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本編前
第五話
さて、僕に友達が新しく増えて、さらに一月が経過した。
季節は初夏。六月に入ったばかりで梅雨になるのが心配だが、まだまだ春の陽気を残したような日もある。
先週の施行期間を終え、聖祥大付属小学校の制服も夏服に完全に衣替えした。
しかしながら、季節が春から初夏へと移行しようとも僕が小学生である以上、やるべきことはほとんど変わらない。
つまり、学校へ行き、授業受けることだ。そして、今日もその一環で、時刻は昼休み。僕は宿題となっていた算数のノートを集めて担任の元へと持ってきていた。
「はい、先生。これ、宿題のノートです」
「あいよ。そこに置いておいてくれ」
先生は、書類に向かったまま適当にプリントが無造作に散らかっている後ろの棚を指差した。
少しは、片付けたほうがいいんじゃないだろうか、と思うが、そんなことを言えば僕にお鉢が廻ってくるだけに何も言わず、素直にノートを棚の上においた。
「ああ、なんなら、お前が採点してくれても構わないぞ」
立ち去ろうとする僕の背後からまるでからかうような声。
「ご冗談を。それは先生のお仕事でしょうに。先生なんだからきちんと仕事しなくちゃいけませんよ」
この手の仕事をしたときは、ほとんど毎回からかわれるため、軽いジョークだと知っている僕は苦笑いなしながらもそう返した。
大体、いつものやり取りだ。
いつもなら、さらに「そんなこと言わずにさ。お前ならできるだろ?」と続くはずなのだが、今日は違った。
滅多に見せない真面目な顔をして僕を見ていた。
「そうだな。お前には、もう半分ぐらい私の仕事を肩代わりしてもらってるようなもんだし、これくらい頑張るか」
「先生?」
その滅多に見せない真面目な表情が、声が、僕はなにかやってしまったのだろうか、と不安にさせる。だが、さすがに先生をやっている人は違うのだろうか。僕の不安げな表情から、その心情を見抜いたのだろう。慌てていつものようにちゃらけた笑みを浮かべると片手を顔の前で左右に振る。
「ああ、そんな不安そうな顔をしなさんな。別に蔵元が何かしたわけじゃないよ。ただ、本当にお前には私の仕事を半分ぐらいやってもらってるな、と不意に思っただけさ」
「どういう意味ですか?」
僕には本当に意味が分からなくて聞いたのだが、先生は少しだけ思案するような表情をした後に口を開いた。
「まあ、お前になら大丈夫か。なあ、他の一年生の担任が今、どこにいるか、分かるか?」
そういわれて、僕は先生の周りの机を見渡してみる。しかし、そこはまるで、まったく使っていないように綺麗に片付けられた机があるだけだ。
先生に言われて初めて気づいたが、職員室の中で一年生の先生たちが固まっている場所の中で机に座って仕事をしているのは僕のクラスの先生だけだった。
しかし、それが分かったところでどうしようもない。
先生の業務というものを僕は知らないので、他の先生たちが何をやっているかなんて分かるはずもない。
「いえ、分かりません」
「他の先生は今頃、自分の担任の教室でお仕事中さ」
はて、おかしな話である。
一年生の担任は、必ず自分が受け持った教室で仕事をしなければならない、と明文化されているなら目の前の担任も自分の教室で仕事をしなければならないはずだ。
だが、こうして、今、僕の目の前で先生は自分の仕事をしている。つまり、強制ではないわけだ。いくら僕の担任が他の先生に比べてちゃらけていたとしても、さすがに職場のルールを破るようなことはしないだろうから。
「おやおや、さすがに特Aクラスの特待生でも分からなかったかい?」
「僕はただの児童ですよ。先生の事情が分かるわけありません」
「いやいや、自分の立場を理解しているお前を一介の小学生に分類できるかといわれれば、甚だ疑問だがね」
まるで詐欺師を見るような目。
明らかに教師が生徒に向けてはいけないだろう、とは思うが、その視線は僕の特性を考えると的を射ている。詐欺師のようなというか、詐欺師そのものと言っても過言じゃないからだ。
「まあ、いい。さて、他の先生たちが自分たちの教室に行ってるのはだな、はっきり言うと心配だからだ」
―――ああ、なるほど。
僕は先生のその言葉を聞いて大体把握した。なぜなら、それは僕が昼休みに教室にいながらいつも感じていることだからである。
「お前たちの学年は一年生だ。保育園、幼稚園から小学校というまったく別の環境に放り込まれた子供たち。知ってるか? 一年生の担任をする上で一番大変なことは、きちんと授業の間、席に座らせることなんだ。それに、相手は子供だからな。自制心がない。我慢も知らない。小さな喧嘩なんて日常茶飯事だ。それでいながら、少しでも怪我しようものなら、保護者が飛んできて文句を言う。学校が始まったときから放課後まで気の休まるときが一切ないのが担任ってやつさ。特に今の時期なんて目が離せない」
その苦労は分かる。なぜなら、僕が現在進行形で感じている苦労だからだ。しかも、僕なら、彼らの様子だけを見ればいいのだが、先生たちはそれに加えて自分たちの『教師』としての仕事もあるのだ。下手をすると、そこらへんのブラック企業よりもブラックかもしれない。彼らには、本当にご愁傷様、としかいえない。
「まあ、その点、私はかなり恵まれているけどな。お前がいるから」
僕を見て先生が笑う。確かに、僕がいれば、先生は職員室で自分の仕事をしていも何も問題はないだろう。他の先生たちの心配事はすべて僕が処理しているのだから。
しかし、そうだとしても、もし、僕が失敗すれば、その責任はすべて先生が取ることになっているのだが。それを分かっていながら、僕に一任して職員室にいるのであれば、僕はこの先生からよっぽど信頼されているのだろう。嬉しいというべきか、怠慢するなというべきか。はて、判断に困ることである。
「まあ、もっとも、お前さんがこの話を聞いて、嫌気が差して、もう知りませんっていうなら、私はこの紙の束とノートを持って教室の机で仕事をやらなならんだがな」
さあ、お前はどうする? と先生の目が聞いていた。
判断に困ると思ったところで、この言葉。正直、僕にはこの人が心を読んでいるんじゃないか、と疑いたくなる。これが、しょせん、大学までの経験しかない僕と社会で生きている先生との絶対的な差なのだろう。
だが、しかし、よくよく考えてみれば僕の答えは決まっていた。 何度も、もうやめようと思ってもやめられなかったことがすべてを物語っているじゃないか。
「いえ、先生はここで黙々と自分の仕事をしていてくださいよ」
「おや、せっかく、お前さんの気苦労から解放してやれる最後のチャンスなのに」
「いやいや、意外と僕は今の立場が気に入っているみたいですから」
大人の対応とは違って疲れることは確かだ。だが、子供というのは実に感情がストレートに表れて面白い。前世で学んだ工学という当然の結果しか返さない分野とはまったく逆ベクトルの分野であることも関係しているだろう。
「それに、昔からよく言うでしょう。『手のかかる子供ほど可愛い』って」
確かに、彼らの相手は疲れる。疲れるし、やめたいと思ったことも何度もある。それでも、やめられなかったのはやはりこれが一番の理由なのだろう。なんだかんだ言いながら、僕には彼らが可愛く思えているのだ。手のかかる奴ほど特に。もしも、彼らを可愛いとか好きだとか思えていなければ、こんな立場なんてすぐさま放り出しているに違いない。
僕の返答に一瞬、ポカンとしていた先生だったが、すぐに表情をとりなして、くすっと笑い、「そうかい、私もだ」と一言だけ僕に言った。
◇ ◇ ◇
「ショウくん、次は体育だよっ!!」
僕の隣に座る友人がよっぽど嬉しいのかわざわざ次の時間の教科を教えてくれる。
その程度は言われなくても分かっているのだが、彼の目に浮かぶ期待感を前にすると、冷たくあしらうという選択肢は消えてなくなってしまい、「今日はなにするんだろう。楽しみだね」とこちらも乗り気になって答えるしかなかった。
一年生の間の体育というのは、運動というよりも遊びの時間に近い。楽しみになるのも分かる。かくいう僕も楽しみなのだから。
答えた後はしっかりと体操服に着替えることを促す。そうしなければ、僅か十分しかない休み時間で着替えて、グラウンドまで出ることなんて不可能だ。
最初の頃はグランドにしろ体育館にしろ遅れて始まることが多かったが、最近は、開始が遅れると体育の時間(遊びの時間)が減ることが分かってきたのか、着替えるのも早く、遅れて始まることはなくなってきたのだが。
しかしながら―――周りを見渡しながら思う。
男女一緒なのはいかがなものか。
いや、無論、やましい気持ちは何もない。ただ、男女が共に着替えているという事実が三ヶ月経った今も僕を困惑させる。
まあ、一年生ということもあるのだろう。そういう類の羞恥心が芽生えるのは、早い人で大体三年生ぐらいといわれているし。
「ショウ、あんた何やってんの? 早くしないと遅れるわよ」
気がつけば、教室には僕とアリサちゃんとすずかちゃんしか残っていなかった。
しかも、彼女たちは体操服に着替えているのに僕はまだ体操服を着ていない。
どうやら変なことを考えている間に休み時間は刻一刻と減っていたようだ。時間を見てみると後五分ぐらいしかない。
走ればギリギリ間に合うか、というレベルである。
「早くしなさいよっ!」
急かしながらも待ってくれるアリサちゃんとすずかちゃんに感謝しながら僕は急いで着替えた。
◇ ◇ ◇
「いっくぞっ!!」
わざわざ宣言しながら、枠の中を剛速球が走る。
今日の体育は、ドッジボールだった。クラス内を適当に二グループに分け、外野が三人出るという形だ。そんな中で僕は最初から外野に立候補していた。
もう少し学年が上になれば、強い奴を外に出してさっさと外野をゼロにしてしまって、勝負をつけるなんて戦略が生まれるのだろうが、如何せん、まだまだそういうことには疎い一年生だ。
しかも、外野がいなくなれば、試合終了というルールを理解しているのかしていないのか、内野であろうとボールを持ったら投げたがる思考にある。
逆にボールを怖がって必死に逃げる子もいたりして両極端に走るのでバランスが取れているといってもいいかもしれないが。
ともかく、外野なんていうのはとにかく出番がないもので、ひたすらに人気がない。しかし、外野は出さなければならない。
僕としては外野としての役割も知っているから、立候補したというわけだ。他の二人はじゃんけんに負けていた。
さて、外野というのは、両サイドでボールを投げ合っている間は、とにかく暇なのだ。
自分たちの陣営がボールをとったとしても、外野に投げるなんて意識がないし、まだ、始まったばかりだから相手陣営の密度も濃いので、相手陣地を越えて外野までボールが来ることなんてないし。
だから、僕はついつい、人を目で追ってしまう。
ああ、そんなに固まったら、ボールの餌食だぞ。
ドッジボールというのは、適当に散らばったほうが逃げやすくていいのだ。
人が固まって団子になっていたら、ボールがきても逃げられないし、ボールが一人に当たると連鎖的に当たってアウトになる場合もある。
もっとも、近くにいる人を盾にするというのなら話は別だが。
というか、すずかちゃんがいつも流している髪をポニーテイルにして、すごい勢いで相手陣営を崩していっていた。
小学生ということを除いたとしてもすごい威力だ。男子と比較しても引けを取らない。というか、明らかに男子が投げるボールよりも威力がありそうなんだが。ちなみに、彼女は僕の敵陣営である。
とかなんとか思っていたら、僕が危惧したことが起きてしまった。
つまり、団子状態になったままで人の波が引くことだ。
これは、味方陣営のエースが投げたボールが不意に取られてしまったときに起きやすい。
速攻の反撃を恐れてか、ハーフラインに近い人間が急に距離を取ろうとする。だが、すぐ背後には、ボールを恐れて固まっている人間がいるのだ。
その結果、逃げようとした人間、その場にいた人間がぶつかってしまう。
ボールを恐れていても、運動神経がよければ、体勢を立て直すことが可能な人間もいるだろう。
事実、何度か同じようなことが起きても転ぶような人間はいなかった。
しかし、今回は当たった人間が悪かったというべきだろうか。急に引いた人の波に対応しきれず、ぶつかってしまい、その結果、転んでしまった女の子がいた。しかも、不意にぶつかってしまったせいか、両手をつくことさえ出来ずにズザザーとヘッドスライディングのように滑っていった。
もしも、体操服がジャージなどの長袖長ズボンで肌が隠れていれば大丈夫だったかもしれない。
しかしながら、このご時勢にあって、我が聖祥大付属小学校はブルマという恐ろしい選択を取っていたので肌がむき出しだ。
たぶん、何かしら怪我をしているだろう。早く立ち上がれればいいのだが怪我が酷いのか、あるいは痛いのか、その両方か、中々立ち上がらない。
しかも、悪いことは重なるもので、体育で身体を動かしている興奮感が視野を狭くしているのか誰一人、彼女に気づいていない。
頼みの綱の先生に至っても他のクラスメイトが壁になって先生からは死角となって気づいていない。
と、そこまで状況把握していれば、動き出さずにはいられない。
本来、僕の目の前のラインを超えてしまえば、敵陣営なので文句を言われても仕方なのだが、そんなものは無視してコートの中に入る。
幸いにして転んだのは、コートラインの近くだったため、すぐに彼女には近づけた。
彼女の様子が気になるが、早いところ外に出て行かないと。
怖いのは、また転んだ時のようなことが起きることだ。今は、両者が投げ合ってるからいいものの。
今度は、かがんでいる分、踏み潰されるに近い形になってしまう。そうなると大惨事に繋がるかも。
早く起き上がってもらえばいいのだが、まだ彼女は、かがんだままだ。
―――仕方ないか。
僕は「ごめん」と告げると、かがんでいる彼女の膝の下に手を通して一気に持ち上げた。いわゆるお姫様抱っこというやつだが、気にしている暇はない。それよりも、この場にそのままいるほうが怖いのだから。
彼女は「え、えぇぇぇ?」とか言って驚いていたが、気にしない。背に腹は代えられないのだ。
しかしながら、僕からしてみれば恥ずかしいという感情はなかった。それよりも優先されたのは、重いという感想。
女性に対しては失礼だとは思っている。だが、小学一年生である。いくら男とはいえ、この頃の体格はほとんどみんな変わらない。これを重いと思わないわけがないのだ。
もうダメだ、と思うまで三十秒も経たなかったのではないだろうか。だが、何とか意地でコートの外までは運んだ。
僕の腕の中で呆然としている彼女を地面に降ろして、手を振る。腕が痺れたように震えていた。
一方、彼女が抜けたドッジボールだが、彼女が抜けたことも気づかず白熱した戦いが続いていた。
はぁ、小学生なら仕方ないか、と思いながら、僕は彼女の身体を調べる。
どうやら、右手は砂で汚れているが無事。左肘と両膝をすりむいたのか、血が流れていた。
「血が出てるね。ちょっと、先生に言ってくるから待っててくれる? 高町さん」
ドッジボールの途中で怪我をしてしまった女の子―――高町さんは呆然とした顔で僕を見ていたが、コクンと頷いてくれた。
◇ ◇ ◇
「はい、ちょっと足を出してもらえる」
高町さんは、僕の指示に従って足を伸ばしてくれる。その膝の皿の部分がすりむけており、若干出血していた。
そこに僕は躊躇なく保健室の外に設置してある水道から伸びているホースを使って水を出した。
「―――っ!」
おそらく、水が当たったときにしみたのだろう。顔をしかめるが、傷を水で洗い流さないほうが怖いので止めることはなかった。
結局、あの後、先生に高町さんの怪我を伝えたところ、一応、先生が高町さんの怪我を見に来たが、擦り傷だけなこと、本人が大丈夫だ、ということを理由に先生が保健室に連れて行くことはなかった。
しかし、怪我は怪我だ。保健室に行くよう、にいわれ、保健委員に付き添いを頼んだのだが、あからさまに不満げな顔をしていた。それは、男女いる保健委員共にだ。確かに体育の時間の途中に抜けろと言われたら嫌かもしれない。それが自分の仕事だとしても。だからといって、そんな不満げな顔をしなくても、とも思うが。
結局、この場合、付き添いを頼んでもしっかり手当てしないだろう、という判断から僕が付き添った。
そして、今現在、こうして肘と膝の擦りむいた箇所を水で流している。
「痛い?」
「ううん、大丈夫だよ」
水で流すとき、顔をしかめていたにも関わらず笑ってそういう高町さん。
高町さん。本名は、高町なのは、だっただろうか。
入学式の日、自己紹介の後にクッキーを貰った記憶しかない。
彼女のクラス内での立場は、誰にも深く立ち入らず、かといって離れずだ。
ある意味で、僕やすずかちゃんと似ている。ただ、すずかちゃんがどこのコミュニティーにも所属しない、という立場を取っているのに対して―――何の因果か、アリサちゃんと親友をやっているが―――僕のようにどこのコミュニティーにも顔を出しているというところから考えるに、どちらかというと僕よりのスタンスなのだろう。
高町さんがどうしてそんなスタンスを取っているか分からない。だが、個人にはそれぞれ事情があるだろう。
見たところ、孤立している感じもない。それに問題行動だって起こさない。彼女はクラスの中では優等生に分類されるだろう。だから、僕と高町さんはあまり交わらなかった。
「はい、後は中で手当てだね」
水で傷口を流してしまえば、後は簡単だ。
僕と高町さんは、傷口の周りを保健室においてある清潔なタオルで拭って、保健室の中に戻る。
「あ、そこに座ってて」
血は止まっているようだが、怪我をしている高町さんに保健室に備え付けてある丸椅子に座るように指示して、僕は治療道具を探す。
僕が知っているこの学校の養護教諭はもうすぐ定年じゃないか、というおばあちゃん先生なのだが、時々消える。
まったく、少なくとも養護教諭は、放課後までずっと保健室にいるべきだと思う。もしかしたら、職員室にいるのかもしれないが、呼びに行くよりも僕が手当てしたほうが早いので、こうして高町さんの手当てをしているのだ。
「蔵元くんは、すごいね」
「え? なにが」
えっと、確かここら辺に……あ、あった、ラップはここか。後は、テープと……。
「勉強も出来て、運動もできて、なんだって知ってて、誰にだって優しくて、傷の手当もできて、なんでもできるから」
「なんでもは出来ないよ。僕は僕の出来ることしか出来ない」
あとは、大げさになるかもしれないけど、包帯も必要かな? でも、ラップが見えているだけよりいいか。
半ば、高町さんの言い分を聞き流しながら、僕は治療道具を探す。
僕には僕が出来ることしか出来ない。
高町さんが僕を何でも出来るなんて思えるのは、まだ学年が低いからだろう。きっと、これから大きくなるにつれて僕にだって出来ないことは増えてくる。
僕の存在というのは、すごく反則的な存在だ。身分的には子供なのに頭脳は大学生。そんな僕が小学生相手になんでも出来るのは当たり前なのだ。
「わたしも蔵元くんみたいになれたらいいのに」
どこか羨望するような目で僕を見てくる。
正直、そんな目で見られたことは人生で一度もないので少し恥ずかしくなる。僕は、その目から逃げるように出来るだけ高町さんの目を見ないようにかがんで、膝の手当てを始める。
えっと、ラップを張って……。
「僕みたいなんてやめたほうがいいよ。可愛くなくなるから」
たぶん、教師たちに一番可愛くないと思われているのは僕だろう。担任の先生も暗にそういっていた。
手がかからない子供。確かに口にすればいいものかもしれない。しかしながら、手のかからない子供ほど可愛くないものはないのだ。
なぜ? といわれても仕方ない。それが親の心というものだ。煩わしい、面倒だ、と思いながらも子供には愛情を持っている。それは、世話を焼き、子供を育てているという実感があるからだろう。
それに対して、僕の場合は、どうか。僕の場合は、最初から育っているようなもんだ。教えられることなくトイレにだって行けたし、着替えも出来た、一人で寝ることも出来た。手がかからない子供だろう。おそらく、両親は、僕を育てたという実感は少ないのではないか、と思う。この年齢になって弟か妹が出来たのがいい例だ。もしかしたら、僕が穿ちすぎなのかもしれないが。
「それに、誰かになりたいなんて思うもんじゃないよ。ほら、昔の人だって言ってるよ。『みんな違って、みんないい』。多分、高町さんは僕が何でも出来るところをいいところと思ってるんだろうけど、僕みたいになると高町さんのいいところが消えちゃうよ。だから、そんなこと思わないほうがいいよ」
手当ての最後に包帯を一巻きして、膝の治療は終わり。肘のほうも手早く終わらせた。
治療が終わるのに必要だった時間は約五分。まったく、何度も同じようなことやってたから手馴れちゃったよ。
「さて、これで終わり。僕は道具を片付けてすぐ行くから、高町さんは先に行っててよ。僕は後で追いつくから」
僕が話してから俯いて何も話さなかった高町さんだったが、僕の言葉は聞こえていたのか、ゆっくりと立ち上がって保健室の出口へと歩いていった。
僕は、勝手に出してしまったラップ、包帯、テープを片付けて、保健室の利用履歴を書かなくちゃいけない。
先生が心配するから早く帰ったほうがいいか。そう思いながら少しだけ慌てて僕は片づけを始める。
だからだろう、高町さんが出て行く間際「それでも、わたしはいい子じゃなくちゃいけない」なんて呟きが僕に届くことはなかった。
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