八方塞がり
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第六章
「少なくとも今よりはいいでしょ」
「今か」
「そう、今よりはね」
「今はある」
そう言われてもまだこう言う宇山だった。
「だがもう未来は」
「未来はないっていうのね」
「共産主義が未来の筈だった」
革命によってそれが訪れ人類社会はユートピアに入る、少なくとも彼はこれまでそう確信してきたから言う言葉だった。
「だがそれも」
「だから。そうして考えても仕方ないから」
それでだというのだ。
「行きましょう、京都にね」
「気分転換にか」
「それならいいでしょ。未来とかは別にね」
「ただの気分転換でか」
「このままじゃどうにもならないわよ」
茫然自失となった、そのままではだというのだ。
「だからね。いいわね」
「そうだな。それじゃあな」
「京都の何処に行くかは私が決めるから」
「そうしてくれるんだな」
「何処でもいいわよね」
「ああ、いい」
別に構わないとだ。彼も答えた。こうしてだった。
宇山は妻の幸恵と共に京都に旅行に出た。彼にとって都合のいいことに大学は夏休みで子供達も大きくなっている。旅行に出ても大丈夫だった。
それで京都に着いてまずはだった。
幸恵は南禅寺に来た。そこでだ。
湯豆腐と二人で食べた。そうしながら笑顔で言うのだった。
「このお豆腐って」
「何か違うな」
「あれよね。幾らでも食べられそうな感じよね」
「俺は実は豆腐はな」
宇山もその豆腐を食べている。そうしながら妻に述べる。
「好きだがな」
「食べ過ぎるとね」
「豆腐の。独特のえぐ味があるけれどな」
「このお豆腐は違うわね」
「美味いな」
「ええ、それもかなりね」
「こんな豆腐があるんだな」
宇山は食べながら言っていく。
「凄いな。ただな」
「ただっていうと?」
「寺か」
彼は寺のことを問題視した。そしてこう妻に言ったのである。
「ここはちょっとな」
「お寺嫌い」
「俺は無神論者だぞ」
共産主義は宗教を否定している、この考えは共産主義独自ではなくそのルーツであるジャコバン派からはじまっていることだ。
「だからな」
「そうよね。あなたお寺も神社も行かないからね」
「教会もな」
キリスト教や天理教もだというのだ。
「行ったことがない」
「学生時代からね」
「なかった。それでもか」
「食べに来てるからいいじゃない」
幸恵は微笑んで宗教のことを話す夫に告げた。
「だからいいじゃない」
「いいか」
「神様も仏様も信じなくてもね」
「美味いものを食うならか」
「別にいいでしょ。そうじゃないの?」
「そうだな。それじゃあな」
「ええ、食べてね」
そしてだというのだ。
「他の場所にも行きましょう」
「今度は何処に行く」
「もう決めてるから」
夫には言わないがだ。それも既にだというのだ。
「安心してね」
「そうしていいんだな」
「そう。それじゃあね」
「ああ、これを食べてな」
「次の場所に行きましょう」
妻は微笑んで夫に話す。それからだ。
南禅寺の山門、歌舞伎の石川五右衛門の演目にも出て来る上から見ればまさに絶景であろう見事な山門を潜り別の場所に向かった。そこは。
平安神宮だった。その赤く巨大な、まるで宮殿を思わせる見事な入り口を前にして夫はまた妻に対して言った。
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