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ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~

作者:平 八郎
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第98話 人と人

 
前書き
いつものように遅くて申し訳ございません。

2週間の投薬治療は終わりましたが、高音域の一部がまだ戻っていないようで、もう2週間追加で治療を行うことになりました。(ステロイド剤は終了です)

そう言いながらもWoTで、自陣からピクリとも動かない重戦車の代わりに、前線で戦い続ける駆逐戦車乗りをやってます。
O-iの代わりに前線に出るJacksonっておかしいと思いません? 

 
 
 宇宙暦七九〇年 七月 バーラト星系 惑星ハイネセン

 俺の今回の職務は、今までと違って仕事の波があまりに不規則過ぎ、正直上手くやっているのかどうかさっぱりわからない。

 昨日はゴルフや宴会かと思えば、次の日は国防委員会審議事項の検討会議。そこで上がった問題点に対する統合作戦本部の部局への手配を済ませたと思えば、部局で聞いた来期軍艦建造の船腹量に対して与党政治家も交えた民間企業への割り振りの検討(いわゆる官製談合)と、表も裏も光も影も。ありとあらゆる方面に広がる調整に首を挟まなければならない。

 特に九月末までは新予算会計年度に対する財務委員会への折衝が頻繁におこなわれる、らしい。表に出せる業務についてはエベンスやベイ達が難なくこなしていて、一方ほぼド素人の俺はほとんど手首にワッパが半分掛かっているような仕事に勤しんでいる。だがどの世界のどの時代でも予算成立期限寸前まで『銭闘』するのは変わらないようで、普段『コネ入社』扱いの俺も、朝から晩まで国防委員会所属議員のオフィスから統合作戦本部の調達部局まで走り回る。

 いつもなら憑いてくるチェン秘書官には、業務効率も考えて俺の執務室でアポ取りとスケジュール管理に専念してもらっている。どちらが主でどちらが従だか分からないような状況だが、この仕事の流れが全然掴み切れない以上、そうしなければ仕事が滞ってしまう。誰と誰の仲が良くて、仲が悪いか。そういう『Cの七〇』仕込みの情報が、付箋のように情報に付けられているのは実に助かる。

 望外なのはこの世界に産まれてからずっとシトレ派と言われながらも、現時点ではトリューニヒトの息のかかっている政治将校?のような身分のお陰で、行政府や軍部局のどの部署に赴いても頭ごなしに門前払いされることはないし、とりあえずは話も可否に関わらず聞いてくれることだ。

「なんでって? そりゃあ、君が実に軍人らしからぬ軍人だからだよ。お若いボロディン君」

 本日最後の業務。来季の徴兵規模についての最終調整で、深夜、統合作戦本部計画部長(中将)・同人事部動員課長(少将)・後方勤務本部調達部長(少将)のお偉方三人とその補佐官合計八名を人的資源委員会にご案内したわけだが、そこの次席は業務が全部終わって彼らと一緒に帰ろうとする俺を、夜食で引き止めてそう言った。

「特に中堅以下の官僚の間では、君に対する評判がすこぶる高い。あまりにも高すぎるから、レベロの奴なんか早々に実戦部隊に戻せって幼馴染に会う度に注文つけるくらいさ。まぁどんな組織でも移動して一ヶ月も経たないうちに再移動させるなんて、そんなアホなことできるわけがないんだがね」

 皮肉っぽい笑い声で小柄な現人的資源委員会常任幹部のオッサンは、誕生してから一五〇〇年以上経過しているにもかかわらず、容器と保存性以外変わらぬインスタントヌードルを啜っている。ちなみにオッサンの食べているヌードルの味は塩バター味ではない。

「しかしなんで軍人らしからぬ軍人だと、官僚の皆さんの評価が高くなるんです?」

 マーロヴィアやエル=ファシルで文官官僚にも多くの知己を得たが、両方とも俺一人のやった仕事ではない。マーロヴィアで言えばパルッキ女史、エル=ファシルならクロード=モンテイユ氏が中心で、俺もそれなりに仕事はしたつもりだが、彼らに比べればずっと軍のフォローも大きく、かつ任務も主体的ではなかった。
 そんな俺の疑問にもっさりとした七三になりつつあるオッサン……ホワン=ルイ議員は、カップに残っているスープを喉に流し込み、口を手で拭ってから、は~っと腹の底から呆れたように息を吐いた。

「君は鏡で自分の顔を見たことがあるかい?」
「それは、はい。毎日」
「その鏡に映る青年は、日夜暴虐非道なる帝国の奴らと戦う、勇気と力に溢れた、タフで剛直な正義の味方の権化のような軍人に見えるかい?」
「見えません」
 そういうのはウィレム坊や(ホーランド)の得意とする分野だ。あいつなら軍服の下にSのマークの入ったスーツを着てても違和感はない。
「人徳がありそうで、見るからに包容力と器量に溢れた、市民にとって実に頼りがいのある軍人かい?」
「いいえ」
 それは明らかにシトレだろう。たとえトリューニヒトであろうとも、頼りがいのある軍人という評価を否定することは出来ない。
「知性に溢れ、どんな不利な戦場にあっても勝利をつかみ取ることのできる、冷静沈着な軍人かい?」
「絶対、違いますね」
 まぁ脳細胞の中身が覚醒している時のヤンがそうだろうなぁとは思うが、少なくとも俺ではない。
「だろうね。私もそう思う。良いところ上級星域……う~ん、そうだな。ケリムあたりの行政府の政策企画局で、利害関係が面倒な資料を作っては、議員にダメだしされて徹夜ばかりしている小役人に見えるよ」
「ちょっと具体的に過ぎません?」
 それは惨憺たる評価というよりも、前世の俺(民間企業だったが)相応の評価だったので、頭を垂れて中華風味ヌードルの液面を見つつ苦笑するしかない。

「でもね。前線に辺境にと死線を潜り抜けてきた軍人が、戦場に出たこともないヒョロヒョロ行政官にそんな評価をされたら、机を叩いてブチギレて、頬をぶっ叩くぐらいのことはしかねないんだよ」

 俺は思わず顔を上げてホワン=ルイの顔をまじまじと見る。そこには先程まで人好きするニコニコ顔を浮かべていた温和なオッサンではなく、真剣な目をした一人の政治家がいた。

「軍人さんがこの国を守ってくれる事には敬意を表するさ。そりゃあ当然だよ。だからと言って暴力を背景に、なんでも物事が通ると思うのは流石に傲慢ってことなんだ」
「……小官には、『傲慢』が感じられないと?」
「君は文官側に対し、武力をちらつかせるようなことを一切しない。どんな相手でも丁寧に理詰めで話してくるところなんか、まるで『官僚そのもの』で実に話しやすい。今日だって中将に、少将二人に、佐官が山ほど……どれだけの威圧を私達文官が感じていたことか。軍人の君にはなかなかわかりづらいとは思うがね」

 どこの国のいつの時代も、軍と官の仲は悪い。特に戦時下や戦雲漂う時代において、軍人の存在感と発言力は強大だ。前線で命を張っている立場の人間に対して、羞恥心のある銃後の人間はどうしたって気後れしてしまう。
 リン=パオ、ユースフ=トパロウルが戦った“古き良き時代”より一五〇年。戦争が常態化し、国民の生命に対する価値観を低下させ、思考を硬直化させ、国家として歪であることを容認してしまっている。

「ホワン=ルイ先生。人的資源に関する専門知識を有する政治家としてお伺いしたいのですが、よろしいですか?」
「なにかね? 応えられる質問だったら良いんだけどね」

 これは賭けだ。同盟滅亡まで権力中枢の近くにありながらも一歩引いた立場に居続けた、ホワン=ルイという一人の政治家に問うても答えてはもらえないかもしれない。だがヤンの査問会にも参加できるような、ある意味では『融通の利く』政治家と腹を割って話せる機会は、これから先、そうないだろう。

「これから数年毎に一〇〇万人以上の将兵を喪失するのと、毎年国家財政における軍事予算が七割を超えるのと、どちらかを選択しなければならないとしたら、どちらを選択されます?」

 俺の質問にホワン=ルイは一瞬だが体が硬直したように震えた後、まじまじと俺の顔を見つめる。一〇秒か二〇秒か。それほど長い間ではなかったが、空気が重くなったのは間違いない。だがホワン=ルイは一度目を閉じ、下唇を軽く噛みながら小さく頷くと、先に口を開いた。

「究極の選択だね。政権側にいる政治家としては実に即答しがたい」
「理解しています。大変無礼な質問であることも」

 俺が回答を世間に言いふらすような人間でないという保証はどこにもない。俺にそうするつもりは毛頭ないが、トリューニヒトに密告すると警戒するのも当然だろう。だが覚悟が決まったというよりは諦めたといった表情で、ホワン=ルイは肩を竦めておどけるような表情を見せる。
「まぁ……いろいろな人の君の評判を聞くに、君は後者の意見を選択するのだろうね。レベロが聞いたら君を狂人と評するのは間違いない。他人事ながら保証してもいいくらいさ」
「そうなんですか?」
 まだ直接レベロ本人に会ったことはないが、やはり歯に衣を着せぬような舌鋒の持ち主らしい。まぁ、俺の質問もかなり失礼なものだから、お互いさまというところか。
「だけど私個人としても人的資源委員としても君と同意見さ。今さっきの徴兵規模調整交渉を無にするような言い草だが、もはや国家の、同盟の人的資源余力は限界を超えつつある」
「社会機構全体が軍を支えるどころか、国家を支えることができなくなりつつある。そういう事ですね?」
 原作でホワン=ルイ本人やレベロが言ってたセリフだ。そのままパクリで申し訳ないが、ホワン=ルイは実に興味深そうな表情を浮かべて俺に応えてくる。
「なるほどね。シトレ大将が君を早期に軍から引き離して、政治家にするようレベロに働きかけるのも分かる気がするね。戦略思考回路がまったくもって前線勤務の軍人じゃない。なのに艦隊参謀としても優秀だ。実に面白い」
「面白い、ですか?」
「君の前任者……ええと、たしかヨゼフ=ピラート中佐だったかな? 彼も君と同じような結論に達してたよ。まぁ彼は後方支援科出身で、資材調達畑が長かったと言っていた。君とは正反対で、前線での武勲など全くなかったが、長らく後方の現場を見てきてそう思ったんだろうね」

 まるで覇気のない。実働部隊を軽蔑すらしていた、汚職軍官僚のテンプレのようなピラート中佐の捨て台詞が、俺の頭の中ではっきりと再現される。

 今の俺の仕事の一つである行政側と軍部の意見調整の場をコーディネートする場面で、前線勤務が全くない三〇歳後半から四〇歳の中佐というのは、相当軽く見られていたに違いない。意見を言う軍側は中佐の調整を無視して図に乗り、逆に行政側は中佐のことを全くあてにしない。結果として中佐の仕事に対する熱意が低下するのも理解できる。

 しかも出身が資材調達となれば、軍需物資を生産する多くの民間企業と密接に関わる分野だ。過度の徴兵による生産人口の量と質その両方の低下と、納入される製品自体の品質低下や輸送能力の低下を目の当たりにして、国家としてまともに戦争ができる状況ではなくなりつつあると判断した。

 そういった視点を持つピラート中佐にとってみれば、エネルギーや兵器そして将兵を消耗しながら武勲を求めて投機的な冒険にのめり込む実働部隊の人間など、心底唾棄すべき存在としか思えないだろう。ましてそんな実働部隊の人間が、ただただ前線での武勲がないことで中佐を軽視するとなれば、ああいう態度になるのも当然だ。

 その上で戦争を継続しつつも低下しつつある軍需関連企業の能力を維持する為に、公的資金の投入や行政的なフォローが必要であること。その為には政治家にも働いてもらわねばならず、潤滑油として本来は必要のないはずの『手数料』も作り上げなくてはならない。そういった残念な現実を無視して、部下なのに教条的に腐敗した政治家と軍官僚として自分を軽蔑してくるエベンス少佐など、中佐にしてみれば本当にクソの役にも立たないといったところだろう。

 彼自身はきっと望まなかっただろうが、もっとピラート中佐と深く話をすべきだった。前線の武勲なしに三〇代後半で中佐という地位にあるというのは、政治的なコネがあったかもしれないにしろ通常の前線勤務将校の昇進スピードと何ら変わらない。俺みたいにズルをせず、ホワン=ルイに国家としての継戦能力の低下を主張できる思考力と度胸。ピラート中佐の次の職場が確かトリプラ星域軍管区だったことを考えると、今更ながら後悔しか浮かばない。そして……

「つまりは小官の背中に見え隠れするシトレ大将の影とトリューニヒト氏の影、僅かな武勲を持っていることで、交渉が実にスムーズになり行政側の皆様は実に心地が良いと。そういうわけですね」
「ま、そういうことだね。ピラート中佐には悪いが、君に代わってくれて我々は本当に助かっているんだ。私もトリューニヒト氏の頬にキスしたいくらいさ。君にとってみれば不運で不満かもしれないが、珍しく良い人事をしてくれたってね」

 もう一個食べても問題ないよね、と言って席を立つホワン=ルイのおどけた表情に、俺は苦笑を隠すことは出来なかった。





 ホワン=ルイとの夜食会から二週間後。俺はチェン秘書官に無理を言ってスケジュールを空けさせた八月一日。単身ハイネセンポリスからテルヌーゼン市へと向かった。

 一〇日前。アイリーンさんからブライトウェル嬢が士官学校に合格した旨、連絡があった。受験した全ての学科に合格し、嬢は最終的に戦略研究科を選択したそうだ。入学席次は四六番/四六七七名中。戦略研究科志願者内では三七番/三九〇名中。入学時の俺よりもはるかに成績は良かったものだから、アイリーンさんからの連絡が来てから二〇分も経たないうちに、第五艦隊司令部を代表してモンティージャ大佐から『万難を排しても午餐会に出席するように』との司令官通告と『現第五艦隊司令部で最も優秀な人材が、士官学校で心おきなく学業に励めるよう対処せよ』との指示を受ける羽目になった。

 だから早朝テルヌーゼン空港の到着ロビーの出会いの広場で、ピカピカのセレモニースーツを纏って俺を待ち構えていたアントニナが、その理由を聞かされて過去最悪の機嫌になっていたのは、決して俺のせいではない。

「んなわけないでしょ」

 俺支払いの無人タクシーの中で、アントニナはふくれっ面で俺を指差し、睨みつけてくる。

「ヴィク兄ちゃんもさ、士官候補生だったんだからわかるでしょ? 二年生は新入生式典の準備やなんやかんやで忙しいのに、兄ちゃんが休みをとれっていうからわざわざ優しい三年生と夜警交代を条件に代わってもらったんだよ? それがなんでよりにもよって『午餐会』に出なきゃならないの?」

 体のいいさらし者じゃないと、ちょっとだけ伸びた艶のある金髪を振り回し怒るアントニナに、俺はただひたすら平謝りするしかない。
本来ならモンティージャ大佐でもカステル大佐でも、なんならモンシャルマン少将でもよかった。だが親族がアイリーンさんだけのブライトウェル嬢としては、そちらの二人だと色々と誤解される恐れがある。
 
 母子家庭・父子家庭の新候補生がいないわけでもないが、リンチの娘という『傷』に付け込む輩がいないとも限らない。午餐会でアイリーンさんだけでは対処できない事態も想定されるから、その場では俺が国防委員会所属徽章と中佐の階級章で黙らせる。

 そして士官学校内部では現役将官の娘であるアントニナに『保護者』となってもらう。アントニナは情報分析科でブライトウェル嬢は戦略研究科と、学科は違うから正直どこまで守れるかは分からない。だが正義感の強さでは折り紙付きのアントニナ(現役少将の娘)と、その親友で嬢とも面識のあるフレデリカ(現役中将の娘)の二人がカバーすれば、ある程度は安全が確保できる。はずだ。もっとも女性士官候補生のいじめなど、相手が新兵とはいえ、前線でのエリミネーションマッチで一個分隊(一〇人)ぶちのめしたブライトウェル嬢にとってみれば、何ら恐れるものではないだろうが。

「フレデリカの同級生で知人なんでしょ? だったらフレデリカに任せればいいじゃない。なんで僕がやらなきゃいけないんだよ」
「アントニナ、お前、またグリーンヒル候補生と喧嘩しているのか?」
「空戦戦技と射撃技術では負けてない」

 つまりはそれ以外では負けているわけで、これまた機嫌の時期を間違えたかもしれない。もっともフレデリカ=グリーンヒルの卒業席次は『次席』だから、勝つ為には『首席』しかないわけだ。俺でもできたんだから、アントニナもできないわけはないと思うが。

「ともかく学科が違うから僕はまだ会ったことはないけど、そのリンチ少将の娘さんが不当な虐めとかに遭っていたら、フォローすればいいんだね?」
「士官学校内部で、俺が信頼して頼めるのはアントニナしかいないからな」
「タダではやらないよ?」
「……正直やりたくはないが、ヤン=ウェンリーのサイン色紙二枚でどうだ?」

 急に世知辛くなったアントニナにむけて俺が指を二本立てると、アントニナは顎に指をあててしばらく考え込んだ後、まだ幼い頃よく見せたいたずらっ子な視線を向けて応えた。

「……一枚はフレデリカ宛だね。そっちには『フレデリカさん、士官学校でも頑張ってください』と追記しておいて、たぶん興奮して鼻血を出すと思う。僕の分にはヤン少佐のサインに加えてヴィク兄ちゃんのサインと、兄ちゃんの知る人の中で一番偉いと思う人のサインを併記した色紙が欲しい」
「偉い人って、そんなのお前、一番はグレゴリー叔父さんに決まってるだろ」
「父さんじゃない人で」
「じゃあ、ビュコック司令官閣下でいいか?」
「ビュコックお爺さんのサインは、ジュニアスクールの時にお父さんが貰ってきてくれた」
「あとはシトレの腹黒親父ぐらいしか……」
「シトレおじさんは毎年新年の時に送ってきてくれるよ?」
「なんてマメなことしやがるんだ、あの腹黒親父……」

 そういうマメな心遣いが、厚い信望の要因の一つではあるのだろう。だがそうなるともう後はサイラーズ宇宙艦隊司令長官か、アルベ統合作戦本部長しか考えられない。伝手が無いわけではないが、アントニナに相応しいかどうかわからないし喜んでもらえるとも思えないし、もしかしたら主要な軍人に限ればグレゴリー叔父から貰ってきているかもしれない。

「わかった。その三人以外でなんとか考えてみる」
「せいぜい期待してるよ、ヴィク兄ちゃん」
 口に手を当ててクスクス笑うアントニナは、顔こそすっかり大人になりつつあるが、本性は昔と変わらない陽気で優しく、お茶目で正義感の強い妹のままだった。と、この時までは思っていたのだが……

「あん時の赤毛の女……」
「……ご無沙汰しております。アントニナ=ボロディン候補生殿」

 綺麗に整えられた両眉の間に深い皺を寄せて歯ぎしりしながらブライトウェル嬢を睨みつけるアントニナと、絶対零度の表情で一三〇点満点の完璧な敬礼をアントニナに向けるブライトウェル嬢。二人を見るアイリーンさんはオロオロしているし、両隣の家族もこちらのただならぬ雰囲気にこちらへチラチラと視線を向けてくる。

「ちょっとどういうこと? ヴィク兄さん、聞いてないんですけど?」
「だってそりゃあ、言ったらアントニナは嫌だって言いそうだし……」
「嫌に決まってるでしょ」
「では、命令だ。アントニナ=ボロディン候補生」
「なんでっ……、了解しました、ヴィクトール=ボロディン中佐」

 フィッシャー師匠直伝の無表情と冷めた視線でアントニナを見据えると、苦虫を嚙み潰しつつアントニナはゆっくりと敬礼する。入校して一年、まだ個性の剥奪までは至っていないが、軍人へとの道を着実に進んでいる。これがアントニナにとって良いことなのかどうかは分からない。

「小官といたしましても、わざわざ妹さんのお手を煩わせるようなことは、遠慮したいとは思っておりますが」
「遠慮する必要はない。これは『命令』だ」
「ですが……」
 フォローについて手配してくれるのはありがたいが、明らかに嫌がっているアントニナの様子を見て、少しだけ瞳に心配が浮かび上がったブライトウェル嬢に、俺は敢えて突き放すような口調で言った。

「私も第五艦隊司令官アレクサンドル=ビュコック中将閣下と、第五軍団司令官オレール=ディディエ中将閣下のご命令を受けて、アントニナ=ボロディン候補生に指示をしている」

 爺様とディディエ中将の名前を聞いて、恐らくはブライトウェル嬢と同じ戦略研究科の新入生と思われる右隣の家族、特に大佐の階級章を付けた父親の顔色が変わり、息子の新入生に耳打ちしている。叩き上げでついには艦隊司令官まで上り詰めた歴戦の老提督と、降下猟兵にその人ありと言われる軍団司令官の名前、それにその二人の意を受けた『ボロディン』という名前の軍人兄妹になにかヤバいものを感じたのかもしれない。虎の威を借りるような真似だが、これで候補生内の口コミによってブライトウェル嬢への不当な干渉が減れば儲けものだ。

 そんな隣の家族を無視して俺はブライトウェル嬢を手招きすると、アントニナと握手するよう手振りで指示をする。いつになく細く危険なアントニナの鋭い眼差しと、身長ではアントニナより五センチばかり高いブライトウェル嬢の上から目線の衝突は一〇秒近くにも及び、両者とも明らかに嫌々と言った風情で手を伸ばし握手する。

「……これから四年間、お世話になります。アントニナ=ボロディン二回生殿」
「……えぇ、貴女の士官学校への入校を歓迎するわ、ジェイニー=ブライトウェル一回生」

 無表情のはずのブライトウェル嬢の右手の甲の血管が何故か浮かび上がり、アントニナの右唇と右米神が微妙に震えているのは見なかったことにしたい。運動神経は同世代では間違いなくトップクラスのアントニナだが、こういった勝負ではいささか分が悪い。

「よし、仲良くなったところで昼食にしよう。せっかくの料理が冷めてしまう」

 俺が作り笑顔でそう言って手を叩いた後アイリーンさんの椅子を引くと、アントニナもブライトウェル嬢もアイリーンさんも、それに隣の大佐ですら……随分とシラケた視線を俺に向ける。

 まぁありえない話だろうが、水と油のこの二人が同じ職場で働くようなことがあれば、周囲の人間の胃壁はともかく、随分と活力に富んだ職場になるんじゃないかなと、並んで座って、無言で同じように皿のステーキを口に運ぶ二人を見ながら、俺は勝手にそう思うのだった。
 
 

 
後書き
2024.03.06 更新

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