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ハッピークローバー

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第百十九話 他の国から見ればその七

「あの人なりにね」
「信仰心あって」
「それでもね」
「日蓮宗以外を否定しなかったのね」
「かなり広い気持ちでね」
「宗教認めてたのよね」
「信長さんもね」
 こうスペインの娘に話した。
「そうだったし」
「宗教での差別ないでしょ」
「無縁と言っていいわね」
 日本はというのだ。
「もうそれは」
「そこも違うから」
「欧州だとなのね」
「カトリックはカトリックで」
「固まっていて」
「差別どころか」 
 それに収まらずというのだ。
「もう戦争すらね」
「三十年戦争とか」
「そう、えげつない戦争になってたから」
「宗派が違うだけで」
「その『だけ』のことでね」
 日本人の一華が言うそれでというのだ。
「なってたのよ」
「そうしたことと考えたら」
「あっちの差別って酷いのね」
「バスク人に対してもね」
「今お話してくれた通りに」
「あるしね」
 現在進行形でというのだ。
「ややこしいのよ、けれど日本だとバスク人でもでしょ」
「そうなの、でね」
 一華はスペインの娘に素っ気なく答えた。
「終わりよ」
「私にもよね」
「あんたのひいお祖父ちゃんがバスクの人でも」
 それでもというのだ。
「何でもないでしょ」
「あんたから見れば同じスペイン人ね」
「そうだしね」
「カタルーニャ人でもよね」
「同じよ」
 バスク人と、というのだ。
「結局ね」
「そうした考えがね」
「ないのね」
「スペインでもね、だからこのことがね」
 日本でバスク人に偏見がないことがというのだ。
「私嬉しいのよ」
「そうなのね」
「ええ、ちなみにバスク語知ってる?」
「名前だけはね」
「これが難しいのよ」
「そのことも聞いてるけれど」
「バスク語とそれ以外の言語って言われる位に」
 このことは実際に言われていることである。
「難しいのよ」
「そんなになのね」
「私ひいお祖父ちゃんから教えてもらったけれど」
 それでもという口調での言葉だった。
「これがね」
「全く?」
「そう、全くね」
 まさにというのだ。
「喋られないのよ」
「スペイン語とも違うの」
「これがね」
 そうであるというのだ。  
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