銀河英雄伝説~その海賊は銀河を駆け抜ける
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第二話 焦土戦術
帝国暦 487年 5月15日 巡航艦バッカニーア カルステン・キア
『よう、久しいな、黒姫の』
親っさんに通信が入った、誰かと思ったらワーグナーの頭領だ。盛り上がった肩に大きな厳つい顔が乗っている。右頬には一際目立つ大きな刀傷が有る。昔、敵対する組織の殺し屋に切り付けられたって噂の傷だ。
ワーグナーの頭領はいかにも海賊らしい風貌の頭領だ。もう五十代後半のはずだけど生気に満ち溢れている。奥さんの他に愛人が三人いるって聞いたけどいかにもって感じだ。確か今年の二月に七人目のお子さんが出来たんだっけ……、女の子だったよな。
「お久しぶりです、ワーグナーの頭領。いつもうちの組織に御協力していただき感謝しています」
親っさんがにこやかに挨拶するとワーグナーの頭領は苦笑しながら手を振った。スクリーンに大きなごつい手がひらひらと映る。
『勘弁してくれよ、黒姫の。礼を言うのはこっちの方だ。あんたに礼を言われちゃ俺の立場がねえよ』
「そんな事は有りません」
『いやいや、本当のこったぜ、これは。今回も随分と迷惑をかけた……』
「とんでもない、迷惑をかけたのはこちらの方ですよ」
凄えや、親っさん。ワーグナーの頭領が下手に出ている、しかも顔がマジだぜ。ワーグナー一家と言えばウチより格上の組織だ。この帝国でも上から数えて五指に入るだろう。縄張りもブラウンシュバイクを中心にリッテンハイム、アルテナ周辺と帝国中枢を押さえている。ウチみたいな辺境じゃない。その頭領が親っさんに気を遣っている! でも迷惑って?
『おい、リーフェンシュタール、こっちへ来い。黒姫の頭領に挨拶をしねえか』
ワーグナーの頭領の言葉に三十代半ばの口髭を綺麗に整えた男性がスクリーンに映った。この人がリーフェンシュタールか。確かワーグナー一家の№4で組織の金庫番だったよな。凄いよな、ワーグナー一家の№4って。おまけに組織の金庫番。能力も有るけど信頼されてもいるんだ。
『ヴァレンシュタインの頭領、お久しぶりです』
「久しぶりですね、リーフェンシュタールさん。元気そうで何よりです」
海賊社会では厳しい掟が幾つか有る。その一、頭領以外の人間は間違っても他所の頭領を面と向かって二つ名で呼んではいけない。これは大変失礼な事だとされている。
ワーグナーの頭領は親っさんを黒姫と呼べるがリーフェンシュタールには許されないんだ。もちろん親っさんが居ない場所では別だ。でも親っさんとリーフェンシュタールは知り合いだったのか、知らなかった。ワーグナー一家には仕事を依頼しているからそれで親しくなったのかな。でも普通どんな組織でも自分の所の金庫番が他所の頭領と親しくするのは嫌がる筈なんだけど……。ワーグナーの頭領、あまり気にしていないな……。
『私が今こうしているのもヴァレンシュタインの頭領のおかげです。あの時、頭領が助けてくれなければ私はワーグナーの親父にとんでもねぇ恥をかかせているところでした。感謝しております』
「あれはリーフェンシュタールさんの所為じゃ有りませんよ。仕方なかったんです……」
掟、その二。他所の組織の人間の前では自分の頭領は名前を付けて親父と呼ばなければならない。俺の立場ならヴァレンシュタインの親父だ。しかしなんか凄い話だな、ウチの親っさんがリーフェンシュタールを救った? それがワーグナーの頭領の面子を守ったって事? そりゃワーグナーの頭領も下手に出るわ。ウルマンとルーデルを見たけど二人とも目が点だ。俺と同じ気持ちなんだと思う、吃驚仰天だ。
『リーフェンシュタールの言う通りだぜ、黒姫の。あんたには世話になりっぱなしだ。今回もカストロプの件じゃ、しこたま儲けさせてもらった。声をかけてくれた事、感謝しているぜ』
「それこそ感謝するのはこちらの方です。買占めを手伝ってもらったんですからね。ワーグナー一家の協力無しでは上手く行きませんでした」
『あんたにそう言って貰えると嬉しいぜ』
親っさんの言葉にワーグナーの頭領が嬉しそうに頷いた。確かに今回のカストロプの反乱ではがっつり儲けた。あんな荒稼ぎは黒姫一家も初めてだったよ。ウチがフェザーン商人なら今年のシンドバット賞は間違いなかっただろう。フェザーン商人達からも海賊が儲け過ぎと非難が起きたほどだ。伝説の商人、バランタイン・カウフも親っさんの前じゃ子供だってさ。海賊には惜しいんだそうだ。
財務尚書カストロプ公が事故死した直後から黒姫一家とワーグナー一家はカストロプ星系、マリーンドルフ星系の特産物を買占め始めた。他にもクラインゲルト子爵家、バルトバッフェル男爵家、ミュンツァー男爵家、リューデリッツ伯爵家に協力してもらって特産物を買い占めた。
殆どが重金属、軽金属、希少金属の金属類だったけど変わった所では天然ガス、冷凍マグロを買い占めたよ。マリーンドルフ産のマグロって美味しいって有名だ、皇帝陛下への献上品にもなってる。一般庶民にはなかなか手に入らない代物だ。俺も喰った事は無い、辺境だと近場の安いボーデン産のマグロが精々だ。
カストロプの特産物の殆どは俺達で買い占めたはずだ、ごくわずかな分だけをフェザーン商人が買い占めた。よく分からなかったのはマリーンドルフだ、何でそっちまで買い占めるのかさっぱり分からなかった。親っさんに訊いても答えてくれないしな。多分マリーンドルフ伯が病気かなんかで余命が短いんだろうと思った。
カストロプの特産物の値が上がってそろそろ売り時かなと思っていたら、カストロプ公爵家の跡継ぎが何か下手を打ったらしくて反逆を起こしちまった。吃驚したよ、財務尚書の跡取りが反逆? おまけにカストロプはオーディンに近いし大騒ぎになった。カストロプの特産物はあっという間に暴騰したよ。すげぇー大儲けだと思って大興奮したけど親っさんは売らなかった。
討伐軍が組織されるとフェザーン商人達はカストロプの反乱は終結すると見たんだな、特産物を売りまくったけど親っさんは売らなかった。市場も反乱が終結すると見た、特産物の値はあっという間に下落した。俺達は真っ青になったしワーグナーの頭領からも“どうするんだ”って問い合わせが来たけど親っさんは逆に売られた特産物を買いまくった。俺なんか親っさん、気でも狂ったんじゃないかと思ったほどだ。
でも討伐軍がカストロプの反乱軍に敗れると特産物の値はさらに上がった。おまけにカストロプの反乱軍はマリーンドルフまで勢力を拡大しようとしたからマリーンドルフの特産物まで値が高騰した。吃驚したよ、親っさんが何でマリーンドルフの特産物まで買い占めたのか、ようやく分かった。“親っさん、すげぇー”って皆で騒いだ。
特産物の値は天井知らずで高騰した。皆が親っさんに何時売るんだって問い合わせてきた。協力してくれた人達だけじゃないよ、フェザーン商人や内務省の役人まで問い合わせてきた。だけど親っさんはニコニコ笑って“もう少し”と言うだけだった。役人は“あんまり阿漕な真似をするんじゃない”とか言ってたな。
親っさんが特産物を売ったのはキルヒアイス少将が討伐軍の指揮官に任命された直後だった。また吃驚しちゃったよ。キルヒアイス少将って階級も低いし年も若い、それに兵力が少なかった。これじゃまた鎮圧は失敗するぞって思ったからね。俺だけじゃない、皆そう思ったんだ、反乱はまだまだ長引くって。それなのに親っさんは皆売り払っちまった。俺なんか親っさん、今度こそ気が狂ったと思ったくらいだ。
でも親っさんは正しかった。なんとキルヒアイス少将は反乱を鎮圧しちまったんだ。しかも十日で鎮圧した、これまた吃驚だった。“親っさん、すげぇー”ってまた皆で騒いだよ、本当に痺れたぜ。俺達は大儲け、親っさんは皆から感謝された。神憑り的な予測だって皆が称賛していたぜ。俺は親っさんに何でわかったんですかって聞いたけど、親っさんは笑うだけで教えてくれなかった。親っさんっていつもそうなんだよな、笑うだけで教えてくれない……。
『ところで黒姫の、これからどうするんだい。イゼルローンが落ちたとなればこれからは辺境が戦場になる。商売がやり辛いんじゃないのかい』
「そうですね、あまり面白い事態じゃ有りません」
そう、黒姫一家は困っている。イゼルローン要塞が反乱軍の手に落ちた……。これからは反乱軍がイゼルローン回廊から攻め込んでくる。辺境が戦場になるんだ、縄張りが安定しないのは非常に拙い。
『なんならこっちへ来たらどうだ、あんたなら歓迎するぜ。あんたにとっても悪い話じゃないだろう』
「……」
え、それってどういうこと……。親っさんに配下になれって事?
『カストロプは例の反乱で無法地帯になっちまった。あの辺りを仕切っていた連中は反乱に巻き込まれて没落しちまったからな。あんたが仕切ってくれれば助かる、オーディンの周辺が騒がしいのは何かと拙いんだ。政府もうるせぇからな』
なるほど、そういう事か。ちょっと安心したけど、本当にそれだけ?
「有難うございます。ですがワーグナーの頭領、ウチは辺境の人達には随分と世話になってるんです。今になって見捨てるなんて事は出来ません。なんとかやっていきますよ」
親っさんの言葉にワーグナーの頭領が大きく二度、三度と頷いた。
『そうかい……、まあ仕方ねぇな、確かに世の中にゃ義理ってもんが有るからな。……何か俺で出来る事が有ったら言ってくれ。あんたには借りがある、何時でも力になるぜ』
「有難うございます、その時は宜しくお願いします」
親っさんが丁寧に頭を下げると、ワーグナーの頭領が“オイオイ、それは勘弁してくれよ”と言って笑い声を上げた。
通信が切れるとアンシュッツ副頭領が親っさんに声をかけた。
「どうします、これから先面倒な事になるかもしれません。幸いカストロプの件では儲けましたし武装艦を増やした方が良い様な気もしますが」
そうだよね、俺もそう思う。っていうか皆そう思ってる。でも親っさんはそう考えてはいない様だ。ちょっと小首を傾げている。不同意な時の親っさんの癖だ。
「百隻や二百隻増やしてもどうにもなりませんよ。それよりもカストロプの件では皆良くやってくれました。給料一ヶ月分の臨時報酬を出してください。本当はもっと報いたいが先が見えない、資金はある程度残しておかないと……」
「分かりました。手続きを取ります」
やったね! 給料一ヶ月分の臨時報酬だ。周囲も皆顔を綻ばせている。彼方此方で歓声が上がった。親っさんってこういうところは気が利いてるんだよな。これでリューデリッツ伯爵領のアンネに誕生日プレゼントを贈れる、確か六月の末だったよな、十分間に合う。親っさん、感謝です。臨時報酬は一ヶ月で十分ですよ。
「それとクラインゲルト子爵、バルトバッフェル男爵、ミュンツァー男爵、リューデリッツ伯爵に今後の事について相談したいと伝えてください。場所は、そうですね、バルトバッフェル男爵領でお願いしたいと」
残念、リューデリッツ伯爵領なら直接渡せたかもしれないのに……。しょうが無いよな、通販で頼むか、後で何が良いか見てみないと……。
親っさんは指示を出し終わると少し考える事があると言って部屋に戻った。親っさんが居ない、チャンスだぜ、さっきの事聞かなくちゃ。
「副頭領」
「何だ、キア」
「ワーグナーの頭領がカストロプへ来ないかって言ってましたけど、あれってワーグナー一家の傘下に入れって事ですか」
俺の質問にアンシュッツ副頭目はじろっと視線を向けてきた。うっ、怖いですよ、副頭目。でも気になるんだ、皆も頷いている。
「ワーグナー一家はウチと組んで大儲けしただろう。あそこはオーディンに近いしブラウンシュバイク公も傍に居る。ワーグナー一家は何かと目を付けられ易いんだ」
えーと、それって何を意味するんだろう。よく分かんないな、皆も困惑してる。
副頭目が舌打ちした。うっ、だから怖いですって。
「辺境の組織と組んで荒稼ぎとはどういうこった、何故俺に声をかけなかった、そういう声が上がってるんだよ。言いがかりに近いんだがウチがカストロプに移ればそう言う声も小さくなる。ワーグナーの頭領はウチとこれからも協力していきたいと言ってるんだ。まあ配下にしたい、そういう思いもあるかもしれないがな」
ますます分からない、ワーグナーの頭領に文句言える奴なんて居るの? 俺の疑問をウルマンが声に出した。
「ワーグナーの頭領に文句言う奴なんているんですか? いや、居るんだから奴なんて言っちゃいけないのかな、言えるお方? そんな人海賊に居るんですか?」
「海賊じゃねえ。ブラウンシュバイク公爵家に出入りの商人、貴族、軍人だ。利権目当てで集まっている連中が居るんだ。そういう奴らにとっちゃ今回の一件は面白くねぇんだよ」
副頭領の方が面白くなさそうだな。舌打ちはするし口がへの字に曲がっている。まあ確かに貴族って厄介なんだよ、力が有れば有るほど変な奴が寄ってくる。
「それでワーグナーの頭領はどうしたんです? 連中、簡単には引き下がりませんよね」
ウルマンの言うとおりだ、そういう奴らは簡単には引き下がらない。何らかの見返りを要求するはずだ。
「……ウチの親っさんが抑えた」
ボソッとした副頭領の言葉に彼方此方で声が上がった。皆信じられないと言った表情で副頭目を見ている。俺だって信じられない。
「親っさんの知り合いがブラウンシュバイク公の側近でな、親っさんがその人に頼んで連中を抑えさせたんだ」
「凄え!」
俺が声を上げると彼方此方で“凄え!”と声が上がった。
「静かにしろ! 騒ぐんじゃねえ!」
副頭領が怖い目で俺達を睨んでいる。“騒ぐんじゃねえ! ガキ共が” 副頭領が今度は低い声で俺達を叱責した。何で? 親っさんがブラウンシュバイク公の側近と知り合いだなんて凄い事だと思うんだけど。
「その人はな、士官学校で親っさんの同期生だったそうだ。だが今は相手はブラウンシュバイク公の側近、親っさんは辺境星域の海賊……。親っさんにしてみれば頼み辛かっただろう。でもな、ワーグナーの頭領の面倒を知らぬ振りで放置すれば後々黒姫一家にも悪い影響が出かねない。それで親っさんは下げたくもねえ頭を下げて頼んだんだ。……ワーグナーの頭領もそれを知っている、だからああしてウチの組織を気遣って下さるんだ」
「……」
副頭目が俺達をギロッと睨んだ。
「分かったか? 分かったら騒ぐんじゃねえぞ。外でピーチクパーチク喋るんじゃねぇ。何も知らない振りで仕事しろ、それが親っさんのためだ。親っさんを傷つけるようなマネはするんじゃねえぞ」
皆黙って頷いた……。
帝国暦 487年 9月 5日 クラインゲルト子爵領 ウルリッヒ・ケスラー
「もうすぐ反乱軍がここに来ます。軍の命令で食料を徴発することになりました。クラインゲルト子爵、軍に御協力頂きたい」
嫌な役目だ、感情を交えず軍の命令だけを伝えた。多分怒声、いや罵声が響くだろう、詰られるに違いない。
「なるほど、やはりそうですか」
「?」
「残念ですが軍に御協力は出来ませんな」
やはり反対された、しかし妙な感じだ、子爵は穏やかな表情を浮かべている。
「しかし」
「ケスラー中将、そう言われましたな」
「ええ」
「残念ですがこのクラインゲルト子爵領の住民達は十日分の食糧しか持っておらんのです」
「十日分?」
「そう、十日分です。反乱軍が来るころには食料は皆無ですな。徴発する食料など何処にもありません」
どういう事だ。十日分しか食料が無い、にも関わらず子爵は笑みを浮かべている。何かがおかしい。
「クラインゲルトだけではありません。辺境星域の住民は皆十日分の食糧しか持っておりません」
「馬鹿な……、一体何を言っているのです」
クラインゲルト子爵が耐えきれないように笑い出した。
「失礼、会わせたい人物がいます」
「会わせたい人物?」
「ええ、こちらへ」
子爵が先に歩き出す。後をついていくと小奇麗な部屋に通された。先客がいた、小柄な黒髪の若い男性だ。この男が会わせたい人物だろう。そしてこの奇妙な事態を引き起こした人物のはずだ……。
「クラインゲルト子爵、会わせたい人物と言うのはその人ですか」
「ええそうです」
私とクラインゲルト子爵の会話を聞いても彼は何の反応も示さなかった。多分、私の事は知っているのだろう。面憎いほどの落ち着きぶりだ。
「紹介していただけますか、彼を」
「エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、悪名高き海賊組織、黒姫一家の頭領です」
「……黒姫のヴァレンシュタイン……」
驚きのあまり呟くと彼が笑みを浮かべた……。
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