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星々の世界に生まれて~銀河英雄伝説異伝~

作者:椎根津彦
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第九十三話 本音と建前

帝国暦487年2月6日13:15
ヴァルハラ星系、オーディン、銀河帝国、銀河帝国軍、ミュッケンベルガー元帥府、宇宙艦隊司令部、
宇宙艦隊副司令長官公室、
イザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼン

 「大佐はどう思いますか」
「参謀長のお考えが宜しいかと」
「そうですか。フェルデベルト中佐は如何です?」
「小官も同様です」
キルヒアイス参謀長が深く頷く。参謀長を含め我々参謀が今取り組んでいるのは、叛乱軍の迎撃体勢についてだった。明確に示された訳ではないが、攻め寄せる叛乱軍に対してはミューゼル副司令長官の艦隊を含む五個艦隊が初動対処する事になっていた。ミュッケンベルガー元帥麾下の十個艦隊は帝国国内の緒情勢へ対処が求められている。

 「参謀長、率直な疑問なのですが」
フェルデベルト中佐が口を開く。
「何でしょう、中佐」
「元帥閣下の副司令長官に対する信頼の現れだとは理解しているのですが…対叛乱軍用の戦力が五個艦隊では心許なくありませんか。もう二個艦隊ほど回していただければ、我々もこれ程頭を悩ませる事もないのですが」
「そうですね…ですが、対外兵力をこれ以上増強出来ないくらいに国内情勢は悪化している、と元帥閣下はお考えの様です。ミューゼル閣下もそれは理解しておれられます」
「それほどまでに国内情勢は悪いのですか」
俺もフェルデベルト同様にそう思う。
「悪い、というより今後の悪化が避けられないと元帥閣下はお考えの様です」
「それは何故ですか」
「…畏れ多い事ですが、皇帝陛下の体調が原因です。陛下は御世継ぎを示しておられません。もし陛下がお亡くなりになられた場合、帝位を巡って帝国国内にて内乱、またはそれに類する騒擾が生起する恐れがあります。その場合、軍はそれを鎮圧せねばなりません」
「…元帥閣下の率いる艦隊司令官達が、元帥閣下の子飼いの方達が多いのはその為ですか」
「はい。同じ理由でミューゼル閣下の率いる艦隊司令官達も、ミューゼル閣下と親しい方達で固めています。叛乱軍と対峙している時に裏切られては叶いませんからね」
フェルデベルトは何度も頷いていた。おそらくそうだろうと思ってはいたが、ここまで露骨に戦力を分けるとはな…ミュッケンベルガー元帥やミューゼル副司令長官に近い人間であれば意図を理解出来るだろうが、外野はどう見るだろうか。ここまであからさまな人事では、元帥と副司令長官の仲が悪いと考える輩も少なからず存在するだろう。それに理由も理由だ、皇帝陛下の寿命を理由に兵力配置を行うなど、不敬罪ととられてもおかしくはない行為だ。まあ、であるからこそ明確な命令が出されないのだろうが…。

 「トゥルナイゼン大佐は如何です?疑問はありませんか?率直な疑問ほど事態の本質に直結している事が多いものです。あるのならば遠慮せずにどうぞ」
そう言ってキルヒアイス参謀長は穏やかな顔を俺に向ける。キルヒアイス、それにミューゼル…まさか幼年学校の同期に、しかもこの二人に仕える事になるとは思わなかった。姉が皇帝陛下の寵姫であのをいい事にそれを鼻にかけた不遜な態度…能力はあるが、かたや貴族とは名ばかりの帝国騎士、かたや平民、親しくなる必要など全く感じられなかった。それが今は……。
「疑問はありません、ですが…」
「ですが…何でしょう?」
「時代を感じますな」
「時代、ですか」
「はい。激動の時代、という気がします。内乱の可能性を理由に、ここまであからさまな戦力配置が行われた事はありません。いい時代に生んでくれたものです。内乱、そして叛乱軍…武勲はそこらじゅうに転がっている。帝国の為、副司令長官の為、そして自分の為にも気張らねばなりませんな」
「そう、ですね。ですが、気張る前に一休憩としましょうか」
参謀長が従卒を呼び入れ、自分の財布を従卒に渡した。好きな物を見繕って買って来て下さい、と従卒に申しつける。従卒にとっては役得だ、満面の笑顔で公室を出て行く。俺やフェルデベルトにとってもありがたい事なのだが、一つ困った事がある。従卒の好みなのか参謀長の好みなのかは分からないのだが、やたらと甘い物が多い事だ。ザッハトルテ、キルシュトルテ、クレームダンジュ…多いだけではなく、異様に詳しいのだ。そういうご婦人とお付き合いでもしているのだろうか。もしそうなら俺は甘い物好きな女と付き合のは止めよう、公私共に甘い物漬けにでもなったら確実に寿命が縮む…。

14:05
宇宙艦隊副司令長官執務室、
ラインハルト・フォン・ミューゼル

 「はい、副司令長官執務室です……はい、在室していますが…はい、代わります…閣下、司令長官よりお電話です」
フェルナーが電話を取り次ぐ、何かあったのか…。
「ミューゼルです……はい、了解いたしました」
電話を切ると、フェルナーが興味ありげに口を開く。
「閣下、何かあったのですか」
「辺境できな臭い動きが発生している様だ。辺境…元帥閣下が仰ったのはフォルゲンだが、民間商船が彷徨いていたらしい」
「商船ですか」
「そうだ。一隻拿捕したそうだ。臨検の結果、フェザーン船籍の商船だった」
「フェザーン船籍なら問題無いと思いますが…元帥閣下はそうお考えではない様ですね」
「うむ。調査の結果、フェザーン船籍の商船には間違いないのだが、その船が所属しているのは叛乱軍の輸送会社らしい」
「よく分かりましたね」
フェルナーのいう通りよく調べたものだ。事実なら、叛乱軍は帝国領内で経済活動を営んでいる事になる。

 「どう思う、フェルナー」
「積荷は何だったのでしょう」
「空だったそうだ。しかし行き先はオルテンベルク…フォルゲン宙域に存在する星系だ。出発地はアムリッツァ宙域のミュンツァーだ」
「面妖ですね。乗組員は叛乱軍ですか?」
「そこが微妙なところだ。ミュンツァーの民間人らしい。地理的には叛乱軍の領域だから、叛乱軍と言ってもおかしくはないんだがな。本来なら逮捕拘禁だが、臨検を実行した駆逐艦の艦長は商船を解放したらしい」
「迷わず拘禁すべきでしたな…叛乱軍所属とはいえ、民間の商船でフェザーン船籍ですから、その艦長も手に余ったのでしょう。という事はその商船は今頃はオルテンベルクに到着しているという事になりますが」
「そういう事になる」
「…辺境の哨戒を閣下が行われてはどうでしょう。無論閣下ご自身ではなく、麾下の艦隊で、という事ですが。家の中で害虫を一匹見かけたら、十匹は居ると思え…と母親に言われた事があります」
「貧乏していた頃、姉にも同じ事を言われたよ」
今の姉上を想像したのだろう、フェルナーは声を立てずに笑いだした。
「…申し訳ございません」
「いや、構わない。艦隊の状況は」
「休暇に出ている乗組員もおりますから、数日中には。付け加えますとケスラー提督の艦隊がシャンタウにて訓練中です」
「ではケスラーにやらせよう。他の艦隊についても早急に出撃準備を完成させるようにと隣室のキルヒアイス参謀長に伝えてくれ」
「了解いたしました」
フェルナーが隣室…公室に向かおうとすると、再び電話が鳴った。
「…司令長官からです。来て欲しいとの事です」
「解った。すぐ向かうとお伝えしてくれ」


宇宙暦796年2月15日10:00
バーラト星系、ハイネセン、ハイネセンポリス中央区、自由惑星同盟、最高評議会ビル、評議会第二会議室
ヤマト・ウィンチェスター

 
今日はここ最高評議会ビルで、最高幕僚会議が開かれている。参加者は最高評議会の各委員会の委員長と書記、軍からはグリーンヒル本部長と俺、出兵案の発案者としてムーア、ルグランジュ、ホーランドの各中将が参加している。軍からの参加者として本部長や発案者の三中将が出席するのは当然だとしても、俺まで参加させられる羽目になった。
『貴官なら実戦兵力の統括者代表として相応しいじゃろう。儂は冗談は好きじゃが弁舌は苦手での。思い切り本音をぶつけるといい』とはビュコック長官の弁だ……まあ政府のお歴々が何を考えているのか興味はある、長官代理として頑張るか…。

 自由な討議で活発な意見交換を求めるとの事だけど、誰も発言しようとしない。発言の順序でも決まってるのか?仕方ない、俺が口火を切るとするか…何て言おう、この手の会議でそもそも誰がどう発言していたか…思い出せ、思い出せ…。
「我々は軍人である以上、赴けと命令があれば何処へでも赴きます。既にアムリッツァを領し、更に帝国中枢へ向けて進撃する、と言うのであれば喜んで出征します。しかし雄図と無謀はイコールではありません。この遠征の戦略上の目的が何処にあるのかを伺いたいのですが」
俺の発言に対して最高評議会議長サンフォードが深く頷きながらムーアに目配せした。議長の意を組んだムーアが口を開く。
「副司令長官の仰る通り、我が同盟はアムリッツァを確保しました、それによって国内は建国以来の熱気に満ち溢れております。ここで更に大戦略を推し進め帝国中枢に近付く…さすれば帝国辺境は枯れ落ちる事は必定、それは帝国の国家経営に大打撃を与えるばかりか、帝国の心胆を寒からしめる事が出来るでしょう」
それがムーアの答えだった。理は叶っている。そう、理は叶っているんだ、理にはな…。

「作戦案を見せて貰いました。ヴィーレンシュタインまで進出するという事ですが、帝国軍も迎撃に出てくるでしょう。ヴィーレンシュタインを抜ければシャンタウです、帝国中枢に近い。当然帝国軍の迎撃体勢も大規模なものになると思いますが、それについてはどうお考えですか」
「それは高度の柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対処する事になります」
フォークよう、真似されてるぞ…似たようなシチュエーションで同じ名台詞を聞けるなんて…だけど実際に聞くと本当に呆れてしまう…。

 「要するに行き当たりばったりと言う事ではないかな」
同様に呆れたのだろう、ホアン・ルイが肩をすくめて失笑した。トリューニヒトやレベロは腕を組んでしかめ面だ。軍事の専門家ではないホアンですらそういう感想なのだ。一応ムーア達は職業軍人の将官でプロの筈なのだが、素人にすら呆れられてしまう作戦というのはどういう事なのだろう…作戦案を何度見ても、大まかな事しか述べられていない。小学生レベルの作文みたいだ。細部に関しては軍部で詰めるとでも考えているんだろうが、そもそも軍部の方針はアムリッツァ長期持久なのだ。ムーア達はそれを認識しているのだろうか?方針に反する出兵案をトリューニヒトや本部長が諸手を挙げて歓迎すると思っていたのだろうか?

「そもそも軍部の基本方針はアムリッツァの線での長期持久ですが、帝国領内に侵攻する時期を現時点にさだめた理由をお聞きしたい」
ムーアはどう答えるのだろう、まさか政権支持率の為とか武勲が欲しいからとは言わないだろうが…流石に言いづらい様だ、言い澱むムーアにホーランドが助け船を出した。
「戦いには機と言うものがあります。その戦機を逸しては運命の神の寵愛を得る事は出来ません。後から悔いる…小官は後悔という言葉の見事な実例を示したくはありません」
そう言い放ったホーランドの顔は紅潮している…まったく説明になってない。自分の願望を述べただけじゃないか…。
「ホーランド提督、つまり現在こそが帝国に対して攻勢に出る機会だと貴官は言いたいのですか?」
「その通りです。聞く所によりますと現在の帝国軍が辺境防衛にまわせる兵力は五個艦隊程とか…しかもそれを率いるのは新しく宇宙艦隊副司令長官に任じられた新任の若い大将です。恐れる事はありません、我が方が動員するのは十個艦隊、子供でも分かる簡単な算術です。必ず勝利する事が出来ます」
ホーランドの説明を受けて今度はルグランジュが後を続ける。
「敵の副司令長官は若年のミューゼル大将、姉が皇帝の寵姫であり、コネのおかげで重用されているに過ぎません。ミュッケンベルガーが前線に出て来ない今こそ、絶好のチャンスなのです」
三者が三様に発言を終えると、会議室は静かになった。願望、楽観論、過小評価による希望的観測だけが一人歩きしている。悪い意味で、そういう見方も出来るのか…と感心させられるくらいだ。

 会議室がひとしきり静かになった後、グリーンヒル本部長が発言を求めた。
「三人共、そういう楽観的観測は危険だ。敵のミューゼル大将がたとえコネで重用されていたにしても、その戦術能力は非凡だ。敵に倍する兵力を持っていたとしても苦戦は間違いない。その能力に裏付けがあるからこそ前線を任されているとは貴官等は考えないのか」
本部長の言葉は重い。直接ではないにせよ、本部長はボーデンで味方の三個艦隊がラインハルトに撃破されていくさまを見ている。本部長の立場からすれば、目の前の三馬鹿を蹴り飛ばしたいくらいだろう。
「本部長がボーデンでの事を仰っているのであれば…あれは帝国軍にとっての好条件が重なっただけです。索敵監視さえ怠らなければ、二度と遅れを取る事はないでしょう」
ムーアの発言に対して本部長が言い募ろうとした時、サンフォード議長が艶のない声で本部長の発言を遮った。
「一旦休憩としよう」

 昼食を兼ねた休憩が終わり会議が再開された。最初に発言を求めたのは財政委員長ジョアン・レベロだった。
「妙な表現になりますが、今日まで銀河帝国とわが同盟とは、財政のかろうじて許容する範囲で戦争を継続してきたのです。しかし……」
 これまでに戦死した将兵の遺族年金だけでも、毎年、約一〇〇億ディナールの支出が必要になる。このうえ戦火を拡大すれば、財政が持たない事は自明の理だった。アムリッツァを確保して国内経済が活性化しているからこそ小康状態を保っているものの、財政健全化はまだ遠い先の話だろう。

「財政がようやく健全化に向かいつつある今、更に大規模な軍事行動を続けるという事は、赤字に転じるという事です。それを避けるには国債の増発か増税か、昔からの二者択一です。それ以外に方法はありません」
「紙幣の発行高を増やすというのは?」
 議長が問うた。
「現在の好景気は特需の様なものです、永遠に続く訳ではない。しかも戦争はどう転ぶか分からない。財源の裏付けがないのです。そんな中で紙幣の増発など行ったら、十年後には紙幣の額面ではなく重さで商品が売買されるようになりますよ。私としては、超インフレーション時代の無策な財政家として後世に汚名を残すのは、ごめんこうむりたいですな」
「しかし戦争に勝たねば、十年後どころか明日がないのだ」
「では戦争そのものをやめるべきでしょう」
 レベロが強い口調で言うと、室内がしんとした。
「今この場にもいらっしゃるウィンチェスター副司令長官のおかげで吾々はアムリッツァを得た。その過程でイゼルローン要塞を失った帝国軍はわが同盟に対する侵略の拠点を失った。同盟が有利な内に休戦すべきでしょう」
「しかしこれは絶対君主制に対する正義の戦争ですよ。彼らとは倶に天を戴くべきではない。不経済だからといってやめてよいものではないでしょう」
そう反論したのは情報交通委員長のコーネリア・ウィンザーだ。本当にとんでもない時にとんでもない事を言いやがる。案の定、議長と三提督がウンウン頷いている。正義の戦争か…莫大な流血、国家の破産、国民の窮乏。正義を実現させるのにそれらの犠牲が不可欠なのだとしたら、正義ってのはロクでもない奴だよ…。

 レベロに続いて発言を求めたのは、人的資源委員長として教育、雇用、労働問題、社会保障などの行政に責任を持つホワン・ルイだった。俺はこの爺さんが好きだ。彼も原作同様出兵反対派である。
「人的資源委員会としては……」
 ホワン爺さんは小柄だが声は大きい。
「本来、経済建設や社会開発に用いられるべき人材が軍事方面にかたよるという現状に対して、不安を禁じえない。好景気の一方で教育や職業訓練に対する投資が減っているのだ。労働者の熟練度が低くなった証拠に、ここ六ヶ月間に生じた職場事故が前期と比べて三割も増加している。ルンビーニ星系で生じた輸送船団の事故では、四〇〇余の人命と五〇トンもの金属ラジウムが失われたが、これは民間航宙士の訓練期間が短縮されたことと大きな関係があると思われる。しかも航宙士たちは人員不足から過重労働を強いられているのだ」
 明晰できびきびした話しかたであった。
「先年、軍から四百万人の人材が民間に戻って来た。国防委員長の英断にはまことに頭の下がる思いだ。だがそれでも社会は人材が足りない。先に述べた事故も技術者が足りない事が原因だ。現在、国内の景気は上向きに推移しているからどの業界でも資格保持者は引く手あまただ。結果、資格取得の為の教育期間を短縮してでも現場に人材を送り込まなければならないという本末転倒な事態が発生している。国防委員長にはまことに申し訳ないが、軍に徴用されている技術者、輸送および通信関係者のうちから更に二〇〇万人は民間に復帰させてほしい。これは最低限の数字だ」
 会議室を見わたすホワンの視線が、国防委員長トリューニヒトの面上で停止した。
「ホアン委員長、無理を言わないでほしい。四百万人戻すだけでも大変だったのだ。更に二百万人もの人数を後方勤務から外されたら軍組織は瓦解してしまう」
「国防委員長はそうおっしゃるが、そうでもしないと早い時期に社会機構と経済は停滞に向かうだろう、景気は上昇しているのにだ。結果として軍も戦争遂行など無理という話になるのだが…現在、首都の生活物資流通制御センターで働いているオペレーターの平均年齢をご存じか」
「……いや」
「四二歳だ」
「異常な数字とは思えないが……」
 ホワンは勢いよく机をたたいた。
「これは数字による錯覚だ! 人数の八割までが二〇歳以下と七〇歳以上で占められている。平均すればたしかに四二歳だが、現実には三、四〇代の中堅技術者など少ないのだ。社会機構全体にわたって、ソフトウェアの弱体化が徐々に進行している。これがどれほど恐しいことか、賢明なる参加者各位にはご理解いただけると思うが……」
ホワンは口を閉じ、ふたたび一同を見回した。まともにその視線を受けとめた者はレベロ以外にいなかった。ある者は下を向き、ある者はさりげなく視線をそらし、ある者は高い天井を見上げた。くっそ、原作の名シーンだ、違う意味で嬉しくて身震いしてしまう…。
「つまり民力休養の時期だということです。イゼルローン要塞とアムリッツァを手中にしたことで、わが同盟は国内への帝国軍の侵入を阻止できるはずだ、それもかなりの長期間にわたって。今正に現状はそうなっている。とすれば、何も好んでこちらから攻撃に出る必然性はないではないか」
 ホワン爺さんがそこまで言うと、再びレベロが発言する。
「人的資源委員長の言う通りだ。これ以上、市民に犠牲を強いるのは民主主義の原則にももとる。それに、軍部の長期持久という方針に対しては市民からの反対の声はそれほど聞こえない。という事は、同盟市民もまた民力休養を考えている事になる」
 そのレベロの発言に対し反駁の声が上がった。声を上げたのはまたしてもウィンザーだった。本当にろくでもない奴だ、新任されたばかりだから存在感をアピールしているんだろうが…。
「大義を理解しようとしない市民の利己主義に迎合する必要はありませんわ。そもそも犠牲なくして大事業が達成された例があるでしょうか?」
「その時期は今ではない、と市民は考えているのだ、ウィンザー夫人」
 レベロは彼女の公式論をたしなめるように言ったが、効果はなかった。
「どれほど犠牲が多くとも、たとえ全市民が死にいたっても、なすべきことがあります」
「そ、それは政治の論理ではない」
 思わず声を高めたレベロをさりげなく無視して、ウィンザー夫人は会議室を見渡して、よく通る声で意見を述べはじめた。
「わたしたちには崇高な義務があります。銀河帝国を打倒し、その圧政と脅威から全人類を救う義務が。民意に迎合して、その大義を忘れるのは果たして同盟の為政者の取る態度と言えるでしょうか」
 ウィンザーは四〇代前半の美魔女、といってもおかしくない容姿の持ち主でしかもその声はとても耳に心地よい…まあ俺のタイプではないけども…だけど、全うな人間であれば彼女の発言こそ危険に感じるだろう、ウィンザーの方こそ安っぽいヒロイズムに足首をつかまれているのは明白だ。
 レベロがふたたび反論しようとしたとき、それまで沈黙していた議長サンフォードが初めて発言した。
ええと、ここに資料がある。みんな端末の画面を見てくれんか」
 全員がいささか驚いて、とかく影の薄いと言われる議長に視線を集中させ、言われた通り端末に目をやった……おいおい、俺達軍人もいる前でこれを言うのか?
「こいつはわが評議会に対する一般市民の支持率だ。けっして良くはないな」
 約四十パーセントいう数値は、列席者の予想と大きく違ってはいなかった。ボーデンでの軍の醜態のせいもあったろうが、ウィンザー夫人の前任者が、不名誉な贈収賄事件で失脚してから何日もたってはいなかったからだ。
「一方、こちらが不支持率だ」
 五十六パーセントいう数値に、吐息が洩れた。予想外のことではないが、やはり落胆せずにはいられない。
 議長は一同の反応を見ながら続けた。
「このままでは十二月の選挙に勝つことはおぼつかん。この政権は終わりを迎えるだろう。それを頭に入れた上でこの資料を見て貰いたい」
 議長は声を低めた。意識してか否かは判断しがたいところだったが、聞く者の注意をひときわひく効果は大きかった。
「シミュレーションの結果、十一月までに帝国に対して画期的な軍事上の勝利を収めれば、支持率は最低でも一五パーセント上昇することが、ほぼ確実なのだ」
 軽いざわめきが生じた。流石に三提督も呆れている。議長を煽ったのが自分達だとはいえ、まさかこの会議でそれを言い出すとは思わなかったのだろう。議長の発言は軍人のいる前では絶対に言ってはならない事だった。
「軍部からの提案を投票にかけましょう」
 ウィンザー夫人が言うと、数秒の間をおいて数人から賛同の声があがった。この場にいる政治家の全員が、権力の維持と選挙の敗北による下野とを秤にかけている…。
「待ってくれ」
 レベロはそう言いながら座席から半ば立ち上がった。太陽灯の下にいるにもかかわらず、その頬は老人じみて見えた…。
「吾々にはそんな権利はない。政権の維持を目的として無益な出兵を行なうなど、そんな権利を吾々は与えられてはいない……」
 レベロの声が震えている。アニメで観ても衝撃を受けたが、現場でそれを見せつけられると、政治家というのは何を考えているんだ、と思う。本当にとんでもない、これだったらまだトリューニヒトの方がマシだ。この世界のトリューニヒトは自分の願望と現実の折り合いを上手くつける事の出来る現実的な政治家だ。

 「まあ、きれいごとをおっしゃること」
ウィンザーの冷笑は華やかだった。それに反論するのも無意味と思ったのだろう、レベロは背もたれに思い切り身を預けると会議室の天井を見上げている。それを見たホワン爺さんが苦笑しながら嗜めた。
「頼むから短気を起こしなさんなよ」
 彼は呟き、投票用のボタンに丸っこい指を伸ばした。レベロだけではなく議長以下の閣僚達が可否を決めるボタンに手を伸ばす。俺達軍人には投票権はない。この場では軍人はあくまでも助言者に過ぎない。
 
 賛成六、反対三、棄権二。有効投票数の三分の二以上が賛成票によって占められ、ここに帝国領内への侵攻が決定された。だが票決の結果が評議員たちを驚愕させた。出兵が決定されたことがではなく、三票の反対票のうち一票が、トリューニヒトだった事だ。たとえ反対だったとしても多数につくだろう、賛成した閣僚達はそう思っていた筈だ。現に一番驚いているのはイカれた主張をしていたウインザーだった。トリューニヒトは普段から帝国打倒を叫ぶ強硬派とみられていたからだ。レベロやホアンも少なからず驚いていた顔をしている。
「私は愛国者だ。だが愛国者だからといって無闇に戦うべきだとは思ってはいない。私がこの出兵に反対であったことを銘記しておいていただこう」
 それが声無き疑問の声に対する、トリューニヒトの答えだった…くそ、少しだけトリューニヒトがカッコ良く見えちまったじゃないか!ヤンさんにも見せてあげたかったなあ…とそれは置いといて…最高幕僚会議からの提案による出兵案は採用された、という事はこの出兵案は最高評議会議長の責任において実行される事になる。それに反対した三人はサンフォード議長と対決する姿勢を見せた、という事だ。選挙後が見物だな…。

 議長以下の閣僚達が出て行くと、軍人だけが会議室に残された。当然ながら三提督もこの場に残っている。三人の顔には憔悴という二文字が彫られてあった。
「ムーア提督」
「何でしょうか、副司令長官」
「折角皆さん三人が建前を取り繕ったのに、議長が台無しにしてしまいましたね。あそこまでハッキリと政権維持の為と言われると、我々としてはぐうの音も出ない。そうではありませんか」
「申し訳ありません。我々はただ…」
「いいのです、作戦の考え方としては正しいのですから。ただ、諸問題がある…正直に答えて下さい、皆さんは自らの自己実現の為に出兵案を議長に持ち込んだ、そうですね?」
「はい、その通りであります」
「軍の方針がアムリッツァ長期持久という事は認識していますよね?出兵案がそれに反する事も」
「はい」
意外とムーアは素直だった。まあ議長が本音を言ってしまったのだ、これ以上恥の上塗りをしても仕方ないと思っているのだろう。
「分かりました。今後は本部長やトリューニヒト委員長の同意なく恣意的に動くのは止めて下さい。副司令長官としての命令です。宜しいですね」
三人が許可を得て退出すると、グリーンヒル本部長が大きなため息をついた。まあ気持ちは分かる。
「ウィンチェスター提督、予想はしていたが大変な事になったな」
「まあ、トリューニヒト委員長が節を曲げずに反対票を投じたのがせめてもの救いです。これでサンフォード議長もトリューニヒト委員長の頭越しに無理難題を言う事はないでしょう」
「そうだな…では君の言っていた捕虜の件と帝国辺境への働きかけだが…実行に移すかね?トリューニヒト委員長もご存知だからスムーズに動くと思うが」
「宜しくお願いします」
長期持久と再出兵…相反するこの二つをどう整合させるか…大仕事だな…。

  
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