選んでほしいと願った。だが、その願いが届くことはなかった。
「ごめん、なのはちゃん、僕、すずかちゃんを手伝ってから行くから、先に行って探しててくれないかな?」
―――その子がやる仕事なのに。逃げた子が悪いのに。どうしてショウくんが。一人で作らせれば良いのに。これからショウくんと一緒にいられる時間なのに。
なのはの中にいくつもの不満が生まれる。だが、それを翔太に言うはずもない。手伝うということは、翔太が決めたことだ。翔太が決めたことに否と言えるはずがない。だから、なのはは演じる笑みで翔太に告げる。
「うん、分かった。早く来てね」
その笑みの下にどうしようもない苛立ちを隠しながら。
◇ ◇ ◇
月村すずかは、翔太が手伝ってくれることに歓喜と困惑を隠せずにいた。
もう一人の図書委員に逃げられたのは腹が立つ。気づいたら逃げ出していたのだ。彼は、本が好きで図書委員になったわけではなく、なりたかった委員会に入れなかったためにじゃんけんでこちらに回ってきたのだから、あまりやる気がないのは納得できるが、それでも作業はきちんとやって欲しいと思う。
正直、この作業を一人でやるのは億劫だったので、翔太が手伝うと言い出してくれたのは有り難かった。だが、同時に昨夜の姉の言葉が、すずかの胸の中に棘として刺さる。もしかしたら、もうすぐ失うかもしれない友人にどう接して良いのか分からなかった。
昨夜から今日までずっとどうやったら翔太を会談に行かないように仕向けられるだろうか、と考えていたが夜の一族特有の頭脳を使っても名案は中々生まれない。
今日もずっと考え込んでいたのだが、どうやらその空気を翔太は感じ取ったようだ。いつもなら他愛もない話をしながら進めるであろう作業も今日は無言で黙々と行われていた。
その気遣いが有り難い反面、寂しいという感情も生まれた。もしも、すずかが何も考え込んでいなければ、きっと翔太は最近読んだ本や取りとめもない話をすずかにしてくれるだろう。気を使ってくれるのは分かるが、無言というのはただただ寂しいだけだった。
それに気づくと同時にもう一つのことにも気づいてしまった。つまり、万が一、夜の一族との会談の後、翔太が白だと分かれば、あるいは、黒だとしても会談の内容が失敗すれば、この状態がずっと続くのだと。翔太にとって月村すずかという存在は、好意でも、嫌悪でも、嫉妬でも、羨望でもない、ただの道端に転がる石ころのような無関心だ。
もはや名前で呼んでもらう事も叶わず、赤の他人として扱われる。それが日常に変わるということを示していた。
―――嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だよぉ。
それに気づいたすずかは心の中でそれを拒否した。人を近づけまいとしていたすずかにようやくできた心を許せる友人。昨日までは一緒に笑って、名前を呼んで、他愛もない話をしていた友人が次の日から赤の他人になる。それは、幼少の頃にコンプレックスで自らの殻に閉じこもり孤独だったすずかがここ二年の友人がいる生活に慣れてしまった今、その孤独は、耐え切れるものではなかった。
どうしよう、どうしよう、と紙の束を無意識のうちに二つ折りにしながらすずかは考える。だが、その問いは昨夜から繰り返している問いだ。ここ数分で答えがでるほど簡単なものではない。だがしかし、それでも、と一筋の光明を探してすずかは考える。
必死に考え込みながらも手を動かすすずかの耳に不意に翔太の声が耳を打った。
「いたっ!」
久しぶりに聞いた声が痛みを訴える声というのも何とも色気のないものだが、それでも痛みを訴える声に反応しないわけがなかった。慌てて、すずかが翔太の方を見てみると、翔太は右手の人差し指を銜えていた。
「ショウくん、大丈夫?」
ちょうど、口から人差し指を離し、何かを探すようにポケットに手を突っ込んだ翔太に声をかけるすずか。同時に目に入ったのは、翔太の人差し指だ。第一関節より上の腹の部分が紙で切ったのだろう、少し切れており、そこから血が流れているのが目に入ってきた。
それは無意識の行動だった。怪我をしたときの対処法をすずかが実行したのか、あるいは彼女の中に脈々と流れている吸血鬼の血が反応したのか分からない。だが、気がつけば、すずかは翔太の手首を手に取り、未だ血の流れる人差し指を銜えていた。傷口を舐めるように舌の上で転がす。同時に舌の上で感じられるのは、翔太の傷口からじくじくと流れている血の味だった。
その血の味を感じたとき、すずかの体が沸騰したように一気に熱くなった。今まで考えていたこともすべてどこかに吹き飛び、ただ翔太の傷口から流れる血の味を味わうことしか考えられなくなっていた。
しばらく、翔太の血の味を味わっていたすずかだったが、やがてその味に慣れてきたのか、少しずつ考えるという能力が戻ってきた。もっとも、その思考回路もまるで酔ってしまったようにはっきりとしないものだったが。
―――あれ? 私……なにやってるんだろう?
ぼんやりと戻った意識の中で考える。その間も翔太の血の味を堪能していた。しかし、その血の味がすずかに何をしていたかを思い出させる。
―――ああ、血だぁ。
それはすずかにとって忌むべき行為だったはずだ。だが、今の酔ったような思考回路では忌むべき行為への嫌悪感を感じることはなかった。そんな中ですずかの中に生まれた先ほどの疑問への一つの解答があった。つまり、どのようにしてすずかを忘れないようにするか。
―――嗚呼、そうか。忘れられないようにすればいいんだよ。
たとえ恐怖でもいい。たとえ忘れられようとも、すずかを見れば即座に思い出せるような何かを魂にまで刻んでしまえばいい。そうすれば、翔太はすずかを忘れない。それがたとえ、嫌悪と恐怖であってもだ。
その解答は、すずかが望んだ結末への解答ではない。だが、酔ったような思考と血を味わうことで生まれたもう一つの欲求を正当化するためのものなのかもしれない。
つまり、すずかが今、行っている吸血という行為は恐怖を刻むにはおあつらえ向きだということだ。
すずかは、しばらく舐めたせいか、あまり血が流れなくなった翔太の指から口を離すと自らの力の一部である魔眼を生まれた本能によって解放するとまっすぐ翔太を見つめた。彼にかける命令はたった一つでいい。すなわち―――
―――動くな、と。
すずかが願うだけで、彼の身体は動かなくなった。そして、彼女が忌み嫌いながらも彼女の一部である吸血鬼としての本能がまっすぐ口を翔太の首筋へと近づける。普段は隠している鋭い八重歯を生やし、狙いを定めると翔太の首筋へと噛み付く。
噛み付いた場所からじくじくと染み出してくる彼の血液。彼がうわ言のように何かを言っているが、今のすずかの耳にはまったく何も入ってこなかった。ただ、彼の血を飲むことだけに意識を集中させていた。
口から流れ込んでくる翔太の血液は、おいしかった。まるで芳醇なワインのような香りを漂わせ、喉越しはいつも飲んでいる輸血用のパックとは比べ物にならなかった。
しばらくは、それに集中していたのだが、集中しすぎたとでも言うべきだろう。気づかないうちに彼女は翔太のほうへとしなだれすぎたのか、翔太が座っていた椅子のバランスが崩れ、ゆっくりと傾いていってしまった。そのまま、二人は重なりながら床に叩きつけられるように転んでしまう。
それが転機だった。椅子ごと倒れこんでしまった衝撃で、すずかの思考回路がいっきに元に戻った。当然、今まで何をしていたかを正確に記憶したままで。今まで自分がバケモノである部分を忌み嫌っていたすずかがそのことを許容できるはずがない。
「あ、あ、あぁぁ」
倒れこんだ格好からはすぐに起き上がることができたが、目の前にある惨劇を目にして、すずかは声を出すことができなかった。
椅子と共に倒れこみ、首筋からまだ染み出すように血を流す翔太の姿。
何が恐怖でもいいから忘れないようにする、だ。そんなことは意味がない。すずかが望んだのはただ忘れてもらわないというだけではなく、今日という日々の継続だったのに。それだけを望んでいたのに。それを自分で粉々にしてしまった。もしかしたら、回避できたかもしれない未来を自分で作ってしまった。
すずかの頭の中は混乱しており、現状把握だけで一杯一杯だった。だが、夜の一族として吸血行為は当然のことで、それが原因だろうか、一部冷えたように冷静だった部分がすずかに次の行動を取らせていた。混乱する頭で身体を必死に動かして、翔太を椅子に座りなおさせ、机にうつ伏せの状態にし、人差し指からまだ血が流れているのを見て自分のポケットにあった絆創膏を張っておいた。これで、翔太が夢だったと思ってくれればいいのに、と甘い幻想を抱くが、冷静な部分がそれを即座に否定する。
とりあえずの片づけを混乱する頭で行ったすずかは、今すぐにでもこの場を離れたかった。自分が犯した罪から逃げるために。どちらにしてもこんなことになった以上、姉に言わなければならないと思いながら。携帯電話を使えばいいのだろうが、今のすずかはそんなことに気を使う余裕もなく、お稽古のために待ってもらっているノエルの元へと駆けるのだった。
◇ ◇ ◇
妹のすずかからありえない報告を聞いた月村忍はため息をはきながらソファーに沈み込んだ。
どうしよう、どうしよう、と動揺しているすずかに対しては部屋に戻っておくように言った。あのままでは、何をするか分からない上にいたとしても邪魔になるからだ。
すずかが忌み嫌っている吸血という行為に陥った理由を忍は考えていた。思いついたのは主に三つだ。
一つは、すずかの精神状態だ。昨日の翔太に関すること。今朝は忍を避けるように学校に出たからよく分からないが、それでも友人を失いそうになった恐怖に不安定だったことは容易に想像できた。
一つは、時期が悪かった。よくよくカレンダーを見てみると今日は吸血の日だ。吸血と言っても街中に出て人を襲うわけではない。輸血用の吸血パックからストローを刺して飲むのだ。つまり、先ほどまでは吸血が不足していたといっていい状態なのだ。吸血は夜の一族にとって吸血は人間の三大欲求―――睡眠欲、食欲、性欲―――に匹敵するほど耐え難いものである。叔母のさくらは一時期吸血を拒否しても生きられたが、それは人狼族の血が入っているからだ。忍やすずかがまねすれば、一ヶ月もしないうちに吸血事件として海鳴の街を騒がせるだろう。
最後の一つは、時間帯だ。一時間ほど前といえば、ちょうど日の入り手前であり、逢う魔が時である。昼と夜の境目であり、精神的な不安定さに拍車をかけたのかもしれない。
もろもろの理由が考えられるが、原因追求をやっている時間はない。クラスメイトに夜の一族のことがばれたのだ。夜の一族としては一大事だ。なにせ、ここから事実が漏れていけば、一族存亡の危機にさえ陥ってしまうのだから。
―――さて、どうしたものかしらね。
忍は考えをめぐらせる。相手はすずかの同級生。つまり、小学生だ。これが普通の小学生であれば、すぐさま確保して魔眼で記憶を操作して、家族に仕事と引越し代金もろもろを渡してあっさりと解決するはずだった。だが、相手は蔵元翔太。現在、月村家がマークしている小学生で、昨日の侵入者と関係があるであろうと見受けられている人物。簡単に記憶を消しておしまい、とはならない。
―――はあ、本当、ややこしい。
本当ならもっと穏便にことは運ぶはずだったのに。妹の暴走のせいで、事態が急展開だ。もっとも、その原因を作ったのもある点から鑑みれば自分なのだから、自業自得とも言えるかもしれないが。
とりあえず―――この件に関して少し関わっている綺堂さくらに連絡しようと忍はソファーから立ち上がった。
◇ ◇ ◇
高町なのはは自分の部屋で突然降ってきた事実に驚愕していた。
事の始まりは、今日の夕方、先日の屋敷のメイドが翔太をつれて帰ったことに起因している。あの場は、翔太が大丈夫というから見送ったが、その後、やはり翔太のことが気になった。
翔太が大丈夫という以上は、その言葉を信じるべきなのだろうが、やはりメイドの強引さが目に付く。翔太も素直に仕方ないとしたがっていたことも気になる。もしかして、何か弱みでも握られ、無理矢理連れて行かれたのではないか? そういう疑念がなのはの中に生まれたのも無理はないことだ。
だが、そんなものは何もなく本当に大丈夫だったとしたら? それは、翔太の言葉を信じなかったなのはの翔太に対する裏切りである。もしかしたら、それが原因で嫌われるかもしれない。今までの関係を壊してしまうかもしれない。
万が一にでも翔太に嫌われるかもしれない可能性が以上、なのはが直接出向いて手を出すわけにはいかなかった。
そこで、相談したレイジングハートが出したのは、サーチャーと呼ばれるものを放出する魔法だ。これならば、魔力をもたないあのメイドたちには見破られない上に翔太も気づけないほどの魔力で翔太の様子を見ることができる。今のなのはにとってうってつけの魔法だった。
月村家の場所は覚えている。すぐになのははサーチャーを飛ばし、そして、先の驚愕に繋がる事実を知る。
―――先日に出会った少女の一人が吸血鬼というバケモノだったという事実に。
その事実に呆然としたのも一瞬、すぐさまレイジングハートを起動させ、杖を片手に窓から飛び出そうとした。あの場所は、吸血鬼というバケモノたちの巣穴。翔太がその場にいたらどんな危害を与えられるか分からない。しかも、既に翔太はあのすずかといわれていた女の子―――なのはの中では姿と名前が一致しなかった―――に血を吸われた後だという。
―――許せない。
そのことを聞いて燃え上がったのは憤怒の炎だ。なのはにとって翔太はかけがえのない友人であり、なのはを唯一認めてくれる人なのだ。そんな翔太を傷つけられて、怒らないわけがない。
今すぐにでも空を飛んで月村家へ向かおうとしたなのはの足を止めたのは意外にもその翔太だった。
翔太が月村家からの謝罪を受け入れたからだ。それは翔太が月村家を許すといっていることに他ならない。
さすが、ショウくん、と翔太の器の大きさを賞賛する気持ちがある一方で、強制的に連れて行かれ、相手のフィールドで断われず、無理矢理言わされているのではないか、騙されているのではないか、と疑念が沸いてくる。だからこそ、動けなかった。前者の場合、ここでなのはの力を振るうことは、翔太の決定を反故することを意味しているからだ。
しかも、前者であることを裏付けるように翔太は、彼女たちと笑って会談している。
これで本当に今すぐ、月村家に向かって力を振るうわけにはいかなくなった。なのはの力は、翔太に嫌われるために振るわれるものではない。翔太とずっと一緒にいるために、翔太から褒められるために使われるものなのだから。
だから、なのはは起動させたレイジングハートを再度元の宝石に戻し、窓に足を掛けた状態だったが、再びベットに腰掛け、様子を探るようにした。
どうやら、翔太はすずかという子のところへ向かうようだ。サーチャーに後を追わせ、そこでなのはは思いがけない言葉を聞くことになる。
―――また明日、学校で。
それはなのはにとって大切な言葉だ。初めて翔太からかけられた言葉だ。友人として夢に見ていた言葉だ。
それをすずかという少女は簡単に翔太から投げかけてもらっている。
―――どうして、どうして、どうして?
彼女は、翔太を傷つけた元凶なのに。吸血鬼なんてバケモノなのに。どうして、彼女は翔太からあんなにも簡単になのはがずっと夢に見ていた言葉を再びかけられているのだろう。
それがなのはには疑問で、羨ましくて、悔しくて、忌々しくて、様々な感情が渦巻く。その中で一番大きかったのは、口惜しさだ。だが、それを晴らす方法はなかった。いや、力はある。だが、今、翔太は笑っている。そこへなのはが力を振るえば、嫌われるのは目に見えている。だから、なのはは動けなかった。
翔太がメイドが運転する車に乗り込んだのを見送ったなのはにできたことは、下唇を噛んで、胸の底からじくじくと溢れてくる口惜しさに耐えることだけだった。
◇ ◇ ◇
月村忍は、終わったぁ、という安堵感と共にどさっ、とソファーに座り込んだ。
「ふぅ、終わったわ」
「そうね」
翔太の会談は、比較的上手くいったというべきだろう。情報は取れたし、こちら側の事情を言いふらすつもりも、脅すつもりもなさそうだ。上手く行き過ぎて怖いような気がするが、今は喜ぶべきだと思った。
だが、それにも関わらず叔母―――というには若すぎるが―――のさくらは浮かない顔をしていた。
「どうしたの? 浮かない顔して」
「いえ……あの子、最初から私たちのこと知ってたんじゃないかと思ってね」
突然のさくらの言い方にしばし言葉を忘れてしまう忍。それもそうだろう。事情は先ほど説明したばかり。彼がこちら側というよりも秘密にすべき世界に無意識のうちに飛び込んでしまったのは、つい一ヶ月程度前。それまでの彼の経歴は調べたように真っ白だ。しかも、飛び込んだ後の一ヶ月はほとんどが海鳴の街の捜索に使われている。一体、どうやって彼が夜の一族のことを知ったというのだろう。
だから、忍はさくらの言葉を笑い飛ばした。
「そんなわけないじゃない」
「だったら、彼の態度になにも感じなかった? 血を吸われて、半ば強引に連れてこられて、脅すように言質をとった。それでも彼はこちらに対して友好的な態度を崩さなかった。なぜ? 私が脅すように睨んだときも、怖がっていたけど、その後から恐怖の色を見せることはなかったわ。むしろ、納得しているみたいだった。仕方ないか、と」
確かにいわれてみると疑念が沸いてくる。半ば脅すような会談になってしまったのは、公的機関のように夜の一族が舐められるわけにはいかないからだが、そのことに関してもまるで心得ているように動揺を見せなかった。いくら翔太が大人びた小学生だからといってもありえないような気がする。二年間、妹の友人として付き合ってきたから当然のように思っていたが、やはり翔太の態度は異常なのだ。
「彼にはまだ裏があるような気がするわ。だから、忍。彼を警戒しておいてね」
「え? まさか、そのために?」
「保険よ。あそこまでして友好的な態度を崩さなかった以上、こちらに他意はないんでしょうけどね」
「それじゃ、ジュエルシードを渡さなかったのは?」
実は、忍たちは翔太にジュエルシードを渡していなかった。魔力を持っていない月村家が持っていても無用の長物だ。いや、町一つが崩壊しかねないほどの力を持っているものなど、災厄の種にしかならないよう気がするのだが、さくらは渡さなかった。翔太もこればかりは少し渋ったが、最終的に渡すことを約束に今回は引き下がった形だ。
「それは、時空管理局という組織に対するカードね。時空すら超えるんですもの、技術もすごいんでしょうね」
つまり、交渉の糸口にしようというわけだ。迷惑料ともいう。
現状、夜の一族が経営するグループにおいて技術の知的財産というのは出し惜しみするほどに存在している。メイドをしているノエルという機械人形一つ見てもそこに込められた技術など現在使われている技術とは天と地ほどの差があることが分かる。だが、持っていて損はない。何よりも技術という点から見れば、忍も興味深いところではあった。
「それにファーストコンタクトは大切よ」
「なるほどね。了解したわ」
やはり夜の一族でも幹部に近い人は考えが違うわ、と一手一手に対する考え方の違いを見せられて降参とばかりにもろ手を挙げるしかない忍だった。
「あ、ところで、お詫びの品ってなんだったの?」
不意に思い出した翔太との会話の中の一言。だが、忍はそんなことは初耳だった。だから、聞こうとずっと思っていたのだ。そして、さくらからの答えは―――
「大人なら現金が一番なんでしょうけどね、彼は断わりそうだったから、物にしておくわ」
「へ~、で、何を送るつもりなの?」
「彼も血が足りないでしょうからね、最高級のレバーを送るわ」
◇ ◇ ◇
翔太にまた明日の言葉を告げたすずかはベットにうつ伏せに飛び込んだ。
「あは、あははははは」
先ほどの会話を思い出したのか、思わず笑みがこみ上げてくるすずか。
もう終わったと思っていた。翔太の記憶は消され、明日からはただの赤の他人として接するのだと思っていた。だから、忍に事情を話してからは、ずっと一人でベットに蹲って絶望のうちに泣いていた。悲しくて、翔太に申し訳なくて、明日からが怖くて、それらを思うだけで涙が止まらなかった。
だが、状況は翔太がすずかの部屋を訪ねてきたときから変わってしまった。なぜそうなったのか分からない。だが、確かに翔太は部屋にやってきた。いつもの静かな落ち着いた声と共に。
一瞬、自分が見ている夢だと思っていた。だが、違った。手の甲を抓ってみても痛かったし、気配は確かに感じられたから。信じられなかったが、それでも確かに翔太はそこにいた。しかも、すずかにとってさらに信じられない言葉を口にした。
―――僕はすずかちゃんが怖くない。
自分が魔法使いという冗談まで用意してすずかを受け入れてくれた。
嬉しかった。秘密が、自分が吸血鬼だということがばれてしまったら、きっと拒絶されると思っていたから。ずっとそう思っていたから。だが、その考えを翔太が真正面から壊してくれた。
―――また明日。
その言葉がまだすずかの中に残っている。明日からも今日と同じ日々が送れるかと思うと嬉しい気持ちがこみ上げてくる。
ここで初めてすずかは自分が泣いていることに気づいた。もう泣く必要はないのに。嬉しいときでも涙が流れてくるものだと小説の中でしか知らなかったことを体感していた。
それがおかしかった。泣く必要なんてどこにもないのに。明日からも今日と同じ日々が送れるのだから。朝はアリサと一緒に登校しよう。教室で翔太と合流して、まずは今日のことを謝ろう。お昼のお弁当を一緒にしよう。放課後は塾へと向かおう。休日は時々お茶会をやってもいい。そういえば、今まで一回もないが、一緒に図書館に行くのもいい。
明日からも同じ日々が続くという安心感が生まれると次々と湧き出してくるやりたいこと。だが、そこでふと気づいた。
―――今までと一緒? 本当に?
違う。違う。少なくとも今までと一緒ではないだろう。翔太は、自分の秘密を知った。それでも、受け入れてくれた。ならば、ならば―――
―――もっと、仲良しになってもいいのでは?
今までは、心のどこかでブレーキがかかっていた。それはもしも、万が一にでもすずかの正体がばれてしまったときに別れが辛くなるから。だから、できるだけ仲良くならないように、深入りしないようにすずかは努めてきた。だが、翔太に対してはもうそのブレーキを踏まなくてもいいのではないだろうか。彼は自分の正体を受け入れてくれたのだから。
本当は、友達と一緒にやりたいことが一杯あった。だが、それは危険性を考慮して見送ってきた。でも、明日からは、翔太と一緒にそれができるのではないだろうか。もっと、仲良くすることができるのではないだろうか。アリサが呼ぶように親友になれるのではないだろうか。
すずかの中でたくさんの期待が膨れ上がる。あんなに酷いことをしたのに。受け入れてくれた翔太ならそれが可能なような気がして。だから、すずかは泣きつかれて、まどろむ意識の中で思った。
―――もっと、ショウくんと仲良くなりたいなぁ。
そんなことを思いながら眠りにつくすずかを窓の向こう側から満月に近い月だけが見守っていた。
彼女にいと高き月の恩寵のあらんことを。
後書き
吸血鬼の幸せを願うには最後の一文しかないと思います。
次回はフェイトのおしおきからです(裏からです)
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