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ああっ女神さまっ After 森里愛鈴

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終わりからの始まり
  母親

 螢一の誕生会から二週間が過ぎた。木曜日の早朝の空は綺麗に晴れ上がって洗濯日和だ。
 ベルダンディーは、「WHIRL WIND」に出勤する前に洗濯物だけは片付けておきたかった。最後の洗濯物を物干しに下げると軽く息をついた。
 瞳には少しだけ憂いの色がある。
「相談するなら姉さんよね、でもちょっと恥ずかしい」
 ほんのりと頬を染め、独り言を呟くと、やがて決心したのか大きく深呼吸をした。
 今からでは時間的に無理ですから仕事が終わってからにしましょう。
「WHIRL WIND」はベルダンディーと螢一がバイトしているバイクショップだ。
 ところで店主の藤見千尋には、二人が結婚したことを速攻で見破られてしまった。さすが女の勘。披露宴とかはどうするのと聞かれて、螢一が苦し紛れに「なかなかいい場所がなくて」とごまかした。
 空になった洗濯かごを手に森里屋敷、母屋に近づくと、ふわっと空気が変わる。
 母屋は経年劣化で若干が隙間風あった。これはウルドが薬品を造るにおいて、そしてスクルドが精密作業をするにおいて、邪魔となった。
 そこでスクルドは特殊なシールドを発生させる装置「空間シールドくん三号」を作り出した。住人や品物などが出入りするのには問題ないが、空気の流れと温度を調整する。(空気がまったく流れ込まないなら中にいる者は窒息してしまう)これにより、森里屋敷の中は冬は暖かく夏は涼しくなった。また、屋敷全体の劣化を抑えるのにも役に立っている。
「WHIRL WIND」から戻ってきて、夜の帳がすっかり降りた頃。
 螢一はGIグランプリのブルーレイにかかりっきりで、しばらく自室から出てこないだろう。
 ウルドはスクルドの部屋で妹に法術の修行をつけているはずだ。
「スクルド研究所」とプレートの掛かった障子の前に立つ。
「姉さん入りますよ」
 姉妹でも礼儀ありだ。
 なかからウルドの声か聞こえる。
「ほらぁ、また神気が乱れてる。そんなんじゃ目標の三十分には遠いわよ──あ、いいわよ入って」
 障子を開けて「スクルド研究所」に入る。左手、西側中央隅に大きな座卓。道具入れが置かれていることから、作業台だろう。隅にアームが取り付けてあってモニターが固定されていた。作業台の南側には小さな本棚があって、少女漫画雑誌から量子学の本までいろいろな本が背表紙を見せていた。
 八畳間の中央でスクルドは空中に浮かんで座禅を組んでいた。額に汗を浮かべている。
「あの、姉さん。少し相談したいことがあるんです」
「あらあら、あんたが私に? 珍しいことがあるものね」
 ベルダンディーは頬を染めながら、しかし真剣な口調で。
「出来れば二人っきりでお話がしたいのですが」
「スクルドにはあまり聞かせたくない話、ね」
 ウルドは顎に手を当てて数秒思案していたが。
「よし、今日の修行はおしまい」
 の声とともにスクルドは畳の上に落ちた。
「もう、疲れたぁ……」
「一級神になるんでしょ、まだまだ、音を上げるのには早いわよ」
「わかってる、わかってるてば。それより、そっちの相談が終わったら、私からも二人に相談があるんだけどいいかな?」
 え!? といった感じのベルダンディーとウルド。
「いいわよ、じゃあ、ベルダンディーからね……え、と。私の部屋にいきましょうか」
 場所を「ウルドさまの城」と書かれたプレートの奥の四畳半に移して。右側には大きな薬品棚とその前に実験用機器。左側は壁一面たくさんの本が詰まった本棚。正面にはベッド。以外にもベッドは綺麗に整えられている。床にはカーペットが敷かれている。
「気かれたくない話ね」
 ウルドは右手を天に掲げた。
「じゃあ、まずは索 敵 法 術(サーチ・コクーン)
 法術の波が走破する。
「半径百メートル以内に敵意の反応はなし、と」
 次は私がとベルダンディー。両腕を頭の上で交差させ、一気に外側に振り下ろす。
音 響 結 界(サイレンス・フィールド)
 ベルダンディーを中心に光の粒子が広がって、部屋全体を包み込む。
 これで部屋の中の音は結界に阻まれ外に漏れることはなくなった。同時に外からの音も部屋には伝わらないのだが、物理的に遮断されているわけではないし、万一何かあったとしても外にはスクルドがいるので大丈夫だろう。
 結界に対して障壁という防御手段もあるのだが、二つの違いについては後に語ることとしよう。
 ウルドは何処からか座布団を取り出すと、妹に勧め、自分も座布団の上にあぐらを掻いて座り込んだ。
 ベルダンディーはきちんと正座である。
「それで、私に相談てなあに?」
「実は……」
 ベルダンディーの頬がますます赤くなる。
 次の言葉を口に出していいのか迷っている様子。頬が染まっている。
「あ、あの、私。その……えっと」
「なんなのよ、はっきり言いなさいよ」
 急かすウルドに、なおも俯いて身体をもじもじとさせている。
「言ってくれなきゃ、わからないわよ、相談てなに?」
 やがてベルダンディーは意を決したのか、俯いたまま。
「実は、結婚式でキスをしたときから、時折胸の奥がきゅんって甘く締まるんです。ごく偶にですが、腰の奥底が熱くなる感じがあったり……」
 顔を上げてウルドを真っ直ぐに見つめると。
「なので、あの、私、こんな感覚初めてで……どうしたらいいのか判らなくて……」
「は……えっ?」
 それはつまり「螢一に発情」しているわけで。
「あんたって男を知らないのよね。性的な意味で。ユグドラシルと直結してるんだから少しは調べればいいのに」
「え──? なにを調べるんですか?」
 こ、この娘は、まったく。ボケとかじゃなくて真剣に純粋にこれなんだから。
「SEXよ!地上界の男女の性交のこと!──いい、あんまり深く調べたらだめよ。こんなことは実体験じゃないと伝わらないんだから」
 検索したのか、ベルダンディーの頬がさらに赤くなった。驚きと困惑と戸惑いが混ざっている。
 ウルドは呆れた声で。
「少しは理解できたかしら」
 普段は常人並だが、女神の本来の思考速度はスーパーコンピューター以上である。
 理解した上で。もじもじと身体を揺すっている。
「──でも、でも、私、処 女(はじめて)で、やっぱり怖いというか、うまく出来るか不安で。あとは、処女だからこそはじめての夜は螢一さんから誘って欲しい……と思いまして」
 最後の方は再び俯いて消え入りそうな小さな声になってしまっていた。
 あまりの相談内容にウルドは唖然としていた。
 ベルダンディーは真っ赤になった顔を上げた。
「ですので、あらためて姉さんに相談したのいです。どうしたら処女を螢一さんに捧げることができるでしょうか」
「あ──ね……」
 しばらくしてようやく質問の内容を理解したらしく、ウルドは片手で後頭を掻いている。
「つまり螢一に女神としてだけではなく女性としても愛して欲しいのね。心が重なれば身体も重ねたくなる。特別なことじゃない自然なことだわ」
 ユグドラシルで検索すればそれこそ無数の数の事例が出てくるのに。
「螢一は」
 ウルドは胸の前で腕を組むと。
「あの調子だとまず間違いなく童貞よね」
「え?……ええ、多分」
 ウルドは少し考えて。
「難しいわね。神属にとって処女喪失は大事な通過儀式(イニシエーション)。問題はそこを螢一が何処まで理解してくれるか、よね」
「大事な通過儀式ってなんですか?」
「あんたってばこんなことも知らないわけ?」
「以前の私は女神の仕事が楽しくて気が回りませんでした。事務所でもそうした会話は皆無でしたので」
「──はぁ」
 天然すぎるのも考えものね。まぁ、それがこの娘のいいところでもあるんだけど。
「愛し愛されて初めてを迎えた後、神属はもう一段階上の存在に昇華するのよ」
「レベルアップみたいなものですか?」
「うーん。ちょっと違うわね……どう表現すればいいのかしら。脱皮、羽化のほうが近いかな」
 今の段階でも一級神のエースと名の高いベルダンディーである。これで「羽化」したらどのような存在になるのだろう。
「だから「捧げる」とか「失う」とかの表現は適切じゃないのよ。ともかく、はじめに言えるのは「焦らない」ことね。これはいつ何処でエッチをするのかと同時に、行為の最中でも言えること。あなたの焦りが螢一にも伝わってうまくいかなくなる、なんてことは充分考えられるわ」
 それから、と続ける。
「初体験に失敗してその後の関係が気まずくなる、ってのは二人になら問題ないわね。慌てることはないわ。今回が駄目でも次があるくらいの気持ちでエッチすること。ついでにいつ求められても大丈夫なように、身体のケアはしっかりしておくこと。最後にこれが最も厄介な部分なんだけど、「女性のエッチは心で、男のエッチは身体で感じちゃう」ってことかしら」
「心と身体ですか……」
 理解が追いつかない様子。
「うーん、私も経験ないからあまり偉そうなことは言えないんだけどさ……男のエッチには「射精」とした明確なゴールがあるんだけど、女のエッチにはゴールって存在しないの。好きな人と身体も心も重ね合う。その上で得られる快感は至上のものらしいわよ」
 神属の女性は処女が多い。男女比の差もあるが、最大の問題はこの大事な通過儀式にある。まあ、中には例外も存在するかもしれないが。
 漫画や小説などで表現されている、女性がイクのというのは男性視点が多いのだ。
「齟齬があることは理解しました。ですがどうやって間を埋めるのですか」
 ウルドはため息をついた。
「これが難しいところなんだけどさ。人それぞれで何十年も連れ添った夫婦でも誤解したままだったり、一、二回のエッチで溝が埋まるカップルも存在するわけ。──そうねぇ、私から助言してあげられることがあるとしたら、二人で正直な気持ちをよく話しあうことかな。言葉にして出さなければ伝わらないことって多いのよ。大丈夫、裁きの門をクリアした二人だもの自信を持ちなさい」
「わかりました。螢一さんとよく話しあってみます」
 ベルダンディーは薄く微笑んだ。
 ウルドはちょっと考えて。
「でもさ」
「まだ何か?」
「螢一ってばどうしてエッチまで求めて来ないのかしらね。手を握るとかキスぐらいはしてるんでしょう?」
「え、はい。──それは……私にもわかりません」
 ベルダンディーは、ハッとしたような顔をした。
「もしかしたら螢一さんは女神の私を好きであって、女性としては見てくれていないとか」
 ないわー。ウルドの眼がジト目になる。
「あいつはエロ本とかも持っているし、あの性格であんたを女性として見てないって考えづらいわよ」
 魔界で口づけした後、飛び退いてたし。
 ともかく、と一拍開けて。
「まあ、そのあたりもよく話し合ってみなさい」
 これでベルダンディーの相談はおしまいである。
 結界を解除して「スクルド研究所」にうつる二人。
 スクルドは何をしていたか。驚くことに右手の人差指一本で逆立ちをしていたのである。重力が反転したかのごとく服も髪もまっすぐ天に伸びている。
 ウルドは微笑みを零すと。
「自主練ってわけね、関心関心」
「あ、ウルド。お姉さま」
 くるりと半回転し両足を畳の上につけて立つ。
「とにかく、立ち話もなんだし、入って、座って」
 促されるままに八畳間に入る二人。
 対面する三姉妹。
「私たちに相談とはなんですか?」
 ベルダンディーの言葉にスクルドは、がばっと音がしそうな勢いで土下座した。
「私、仙太郎くんと一緒の学校に通いたいの。お姉さま、保護者になって! ウルドはお金とか支援をお願い!」
 数瞬の空白の間があって。ベルダンディー。
「保護者になることは問題ありません。好きな人と少しでも長く居たい気持ちはわかります。ですが一級神への修行を怠ってはだめですよ」
「つまるところ、学校に通いながら修行が出来ればいいわけよね」
 しばし考え込むウルド。
 やがてなにか閃いたのか、おもむろに法術を唱え始めた。
──それは鎖、あるいは重き鎧、封じ込める枷。二級神管理限定ウルドの名において、炎の大精霊に申し上げる。いましめの腕輪よ、いまここに……あれ!──
 キン!!
 かん高い金属音、畳の上に腕輪が一本現れた。
「学校に通うとなればそれ相応のお金は必要ね、確かに。お金は出してあげる。交換条件としてあんたはこの腕輪を付けて登校しなさい」
「これって、何?」
「まずは着けてみなさい」
 ちょっとデザインがやぼったいわね。などとスクルドは呟きながら腕輪を身に着けた。
 途端に、ずしん、と心を縛られるような感覚があった。
「なに……?これ?」
「その状態で法術を使ってご覧なさい」
 言われたのでまずは初歩の初歩、空間収納を使おうとしたのだが。
「使えない、どうなってるの?」
「当然よ、あんたの頼りない神力をさらに制限してるんだから」
「なんでこんなものを……」
「まあ、続きを聞きなさいって。それはね、着けたままにするだけで神力の制御と増幅の訓練になるものよ」
「えーっ!?」
 ベルダンディーは胸の前で両手の平をあわせた。
「なるほど、これなら学校に通いながら修行ができますね」
 流石は姉さんと微笑んで褒められ、ウルドは得意げに。
「ウルトラマンゼロのテクターギア・ゼロからヒントを貰ったのよ」
「……? ねえ、ウルトラマンゼロって誰?」
 ウルドはスクルドの質問に喰って掛かりそうな勢いで。
「あんたね、知らないの!? ウルトラマンの時代を繋いだ偉大な勇者のことを! はじめて姿を現したのは「大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE」よ。邪悪なベリアルの猛威にピンチに陥ったウルトラ兄弟を助けるためにK76星から颯爽と駆けつけるの。その時のセリフが「俺はゼロ、ウルトラマンゼロ、セブンの息子だ!」って──」
「わかった、わかったから。ウルドが特撮大好きなのは」
 少々辟易気味に遮ろうとするスクルドだが。
「大体ね、ゼロが生まれなかったら今の円谷があるかどうか……」
 なおも続けようとするウルドに今度はベルダンディーからストップが入った。
「姉さん、そのあたりにしましょうか」
 眼が笑っていないのが怖い。
「──わかったわよ」
 渋々とウルドは矛を収めた。
「ですが姉さん、学校にアクセサリーを着けて登校してもいいのでしょうか?」
「ああ、人間の目には見えないから大丈夫よ」
 なるほど、ならば問題ないだろう。
 次の日の早朝。明日は定休日で仕事はない。
 森里恵が「相棒」のはカワサキKSR-IIと共に他力本願寺を訪れてきた。革のレディースジャンパーの上から鞄を斜めにかけている。
 森里屋敷はこの時代になぜかインターホンがないので、玄関先で声を張り上げた。
「おはようございます! けいちゃーん、いるー?」
 奥から、ぱたぱたとスリッパの音がして、応対に現れたのはベルダンディーだ。
「おはようございます。恵さん。螢一さんですか? 呼んできますね」
 奥に去っていくベルダンディー。
(あいかわらず綺麗よねぇ、あれ?でも、何かいつもと違うような……?)
 間をおいて、廊下の奥から螢一が出てきた。
「おはよう、恵。こんな朝早くからなんだい?」
 起き抜けなのかパジャマのままだ。
(あれ?螢ちゃんもなんかいつもと……)
「どうした、ぼけっとして」
「あ、ああ。借りていた本を返しに来たのよ」
 鞄の中から一冊の書籍版を取り出した。
「長い間借りっぱなしでごめんね」
「いやいや、恵なら本を痛めるようなことはしないからさ」
 題名と巻数を確認する。
「うん、確かに」
「でもさ、この「転生したらスライムだった件」もいよいよ最終章に入ったわよね」
「んーでも、この巻は最終章のプロローグって感じだけどな」
「驚いたのはあいつの真の名前が「魔導王朝」と同じだったってこと」
「それは俺も思った。これからもまだまだ波乱が……って、おまえなんでこんな朝早くに?」
「もちろん、ベルダンディーのご飯を食べるためよ」
「……おまえなぁ」
「だって美味しいんだもの。いいじゃない、材料費は出してるんだし」
 螢一は片手をこめかみにあてた。
「ちゃんと自炊はしてるのか? 「男の心をつかむには胃袋から」って知らないか?」
「やぁーねぇ。私を誰と思ってるの? 桂馬さんと鷹乃さんの娘よ」
「うーん……」
 一言で納得してしまう自分がなんとなく悔しい。
 ベルダンディーは笑顔で。
「では、螢一さん。ご飯の準備をしますね」
「あれ? さっきみたいにあなたって呼んでくれないんだ」
「確かに私は螢一さんの妻になりましたけど、その……やっぱり、人前であなたって呼ぶのは……ちょっと恥ずかしくて」
「あー、確かに。俺も人前でベルって呼ぶのは照れる……な」
 頬を染めあう二人。
 なんですと!! 恵は驚愕している。
「ベルダンディー、い、今、なんて!?」
「ちょっと恥ずかしいですか?」
「じゃなくて! ベルダンディーと螢ちゃんって結婚したの!?」
「はい。結婚式もあげました」
 螢一の腕を抱きしめて女神は微笑んだ。
 恵は「幸せオーラ」を吹き零す二人に、呆れていいやら祝っていいやらと逡巡したが、やがて気を取り直すと。
「おめでとう、二人共」
「ありがとうございます、恵さん」
「不出来な兄ですが末永くよろしくおねがいします」
「不出来なんて、螢一さんほど素敵な男性を私は知りません」
 はあ、ご馳走様です。とは声に出さずに。
「そっかぁ、ベルダンディーがお義姉さんになったのね」
「こちらこそよろしくおねがいします」
 ベルダンディーは綺麗なお辞儀をした後、朝食を作りにキッチンへ向かった。
「んで、螢ちゃん」
「なんだよ」
「この事は桂馬さんと鷹乃さんに報告してあるの?」
「あ……」
 螢一は固まった。
「やっぱりしてないんだ。昔っからそうなのよね、しっかりしているようで何処か抜けてる」
 はあ、とため息をつく恵。
 今更報告もしづらいだろうし。
「わかった、私が一肌脱いであげる。一個貸しだからね、ちゃんと返してよ」
「恐れ入ります」
「で、籍はちゃんと入れたんでしょ」
「え? せき?」
「なに、すっとぼけてるのよ! 入籍よ結婚したんでしょう!」
 食い気味に怒鳴る恵。
「え、ああ、うん、入籍したよ」
 と、場をごまかした。
 いや、しかし……と螢一は頭の隅で考えていた。
 恵は食事を済ませて帰っていった。
 この日の夜半。
「みんなのティールーム」で寛ぐ三女神と螢一。
 ベルダンディーは螢一の仕事用のツナギのほころびを直している。ウルドはだいぶ前に買い替えたフルHDのTVでブルーレイを鑑賞中だ。(正確にはISOファイルだが)「うーん、いいわね、ウルトラマンゼロのテーマ。どんなに味方側がピンチになっても、これが聞こえるだけで熱く燃えてきちゃうわ」等々、独り言を言っている。スクルドといえばごろりと横になって、少女漫画雑誌を読んでいた。螢一は何かを考え込んでいる。
「ねぇ、ウルド」
「なあに?」
 ウルドは画面から視線を離さず、スクルドも雑誌を読みながら。
「ウルトラマンゼロってどうして上半身が青で下半身が赤なの?」
「メタ的に言えば他のウルトラマンと差別化するためね。設定的にはお父さんのウルトラセブンがレッド族、お母さんの宇宙科学技術庁の女性科学者がブルー族だからよ」
「そうなんだ」
「なあに? 特撮に興味出てきたの?」
「別に。聞いてみただけ」
「あ、そう」
 先程からなにか悩んでいる様子の螢一に、ベルダンディーが心配そうにどうしたのですか、と聞く。
「いやさ、これは聞いてみるだけなんだけど、女神様って地上界の戸籍とかないよね」
 はじめに答えたのはベルダンディーだ。
「持っていますよ」
「持ってるわよ」
「持ってる」
 ウルドとスクルドが続く。
「え!?」
 ウルドが呆れたように。
「無いといろいろと不便じゃない? だから、私が時間をさかのぼって十年前に作っておいたわよ」
「えーと」
 理解が追いつかない螢一にベルダンディーが。
「私の戸籍上の名前はノルン・ベルダンディー。姓がノルンで名前がベルダンディーです。19XX年生まれの二十三歳。十七歳ではありませんよ。本籍地は千葉県猫実市猫実3-4-106他力本願寺で誕生日が1月1日です。お父さまはイギリス系アメリカ人で19XX年に日本に帰化。お母さまが日本人なのは少し無理があるのですが……」
 ウルドが続ける。
「所詮は日本のお役所仕事よ。データーさえ揃っていれば誰も疑わないわ。ちなみに私は三月三日生まれの二十五歳」
「あたしは仙太郎くんと同じの十一歳。誕生日も同じで五月三日。まあ、これは偶然だけどね。来週から同じクラスに転入するのよ」
 ちなみに三女神ともマイナンバーカードを所持している。
 同じクラスと続けたスクルドの言葉に螢一の頭はやっと回りだした。
「えっと、じゃあ、婚姻届出せるんだ」
 婚姻届の言葉にベルダンディーは真っ赤になって両手で口元を押さえている。
 ウルドは微笑むと。
「なるほど。こっちでも正式に夫婦になりたいわけね」
 感極まって「螢一さん!」と抱きつくベルダンディー。螢一はちょっと驚いたけど女神を優しく抱きとめた。
「いいんじゃない。明日にでも婚姻届もらってきなさいよ。ああ、今はパソコンからでもダウンロード出来るわね。あ……でも焦る必要ないか」
 続けるウルドにスクルドが。
「好きにすれば? って今月号はこれで終わりなの? 相変わらず引きが強いわねー」
 どうやら姉の婚姻よりも少女漫画の続きが気になる様子。
「提出日は大事な記念日だから慎重に選んでね。九月二十四日は……過ぎちゃったか」
 九月二十四日は「ああっ女神さまっ」の連載開始日である。
 今は行政のサービスもしっかりしているし、素敵な入籍日になると良いわね。
「あ、でも、証人が必要になるわね。一人は私として、もうひとりは……」
「証人は二十歳以上なので私は無理でーす」
 スクルドはまるで他人事のよう。
 だとすると。
 ベルダンディーが続ける。
「後は千尋さんでしょうか」
 螢一は嫌そうな顔で。
「怒られそうだなぁ……」
「まだ入籍していなかったの、とか」
 微笑むベルダンディーにウルドが続けた。
「まあ、二人で相談して決めてね──と、ベルダンディーから大事な話があるんだったわ。私たちは席を外すから、あとはよろしく」
 ウルドは浮き上がった。
「ちょっとウルド! 痛いってば、痛い! 無理に襟首掴まないでよ!」
「動くから痛いんでしょ」
 騒ぎながら「みんなのティールーム」を出ていく二人。
 しばらくの沈黙が流れて。
 この間にベルダンディーは常人のなんと数百倍という凄まじい速度で思考していた。
 どうしたら螢一さんに私の気持ちを上手く伝えることが出来るでしょうか。どう話したら理解してもらえるでしょうか?
 やがてひとつの結論に至ったのか、思考速度を常人のものと同じに戻した。
「け、いいえ、あなた」
「え、はい」
 いつにない真剣な表情のベルダンディーに、螢一も少しの緊張感を覚えている。
「あなたは女神としての私を好きになってくださいました。……ですが。その……女性としてはどうなのでしょうか?」
「あ、えっと、その……ベルは女性としても魅力的だよ」
「「真実のキス」をしてから二週間と少したちましたが、その……間に私を一人の女性として抱きたいと思ったことは……ありませんか?」
「えと、それは」
 螢一は少し逡巡したが。
「あるよ。何度もある」
 これで問題の一つはクリアした。ベルダンディーは少しだけ胸のつかえが取れたのを覚えた。だけど本題はまだこれからである。
 さすがに恥ずかしいのか正座している膝の上の両拳が固く握られていた。俯いて顔は耳まで赤い。
「実は私、処女(はじめて)で、うまく出来るか不安なんです。怖いんです」
「え、処女……って」
 顔を上げ、螢一の眼を真っ直ぐに見つめて。
「処女だからこそ、あなたから誘って欲しいのです」
 いくら朴念仁でもこれは螢一にも理解できた。
「うん……当然だと思うよ」
 ここでまたしばらくの沈黙。
 告げたことで精神的負担になってしまわないだろうか。でも隠しておくことなんて出来ない。
「後、これは姉さんから聞いた話なのですが、神属の女性にとって「はじめての時」はとても重要な意味を持ちます」
「重要な意味?」
「愛し愛されて「はじめて」を終えた後、神属はもう一段階上の存在に昇華できるそうです。姉さんは「羽化」と表現してました」
「なんだ、そんなことか」
「え!?」
「力が強くなってもベルはベルのままなんだろ。だったらなにも問題はないさ」
 失敗するとかまるで考えてない様子だ.
 やれやれ、この男はまったく。
 ベルダンディーは嬉しくて涙が出そうであった。
「では、あなたからの素敵なお誘いを待ってます」
「あ……そのことなんだけどさ」
「はい?」
「確かにベルを抱きたいと思ったことは何度もある。……でも、無理なんだ」
 ベルダンディーは螢一の言葉が理解できずに少し混乱した。
「もちろん、神聖な女神を人間の俺が抱いていいのかって部分もあるんだ。でもそれ以上に心の奥底で何かがブレーキを掛けるんだ」
 螢一は頭を抱えこんだ。
「なぜなんだ、どうしてなんだ。心では「抱きたい」と思っていても身体の欲求があっても、もっと深いところでストップが掛かってしまうんだ」
 深い溜息。
 螢一はふらりと立ち上がり「ごめん、すこし頭を冷やしてくる」と言い残して「みんなのティールーム」を出ていった。
 呆然と一人部屋の中に取り残されるベルダンディー。
 不意に「聞いてたわよ」と声がして。十分の一サイズのウルドが姿を見せた。
「どうやらあいつは女性に対してトラウマがあるみたいだね」
「……ええ、しかも心の奥深いところで」
「困ったわねぇ──表層意識ならともかく、かなり深いところまで干渉すると」
「失敗すれば最悪、螢一さんの心が壊れてしまいます」
「かと言ってトラウマの原因がわからなければ対処のしようがないのよね」
 どうしたものかと見つめ合う二人であった。
 庭からサイドカーのエンジン音がかすかに聞こえた。
「お出かけのようね」
 とウルド。ついでに心たりはあるのと聞く。
「ええ。螢一さんが向かうのはおそらく「ポレポレ」です」
 猫実市内にある喫茶店だ。
 玄関先で電話の鳴る音が聞こえた。
 ベルダンディーは落ち着いた足取りで玄関先の電話の受話器を上げる。
「──はい。森里です」
『はい、こんばんは。アンザスよ』
「えっ、お母さま!」
『やっと仕事が一段落したの。だから、明日の昼ぐらいにお邪魔するわよ』
「はい、承りました」
『なによ、親子の間で他人行儀な。明日は「女神集合体代表取締役」とか「異種族恋愛査問管」ではなく母親として降りるから歓迎よろしくね』
「はい! わかりました。お菓子を沢山用意してお待ちしてますね」
『うんうん。それでよろしい。じゃまた明日♪』
 受話器を置くベルダンディーに。
「なあに? 明日アンザスが降りてくるの?」
「ええ」
「──明日は一波乱ありそうね」
 ウルドはジト目で空を睨んだ。
 ベルダンディーはクスリと微笑んだ。
「でも、ここに降りてくる女神っていつも突然じゃありませんか」
「連絡があるだけまし……か」
 螢一のサイドカーは他力本願寺の前の坂道を下って、街なかに入っていた。
 いつも整備を欠かさない愛車は今夜も好調に轍を刻む。
 猫実工業大学のキャンパスから北東に少し離れた位置に、喫茶店「ポレポレ」はあった。席はカウンター含めて二十席ほど。繁盛期には猫実工大の客で賑わう。
 螢一がサイドカーを駐車場に止めると、ちょうど店主の通称「おやっさん」が看板をしまうところだった。
「悪いね、今日はもう……って、あれ?森里くん」
「こんばんは」
「裕介に用事?」
「はい」
 困ったような笑顔の螢一におやっさんは何かを察したのか。
「中で片付けをやっているから入って、入って。店は閉めちゃうから時間とかは気にしなくていいよ」
「お気遣い、感謝します」
 螢一はお辞儀をすると店内に入った。
 カウンターから声がかかる。
「お、森里くんじゃないか。久しぶりだね」
「ご無沙汰してます。裕介さん」
 まあ、座ってと進められるままに裕介の前のカウンター席に腰をおろした。
 五代雄介。猫実工大の先輩にあたる。歳は三十手前ぐらいか。爽やかな笑顔が似合う好青年である。正直、螢一にはこの青年が何を生業として暮らしているのかわからない。今のようにポレポレの手伝いをやっていたかと思えば、三ヶ月や半年ほど行方不明になっていたりする。それでも人柄のせいか、彼を慕ってここに来る生徒も多い。
 五代はコーヒーで満たしたカップを置いて。
「で、今夜はなにか悩み事かな?」
「わかりますか」
「その顔を見ればね」
 ふう、と螢一のため息。
「何から話していいものやら……」
 螢一はぽつりぽつりとベルダンディーの馴れ初めから話し始めた。ところどころつっかえつっかえだけれど、ともかくベルダンディーが女神であること、今の二人の状況を伝え終えた。
 五代は苦笑を交えつつ。
「なるほどね。ベルダンディーさんが女神様か」
「信じてないでしょう?」
「いや……信じるよ。俺にも色々あったからさ」
 エプロンに印刷されているマークを指差す。
「確かにね。思いあたることはあるな。ここにも二人で来てくれたこともあるけど、彼女を文字で表現するなら、清楚、清廉、静謐、聖女かな」
 にしても、と五代は続ける。
「森里くんはベルダンディーさんの事を本当に大切に思ってるんだね」
「はい」
「悪いことじゃないさ。むしろ良いことだよ。誰かを真剣に大切に思えるのはとっても素敵なことだからね」
 拳を握って親指だけを上に立てる。サムズアップである。
「今回のことは俺も力になれないけれど──そうだね、一つだけ。君の「お願い」を例えにするなら、「君のような女神にずっとそばにいて欲しい」だっけ。森里くんがそばにいて欲しいのは女神なのか君なのかどっちなのってこと。まあ、両方って欲張りな選択肢もあるけどさ。ここはひとつ男らしくどっちかに決めようよ」
「──やっぱり、決めないと駄目ですか」
「両方って選択肢もあるっていったけどね。ようは気持ちの問題」
「気持ちの問題では……」
「だから一人で解決しようと思わないこと。夫婦なんだからさ。「富める時も病める時も」ってやつ」
「道は遠く 時に底深き谷 雨の降る朝も 雷鳴吠ゆる夜も共にゆこう」
「そうそう、それそれ」
 螢一は目の前のコーヒーを飲み干した。冷めきっていたけれど。
「やっぱり裕介さんに相談してよかったです。ありがとうございました」
「いやいや、深々とお辞儀されるようなことじゃないよ。ま、とにかくベルダンディーさんとお幸せにね」
 再び礼を告げて駐車場に出る螢一。
 胸のあたりから軽快な電子音。スマートフォンを取り出すと発信者の名前を見て驚いた。
「げ、桂馬さん」
 ともかく出ないわけにはいかないので通話をタップする。
『恵から聞いたぞ』
「あ、えーと」
『いろいろと話したいことがあるんだが、俺は急な仕事でそっちには行けない』
 ほっと胸をなでおろす螢一だが、次の一言で凍りついた。
『だから、鷹乃が向かう。明日の昼頃には着けるだろう、覚悟しておけ。ああ、それとな「男ならいくつになっても胸の奥底に大きな絵を掲げておけ」以上だ』
 一方的に通話を切られて呆然とする螢一であった。
「大きな絵ってなんだ?」
 ともかくいつまでもこうしてはいられないので、愛車に跨り家路についた。
 愛車をガレージに着けると、ベルダンディーが飛びかからんばかりの勢いで抱きついてきた。
「螢一さん!!」
「え、わ!?」
「もう、心配したんですよ。こんな時間まで何をしていたのですか」
「こんな時間てまだ、え!?」
 腕のコスモノートを確認すると午前零時を過ぎていた。
「は? なんでこんな時間に……」
 ウルドは少々憤りを感じさせる口調で。
「あんなふうに飛び出して行ったじゃない? 心配してこの娘、あんたの気を探っていたのよ。そしたらまるまる二時間分気が探れなくなっちゃって、なだめるのに苦労したんだから」
「何処にと言われても……ポレポレで裕介さんに相談をして」
「ほんとにそれだけなの?」
「間違いないよ」
 考え込むウルド。
 さきにベルダンディーが動いた。
「ごめんなさい、少しだけ螢一さんの記憶を見せてくださいね」
 自分の額を螢一の額によせてくっつけた。
 ベルダンディーはこうすることで相手の記憶を読み取ることが出来る。ただし、ごく表層の記憶だけなのだが。
「二時間分、きれいに記憶が消されています。あと、この波長は……魔属!? もう一つ、神属の波長もします、でもこの波長は」
「感じたことのない波長よね。だけどベルダンディーの波長にすごく似てる──何があったの?」
「──覚えてませんけど」
 そうよね、とウルド。
 とにかく無事で良かったです。ベルダンディーは腕にすこし力をいれた。
「ほんとうに、本当に心配したんですよ」
「うん……ごめん。ありがとう」
 ウルドの「とにかく今日はもう寝ましょう」の言葉に、一同、この日は就寝についた。

 この「消された二時間」についてもあとで Chapter を立てて語るとしよう。

 翌朝。
 螢一の部屋。
「あなた、あなた。起きて下さい」
「あ……ベル。おはよう」
「珍しいですね、こんな時間まで寝ているなんて」
「え、今何時?」
「九時過ぎてますよ」
 螢一はどんなに夜遅くまで起きていても七時には眼をさます。これは他力本願寺に居を構えてからの習慣だ。
「ちょっと寝すぎたかな──と」
 身体を起こして大きく伸びをする。布団を自分で畳んで押し入れにしまうと。
「じゃ、顔を洗ってくる」
「ご飯はもう出来ていますよ」
 茶の間のちゃぶ台の上には。「これぞ日本の朝食」といった感じのメニューが並んでいた。
「ごちそうさま。美味しかったよ」
「ありがとうございます、では片付けますね」
「ちょっと待って」
「え、はい」
 螢一はベルダンディーの瞳を真っ直ぐ見つめると。
「昨日は本当にごめん。俺は、一人で抱え込むんじゃなくて、きちんとベルに相談すべきだったんだ」
「確かに。私、少し怒っています、だから……お仕置きです」
 ベルダンディーは螢一の頬にキスをした。
 照れくさそうに笑う螢一。
「あ、あと、今日の昼頃、鷹乃さんが家に来るんだけど」
「私のお母さまも昼頃……!?」
「ちょっ、ちょっと待って。お義母さんのアンザスさんが昼頃降りてきて……」
「お義母さまの鷹乃さんがお昼頃、訪ねていらっしゃる……」
 数秒の間。
 ええぇぇぇぇぇぇっ!!
 重なる 吃 驚 (びっくり)の声にウルドが怒鳴り込んできた。
「なによ、うるさいわね!」
「どうしよう、ウルド、アンザスさんが降りてくる!」
「知ってる」
「どうしましょう、姉さん、鷹乃さんがいらっしゃいます!」
「あ、今知ったわ」
 苦笑するウルドであった。
「まぁ、落ち着きなさいよ、二人共。結婚した家の双方の親が顔をあわせるなんてよくあることじゃない」
「あ……」
「はい、そうですね」
「にしても」
 ウルドは失笑混じりに。
「あんたが取り乱すの久しぶりに見たわー」
  お恥ずかしいです。ベルダンディーは頬を染めている。
「あ、婚姻届の証人の欄、鷹乃さんに埋めてもらったらどうかしら」
「いいですね、私からもお願いしてみます」
 輝くような笑顔を見せるベルダンディー。
 しかし、螢一はジト目で。
「あ……、それはどうかな、きっと今頃……」
 時間は少し進んで。
 1970年型の日産ブルーバードSSSが、猫実市の市街に入ってきた。ドライバーはもちろん、螢一の母親「森里鷹乃」だ。
「まったく、親に黙って結婚なんて二万年早いわ! これはきっちり〆とかないとね」
 他力本願寺へのゆるい坂を登り、流石に境内に直接乗り込む動線はないので、併設されている駐車場に停めた。キーを抜きドアの鍵を締め、母屋に向かう。玄関先で立ち止まって、ちょっと感慨深げに呟いた。
「ここに来るのも久しぶりね」
 何かが上空で光るのを感じた。日光とは違う輝きに思わず視線を向ける。
「え……」
 遥かな天空に法術陣が現れていた。まるでスポットライトのように光がそこから玄関前に降り注いだ。光の中を一人の美しい女性が降りてきた。
 地面に足をつけると同時に、法術陣も光もきえる。
 女性は優雅に一礼をすると、笑顔で。
「はじめまして、私はベルダンディーの母でアンザスと申します。天上界で女神集合体代表取締役を務めております」
 鷹乃さんの第一印象は、なんて優雅できれいな女性だった。
 なにか不穏な発言を聞いたのだが、とにかく挨拶を返す。
「こちらこそはじめまして。森里螢一の母の森里鷹乃です」
「まあ、あなたが。どうぞこれからもよろしくおねがいします」
「よろしくおねがいします」
 女神と人の母親は握手を交わした。
「お互いなにか事情がありそうですが、ともかく中に入りましょうか」
 アンザスの言葉に鷹乃は同意した。
 玄関を開けて中にはいると、まずは鷹乃が。
「螢一! いるかい? 今着いたよ」
「ベルダンディー、お母さんですよ」
 茶の間の障子が開いて二人が姿を見せた。
「いらっしゃい、お母さま。鷹乃さん」
「いらっしゃい、アンザスさん。鷹乃さん」
 笑顔のベルダンディーに対して螢一は緊張している様子。
「あら、ベルダンディーと結婚したんですもの、「お義母さん」って呼んでくれていいのよ」
「その結婚について、あたしは話があるんだけどね」
「あ……はい」
 固まる螢一であった。
「とにかく、奥へ上がって下さい」
 ベルダンディーの案内で「みんなのティールーム」に場所を移した。
 テーブルの上にはお茶菓子と人数分の湯呑。
 螢一の対面に鷹乃さんがすわり、ベルダンディーの対面にアンザスが座った。
 まずは、鷹乃さんから。
「さて、事情をたっぷり聞かせてもらおうか。桂馬くんと私に黙って結婚したこと、しかも報告もしなかった理由」
「えーと、それはその……」
 間にアンザスが割って入った。
「二人は確かに天上界での婚姻を認められましたが、地上界ではまだ婚姻届を出しておりませんよ」
「え? 天上界?」
「ベルダンディーは私の娘、神属ですもの」
 鷹乃さんは額に手をあてて。
「まって、頭が混乱してきた。天上界とか神属とかいったいなんなのよ」
「では、私からご説明しましょうか」
 アンザスは螢一とベルダンディーの馴れ初めから魔界での「大魔界長失職騒動」につながる二人の結婚までの経緯を、簡潔にしかも要点は絞って丁寧に話をした。昨夜の螢一とは段違いで懇切丁寧なことこの上ない。
 噛んで含んだ説明はよほど消化が良かったらしい。
 鷹乃も理解したようだ。
「なるほど、ベルちゃんが天上界の女神様ね。前にこっちの来た時からなんとなーくそんな気はしてたけど」
「いえ、今は休職扱いになってまして」
「ベルちゃん、それはいいのよ。──で、螢一。なんで二週間も連絡しなかったの」
 螢一は、ここは御託を述べるより、素直に頭を下げるべきだと判断した。
「すいませんでした!!」
 と、その場に土下座をする。
「よろしい。許す」
 螢一は座り直すと。
「あらためて、鷹乃さんに俺たちからお願いがあるんだ」
「お願い? まあ、聞くだけなら聞いてあげるけど」
「婚姻届の証人の欄に鷹乃さんの名前がほしいんだ」
 ベルダンディーが何処からか記入済みの婚姻届を出してテーブルの上においた。
「お願いできますでしょうか」
「つまりこっちでも正式に結婚したいと」
「駄目でしょうか」
 ふむ、と考え込む鷹乃。
「その前に、螢一に二つ質問がある。返答次第では記入してあげる」
「質問て」
 戸惑う螢一。
 鷹乃さんは少し間をおくと。
「まず一つ目、螢一、あんたは生涯この娘を命がけで守る覚悟はあるかい?」
「ああ、もちろん」
「いい眼をするようになったね、うんうん、少し見ない間に男を磨いたもんだ。では二つ目の質問。あんたは大学を卒業して何をしたい?」
「え……なにって」
 戸惑う螢一に鷹乃は畳み掛けるようにして。
「あんたの将来のことを言っているのさ、まさか一生、小さなバイク店のメカニックで過ごす、なんてわけないよね。桂馬くんにも言われたはずだよ「男ならいくつになっても胸の奥底に大きな絵を掲げておけ」って」
「将来、将来か……」
 はじめて「大きな絵」の意味を知る螢一。
 漠然と今と同じような生活が続くと思ってたけど、違うんだな。今はいつか終わる、でも終わりを決めるのも、また今に掛かっているんだ。だったら俺の目標は一つ。
「俺は自分のバイク店を持ちたい。バイクが楽しいものだってことみんなに知って欲しいから」
「バイク業界は斜陽業界だよ。よほどの金持ちか物好きでないと手を出す人はいないだろうね。それでもかい」
「もちろん、だからこそやりがいがある」
「本気みたいだね。わかった──ではベルちゃん」
「はい」
「あなたはどうするの?」
「私、私ですか……」
 螢一さんは自分の夢を定めた。だったら私の答えも決まっている。
「私も螢一さんと同じ目標に進みます。妻になったからではありません、私自身が螢一さんと同じ気持ちだからです」
 鷹乃は目の前の湯呑を持つと一口すすった。
「美味しいお茶だね。いい奥さんになるよ。ベルちゃんは」
「え、それじゃ」
 鷹乃は湯呑をおいてニッコリと笑うと。
「婚姻届にサインをしてあげる」
 座り直して背筋を真っ直ぐにした。
「愛はお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることなのよ。見つめ合っているうちは恋。だけど同じ遠くの方向を見つめることが愛なのさ。……桂馬くんの好きな言葉だけれど、そもそもこれは誰の言葉だったかしらね」
 ふいにアンザスが。
「サン=テグジュペリさんの言葉ですね。私からも同じ人の言葉を贈りましょう。「計画のない目標は、ただの願い事にすぎない」」
 戸惑う螢一とベルダンディーを見つめて優しく微笑むアンザスであった。
「難しく考えることはありません。大きな目標が決まっていれば、おのずと達するべき道も見えてきます。まずは螢一さんの大学卒業ですね」
「──ただし!」
 鷹乃の一喝が入った。
「生活が安定するまで子供は我慢しなさい」
「あ、いや。お金のことなら私が」
「ウルドさんの気持ちはありがたいけど、それでは何時まで経ってもこの子達は自立できない、半人前よ」
 螢一が遠慮がちに片手を上げた。
「人間と女神の間で子供ってデキるんですか?」
「確率は少ないですけど可能ですよ」
 アンザスは一口お茶を啜ると。
「もともと神属が(わたしたち)妊娠するのは「女神のこの人の子供がほしい」って強い気持ちがあってこそなのよ。危険日にSEXしたからデキました、じゃないの。ましてや異種族だもの、螢一くんの気持ちも大事になるわ」
 神属に「危険日」はないそうだ。
「俺の気持ちって……さすがに今の経済状態じゃなぁ……」
「それから螢一、大学を卒業したら仕送りは止めるからね」
 苦虫を噛み潰したような表情に。
「このご時世だから桂馬くんの仕事も減ってるからね。成人した息子をいつまでも養ってられないのよ」
「大丈夫、なんとかなりますよ螢一さん。ところでお母さまは本当に休暇だから降りて来てくださったのですか?」
 ベルダンディーの問いにアンザスは慈愛の微笑みを浮かべ、胸の前で手の平を合わせると。
「そうそう、そうでした。これをベルダンディーに渡したくて」
 手の平を離すと間から「光球」が飛んでベルダンディーの前の空間で止まる。
「これは……何かの結界のようですが」
「精神の物質化現象を封じ込める結界です。これからの二人には必要な物でしょう」
 あと、螢一さん。
「あなたは女性に対してトラウマを抱えてますね」
「え……」
 アンザスは人差し指を螢一に向けた。
 横で鷹乃が「ああ、あれか」と一人で納得している。
 螢一の身体が停止ボタンを押したみたいに固まった。
 精神操作系の法術が発動している。
「お母さま、無茶です!」
 顔色を変えるベルダンディーだが。
「私が失敗するとでも? ええーと、どれかなーと、ああ、あったこれこれ」
 天井に向けた人差し指の先の空間には鉛色に鈍く光る、一センチほどの玉が一つ。
「なるほど、小さい頃に女の子に暴行を受けてお年玉を取られた、っと」
 鷹乃が補足する。
「螢一ったら一晩中股間を押さえて唸ってたわね。結局犯人は見つからずじまい。お年玉も取られ損」
「それをどうするつもりですか」
「もちろん、こうするわよ」
 ベルダンディーの問いにアンザスの指の先から鉛色の玉は消えた。
 螢一さんの記憶の一部を消すなんて。
「思い出しもしない、むしろ害になっている記憶なんて無いほうがいいと思うけど?」
「私も同じ意見だわ」
 アンザスの言葉に鷹乃が追従した。
 同時に止まっていた螢一も動き出す。
「あ、あれ?」
「大丈夫ですか、螢一さん」
 心配そうなベルダンディーに螢一はキョトンとした顔で。
「今なにか……?」
 アンザスは微笑んだ。
「あなたのトラウマを削除しました。まあ、荒療治ですけれど。このくらいするのが丁度いいでしょう。良かったわねベルダンディー、これで螢一さんSEX出来ますよ」
 真っ赤になる二人に鷹乃が。
「まあ、初々しいこと。新婚はこうでないとね」
「素敵な「初夜」になると良いわね」
 アンザスは目の前のお茶菓子を一口頬張った。
「うん♪ やっぱり美味しいわ、天上界で評判になるのもうなずけるわね。これは本格的に女神の何人かを地上界に降ろして修行させて、──ああ、でも「規約違反」なのよね」
「よかったら私がアンザスさんに教えましょうか?」
 鷹乃の申し出にアンザスは目を輝かせた。
「え? よろしいのですか?」
「もちろん、これでも二児を育てた母親よ」
 螢一がジト目で。
「いやぁ、それはどうかな」
「なんだってぇ」
「水気たっぷりでベチョベチョの大福餅に焼きすぎてカリカリになったケーキ。鷹乃さんは他は完璧なまでに非の打ち所のない「母親」だけど「お菓子作り」だけは」
「いったわね!」
「だから「母親としては完璧」なんだって! だけど「お菓子」だけは──」
「ちょっとこっちへ来なさい!!」
 鷹乃に引きずられて別の部屋に消えていく螢一。
 見送ってアンザスは。
「微笑ましいこと。でもあの様子だと「お菓子」はあきらめたほうが良さそうね」
「でしたら、私がお母さまに教えて差し上げましょうか?」
「んーでも、娘にお菓子作りを教えてもらう親ってどうなのかしら」
「地上界に良い格言があります。「細かいことは気にしない」」
 いや、それ「格言」じゃないから。 
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