ドリトル先生の長崎での出会い
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第八幕その三
「お父さんは切腹しているね」
「そうそう」
「それで蝶々さんもね」
「お父さんの様に自害したね」
「誇りを持ってね」
「それがあの作品の結末で」
蝶々夫人のというのです。
「蝶々さんの親戚の人達はね」
「蝶々さんが結婚の時にキリスト教に改宗して」
「親戚のお坊さんが怒ってね」
「その時に皆縁切りするんだよね」
「それで蝶々さんは孤独になるね」
「侍女のスズキさんはいても」
それでもというのです。
「お子さんとずっとね」
「あのお家でね」
「中尉を寂しく待っていたんだよね」
「健気にね」
「ずっとね」
「その時に二重唱で桜の枝を揺さぶってがあって」
この歌がというのです。
「舞台が移るまでにハミングコーラスがあって」
「何よりもあのアリアを歌うね」
「独唱をね」
「ある晴れた日に」
「蝶々夫人の中で一番有名な歌をね」
「あの曲は名曲だよ」
先生はある晴れた日についてもお話しました。
「プッチーニさんそして歌劇には実に多くの名曲があるけれど」
「その中でもだよね」
「ある晴れた日は名曲中の名曲だよね」
「そう言っていいわね」
「本当に」
「そうだよ、あれだけの名曲はそうはないよ」
先生は遠くを見る様な目で言いました。
「多くの歌劇の中でもね」
「まさにプッチーニさん渾身の曲で」
「プッチーニさん多くの名作と言われる歌劇を残していて」
「その中で名曲も多いけれど」
「とりわけだよね」
「ある晴れた日は名曲だね」
「そう言うべきだよ、そのある晴れた日を歌うのも」
このこともというのです。
「蝶々さんが中尉を待つ中でのことでね」
「親戚の人達は寄り付かなくて」
「縁を切っていて」
「けれどまだだね」
「その親戚の人達が長崎にいるかも知れないんだね」
「ひょっとしたらね、スズキさんの子孫の人がいても」
それでもというのです。
「不思議じゃないしね」
「そうなのね」
「中尉の子孫の人達がいて」
「中尉と蝶々さんとの間に生まれた」
「そして蝶々さんの親戚の人達も」
「まだ長崎におられるかも知れないんだね」
「ひょっとしたらね」
こう言うのでした。
「そうかも知れないよ」
「若しそうだったら」
ダブダブが言いました。
「蝶々さんの親戚の人達も後悔しているのかしら」
「中尉みたいにね」
「そうなっているのかしら」
チープサイドの家族も思いました。
「蝶々さんに酷いことをした」
「そうね」
「その人達がそうしても」
チーチーはそれでもと思いました。
「子孫の人達は関係ないよ」
「贖罪の意識はあっても」
それでもと言う老馬でした。
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