星々の世界に生まれて~銀河英雄伝説異伝~
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激闘編
第九十八話 進攻準備
宇宙暦796年5月20日13:15
バーラト星系、ハイネセン、ハイネセンポリス郊外、自由惑星同盟、自由惑星同盟軍統合作戦本部ビル、大会議室、
オットー・バルクマン
これからこの大会議室で、帝国領再出兵に関する指揮官会議が行われる。参集範囲は統合作戦本部長、宇宙艦隊司令長官、そしてその司令部参謀、各艦隊指揮官及び各艦隊司令部参謀、それに各艦隊の分艦隊司令…要するに大きな会議だ。通常こういう会議には分艦隊司令クラスの指揮官は参加しない。各艦隊に所属する分艦隊の運用は艦隊司令官に一任されているからだ。それが俺達の様な分艦隊司令まで参加させられるという事は…。
「ヤマトの奴、勝手は許さないって感じだな」
マイクが呟く。マイクの言う通りだろう。
「ああ。ムーア提督達の事、怒っていたからな、三馬鹿とか言って」
再出兵という事態が、ムーア、ホーランド、ルグランジュの三提督のスタンドプレーによって引き起こされたという事は、軍内部でも多くの者が知るところとなっていた。そしてその行為は本人達の思惑と違って、軍内部でも批判の声が大きかった。
「いくら幕僚会議の開催要請権があるからって、軍の方針に反する事を自分の部下が勝手に言い出したんじゃ、ヤマトだって怒るさ」
「ああ。確かに幕僚会議の開催要請については上官の許可は必要ない。だからといって話を通さなくていい訳じゃない」
「そうさ。そもそも本部長やトリューニヒトの野郎…国防委員長はいい顔しなかったんだろ?自分達の出番が欲しいって、欲丸出しじゃねえか。しかもそれにサンフォード議長が支持率アップの為に乗っかったんだろ?とんでもねえ。軍は政治家の玩具じゃねえぞ」
政府は帝国領への再出兵を発表したが、同盟市民からは不評だった。ヤマトの言っていた、ガス抜き効果が顕著に現れていたからだ。新領土…アムリッツァの経営が順調なのもそれに輪をかけていた。イゼルローン要塞を奪取し、アムリッツァを抑え、それによって国内の再開発が促進され内需が拡大…同盟市民の所得も大幅な増加傾向にあった。要するに同盟市民は現状に満足し始めているのだ。それに、発表した時期が悪すぎた。再出兵が発表されたのはトリューニヒト国防委員長が捕虜交換の為にフェザーンに出発した直後だったからだ。『議長は捕虜が戻らなくてもいいと思っているのか』、『国防委員長を見殺しにするのか』…等、逆に批判を受ける事になってしまっている。
『ボーデンでは敗けたがアムリッツァは守られた。軍はその任務を果たしている』という国防委員長の見解は結果的に同盟市民に是として受入られていると言っていい。冷静に考えれば全くその通りだからだ。結果として政権の支持率は一時的に下落したものの危険水準になる事はなかったから、政権全体というよりはサンフォード議長個人の支持率が落ちた、という方が正しいのかも知れない。現政権を支えているのは国内開発に関わる各委員会…と同盟市民は理解しているのだ。まあ、だからこそ議長は三提督の企みに乗ったのかも知れないが…。
「それもあってヤマトがこないだの幕僚会議で議長をけちょんけちょんにしたらしい」
「本当かよ」
マイクは大笑いしそうになるのを必死に堪えている。先日開かれた最高幕僚会議は大荒れだったらしい…。
『そんなに支持率が気になるのであれば議長、最高司令官自ら前線に出られては如何ですか。議長自ら前線で指揮なさる…これこそ文民統制の極致ですよ。全軍の大元帥としてお迎え致します』
『…そんな事が実現可能だと思っているのかね?そもそも私は軍人ではない』
『そうでしょうか。我々軍人は最高司令官である議長、閣下の構想を具現化する為の手段として存在しているのですよ。であれば議長には軍人でなくとも最高司令官として果たさねばならない責務がある筈です。違いますか』
『私は軍部からの提案だと思って採用したのだ』
『違いますよ。軍の方針はアムリッツァの長期持久です。方針に反する作戦案を進言する訳がありません。もし軍部からの提案であればトリューニヒト国防委員長がそう言った筈です。しかしトリューニヒト委員長は反対票を投じました。軍部からの提案でない事は明白でしょう?』
『しかしあの場に居た君等は反対しなかったではないか!』
『最高幕僚会議の開催を要請し議題を提案出来るのは政府閣僚、及び少将以上の将官のみです。ただし、軍部の人間は提案は出来ますが議決権はありません。ですからその場に居たとしても評決には参加出来ないのです』
『そんな無責任な話はないだろう!君等は軍事の専門家なんだぞ!』
『それが民主主義における文民統制というものじゃないですか。我々は専門家ではありますが、幕僚会議の場では我々は助言者に過ぎません。専門家として三提督は議題を提案した。閣下はそれを採用した。それだけです』
『何故提案を阻止しなかったのだね!』
『阻止する理由がありませんから』
『何だって?部下である艦隊司令官達を統制するのはビュコック長官や君の役目だろう!』
『小官もそう考えました、ですが少将以上の将官は開催を要請出来る…となればその権利を制限する事は出来ません。会議自体が軍内部の統制の埒外にあるのです。それに、会議が開催される事を知ったのは、開催が決定された後でした』
『…では改めて反対するという事かね?』
『はい。理由は先程申し上げた通りです。作戦の完遂は非常に困難です。軍事的には正しい作戦案ですが、諸条件が厳し過ぎます。そんな作戦に部下を参加させたあげく犬死させたくはありません』
『だがやってみなくてはわからんだろう、実行する事に意義があるのだ。我々には専制政治の打破という崇高な目的がある』
グリーンヒル本部長が会議の開催を告げる。
「この会議は帝国領への再出兵に関する作戦会議である。本職は作戦の詳細に関わる立場ではない。ここでの発言が諸君の評価に影響を及ぼすものでない事を先に言っておく。私はあくまで進行役だ、始めたまえ」
そう言って本部長はヤマトの方を見た。
「はい……ここに集まっている諸官もご存知の通り、帝国領領に再出兵を行う事になりました」
室内が軽くざわめく。政府発表はあったものの、作戦の詳細はまだ誰も知らない。ヤマトの部下である俺やマイクだって知らないのだ。
「…再出兵案は最高幕僚会議にて可決されました。その作戦案はこれです」
ヤマトの発言が続く中、スクリーンにその原案とやらが映し出された…ヴィーレンシュタインまで進出、フォルゲンとボーデンの両宙域の各星系を占領、長期的には後背地とする…いや、これは無理だろう、アムリッツァを何とかするだけで精一杯だったのに…。
「この作戦を実施した場合、同盟軍だけではなく、同盟そのものが傾く可能性があります。それほどこの作戦案は補給の維持に負担がかかるのです」
続いて表示されたのは…イゼルローン要塞攻略戦時の資料…アムリッツァまで進出し、それ以上は進軍しないというその根拠となる資料だった。ヤマトがガス抜きの為に提案した作戦だ。再び室内がざわつく。
「…当時の状況と現在、それほど状況は変わりません。それほどまでに占領統治というのは難しい。アムリッツァを得た事で同盟は国内の再開発が進み経済的には活況にありますが、この作戦がそれを阻害します。それでは軍は悪者だ」
室内に笑いが広がる。作戦の成功の意味するところは、補給線、占領地の維持の為に同盟国内の富が占領地に流出する事を意味している。占領地が拡がれば拡がる程、同盟は貧しくなるのだ。アムリッツァで停止してそこに腰を据えたからこそ、現在の同盟の状況がある。
「…軍の方針はアムリッツァでの長期持久ですから、軍首脳部はこの作戦に反対でした。現在もそれは変わりません。ですが再出兵は可決、発表され、今更中止する訳にもいかない。そこで、作戦案の修正を政府に申し出たのです」
スクリーンに表示されていた資料が消え、新たな作戦案が表し出された……これは…ハーンだと?一旦鎮まっていた室内のざわめきが大きくなっていく。
『…やってみなくてはわからない?では議長にお尋ねしますが、再出兵が失敗した時、議長はどうなさるおつもりですか』
『…辞任するしかないだろうな』
『それで済むとお思いなのですか?全くおめでたいですね』
『何だって?失礼だろう!』
『おめでたいじゃないですか、辞任で事が収められると思っているのですから。再出兵の失敗は亡国への第一歩だとお分かりになりませんか』
『亡国だって?大袈裟だろう』
『大袈裟でも何でもありません、再出兵が失敗すればアムリッツァを失います。それはすなわち帝国軍を阻む力が無くなるという事です』
『イゼルローン要塞があるではないか』
『私が攻略方法を示してしまいましたから、イゼルローン要塞は最早難攻不落ではありません。要塞を奪い返した帝国軍の大軍が同盟内に雪崩込むでしょう。そうなった時、それに対抗出来る戦力はもはや同盟軍には残っていない。同盟は終わりです…そういう未来もある、それを受け入れる覚悟はありますか?そうでなければ後世の歴史家は言うでしょうね、当時の同盟の為政者達は、一時の利益に目が眩んで亡国の道をたどったと』
ざわめきは大きくなる一方だった。ざわめきの中、第二艦隊司令官のアル・サレム提督が質問の手を挙げた。
「副司令長官、この進攻路だと、フェザーンが文句をつけて来るのではないですか?ハーンはあまりにもフェザーンに近いと思うのですが」
「その通りです。ですが昨年の戦いではハーン宙域から帝国のクライスト艦隊が現れました。我々もそれに倣います。フェザーンを気にする事はありません、フェザーンの意向などどうでもよい事です。それともサレム提督には何かフェザーンの意向について気になさる理由がお有りですか」
「いえ…ありません」
ヤマトの奴…意地の悪い言い方をするな。フェザーンの意向などどうでもいい…だがフェザーンが黙っているだろうか?いや、何を言って来るかは織り込み済みなのだろう、でなければああもキッパリと言い切る事は出来ない。
「い、いえ、フェザーンの意向については特に気にする事はありませんが、ハーン回りでは帝国中枢部まで遠くありませんか?移動に時間がかかればかかる程、帝国軍に対処する時間を与えてしまうのでは…と愚考しますが?」
言葉を続けるサレム提督の疑問は尤もな話だった。
「尤もなご意見です。ですがこの作戦では、それは無視してもよいのです。提督、失礼ですが、先程まで表示されていた原案にあった作戦目的…思い出せますか?」
「ボーデン、フォルゲンの後背地化…でしょうか?」
「いえ、もう一つの目的です」
「まさか…」
「はい、その通りです。この作戦の目的は『敵の心胆を寒からしめる』事にあります。ハーン方面からの進攻は言わば敵の柔らかい脇腹を突くに等しい。確かに帝国首都星オーディンには遠い。ですがハーンを抜けシャッヘン、アルメントフーベル、キフォイザーとたどって行けば…皆さんもご存知の帝国の大貴族、ブラウンシュヴァイクの領地です。如何です?たとえブラウンシュヴァイクに向かわなくともシャッヘン、エックハルト、アイゼンヘルツと進めば帝国とフェザーンの流通を遮断して経済的に帝国を締め上げる事が出来ます」
「なるほど。確かに帝国は肝を冷やすでしょうな」
「はい。ハーン進攻にはそれだけの価値があるのです。確かに帝国軍には対処する時間を与えてしまいますが、それの意味するところは何だと思いますか?」
「…そうか、帝国軍は兵力を分散配置せねばならなくなる」
「はい、その通りです。帝国軍は同盟と直に繋がる辺境に五個艦隊、中枢部に十個艦隊です。ハーンに我々が進めば、帝国軍はアムリッツァ方面には増援は出せなくなる」
室内のざわめきが驚きと賞賛に変わっていくのが見てとれた。敵の心胆を寒からしめるか…柔らかい脇腹を衝かれるのだ、まさに帝国の肝は冷えるだろう。ヤマトは更に説明を続ける。
「何も各宙域を制圧する必要はありません。我々が進出し、無理のない範囲で暴れまわる…帝国にとっては屈辱です。彼等の言う叛徒共が我が物顔で帝国内で暴れるのですから」
これ程軍事常識を疑う作戦もないだろう。ただ暴れるだけ…だが確実に帝国の支配体制に楔を入れる事が出来る。自暴自棄の様に見えて実に理に叶った作戦だ。
「ビュコック司令長官には第五艦隊と共に国内に残留していただきます。同様にアッテンボロー提督の第十三艦隊も残って貰います。他の各艦隊はカイタルに集結、その後に軍を二つに分けます。まずヴィーレンシュタイン方面。その方面の指揮はヤン提督に執っていただきます。そしてハーン方面。こちらは私が直接指揮します」
更に説明は続く。
ヴィーレンシュタイン方面
第一艦隊:ヤン中将、一万五千隻(方面指揮官)
第七艦隊:マリネスク中将、一万四千隻
第八艦隊:アップルトン中将、一万四千五百隻
第十一艦隊:ピアーズ中将、一万四千隻
第十二艦隊:ボロディン中将、一万三千五百千隻
ハーン方面
第九艦隊:ウィンチェスター大将、一万五千隻(宇宙艦隊副司令長官、方面指揮官)
第二艦隊:ムーア中将、一万五千隻
第三艦隊:アル・サレム中将、一万五千隻
第四艦隊:ルグランジュ中将、一万五千隻
第六艦隊:ホーランド中将、一万四千隻
第十艦隊:チュン中将、一万五千隻
『我々に覚悟が無いと言うのか!』
『政権維持の為に軍を利用するなんて、まるで地球統治時代や銀河連邦末期の様な有様じゃありませんか。とても覚悟のある方の行為だとは思えませんが』
『…戦争の遂行には安定した政権運営が必要不可欠なのだ。君だってそれくらいの事は理解しているだろう?』
『だから政権の安定と兵士達の命を天秤にかけたという訳ですか。小官には議長がご自分の地位や権力を守る為に再出兵を決定したとしか思えません。まあ小官としては作戦の修正が認めていただける事の方が先決なので、これ以上は申し上げたくはありませんけどね』
『そんな態度で作戦の修正が認められると思っているのか!話し合う態度ではないだろう!』
『会議ですから本音を申し上げたまでです、態度は関係ありません…確かに再出兵には反対ですが、やらないと言っているのではありません。やるのであれば犠牲を少なくしたいだけです』
『…分かった、認めよう』
『ありがとうございます。ですが勝てるとは限りませんのでそこはお忘れにならないで下さい』
「ご存知の通り、第一艦隊は既にアムリッツァに向けて先発しております。私の第九、そして第二、第三及び第四、第十の各艦隊は八月一日を以てイゼルローン要塞に向けて進発、九月一日には同要塞に到着、数日の補給と休養の後、アムリッツァに向かいます…作戦の第一段階は以上となりますが、他に質問のある方はいらっしゃいませんか」
ヤマトが会議室を見渡す。質問がない事を確認したヤマトがグリーンヒル本部長を見ると、本部長が続けた。
「皆、ご苦労だった。この会議の内容は秘とする。再出兵が発表されてからというものマスコミがいきり立っているからな。この会議の開催も既に嗅ぎ付けているだろう…もし取材が来たら私に回してもらって結構だ。では、解散とするが、艦隊司令官以上の者は残る様に」
この場に居る艦隊司令官と言えば、司令長官とヤマトを除けばムーア、サレム、ルグランジュ、チュンの四名だ。見ると、四人は硬い表情をしていた。
「気になるけどな、出ていけと言われたんじゃ仕方ない…PX行こうぜ、オットー」
そう言って肩を竦めて歩くマイクに着いて行く。まあ、残された四人が何を言われるか予想はつくが…。
14:30
ヤマト・ウィンチェスター
「作戦目的を変更する事になってしまいました。お二人にとっては不本意でしょうが…」
「いえ、お気遣い無用に願います。軍の足並みを乱したのは我々なのですから」
意外にもムーアとルグランジュは素直だった。ホーランドはここには居ない。あいつは元々アムリッツァに居るからだ。最初の幕僚会議も、密かに単身で任地を離れてハイネセンに戻って来て参加していたのだ。自分達が要請した会議での議長の態度を見てバツが悪かったのだろう、そのまますぐにアムリッツァへとんぼ返りしたそうだ…全く、腹の立つ奴だ…。
「副司令長官、我々が残された理由は…」
アル・サレムが場の雰囲気を読んだのか、気まずそうに切り出した。ここに居る四人…アル・サレム、チュン、ムーア、ルグランジュははっきり言って能力があるのか無いのか、よく分からない御仁達だ。このお歴々に加えてホーランド、と来れば、戦う前から敗けが決まった様なもんだろう。でも艦隊司令官になれたのだから、もしかしたらそこまで酷くはないのかもしれない。特にルグランジュは原作やアニメでもそこまで酷くは描かれてはいなかった。何しろ敗けたとはいえ、ヤンさんとまともに戦えたのだから…チュンはウランフのおっさんが第十艦隊司令官だった時の副司令だ。アニメで頑固そうな顔立ちでウランフを補佐していた。ウランフが副司令に選んだのだから、そう捨てたもんでもないかもしれない。現にボーデンの戦いでも自分の艦隊の崩壊は防いでいる。ラインハルトに好き勝手された戦場でそうなのだから、見るべきものはあるだろう…問題はアル・サレムとムーアだ。劇中でミッターマイヤーを『まるで疾風だ』と詩的に評したこのおっさんは、それ以外の描写をされていない。本人が戦死してしまったから全てが謎に包まれている。戦死した後で指揮を引き継いだモートンの手腕がクローズアップされてしまったから、無能なのか、それともミッターマイヤー級艦隊司令官以外とならまともに戦えるのか…そしてムーアだ。原作では闇落ちフォークと並んで第一級の無能者として描かれている。粗野で豪胆な司令官、と評されているが、現実問題として粗野で豪胆なだけでは艦隊司令官にはなれない。まあ、部下に対してイエスマンを求める傾向はあるものの、描写を見る限りは最後まで心折れずに戦える司令官である事は間違いない…まあ、良い見方をすればだけど…。
「はい。上に立つ私が言うのも今更なのですが、私は皆さんと共に戦った事がありません」
「はあ」
「ですので皆さんにはこれからシミュレーションをやってもらいます」
皆が驚いた顔をした。彼等と同じ様に会議室に残ってくれたグリーンヒル本部長やビュコック司令長官も同じ様な顔をしている。
「あくまでも皆さんの傾向を知る為のものですから、心配しないで下さい。勝敗は関係ありませんし、結果によって皆さんに不利益は生じませんよ」
会議室を出て、不承不承といった面持ちで四人がシミュレーションルームに歩いて行く。グリーンヒル本部長も半ば呆れた顔をしている。
「君は…相変わらずとんでもない事を思い付くな。現役の艦隊司令官にシミュレーションをやれ、だなんて」
「こんな事の為にわざわざ艦隊を動かす訳にはいかないでしょう?動かしていいならそうしますが。どうです、司令長官」
「率いる指揮官達の癖が分からんのでは、確かに戦いにくいからの。じゃが、前代未聞じゃな。副司令長官、彼等に嫌われんようにな」
彼等に嫌われんように…か。用兵家として一目は置かれていても、上司としては尊敬されていない…と感じているのだろう、ビュコック長官らしい忠告だった。人材的に仕方のない事とはいえ、やっぱりビュコック長官は宇宙艦隊司令長官には向いていないのかも知れない。帝国軍のメルカッツに似ているだろう。用兵家である事と、人の上に立つ事は違う。司令長官という立場なら尚更だ、人の上に立つ指揮官達のそのまた上に立つのだから、生半可な者では勤まらない。ビュコック長官が中途半端と言っている訳じゃないんだ、ビュコック長官が司令長官としての権威を身につけるには、絶対的な勝利が必要なんだ。だがそれを得るのは少し難しい。俺が副司令長官に任命されてしまったからだ。それは『ビュコック、お前だけでは不安だ』、と言われたのに等しい。しかも困った事に長官本人が士官学校を出ていない事に引け目を感じている。士官学校出身者は自分の言う事など聞かないだろうと思ってしまっている。更に困るのは、そういう事はない、と否定しきれない現実がある事だった。今回は仕方ないけれど、次に同盟軍が動く時には長官に出馬してもらう。そして穏やかな老後を過ごして貰うのだ…原作でビュコック長官は戦死した。同盟を護る為に死ねたのだから、本人は本望だったろう。でも俺は忘れられない、ラインハルトの放送を聞いて立ち上がったビュコック長官を見たときの、長官の奥さんの意を決した表情が。アニメでのあのシーン、奥さんの目は潤んでいた。ああいうシーンはもう真っ平だ。
「準備出来ました。で、どの様な想定で行うのですか」
シミュレーションマシンに入ったルグランジュからの問いだった。
「分かりました。そのまま待機していて下さい」
うん、どうしよう…今ここに居るのは、俺、長官、そして本部長、パン屋…本部長が訝しげな顔をしている。
「ウィンチェスター君、まさか我々にも参加しろというのではないだろうね」
…バレたか。流石は本部長というべきか…。
「お嫌ですか?」
「嫌ではないが…どうしますか、長官」
「いや、たまにはこういうのもいいじゃろう」
忘れてた、こういう時のビュコック爺さんが意外とノリがいいのは、EFSF時代に体験済みだった。パン屋と本部長が頭を抱えている、軍首脳部と現役の艦隊司令官とのシミュレーション対戦、長官の言う通り前代未聞だろう。
「どうせならギャラリーも居た方がええじゃろう。総参謀長、館内放送で観客を集めたまえ」
…え?これは予想外すぎるぞ……パン屋も諦めたのか、参集範囲はどうしますか、とか聞いて来やがる。
「手空き総員でええじゃろう」
パン屋が内線で連絡を入れると、館内放送が流れた。
”一五〇〇時、手空き総員集合せよ。場所、シミュレーション観覧室“
この統合作戦本部ビルで手の空いてる人間なんてそう多くはないけど、それでも百人は越えるだろう。それにさっき解散したばかりだから、この会議室に居た者のほとんどが集まる筈だ。放送を聞いて驚いたのだろう、先にマシンに入って居た四人の提督が飛び出してきた。
「これはどういう事ですか」
「せっかくじゃから観客を呼んだまでじゃよ。貴官等が勝てば流石は、と箔がつくじゃろうし、敗けても軍首脳部が相手なのじゃから恥にはならんじゃろう?貴官等の腕の見せ所ではないかな?」
「成程、確かにそうですな」
ルグランジュが自信ありげに笑う。四人の癖が知りたかっただけなのにとんでもない事になってしまった…待てよ、ビュコック爺さんもいい機会とでも考えたのかも知れない。おそらく敗ける事はないだろうけど…というかこれは敗けられない。思いつきでも真剣にやれという事か…?
「ルグランジュ提督、四人の中では貴官が先任じゃが、先任指揮官は自由に決めてよい。こちらは儂が指揮官、本部長と副司令長官の三人で相手をしよう。総参謀長は閲覧室の相手をしてくれ」
「では此方が四個艦隊、そちらは三個艦隊という事で宜しいのですな?」
「うむ。いいハンデじゃろう?」
「ハハハ…敗けても知りませんぞ?」
「まだまだ若い者には敗けはせんよ」
…おい、パン屋には参加させないのかよ…確かにパン屋は艦隊司令官じゃないけどさ…本当に真剣にやらなきゃいけないぞこりゃ…
「…ウィンチェスター君、次から思いつきを実施する時は事前に申し出る様に」
本部長、ちょっと怒ってますね…だけど、どちらが敗けても言い訳出来る編成だ、四万五千隻対六万隻…提督達が敗けても流石は軍首脳部、此方が敗けても兵力差を言い訳に出来る…だけどビュコック爺さんは敗ける気は無さそうだ、まあそりゃそうだ、首脳部が部下の司令官達に敗けていたら話にならない……。
15:10
統合作戦本部ビル、シミュレーション閲覧室、
マイケル・ダグラス
またぞろ集められたと思ったら、面白そうなイベントが始まりそうじゃねえか、またヤマトの思いつきか?
「やっぱり君等も観に来たか、相席、いいかな?」
「あ、中将。どうぞどうぞ」
俺とオットーに声をかけて来たのは、今では宇宙艦隊司令部作戦情報課長の職にあるシェルビー中将だった。
「これはウィンチェスター提督の思いつきかな?」
「多分そうでしょう、艦隊司令官と軍首脳部がやりあうなんて聞いたことありません」
「おいおい、喧嘩じゃないんだぞ」
シェルビー中将は肩をすくめて苦笑したが、こりゃタイマンみたいなもんだろう。経緯はわからねえが、こんなに立会人が大勢居たんじゃどちらも気を抜く訳にはいかねえからな…。
「おいマイク、ヤバくないか。ヤマト達の方が兵力が少ないぞ」
ビュコック爺さん以下ヤマト達は四万五千隻、ルグランジュのおっさん達は四人で六万隻…。
「ハンデって事だろうよ。ビュコック爺さん、本部長、ヤマトの三人は仮にも大将なんだぜ?」
「仮にも、ってなあ…」
「ルグランジュのオッサン達は勝てば箔がつく。若しやりたくないって言ってもハンデつけられたら逃げれねえだろう?」
「それはそうだけど、ヤマト達は敗けたらどうするつもりなんだろうな」
オットーの心配は至極当然だった。ハンデだろうとは言ったものの、わざわざ兵力を少なくするなんてな…。
「解らねえよ、そんなもん」
「おいおい」
「敗けねえだろ、多分」
ヤマトだったら敗けやしねえだろう、だけどヤマト達の指揮をするのはビュコック爺さんだ。爺さんの腕に不安がある訳じゃねえが、こいつはちょっとどうなるか分からねえな…ふと横を見ると、シェルビーのおっさんが難しい顔をしている…。
「どうなるかな。ビュコック司令長官の用兵家としての手腕は実戦で練り上げられたものだ。シミュレーションと言うものはあくまでも表層的なものに過ぎないから、実戦の様に細部まで指示出来る訳ではない」
「では中将、司令長官はシミュレーションは弱いと仰るのですか?」
「だから、どうなるかな…と言っているんだ、バルクマン少将。君はどう思う?過去に司令長官の副官をやっていたのではなかったかな?」
「確かに副官をやっておりましたが、司令長官がシミュレーションをやるところを見てはおりませんので…」
オットーも歯切れが悪い。一体どうなるかな、こいつは…。
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