| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

星々の世界に生まれて~銀河英雄伝説異伝~

作者:椎根津彦
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

激闘編
  第九十六話 旅立ちのとき

帝国暦487年3月20日14:00
ヴァルハラ星系、オーディン、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)北苑、国務尚書執務室、
クラウス・フォン・リヒテンラーデ

 普段顔も見せぬのに、こういう時だけ顔を並べて現れよる。ほとほと外戚というのは困ったものよ…。
「何度も申し上げるが、叛徒共との交渉など許されるものではありませんぞ、侯」
「帝国の権威に傷がつくとは思われぬのか。叛乱軍とは申せ、所詮流刑者達の眷属ではないか。断固として反対である」
「ブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム侯…お二人共冷静になられよ。叛徒共に囚われておる者達の中には、近しくはなくとも卿等の縁者もおるやも知れぬ。陛下とてその辺りの事を気にしておられるのだ」
陛下は何故この二人にご息女を嫁がせたのか。恩を売ったつもりでも、益々つけあがる結果となっておるではないか…。いや、あの時は確かにこうせねば宮中はまとまらなかった。それが分かっていたからこそ我々もそう進言したのではなかったか…。
「それに、囚われておる者達の大多数は平民だ。平民達の忠をくすぐる為にも為さねば成らぬ事なのだ」
「平民どもの忠をな…なればこそ叛徒共の奸計に乗る訳にはいかぬ。そうは思われぬのか」
「言葉を慎まれよブラウンシュヴァイク公。既に陛下の勅裁は下されておるのだぞ。それを奸計に乗るなどと…たとえ陛下のご女婿である公とはいえ、申してよい事とならぬ事があるぞ」
私の言葉にブラウンシュヴァイクは呆れた顔をし、リッテンハイムは薄く笑った。
「…奸計ではないか。我等が知らぬと思うてか。辺境で起きている事態を」
「辺境で何が起きていると申されるのか」
「韜晦も程々になされるがよい、リヒテンラーデ侯。辺境の領主共に叛徒共が物資援助を行っているというではないか」
「その様な報告は受けておらぬが」
「フン、貧乏領主共が報告なぞするものか。叛徒共のやり様は、虜囚を返す代わりに辺境には目を潰れと申しておるようなものだ。このまま我等が手をこまねいておれば辺境は叛徒共に屈したも同然となるであろう。侯、どう思われる。帝国の危機ぞ」
帝国の危機だと?…お前達は今まで見て見ぬふりをしていたではないか…。
「辺境については軍が調査をしておる、詳細はいずれ判明する」
私がそう言うと、リッテンハイムがせせら笑った。芝居かかったら動作で言葉を続ける。
「軍か。そもそも軍がしっかりしておれば、この様な事態にはならなかったのだ。ましてや今、辺境守備に就いておるのはミューゼルではないか。公の前で申すのはいささか心苦しいが、彼奴ではいささか重きに欠けよう。年も若いし実績もない。叛徒共に侮られておる故に、好き勝手されてしまうのではないか」
「いや、リッテンハイム侯、私の事などお気になさらずともよい。事実は事実だ。ミューゼルはヒルデスハイムの子飼い、一門の不手際は私の失態でもある、容赦されたい」
「私は公を責めておるのではない。軍の不手際をどうするか、という事だ。違うかな、国務尚書」

 まるで、二人で申し合わせたかの様なやり取りだ。いや、お互いに何を喋るか実際に申し合わせて居るのだろう…ブラウンシュヴァイクは傲岸、リッテンハイムは不遜…両者の目はいやらしく光っている。用意させた飲物にも手を付けていない。饗応を受ける気は無い、我等は、貴族は怒っているのだとでも言いたげに…。
「では、ご両所には何か名案がおありかな」
私の問いにリッテンハイムが深く頷く。
「我等が力を貸そう」
「何と申される?力を貸す、とは」
「言葉そのままの意味よ。我等とてただ難癖つけているだけ…と思われるのも癪なのでな。辺境の平定に力を貸そうというのだ」
「それは有難い申し出ではあるが、軍とて面子はあろう。素直にはいそうですか、とは言うまい」
「ふん、その辺の貴族の小倅同士の嫁争いでもあるまいし、面子がどうとか申しておる場合ではなかろう?そもそも軍がしっかりしておれば、我等が前に出る事は無いのだ。それにだ、我等が進んで軍に協力すれば、ミュッケンベルガーに我等を見張らせておく必要もあるまい?違うかな?」
軍務尚書を通じて、軍の主力を首都に留め置く様ミュッケンベルガーに依頼したのは私だった。口に出すのも憚る事ながら陛下は健康とは言えぬ。陛下が再びお倒れになれば、この二人が動き出すのは必定、混乱を避ける為に必要な措置と考えたからであった。それを逆手にとるとはの。じゃが……。
「…承知した。軍には私から話す。しかし捕虜交換については既に勅裁を得ておる故、実行せねばならぬ」
再び捕虜交換の件を口にすると、ブラウンシュヴァイクは難しい顔をしたが、二重人格者の様に爽やかな笑顔を見せると、
「それだがな、侯。軍にやらせればよい。政府が前面に出ると、我等はともかく一門や諸侯が叛徒共に膝を屈した…などと騒ぎ出すやも知れぬのだ。帝国貴族四千家、一度騒ぎ出したら我等二人でも抑えられぬ…かも知れぬ」
と言い、それを聞いたリッテンハイムがすかさず相槌を入れた。
「それがよい。これまでの戦いの中で生まれた虜囚であるからな。軍と軍との話し合い…それですら癪に触るが、これなら一門諸侯も文句はそう言うまい。いやはや、よかったよかった」
よかったよかった…これで話は終わったと言わんばかりに二人は陛下のご息女や孫…互いの妻や娘の事を話し出した。何の事はない、現在の状況を自分達の勢力伸張の為に利用したいだけなのだ、その為の行動を正当化する言い分を並べに来たに過ぎない。確かに政府同士の交渉となると叛乱軍を対等の存在と認めた事になる。二人の言う通り貴族達が騒ぎ出すのは想像がついた。ならば軍に、とも考えたが、軍は前面に出る事に難色を示していた。帝国の為に戦って囚われた者達なのだから、政府が前面に出て彼等を労って欲しい、でなければ報われまいと言うのだ。それが正しい物の見方だと言う事は分かっている、だがそれをやれば…。

 「我等の用事は済んだ。では侯、これからもよしなに」
「お二方共…わざわざのご足労、ご迷惑をおかけした」
「造作もない。帝国の国難の刻だ、藩屏として協力するのは当然の事よ」
ブラウンシュヴァイク、リッテンハイムの二人が執務室を出ていく…今更だが、この帝国という国はなんと統治しにくい国なのだ、いや、なってしまったというべきか……開祖ルドルフ大帝が現状をご覧になられたらどうお思いになるのだろう。
 二人が出て行ったのを察したのだろう、隣室からワイツが入って来た。
「…軍務尚書殿をお呼びなさいますか」
「うむ、そうしてくれるか」


3月25日16:00
ミュッケンベルガー元帥府、宇宙艦隊司令長官執務室、
ラインハルト・フォン・ミューゼル

 「では、軍主導で捕虜交換を行う事になったのですね」
「うむ。捕虜交換式には儂が出向く事となった。まあ儂だけではないがな」
「閣下がですか?軍主導という事であれば軍務尚書か軍務次官が出向くのではないのですか」
「リヒテンラーデ侯は政府の色を出したくないらしい。正使は幕僚副総監、副使が儂だ」
「軍の現場のやり取りにせよ、という事ですか」
「そういう事だ。だがそんな事よりもう一つ難題が持ち上がった。辺境に、貴族が有志連合軍を出す」
貴族の有志連合軍?なんだそれは。
「有志連合軍、ですか」
「うむ。大貴族のお歴々自ら軍を率いて、辺境領主達の引き締めにかかるそうだ。叛乱軍が捕虜交換を持ちかけて来たのは、辺境に対する謀略の目眩ましと貴族達は判断したらしい」
奴等は馬鹿なのか?叛乱軍との捕虜交換自体は対等のやり取りなのだ、辺境に対する謀略の目眩ましにはなり得ない。そんな事も分からないのか……いや、そうか、奴等はこれを勢力伸長の機会と捉えているのか…。
「どうやら、叛乱軍による辺境への物資援助の話がオーディン周辺の貴族達にも伝わったらしい。軍が対処出来ないのなら、我等がやると。叛乱軍へ協力する辺境領主達への脅迫だな」
「しかし…そんな事態になれば、辺境領主達は雪崩をうって叛乱軍に与するのではありませんか」
「…辺境は貧しい。何十年も叛乱軍と戦って来た私が言えた事ではないが、彼等が貧しいのは戦争が原因だ。戦争のせいで政府には辺境を省みる余力がない。その上同じ藩屏である筈の帝国中枢部の貴族達も彼等を助けようとはしない。生きるだけで精一杯なのだ。辺境の領主とて自ら望んで叛乱軍の援助を受けている筈はないと思うが、背に腹は変えられんのだろう。領民達を飢えさせる訳にはいかんからな。現状では辺境領主は叛乱軍に与している訳ではないだろう、だが帝国中央にいる貴族にはそれが分からない。現象面しか見えておらんのだ」
「だから有志連合軍を出すと」
「そうだ。軍を援ける為だという事だ」
ミュッケンベルガーは貴族達の思惑をどう考えているのだろう?
「…もしや、とは思いますが…貴族の方々はこれを機会に辺境に勢力を伸ばそうとしているのではないでしょうか」
「まさしくそうだろうな。だが反対は出来ない、一応筋は通っているし、断る理由もない。ただ面子は丸潰れだがな」
ミュッケンベルガーはそう言って笑った。
「しかし、叛乱軍と会敵する事も考えられます、それについて、有志連合とやらはどう考えているのでしょう?」
自分で言って気付いた。叛乱軍は軍に、俺に任せるつもりなのだろう…我等が控えている、軍は憂いなく存分に戦うとよい…。俺がそれに気付いた事を察したのだろう、ミュッケンベルガーは重く口を開いた。
「卿は苦しい立場に置かれるな。卿の姉君はブラウンシュヴァイク公の手の内にある。言わば子飼いの立場故、公が戦えと命じたら卿は戦わなくてはならん。軍の方針と違ってもだ」

 ミュッケンベルガーは窓の外に目をやった。見たい風景がある訳でもないだろうに…。
軍の方針と相反する命令がブラウンシュヴァイク公から出された時、俺はどうするのだろう。まさしく、先日ヒルデスハイム伯に指摘された事なのだ…。
「…捕虜の移動準備は整っているのだったな?」
「はい。捕虜交換の場所は帝国領内ですか?」
「いや、フェザーンだ。あそこなら叛乱軍も無茶は出来ん」
「私が護衛致しましょうか」
「何を言っているのだ、卿が居なくては辺境の防衛を司る者が居ないではないか。心遣いは嬉しい、だが今は任務に精励するのだ」
「はっ…」
「卿はオーディンを離れた方がいい。麾下の艦隊を連れてシャンタウに移動するのだ……姉君の事は私が何とかしよう」
「閣下がですか?…失礼しました、ありがたいお話ですが、閣下にご迷惑がかかります。そこまでお手を煩わせる訳にはまいりません」
「何を言う。私としては目をかけている部下が憂いなく働けない現状こそが憎らしい。任せておけ」
一瞬だが、ミュッケンベルガーの目が優しい光を帯びた様な気がした。高く評価されているとは思う、でなければ副司令長官への抜擢など有り得ない。だが姉上の事まで気にかけてくれるとなると、ミュッケンベルガーの目的は何なのだろう?
「…閣下、何故そこまで気にかけていただけるのですか」
「そうだな…最初は気に食わない存在だった。姉の七光りで幼年学校を卒業、能力はあるかもしれないが、周囲が腫れ物に触る様な態度を取るのをいい事に気儘に振る舞う青二才…金髪の孺子とはよく言ったものだと思ったよ」
ミュッケンベルガーは立ち上がると自らコーヒーを注ぎ出した。俺の分まで注ごうとするのを遠慮すると、手でそれを制して俺のカップにも注ぎ出す。
「だが今はこうして儂を補佐し、帝国の為に働いておる。そしてその帝国は今や叛乱軍に押されつつある。状況は変わったのだ。それを押し返すには新しい力が必要だ。我々の様な古い慣習に囚われる人間ではなく、清新で力に富む新たな者が」
「……それが私だと仰るのですか」
「そうかも知れぬし、そうではないかもしれない。だが儂には卿がそれに一番近い様に思えるのだ」
ミュッケンベルガーの目は優しさを捨て、厳しい物に変わっていた。…俺の望みを知ったら、ミュッケンベルガーは何と言うだろう。
「卿には野心がある、そうではないか」
「…確かに宇宙艦隊司令長官になりたいとは考えています」
「そういう意味ではない。気付かれていないと思っているのか」
まさか…無言で押し通すのは肯定と一緒だ、何と言うべきか。肯定か、否定か。
「…帝国の頂点に立ちたいと考えています。今すぐに、という事ではありませんが」
偽っても既にそう思われているのでは仕方がない、というより、今この男に嘘をついてはならない、そう思った。
「…ルドルフに出来た事が俺に出来ないと思うか…あまりにも不用意な発言だな、ミューゼル」
背中を冷や汗がつたっていくのを感じる。確かに不用意な発言だ。
「それは…その発言については…」
「本来なら死を賜るべき不敬極まりない発言だ。だが既に陛下はご存知だ」
何だと?あの男が知っている?
「陛下もご存知…では私は」
「まあ聞け。卿を副司令長官にする時の事だ。儂は宮中に呼ばれた。陛下は既にこの人事をご存知であられた。その上で儂にこう申されたのだ。『アンネローゼの弟ミューゼル、あれの面倒をよくよく頼む、あれは不憫な奴じゃ』と」
「…畏れ多い事でございます」

 冷めてしまった二杯目のコーヒーを啜りながら、ミュッケンベルガーは続けた…皇帝は、あの男は、おぞましい事だが姉上を心の底から愛しているらしかった。それで弟である俺の身の上を案じているという。現に俺とキルヒアイスが軍幼年学校に入れたのも、認めたくない事だが姉上が皇帝に頼んでくれたからだ。そして、幼年学校卒業後も皇帝は秘密裏に俺達の行動を監視していたという。監視の結果、俺に簒奪の意がある事を知っても皇帝は驚かなかったそうだ。姉上を後宮に入れる時、ミューゼル家に莫大な下賜金を下したのも、皇帝にとっては罪滅ぼしの気持ちがあったからの様だった。だが結果として姉上も俺も人生がねじ曲がってしまった事には変わりがない。確かに俺の家は貧乏だったが、あの駄目な父親でさえ姉上を後宮に納める事など望んではいなかった。皇帝は後悔したという。一度は姉上を後宮から出そうとも思った様だった。だがそれは二重に姉上の人生をねじ曲げる事になる。それで思いとどまり、代わりに俺の立身出世の手助けをしたいと思う様になったというのだ…。

 事実だったら、事実とは思いたくもないが、俺のここまでの道のりには皇帝の意が働いていたというのか…だとしたらまさに喜劇だ。俺は俺自らの能力でここまで来たと信じたい。だがそうではないとしたら、俺の人生は一体何なのだ…。
「陛下はこうも言われた。『ルドルフに出来た事が俺に出来ないと思うか、か。そういう風にあれに思わせたのは予のせいじゃ…この乱れた治世を変える力は最早余には無い。望まれぬまま皇帝の座についた余じゃ、ならば皆が望まぬ事をしても文句は言われまい、簒奪を望むのならそれもよし…あれを罰する事はせぬ、だが帝国を護る事は忘れるなと折をみてミューゼルに伝えよ』と」
返す言葉がなかった。帝国を護る?俺はあの男の後始末をつける為にここまで来たのか、来させられたのか…いや、それだけの存在なのか?
「そしてこうも言われた。『そなたがミューゼルに余の言葉を伝えたならば、あれは余をこれまで以上に憎むであろうな。だがそれでよい。余の意を明かした以上はこれまでの様に庇う事は出来ぬ。簒奪は簡単には成らぬぞ、と申せ』と」
言い終わるとミュッケンベルガーは再び窓の外に目をやった…皇帝の意を告げられた時、ミュッケンベルガーは何を思ったのだろう…。
「閣下…皇帝陛下は何をお考えなのでしょう…」
「…嘆いておられるのやも知れんな、帝国を。帝国の現状を。そして自らを…畏れ多い事だが」

 ルドルフに出来た事が俺に出来ないと思うか…ふと、皇帝の、あの男の立場になって考えてみたくなった。望まれずに皇帝になった故に政治的基盤は小さい。自分の娘を有力貴族…ブラウンシュヴァイクとリッテンハイムに嫁がせ、宮中の安定を図った。結果、その二つの権門は外戚として力を増し、政府も無視出来ない力を持つに至る。対外的には居ない筈の外敵、叛乱軍との戦争が続き、国内の開発もおろそかになる程の経済的苦境に陥っている…。
「フェザーンで捕虜交換を行うとすれば、捕虜の移送も含めて実施まであと一ヶ月というところだろう。重ねて言うが、卿はすぐにオーディンを発ち、シャンタウにて麾下の艦隊と合流せよ。有志連合とやらに好き勝手させるな。よいな」
ミュッケンベルガーの言葉で現実に引き戻され、了解の意を伝えて執務室を後にした。姉上の事は気になるが、ミュッケンベルガーの言葉が本当なら何か策があるのだ……四百三十六年にティアマトでブルース・アッシュビーに敗れ、帝国軍は人的、物質的大敗北を喫した。その回復の為にイゼルローン要塞という蓋の建設を開始、俺が生まれた年に要塞は完成した。帝国軍も回復を成し遂げたものの以前とは指揮官の構成の異なる組織に変わりつつあった。平民の台頭だ。依然として貴族は強大な力を持っていたが彼等は軍から去っていた。軍の再建は帝国にとって大きな負担だっただろう。戦争をしながら要塞建設と艦隊再建もこなさねばならないのだ。難事である。物や物資は再生産できるが、人は簡単には再生産出来ない。貴族が軍から去った以上、損失を埋める為の人的資源は平民に頼るしかなかった…貴族が藩屏あの男が皇帝として即位したのは四百五十三年。即位前から帝国の凋落を感じていたのかもしれない。そして即位して現在に至るまで、それを現実の物として見続けてきた。俺が奴ならどうしただろうか。奴の様な状況では、望んだとて変える事の出来ない事の方が多いだろう。

 俺の執務室ではキルヒアイスとフェルナー、そしてミッターマイヤーが待っていた。ケスラーはフォルゲンに居るし、ロイエンタールとメックリンガーは既にシャンタウに向けて進発している。
「司令長官の要件はやはり捕虜交換の件ですか」
「そうだ。捕虜交換は政府ではなく軍が行う事になった。場所はおそらくフェザーンだ。ヒルデスハイム幕僚副総監、ミュッケンベルガー司令長官がフェザーンに赴いて実行の運びとなる」
問うて来たのはキルヒアイスだった。その問いに答えながらフェルナーに目をやると、察したのだろう、フェルナーの方から俺の知りたい事を話しだした。
「有志連合の件、でございますか」
有志連合、聞き慣れないであろう単語にキルヒアイス、ミッターマイヤーが訝しげな顔をするが、聞いていくうちに分かると思ったのか、二人とも口を挟む事はしなかった。
「そうだ。卿の旧主が絡んでいる。何か聞いているか」
「閣下にお仕えする様になってからはブラウンシュヴァイク家への出入りはしておりません。ですが、忠告してくれた方が居りました」
「ほう。その親切な人物は何と言っていたのだ」
フェルナーは、これから話す事は他言無用とばかりにキルヒアイスとミッターマイヤーに視線を移し、再び俺に視線を戻すと、話し始めた。
「有志連合…ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯に知恵をつけたのはフェザーンだという事でした」
フェルナーは続けた。皇帝がバラ園で倒れた、誤って転倒し頭部を打ち意識不明になった。箝口令は敷かれていたものの、ブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム侯は皇帝の婿である、両家には伝えられていた。皇帝の意識は数日中に戻したからよかったものの、両者は震えあがったという。理由は皇帝が後継者を決めていないからだった。両家とも外戚であり、自分の娘に一門から見所のある貴族を婿に迎えて補佐させ、女帝とすればよい…そう考えていたものの、それはそう望んでいる、というだけの話であって、実際にそういう事態が迫っているとなると話は別…要するに何の準備もしていなかった事に今更ながら気づいた為だった。それに後継者は決まっていなくとも現実には皇太孫としてエルウィン・ヨーゼフがあり、この幼児を次の皇帝としてリヒテンラーデ侯あたりが担ぎ出すのは目に見えている。血統からいってそれに異を唱える事は出来ない。となるとしばらくの間はそれを認め雌伏せねばならない、であればまずは現在の状況を利用して両家の勢力を伸ばすべきであろう。そしてエルウィン・ヨーゼフの治世に失政が生まれるのを待つ。リヒテンラーデ侯も老い先長くはない…と。

「フェザーンが両家の後ろ楯になっているというのか。何なのだ、奴等の目的は」
ミッターマイヤーが忌々しそうに呟いた。要所要所で顔を出すフェザーン…確かに忌々しい事この上ない。
「帝国を経済面から支配しようとしているのでしょう。今フェルナー少佐が述べた事から推察すると、フェザーンは次期皇帝をエルウィン・ヨーゼフ殿下と考えている。リヒテンラーデ侯も健在ですし、軍もミュッケンベルガー元帥がいらっしゃいます。たとえ皇帝陛下がお倒れになられても、ブラウンシュヴァイク、リッテンハイム両陣営が望む様な事態にはならない。だが両陣営が手を組んで一つになれば、その威勢は政府とてこれまで以上に無視は出来なくなる。そこにフェザーンが食い込むとなれば尚更です」
「馬鹿な、帝国を二つに割る様なものではないか。フェザーンはそれに手を貸すというのか」
キルヒアイスの言にミッターマイヤーは怒気を隠す事なく憤慨していた。キルヒアイスの見方は正しい。フェザーンは帝国を経済面から絡めとろうとしている。だがどれだけフェザーンを追及しても奴等はシラを切るだろう。元々大貴族達とフェザーンの付き合いは濃い。シラを切るどころか堂々と大貴族を支援するかもしれない。そして帝国政府はそれを阻止し得ないだろう…。

 「キルヒアイス、ミッターマイヤー、明後日オーディンを発つ。シャンタウにて先発しているロイエンタール達と合流する」
「了解致しました」
キルヒアイスとミッターマイヤーが頷き合い、ミッターマイヤーが執務室を出ていく。
「フェルナー」
「はい」
「卿に忠告してくれた親切な御仁を通じて、貴族達の動静を探れ。一日と少ししか時間はないが、卿には充分な時間の筈だ」
「かしこまりました」
フェルナーが執務室を出ていくと、キルヒアイスが口を開いた。
「…アンネローゼ様は大丈夫でしょうか」
「心配ない。ミュッケンベルガーが何とかしてくれるそうだ」
キルヒアイスは一瞬意外そうな顔をしたが、ミュッケンベルガーとの会話の内容を伝えると、キルヒアイスは深く頷いた。
「ラインハルト様はそれで宜しいのですか?」
「ばれていた物は仕方がない、滑稽ではあるがな。どうやら俺はあの男を見誤っていた様だ。だが見誤っていたとしてもあの男を許そうとは思わない」
一番気に食わないのは、あの男の思惑通りに俺が歩んで来た、という事だ。簒奪は結構、だが帝国は護れ…ふん、帝国を護る事など誰がやるものか。護るのではなく、新しい帝国を創るのだ。それこそが俺の人生が喜劇ではなかった事の証となるだろう…。
「ですが、意外ですね」
「意外?」
「はい。皇帝の意向とはいえ、ラインハルト様の目的は現在の体制では許されるものではありません。ミュッケンベルガー元帥はラインハルト様をお叱りにはならなかった」
確かにそうだ。俺の望みは帝国では決して許されるものではない。皇帝の意向が働いているとはいえ閑職に回されてもおかしくはないのだ。ミュッケンベルガーも奴なりに帝国の現状を憂いているという事か…。
「ミュッケンベルガーは生粋の軍人だ。もしかしたら皇帝ではなく、帝国そのものに忠誠を誓っているのかも知れないな」
「帝国そのものにですか」
「ああ。皇帝は変わるが、帝国は失くならない。皇帝を護るのではなく、帝国を護ると考えているとすれば奴との会話の内容にも説明がつく」
「なるほど、その通りだと思います…ですが大丈夫でしょうか、ミュッケンベルガー元帥はフェザーンに向かいます。フェザーンにとって、貴族達の支援以上に帝国に混乱をもたらすチャンスだと思うのですが」
「俺が艦隊を率いて護衛すると申し出たのだが断られた。だが考えてみると捕虜交換式そのものを潰す様な大規模な工作はフェザーンとてしない筈だ。もしミュッケンベルガーが狙われるとすれば奴の身辺に近付いての暗殺だろう」
「身辺警護には留意しておられるとは思いますが、普段以上に警護を強化致しませんと…」
誰か居ないか…しがらみが少なく、貴族の紐付きではない機転の利きそうな者が…俺が何を考えているか想像がついたのだろう、キルヒアイスが再び切り出した。
「一人心当たりがあります、適任の者が。彼なら叛乱軍も注視するでしょうから、フェザーンが刺客を送り込もうとしても難しいかもしれません」
「叛乱軍も注視する?まずいのではないか?」
「帝国軍、叛乱軍の両方から衆目を集めるとなれば手出しはしにくいでしょう。おそらく大丈夫かと。それにもし叛乱軍に帝国軍に対する害意があったとしても、その者の存在がそれをかき消してくれるでしょう」
「そんな都合のいい者が存在するのか?」
「はい、ラインハルト様もご存知ですよ。カストロプ領討伐の際、アルテミスの首飾り…戦闘衛星に直接降下した…」
「…ああ、リューネブルクか。確かに奴なら機転も利くだろうし戦闘技術も一流だ。それに叛乱軍についても詳しい…うってつけだな。それに未だ飼い殺しの様な存在だから、喜んで引き受けるだろう。護衛任務を引き受けてくれるかどうか、連絡をとってくれないか」
「了解致しました」
キルヒアイスが執務室を出て行く。それにしても急に事態が動き出した…立ち位置を見つけなくてはならない。簒奪の意志が露見している以上、今後はあの男に遠慮する事はないだろう……有志連合、敵か味方か判らぬ存在だ、姉上の事もある、何としてもミュッケンベルガーの善処に期待したい所だ。そして叛乱軍…奴等の動きも今までとは異なる、注意が必要だ。それにフェザーンの動きににも気を配らなくてはならない。帝国を経済面から支配しようとしているのなら、それは既に半ば成功している。奴等に軍事力はないに等しいが、兵を雇って艦隊を動かした実績がある、これも注意が必要だ…焦るな、状況を見定めるのだ…。

 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧