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コントラクト・ガーディアン─Over the World─

作者:tea4
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第一部 皇都編
  第二十七章―双剣―#13


 レナス、ヴァルトさん、ラムルを連れて────私は、黒い魔獣の許へ急ぐ。

 魔獣は未だ、取り巻かせていた風が消えたことに困惑しているらしく、全員が【認識妨害(ジャミング)】をそれぞれ発動させていることもあって、近づく私たちには気づかれていない。

 魔獣にある程度近づけたところで、レナスとヴァルトさんが左方向へ、ラムルが右方向へと逸れていく。

 全員で正面から向かえば、逃げられてしまう。分散して、退却を妨害するのが目的だ。

 魔獣が我に返る前に配置につきたい一心で、私たちは直走る。しかし、そう旨く事は運ばず、あと少しというところで魔獣が視線を廻らせた。

 ────まずい、気づかれる…!

 仲間たちは、まだ目標地点まで辿り着いていない。

 一斉に姿を現す予定だったのを変更して、私は魔獣の気を引くために、【認識妨害(ジャミング)】を解いた。

 魔獣が、私を認識して、魔力を廻らせ始めたのを感じ取る。

 私は地を蹴って、完全に身体能力が上がる前に、魔獣に肉迫して太刀を振るう。【聖剣】ではなく、【夜天七星】の太刀だ。

 太刀が【聖剣】ではないからか、魔獣は寸足らずの大剣で迎え撃った。【身体強化(フィジカル・ブースト)】を発動してはいるものの、やはり魔獣の膂力には敵わず、私は後ろへと押し出される。

 不意に、魔獣の腕に複数の血管のような筋が浮き上がるのを目にした私は、自ら後ろへと跳ぶ。

 魔獣が私を追って跳び───レナス、ヴァルトさん、ラムルが魔獣の後方に回り込む。

 ラムルが【身体強化(フィジカル・ブースト)】を発動させるために解いていた【回帰】を再び発動させたのを機に───三人は腕時計に施してある【認識妨害(ジャミング)】を解除して、その存在を現した。

 魔獣が後方に気を取られたのを好機と見て、私は太刀を【聖剣ver.9】に替えて、着地と同時にまた魔獣に向かって跳ぶ。そして、太刀のままの【聖剣ver.9】で、魔獣が握る漆黒の大剣へと斬りかかった。

 魔獣が我に返ったときには遅く、【聖剣】は黒い剣身を斬り飛ばした。次いで、また地を蹴って、魔獣の懐を目指す。

 黒い魔獣が後退しようとするも、右後方にはレナスとヴァルトさんが───左後方にはラムルが待ち構えている。

 魔獣は後退することを止め、私に向かって、太刀よりも短くなった漆黒の剣を投げつける。

「【(プロテ)(クション)】!」

 魔獣の行動を予測していた私は、魔力の盾で黒い【霊剣】を弾き返す。

 魔獣は───私が避けるか、【聖剣】で斬ると考えていたのだろう。剣を投げた直後にこちらに向かって前進していた魔獣は、魔力の盾に激突した。

 衝撃で後ろに押し出されながらも、重心を低くして足に力を入れ何とか耐えていると、左側にいるヴァルトさんが両手剣で魔獣の右足を、右側にいるラムルが大剣で魔獣の左足を後ろから払った。

 両足を掬われた魔獣は後ろに倒れ込む。その重量に地面が大きく揺れ、砂煙が舞う。

 私は魔獣の首を落とすべく、奔り出す。

 魔獣はすぐに起き上がろうとするが、ヴァルトさんとラムルに加えてレナスがそれぞれの得物を魔物の胴体に叩き込み、魔獣の上半身を再び地面に沈めた。

 しかし、首を狙って回り込んできた私に気づくと、魔獣は怒号を上げながら、強引に身を起こした。

 剣を押し上げられた拍子にたたらを踏んだ三人を、魔獣は両腕を振るって薙ぎ払った。

「ッ!!」

 仲間たちの安否を確認したいところだけど、私の眼の前には完全に立ち上がった黒い魔獣がいて────そんな余裕はない。

 私は、左手に握る【聖剣ver.9】の柄に右手を添えて構えたまま────魔獣に【聖剣】を当てるにはどうすればよいか、思考を回らす。

 先に動いたのは────黒い魔獣だ。

 一歩踏み出し、まず右手を私に向かって振り下ろした。それは何の変哲もない攻撃で、違和感を抱きながらも、私は【聖剣】を振り抜く。当然のごとく、【聖剣】は魔獣の右手首をあっさりと斬り飛ばす。

 そこで退くかと思いきや、魔獣は続けて左手を振り下ろす。私は反射的に太刀を返し、左手首も斬り落とした。

 その次の瞬間だった。魔獣が両腕を交互に振るった。私に叩きつけるためではない。未だ血が噴き出ている魔獣の両手の断面が私の視界を二度横切って────切り口から零れ出た、大量のその赤黒い血が私に降り注ぐ。

「…っ【(プロテ)(クション)】!!」

 間一髪、魔力の盾を構築でき───私は、禍々しい大粒の赤黒い雨を受け止めた。血の雫が地面へと落ちていく。

「っ?!」

 赤黒い血は地面に染み入ることなく、私の足元に転がる。これは────血が固まっている?

 黒い魔獣が同じく両腕を振るい、左方向───大剣を構えて今にも駆け出そうとしていたラムルに向かって、赤黒い血を浴びせた。私は、はっとしてラムルに叫んだ。

「ラムル、逃げて…っ!!」

 ラムルは【回帰】を発動させたままだ。大剣ですべて弾くことも、【(プロテ)(クション)】を発動させることもできない。いや、そもそも【(プロテ)(クション)】で防げるかどうか────

 私の忠告に従って、ラムルはその場を離れようとしたが間に合わない。大剣を振るうも、広範囲にわたって降る大量の赤黒い礫を弾き返すことは不可能だ。大剣を掻い潜った赤黒い礫が、ラムルの全身を打ちのめす。

 顔や首など無防備な素肌が抉られ、ラムルの血が音もなく飛び散った。赤黒い魔獣の血に紛れて飛ぶラムルの血は、やけに鮮烈に見えた。

「ラムル…!!」

 ラムルの許へ駆け寄ろうとしたとき、黒い魔獣が反転して両腕を振ったのが、眼の端に映る。

 魔獣の正面には、レナスとヴァルトさんがいる。二人は、咄嗟に手に持つ得物を振り翳したものの、それで防げるはずもなく────赤黒い礫をもろに食らう。

 ラムルに続いて、レナスとヴァルトさんが崩れ落ちる。

「レナス!ヴァルトさん!」

 魔獣が、再び私の方へと振り返った。ラムルの許へ行こうとしていた私は逆方向に跳んで、魔力の盾を築き上げた。

「【(プロテ)(クション)】ッ!!」

 私を追って飛んできた赤黒い礫を魔力の盾で何とか防ぎながら、魔獣の方を窺うと────魔獣は追撃するでもなく佇み、手首を失った両手を天に突き上げている。

 その傷口から溢れ出た赤黒い血が凝固し、噴き出し続けている血がそれを覆ってまた凝固して────まるで膨張するかのように体積を増していく。

 それは、しまいにはハンマー、いや────棘が付いたメイスのごとく(てい)を成す。見る限り、私の上半身ほどある。

 あれを────あんなものを、魔獣のあの膂力で、動けない仲間たちに叩きつけられでもしたら─────

 両手の変形を終えた黒い魔獣が、私へと視線を据える。

 幸いなことに、ちょうど礫の雨が降り止み───【(プロテ)(クション)】を解除すると同時に地を蹴って、仲間たちが倒れている場所と逆方向に跳ぶ。少しでも距離を開けようと奔るも、すぐに追いつかれた。

 魔獣がその異様な腕先を振り下ろし、私は【聖剣】で迎え撃った。

「っ?」

 【聖剣】は魔獣の腕先に食い込みはしたものの、刃が進まないどころか押し戻され、表層を削ぐだけに留まる。

「!!」

 私は、刃を滑らせて太刀を外に出すと、また地を蹴って後方に跳ぶ。一瞬前まで私が立っていた場所を魔獣の左手が抉って、土砂が飛び散る。

 すかさず、私を追って魔獣の右手が繰り出され、それも跳び退って回避する。

 倒れた仲間たちをお邸に転移させたいが────魔獣の猛攻を凌ぐので、精一杯だ。
 このままでは、いずれ私も立ち行かなくなる。どうにかしなければ────

 生半可な魔術ではあの魔獣を傷つけることもできない。かといって、一人で魔獣の相手をしながら、大規模な魔術を発動させる余裕はない。

 すでに共有魔力を使っている上、その魔力も残り少なくなってきている今────【聖騎士(グローリアス・ナイト)の正装】も使えない。

 ノルンを通じて精霊樹の魔素を借りたとしても、地下遺跡の【最適化(オプティマイズ)】で消費した分が回復していないため、おそらく【聖騎士(グローリアス・ナイト)の正装】を起動させ続けるには足りない。

 地下遺跡の【魔素炉(マナ・リアクター)】も同様だ。アーシャやハルドが魔術を行使する分を補うことはできても、【聖騎士(グローリアス・ナイト)の正装】を起動させるには足りない。

 他に何か────何か手立ては────

「っく!」

 振り下ろされた魔獣の右手を避けるために跳んだ直後、間髪入れずに私の着地した瞬間を狙って左手も振り下ろされる。

 太刀で何とかいなすしかない────そう思って、【聖剣】を振り上げようとしたとき、凄い勢いで飛び込んできた鮮やかな光を纏った何かが、魔獣の左手を押し返した。

 纏う光の色合いも違うし、威力もかなり増しているけど────あれは、【フェイルノート】の矢だ。こちらの状況に気づいて、ジグが撃ち込んでくれたのだろう。

 魔獣が右腕を横薙ぎに振るい、私はバックステップでそれを避ける。魔獣は一歩踏み出して、今度は左腕で薙ぎ払おうとしたが───魔獣の顔を白銀の矢が襲い、魔獣はそれを弾くために腕を振り上げた。

 魔獣の気が逸れたのを機に、私は魔獣の懐に向かって奔る。

 【聖剣ver.9】を大太刀に変えて両手で握り、右下方で構える。間合いに入ったところで、その腹を斬るべく大太刀を振るう。魔獣はそれを右手で受け止めた。

 私は、魔獣の右手に食い込んだ大太刀を振り切ることなく、柄から両手を放して、さらに踏み込んだ。そして、左手に【誓約の剣】を取り寄せる。

 私を阻止するために振り上げた魔獣の左腕を、ジグが放った【フェイルノート】の矢が押し止めてくれる。私はそのまま、【誓約の剣】を振り抜いた。

 だけど────やはりというべきか、魔獣は後ろに跳び退き、私の刃は掠っただけで終わる。

「駄目か…!」

 私は【聖剣ver.9】を【遠隔(リモート・)管理(コントロール)】でアイテムボックスへと送りながら、後方へと退く。魔獣がまるで私に引き寄せられるように、こちらへ踏み出す。

 すぐに振り下ろされた魔獣の右手を、【誓約の剣】でいなして───左手による追撃を跳んで躱した。

 黒い魔獣の猛攻は止まらない。いなしても躱しても、血でできた歪な拳を絶え間なく叩きつけてくる。魔獣が、また右腕を振り被って、その漆黒の拳を高々と突き上げた────次の瞬間。

「ッ?!」

 何処から現れたのか────眼を焼かれそうな、燦燦と輝く太陽のごとく眩い光が、魔獣の右腕を呑み込んだ。

 あまりの眩しさに、私は眼を護るために両腕を翳す。何かが細かく弾けるような音が微かに響き、両腕の向こうで光が膨張して────瞬く間に消え失せる。

 両腕を解いて状況を確認すると、眼に入ったのは────いくつもの肉片となって、崩れ落ちていく魔獣の右腕だった。肉片は地面に落ちた拍子に、さらに崩れて────魔獣の足元に散った。

 それは、黒ずんでいたものが濃さを増している上に微かに燻っていて、さながら消し炭のようだった。肘までしかない魔獣の右腕も、傷口付近が焦げた跡みたいになっている。

 この状況に加えて、あの眩い光と弾けるような音────先程のあれは、おそらく雷撃だろう。もしかして、レド様が────?

 魔獣の傷口から血が滴るのが見えて、私は我に返る。このままでは、腕を修復されてしまう。

 私が動き出す前に、左方向から一つの人影が躍り出た。焦げ茶色の髪を後ろに撫で付けた大柄なその人物は────ラムルだ。足元には、【身体強化(フィジカル・ブースト)】の魔術式を展開させている。

 ラムルは地を蹴って軽々と跳び上がり、右手に持った瓶の中身を魔獣の傷口にぶちまけた。ラムルが握る空き瓶には見覚えがあった。あれは支給品の“ポーション”だ。

 魔獣の傷から覗いていた肉が盛り上がって、剥き出しだった血管や骨などを包み込み、傷口を塞ぐ。焦げ跡も消え失せ、魔獣の右腕は、まるで最初から肘までしかなかったかのようだ。

 奔り出した私は、着地したラムルと擦れ違いざま眼が合う。

 無事で良かったとか、助かったとか、後は任せてとか────色々と言いたいことはあったけれど、今は視線を交わすに留める。

 迫りつつある私に気づいた魔獣が、私を薙ぎ払おうとその禍々しい左手を振るう。だけど、私は構うことなく奔る。

 魔獣の左手が私の右半身に届く寸前────後ろから駆け込んできた人物が割って入った。その人物───ディンド卿は、大剣を魔獣の左手に叩きつけた。

 続いて、もう一人───駆け込んだレナスが【冥】を叩きつけて、ディンド卿と共に魔獣の左手を押し止める。

 魔獣は左手を振り上げようとしたが、左手の向こう側に回り込んでいたヴァルトさんが、両手剣を振り下ろし押さえ込む。

 魔獣の懐に入った私は、右方に両手で構えた【誓約の剣】を大太刀のままの【聖剣ver.9】に替え────刃を魔獣の脇腹に食い込ませた。

 右手を失い、左手を押さえられた魔獣は、右足を私に向かって叩き込もうとするも、【回帰】を発動し終えたラムルの大剣に阻まれる。

「く…っ!」

 【魔力循環】と【魔力結合】、それに【身体強化(フィジカル・ブースト)】を発動させて────これ以上ないほどの渾身の力を籠めているにも関わらず、先程同様、刃が進まないどころか押し戻されそうになる。

 【(インサイ)(ト・アイズ)】を発動させるまでもなく、傷口から溢れ出る赤黒い血が凍り付くように凝固して、刃を押し返しているのが見えた。

 私は大太刀を魔獣に食い込ませたまま、視線を回らせて状況を把握し直すと────端的に【念話(テレパス)】で告げる。

≪首を狙う!援護を!≫

 【聖剣ver.9】をアイテムボックスへとしまうと同時に、私は地を蹴って跳び上がる。ディンド卿、レナス、ヴァルトさんに押さえつけられ、下がったままの魔獣の左腕に着地して、二の腕まで一気に駆け上る。

 そして、魔獣の腕を蹴ってまた跳び上がった。

 私が【誓約の剣】を取り寄せ、右手を柄にかけたとき────魔獣が突然、絶叫した。

 間近で浴びた大音声に鼓膜が振るえ、一瞬、虚を衝かれたところに、魔獣が頭を振り下ろし、その鋭い角を私へと突き出す。

 私は咄嗟に【誓約の剣】で薙ぎ、魔獣の角を両方とも一刀で斬り落としたものの、魔獣の頭突きを胸に受け落下する。

「【(プロテ)(クション)】!」

 後方で響いた聞き慣れたその声に、僅かに首を回して振り向くと、そこにはレド様がいて────頭上に向かって魔力の盾を展開していた。

 レド様が創り出してくれた足場を着地と同時に蹴って、私は、今度こそ魔獣の首を落とすべく、もう一度、大きく跳び上がる。

 魔獣の身体に血管のようなものが無数に浮き上がったかと思うと、魔獣は左手を振り回してディンド卿たちの拘束を振り払った。

 ────まずい、逃げられる…!

 魔獣が地面を蹴った瞬間────魔獣の背後に、巨大な氷刃が数本、土砂を押し上げて飛び出した。魔獣の背にぶつかって、ほとんどが半ばから折れてしまったけど、それでも氷刃は魔獣を押し止めてくれた。

 退却できなかった魔獣は、私を払い落とすために左腕を振るったが────レド様を始めとした仲間たちに止められて、私には届かない。

 咆哮を上げるつもりか、魔獣が口を開くも、私がその首元に【誓約の剣】を食い込ませる方が速かった。

 先程と同じように血を凝固させているのだろう。魔獣の首が目に見えて膨張して、刃が押し戻された。

「【(ピュリフィ)(ケーション)】ッ!!」

 少しの間でいい、せめて首周りだけでも魔獣の血に宿る魔力を浄化できたら────そんな望みをかけ、私は、残り少なくなった魔力を注いで浄化を試みる。

 白炎様の“炎”に似た純白の光が迸り、柄を握る私の右手から【誓約の剣】に伝っていく。浄化の光が、柄や鍔、刀身や刃先、余すところなく隅々にまで浸透した瞬間────手の中の太刀が脈打ったような気がした。

 刃が接している斬り口から、光の粒子を帯びた純白の光が煙のように流れ出る。漂う光が多くなるにつれ、刃を押し返す力は小さくなっていって────やがて、無くなった。

 腕に力を入れて太刀を押し込むと、さっきまでの抵抗が嘘みたいに、刃は魔獣の首に呑み込まれる。しかし、やはり魔獣本来の丈夫さと骨に阻まれ、それ以上は刃を進めるには力がいる。

 もう私の魔力はほとんど残っていない。辛うじて残っている魔力を循環させてはいるけれど、【魔力結合】と【身体強化(フィジカル・ブースト)】は解除していて再び発動させることはできない。

 だからといって────諦めるわけにいかない。

 私は、残った僅かな魔力をすべて右腕だけに結合させて、強引に【誓約の剣】を振り抜いた。

 切り離された魔獣の首が飛び────私の視界が開ける。

 いつの間にか夜が明けていて、雲一つない青空が眼に入ったが────次の瞬間、視界が傾き、首を失った魔獣の黒い毛に覆われた胸しか見えなくなった。

 自分が落下していることに───しかも、魔力不足で力が入らないことに気づき、焦る。さらに最悪なことに、左腕を押さえつけられ前屈みになっていた魔獣の身体が、私に向かって傾れ落ちてきた。

 魔力で身体強化できない状態で、魔獣の重量に押し潰されたら、無事では済まない。

「リゼ…ッ!」

 レド様の私を呼ぶ声に顔を傾けると、レド様が私の落下地点へと奔り込んで来るのが見えた。このままでは、レド様まで魔獣の下敷きになる。

 だけど、どうにかするには魔力も時間も足りない。

 ────レド様…!

 不意に私を覆っていた影が消え、視界が明るくなった。何とか目線を廻らせてみれば、仲間たちが魔獣の死体を後ろへと押し倒してくれていた。

 ────良かった…。これで、レド様が魔獣の下敷きになることはない。

 私を受け止めるために、レド様が両手を広げる。

 レド様に迷惑をかけてしまって申し訳ないと思いつつも────私は安堵して、瞼を閉じた。


※※※


 魔物の群れの最後の1頭であるオークを、『黄金の鳥』の剣士ドギが討ったとき────まだ日は差していなかったものの、空が白み始めていた。

 二つの月は沈んでおらず、明るくなりつつある空に月が浮かんでいる様は不可思議な気分にさせる光景であったが、それに気づいた者はいなかった。

 ガレスたちは魔物を掃討しながら前進していたので、今いるのは橋を渡って道幅が広くなっている個所だ。橋を渡った時点で列は崩れ、BランクパーティーとCランクパーティーが入り混じって展開していた。

「ギルマス!」

 本当にこれが最後の1頭なのか───討ち洩らした魔物はいないか確認していたガレスは、大声で呼ばれ振り向いた。呼んだのは、ルガレドの補佐として参加していたBランカーのディドルだ。

「こちら側の魔物は全滅した。俺はルガレド様の許へ戻る」
「そうか、わかった」
「この二人を頼む」

 ディドルはそう言って、傍らにいるアーシャとBランクチーム『氷姫』のハルドを目線で示す。

 二人とも目立ったケガなどはなさそうだが、見るからに疲弊している。無理もない。ベテラン冒険者でさえ、肩で息をしている者や座り込んでいる者がいるほどだ。

「わかった。二人のことは任せてくれ」
「頼む」

 ディドルは一瞬だけ安堵したような表情を浮かべた後、また表情を引き締めて背を向けて奔り出した。

 アーシャとハルドは、一緒について行きたそうにしながらも、その背中を見送る。二人とも、今の自分では足手まといになると解っているのだろう。

 ガレスは、ぐるりと周囲を見回す。見る限り、緊急性がありそうな───命に係わるような大ケガをしている者はいない。それだけを確認すると、ガレスは声を張り上げた。

「ここの魔物は殲滅できた!残っている魔物を探して掃討する!まだ動けるパーティーはついてきてくれ!」

 そこかしこから、しっかりとした声で返答が上がる。予想していたよりも返ってきた声が多い。

「アーシャとハルドはここで待ってろ」
「いえ、行きます!」
「わたしも行きます!」
「ダメだ、待ってろ」
「魔獣と戦うのは無理でも、魔物ならまだやれます!」

 ハルドが言い切り、アーシャも頷く。二人の眼には強い意志が表れていて、決意を翻しそうにない。
 それに、確かに疲労が見てとれるが、まだ体力は残っているように見えた。

「わかった。それじゃ、オレたちの援護をしてくれ。だが、決して無理はするなよ?」
「「はい!」」

「エイナ、ユリア───行くぞ!」
「ええ!」
「はい!」

 ガレスは、エイナとユリアに加えて、アーシャとハルドを引き連れて、足早に進む。後ろからは、冒険者たちが続々とついてくる。

 しかし、その行進はそう進まないうちに止まった。

「な、なんだあれ……」

 誰かがそう呟いたが、それに答えられる者はいない。ガレスにも答えようがなかった。

 それは────異様な光景だった。

 目に入ったのは、全長4mはあるオーガの魔獣だ。その魔獣は真っ黒い毛色をしていて、肌も黒ずんでいる。これだけでも異常なのに────両手の先に真っ黒のメイスのようなものがついていた。

 黒い魔獣は、何度も何度も、その両手を自分の足元に烈しく叩きつけている。目を凝らすと、そこには一人の少女がいて────少女は魔獣が繰り出す両手を何とか回避し続けている。

 あの少女はリゼラだ。何故かリゼラ一人で戦っている。

 助けに行かなければ────ガレスはそう思う一方、行くべきではないとも思う。

 あれは、リゼラだからこそ避けられるのだ。実力が足りないだけでなく、疲労で鈍っているガレスたちが行ったところで、リゼラの足を引っ張りかねない。

 魔獣が、右腕を大きく振り被った。

「リゼ姉さん…!」
「ッ!」

 アーシャが叫び、ハルドが息を呑む音が聞こえる。

 不意に、巨大な───まるで光の刃のようなものが、魔獣の右手を襲った。魔獣の右手はボロボロと崩れ落ちて、肘から下はなくなる。

(今のは────魔術か…?)

 経験上、何度も魔術を目にしたことはあったが────あんな強力な魔術は見たことがない。

 それが放たれた方向を見遣ると、魔獣の方へ駆けていく青年が二人いる。その一人、銀髪らしき青年はアレドだろう。

(まさか…、あれはアレドが────?)

 魔術は、魔術陣さえあれば誰でも行使することはできるが────あの規模の魔術を撃つとなると、相当、魔力を持っていなくてはできない。

 もし、そうだとしたら────ルガレド皇子は、剣術だけでなく、魔術に関しても才覚があるということになる。

(まさに────Sランカー“双剣のリゼラ”と並び立つことができる存在というわけだ)

 魔獣の方に視線を戻すと、いつの間にか集まっていたアレドの配下が魔獣の左腕を押さえ込んでいて、リゼラが魔獣の首目掛けて跳んだところだった。

 魔獣が怒号を上げて、リゼラに頭突きをかます。

 リゼラは剣を振るったが魔獣の額が当たって、落下して────アーシャとハルド、それにガレスの周囲にいる冒険者たちが短い悲鳴のような声を漏らした。

 アレドが魔術らしきものを展開し、それを足場にリゼラが再び跳び上がった瞬間、魔獣の左肩越し───ガレスたちの真正面から夜を朝に一気に塗り替えてしまうような眩い陽光が差し込み、辺り一帯を満たした。少しの間、リゼラと魔獣の姿を見失う。

 刺すような光が柔らかなものに変わり、ガレスが周囲の光景を認識できるようになったとき────リゼラが剣を振り抜いた。魔獣の頭が宙を舞い、リゼラの身体がぐらりと傾ぐ。

 ケガでもしているのか、いつもと違って、リゼラに着地しようとする様子がない。その上、リゼラに覆いかぶさるように魔獣が倒れ込む。

「リゼ姉さん…ッ!」
「リゼラ様…!!」

 アーシャとハルドが悲痛な声音で叫び────駆け出すが、間に合うはずもない。ガレスも思わず駆け出そうとして、左足に痛みが走った。

「リゼ姉!!」
「リゼ姉ちゃん!!」

 人垣を掻き分けて最前列に躍り出たラギとヴィドが、やはり悲痛な声で叫んだ。

「リゼさん…!」
「おい、嘘だろ?!」

 冒険者たちも、口々に何かしら叫んでいる。

「あっ!」

 誰かが何かに気づいたような声を上げた。リゼラの許へ奔る人物がいる。勿論、アレドだ。

 魔獣の死体をアレドの配下の者たちが逆側に押し倒し────アレドが両手を広げてリゼラを受け止める。

 冒険者の一人が歓声を上げると、すぐに他の者も上げ始め────それはやがて喝采となった。

 ラギとヴィドは心底ほっとしたようで、強張っていた表情を今にも泣きそうに崩す。ガレスも安堵の溜息が漏れた。

 リゼラを大事そうに抱き抱えるアレドの向こうに、騎士や貴族、その私兵たちが───歓喜に浸るこちらとは違って、どこか呆然と立ち尽くしているのが目に入る。

 どうやら、あちら側も魔物の殲滅を終えたようだ。

 まるで英雄譚の一場面のような────リゼラを横抱きにして、朝の柔らかな陽光が降り注ぐ中を歩き出したアレドの姿をもう一度見て────この皇都を脅かす騒動が終わったことを実感したガレスは、ゆっくりと口元を緩めた。
 
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