コントラクト・ガーディアン─Over the World─
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第一部 皇都編
第十二章―忠臣の帰還―#3
「レナスから聞いてはいましたが────古代魔術帝国の魔術というのは凄まじいですね」
契約が済み、一通り説明を受けたラムルが、しみじみと呟いた。
今は皆で、厨房のテーブルについている。私とレド様が並んで座り、向かいにラムルとカデアが並び、ジグとレナスは上座に窮屈そうに並んでいる。
主と共に席に着くことを渋るラムルとカデアを説き伏せ、座らせたまでは良かったが、ジグとレナスが何処に座るかが問題になったためだ。
私の隣とカデアの隣に分かれて座ってもらえばいいのではないかと思ったのだけど───レド様がそれは断固として許してくれなかったのだ。
ジグとレナスと同様、ラムルとカデアの耳朶にピアス【主従の証】が輝いている。私たちのピアスは、増えることなく、ジグとレナスとの契約で得たものと併用みたいだ。
ちなみに、ラムルとカデアのピアスは、ジグとレナスのピアスとも連結しているらしく、全員で【念話】による密談をすることが可能だ。
契約の状態は、ジグとレナスと全く変わらない。
ラムルとカデアも、レド様と私の魔力を使い、魔術式も私たちから引き出して、魔術を使役できる。そして───やはり【最適化】は自分では施せない。
「早いところ、雇用契約を交わして、ロウェルダ公爵に提出した方がいいな」
ラムルとカデアは、レド様が雇うことになっている。最初にその旨を宣言されてしまった。
どうやら、ジグとレナスを私が雇っていることを、レド様は今だに気にされているらしい。
「ええ、そうですね。お仕着せはどうしますか?」
「ラムルもカデアも、皇宮ではなく、俺個人で雇うのだから────確か、皇宮のものでなくても良かったはずだ。皇妃の侍従なんかはベイラリオ侯爵家が雇っているから、お仕着せも違うものを着せている」
「それなら、支援システムの支給品を着てもらいましょうか。あれなら機能的にも優れていますし、すぐに着てもらえます」
「そうだな」
「武具も支給品を渡しておきましょう」
レド様の予算───お金の管理は、引き続き、私がすることになった。必要経費は、私かレド様に申し出てもらい、その都度、渡す。
私かレド様に用途と金額を報告してもらえれば、【現況確認】に反映されるから、問題ない。
そして───料理。これは、やはりカデアに一任することになった。
私は別にそこまで負担に感じてなかったが、レド様もジグとレナスも、どうも私の負担になっているのではないかと気にしていたようだ。
レド様の場合は、一緒に料理できなくなるのは、それはそれで残念だったみたいだけど。
ただ────時々で良いので、お菓子や和食を作らせてもらいたいな。
このお邸は古代魔術帝国のオーバーテクノロジー仕様になってしまっているため、邸内の掃除、洗濯、サンルームの植物や畑の世話はしなくてもいいので、カデアにはメイドの仕事を兼任してもらう必要はない。
「話しておかなければならないのは、これぐらいか?」
「そうですね…。ラムル、カデア、他に何か────話しておかなければならないことはありますか?」
「いえ、ございません」
ラムルが答え、カデアも首を振る。
「ジグとレナスは?」
「「ございません」」
「そうか。それなら────せっかくだし、お茶でも飲みながら話でもするか」
夕飯の支度を始めるには、まだ少し早過ぎる。
「いいですね。お茶、淹れ直します」
「あ、リゼラ様、私がお淹れしますよ」
「お疲れでしょうし、今日のところは私がやります。次からはお願いしますね」
どうせ魔法でお湯を出すだけだし、そんなに手間でもない。
「それにしても────皇都に到着するのが随分早かったが…、大丈夫なのか?」
レド様が心配そうに訊ねる。
「実は…、ジグに旦那様がようやく成人されるという知らせをもらってすぐに、営んでいた宿屋を信頼できる者に引き継ぎ、戻る準備を始めたのです」
「ジグに返信するのと同時に、向こうを発ちまして、実は2日前には到着していたのですよ。ジグかレナスが、私たちと連絡をとろうとしてくるのを待つしかなかったので、今日になってしまいましたが」
「そうだったんですか…」
道理で早いわけだ。
「だが…、俺に呼び戻すつもりがなかったら、どうするつもりだったんだ?」
「坊ちゃまなら、必ず呼び戻してくださると信じていましたもの」
「坊ちゃまは止めてくれと言っただろう」
目元と耳を赤くして恥ずかしがるレド様が可愛い…。でも、それを顔に出してしまうと、レド様は拗ねてしまいそうだから、私は我慢する。
「それよりも、到着してみてびっくりですよ。親衛騎士は男性と聞いていたのに、女性に変わっていて、しかも婚約までされているんですもの。うふふ、成人というだけでおめでたいのに、お嫁さんまでお決まりになって────カデアは嬉しい限りですよ」
「カデア…」
我が事のように喜ぶカデアに、レド様は言葉に詰まる。
「カデアの言う通りです。本当におめでとうございます、旦那様」
「…ありがとう、ラムル」
祝ってくれる二人の想いを噛みしめるように、レド様は微笑んだ。
◇◇◇
「「「……………」」」
和やかだった歓談から────約2時間後。厨房は悲嘆に暮れていた…。
立ち尽くす、カデア、ラムル、そして────私。
目の前には、黒焦げのミートパイ。
これは、カデアの得意料理で────レド様の好物なのだそう。
ぱっと見はパイに見えるが、パイ生地ではなく薄いパン生地で作るので、厳密には、ミートパイではないらしいけど。
とにかく、レド様の好物なら覚えておきたいという思惑と、キッチンの仕様が変わってしまったので、説明も兼ねて手伝っていたのだけれど───古代魔術帝国仕様のオーブンが、思ったよりもカデアには難しかったようで。
古代魔術帝国のオーブンは、私の前世で使われていた“電気式”のオーブンに似ている。“温度”を設定して、“スタートボタン”を押すだけでいいハイテク仕様だ。
しかも、このオーブン、温めたり、焼くだけでなく、設定温度を下げることで、冷やしたり、凍らせたりまでできる。“冷蔵庫”や“冷凍庫”がないから、これは結構使える機能だ。
一方、この世界のオーブンは、前世の近代まで使われていたような代物で、薪を燃やしてその熱で料理を焼く。
魔道具仕様のものもあるにはあるらしいが、コンロなどとは違い、魔道具でオーブンを再現するには使う魔石も多くなる上、複雑になってしまうらしく、普及できるような良品の開発には至っていない。
だから、王侯貴族や大商人の邸宅でも、使われているのは未だに薪を使うオーブンなのだ。どうせ使うのは、王侯貴族本人たちではなく使用人だしね。
考えてみたら───今まで、腕を少し入れて熱さを測り、薪の本数などで熱量を調節していたカデアに、「何度で焼くのか」と突然問われても、解るわけがないよね。
そもそも、温度を測るような計測器みたいなものもなければ、温度という概念すらないのだから。
これは、本当に盲点だった。
【潜在記憶】で以前の仕様に戻そうとしたけれど、やはり他人では検索できないみたいだし、どうやら【最適化】も他人にかける場合は、装備品に限るようだ。
「う~ん、どうしたものか……」
「リゼ?どうしたんだ?」
「レド様?」
悩んでいると、そこへレド様がひょっこり顔を出した。
約2時間前、歓談がお開きになったとき、レド様は私が料理を手伝うなら自分も手伝いたいと言ったのだけれど、カデアに厨房を追い出されたのだ。
「いや、そろそろ、リゼの手伝いは終わったかと思って来てみたのだが…、何かあったのか?」
私は、レド様に事情を説明する。
「なるほどな…」
「レド様は、変わってしまう前のオーブンの記憶は残っていないのですか?」
「いや…、残ってないな。俺は、リゼが料理を作ってくれるようになるまで、厨房には、あまり足を踏み入れることがなかったからな。中に入ってもオーブンを使うようなこともなかった」
そっか、そうだよね…。
「カデア、泣くな。オーブンのことは何かいい方法を考えるから」
「でも…、せっかく、久しぶりに坊ちゃまにカデア特製のミートパイを食べていただけると思ったのに…」
「それなら、大丈夫だ。ちょっと待ってろ」
レド様はそう言って、黒焦げのパイが載った皿を持ち上げる。レド様の足元に魔術式が瞬く間に展開し、光が迸る。レド様の魔力がパイに流れ込んでいく。
光と魔術式が消えた後には、レド様の持つ皿にのっかっていたのは───ほんのり湯気を立てる、程よく焼き色のついた美味しそうなパイだった。
「これは…」
「まあ…!」
ラムルとカデアは、驚きに目を見張る。
「ふふ、美味しそう。すぐに再現できるなんて、レド様、このパイ、本当にお好きなんですね」
「…まあな」
目元を赤く染めて、レド様はぶっきらぼうに返事をする。照れている様子に、微笑ましくなる。
「ほら、カデア、残りの料理も完成させてしまいましょう。────レド様、もう少しで作り終えますから、ダイニングルームでお待ちください」
「解った。…待ってる」
レド様は私の頬を右手で優しく撫で、名残惜しそうに手を離すと、厨房を出て行った。
「坊ちゃま…、本当にリゼラ様がお好きなんですねぇ」
「ほんの少しでも離れていたくないようですなぁ」
カデアは先程までの悲愴感は吹っ飛んでしまったようで、楽し気だ。
ラムルも、微笑ましいというより、もはやニマニマとしか表現しようのない笑いを浮かべている。
何だろう、この───身内に色恋沙汰がバレてしまったかのような、いたたまれない感…。
ああ、後をカデアに任せて、レド様と一緒に退散してしまえば良かった…。
◇◇◇
「カデア特製のミートパイ、美味しかったですね」
「ああ」
私の言葉が嬉しかったようで、レド様が目を細めて笑う。
「ラムルとカデアが戻って来てくれて…、嬉しいですね、レド様」
「ああ…、本当に」
夕食が終わって、今はレド様と二人、いつものように夜仕様のサンルームを歩いていた。
後片付けはカデアとラムルの仕事になってしまったので、ダイニングルームから直接出てきたのだ。
実を言うと────いつもサンルームか厨房で食べていたので、ダイニングルームで食べるのは、今日が初めてだったりする。
「それにしても、オーブンはどうすべきか」
レド様が珍しく、困り果てたような表情で呟く。
正直、これまで通りに私が作っても良いのだけど────カデアの仕事を取り上げてしまうことになるし、レド様やジグとレナスも、私の負担を気にしているようだから、それはやめた方がいいだろう。
「他の厨房を使うしかないと思うのですが…」
「もしかして───何か考えがあるのか?」
「まだ考えの段階ですが…、孤児院の厨房を使わせてもらうのはどうでしょう?」
「孤児院の?」
「はい。【拠点】として登録する予定ですし、【移動門】も設置予定ですから、行き来も自由になります。
それが───今のところ最善ではないかと思います」
院長先生には、使っていない棟の一つを拠点として使ってもいいと言われている。状況によっては、そこにカデア専用の厨房を造ってもいいかもしれない。
勿論、造るのは私だ。そんなに大きなものを造ってみたことはないけれど、孤児院の厨房を模倣すれば、出来るのではないかと思っている。
換気だけ古代魔術帝国の技術を用いれば、建物の構造を変えて煙突を設置する必要もないし。
「リゼは頼りになり過ぎるな…」
「レド様?」
「俺は────リゼに頼り切っているような気がする」
レド様が立ち止まって私の方を向くと、眉尻を下げた。
私もつられて、足を止める。情けなさそうな表情をするレド様に、私は首を傾げた。
「そんなことはないと思いますが…」
レド様は、私の腰に両手を回し抱き寄せると────私の額に自分の額をくっつける。
「俺は…、いつもリゼに何かをしてもらってばかりだ」
「私だって、レド様にしてもらっていることや────いただいたもの、たくさんありますよ?」
「そうか?」
「ええ、そうです。大事なお邸に住まわせてくれて、大事なお部屋を使わせてくれて、大事なお母様の形見を譲ってくれて、食費を出してくれて、服代まで出してくれて────結婚の約束をしてくれて、それから…」
「それから?」
「それから…、今だって────こうして、私の傍にいてくれているじゃないですか」
「そんなの…、俺がリゼの傍にいたいだけだ」
「ふふ、それが嬉しいんです。レド様が…、私の傍にいたいと思ってくれることが────傍にいてくれることが」
「リゼ…」
レド様が額を離し、顔を近づけてきたので────私はそっと瞼を閉じた。
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