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ああっ女神さまっ After 森里愛鈴

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終わりからの始まり
  エピローグからのプロローグ

 季節は十一月、初旬。空が蒼く高く肌を擦る風はすっかり冷たくなっている。
 千葉県猫実市。人口二万の古い街並みと新しい街並みがごっちゃになったような、首都圏への通勤客も多いこの街。二人にとっては思い出の宝石箱。そしてこれからも暮らしていくであろうその上空で、人と女神の厳粛で荘厳な結婚式が執り行われていた。

 きっかけは魔界のナンバー2、ハガルの謀反から始まった。大魔界長ヒルドを封印して、自らが大魔界長として地上階の「魔族のシェア」を一気に取り戻そうとしたのだ。しかしながらこれは間違いであった。
 太古の昔から「神属」と「魔属」は「地上界のシェア」を狙って争い、互いに何度も何度も滅びかけてきた。
 双方の滅びを防ぐために「神属」と「魔属」の間で契約が結ばれた。
 「タブレット制」
 神属と魔属の間で、双方の子供に命の共有の契約をさせ、その契約の記憶を消す制度。結果、(神属・魔属いずれかの)片方の契約者が死ぬともう一方の契約者も死ぬことになり、さらにその契約者が誰なのか分からなくなる。そのため、うかつに相手方の命を奪うと身内の誰かが同時に命を落とすことにつながる恐れがあり、神属・魔属の双方で殺し合いとならずに済む。
 さらに「地上界のシェア」を今後均等に分割することで話し合いは済んだ。
 しかしながら、ベルダンディー達が地上界に常駐することでこのバランスが崩れていた。
 それでもうまくやっているつもりだった、とはヒルドの言葉である。
 ハガル達にはそれが気に入らなかったらしい。
 さらにもう一つ、大魔界長は任期終了が迫っていた。魔界法第2061条21項、「大魔界長は任期終了とともにその生命も終了する」
 大魔界長ヒルドが死ぬ──
 ハガル達にはヒルドに恩がある。だからこそ急いでいたのだ。前述したように間違いであったのだけれど。
 地上界に残っていた千分の一のヒルドの分体は、三女神、ウルド、ベルダンディー、スクルドに「救援要請」を発した。三女神はこれを受諾、ベルダンディーのセイフティとして螢一も同行した。後になって思えばこの螢一の行為がすべてを決定づけたといってもいいだろう。ちなみにこの日は螢一の誕生日だった。ベルダンディーからのプレゼントは時計、24時間の文字盤をもつ、コスモノート「旅人の時計」だ。
 ヒルドはさらに千分の一の分体を螢一に預けた。「これが切り札となる」と。ハガルに接近しそれを使うことで彼女の身体をコントロールする。ヒルドの授けた「作戦」にのって女神と人間は行動を開始した。見送り時にヒルドが螢一にキスしたことでちょっとしたトラブルはあったが。
 螢一はヒルドから貸し与えられたグリューエンデスヘルツに乗って、女神達は自力で旅立った。
 魔界への門を開けておく最大開放時間は六時間。
 「まぁ……保険、ってとこかな」ヒルドは何気なく呟いた。
 魔界に赴いた一行はエイワズの案内により、これから向かう部屋の中の主を倒して次の部屋の鍵を手に入れなければ先へ進めない事を知る。
 暗闇の支配者、アールヴァル。
 破壊の支配者、スリュム。
 機械の支配者、モックルカーヴィ。
 強欲の支配者、エイワズ。
 そして、魔界のナンバー2ハガル。
 彼女らの目的はベルダンディーの神力を削ぎ落とし、神力が殆どゼロの状態をつくりだしてから、代わりに魔力を彼女の身体に注ぎこむことで、ベルダンディーを魔属にすることが目的だった。神属のエースであったはずの女神が魔属のエースとして魔界の理想世界を造る。
 ハガルの能力は、目を合わせた者の頭脳に直接干渉する力である。脳に「自分の存在がなくなった」と認識させれば、対象者は精神が死ぬ。
 螢一とベルダンディーはハガルの奸計に見事に嵌ってしまった。
 螢一はハガルによって両手と両足を奪われ、所持していた百万分の一のヒルドを内包するペンダントも奪われてしまう。
 ベルダンディーは最後に残っていた僅かな神力も吸収され、天使のホーリーベルも卵に戻されてしまった。
「あなたに耳より情報です。あなたにはもう何ひとつ残っていません。あきらめてください」
 声をかけるハガルになすすべもなく女神は意識を失った。
 絶望する螢一の中から百万分の一のヒルドの声がした。出発の時に口づけした千分の一のヒルドから、彼の中に入り込んでいたのだ。
 エイワズの部屋でベルダンディーが復活したのはなぜ?
「護符とは守る力を封じたもの。人への想いは守る力。想いの力は守る力の強さ。この力は螢一さんの想いの力──」
 ベルダンディーの身体に魔力を注ぎこむ直前、感覚を奪ったはずの螢一が飛び出して女神を救う。
 螢一がベルダンディーに送った「指輪」が護符となって女神を守ったように。ベルダンディーが螢一に送ったコスモノート「旅人の時計」が護符となったのだ。それは女神の力を込めた護符。女神の愛の証。
 手足を取り戻した彼に驚愕するハガル。
「なぜ一介の人間ごときが私の術を破れるんだ!」
 確かに螢一がいたからこそ他の四人は破れた。破れることが予定だったとしても。
「ああ……そうか、こいつがいるからいけないんだ。最初から殺しておけばよかったんだ」
 表情には呆れと殺意があった。
「最初から殺しておくべきだったんだ!」
 このままでは螢一がハガルに殺される。
 ベルダンディーは世界で一番大切な大好きな人を失う。しかし今の彼女に神力は残されていなかった。
 迷いは一瞬、女神は決断した。
「螢一さん、これは最後の手段です。この先、何があっても私を信じてくれますか」
「ははは、信じるも信じないも、これ以上信じられる相手が他にいるだろうか」
「螢一さん、では、私の言う事にすべて「はい」と答えてください」
「はい」
「森里螢一は一級神二種非限定女神ベルダンディーとの間に締結した契約の解除に同意する」
「(え!?)……はい」
 螢一の周囲で何かが壊れる音がした。
 彼が訝しむまもなく続けるベルダンディー。
「これにより森里螢一は契約条件を満たしたので、新たな契約の提案が受けられます」
「はい」
「森里螢一は一級神二種非限定女神ベルダンディーと真の契約、すなわち私と結ばれることを望みますか?」
「え?」
 い、今、なんて……?
「ただし次の条件を拒否される場合はこの契約は無効となります。契約者はいかなる試練にも望むことを誓い、これに合格しなかった時、当該女神との接触を生涯にわたり禁ずることとする。これを承諾しますか?」
 ……何? 試練て何?
 混乱して黙り込む螢一。
 しばしの沈黙があって、再びベルダンディー。
「私もこの提案は避けたいんです」
 螢一は少し頬を赤らめながらも真剣な表情で答えた。
「はい……」
「そうですよね、拒否するという選択肢もありますよね」
「そっちじゃなくて!」
 えっ、と驚いた表情をする女神。
「言ったじゃないか。信じるって。信じてほしいって言いながら、俺のことは信じないの?」
「あ……」
 まったくこの人は……。
 互いを信頼すること。贈りあった想いのこもった品物。想えば長い二人の時はこのためにあったのだ。
「螢一さん」
「はい」
「気を確かに持ってください」
「え?」
「これより誓いのキスを実行します」
 ベルダンディーは真剣で不安でそして嬉しかった。心臓の鼓動が高鳴っている。今から「その生涯を共にしたい」と心底願った相手と真実のキスをする。顔を赤らめながらも唇をよせた。
 人と女神の唇が重なった。
 どこまでも甘く柔らかい唇の感触。
 その刹那、螢一は混乱の坩堝にいた。
(なんだ!! なんだこれ!! これはなんだ!! 脳が焼ける 血が燃える!! 何もかも 溶けていく!! こんな …… 気持ちがいいなんて こんなにも 恐ろしいなんて これが 神の ベルダンディーの こんなの いつまでも もう無理 キスが ……)
 つまるところ「情報量」の多さに脳が処理しきれないのである。
 過負荷により螢一の意識は暗転した。
「はっ」
 目を覚ました彼にベルダンディーは安堵した。万が一にもそんなことはないと確信しながらも、このままだったらと想うと不安だったのだ。
「螢一さん、大丈夫ですか?」
 大丈夫と答えようとした螢一は目の前の情景に驚愕した。
 一面の花、華、花…。
「うわっ、これは一体!?」
 見えている範囲全部が花畑。花で埋め尽くされていた。
「力がほとんど無いはずなのに」
「いえ、これは螢一さんとのキスにより起こる、精神の物質化現象なので力は関係ないんです。ましてやそれが真実のキスであるなら、その効果は計りしれない」
「その、真の契約って……」
 花の中に二人を見失ったハガルが騒いでいる。
 ベルダンディーは己の唇に人差し指をあてた。
「螢一さん、この先は私が」
 決意の表情。
 だがその表情に螢一は違和感を覚えた。
「なんだろう。ベルダンディーが今までとは」
 彼の知らない女神がいた。
「ベルダンディーが違って見える」
「?」
「あ、いや……その」
 ベルダンディーの瞳。
(なんだ……)
 ベルダンディーの唇
(なぜだ?)
 ベルダンディーの胸元。
(なぜ急にベルダンディーが艶かしく見えるんだ?)
 なぜだろう、見ていると胸の動機が抑えられない。今まで感じたことのない感覚。これは……。
 騒いでいたハガルだが解決策を思いついたようだ。
 その時、螢一の中の百万分の一のヒルドが合図をした。
 ヒルドは螢一にキスした時に分身を乗り込ませていたのだ。
 (螢一くん)
 はい。わかってます。
「ベルダンディー」
「はい」
 螢一はベルダンディーにキスをした。
「女神の加護を、俺に!!」
 こんな、え!! うそ!? 螢一さんが、え!!
 大きく噴き上がる大量の花。
 ハガルの背後を取って、腕を掴み、耳元へ。
 百万分の一のヒルドは螢一の中からハガルの耳の中に飛び込んだ。
「何をしやがる!燃やすぞ!」
 ──アイバブコントロール。
「え?ヒルドさま?」
 百万分の一のヒルドがハガルの肉体を乗っ取った。
「新魔界長ハガルの権限においてここに宣する。旧魔界長ヒルドの拘束を解き、大魔界長の地位を回復する!!」
 ハガルの抵抗虚しく、ヒルドは宣言した。
「解凍」
 魔界の少し離れた地にある、花の蕾のような封印装置がゆっくりと開いていく。
 ヒルドは大魔界長の地位を取り戻した。
 裏魔界法。大魔界長の地位を失いそして取り戻したものは任期がリセットされる。ヒルドは任期で死ぬことがなくなった。
 帰ろうと言い出すウルドにストップを掛け。
「あらあ、すんなり帰れるとでも?」
 何をしたのだどと問うウルドに、自分は何もしていない、むしろベルダンディーがしたのだと。
「ねぇ、あなた真実のキスをしてしまったんですものね」
 ベルダンディーは胸の詰まる思いがした。術を破るためとはいえ大変なことをしてしまった。
「今まで契約を履行するために、螢一くんを騙していたのだから」
「違いますっ!! 騙してなんか──」
 螢一が、ベルダンディーは嘘がつけないとフォローするも、言わないことでも騙せると。
「ねぇ、螢一くうん。ベルダンディーのこと好き?欲情する?抱きたいと思ったことある?」
 螢一は顔を真赤にして否定した。
「ほんとはあるけ……あれ?」
 え……思ったことあったか?いままで?
「ないんじゃないの?健康な若者なのにねぇ」
 なんだ……。なんだこれ。真実のキスをしたときから──
 心配そうな面持ちで名前を呼ばえれて、ベルダンディーを見た瞬間。
 大きく動揺した。鼓動が跳ねた。
 手を伸ばしてくる愛しい女神から、反射的に飛び退いてしまう。
「違……んだ」
「違わないわよう。螢一くんの封印されていた欲情が開放されただけのこと」
 互いに異質である人と神の交わりに天上界は厳しい制限を設けている。だけど螢一は契約してしまった。「君のような女神にずっとそばにいて欲しい」契約を守るためには交わらせてはならない。だから、今まで螢一の心を操作してきた。肉欲を欲望を抱かないように。
 契約のために人の心まで干渉するのが神のやりかたである。
「螢一さん、私は……」
 だましていなかったのは本当。でも契約のためにこのシステムが動いていたのを知っていたのも本当のこと。私は、螢一さんに甘えていたんだ。とても言い訳なんて出来ない。でも。私は螢一さんと一緒にいたい。この気持も本当。私は……なんて……。
 響き渡る音楽。
「どうやら律儀にも魔界まで降りてきたようね」
 呟くヒルドのそばから空中が爆発した。
 天上界から魔界へ異種族恋愛審問官が降りてきた。
「大変な事になっているようですね、ベルダンディー。まさかあなたの時に呼び出されるなんて。これも運命の女神なればこそなのでしょうか」
 女神集合体代表取締役アンザス。ベルダンディーとスクルドにとっては実母であり、ウルドにとっては義母になる。彼女は職務に公平であるために降りてきたのであって、ベルダンディーの味方をするためではないことを宣言する。
 アンザスは大天界長ティールの後妻だった。
 ヒルドはティールと「別れた」のではなく「別れさせられた」のだ。
「見せてもらうわよ、私が越えられなかった壁を、君が越えられるかどうか」
 神属の定めた異種族恋愛審問システムに。
 アンザスは持っていた杖を巨大な門に変化させた。
 裁 き の 門(ジャッジメントゲート)である。
「人間と女神は本来交わるべきではないのです。我々は幾度となくその悲しい結末を見てきました。故に我々は資質を確認する試験を設けました──そうです試すんです人とは左様にに弱く脆い。そしてそれは女神もまた同じ。この試験は人のためだけではありません。人と女神双方の恋愛検定です」
 試験に合格できなかった場合。人と女神は 生涯出逢うことができない。出逢おうとどんなに頑張っても運命制御機構が全力で阻止する。また、通るのを拒否した場合、元の状態に戻るが、ただし今後一切の恋愛行為を禁止される。手を繋いだだけで死ぬ。
 ベルダンディーは一度開けば二度と戻せぬパンドラの匣を開けてしまったのだ。
「改めて問います。森里螢一くん。どうしますか拒否しますか。それとも通りますか?」
 裁きの門を通るか否か。
 螢一はほんの少しの間考え込んでいたが。
「やります」
「この中で起こることはあなたの精神を崩すかもしれない、それでもやるのですね」
 確固たる決意の表情で彼は応えた。
「やります!!」
「森里螢一、裁きの門への入門許可申請、受理しました。──では、一級神二種非限定女神ベルダンディー。あなたは裁きの門に入りますか」
 私に門に入る資格が……? 螢一さんを欺いていたというのに。
 螢一は後ろに立つ女神を振り返ってサムズアップをしていた。
 そう……私はこの人を守りたかった。この人を守りたくてこの選択をした。なら道はきまっている。
「門に入ります」
「……わかりました。一級神二種非限定女神ベルダンディーの裁きの門への入門許可申請、受理しましす」
 戻って来られないのに、やはりそう答えるのですね。
 そう、この門をくぐって戻って来たものは皆無だった。
「ゲートオープン」
 開いていく裁 き の 門(ジャッジメントゲート)
 中に入ろうとする螢一をアンザスは呼び止めた。
「お待ち下さいな螢一さん。ひとつ聞かせてください。こんな信頼の失われた状態で、入ってしまっていいのですか」
「失ってる?誰が誰への?」
「あなたがベルダンディーのですよ」
 キョトンとした後、彼は笑って応えた。
「それは、勘違いされてます」
 門の向こうへ消えていく二人を見送って。
「勘違いって。どういうことです?」
 視線を向けられたヒルドは、さあ?とばかりに両腕を広げてみせた。
「無事に戻ってくるかしら」
「異種族恋愛審問官としては職務に公平であるだけです」
「では、母親のアンザスとしては?」
 ふうっ、とため息をつくアンザス。
「あの娘の泣き顔は見たくありませんわね」
 裁 き の 門(ジャッジメントゲート)の中に入った二人は、人の姿をしたゲートの案内により、試練に送り出された。
「裁きの湖畔へご案内なの」
 二人は足元から転送ゲートへ飲み込まれていく。
 最後になるかもしれない。ベルダンディーは螢一に必死で呼びかけた。
「螢一さん!ごめんなさい、でもだましていたわけじゃないんです!私は螢一さんと!」
「ベルダンディー!」
 転送ゲートへ消えていく二人を見送って、ゲートはその場に座り込んだ。
「戻った者のない道だけれど。待ってみるの。もし戻ってきたら、信じるってなんだかわかる気がするの」
 裁きの湖畔。
 ここは過去の世界で一切の干渉が許されない。
 そこで二人が見たものは、吟遊詩人と湖の女神の悲恋の物語だった。
 螢一は吟遊詩人の中で、ベルダンディーは湖の女神の中で、二人の様子を「見せられて」いた。
 湖の女神はもとは人間だった。湖に生贄として捧げられ、「何者か」の声によって「このまま死ぬか」「人々の幸せを選択を持ってその手の掴む助けとなるか」と選択を迫られた。以来、彼女は女神となったが、湖に縛られ離れることはできなくなった。
 二人は出会い、互いに恋をし、恋はやがて愛情となった。しかし残酷な時は「別れ」と繋がり、吟遊詩人の「老衰」による「死」となって訪れた。
 愛しているならあなたを飛び立たせなければいけなかった。ごめんなさい、わかってはいても私はあなたといたかったの。
 俺は君と出会ってここにいることに後悔はないんだ。
 吟遊詩人は生涯で最後の詩を歌う。
 見ゆるは渚……
 耳に届く潮騒……
 髪をくしけずる風はかすかに青に……
 君と見る蒼
 君と聞く碧
 君と行く砂はま
 歌の間、湖の女神は青い砂浜と白い渚を確かに見ていた。
 吟遊詩人は息絶えた。
 湖の女神は海へ行こうと立ち上がり、しかしかなわなかった。無情にも湖の底に封印され──物語は幕を閉じた。
 そして螢一とベルダンディーは裁きの湖畔から帰還した。
 涙が止まらない。
 伝えたい思い。
 伝わらない思い。
 残すもの。
 残されるもの。
 その先にあるもの。
 ゲートが二人に話しかける。
「どうだったの?あれがあなた達の結果なの。あなた達はその悲しみを知ったの。その悲劇をみたの。それでもまだ二人が結ばれるのを」
 何者かがゲートに干渉した。
「さらに君はベルダンディーに不審を抱いているはずだよ」
「え?」
 ぽかんとする螢一。
「え?じゃないだろう。君に黙って抑制していたことだよ」
「なんだ、君も勘違いしていたのか」
「な……に……」
「俺がショックを受けていたのはベルダンディーに辛い思いをさせていたからだよ」
 驚くベルダンディーとゲート。
「ベルダンディーは俺を守ろうとしていてくれたんだ。俺の不用意な一言が原因なのに、そんなにまでさせてしまったのが申し訳なかった。だけどそれは、そこまでして「一緒にいたい」と思っていてくれるということなんだ。──そんな女神をもっと好きにならずにいられるだろうか」
 これが「森里螢一」という男である。どこまでもまっすぐでバカ正直。そしてどこまでも優しい。
 呆けたような顔で見つめてくる女神に、螢一は焦ったように顔を赤くした。
「ごめんなさい……螢一さん。私、もう一つ黙っていたことが」
 女神たちは困っている人を探しその人が救済に当たるかどうかを見ている。そこでベルダンディーは見ていた。ずっと螢一を見ていた。運が悪くて、不器用で、一生懸命で、優しくて。ずっと見ていた。ずっと応援していた。
「私、その時から螢一さんに恋してたの」
 彼の顔はトマトも白旗を揚げるほど真っ赤である。
「ありがとう。螢一さん、あなたを好きになってよかった」
「ベルダンディー」
 いい雰囲気の二人の間にゲート(であったもの)が割って入る。
「待て、ちょっと待て。まだメインの質問が残っている。あの結末が訪れることが分かっているのに、それでもなお、共にあり結ばれることを望むのか」
 螢一はゲートを見つめ直した。これは……。
「どうして分かっているんだ」
「わかるさ神だから」
「それはおかしい」
「何がおかしいんだ」
「君は嘘をつけるのか、さもなくば思い込みか」
「どういうことかな」
「もしも全てが決まっているのなら、裁きの門なんて必要ないじゃないか。通り抜けられる可能性がある。ゆえに、未来が悲劇とは限らない」
「む……ぐ……。確かに思い込みはあったようだ。可能性──それは確かにゼロじゃない。しかし君たちはあの悲しみを繰り返す可能性は考えないのか?」
 虚を突かれたような人と女神。
「ほら、やっぱり怖いだろう。無理をすることはないんだ。螢一くんだってベルダンディーを消したくはないだろう?」
「確かに悲しかった。後から後から湧いてくる悲しみの泉だった……あんなに悲しい気持ちには触れたことがない」
「そうだろう。だから」
「でも、その何十倍もの幸せを感じていたよ」
 女神も同調する。
「私もです。心地よい安らぎと確かな信頼を感じていました。それは幸せの道標、それは笑顔への扉」
「だからむしろ感謝している。この先の幸せの光とかけらを教えてくれた、裁きの湖畔に」
 やれやれまさか、あの状況から喜びと幸福を捉えるとはな。
「それでもなお、別離の時にあの悲しみがあると知りながら、ともに歩む決意があると?」
「……ベルダンディーの言葉を俺は覚えているんだ」

『悲しみの大きさは愛情の深さの証明(あかし)なのですから。悲しみを恐れていたらなにも愛せないわ』

 そうか……そんなことを……。
「それはその時俺が気づかなかった、ベルダンディーの覚悟。その言葉はきっと今この時のため。そんな覚悟に対して覚悟を持って応えずにどうするんだ」
 ゲートはその胸のうちで。
 覚悟か……それがどれ程のものであるのかな……。
 螢一はゲートの正体がゲート本人でないと見破った。
「いったい君は何者なんだ?」
「なかなかに恐ろしいな君は。──久しいな、ベルダンディー」
「……!! まさか!! お父さま!?」
 びっくりして驚愕してテンパる螢一をゲートであったものは見て。
「こいつおもしろいなぁ」
 混乱の中で螢一は思わず。
「お父さん、娘さんを僕に下さいっ!!」
 と叫んでしまった。
「って、うわぁ、なにを言ってるんだぁっ!」
「……!!」
 ベルダンディーはいろんな感情が混じり合ってフリーズしている。
「なんだ、いらないのか」
「え!? いいんですか!!」
「いやだめだけど」
 がっくりと両腕を地面につく螢一。同時にベルダンディーは再起動した。
 あらためてゲートは。
「このような姿であることは詫びねばならぬが、お初にお目にかかる。大天界長ティールだ。──おめでとう。君たちは試練に合格した」
 ティールは顔を見合わせ喜びをともにする二人に。
「だが、父親と見破られてしまっては易々とはここを通せないな。ここは最後に、父親の壁も乗り越えてもらうとするかね。なるほど君たちは覚悟を見せてくれた。裁きの門はそれでいいだろう。しかし父親としてはまだ不足だ。なぜなら、螢一くんはまだ私に行動を持って示してくれてはいない。我が娘と結ばれたいのであれば、奇跡のひとつでも起こしてもらわねばな」
 ベルダンディーは呆然と。
「そんな、裁きの門を通るのだって充分奇跡なのに」
「確かにちょと驚いたけどな。だが奇跡とは大天界長に、「そんなばかな」ぐらいのことを言わせねば、奇跡とは呼べまい」
「そんな……そんなのどうやって……」
 呆然とする螢一。
「お膳立てぐらいはしてやろう。君の得意分野でな」
 ティールは彼のBMWを再現した。そして攻略不能とも思われるコースを作り出した。コースアウトは無限の奈落。落ちれば命はない。
 スタートに立つ螢一。ゴールにはベルダンディーがいる。
「ここを走ってベルダンディーのところまでだどりつけたら奇跡だろう?君はこのコースを三分以内に走りきるんだ」
「初見で三分!! そんなの絶対──!!」
 サーキットレーサーはまずコースを知る。コースの全体像を知らないのは圧倒的に不利だ。
「だからこそ奇跡だ。だが、普段の君なら不可能ではないよ。どうする?やめるかね?」
「……やります。やってみなければわからない。ベルダンディーのために奇跡を起こせというのなら起こしてみせますよ!!」
 彼は漢の顔をしていた。
「螢一さん……」
「三分以内にゴールしないと失格。落ちても失格、チャンスは三回あげる」
 最初の挑戦、螢一ははじめのカーブでストップしてしまった。チャンスは三回ですよ。ベルダンディーの声援にこの回をコースを覚えることに振り分けた。しかし難しいカーブで奈落の底に落ちてしまった。次の瞬間、螢一はスタート地点に戻っていた。タイムアップと同時に戻されるようになっていたのだ。
「君は運がいいな」
「そうだ……確かに死んだと思った。今までバイクに乗ってきて何度もやばいことがあったけど、あれは味わったことない……」
 足が震えた。
「怖かった」
 まだ死の恐怖じゃない。震えることも出来なくなると思うけどそれでもやるかい?
 やるに決まっている。
 ほう、震えるその足で?
「ベルダンディー!応援頼む!!」
「螢一さーん!がんばって──!!」
 声援により足の震えは止まり心に「勇気」という灯火が戻った。
「よし、届いた」
 二度目の挑戦。受け取った「勇気」を胸に果敢にコースへ挑んでいく。
「女神の加護があってなにを恐れるんだ!!」
 しかし高低差の激しい難関S字シケインで失敗した。奈落の底の水面に激突し──死んだ。今度は時間もたっぷり残っていた。
 そう、螢一は「死」の感覚を味わった。覚えている、記憶している、身体のすべてが崩れ壊れていく感覚。
 ティールは彼の身体を瞬間修復することで擬似的に「死を体験」させたのだった。
「自分は死なないとでも?私は君に三回チャンスをあげると言った。故に次に失敗した場合は助けないかもしれない。今度は本当に死ぬかもしれない──とは考えないのか?」
 だけど……だけど、俺はただの人間だ。特別な力があるわけじゃないし、奇跡を起こせるなんて思えない。でもそれなら、だからこそ俺の全力を、総てをぶつけなくてどうするんだ。
 一方、ゴールのベルダンディーは。
 螢一さんが落ちた時本当に怖かった。足が震えた。息が止まった。本当に大切な人を失うという恐怖を、私は本当には理解していなかった。二度と会えないとしても、螢一さんには生きていて欲しいと思う。だけど同じぐらいに、螢一さんと一緒にいたいって思う。だけど螢一さんは走ってしまう。私のために走ってしまう。だから言えない。走らなくていいって言えない。私はわがままです。──私は女神失格です。
 ティールは、螢一がまだ走れるとは思っても見なかった。擬似的に「死を体験した」のだ。人間は本能的に死ぬことを恐れる。だからこそ螢一がまだ立ち直れると思ってなかったのだ。
 それも娘のため……か。だが、見せてもらおうか。
「どうする?ここでリタイアするか」
「やります!!」
「よし!!じゃあ、三回目行ってみようか。──と言いたいところだが、バイクが戻ってないな。何かのバグかな?すまん、もう一回作るから──」
「あ──」
 天空に浮かぶ二台のバイク。黄金と白銀のバイク。
 驚愕する一同の前に、封印されていたはずの湖の女神が現れた。
「あなたが落としたのは、この金のバイクですか?それとも銀のバイクですか?」
「お前!どうやって!」
「ゲートさんお静かに願います。業務中ですので」
「お……おう」
 湖の女神は螢一を見下ろして。
「私は問うているのですよ。君が落としたのは金のバイクか銀のバイクか」
「え……あの、金とか銀のバイクじゃ走れないんで、俺のバイク返して下さい」
 笑顔を浮かべる湖の女神。
「おめでとう!!あなたは正直者なので、この金と銀のバイクを差し上げます!」
 螢一は焦っている。大事な試練の最中なのに相棒となる「普通のバイク」が失われては、ここでリタイアとなってしまうではないか。
「え!? いや、あの、こ、困ります!俺の、普通のを返して下さい!!」
「まあ、なんと無欲な。本当にいいのですか?」
「はい是非とも」
「では代わりに別のことでサービスしましょうか」
 湖の女神は腕を一振りした。
「では戻しますね。しゃられら~」
 ポン、と音がしそうな勢いで螢一のバイクは復活した。
「どうでしょう」
「おお、これこれ!」
 ティールが騒いでいる。
「あら、なんです?」
「おまえ……どうやって……出た」
 螢一とベルダンディーも同じ質問をする。
「それはね、私が絶望から開放されたから。聞こえていたのよ、あなた達の声──あの絶望の淵で見えた姿」
 湖の女神はベルダンディーを見て。
「あなただったのね。だから分かった。彼の思いは、願いは私が消えることじゃなかった。彼を語り継ぐこと、それが私の取るべき選択」
「待て待て!封印が解けたのはいいとして、あの湖に縛られた湖の女神が、どうやってここに来たんだ!?」
「どうやってもなにも……」
 湖の女神は封印の中で、長い年月をかけ己の選択の力を磨いていた。自らの道をも選択できるように。
「どんな場所でも選択した場所に湖ごと出現できるように」
 ティールは驚いて禁断の言葉を口にしてしまった。
「そんなばかな!」
「あ……」
「言った……」
「え?」
「ばかなって」
 ムキになるティール。
「言ったかもしれないが!! それは湖の女神のことであって、螢一くんに向けたものではないぞ!!」
 螢一はひき気味に。
「やっぱり走らないとだめですか」
「当然だ……では三回目、ラストステージだ」
 待って下さいと湖の女神からストップがかかる。
「まだ正直者へのご褒美をあげてなくて──」
「ああ、いいけど。パワーアップでもするのか?」
「いえいえー♪」
 ──それは湖水の選択 あるいは蒼き陽光──
 湖の女神はティールの作り出した奈落のコースを、緑あふれる豊穣な大地へと変えた。
「コースは変えてませんよ」
 変えてなくてもこれでは奇跡にはならない。主神命令である。すぐにもとに戻せ。
「いやです。第一にこれも彼が正直であったゆえの出来事であり、正当な業務です」
「む……」
「第二にあなたは主神とおっしゃいますが、明らかにゲートですよね」
「これは……訳あってハッキングしているのだ。主神であることには間違いない」
「では、左手の平の主神の証を見せて下さい」
「う……無理」
「ならば、あなたを主神とは認められません」
 わかったよ!! 業務に励みたまえ!! いじけて背中を向け座り込んだ。
「螢一さん、走ってきて。今度は楽しんで」
「はい……」
 螢一は忘れてはいけないものを思い出した。
 走りを楽しむこと。相棒のバイクとともにワクワクすること。
 運命のラストステージ。バイクのエンジン音がコースの風を切り舞う。
「ははは、このコース最高だ!!」
 高低差の激しい難関S字シケインは後輪をわざと滑らせることでクリアした。
 そして坂になっている直線。
「ん、ちょっと浮くかな?」
 直線の先にS字コーナーと池があった。
「おっと、緩めて間に合わないなら、予定どうり、飛べぇぇぇ──っ!!」
 空中を舞うバイク。見事に池の先の路面に着地して再び走り出した。
 見ていたティールは思わず口走った。
「そんなばかな!!」
「言いましたね。「そんなばかな」って」
 娘の指摘に唖然とするティール。
 そして──螢一はベルダンディーのもとにゴールした。
 抱き合う二人。
「ありがとう、ベルダンディー。信じてくれなかったらきっと最後まで走れなかった」
「いいえ、私の方こそ。私のために頑張ってくれて……ありがとう」
 ベルダンディーは改めて想う。この人を好きになってよかった。この人を愛してよかった。私は間違っていなかったと。
 手を繋ぎ喜び合う二人の間から湖の女神が覗いていた。
「わぁ」
「ふふふ、おめでとう」
 あなたがいなかったら奇跡は起こらなかった。ありがとうございました。
 湖の女神はちょっと呆れ顔で。
「やあねぇ、まだわからないの?」
 奇跡を起こしたのはあなたたち。奇跡とは人が起こすもの。
「あきらめない心が奇跡そのものなのよ。だから、私からもありがとう」
 湖の女神もあきらめなかった。あきらめず封印のなかで己の力を磨いた。だから奇跡はかなった。
「もういいわよね、ゲートさん」
「ああ、充分だ。メダルを授与しよう、森里螢一くん」
「ありがとうございます」
(これ、なんか意味があるのかな?)
「君ならあるいはなれるのかもしれないな。神に」
 ベルダンディー心は揺れ動く。
 もしそれができるなら。できるなら、でも……。
 優しく握る螢一の手が、微笑みが、決心させた。
 そうだ、私は「この人」を好きになったんだ。
「お断りします」
 宣言する螢一にティールはむしろ面白がっているかのようだった。
「ほう、ベルダンディーとずっと一緒にいられるのにいいのか?」
「正直それはすごく魅力的なんですけど……ベルダンディーは人の俺を好きになってくれたんです。だから俺も人のまま好きでいたいっていうか、あの過去の湖で見た幸せな時間が俺にも訪れるのかもしれないと思うと、それが楽しみで」
 よかった、受け継がれているよ。あなたの思い。届いていたよ、あなたの心。
 湖の女神は幸福に包まれた。
「そうか……残念だが、合格だ」
「え……」
「最後にちょっと試してみただけだ。君の揺るぎなさは本物だな」
 握手を交わす二人。
「娘をよろしく頼む」
「はい」
──試しの星は晴れ渡り 狭き谷は虹の向こう 絆は固く時を繋ぎ 契約は大地に立つ 刀は鞘に 日は西に 愛は懐に あるべき者はあるべき場所へ 行くべきものは旅路の果てへ──
 ティールの法術で構築される巨大な門。
「さっき渡したメダルをここにはめれば帰還の扉が開く」
 意味あったんだ……。
 螢一はメダルをはめようとして。
「あ……ひとつ質問いいですか?」
「なんだい?」
「なんでハッキングなんですか?あなたならそのままここに入れるでしょう」
「あまり答えたくはないんだが。万が一にでも会いたくないから。いや、会ってはいけないから」
「会ってはいけないって、誰と?」
「決まってるじゃないか。大魔界長ヒルドとだよ」
「え!?」
「門をくぐれなかった者は引き裂かれ二度と会うことはない。だがヒルドは己に強力な「呪」を掛すことで、一度だけ私に会いに来たんだ」
「強力な「呪」って……?」
 ベルダンディーがはっとした。何かに気がついたようだ。
「ヒルドは自分の命と引き換えにして(ことわり)に楔を打ち込んだんです」
「それってつまり……」
「もしお父様とヒルドが出会ってしまった場合、ヒルドの命は失われます」
「そこまでして」
「ええ。でも、だからこそ姉さんが生まれたんです──半身半魔である姉さんが神属であるというのは「証」を残したかったのかもしれません。愛したという証を」
 証……。腕に巻いているコスモノートに思わず触れた。
 ティールはため息をついた。
「止めることができたら良かったんだが、当然のごとくすでに「呪」は完成していた。しかもヒルドのやつ来るなり」
 私、天界に移籍したから。
「あー、ヒルドならあり得る」
「そうだろう?まあそんなことが簡単にできないことは分かっていたのだが。あの時は魔術を使われてな。きっと心に隙があったのだろう。そうであったら良いのになと心のどこかで願う気持ちが。故に私はヒルドとは会えぬ」
 それはティールの本心からの気持ちだった。
「そしておまえたちに、こんな思いはして欲しくなかったんだ」
「お父さま、ありがとう。そして私たちは大丈夫です。それはお父さまや湖の女神さん、お母さまやウルドとスクルド。何より螢一さんが私にくれたもののおかげです。──それは、愛と勇気」
「いいね……愛と勇気」
 螢一は帰還の門にメダルを嵌めた。
 機械的な豪音をあげて門は開いた。
「お父さま、またお会いしましょう」
「いやいや、嫁に行く娘のセリフはそれじゃないだろう」
「え?」
 少し考え込んだ後。
「お父さま、お世話になりました」
 ふかぶかとお辞儀をするベルダンディー。
「私、幸せになります」
 最高の笑顔。
「そうそう、それそれ」
 門をくぐろうとする螢一を呼び止めた。
「まだ何か?」
「君は神の力を拒絶したが、いつか神の力を欲して私に会いに来ることになるだろう」
「ははは、そんなまさか」
 二人の背中を見送るティールと湖の女神。
 行っちゃいましたねぇ。
「そうだな」
 森里螢一か、娘が惚れるのも……。
 泣いているんですか?
「泣いてないっ!私はもう帰るっ!」
 二人は無事に裁きの門を通り抜けた。
「ただいま」
 スクルドの出迎えに続いてヒルドが。
「おかえり、螢一くぅん。まさか本当にクリアしちゃうなんて……あの人に会ったのね。元気だった?」
「ええ、とっても」
 ベルダンディーの答えにヒルドは満面の笑みで。
「そう、よかった」
 こんな顔もするんだ。神属や魔属、人間も人を思う気持ちは変わらないんだな。螢一は思った。
「さて」アンザスはひとつ手を打つと。
「幕引きとしましょうか。復元!」
 裁きの門は一本の杖へと変形した。
「異種族恋愛査問管アンザスがここに裁定する。一級神二種非限定女神ベルダンディーの誓いと覚悟と愛を認ずる」
「はい」
「地上人、森里螢一の誓いと覚悟と愛をここに認ずる」
「はい」
「両名の未来に光りあれ!!」
 ウルドがスクルドがヒルドが「おめでとう」と祝辞を述べた。
 アンザスは続ける。
「これは私からのささやかなプレゼント──第九種紫法級礼装、着装承認」
 声とともにベルダンディーの衣装が変わっていく。
 豪華で華麗なウェディングドレスに。
 第九種紫法級礼装とは高位の神属だけが婚礼に使う特別な衣装だった。
 感嘆の声を上げる螢一にも羽織り袴が着装された。
「やぁね、ウェディングドレスと合わせるならティルコートに決まってるじゃない」
 ウルドの声とともにその上からティルコートが着装され。
「あらあ?私は裃とか言うのをつけるって聞いたわよ」
 さらに上から裃が着装された。
「ちょんまげ!!ちょんまげ!!つけよう!」「いや鼻眼鏡があついよ!」
 盛り上がる親子に。
「螢一さんで遊ぶのはやめていただけますか」
 ベルダンディーの言葉にヒルドとウルドは固まった。
 本気で怒っている。静かな口調の中に激烈な怒りを込めている。
「まあまあ、ベルダンディー。めでたい席なんだから……」
 妹の冷たい目にそれ以上は言葉を告げられないウルドだった。
 アンザスは内心で(あらあら、あの娘ったら相変わらずだこと)などと思っていたが、娘に「お母さま」と呼ばれて背筋が伸びた。
「はい!」
「螢一さんには白のタキシードを」
 彼の衣服は再構成され、白いタキシードになった。
 ここでベルダンディーは笑顔を取り戻した。
「すごくお似合いです」
「そ、そうかな」
 照れて笑う螢一には満面の笑顔が送られた。
「はいっ! とっても!」
「あ~の~」
 ハガルが初めて口を挟んだ。
「時間はいいのかな?」
 時間!
 慌ててコスモノートを見る螢一。
「うわぁ、あと十八分しかない!!」
「え?来る時、何分ぐらいかかったっけ?」
 ウルドの問いに。
「確か二十五分くらい……って、間に合わない!!」
 大丈夫ですよ、とベルダンディーが上空を指をさす。
「あ」
『ヒルドさま、この者たちは危険です。一刻も早く私が地上まで排出したいと存じます』
「ふうん、いいけど間に合うの?」
『確信を持って申し上げましょう。今の私であれば充分間に合うでしょう』
 スクルドの手によって四人乗りに改造された、グリューエンデスヘルツがそこにいた。
「お姉さま」
「なあに、スクルド」
「これを」
 差し出した手の平には小さな白い卵。グリューエンデスヘルツを改造する時に見つけて保管していたのだ。
「まあ、ホーリーベル!! ありがとう」
 スクルドは喜ぶ姉に照れくさそうに頬をかいた。
 地上界。
 ペイオースは法術をリンドは斧術で魔属を掃討していた。
 初めのうちは「倒してもきりがない」ほど湧いて出て来たが、ある時間からぱったりと増えなくなり、やがて魔属の影はなくなった。
「あらかた片付いたようだな」
「そのようですわね」
 リンドもペイオースも息ひとつ乱していないのはさすが、一級神とワルキューレだ。
 だが、街は戦闘の影響でひどく傷ついていた。
「すいぶんと荒らされましたわね」
「そうだな」
 直さなくちゃいけませんわね。と「修復法術」を使い始めるペイオース。壊れた壁が路面が家が巻き戻し映像のように元に戻っていく。
 どれ、私も。と同じく法術を使おうとするリンドに顔を引きつらせた。
 なにを隠そうリンドは「修復法術」が苦手なのだ。他力本願寺の母屋、森里屋敷を修復した時、(いびつ)に歪んで修復された。ウルドが一度壊してベルダンディーとペイオースが「修復法術」をかけても、元の森里屋敷に戻ることはなかった。
 魔界への門を指差して焦るペイオース。
「あなたはやらなくていいから!!そろそろみんな帰って来る頃なのであれを見張っていただけるかしら!」
 リンドは素直に体育座りをして見守りだした。
 素直なところだけは助かりますわー
「ペイオース」
「なんですの。お手伝いは──」
「気のせいかな、どうにも私にはあれが閉じかけているように見えるんだが」
 確かに穴の直径が狭くなっている。
「……そろそろ時間ということですわね」
「間に合わないかもしれないな」
 魔界への門を開けておく最大開放時間は六時間。ヒルドは「保険」と言っていたが。制限時間が間近に迫っているのだ。
 二人の女神は門の破壊を試みたが何度やっても「自己修復」してしまう。
「やっぱりこれ、閉じちゃったら、消えちゃいますよね」
「下手をすると出てくる彼らたちに当たってしまう」
 門の中から唸るような音が聞こえた。
「まずい!!」
「あ!! 出てくるんですの!!」
「どうしたらあの再生を止められるんだ」
 壊しても直されてしまう。なんとか直せないように。壊しても……直せない。
 ペイオースはなにか閃いたようだ。
「よろしいですこと?私が今からこれをぶっ壊しますので、あなたはそれを直して下さい」
 リンドは思わず聞き返した。
「え?……直していいのか?」
「ええ、全力でお願いします」
「そうかぁ、直していいのかぁ」
「いきますわよ!!」
 ペイオースの腕にバラのつるが絡み、手の平に大輪のバラの花が咲いた。
「ショットガン・ローズ!!」
 真紅の閃光が閉じかけていた門を破壊した。
「さあ!! 直してくださいな!!」
 リンドは「修復法術」を発動させた。繰り返すがリンドは「修復法術」が苦手なのだ。
 門は捻れて変形した形で修復された。
「……すまん、また失敗したようだ」
 申し訳なさそうなリンドに、ペイオースは自信ありそうな笑顔で答えた。
「いえ、それでいいのです」
 歪んで変形した形では門は閉じるに閉じられない。
「ほほほ、一度修復しているから自己修復できないでしょう。名付けて直せずの失敗修理(アンリペアエラーリペア)。ぐだぐだに変形したその姿で、易々と閉じられるものですか!!」
 直後、門の中から螢一たち一行がグリューエンデスヘルツに乗って、凄まじい速度で飛び出した。
 彼らの短くて長い魔界への旅は幕を閉じた。
 勢いで遥かに夜空を舞うグリューエンデスヘルツ。
 上空を見つめるペイオースは安堵と感慨を込めて言った。
「おかえりなさい」
 墜落して白煙をあげるグリューエンデスヘルツ。完全に壊れてしまっている。間に合わせるために無茶をしたからだ。
 螢一に寄り添うベルダンディー。
 疲れている彼に少し心配そうだ。
「大丈夫ですか?」
「あ、うん。しかしよく無事に出られたなぁ」
「みんなの力です」
 三女神に螢一、ペイオースにリンド。誰ひとりかけてもこのミッションは成功しなかった。
 ペイオースがそんな二人に。
「ご無事で何よりです。ベルダンディー……って、あらあら、まあまあまあまあ」
 驚きの表情のペイオースとリンド。
「それって、第九種紫法級礼装じゃあ、ありませんこと?」
 ペイオースはしきりに感心している。
「試練を乗り越えたんですのね」
「あ、ああ……なんとか」
 答える螢一に、ペイオースは呆れ顔だ。
「通れる人がいるとは思いませんでした」
「いや、私は螢一くんならできるだろうと思っていたよ」
「そうですわね、これだけバカ正直な方、そうそういっらっしゃいませんものね」
 螢一は意を唱えた。
「違う、そうじゃないよ。ベルダンディーと二人だから乗り越えられたんだ」
「確かに……試練は人と女神双方のためのもの、って、いきなり惚気けないでくださいます!?」
 真っ赤になるペイオースに「別に惚気けたわけじゃ」と螢一。
「して、結婚式はあげたんですの?」
「いえ、それはまだです。神属が足りていなかったので」
「ああ、そうでしたわね。たしか式には女神四名と二人の証人を必要とします」
 こうして、ウルド、スクルド、ペイオース、リンドの四名の女神と、魔属のヒルドとマーラー(実は気絶していて、ヒルドの魔力で強制的に立たされている)を証人として人と女神の結婚式が執り行われた。

 かくて物語は冒頭に戻る。
 黄金の法術陣の上で中央の二人を囲み集う女神たち。証人の魔属。
「光ふりそそぎ風そよぐ 緑たなびき彩り豊かな空に進む道」
「道は遠く 時に底深き谷 雨の降る朝も 雷鳴吠ゆる夜も共にゆこう」
「癒やしの木々もその道標となり 木の葉が誘う 見つめるは高き風 強き花」
「進め歩め 決して止まらぬその旅路 昴のままに 熱き言の葉のままに」
「すべては花散る時まで すべては異なる時まで」
「花と鳥と風と月と ここに集え ここに歌え 祝いの意志がある者よ」
「結ばれし愛と絆に」
「祝福を」
 二人の上空で祝いの花火が広がった。それは絶え間のない流星のごとく。
「螢一さん」
「え?」
「実はあの初めて会った時の言葉」
「ああ、あれか」
「それって女神へのプロポーズの言葉だったんですよ」
「え……ええっ!!」
「だから螢一さん、もう一回改めて聞きたいです」
 微笑む女神。
「うん」
 螢一は二人にとってのはじまりの言葉を、今では誓いとなる言葉を口にした。
「君のような女神にずっとそばにいて欲しい」
 これでめでたしめでたしね、と視線を合わせる、ウルドとヒルド。
 ヒルドは自分の顎に手を当てて。
「でも、なんか物足りないのよねぇ」
「あたしも足りない気がする」
 同調するウルド。
「あっ、そうだ!!」
「そうよ!!」
 互いに指を差し合う。
「結婚式の新郎新婦といえば」
「誓いのキスよね」
 ええっ!!
 真っ赤になる螢一。
 ベルダンディーが困惑した表情で。
「あの……私たち「誓いのキス」は既にすませているんですが」
 ウルドは頬を人差し指で掻いた。
「まったく、あんたってば。硬いというのか融通がきかないっていうか」
「?」
「……言ってみれば「余興」と表現すればいいかしら。魔界でのおふざけは怒られたけど、人前とはいえ螢一とキスできるんだし、これは流石に拒否しないわよねぇ……ねぇ」
 顔を覗き込んでくる姉にベルダンディーは真っ赤になって。
「ですが精神の物質化現象が……」
「なぁに?それ?」
 ヒルドが解説を入れた。
「ベルちゃんの精神状態が形となって空間に物質を造り出すのよ、魔界では見事に大量の花が咲いたわ。大丈夫、後始末はあの時同様、私がやってあげるから」
「そういうことなら、おもいっきりぱーっと行ってしまいましょうか!!」
 ペイオースがノッてきた。
 真っ赤になって見つめ合う螢一とベルダンディー。
 から少し離れてマーラーが渋い顔をしている。
「あの~、ヒルドさま」
「なあに?マーちゃん」
「わたくしはもう退席してよろしいでしょうか?」
「ああ、そっかぁ」
 マーラーは「めでたい物アレルギー」なのである。結婚式の途中で目を覚ましたが、非常に苦しい思いをした。彼女にとってこの場に留まるのは、アレルゲンの中に浸かっているようなものだ。
「いいけど、退席したら後でお仕置きね」
 嗤うヒルドにマーラーの背筋が凍った。
 お仕置き。彼女は仕方なく場に留まった。
 そ~れ、キッス、キッス。と囃し立てる一同。驚いたことにリンドまで仲間に入っている。唯一スクルドだけは背中を向けて膨れ面をしているが。
「あーでも、スクルドが反対してそうだし」
 螢一の最後の抵抗も。
「わかったわよぉ!!」
 振り向いたスクルドの顔は真っ赤である。
「結婚しちゃたんだし、お姉さまと螢一がなにをどうしようと、もう口を挟まないわよっ!」
「う……」
 ベルダンディーとキスをするのは問題ない。むしろしたい。人前でなければ。
「あの……螢一さん」
「はい?」
「私はかまいませんよ」
 やれやれだ。螢一は覚悟を決めた。
「え……っと、じゃぁ」
「はい」
 互いの顔は真っ赤で、心臓がいまにも飛び出しそうなほど高鳴っている。
 向き合ったまま視線をそらす二人。
「あの……ちょっと」
「そうだね、落ち着こうか」
 背中を合わせて大きく息をついた。
 やがて決心がついたのか二人は向き合う
 ベルダンディーは愛しい人の腕の中に身を預けた。

 螢一さん
 ベルダンディー
 重なる唇
 同時に黄金の法術陣の上に広がる無数の花
 美しい まるで名匠の手掛けた一枚の絵画のごとく

 この時、女神の中で何かが芽生えた。

「これは……」
「ああ、凄いな」
 やがて二人は唇をはなした。だが、額と額をくっつけたまま抱きあっている。
 ペイオースは微妙な顔をしている。
「私、なんだか胸焼けがしそうですわ」
「奇遇だな、私もだ」
「あたしも──」
 リンドとウルドが同意した。
「はいはい、それじゃ」
 ヒルドの声に我にかえった螢一とベルダンディーは慌てて身体を離した。
 まるで吸引力の落ちない掃除機のように一気にヒルドの手の平に吸い込まれていく花たち。
「いや……しかしいいものを見せてもらったな」
「私、記録を取りました」
 と、リンドとペイオース。見れば二人の手のひらの上に、先程のキスをする二人の立体映像が浮かんでいる。
「え!! あの」
 焦るベルダンディーにペイオースは「してやったり」とした顔で。
「もちろん、お二人にもお渡ししますわ。記念にしてくださいませ」
 ベルダンディーの前にも同じ像が浮かんだ。怒っていいのか喜んでいいのかと複雑な気分だった。
「これで、ミッションオールコンプリートね」
 童女のようにヒルドは笑った。
「螢一さん」
「え?」
「着替えましょう」
 いつまでも第九種紫法級礼装とタキシードではいられない。
 ベルダンディーは自分の衣装を「女神服」をモデルにした青と白のワンピースに、螢一の衣装をデニムのツナギに変化させた。
 こうして女神と人は日常へと帰る──はずだった。
 他力本願寺の前に降り立つ一行。
「ちょっと大変なことになっているわね」
「大変て、なにがですか?ヒルドさま」
 マーラーの問いにヒルドは「変形して閉じなくなった魔界への門」を指差した。
「閉じなくしたのってだあれ?」
「私が立案して」
「私が「修復法術」を使った」
 ペイオースとリンドが挙手をした。
「え?」
「知らなかったのか?ベルダンディー。私は「修復法術」が苦手なのだ」
「では、私たちのお家が歪んで再生されるのも」
「私のせいだ」
 ベルダンディーは呆気に取られてしまった。「なんとかしてくれる」と信頼していたが、このような形でなんとかするとは思ってもみなかった。
 長いため息をつくヒルド。
「私が保険として六時間に限り魔界の門を開いたのはねぇ、七時間以上開け放しておくととってもまずいことになるからよ」
「まずいことってなんでしょうか…?」
 困惑するベルダンディー。
「時に忘れ去られし虚空の扉、これより湧き出し終末の闇(アポカリプス)、全てを呑み込み総てを滅ぼさん」
 キョトンとする一同。
「ねぇ、ウルド。終末の闇ってなあに?」
 スクルドの問いに自分も初めて聞いたと。
 ヒルドは改めて一同に向き直り。
「終末の闇。そうね、どう表現したらいいかしら。実態のない影、霧かな。質量反応が無いから物理的な手段でシャットアウトすることが出来ない上に、電子機器も破壊、人間程度なら包まれただけで瞬時に絶命するわ」
 闇に触れたあらゆる生きとし生けるものは、瞬時に生命活動を停止する、凍ったりしないが、その遺骸はまるで液体窒素につけたかのごとく、少し触れただけで、粉々に砕け散ってしまうのだ。
「法術とか魔術で封じ込めることはできないのか?」
 リンドの問いに無理ねと答えた。
「法術も魔術もあくまで自然の法則に理を上書きして実行されるもの。でも、終末の闇は自然の法則から逸脱した存在。ゆえに封じ込めることはできないのよ」
 このままでは地上界が滅ぶ。 
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