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拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~

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第1章 高校1年生
  旅立ち、新生活スタート。


 ――それから半年が過ぎ、季節は春。愛美が〈わかば園〉を巣立(すだ)つ日がやってきた。

「――愛美ちゃん、忘れ物はない?」

「はい、大丈夫です」

 大きなスポーツバッグ一つを下げて旅立っていく愛美に、聡美園長が訊ねた。

「大きな荷物は先に寮の方に送っておいたから。何も心配しないで行ってらっしゃい」

「はい……」

 十年以上育ててもらった家。旅立つのが名残(なごり)惜しくて、愛美はなかなか一歩踏み出せずにいる。

「愛美ちゃん、もうタクシーが来るから出ないと。ね?」

 園長だって、早く彼女を追いだしたいわけではないので、そっと背中を押すように彼女を(うなが)した。

「はい。……あ、リョウちゃん」

 愛美は園長と一緒に見送りに来ている涼介に声をかけた。

「ん? なに、愛美姉ちゃん?」

「これからは、リョウちゃんが一番お兄ちゃんなんだから。みんなのことお願いね。先生たちのこと助けてあげるんだよ?」

 この役目も、愛美から涼介にバトンタッチだ。

「うん、分かってるよ。任せとけって」

「ありがとね。――園長先生、今日までお世話になりました!」

 愛美は目を(うる)ませながら、それでも元気にお礼を言った。

 ――動き出したタクシーの窓から、だんだん小さくなっていく〈わかば園〉の外観を切なく眺めながら、愛美は心の中で呟いた。

(さよなら、わかば園。今までありがとう)

 駅に向かう道のりは長い。朝早く起きた愛美は(おそ)ってきた眠気に勝てず、いつの間にか眠っていた――。


   * * * *


 JR(ジェイアール)(こう)()駅から特急で静岡(しずおか)県の新富士(ふじ)駅まで出て、そこから新横浜駅までは新幹線。
 そこまでの切符(チケット)は全て、〝田中太郎〟氏が買ってくれていた。

(田中さんって人、太っ腹だなあ。入試の時の往復の交通費も出して下さったし)

 新幹線の車窓(しゃそう)から富士山を眺めつつ、愛美は感心していた。
自分が指定した高校を受験するからといって、一人の女の子に対してそこまで気前よくするものだろうか? もし合格していなかったら、入試の日の交通費はドブに捨てるようなものなのに。

(ホントにその人、女の子苦手なのかな……?)

 園長先生がそんなことを言っていた気がするけれど。自分にここまでしてくれる人が、女の子が苦手だとはとても思えない。
 もしも本当にそうなのだとしたら、何か事情があるのかもしれない。


 愛美が目指す私立茗倫女子大付属高校は山手の方にあるので、新横浜からは地下鉄に乗り換えなければならないのだけれど。

「……あれ? 乗り換えの駅はどこ~?」

 早くも複雑(ふくざつ)(かい)()な地下街で迷子になってしまった。
 スマホがあれば行き方を検索することもできるけれど、残念ながら愛美はスマホを持っていないし持ったこともない。
 
 目の前にはパン屋さんがあり、美味しそうな(にお)いがしてくる。

「お腹すいたなあ……」

 お昼を過ぎているし、昼食代わりにパンを買って食べるのもいいかもしれない。
 愛美は美味しそうな焼きたてメロンパンを買うついでに、店員さんに山手に行く路線の駅を訊ねた。店員のお姉さんは親切な人で、愛美にキチンと教えてくれた。

 券売機で切符を買い、改札を抜け、ホームでメロンパンをかじりながら電車を待つ。

 施設にいた頃には、こんな経験をしたことがなかった。自分で切符を買うのも、人に道を訊ねるのも初めての経験で、愛美はドキドキしっぱなしだ。

「次は、どんなドキドキが待ってるんだろう?」

 自動販売機で買ったカフェラテを飲みながら、愛美はワクワクする気持ちを言葉にして言った。
 

   * * * *


 ――茗倫女子大付属高校は〝名門〟というだけのことはあって、敷地だけでも相当な広さを(ほこ)っている。愛美が通っていた地元の小中学校や、それこそ〈わかば園〉とは比べものにならない。

「わあ……! 大きい!」

 その立派な門を一歩くぐるなり、愛美は歓声を上げた。

 敷地内には、大きな建物がいくつも建てられている。高校と大学の校舎に体育館、図書館に付属病院まである。さすがは大学付属だ。
 
 そして、愛美がこれから生活を送る〈(ふた)()寮〉も――。

「こんにちは! ……あの、これからお世話になる相川愛美です。よろしくお願いします」

 寮母さんと思われる女性に、愛美はおそるおそる声をかけてみる。――果たして、これが寮に入る新入生の挨拶(あいさつ)として正しいのかは彼女にも分からないけれど。

「はい、相川愛美さんね。ご入学おめでとうございます。――これ、校章と部屋割り表ね」

「ありがとうございます。――えーっと、わたしの部屋は、と。……ん?」

 渡された部屋割り表でさっそく自分の部屋番号を確かめた愛美は、そこに自分の名前しか載っていないことに驚く。

「わたし……、一人部屋なんですか?」

「ええ。入学が決まった時に、保護者の方からご要望があったそうよ。あなたには一人部屋を与えてやってくれ、って」

(保護者って……、〝田中さん〟だ!)

 もしくはその秘書の久留島という人だろう。愛美が施設ではずっと六人部屋だったことを知っているから、せめて高校の寮生活では一人部屋を……と希望したに違いない。

「まあ、この先一年だけだから。学年が上がれば部屋替えもあるし」

「はあ……。ありがとうございます」

「私はここで寮母をしている、森口(もりぐち)(はる)()です。よろしく、相川さん」

「はい、よろしくお願いします」

「荷物はロビーに届いてるから。そこにいる用務員の先生に声をかけてね」

 森口さん言われた通りに〈双葉寮〉の玄関ロビーに行ってみると、そこには他の新入生の女の子たちがみんな集まっている。

「あの、新入生の相川愛美ですけど。わたしの荷物、届いてますか?」

 その中に一人混じっている用務員さんとおぼしき中年男性に愛美は声をかけた。

「相川愛美さん……ですね。入学おめでとう。君の荷物は……と、あったあった! これに間違いないですか?」

 彼が持ち上げたのは、ピンク色の小さめのスーツケース。ちゃんと荷札が貼ってある。
 施設の部屋にはそんなにたくさんものが置けなかったため、愛美個人の荷物は少ない。だからこれ一つでこと足りたのだ。

「――あ、それからもう一つ、小包みが届いてますよ」

 彼はそう言って、箱を愛美に手渡した。
 けっこう大きな段ボール箱で、しっかりと梱包されている。

「えっ、小包み? ありがとうございます」

 愛美は小首を傾げながらも、お礼を言って受け取った。

「誰からだろう? ……ウソ」

 貼られている伝票を確かめて、目を丸くする。差出人の名前は、〝久留島栄吉〟。――あの〝田中太郎〟氏の秘書の名前だ。

(一体、何を送ってくれたんだろう……?)

「こわれもの注意」のステッカーが貼られているけれど、品物が何なのかまでは皆目(かいもく)見当がつかない。

「まあいいや。部屋に着いてからゆっくり開けようっと」

 箱をスーツケースに入れ(実は中がスカスカで、それくらいの余裕はあった)、部屋に向かおうとすると――。

「ちょっと! 私が相部屋になってるってどういうことですの!? 父から『一人部屋にしてほしい』と連絡があったはずでしょう!?」

 一人の女の子の(かな)()り声が聞こえてきて、愛美は思わず足を止めた。

 先ほどまで自分がいた方を見れば、声の主はスラリと背の高い、モデルみたいにキレイな女の子。彼女はあの男性職員に何やら食ってかかっている様子。

(へん)(とう)(いん)(じゅ)()さん。申し訳ありませんが、一人部屋はもう他の新入生が入ることになっていて。今更変更はできません」

「ええっ!? ウソでしょう!?」

(一人部屋……、ってわたしが使うことになった部屋だ……)
 
 二人の口論(こうろん)を耳にして、愛美は何だかいたたまれなくなった。
 自分に一人部屋が当たったことで、この子の希望が叶わなくなったんだ。  
 ――もっとも、愛美が望んでそうなったわけではないので、彼女が責任を感じる必要はないのだけれど。

 ――と。

「まぁったく、ヤな感じだよねえあの子」

「……え?」

 (けん)()感丸出しで、一人の女の子が愛美に声をかけてきた。とはいっても、その嫌悪感の矛先(ほこさき)は愛美ではなく、用務員さんともめている長身の女の子の方らしい。

 身長は百五十センチしかない愛美より少し高いくらい。肩まで届かないくらいの黒髪は、少しウェーブがかかっている。

「あの子ね、あたしと同室になったんだけど。それが気に入らないらしいんだよね。ったく、あたしだってゴメンだっつうの。あんな高ビーなお嬢がルームメイトなんて」

「あの……?」

 多少口は悪いけれど、突っ張っている風でもない彼女に愛美は完全に気圧(けお)されている。

「――あ、ゴメン! あたし、牧村(まきむら)さやか。よろしくね。アンタは?」

「あ、わたしは相川愛美。よろしく。『さやかちゃん』って呼んでもいい?」

「うん、いいよ☆ じゃああたしは『愛美』って呼ぶね。あたしたち、部屋となり同士みたいだよ」

「えっ、ホント? ――あ、ホントだ。よろしく」

 部屋割り表を見れば、確かにそうなっている。
 早くも友達になれそうな子ができて、愛美はますますこの高校での生活が楽しみになってきた。

 その一方で、辺唐院珠莉と男性職員との口論はまだグダグダと続いていた。

「あの……。よかったら、わたしと部屋代わる?」

 見かねた愛美が、おずおずと珠莉に部屋の交換を申し出たけれど。

「いいよ、愛美。そんな子のワガママに付き合うことないって。――ちょっとアンタ! あたしと同室なのがそんなに気に入らないの!?」

 どうやらさやかは、言いたいことをズバズバ言うタイプの子らしい。

(さやかちゃん……、そんなにはっきり言わなくても)

 愛美は絶句した。これ以上話をこじれさせてどうするのか、と。
 〈わかば園〉にいた頃はケンカらしいケンカもなかったので、愛美は基本的に平和主義者だ。人のケンカやもめ事に首を突っ込むのは苦手である。

 けれど、この場では愛美も当事者なのだ。珠莉の(いか)りの矛先が愛美に向くこともあるかもしれない。そうなった時の対処法を彼女は知らない。

(わ……、なんかすごい人集まってる!)

 愛美が驚いた。気づけば、「周りには大勢の新入生や在校生と思われる女の子たちが(さわ)ぎを聞きつけて、「なんだなんだ」と集まってきていたのだ。

「……同室? じゃあ、あなたが牧村さやかさん?」

「そうだけど。なんか文句ある?」

 仁王立ちで言い返すさやかに、珠莉は毒気を抜かれたらしい。というか、人前で悪目立ちしてしまったことが格好(カッコ)悪かったらしい。
 
「……いいえ。別に、気に入らないわけじゃないけど。もういいですわ。私は二人部屋で」

 プライドが高そうな珠莉は、こんな下らない理由で目立ってしまったことを恥じているらしく、あっさりと折れた。

「――で、あなたが一人部屋を使うことになった相川愛美さん? お部屋はあなたにお譲りするわ」

「え……? う、うん。ありがとう」

 これって喜ぶべきところなんだろうか? 愛美は素直に喜べない。というか、上から目線で言われたことが(シャク)(さわ)って仕方がない。

「――ま、これで部屋問題は解決したワケだし。早く自分の荷物、部屋まで運ぼうよ」

 さやかが愛美と珠莉の肩を叩いて促す。
 ……のはいいとして、愛美は荷物が少ないからいいのだけれど。二人の荷物はかなり多い。どうやって運ぶつもりなんだろう? 愛美は首を傾げた。

「牧村さん、辺唐院さん。カートがありますから、使って下さい。後で回収に回りますから」

「「ありがとうございます」」

 二人がカートに荷物を乗せてから、愛美も合流して三人で二階の部屋まで移動した。
 幸い、この建物にはエレベーターがついているので、荷物を運ぶのはそれほど大変ではなかった。


   * * * *


「じゃ、改めて自己紹介するね。あたしは牧村さやか。出身は埼玉(さいたま)県で、お父さんは作業服の会社の社長だよ」

「えっ? さやかちゃんのお父さん、社長さんなの? スゴーい☆」

 愛美はさやかの父親の職業を知ってビックリした。こんなに姉御(アネゴ)肌でオトコマエな性格の彼女も、実は社長令嬢だったなんて……!

「じゃあ、さやかちゃんもお嬢さまなの?」 

「いやいや。そんないいモンじゃないよ、あたしは。お父さんの会社だってそんなに大きくないし。〝お嬢さま〟っていうんなら、珠莉の方なんじゃないの? ね、珠莉?」

「えっ、そうなの?」

 確かに、珠莉は初めて見た時から、住む世界の違う人のように感じていたけれど。

「うん。だってこの子、超有名な〈辺唐院グループ〉の会長さんのご令嬢だもん。そうだよね、珠莉?」

「ええ。確かに私の父は〈辺唐院グループ〉の会長だけど」

「へえ……。っていうか、〈辺唐院グループ〉って?」

 山梨の山間部で育ち、しかも施設にいた頃はあまりTV(テレビ)を観る機会もなかった愛美にはピンとこない。

(きゅう)財閥(ざいばつ)系の名門グループだよ。いくつも大きな会社とかホテルとか持ってるの。すごいセレブなんだー」

「スゴい……」

(やっぱり住む世界が違うなあ。わたし、ここでやっていけるのかな?)

 中にはさやかみたいな子もいるかもしれないけれど、この学校の生徒は多分、ほとんどが名門とかいい家柄に生まれ育ったお嬢さまだ。
 その中に一人、価値観の違う自分が放りこまれたことを、愛美は不安に感じた。

「――ねえ、愛美さんはどちらのご出身ですの? ご両親は何をなさってる方?」

「…………え?」

(ああ……、一番訊かれたくないことなのに)

 珠莉がごく当たり前のように質問してきて、愛美の表情は曇った。
 その様子に気づいたさやかが、助け船を出してくれる。

「ちょっと珠莉! ちょっとは空気読みなよ! 人には答えにくいことだってあるんだから!」

(さやかちゃん……、わたしに気を遣ってくれてる)

 愛美はそれを嬉しく思う反面、彼女に対して申し訳ない気持ちになった。

「……さやかちゃん、いいの。――わたしは山梨の出身。両親は小さいころに亡くなってて、中学卒業まで施設にいたの」

「施設? あー……、そりゃあ大変だったねえ。じゃあ、学費とかは誰が出してくれてんの? 施設?」

 愛美を気遣うように、さやかが言う。けれど、それは同情的な言い方ではなかった。
 施設で育ったことを卑下(ひげ)していない愛美は、「かわいそうだ」と同情されるのが嫌いだ。県内の公立高校に進みたくなかったのも、中学時代の同級生から同情を広められるのがイヤだったから。
 
〈わかば園〉には、両親が健在でも様々な事情で両親と一緒に暮らせない子も何人かいた。涼介もそのうちの一人だ。
 彼は実の両親からネグレクト、つまり育児放棄を受けていて、児童相談所に保護されたのちに〈わかば園〉で暮らすことになったのだ。

「ううん、施設にはそんな余裕ないって。でもね、施設の理事さんの一人が援助を申し出てくれたんだって。その人がいなかったら、わたし高校に入れないところだったの」  
 
「そうなんだ……。よかったね」

「うん。名前は教えてもらってないんだけどね。その代わり、わたしはその人の秘書っていう人に毎月手紙を出すことになったの」

「へえ……、そうなんだ。――あ、着いた。じゃあまた、晩ごはんの時にねー」

「はーい」

 部屋に着くまで、珠莉はほとんど愛美に話しかけてこなかった。
 愛美にそれほど興味がないのか、それとも一人部屋を愛美に取られたことをまだ根に持っているのか……。

(まあ、いいんだけど。わたしは気にしないし)

 珠莉に興味を持たれなくたって、さやかとは仲良くなれそうだからいいか。愛美はそう自分に言い聞かせた。

 一歩部屋に足を踏み入れると、愛美は室内をしげしげと見回す。
 ベッドや勉強机・椅子、クローゼットなどの大きな家具は一通り揃っている。こまごましたインテリアはまた買い揃えるとしても、とりあえずは生活していけそうだ。

 クローゼットの扉を開けると、白い(えり)とリボンがついたダークグレーのセーラー服とスカートがかけられている。これがこの学校の制服である。  

 ――それにしても、と愛美は思う。

「やっぱり似てるなあ、『あしながおじさん』のお話と」 

 これだけ同じようなことが起きれば、もう狙ってやっているとしか思えない。――さやかや珠莉と部屋が隣り同士になったのは偶然だとしても。

「でも、これ以上の偶然は起きないよね……。いくら何でも」

 ――そう、あれは物語の中の出来事。現実ではあんなに何もかもがうまくいくはずがないのだ。

 愛美はいったんスーツケースをフロアーに置き、ベッドにダイブした。
 低反発のマットレスに、ふかふかの寝具一式。寝心地もよさそうだ。
〈わかば園〉では畳の部屋に布団を敷いて寝ていたので、ベッドで寝るのが愛美の憧れでもあった。

「――あ、そうだ。小包み開けよう」 

 愛美はガバッ起き上がり、スーツケースを開いた。部屋に入るまでのお楽しみに取っておいたのを、ふと思い出したのだ。

「田中さんは何を送ってくれたのかな……?」

 ワクワクしながらダンボール箱を開けると、クッション材が詰め込まれた中に大小一つずつの箱が入っている。小さい方の箱に書かれているのは携帯電話会社のロゴマーク。
 もう一つはB4サイズくらいの箱で、こちらは少し重量がある。

「わあ……! スマホだ! ……あ、手紙も入ってる」

 横長の洋封筒に入っている手紙を、愛美は開いた。


『相川愛美様
 
 ささやかな入学祝いの品をお送りいたします。
 料金は田中太郎氏が支払いますので、安心してお友達とのコミュニケーションツールとしてお使い下さいませ。
 もう一点は作家を目指される愛美様のために、田中様が購入したものでございます。どうぞお役立て下さいませ。
 改めまして、高校へのご入学おめでとうございます。 久留島栄吉』


「――どこまで太っ腹なんだか。田中さんって人」

 入学祝いにスマホをプレゼントして、しかも料金まで支払ってくれるなんて……!

「もう一つの箱は……ノートパソコンだ。この寮、Wi―Fi(ワイファイ)ついてるんだよね。さっそくセッティングしちゃおっと♪」

 愛美はよく施設の事務作業を手伝っていたので、パソコンの扱いには慣れているのだ。壁紙やパスワードなどの初期設定は簡単にできてしまった。

 ――ところが、ここで一つ問題が起きた。

「スマホって、どうやって使うんだろう?」

 パソコンの扱いには慣れているけれど、スマホどころか携帯電話自体を持つのが初めての愛美には、使い方が分からないのだ。
 こういう時は説明書、と箱の底の方まで見てみても、入っているのは薄っぺらいスターターガイドだけ。読んでも内容がチンプンカンプンだ。

(使い方くらい、手紙に書いといてくれたらいいのに)

 八つ当たり気味に、愛美は思う。けれど、それもあえて書かなかったのだろうか? 愛美がこういう時、どうするのかを試すために。

「う~ん……、どうしよう? ――あ、こういう時は……」

 愛美はスマホを持ったまま部屋を飛び出し、隣りの部屋――さやかと珠莉の部屋である――のドアをノックした。

「さやかちゃん、愛美だけど! ちょっと助けて~!」

「どしたの?」

 出てきたさやかは迷惑そうな顔ひとつせず、愛美に訊ねる。

「あのね、保護者の理事さんがスマホをプレゼントしてくれたんだけど。使い方が分かんなくて……。さやかちゃん、お願い! 教えてくれない?」

「スマホの使い方? もしかして初めてなの?」

「うん、そうなの。そもそもケータイ持つこと自体、初めてなんだ」

 それは施設にいたから、ではない。愛美には親も親戚もいないから。
 同じ施設にいても、親や親せきがいる子はケータイを持たせてもらっていた。愛美はそれを「(うらや)ましい」と思ったことがなかったけれど……。

「いいよ、教えてあげる。愛美の部屋に行ってもいい?」

「うん! ありがと、さやかちゃん!」

 愛美は大喜びで、さやかの両手を握った。さやかは成り行き上ルームメイトになった珠莉に一声かける。

「じゃあ珠莉、あたしちょっと隣りに行ってくるから」

「あらそう。どうぞご自由に」

 珠莉は素っ気ない返事をしただけ。――まあ、まだ知り合ったばかりだし、そう簡単に打ち解けるわけがないだろうけれど。

「何あれ? カンジ悪~! ……まあいいや。行こう、愛美」

「う、うん」

 戸惑う愛美を連れ、さやかは愛美の部屋へ。

「おっ、パソコンあるんだ。でもスマホは使えないの?」

「うん……。さやかちゃん、分かる?」

「スマホって、手に持ってるそれ? ちょっと貸して?」

「うん」

 愛美が手渡すと、さやかは自分のスマホと見比べる。

「あ、これ、あたしのとおんなじ機種だ。だったら何とかなるかも」

「ホント?」

 さやかは手際よく、いくつかの操作をして愛美にスマホを返した。

「とりあえず、取扱説明書のアプリ入れといたから。困った時はそれ開くといいよ。あと、あたしと珠莉のアドレスも登録しといたから」

「ありがとう、さやかちゃん」

「いいってことよ☆ 友達じゃん、あたしたち」

 友達……。まだ今日出会ったばかりなのに、さやかは愛美のことをそう言ってくれた。

「うん……、そうだよね」

 高校生活スタートの日に、早くも友達が一人できた。愛美は早速、この喜びを〝田中太郎〟氏に手紙で知らせようと思った。

 ――夕食と大浴場での入浴を済ませると、愛美は机の前に座った。
 ちなみにこの寮にはそれぞれの部屋にも浴室があり、どちらで入浴しても自由なのだけれど、それはともかく。

 新品の横書き便箋の表紙をめくり、ペンを取ってしばし悩む。

(手紙ってどう書いたらいいんだろう?)

 考えてみたら、愛美はこれまでに手紙らしい手紙を書く機会がほとんどなかった。そのため、ちゃんとした書き方を知らないのだ。

 悩んだ末、思ったことをそのまま書こうと結論づけ、便箋にペンを走らせた。


****

『拝啓、心優しい理事さま

 横浜の茗倫女子大付属高校に到着しました。ここに来るまでは初めての経験が多くて、ワクワクしました。
 この学校は大きくて、まだどこにどんな建物があるのか()(あく)しきれていません。ちゃんと分かったら、お知らせしたいと思います。
 そして、学校生活についても。今はまだ土曜日の夜です。入学式は月曜日ですが、「これからよろしくお願いします」とまずは一言ご挨拶したくてこの手紙を書き始めました。
 このお話を聞いてから半年間、わたしはあなたのことをずっと考えてきました。「一体どんな人なんだろう?」って。
 でも、あなたに関する情報がほとんどないので困っています。偽名だって、〝田中太郎〟なんて「いかにも偽名です!」みたいなお名前でしょう?
 他に知っていることといえば……。

 ・長身だということ
 ・お金持ちだということ
 ・どうやら女の子が苦手らしいということ

 の三つだけなんです。
 というわけで、他の呼び方をわたしなりに考えてみました。
 まずは「女性恐怖症さん」。でも、これじゃわたしの自虐になってしまいますね。本当にそうなのかもわかりませんし。
 次に「リッチマンさん」。でも、これじゃあなたがお金持ちだということを皮肉っているみたいですよね。この不景気で、どれだけ頭の切れる人だって投資や株で失敗しますから。
 でも、長身だということだけはずっと変わらないと思うので、わたしはあなたのことを「あしながおじさん」とお呼びすることにしました。勝手に決めてしまってすみません。お気を悪くしないで下さい。親しみをこめたニックネームですから。
 最後に、スマホを送って下さってありがとうございます。早速できたばかりのお友達に使い方を教わりました。
 もうすぐ消灯時間です。寮という一つの建物で大勢で生活していくんですから、ルールはきちんと守らないと。
 では、失礼します。これからよろしくお願いします。  かしこ

四月三日  双葉寮二〇六号室       相川 愛美
田中あしなが太郎さま  

P.S. こうしてきちんとルールを守っているの、偉いってほめて下さいますか? 施設で長く暮らしてきたの、伊達(だて)じゃないんですよ。』                         

****


 ――〝あしながおじさん〟こと田中太郎氏の住所は聡美園長から教えてもらっていて、手帳にメモしてある。
 東京(とうきょう)世田谷(せたがや)区。住所からして、高級住宅地に住んでいるらしい。 
 
(この住所で秘書さんの名前にして届くってことは、もしかして同じ家に住み込んでるのかな……?) 

 そんな疑問を抱きつつも、愛美は書き終えた手紙を四つ折りにして封筒に入れ、あて名を〈久留島栄吉様方 田中太郎様〉と書いた。
 切手はここまで来る途中の郵便局で買った、きれいな切手シート。十枚が一シートになっていて、千百円だった。
 果たしてこの切手シートがいつまでもつか。きっと新しい発見があるたびに、あしながおじさんに手紙を書くんだろうなと愛美は思った。


   * * * *


 この手紙は翌日にポストに投函し、そのさらに翌日――。

 クローゼットの鏡の前で、愛美は真新しい制服に身を包んだ自分の姿を感慨(かんがい)深げに見つめていた。

(いよいよ、わたしの高校生活が始まるんだ――!)

「愛美ー、そろそろ行くよー」

「うん、今行く!」

 廊下からさやかの呼ぶ声がする。黒のハイソックスのよれを直してから、愛美は返事をした――。    
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