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八方塞がり

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第一章

                八方塞がり
 その思想に出会ったのは高校の頃だった。宇山貞光は図書館においてテスト勉強の合間にその本を手に取ったのだ。
 それはマルクスの著書だ。資本論である。
 共に図書館で勉強していた友人とその表紙を見てだ。彼はこう友人に言った。
「先生が言ってたけれどな」
「ああ、その本な」
「共産主義の本だよな」
「というかこの人が共産主義作ったんだよな」
「そんなこと授業で言ってたな。それでな」
 宇山はさらに言う。
「共産主義っていい思想だってな」
「ああ、先生そうも言ってたよな」
「差別も貧富の差もないっていうんだろ?」
「ソ連ってそういう国らしいな」
「そんなことも言ってたな」
 昭和三十年代後期はソ連、ソビエト社会主義共和国連邦をこう考えている者は多かった。スターリン批判もあくまでスターリンの特質に過ぎないとみなされていた。
 それで多くの者、特に知識人がソ連をそうした国だと言っていた。差別に貧富の差、偏見と横暴がまかり通る資本主義に対してだ。
 ソ連はまさに理想社会と称していた。それは宇山も聞いていた。
 それでだ。彼はこう友人に言った。
「なあ。そんなに素晴らしい思想っていうんならな」
「読んでみるか?」
「そうしてみるか。俺の親父は共産主義嫌いだけれどな」
 宇山の父は頑固な大工で戦争中は満州にいた。内地に帰った直後にソ連軍が侵攻してきて間一髪で助かった経験がある。
 それ故にだ。彼の父は常にソ連を憎んでいたのだ。
「というかソ連自体が嫌いだよな」
「そういうおっさんとかおばさん多いよな」
「ああ、ソ連も共産主義もとんでもない国家って言うよな」
「けれど先生とか新聞とかは違うよな」
「世界知ってるか?」  
 宇山は岩波書店の看板雑誌の名前を出した。
「あの雑誌な」
「ああ、あれな」
「あの雑誌読んでるか?」
「読んでないけれど知ってはいるさ」
 当時世界は総合雑誌としてかなり知られていた。小説も乗り世論形成に対して大きな影響を持っていた。
 その世界についてもだ。彼等は話すのだった。
「何でも凄い雑誌らしいな」
「ああ、共産主義について詳しいらしいな」
「じゃあその雑誌も読んでみるか?」
「そうしてみるか。とりあえずはな」  
 まずはだった。宇山は今自分が手にしている資本論を読むことにした。彼はすぐにし本論を借り勉強の後で家に帰り読んだ。
 それからだ。彼は読破してすぐにだった。
 地元の共産党の事務所に向かったかというとそうではなかった。むしろだ。
 暴力革命ではなく議会を通じての政治活動にその方針を切り替えている日本共産党についてこう言ったのだった。
「共産党は駄目だな」
「おい、資本論読んだよな」
 図書館で共にいた友人がクラスで話す彼に問うた。
「それでもか」
「ああ、共産党は駄目だ」
 彼はまた言った。
「あれは本当の共産主義じゃない」
「共産党なのにか?」
「ああ、共産党は暴力革命を否定しているよな」
「それで一回破壊活動防止法か?適用されたらしいな」
 日本で唯一この法律が適用された組織だ。
「それで支持を失って路線変更したらしいな」
「腰抜けなんだよ、共産党は」 
 宇山は目を怒らせて断言した。
「そんなことで革命なんてできるかよ」
「共産主義にはならないっていうんだな」
「革命には闘争が付き物だろ」
 即ち暴力がだというのだ。
「それを放棄した共産党は本当の共産主義じゃないんだよ。あんなのじゃ何時まで立ってもソ連みたいにはなれないさ」
 彼はソ連に深く感情移入していた。スターリンに尊敬の念さえ抱きだしていた。
「というか日本共産党はソ連と仲悪いよな」
「犬猿の仲らしいな」
「それも間違いだよ。日本はソ連にならないといけないんだよ」
「ソ連みたいな国家にか」
「ああ、ならないと駄目なんだよ」
 こう言い切るのだった。 
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