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星河の覇皇

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第八十五部第五章 北京宣言その十四

「私達はね」
「勝つ必要はない」
「政治は勝利を求めるものではない」
「国益を求めるものである」
「その考えによって動くものですね」
「そうよ、ビジネスでもね」
 この世界でもというのだ。
「一方が利益を得るとね」
「どうしてもですね」
「もう一方は損をする」
「そうなるので」
「そちらは恨む」
「そうなりますね」
「恨むとね」
 その相手はというと。
「仕返しに来るわ」
「普仏戦争の後のフランスの様に」
「そうしてきますね」
「だからですね」
「勝ち過ぎもよくないですね」
「ビスマルクはわかっていたわ」
 そのプロイセンそこからドイツ帝国になる国の宰相であった彼はだ。鉄血宰相という仇名はこの時代でも使われている。
「だからフランスにもね」
「要求は抑えるつもりでしたね」
「オーストリアにそうした様に」
「そのつもりでしたね」
「普墺戦争ではね」
 普仏戦争の前のドイツの覇権を賭けたこの戦争ではというのだ。数年かかると言われた戦争をプロイセンは八週間で勝った。
「オーストリアは敗れて覚悟をしていた」
「多くの領土と賠償金を取られる」
「そのことをでしたね」
「覚悟していましたね」
「そうでしたね」
「ええ、けれどね」
 それがだったのだ。
「ビスマルクが出した要求はあまりにも少なかったわ」
「オーストリアも驚きましたね」
「その少なさにかえって」
「そうなりましたね」
「そして恩を感じてね」
 ビスマルクは実際に先にオーストリアと同盟を結び協力関係を結ぶことを考えていてそれを売ったと言われている。
「戦後は友好国になったわね」
「それまでは敵同士でしたが」
「ドイツを巡っての」
「それでもでしたね」
「一転してそうなりましたね」
「勝ったけれど求めたものは少なくて」 
 ビスマルクのそれはだ。
「かえってね」
「多くのものを得ましたね」
「オーストリアという同盟国を」
「そうなりましたね」
「そしてフランスにもね」 
 この国にもというのだ。
「そうするつもりだったけれど」
「先の普墺戦争で周りが譲歩していたので」
「特に軍が」
「今度は無理でしたね」
「周りを抑えられませんでしたね」
「それでフランスからは一方的にだったわ」
 多くのものを得たというのだ。
「多額の賠償金と領土をね」
「アルサス=ロートリンゲンですね」
「この地域を手に入れましたね」
「そうでしたね」
「ええ、鉄鉱で有名なあの地域も得たわ」
 ドイツはというのだ。 
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