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コントラクト・ガーディアン─Over the World─

作者:tea4
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第一部 皇都編
  第二十五章―過去との決別―#3


 純白の床に魔術式が花開くように展開し、全長1mほどの正八面体の聖結晶(アダマンタイト)が、眩い光と共に魔術式から現れる。

 聖結晶(アダマンタイト)は、そのまま、ふわりと宙に浮かび上がり───中央に浮かんでいる巨大な聖結晶(アダマンタイト)に“衛星”のごとく纏わりついた。

 そこには、同じような全長1mほどの正八面体の聖結晶(アダマンタイト)が、すでに5基取り巻いていて───これで6基目となる。

 そして、その聖結晶(アダマンタイト)の群れを───大きさが様々な月水晶(マーニ・クォーツ)が、さらに取り巻いていた。

「これは────何と言うか…、壮観だな」
「ええ、本当に…」

 レド様の呟きに、その幻想的な光景から目が離せないまま返す。

 真っ白な空間に浮かぶ聖結晶(アダマンタイト)月水晶(マーニ・クォーツ)は、魔素を秘めているために光を瞬かせて────まるで、昼日中に満天の星空を眺めているような、不可思議な気分にさせられた。

 ディンド卿は魅入られたように言葉もなく見惚れ、魔道具や魔導機構といったものにロマンを感じるらしいラムルに至っては興奮状態を隠していない。

「あの小さな聖結晶(アダマンタイト)は、修復が終わった区画を制御するものだと言っていたな」
「はい」

 この地下施設は、魔術の研究施設、魔導機構の研究施設とその工房、そして格納庫の4つのセクションに大まかに分けられ───それぞれがさらに区画分けされている。

 その小さな───といっても、まあ、全長1mはあるんだけど───聖結晶(アダマンタイト)は、区画ごとの制御を担っている端末らしく、区画が復活するたびに現れ、数を増している。

 月水晶(マーニ・クォーツ)は、セキュリティーを始めとする、空調や照明など、様々な管理システムを個々に担っているらしい。

 今現れたばかりの聖結晶(アダマンタイト)にも───すぐに、大小の月水晶(マーニ・クォーツ)が壁に展開した魔術式から零れるように幾つも現れて、取り巻いていく。

「完全に修復されたときは、もっと壮観な眺めになりそうだな」
「ふふ、すごく素敵な光景になりそうですよね」

 修復────正確には【最新化(アップデート)】できたのは、まだ全体の4割程度だ。半分には達していない。それでも、見惚れるほどの光景だ。

 すべて【最新化(アップデート)】できたら────レド様の言う通り、もっと壮観な眺めとなるだろう。3時間も経てばそれを見ることができる────そんなことを考えていたときだった。

 この空間の唯一の出入り口である【転移門(ゲート)】が、不意に作動して───光が収まった後には、険しい表情のカデアが佇んでいた。


◇◇◇


「坊ちゃま、リゼラ様───ラナから緊急の連絡です。今日の午後、ジェスレム皇子が参拝のため教会を訪れるとのことです」

「今日の午後…?!」

 カデアの報告に、私は思わず声を上げた。先程までの緩やかな空気が、瞬く間に張り詰める。

「それは確かか、カデア」
「はい。エデルが得た情報です。何でも、エデルはゾアブラを護衛していた二人の男が密談しているところに遭遇したらしく───その男どもの話によれば、今日の午後、ジェスレム皇子が参拝する瞬間を狙って、魔獣を(けしか)ける計画のようです」

「ラナは、何故こちらに連絡してこなかった?」
「それが───私も試してみたのですが、どういうわけか、ここにいる何方(どなた)にも【念話(テレパス)】が通じませんでした。それで、直接、こちらに参ったのです」
「【念話(テレパス)】が通じない?」

 もしかして────【不可知(アンノウアブル)の合板(・プライボード)】のせい?

 験しに、孤児院にいるはずのラナ姉さんに対して、【念話(テレパス)】を発動してみたが、繋がらない。

 ふと思いついて、白炎様に呼びかけてみたが、やはり繋がらなかった。

「リゼ、地下施設の修復が完了するまで、あとどのくらいかかる?」
「順調にいっても────あと3時間ほど必要です」

 【最新化(アップデート)】は、この【管制室(コントロール・ルーム)】を起点として、徐々に円が広がっていくように為されている。

 教会に繋がる階段は、端に近い。辿り着くには、まだまだ時間がかかる。

「今、何時だ?」
「11時19分です」

 レド様の問いに、ラムルがすかさず答える。

 “今日の午後”───貴人にありがちな曖昧な予定だが、あと3時間もかかるのでは間に合わないかもしれない。

「リゼ───至急、ロウェルダ公爵に連絡を取ってくれ」
「解りました」

 とはいうものの、やっぱりロビンに呼びかけても応えはない。精霊獣ならあるいはと思ったけれど────駄目か。

 それなら────

「ネロ!」
「なあに?」

 忽然と現れたネロに、私は安堵の息を零す。
 ネロはそんな私に、いつものように可愛らしく首を傾げた。

「ネロ、お願いがあるの。急いで、おじ様のところに行ってきて欲しいの」
「シューのところに?いいよ」

 伝言を頼もうとして、おじ様の状況によっては、手紙の方がいいかもしれないと思い直す。

「ごめん、ちょっと待っててくれる?今、おじ様に手紙を書くから」
「わかった」

 アイテムボックスから円テーブル、自室からレターセットと硝子ペンとインクを取り寄せると────簡潔に用件だけを書き留める。

 貴族間で遣り取りする手紙としては、書式や作法を無視したかなり失礼なものになってしまったが、おじ様なら汲み取ってくれるはずだ。

「レド様、これでよろしいですか?何か付け足すことはありますか?」
「いや、大丈夫だ」

 レド様は、私が書いた手紙にさっと目を通し、首を横に振る。
 私はレド様から手紙を受け取ると、それを畳んでネロの口元へと近づける。

「それじゃ、ネロ───これをおじ様に届けてもらえる?」
「任せて!」

 ネロは畳んだ手紙を口に咥え、現れたときと同様、忽然と姿を消した。

「カデア───邸に戻って、皆を連れて来てくれ。おそらく魔獣と戦うことになる。その旨を伝えて、準備を頼む。それと、ラナに連絡をしておいてくれ。ラナもエデルも孤児院から決して出るな、子供たちも出すな───と」

「かしこまりました」

 レド様の言いつけを実行するため、カデアが【転移門(ゲート)】でお邸に帰るのを横目で見ながら────私は、最善を考え始める。

 皆が来るなら、ソファ一式が邪魔になるので───ノルン、レド様、ディンド卿にソファから退いてもらい、ソファセットと円テーブル、それに文具をそれぞれ戻した。

 それから、この地下施設の【立体図(ステレオグラム)】を空中に投影して、今度は【最新化(アップデート)】の進行状況を反映させる。

 すぐに、レド様、ディンド卿、ラムルが、【立体図(ステレオグラム)】を囲う。

「どうする、リゼ」
「そうですね…。対策としては───『【最新化(アップデート)】を急ぐ』、『事前にディルカリド伯爵たちを捕縛する』、『ジェスレム皇子を教会へは行かせない』────今、思いつくのはこれくらいです」


「一番、実行可能なのは───『ディルカリドたちを捕縛する』ことか?」
「いえ───それは、悪手かもしれません」
「何故だ?」
「ここを見てください。ディルカリド伯爵たちがいるこの場所は、現在、ほぼ孤立した状態で───地下から行くとしたら、入り口は1ヵ所しかありません。突入して時間をかけずに、ディルカリド伯爵たち、魔獣、魔物すべてを、捕縛あるいは討伐できればいいですが、もし逃亡する隙を与えてしまった場合、この階段から教会に逃げ込み───それこそ平民街へと出てしまう可能性があります」
「確かに────ありえるな」

 【立体図(ステレオグラム)】の私が指さした個所を見て、レド様は納得したように頷く。

 ディルカリド伯爵たちだけなら、【認識妨害(ジャミング)】やジグ、レナスの技能を活用して捕縛すればいいのだけれど────魔獣や魔物がいるために、それもできない。【認識妨害(ジャミング)】は、仕組みが暗示に近いため、知能の低い魔物や獣には効果がないのだ。

 また、ディルカリド伯爵たちは1ヵ所ではなく、散らばっているので一遍に捕縛できない。

 捕縛している途中で、誰かに気づかれて────魔獣を教会に放たれたら、どうしようもない。

「『ジェスレム皇子を教会に行かせない』───これなら、可能なのでは?」
「いや───それは難しいな。俺たちにはジェスレムを引き留める手立てがない。手立てがあったとしても───あのジェスレムのことだ。陛下の勅命でも素直に従うとは思えない」

 普通なら───ディンド卿の提案が一番、簡単に実行できそうなものだけど、ジェミナ皇妃もジェスレム皇子も、自分の要望を押し通すことに慣れ過ぎていて───レド様の言う通り、従うことはない気がする。

 何か騒ぎなどを起こして時間を稼ぐにしても───権力で突破してしまいそうだ。

「残るは────『【最新化(アップデート)】を急ぐ』だな。それは可能か、リゼ」
「注ぎ込む魔素量をどうにか増やすことができれば────可能かもしれません」

 今───私はノルンと存在自体を【(シンクロナ)(イゼーション)】して、精霊樹の魔素を流用している。
 本来ならば、拠点の主となるレド様と私の魔力を注ぎ込むところを───精霊樹の魔素を代わりに注ぎ込んでいる。

 レド様が私を案じていたこともあるけれど、この後、魔獣討伐が控えていたため、レド様と私の魔力は一切使わずに温存していた。

 レド様と私の魔力も注ぐ?────いや、論外だ。

 レド様も私も魔力量は並外れているけれど、それでも、この広大で特殊な建材と魔導機構でできている地下施設を【最新化(アップデート)】するには足りない。

 共有魔力も使い切れば完遂することができるかもしれないが、レド様も私も魔力切れで動くことができなくなる。魔獣の群れとの戦闘を視野に入れると、それはすべきでない。

 引き出す精霊樹の魔素量を増やす?────それは、不可能だ。

 今、私は───私という器の限界まで使って魔素を引き出している。これ以上は無理だ。魔獣化はしないだろうが、魂魄はともかく身体が壊れる恐れがある。

 レド様は私よりも器が大きいが、ノルンと存在を【(シンクロナ)(イゼーション)】できない。

 ノルンの主だから、ノルンを通して精霊樹の魔素を引き出すことはできるだろうけど、そのやり方では引き出せる魔素量が減ってしまう。よって、レド様に代わってもらうのは意味がない。

 だけど────それならば、どうする?どうすればいい?

「…………」

 考えろ───考えるのを止めるな。絶対に、何か手立てがあるはずだ。

 これ以上は精霊樹の魔素を引き出せないのなら────別の魔素か魔力を使うしかない。別の魔素────そうだ…!

「ノルン!【魔素炉(マナ・リアクター)】の稼働率を最大まで上げて。それと、【最新化(アップデート)】済みの予備炉2基を起動───残りの予備炉2基も、【最新化(アップデート)】が済み次第、即起動できるよう待機しておいて。それから───照明、空調など生命に係わる最低限のシステムを残して、システムを停止。この地下施設の動力をできるだけ【最新化(アップデート)】に回して」

「了解しました、(マスター)リゼラ。【魔素炉(マナ・リアクター)】の稼働率を最大まで上げます───完了。【最新化(アップデート)】済みの予備炉2基を起動します───完了────正常に起動しました。照明、空調など生命に係わる最低限のシステムを残して、システムを停止します…」

 ノルンが復唱しながら、できることから順に熟していく。

 “結界の間”を【最適化(オプティマイズ)】したときは、ノルンと存在を【(シンクロナ)(イゼーション)】しなくても、精霊樹の魔素を流し込むことができた。それは────ノルンが、“原初エルフの結界”の核となっていたからだ。

 ノルンは、今、この地下施設の【管理精霊(アドミニストレーター)】でもある。それなら、この施設の動力で同じことができるはずだ。

 この施設は地中の魔素を取り込み、【魔素炉(マナ・リアクター)】で濾過して動力として利用している。

 この施設が顕在だった当時は、地下施設だけでなく地上の居住施設まで全て賄っていただけあって、設備の規模はかなり大きく───メインの【魔素炉(マナ・リアクター)】に加え、予備炉4基をすべて最大限に稼働させれば、精霊樹の魔素に匹敵する魔素量に届く。

 まだ予備炉2基は【最新化(アップデート)】が終わっていないが───それが済めば加速できる。

「ノルン───予備炉もすべて稼働している状態では、【最新化(アップデート)】はどれくらいかかる?」
「……1時間7分かかります、(マスター)リゼラ」

 予備炉2基の【最新化(アップデート)】完了までを含めたら、約1時間半────それでも、半分まで短縮することはできた。

 後は、おじ様がどう出てくれるか────それ次第だ。


※※※


「おい、そこの男。お前、ここで何をしている?」

 不機嫌ともとれる訝し気な声音で、横柄に声をかけられ───重そうな大判の本を2冊抱えて、よろよろと廊下を進んでいた男は歩みを止めた。

 ローブを目深に被ったその男は、老齢のようで───髪や髭、眉は色が抜けて真っ白になっていたが、どれも顔を覆い隠すほど量が多く、その顔立ちや眼の色、表情はまったく判らない。

 胡散臭い印象は受けるものの、ローブの背に刺繍された紋章から、この皇城内に併設されている皇立図書館の関係者であることは判るはずだった。

 しかし、偉そうに声をかけてきたその若い文官はそのことを知らないみたいで、不審者のごとく老齢の男を睨んでいる。

「…この書物を持ってくるよう、宰相殿に頼まれまして───お持ちするところです」

 しゃがれた声で老齢の男が答えると、若い文官は訝し気な表情のまま、何故か自分が抱えていた書類を差し出してきた。

「それなら、ちょうどいい。これも宰相に持って行け。────ちゃんと渡せよ」

 承諾していないのに、若い文官は本の上に書類を載せると、そう言い置いて行ってしまった。

 あの文官は、老齢の男を正義感から訝しんでいたわけではないらしい。でなければ、大事な文書を預けたりしないはずだ。

(あれは────駄目だな)

 男が皇立図書館の関係者であることも見て取れず、自分の仕事に対する責任感もない。

 もっとも───この皇城において、ああいった輩は珍しくない。

(さてと───とにかく、シュロムの許へ向かうか)

 老齢の男は増えた荷物を抱え直すと、また、のろのろと歩き出した。


 手に余る荷物を何とか片手で抱え、施された装飾は簡素だが重厚な扉を空いた手でノックする。

「どうぞ」

 忙しいのだろう、簡潔な応えが返される。

 老齢の男は扉を開けてから、荷物を両手で抱え中に踏み込んだ。男の様子を見かねた宰相の側近ロヴァルが足早に歩み寄って来て、荷物を受け取ってくれた。

「おお、これはすまん」
「いえ。────この書類は…」

 男が持ってくるような書類でないことに気づいたロヴァルが、眉を寄せた。

「ここへ来る途中、押し付けられての」
「……後で、しかるべき処分をしておきましょう。───どうぞ、こちらへ」

 ロヴァルは険しい表情を消し、老齢の男を応接スペースへ誘導する。

 老齢の男がソファに座ると、程なくして、宰相であるシュロム=アン・ロウェルダがやって来た。

「忙しいところにすまん。どうしても────詳しい話を聴きたくてな」

 皇妃一派の所業のせいで無気力になった皇王が最低限の公務しかしないため、その分まで宰相であるシュロムの負担となっていることは周知の事実だ。

 しかも、皇妃が、自分の公務はしないくせに政に口を出すことだけはしてくる上、第二皇子であるルガレドが公務に携わることを是としない。

 この国は今、シュロムと第三皇子ゼアルムによって、何とか保っていた。

 そんなシュロムに時間をとらせることは気が引けたが、それでも、どうしても────男は確認したかったのだ。

「いいえ。いらっしゃるだろうと思っていましたから」

 シュロムはそう言って首を横に振ったが、苦笑いを浮かべている。

「それで───昨夜、知らせて寄越した件は…、確かなのか?」
「まだ確認はできていませんが───あの子が言ったのです。疑う要素がない。まあ───それでも確認はするつもりですが」

「リゼラ───か。契約の儀で、久しぶりに見たが───大きくなったな。それに、とても美しくなった。あれが惚れるのも解るよ」
「はは、そうでしょう。すごい入れ込みようですよ。まるで、若き日の貴方のようだ」

 つかの間、漂う空気が和む。


 男は、話を戻すべく再び口を開いた。

「しかし───バナドル王とその側妃に関する文献をシャゼムが持ち出していたとはな。儂はてっきり、ベイラリオの奴が廃棄したとばかり思っていた」
「廃棄されると解っていたから、シャゼム老は持ち出したのでしょう。まあ、でも───シャゼム老が持ち出してくれていて良かった」

「そうじゃな。それで────どうするつもりじゃ?」

 男がそう問うと、シュロムは────常に浮かべている柔らかな笑みを深めた。

「まずは、判明した事実のお披露目をしなければ───ね。ただ文献を見せるだけでは、あのクズどもは信じようとはしないでしょうから───信じざるを得ないような状況を創り上げるつもりです。そして───あの毒婦を引き摺り下ろして────クズどもも一掃する」

 決意の表れか、強い光を湛えたシュロムの眼が煌いた。

 シュロムならば────必ずそれをやり遂げるだろう。

(この男は、凡庸な儂と違って────優秀だ。それに、意志も強い)

 男がそんなことを考えていると────ふと、シュロムが自分の右肩に視線を遣った。

「…何だい、ロビン。ああ───この方は、知られても大丈夫だよ」

 シュロムがそんなことを呟くと、不意にシュロムの右肩に小鳥が現れた。小鳥はその円らな瞳を男に向け、ちょこんと首を傾げる。

「その小鳥は────」
「リゼの使い魔です」

 話には聴いているが、男の眼には普通の小鳥にしか見えない。特異な点といえば、蒼い魔水晶(マナ・クォーツ)のようなものが額に輝いているところか。

「ネロが来ています。何でも、姫から手紙を預かっているそうです」
「リゼからの手紙?」

 ロビンと呼ばれた小鳥の言葉に、シュロムは珍しく笑みを消すと────ソファから立ち上がった。

「ネロ、出ておいで。この方になら、姿を見せても大丈夫だから」

 シュロムがそう呼び掛けた直後、ソファセットから少し離れたところに、手紙らしきものを咥えた黒猫が忽然と姿を現した。

 シュロムは黒猫の前に跪いて、手紙を受け取る。シュロムは立ち上がると同時に、手紙を開いて目を通す。

「これは────」
「どうした?」

 シュロムは戻って来て、手紙を男に差し出した。読んでもいいということなのだろう。男は受け取って、手紙の文字に目を落とす。

「これは───昨夜、報せてきたもう一つの件か…」

 手紙から顔を上げた男は、ローブのフードを後ろに下ろした。わざと屈めていた背筋を伸ばし、お茶を淹れて戻って来たロヴァルに顔を向ける。

「ロヴァル、すまんが───筆記具と紙を持って来てくれ」
「かしこまりました」

「正直、ジェスレムはどうなっても構わないが───民に犠牲者を出すわけにはいかない」

「どうなさるおつもりで?」
「“デノンの騎士”を向かわせる」

 男の言葉に────シュロムは、いつもの微笑みを浮かべた。

 男は、垂れ下がる作り物の眉の隙間から濃紫の瞳を覗かせ───先程のようなしゃがれたものではない、確りとした声音でシュロムに命じる。

「シュロム────リゼラに返事を。決して…、教会へは行ってはならぬ───ルガレドを教会へ行かせるな、と」

 ジェスレムが魔獣に襲われているところに、ルガレドが現れれば───皇妃一派によって確実にルガレドが首謀者とされてしまうだろう。それだけは避けなければならない。

 男に向かって、シュロムが右手を胸に当て首を垂れた。そして───厳かに応える。

「仰せのままに────皇王陛下」
 
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