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ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~

作者:平 八郎
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第106話 憂国 その6

 
前書き
大変遅くなりまして申し訳ございません。

なんとかようやく書き上げました。もう諧謔とか暗喩とか、ヨブ君のセリフとか書きたくないですね。
筆者の能力不足で、こういう結末となりました。5回書き直してこれです。申し訳ありません。

これで憂国は終わりになります。まぁまだ予算通過まではハイネセンにJr.は拘束されるわけですが、次の戦場は決まりました。

 

 
 宇宙暦七九二年 三月 ハイネセンポリス

「ところで中佐の仰る躾のなっていない飼い犬の飼い主とはどなたの事ですか?」

 一度公共タクシーで公共公園に向かい軍服に改めて着替えた後、今度は軍政務官用地上車を呼んで道端で待っていたチェン秘書官が、俺の真正面に立って問うた。その眼力はいつになく座っていて、あの時のような殺気とは異なる怒りと迷惑加減に溢れている。

「ヨブ=トリューニヒト先生のことだけど?」

 比喩も暗喩も認めなさそうな雰囲気だったので俺も簡明直截に応えると、チェン秘書官の瞳が点になり細く整えられた眉の右片方だけが吊り上がる。恐らくは彼女の二番目のご主人様の名前だと思ってたので、その反応も納得できるし、そう俺が思っていることも理解しているだろう。
 もしかして飼い犬とは憂国騎士団ではなく自分のことを言っているのか、という疑念に対する不愉快さが籠っているのは明らかだ。彼女の本当のご主人様は四五〇〇光年先の自治領主なので、こんな『田舎の若頭』の飼い犬呼ばわりなど、正直言って耐えられないに違いない。
 以前の彼女であれば、鈍い俺にすら勘づかれるような表情などしなかったはずだ。自治領主が狙われている、その現実が彼女からそういった余裕を失わせているのは間違いない。

「……今から国防委員会理事閣下にアポイントを取るのは、些か」

 今度は明らかに『造った』不承不承という表情で、チェン秘書官は右手首に下がる端末に視線を落とす。恐らく二二〇〇時は回っている。こんな時間に与党の重鎮であるトリューニヒトにアポを取るのは、将来的にどうなんだという意味も込められているが、憂国騎士団をぶちのめした今の俺にとってみれば大した意味はない。
 問いに対して言葉ではなく好青年将校スマイルで応じると、チェン秘書官はパッドで威圧感マシマシの肩を窄めてから手首の端末で連絡を取り始めた。連絡先は流石に悪霊氏ではないようで、チェン秘書官の強めの口調に戸惑っているようだったが、すぐにトリューニヒトの居場所を教えてくれた。

「どうやらトリューニヒト先生は、まだ議員会館でお仕事されているようですわ」
「議員先生が勤務熱心なのは、国家としては歓迎すべきことだと思うね」
「ご承知のことで?」
「まさか自分が当事者になるとは思いもしなかったけどね」

 有力理事とはいえ、まだ国防委員長でもないトリューニヒトにとって、私兵である憂国騎士団の『成果』をどこかで待っていることは充分に想像できる。マスコミへの影響力はパトリック氏に尻尾を掴ませない程度までに浸透しているが、確実と言い切れるわけでもない。何かあったら即対応できるように動きのとりやすい場所で、ジッと吉報を待っていることだろう。

「行こう。こちらからアポを取っておいて、あんまりお待たせしては申し訳ない」

 できれば憂国騎士団の現状が耳に入る前の方が後よりもいい。会場で暴れた底辺青年労働者のビクトル=ボルノーが俺だと分かるのは、奴のオフィスであるべきだ。あの後始末が下手な治安警察の小隊長殿が、監視カメラを使って俺を追い詰めにかかるまでには、少し余裕はありそうだとしても。

「……先生が諫言を受け入れてくださると、お思いですか中佐?」
「相手が受け入れようが受け入れまいが、するのが諫言というものだと思うよ」

 憂国騎士団、ひいては地球教徒と手を切れと口で言うのは簡単だ。だがヨブ=トリューニヒトには当然のことながら政治的目標があり、その目標を達する上で合法・非合法問わずに動ける『駒』としての価値が奴らにはある。その価値以上のメリットを提示しない限り、手を切ることは当然ない。それは道義とか仁義とか正義とか、彼が普段から口にしている言葉のような薄っぺらいものではない。

「到着までにどのくらいかかる?」
「三〇分弱です」

 音もなく走り出した地上車の後部座席で、隣に座ったチェン秘書官が車のサイドボックスから消毒用のウェットティッシュを取り出し、俺の手を丁寧に拭いていく。あの女子学生からもらったハンカチでは落とせなかった手の皺に詰まって固まった血糊が、ティッシュに赤い線を描く。左手が終わったら今度は右手。指先の爪から手首まで。その動きは貴重品を磨くように丁寧で、どことなく官能的ですらある。

「中佐は私の事をお聞きにはならないんですね」
 俺の手を取りながら、その皺の一本一本に血糊が残っていないか見つめているチェン秘書官が、自虐的な憂いと寂しさが籠った声で零した。
「ピラート中佐もその前の補佐官も、皆、なんとか私の背景を探ろうとしておりましたのに、ボロディン中佐は全くなさらない。それなのに私のことをよくご存じで」
「そういう筋に強い友人がいるからね。餅は餅屋に任せた方がいい」

 自分で調べたところでせいぜいトリューニヒトくらいまで。おそらくC七〇にすら手が届かないだろう。本人に直接聞く『危険性』は十分承知している。ピラート中佐には理解してくれる味方が周囲にいなかった。その前の補佐官はどうだか知らないが、妖艶な色気と図抜けた胆力そして整理され機転の利く頭脳を持つ美女に、夢中になっていた可能性はある。
 まぁあれだけアケスケな色仕掛けもあったものでもないが、二六・七で未婚のボンボン中佐であれば引っ掛かると思われたかもしれない。舐められたと思うが、そう思われるだけの要素は俺には十二分にある。

「実は私。フェザーンに居た頃に、四人ほど娘か息子がおりましたの」

 だがそんな微妙な懐かしさをブッ飛ばすような爆弾が、いきなり小さな唇の隙間から零れ落ちた。瞬時に俺は首を軸回転させて、未だに手を撫でるように触り続けるチェン秘書官を見つめ直す。だが彼女の視線は俺の顔ではなく、握られた手に落ちている。

「私自身も実のところ両親がどんな人間か知らないのですが……中佐は『人間牧場』という言葉はご存知で?」
「人間……牧場……」

 考えるだけでおぞましい言葉だ。俺の前世でもホラー漫画だったか、特撮映画だったかにあった気がする。何らかの目的の為に人間から基本的人権を奪い、家畜として飼育される場所。ただし銀英伝の本編にも外伝にもそんな記述は一切ない。
 遺伝子操作によって帝国内部では食人の気質を持つ有角犬が生産されていた事実はある。それに加えてフェザーンには銀河系の誰もが知っている『標語』がある。しかし現実にそんなことがありうるのか……

「最初の記憶にあるのは『乳母』と呼ばれる老婦人の下で、同い年位の女の子達だけでなに不自由なく山奥の寮のようなところで暮らしてましたわ。時々、お友達が消えていくのが不思議でしたけど、病院併設の孤児院ということで乳母曰く『いい養父母に』貰われていったそうです」

 その同級生の中で黒髪だったのはチェン少女ただ一人。人形のように整った幼顔で、一六歳に迎えた『卒園式』でも一二歳に満たないような容姿だったという。しかしそれまで二〇回以上に及んだ『里親面談(セリ)』が全て破談に終わり、チェン少女は同級生の中でも特に選りすぐりの美少女数人と一緒に病院のような建物に連れて行かれ……生き地獄のような日々を送ることになる。

「食事にも教育にも大変配慮されてましたけど、『運動』はそれほどでもなかったですわ。ただ秋から冬にかけてだんだんとお腹周りが大きくなり、春には手術台に横になるという生活(スケジュール)でした」

 体力があったのか、はたまた運が良かったのか。チェン少女は四人目まで体調に問題はなかった。しかし一緒に連れてこられた同級生達は毎年繰り返される『生産活動』に、歳を追うごとに精神と体調を崩していく。ちなみにその建物には同級生以外にも年上の女性が暮らしていて、こちらは『隔年組』と言われていたらしい。

「幸い私が二〇の時に、手入れがありまして。その指揮を執っていらしたのが、今の自治領主閣下というわけです」

 話している間ずっと、俺の手はチェン秘書官に握られている。あまりの告白内容に、大して中身の入っていない頭が重くなり、背もたれの上辺に引っ掛かって声の出ない口が車の天井に向かって開く。
 作り話にしては突飛にすぎる。フェザーン警察に諮ったところで、無言の苦笑しか返ってこないだろう。だが本性を見せないチェン秘書官のワレンコフに対する愛情にも似た絶大な忠誠心の背景とすれば納得できる話だ。

 そして彼女が二〇歳の時に産んだ子供は、おそらく俺と同い年。妖艶でもなければ殺気だったものでもない。今までに見たこともない深い愛情を湛える優し気な眼差しが、重なり弄ばれ続ける俺の右手と自分の左手に注がれる。

「……道徳のない経済は犯罪、か」
「あら、お信じになられるのですか? こんな荒唐無稽な、三文ホラーとしても出来の悪い話を?」
「嘘であればいいと痛烈に思うよ。少なくとも産んだ子供の性別すら知らない母親は、この世に存在しないってことだからね」
「……」

 胸糞な法螺話に騙されたという怒りより、そんな悪徳が存在しなかったという安堵の方がよっぽど大きい。だが現実は非情なのだろう。以前の彼女の決断を無にするようだが、仮に将来的に間違いであったとしても、言う必要があると俺は判断した。

「チェン=チュンイェン秘書官。貴女に長期出張を命ずる。明日出勤後、速やかに荷造りに入って欲しい。軍艦搭乗のチケットは私が用意する」
「……どちら迄でしょうか?」
 ようやくチェン秘書官の視線が、俺のとぼけた顔に向けられる。答えは分かっていると言った顔つきだ。
「フェザーン自治領まで。自治領主閣下へ返信送付の依頼だ」

 彼女が今までの忠誠心を破棄して俺の依頼を断り、トリューニヒトの飼い犬になったとしてもかまわない。それもまた彼女の人生の選択の一つ。だが手遅れだったとしても俺としては、彼女は今ワレンコフの傍にあるべきだと思う。片道約三〇日。軍艦を上手く乗り継げばもう少し早くたどり着ける。

「……往復六〇日も職場を不在にしてもよろしいのですか?」
「構わない。予算審議が凶悪化するのは六月以降だ。それまでは『仕事量を減らしても』問題はない」
 ハイネセンで悪霊を監視するのも一つの手段であろうが、そんな超弩級の背景を聞かされれば、もはや無意味で、そして無粋だ。
「定期便の数も少ない。もう少し『時間はかかってもいい』から、必ず自治領主閣下ご自身にお会いして手渡して貰いたい」
「もうお返事はご用意されているのですか?」

 既に赤毛の小娘(ドミニク)宛に送っているのであれば意味がないだろうという諦めが含まれた視線に、俺は右手をほどいてズボンの右ポケットから、キャゼルヌ先輩からカルヴァドスの返礼として譲られた本革の手帳を取り出して、一言だけ書き込んで引きちぎってチェン秘書官の左手に握らせた。

「それを頼む。必ず君が直接、手渡してくれ」
「承知しました」
 小さな紙の切れ端を開いて目を通すと、チェン秘書官はきれいに折り畳みなおしてから、ブラウスの内ポケットに仕舞う。
「他になにか、お言付はありますか?」
「『頭髪のない狐には十分気を付けろ』」
「……承知いたしましたわ」
 
 そう言うと再びチェン秘書官の左手が俺の右手に重ねられ、俺の右肩には僅かな重みが感じられるのだった。


 ◆


 入構の手続きを済ませ、一緒に付いてこようとするチェン秘書官を無理やり車の中に押し留め、廊下に開かれているレイバーン議員会館五四〇九号室のドアをノックすると、予想通り耳に入れば殺意を急上昇させる声が俺を出迎えた。

「お待ちしておりました。どうぞ、ボロディン中佐殿」

 例によってウィスキーを傾けた後の、あの独特な嫌らしい笑みが向けられている。視線は嘲笑を含み、顔には愚弄の文字が浮ぶ。一応席から立っているということは、まだこの場所では身内以外には正体を隠しておきたいという証左なのかもしれないが、現在ヨブ=トリューニヒトの優先リストでは自分の方が立場は上だと言っているに等しい。

 だが同時に俺は納得もしている。もし憂国騎士団が俺によって一部壊滅した状況をコイツが把握しておれば、その態度には警戒と敵意の成分がもっと含まれているはずだ。それがないということは、『Bファイル』についての結論が出て、フェザーン自治領主の命数が尽きたということかもしれない。ある程度想定していたが、チェン秘書官をここに連れて来なくて正解だった。

 師匠直伝の、目にも顔にも感情を出さず相手に心を読ませない無言の略礼で俺が応えると、流石に異常さに気が付いたのかカモメ眉の上辺に皺が寄る。だが引き止めることはできない。何しろ「どうぞ」といった本人だ。俺は遠慮なくトリューニヒトが居るであろう応接室の扉をノックし、中から「入りたまえ」の声に従って扉を開き、中に入ってから扉を閉じて背後の粘着質な視線を遮断する。

「予算審議が本格化する前だというのに、君の職務に対する熱意には感服するよ」

 以前同様にチキンフライと、リンゴと生姜のホットスムージーが並べられたテーブルを前に、怪物は座ったまま笑顔を浮かべて、右腕を伸ばして対面に座るよう促してくる。俺はキッチリと敬礼してから、遠慮なく椅子を引いて腰を下ろした。

「流石に三〇分では食堂もチャーシューは用意できなかったみたいなんだ。悪かったね」
「いつもながらに先生の、小官に対するご厚情には感謝に堪えません」

 怪物と相対して、この程度の嫌味の打ち合いは軽いものだ。『戦果』を待ちわびていたついでであろうから、トリューニヒトとしては深夜の訪問であっても、それほど気が発つ話でもない。

「ただどうしてもこの時に、先生にはお話ししなければならないことがありまして」
「緊急性を要する事態、ということかね?」
「はい」
「拝聴しよう。ほかならぬ『エル=ファシルの英雄』の話だ」

 国防委員会も統合作戦本部も、近々で積極的な軍事行動を起こすことは考えてない。それを承知の上で、俺が告げ口のようなことをしてくることに疑念を抱きつつも、聞く価値はあると判断したのだろう。右手を小さく翻すその仕草は実に自然で、言葉にも微妙な阿諛を織り交ぜる。先程まで一緒にいた素人集団では到底マネできない洗練された話芸だ。

「トリューニヒト先生は我が同盟における数多の政治家の中でも、異なるセクションを的確に繋ぎ合わせるコミュニケーション能力と、時節をお掴みになる判断力と、大衆を惹起させる魅力において比類なき存在です。遅くとも三年を待たずして国防委員長に、五年内には最高評議会議長となられます」

 原作では国防委員長になる時期は書かれていない。ただ惑星レグニッツア上空戦時点で国防委員長であるのだから、それより就任が早いのは間違いない。まぁ五年後議長になるのは、その時の最高評議会メンバーが『それなり』の面子だったからなわけだが。

「おやおや……ボロディン中佐、ちょっと勘弁してくれないかね」

 言ってる俺でも歯が浮きそうになる言葉に、降参降参といった崩れた表情で、頭を後ろに引きつつ右掌を俺に向けて小さく振る。いかにも照れ隠しといった仕草なのに、左手は机の端に置かれたままピクリとも動いていない。

「いずれはそういう地位に就きたいとは思っているが、今の私は言葉が上手いだけの若造に過ぎないよ。与党にも議会にも、強固な支持基盤を有した百戦錬磨の老獪が揃っている。もしかしたらお試しで委員長職に就任させてもらえるかもしれないが、五年で最高評議会議長は流石に無理だと思うね」
「時節とは常に一定の蹴上げが続くわけではありません。時として長すぎる踊り場があり、踏板に穴が開いていたりしています」
「たしかに。それは君の言う通りだね」
「ですが先生は、時に二段飛ばし三段飛ばしで、階段を上ってこられました。踊り場にある時でも、常に高みを見据えて、労を惜しまず機会を掴み、それを生かしておいでです」

 マーロヴィアというド辺境の治安回復作戦に、責任や損害を負わない立場を利用して口利きして、宣伝で功績の大半を持っていく。エル=ファシルへの帰還協議会にヤンが出席することを掴むや、メンバーでもないのに顔つなぎに現れ、会議の流れを舌先三寸で自分の意図したように動かして見せた。

 どれも成功する可能性は低く、成功しても目立たない功績であっても、塵積っていけば大きくなる。実はこれは彼が手掛けた、あれも彼が手掛けたという評判は積もり積もって名声となり、強固な支持基盤を作り上げる。実際にリスクを負う立場の人間にとってみれば憎々しい限りだが、まったく逆の意味で彼が手掛けたということで目立たない功績が世に広く知られることにもなっている。

「故に先生ご自身につきましては、小官として何一つ申し上げることはないのですが……」
「が?」
「『犬のリード』はしっかりとしたものをお買い上げいただきたいと、思う次第であります」

 俺の言葉に、トリューニヒトの左手の人差し指がピクリと動く。表情筋は全く変わらず苦笑いを浮かべているが、僅かに開いた瞳が言い終えた後、音を上げてホットスムージーを啜る俺の顔に向けられているのが分かる。俺が言っていることがどういうことか、正直測りかねているようにも思える。であれば、直球っぽいスライダーを投げ込んでやるべきだろう。

「実は先生。小官も今夜ここに来るまでに、野犬の集団に襲われまして」
「野犬……それはいけないね、ボロディン君。大事なかったかい?」
「正直申し上げて背中がまだちょっと痛いのですが、人の友として調教された猟犬とは違って、見境なしに襲い掛かるだけの畜生に過ぎません。特に問題なく『処理』いたしました」
「……」
「後から来た治安警察の方にも駆除にご協力いただきました。今後の社会不安を考えますと、現場周辺での定期的な巡回と、マスコミによる注意喚起が必要と思われます」
「……」
「もし諸般のデータがご入用でしたら『ご用意』出来ますが、いかがでしょう?」

 これが脅迫なのはトリューニヒトも当然分かっている。俺が反戦市民連合のメンバーだとはつゆにも思ってはいないだろうが、襲撃に巻き込まれたことは理解しただろう。トリューニヒトの浮かべる笑みは一切変わらず、右手人差し指が蟀谷に当たっている。流石に怪物。声を上げて逆ギレするようなタマではない。

「……しかしこの国は自由の国だ。野犬が出るからと言って通行の自由を阻害するようなことはできないし、治安警察も他の重犯罪への対処に忙しい。国家の財政難は君のよく知るところだろうとは思うが?」
「幸い小官は軍人でして、銃器を使わずとも自分の身はそれなりに守れるつもりです。ですが一般市民はそうではありません」

 襲撃に際し、いきなり爆弾や家屋破壊弾を利用する奴らに対して銃器がどれほど役に立つかは不明だが、対立する二つの思想政治集団の私兵集団が法的に制約されなければ、武装のエスカレーションは歴史の証明するところだ。
 原作ではいわゆる左翼側の団体にそう言った武装集団の存在は記載されていない。恐らくソーンダイク氏のリーダーシップもあることだろうが、スタジアムの虐殺が発生した時、なぜか火炎瓶を用意している奴らが居た。ガソリンや灯油といった引火物資をなぜそんなに早く調達できたのかはわからないが、徴兵による軍事知識の市民内における一般化があることは間違いない。

「国家経済を支える善良な市民が、いつ襲われるか不安におびえるような社会になる前に、手は打っておくべきだと思われます」
「『善良な市民』が、自己防衛を名目に法を犯して武装するとは思えないが?」
「治安警察ご出身の先生には釈迦に説法とは存じますが、古来の農政家が残した言葉があります」
「ほう?」
「経済なき道徳は寝言であるが、道徳なき経済は犯罪である、と」

 反戦市民連合の根幹に戦争忌避がある以上、余程ソーンダイク氏が現実路線への転換を推進しない限り、言っていることは『寝言』に過ぎない。経済と軍事は主従の関係であって言葉の通りではないが、『寝言』にいちいち反応して武装集団を送り込むような過剰反応はするな、とは伝わるだろう。

 もちろんトリューニヒトとてまだ民主主義国家の一政治家であり、政権内で絶対的な勢力を構築するまでには至っていないわけだから、競争相手は早いうちに潰すという意識があってもおかしくはない。だが現時点で直接的に武力を用いるのは政治家としても悪手だ。トリューニヒトが分からないはずがない。それでも踏み切ったということは憂国騎士団自体の手綱が取れていない、と見るべきか。

「なるほど。それも正論だ」
 テーブルの上で手を組み、他人を魅了する笑みを浮かべ、トリューニヒトは俺を見つめて言う。
「君は優秀な軍人であり、政治分野にも広い視野と知性を持っているのは理解している」
「それは?」
「私の前職が警察官僚だということは君もご存知のことだとは思うが、出身セクションが公安とまでは知らないだろう。君の馴染みの軍情報部員に聞けば、もしかしたら教えてくれるかもしれないね」
「公安」
「反戦市民連合の前身は平和市民連合協議会と言ってね。ありとあらゆる左派の政治団体が加盟した緩い連合組織だったんだ」

 知識としては俺も知っている。協議会が選挙において同盟中央政権に指がかかったことは何度もあったが、その度に協議会から脱落や離反が起こり、あと一歩というところで逃してきた。
 それは純粋に内部での党派対立などもあったのだろうが、裏で中央情報局、軍情報部、そしてトリューニヒトのいた同盟警察庁公安部が、色々と工作してきたところもあるだろう。実際に反戦市民連合はソーンダイク氏を半ば追放寸前の状態にしていたし、政治団体としてはほぼ崩壊寸前だった。

「評議会議員を巻き込んだ上で軍内部にシンパを作り、帝国との無条件講和を求めて軍事クーデター寸前だったこともある。勿論その事実は未来永劫公表されることはないだろうが、善良な市民の誰もが持つ平和に対する欲望につけ込んで、帝国側が工作を仕掛けてきたことは一度や二度の話ではないんだよ」

 そして今夜。旧職時の仇敵に最期のとどめを刺すべく、憂国騎士団を差し向けたということだろう。それを何も知らない俺は、正義感に絆されて阻止した挙句、その復活に手を貸したというわけだ。さてこの状況を歴史はどう判断するか。他人事なら実に興味深いが、一方の当事者が自分というのは困ったものだ。だが当事者だからこそ言えることもある。

「畑に生える雑草を必要以上に強力な農薬で取り除くのは、畑自体の地力を損ないます。今後もより長く品質の高い収穫物を得たいのであれば、継続的で地味な草取りこそ必要かと私は考えます」
「君の言うのも尤もだ。だがね。相手はミントも裸足で逃げ出すくらい強力な雑草だ。竹と言ってもいい。人の見えない地面の下で、畑を林に変える機会をうかがっている。現時点で地表には姿を現してはいないがね」
「地下茎は元となる竹林から流れてきます。まずはそちらの手入れからするべきでしょう」
「ところが竹もそれなりに有用な資源でもある。ハッキリと分断するには、残念ながら距離が近すぎるんだ」
「狭義の意味では竹と笹は区別されますが、基本的には同じ種です。急成長する竹ばかりに目が行って、笹が実を付けていることはご存知ではないですか?」
「ネズミが増える。そう言いたいのはわかるよ。彼らが病原菌をバラまく可能性があるのもね。だが同じ齧歯類でもハムスターなら問題ない。それにハムスターが居ると、ネズミは家に寄りつかなくなるよ」

 フェザーンからくる凶悪な地球教徒をハムスター扱いとは恐れ入るが、『飼いならせる』理由が何処かにはあるのだろう。だがチェン秘書官が俺に囁いたサイオキシン麻薬の頒布の事実。正しいか間違っているかは、旧職に縁が深い怪物ならば当然理解している。

 原作では同盟国内におけるサイオキシン麻薬の流布についての記述は、地球教本部やオーディンなどの支部それにカイザーリング艦隊など話題に事欠かない帝国と比べて少ない。警察とマスコミの支配を自己の政治生命維持に費やしていた怪物だが、地球教徒を利用はしても麻薬の頒布は行わせない程度の分別はあるということか。

 それに帝国の憲兵隊のようなある意味超法規的な武装集団のいない同盟にあって、警察畑の怪物が、麻薬の撲滅のために帝国の治安組織とすら手を組んだことを知らないわけがない。

「小官はサイオキシン麻薬を頒布したり、無理やり使って人を従わせるような人間を、人間とは思っておりません。犬畜生にも劣ると思っております」
「当然だね。この国においてそんな蛮行は決して許してはならない」

 一〇〇点満点の回答のように聞こえるが、帝国やフェザーンではどうでもいいと言っているに等しい。あくまでも同盟国内で地球教徒が繫茂しようが、自分の立場や国内治安を揺るがすような行動をとらないのであれば黙認するし、その行動指針を逆手にとって利用してやろうとも思っている。正直溜息しか出てこない。感情を消した俺の三白眼と、魅了の魔力を持つ人の良さそうな怪物の眼差しが、料理の上で衝突する。俺も奴も、スムージー以外には手を付けてはいない。

 だが視線の衝突は一〇秒も持たずに、扉のノックで破られる。いかにも途中で席を離れて悪いねと言った笑みを浮かべたトリューニヒトは立ち上がって扉を開くと、そこには先程までの余裕を失った悪霊殿が立っていた。
 一言二言。内容までは聞こえないが、少し非難を含んだ口調で悪霊が怪物に何かを告げている。ようやく「結果」が届いたのだろう。治安警察の小隊長殿の肝っ玉が小さいのか、それとも純粋に能力に不足していたのか。だいぶ時間に余裕があったのは幸いだった。
 言わせるだけ言わせた後、軽く二回、悪霊の肩を叩いた怪物は、扉を閉めるとすぐには席に戻らず、書斎棚の下のところから明らかに隠しているといったウィスキーのボトルを取り出し、グラスも二つ出して両方に注いだ。そして俺が手を伸ばすより早く自分のグラスを手に取ると、それほど多くない中身を一気に喉へと送り込んだ。

「最低でも一ケ月、だそうだ」

 トリューニヒトがそう口を開いたのは、きっかり三分以上経過してからだった。

「いったいどんな魔法を使ったんだろうね。青年労働者は」
「稲妻でも走ったのか、嵐の必殺技でも使ったのかもしれません」
「もしそれが本当ならば、その青年労働者は超人だね」
 アルコール濃度の高い溜息とともに乾いた笑いが、トリューニヒトの口から洩れる。
「軍人とは本当に恐ろしい。いかにも人畜無害といった人間に見えて、ジャケットの下には猛禽が潜んでいる」

 軍人に対する恐怖感はホワン=ルイも語っていた通り。国内で唯一の合法的な暴力組織であり、構成する人間それぞれに心がある。いくら法律や軍規が行動を拘束しようとも、人は自らの信念によって動く。そういった手段と信念を持つ人間が、制度を乗り越え肥大化し、国家の中の国家となることは民主制国家の悪夢であることは十分理解できる。
 トリューニヒトが国防委員長になって以降、人事権を行使してクブルスリーやビュコック爺様の足元に自らの息のかかった人物を送り込んでいったのも、ある意味では軍閥化への恐怖の裏返しなのは原作でも述べられている通りだ。
 シトレに対するトリューニヒトの隔意も、『シトレ閥』と軍内部で公然と囁かれている事への裏返しだろう。逆にシトレのトリューニヒトへの隔意は、軍事ロマンチズムに基づく正しい民主主義国家のあり方との乖離ゆえに。双方の信念とが双方間の交流の無さが、双方が軍政・軍令の最高責任者であるタイミングで、あの致命的な遠征を招いたわけだ。

「トリューニヒト先生」
 俺は目の前ですっかり味が飛んでいそうなウィスキーグラスに左手を伸ばして言った。
「今の私が先生に言うのは脅迫以外の何者でもないですが、私は政治家としての先生の実力はこの国でも随一であると信じております」
「信じるのは君の自由だとも」
 合わせ鏡のように右手でグラスを傾けるトリューニヒトの声はいつもよりも固い。
「しかしね……」
「憂国騎士団を切り捨てろとか、そういう身の程知らずの事は申し上げません。これまでのご縁というのもあるでしょう。ですが、せめて使い方を誤らないように願います」
「……」
「今回はあまりの偶然でしたが、この国の五年後を担われる先生が、このようなことで足元を掬われることがあってはなりません」

 俺はグラスを置いて席を立ち、座ったままのトリューニヒトに向けて深く頭を下げた。

「民主主義国家の最高権力者の手は、なるべく綺麗であるべきです。如何なる色の血でも汚してはなりません」

 頭頂部からギッという、椅子を傾ける音がする。頭を上げてみれば怪物は目を瞑り、両手を腹の上で組んで首を仰け反らせている。返答次第では俺が持っているデータを軍情報部とマスコミに流し、ようやく拡大基調にあるトリューニヒト中心の国防会派を潰しにかかるかもしれないと考えているのだろうか。

「……君は本当に政治家になるつもりはないのかね?」
 二分ばかりの沈黙の後で、トリューニヒトは目を閉じたまま問いかける。勿論俺の回答は決まっている。
「二言はありません」
「君のこれまでの経歴と能力からすれば、流石にブルース=アッシュビーとは言わなくても、ウォリス=ウォーリックよりは政治家としてうまく立ち回れるはずだ。それでも?」
「私の夢は軍にあるうちに帝国との戦争が終わるか小康状態となり、自分より年下の赤毛の美女と結婚し、あくせく働かずとも二人と子供二人位で食っていけるようになることです」

 それが最高ではあるが、目的は生存中の同盟という国家の存続と再生。原作通りに話が進むのであれば、金髪の孺子の首を獲るか、宇宙暦八〇一年七月二七日まで銀河の半分が民主主義国家である状況を作り上げることだ。
 だが蛙のような目が開いて俺を見つめるトリューニヒトの顔は、つい先程とは全く違って興味津々と言った感じだった。俺にも少なからず欲望があり、清教徒的な軍国主義者ではないとハッキリ理解したからだろう。

「引く手数多といわれる君が結婚しないのは、やはり約束した人でもいるからなのかね?」
「そんなデマを飛ばす下種は誰です?」

 ラージェイ爺のチケットを使う機会がない程度の忙しさでそんな出会いなどないし、戦争のおかげでフェザーンに飛んでいくことができない。そして職場に美しい化蛇が棲み付いて身の回りの世話をしているという話があって、引く手数多どころか砂漠状態だ。思わず握られた拳に気が付いたトリューニヒトが、お茶目さと下品さの絶妙な間隔を抜くような芸術的なウィンクを見せる。

「おっと、それは言えないね。言ったらまたぞろ君の仮面の下から猛禽が出てくるだろう?」
「ペニンシュラ氏ですか?」
「残念ながら違うね。これは本当だよ?」

 苦笑を浮かべながら手を振ると、トリューニヒトは俺に向かって今一度席に座るよう軽く指図する。俺がそれに従って腰を下ろす間に、空になった二つのウィスキーグラスを再充填した。しかしすぐグラスを取ることなく、机の上で手を組み右手人差し指だけ突き出して眉間に当てつつ、俺を見つめながら言った。

「政治家にならないというのであれば、君にはしばらく前線に出てもらいたい。早急に武勲を上げるには、正規艦隊に居ては何かと不都合だろう」
「小官の希望としては第五艦隊に戻れるのでしたら、どの部署であろうと不平はありません」
「君があの老提督を深く敬愛しているのは分かる。だが私としては『君個人の』武勲をなるべく早く立てて欲しいのだ」

 それはモンティージャ大佐が言っていたことと同じだ。第五艦隊に戻ろうとすれば、恐らく爺様は散々嫌味や愚痴を言いながらも司令部に俺の席を作ってくれるだろう。だがそれでは第五艦隊の出動ローテ以外で武勲を上げる機会はなく、あの大侵攻の時点でも准将がせいぜいだ。幕僚としてスピード出世するには、人が恥をかいた時に手柄を立てつつ、艦隊が致命的な危機に陥った時に魔術を披露するしかない。

 流石にそんな奇跡をトリューニヒトが想像できるわけではない。ので俺個人の武勲をということから、中佐の身分でそれが叶うのは、最前線付近にある辺境管区配備の哨戒隊指揮官しかない。戦艦一分隊、巡航艦二分隊、駆逐艦二分隊、支援艦一分隊で定数は三五隻。兵員は四五〇〇人から五〇〇〇人。先任旗艦艦長を兼務することになる。だが実際は隊司令の仕事に専従し、旗艦は最先任副長(少佐)が指揮を執る。中佐としては最小クラスとはいえ、一国一城の主という身分だ。

 しかし基準赴任期間は二年。新編制で哨戒隊がマトモに定数を編成されることはまずない。そして配備される管区にもよるが、赴任期間における致死率は二五%を超える。損害率ではなく致死率だ。文字通り四隻に一隻は生きて帰れない。

 これは本来の意味は飼い犬を虐めた報復か。それとも悪霊の派遣先からの圧力から庇う為か。だが取りあえず俺を軍上層部で使える駒として確保しておきたいという意思は分かる。
 しかし現職では前線に出ることはまずないので出世は遅くなる。正規艦隊に幕僚職で入れても同じ。下手をすれば現在は第八艦隊司令官のシトレが干渉してきて搔っ攫われる恐れがあるが、哨戒隊ならば所属は宇宙艦隊司令部ではなく統合作戦本部星域管区隷下となるので、統本に圧力をかけておけばいい。まぁ二年の赴任期間のうちに戦死したら、運が無かったと諦めるつもりだろう。実にトリューニヒトらしい他責主義だ。

「君が私を高く評価してくれていると同様に、私も君を高く評価しているんだよ」

 正直トリューニヒトの軍人に対する評価など、パストーレやムーアの例を見るまでもなく信用ならない。だが大侵攻を阻止するだけの権威を作る為には、救いがたい暗黙のルールとはいえ目に見える個人の武勲が必要だ。後方勤務で政治家や実業家を動かして阻止しようとしても、中佐のままではできることに限りがあるし、武勲なしでは五年間で大佐になれれば御の字だ。他人の命を出世の種に使う嫌悪に堪えつつも、これは引き受けざるを得ない。

「今期の予算はいかがいたしましょうか?」
「勿論、キッチリと八月まで仕事をしてもらうよ。途中で仕事を放り出されては、私も官僚のみんなから突き上げられて、些か困るからね」

 そう言うとトリューニヒトは中身の入ったウィスキーグラスを俺の方へ向けて持ちあげて言った。

「近い将来の正規艦隊司令官殿、そして未来の統合作戦本部長閣下に」

 言っている言葉はお世辞であっても、お世辞に感じさせない見事な抑揚に、俺は腹の底で舌を出しつつもグラスを上げてそれに応えるのだった。
 
 

 
後書き
2024.08.29 投稿

C104に平蔵文庫(平八郎名義)は再びサークル参加する機会に恵まれました。
酷暑の中で当サークル迄足をお運びいただいた皆様に感謝申し上げます。
まさか自分が皆様から差し入れを頂いたり、感想を便箋で頂いたりするとは思ってもいませんでした。(まだお返事できずにすみません。ごめんなさい)
完全に自己満足な拙い二次創作であるにも関わらず、ここまでしていただけるとは作者冥利に尽きます。
改めて御礼申し上げます。

次回は冬コミ(C105)を想定しております。当選すれば③のツンデレお嬢のエルファシル戦記は出す予定です。表紙のヒロインもろバレですね。④のダゴン星域会戦は出せると思いますが、筆者の挿絵の能力次第です。

酷暑と豪雨が続き、大変な時代になってしまいましたが、今後も『ボロディンJr奮戦記』をよろしく御贔屓くださいますよう、お願い申し上げます。 
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