魔法戦史リリカルなのはSAGA(サーガ)
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
【プロローグ】新暦65年から94年までの出来事。
【第1章】無印とA'sの補完、および、後日譚。
【第9節】キャラ設定1: ニドルス・ラッカード。(中編)
新暦22年の11月上旬。
その朝、ニドルスは空士訓練校で初めて学長室に呼び出されました。
(特に、呼び出されるほどの悪さをした覚えは無いんだけどなあ……。)
内心ではそんなことを考えながら、ニドルスは慎重に作法どおり入室したのですが、そこで学長から聞かされたのは、全く予想外の話でした。
「ニドルス・ラッカード君。どうか落ち着いて聞いてほしいのだが……実は、昨夜、君の御両親が自宅で殺害された」
「……ええっ? 一体誰が、そんなことを!」
ニドルスは思わず驚愕の声を上げました。
家庭的には確かに問題のある人たちでしたが、社会的には二人ともそれなりに立派な人物です。それに、何と言っても外面が良く、誰かから恨みを買っていたなどという話は一度も聞いたことがありません。
しかし、学長はニドルスの疑問には答えずに、こう言葉を続けました。
「犯人はすぐに自首したので、今は留置場にいるのだが、君との面会を要求していてね。君も気が重いだろうが、今から犯人と会って、話をして来てくれないだろうか?」
「え? 僕を名指しですか? ……いや。そういう話し合いなら、兄の方が向いていると思うんですが……。まさか、兄は今、病院にでも担ぎ込まれて、話もできないような状態なんですか?」
しかし、学長はひとつ深々と息を吐いてから、ニドルスに真実を告げました。
「いや。その犯人というのがね。実は、君のお兄さん本人なのだよ」
「……はあァ?」
「どうやら、彼は自分の裁判が始まる前に、『法定絶縁制度』で君との縁を切っておきたいらしいのだ。当校としても、こんなことで君の経歴に傷をつけたくはない。是非とも、彼の申し出をそのまま受ける方向で、話をつけて来てほしいのだが……どうかね?」
「……解りました。とにかく、一度、会って話をして来ます」
「そう言ってくれると助かるよ。現地までは車で送らせよう」
こうして、ニドルス(12歳)は留置場で「小さな穴がたくさん開いた透明な壁」をはさんで、兄ヴェナドゥス(16歳)と対面しました。
「プライベートな話をするので、一旦、席を外していただけますか?」
ヴェナドゥスがとても紳士的な態度と口調でそう言うと、彼の担当法務官と思しき中年の女性はそのまま退室しました。
これで、本当に「密室に」二人きりです。
係員が外から扉に施錠した音を確認してから、ヴェナドゥスは床に固定された「背もたれの無い椅子」に、どすりと腰を下ろし、無造作に脚を組みました。
「猫をかぶり続けるのも疲れるぜ。……ああ。お前も座ったらどうだ?」
態度も表情も口調も、先程とは全く別人のようです。兄の豹変ぶりに驚きながらも、ニドルスは同様の椅子にそっと腰を下ろしました。
「安心していいぞ。ここは、録音も録画も監視もされてねえし、よほどの大声でも上げねえ限り、外には何も聞こえねえ。その点は確認済みだ」
ヴェナドゥスはそう言って、へらへらと笑ってみせます。
ニドルスが絶句したまま、しばらく無言でいると、ヴェナドゥスは心底詰まらなさそうに舌を打ちました。
「何、黙ってんだ、この野郎。この俺に何か言いてえことは無えのかよ?」
「……なぜ殺した?」
ニドルスがやっとのことで、その一言を吐き出すと、ヴェナドゥスは一瞬、大きく目を見開き、そして、アッハッハァと大笑いを始めます。
「ホントにそんなコトも解らねえのか。だから、お前はバカだって言うんだよ」
「質問に答えろ!」
どうしようもない苛立ちと嫌悪感が腹の底から沸き上がり、次第にニドルスの意識と口調を変えて行きました。その変化を感じ取ったのか、ヴェナドゥスもバカ笑いを止めて、真顔で弟と向き合います。
「ずっと前から殺したかったさ。あんな毒親は、お前だって殺したかっただろう? お前の代わりに手を汚してやったんだぜ。少しはこの兄に感謝したらどうだ?」
「あの二人が毒親だったのは確かだけど、僕は殺したいとまでは思ってなかったよ。せいぜい早く縁を切りたいと思っていただけだ」
自分の兄がこんな人間だということに、どうして今まで気がつかずにいたのだろう。ニドルスは思いました。ただ単に兄の演技が上手かっただけなのか。あるいは、ただ自分がいろいろなことから目を背けて生きて来ただけなのか、と。
実のところ、ニドルスは今までの人生の中で、これほど真面目に兄と向き合ったことは、一度もありませんでした。
「お前はいいよな。一言『縁を切りたい』と言えば、喜んでそうしてもらえる立場なんだから」
ヴェナドゥスはいよいよ心の闇をぶちまけ始めます。
「俺は物心ついた時にはもう、期待という名の鎖で『がんじがらめ』になっていた。生まれてふと気がついたら、不平や不満など一言も言えねえ状況に、いきなり追い込まれていたんだよ」
「言いたいことがあるなら、言えば良かったじゃないか! 何も殺さなくても!」
「それは縛られていなかった人間の言い草だ」
ヴェナドゥスは、弟の懸命の主張をもバッサリと切って捨てました。
「ガキがオトナにケンカを売っても勝てねえよ。しかも、向こうはルール無用だ。二人がかりで、あの手この手を繰り出し、口では『お前のためだから』とか言いながら、俺の人生を、俺の自由を、全力で潰しに来やがる。
俺はガキの頃、面と向かってアイツらに言われたことがあるよ。今でも一言一句、正確に覚えている。アイツらは五歳児に向かって『自分たちがわざわざお前のためにレールを敷いてやっているんだから、お前は何も考えず、ただ自分たちの言うとおりにそのレールの上を走ってさえいれば、それで良いんだ』と、そう抜かしやがったんだぞ。
要するに、アイツらが欲しかったのは『独立した人格を具えた息子』では無く、ただ『自分たちの願望を乗せて目的地まで走ってくれる機関車』だったのさ。そんな人間を人間とも思わねえような考え方が、許されると思うか? アイツらは殺されて当然のクズどもだった。だから、俺はあの頃からずっと、いつか勝てるようになったら殺してやろうと思い続けていたんだよ」
それは、きっと「賢さゆえの悲劇」だったのでしょう。普通の五歳児なら、そんな難しいことを言われても、相手の真意を理解して殺意まで覚えたりはしません。ましてや、その殺意を十年以上もの間、心の奥で深く静かに燻らせ続けたりはしません。
ヴェナドゥスは続けて語りました。
「俺には最初から二つの選択肢しか無かった。『手の綺麗な奴隷』になるか、『手の汚れた自由人』になるか、だ。その二つなら、どちらを選ぶべきなのかは考えるまでも無え」
「それで? 今、アンタは自由なのかよ? 殺人犯の行き先は監獄だぞ」
それを聞くと、ヴェナドゥスはまた大笑いを始めます。
「あのなあ。人間社会には、ルールってモンがあるんだよ。だから、そのルールを熟知して、それを上手く利用した方が勝つんだ。ただのゲームと同じさ」
「人生は、ゲームじゃないだろう!」
ニドルスのそんな怒りの声をも、ヴェナドゥスは鼻でせせら笑いました。
「同じだよ。せいぜい、金を賭けるか、命を賭けるか。その程度の違いさ」
ニドルスが絶句していると、ヴェナドゥスはまたさらに言葉を続けました。
「ルールをひとつ教えてやろう。俺は今年まだ16歳で、法律上は未成年だ。ミッドの法律なら、身内を二人殺したぐらいでは終身刑にはならねえ。俺はせいぜい四年か五年でまたムショから出て来ることができるんだよ。
同じ『不自由な生活』なら、親がくたばるまで長々と続けるよりも、四~五年で切り上げた方が良いに決まっている。だから、俺としては、同じ『殺る』なら、17歳になる前に殺るしかなかったのさ。どうだ! すこぶる論理的な判断だろう?」
(コイツは、もうダメだ。)
ニドルスはその「いかにも自慢げな言い方」を聞いて、もういろいろなことを諦めました。この男には、人間ならば誰もが持っているはずの「当たり前の倫理観や道徳心」が、そもそも具わっていないのです。
しかし、それも無理は無いことなのかも知れません。彼の両親は、彼に対してそういう「当たり前のモノ」を身に付けるための教育など一切して来なかったのですから。
ニドルスは、もういろいろとスッ飛ばして、本題に入ることにしました。
「……解った。では、次に、法定絶縁制度の話だが……」
「ああ。お前も社会人一年生でいきなり『前科者の弟』と呼ばれたのでは、いろいろとやりづらいだろう? だから、わざわざこちらから『あらかじめ縁を切っておいてやろう』と言ってるのさ。愚弟よ、少しはこの兄に感謝しろよ」
「……解った。僕の側のメリットは、確かにそのとおりだ。しかし、この絶縁は、アンタの側には一体何のメリットがあるんだ?」
すると、ヴェナドゥスは『やれやれ』と言わんばかりに小さく溜め息をつくと、またあからさまに相手を見下した視線でニドルスを睨つけました。
「そんなコトも解らねえのかよ。だから、お前なんかに『俺の弟』は務まらねえって言うんだよ」
(そんなの、最初から務める気なんて無いよ! と言うか、僕だって好きでアンタの弟になんか生まれて来た訳じゃないよ!)
そんな言葉が喉元まで出て来ましたが、ニドルスはあえてそれを飲み込みました。こんなイカレた人間とは、もう「必要最低限」以上の会話などしたくはなかったのです。
「仕方が無えから教えてやるよ。『犯人は発作的な激情に駆られて両親を殺してしまったが、今はもう充分に反省している。その証拠に、せめて「将来を嘱望されている弟」には自分の罪が及ばないようにと、自分の側から弟に絶縁を申し入れた』というシナリオにしておけば、法務官の心証も良くなるし、その分、俺の刑期も短くなるだろう? ただ、それだけのことさ」
ヴェナドゥスは続けて、さも得意げに語りました。
「法律がいくら厳格でも、それを実際に運用するのは所詮、人間だ。そして、俺ほどの美貌と才能があれば、人間なんて、いくらでも騙せるんだよ」
やはり、『他人を騙すことは「それ自体が」悪いことだ』などという考え方は、カケラも持ち合わせていないようです。
ニドルスが思わず嫌悪に顔を歪めたのを見て、ヴェナドゥスはまたいかにも楽しそうに笑い、こう言ってのけました。
「お前にとっても損の無い話だ。ここは仲良く、Win-Winで行こうじゃねえか」
言いたいことは山ほどありましたが、ニドルスはそれらをすべて諦めました。
「……解った。この件に関しては、アンタの言うとおりにするよ」
「よし。じゃあ、俺はこの機会に、苗字をグルゼムに替えるってことで良いな?」
絶縁に際しては、必ずしも『一方が苗字を替えなければならない』という訳ではないのですが、法律上はそれも広く認められている権利です。
しかし、それは初めて聞く苗字だったので、ニドルスは思わず声に出してしまいました。
「グルゼム?」
「知らねえのか? あの母親の元の苗字だよ」
ニドルスは今まで、そんな基本的なことすら、親から聞かされたことは一度も無かったのです。
そして、ヴェナドゥスは、ニドルスの驚きなど気に留める様子も無く、席を立ちました。
「よし。じゃあ、今から法務官を呼ぶが、さっき言ったシナリオのとおりに受け答えしろよ。さもなくば、生涯、お前につきまとって足を引っ張り続けてやるからな」
「解った。お互いに後腐れの無いよう、ここでキレイに縁を切ろう」
ヴェナドゥスが壁のブザーを押すと、じきに扉を解錠する音がして、先程の女性法務官が入室して来ました。
「お話は終わりましたか?」
「はい。弟も何とか納得してくれました」
ヴェナドゥスが素早く猫をかぶって模範的な態度と口調でそう言うと、法務官は本当に嬉しそうに『良かったわね』と声を掛けます。
(お前ら法務官の目は、節穴かよ。)
ヴェナドゥスの本性を知っていると、ニドルスには法務官の善意の笑顔も、もう『不幸な境遇で育った可哀そうな少年を助けてあげる「立派な法務官」という自分の役割にただ酔っているだけ』にしか見えません。
二人は互いに、必要な書類に署名し、所定の場所に血を一滴たらして遺伝情報を登録しました。『同じ内容の書面を三通作って、法務官も含めた三者が一通ずつ所持する』という形式です。
この日を最後に、ニドルスがこの兄の顔を見ることは二度とありませんでした。
また車で送られて空士訓練校に戻り、学長室でその書面を直接に見せると、学長も『これで状況は一段落した』とばかりに安堵の表情を浮かべました。
「その書面は、生涯、紛失しないように注意しなさい」
そう念を押されてから、ニドルスはようやく解放されます。
思えば、長い一日でした。
【そして、その後、ヴェナドゥスの裁判は年内に終了しました。未成年を理由に、懲役4年の実刑判決で済んでしまいます。
しかも、実際には、新暦24年の暮れ、ヴェナドゥス・グルゼム(18歳)は「模範囚」として、わずか2年で出所してしまいました。
そして、彼は即座に首都圏へと移り住んだ後、翌25年の夏には大手のヤクザ組織の法律顧問に収まり、以後、端正な顔立ちと莫大な知識量を武器にして、巧みに他人を騙して陥れ、裏ではそれを嘲笑いながらも「法の網」を巧みにかいくぐって荒稼ぎをするようになります。
彼は、実際に血のつながったニドルスの実兄であり、また、類稀な美貌と知性の持ち主でもありましたが、同時に、正真正銘の「人間の屑」でした。】
その後、ニドルスはとても優秀な成績で空士訓練校を卒業して、新暦23年の4月からは地元の空士隊で、まずは一般の空士として勤務を始めました。
翌24年の秋には「空戦AAランク」を取得し、そのままディオーナの夢を引き継ぐかのように執務官を目指します。
こうして、新暦25年の10月。奨学金も「30回分割」で返済が終わる頃に、ニドルスは15歳で早くも執務官試験に挑戦しました。
受験者は毎年、ミッドチルダ全体でもほんの数十名で、しかも、それが大陸全土に散らばっている状態なので、原則として、執務官試験はそれぞれの土地で一人ずつ個別に行なわれます。
ニドルスも、地元のヘレニゼア地方にある「広大な演習場の片隅」で受験できることになりました。
午前中の「面接(適性検査)と学科試験」には何の問題も無く、午後の「基本実技試験」も全く予定どおりに進行したのですが……最後の「実戦形式試験」になって、不意にトラブルが発生しました。
この試験で「受験者の仮想敵」を演じる試験官には、当然ながら、執務官並みの実力が要求されるのですが、そうした人材は数が限られており、必ずしも地元で見つかるとは限りません。
そこで、今回も首都在住の某執務官に試験官を依頼していたのですが、『正午過ぎに中央幹線道で玉突き事故が発生し、それによる渋滞に巻き込まれてしまったため、試験官の現地への到着が予定よりも大幅に遅れる』と言うのです。
「そういうことなので、誠に申し訳ないが、君はあと2時間ほど、このままこの場で待機していてくれないかね?」
「ええ……」
試験実行担当者たちからの説明を聞いて、ニドルスは思わず嘆きの声を漏らしてしまいました。すると、背後から思わぬ助け舟が現れます。
「2時間は、さすがに長すぎるわよねえ」
どこか聞き覚えのある声に、ニドルスが慌てて振り向くと、そこに立っていたのは、何と「ヴェローネおばさん」でした。
(え……? どうして、おばさんがここに?)
『我が目を疑う』とは、まさにこのことです。
しばらく奇妙な間が空きました。どうやら、ヴェローネが念話で試験の担当者たちに何かを語ったようです。担当者たちは慌てて席を立とうとしましたが、ヴェローネは軽く手を振り、それを制止しました。
「そういうのは、いいから。今日の私は、ただのヴェローネ・パストレアだから」
「……解りました。それで……本日は、一体何の御用でしょうか?」
「特に用なんて無かったのよ。ただ、知り合いの子が執務官試験を受けると聞いて、ちょっと内緒で覗きに来ただけで」
ヴェローネはそこで、不意に話の相手を切り替えました。
「ごめんね、ニドルス君。何事も無ければ、あなたにも見つからないように、こっそりと覗くだけで済ますつもりでいたんだけど。……正直な話、こんな何も無い場所で2時間も待つのは辛いでしょう?」
「そうですね。正直に言えば、ちょっと……」
「だから、今日は特別に、私が試験官をしてあげるわ」
(ええ……。おばさん、何、言っちゃってるの?)
ニドルスも困惑しましたが、担当者たちはそれ以上に大慌てで声を上げます。
「お待ちください! これは、ただの執務官試験です。あなたほどの方がわざわざ『お出まし』になるほどのことではありません!」
(あれ? もしかして……ヴェローネおばさんって、局の偉い人なの?)
ニドルスはようやく気がつきました。
ヴェローネはにこやかに、それでも、ややぞんざいな口調で言葉を返します。
「別に良いでしょう? 局の規定では、確か、『空戦AAAランク以上での実戦経験』と『士官としてのキャリア』がそれぞれ3年以上もあれば、試験官の資格としては充分だったはずよ」
しばらくの間、また念話で「受験者には聞かせられないようなやり取り」があったようですが、結局は、担当者たちの方が折れました。解りやすく、揃ってがっくりと首を垂れます。
「じゃあ、彼の方にはキャンセルの連絡を入れておいてね」
察するに、迂闊にも渋滞に巻き込まれてしまった執務官のことでしょう。
「……解りました」
「シナリオは、いつもの人質奪還戦で良いのかしら?」
「はい。あちらの廃ビルを利用していただくことになります」
ここで言う「人質奪還戦シナリオ」とは、『受験者は「強敵」の妨害をかいくぐって屋内に侵入し、「見張り」を倒して「人質」を奪還し、その「人質」を屋外の所定の場所まで連れて行く』というシナリオであり、「見張り」と「人質」の役は単純なドローンが演じますが、「強敵」の役は試験官が演じます。
【なお、「新暦25年」の段階では、StrikerSの時代のような、『屋外に大型の建造物を丸ごとレイヤーで組む』という技術は、まだ実用化されていませんでした。】
「言い遅れちゃったけど、本当に久しぶりね、ニドルス君。あれからもう……3年と9か月になるのかしら?」
「はい。長らく御無沙汰しておりました」
「そんなにかしこまらなくても良いわよ。……あっ! それから、いくら親しい間柄でも、採点が甘くなったりはしないから、そのつもりでね」
ヴェローネはいかにも楽しげに、笑ってそう言いました。
「いや。それは、もちろんですが……その、あなたは一体……」
「今まで黙っていて、ごめんね。こう見えても、私、昔は執務官をやっていたのよ」
(ええ……。)
「この試験に合格できたら、全部、教えてあげるわ。さあ、あなたと〈ハルヴェリオス〉の実力がどこまで伸びたのか、私に見せてちょうだい」
「……はい! 御期待に応えてみせます!」
こうして、最後の課目である「実戦形式試験」は、ニドルスにとっては少々予想外の形で始まりましたが、その結果は大変に満足のゆくものとなりました。
そして、数日後の夕刻、ニドルスは部隊長に呼び出されて彼の執務室に出頭し、無事に「執務官試験の合格証書」を手渡されました。
管理局の慣例で、「推薦者」を必要とする試験においては、しばしばこのように当局から「推薦者を経由して」合格者にその証書が手渡されるのです。
「おめでとう、ニドルス君。これで、あとは12月から〈本局〉へ行き、『三か月間の研修』を無事に終えれば、来年の4月から、君は執務官だ。
また、所属の上でも研修の開始をもって、君はこの空士隊から〈本局〉へ異動となる。さあ、あと丸2か月も無いぞ。少し気が早いようだが、そろそろ仕事の引き継ぎや自室の荷造りなども進めていってくれ」
「解りました」
「それでは……明日は、特別休暇とする。必要とされていることを済ませて来なさい」
(……は?)
その時点では、部隊長が何を言っているのか、よく解りませんでしたが、退室した直後に、またディオーナの端末からメールが届きました。
もちろん、差出人はヴェローネです。
『明日の正午過ぎに、もう一度だけ、あの家に来てください。部隊の方には、すでに話はつけてあります』
(ええ……。おばさんって、部隊長にも命令できるほどの立場だったの?)
『言葉も無い』とは、まさにこのことでしたが、ともかく、ニドルスは黙ってその指示に従ったのでした。
そして、翌日の午後、例のリビングルームに通され、例のソファーに座ると、ニドルスはまずヴェローネに向かって深々と頭を下げました。
「その、何と言うか……自分は今まで、あなたの素性とか、全く気がつかずにいて……いろいろと御無礼があったかとは思いますが……申し訳ありませんでした」
すると、ヴェローネは笑ってこう返します。
「良いのよ、そんなこと、気にしないで。そもそも、私の方があなたに気づかれないように努力していたんだし」
「そうだったんですか?」
「ええ。ディオーナからも初等科に上がる前に、『周囲から「親の七光り」だと言われたくはないから』と頼まれてね。それ以来、ミッド地上では、ずっと『普通のおばさん』を演じ続けていたのよ。……でも、あなたには、もう隠す必要は無いわね。
私の戸籍上の本名は、ミゼット・ヴェローネ・クローベル。パストレアは、本当は、婿入りした夫の元の苗字なの。管理局の方では、ミドルネームの方を省いて、ミゼット・クローベル提督と呼ばれているわ」
「え?! それじゃ……本当に、三年戦争の英雄のミゼット提督なんですか?!」
ミゼット・ヴェローネは、小児のように悪戯っぽい笑顔で、小さくうなずきました。
ミゼット・ヴェローネ・クローベルは、前22年(ミッド旧暦518年)に、名門クローベル家の第二子(長女)として生まれました。
5歳の時には、もう魔法を使えるようになり、6歳からは通信教育を受けて、わずか四年で義務教育課程をすべて修了し、10歳の春には、いきなり士官学校に入学したという天才児です。
彼女は卒業後、しばらくは地元の空士隊で普通に準空尉や三等空尉を務めていましたが、15歳で執務官に転身し、19歳になると(兄の結婚に合わせるかのように)自分も婿を取って実家の近くに独立した家を構えました。
さらに、ミゼットは21歳で艦長になり、その翌年(新暦元年)には男児リスターを出産しました。子供好きの兄夫婦がなかなか子宝に恵まれずにいたのを幸い、ミゼットは産後、半年たらずで、その息子を実家の両親と兄夫婦に預けて早々と復職します。
そして、その後も、彼女は順調に活躍を続け、新暦7年には28歳で早くも提督(一等海佐)となりました。
(ちょうど弟夫婦に第一子が生まれた頃のことです。)
しかし、同年に「6歳児の集団検診」で、リスターにはリンカーコアが無いことが確認されました。
元々が、やや凡庸な子です。
『この子は、これから先、母親の私と比較されてばかりの、辛い人生を歩むことになるのかも知れない』
ミゼットはそう考えて、息子の将来を心配しましたが、その直後に、魔力の無い兄夫婦の側から申し入れがありました。
『今さらだが、自分たちに子供ができないのは、遺伝子の問題だと解った。つまり、これから先も子供は望めないのだ。そこで、相談だが、できればリスターを養子にもらえないだろうか』と言うのです。
確かに、息子はもう両親や兄夫婦によく懐いています。一方、自分は、少なくとも息子が物心ついてからは、母親らしいことなど何ひとつできていません。
ミゼットは息子の気持ちをよく確認してから、夫の同意を得て、兄夫婦(および両親)の願いをそのままに受け入れたのでした。
その三年後、新暦10年に、ミゼットは31歳で今度は女児ディオーナを出産しました。
夫ともよく話し合った結果、『たとえ共働きでどれほど忙しくても、この子だけは何とかして自分たちの手で育てよう』という話になります。
【なお、ミゼットは翌11年に、産休明けの仕事で〈外97地球〉を発見し、さらに、新暦15年には〈最初の闇の書事件〉にも深く関与し、その際の功績によって、翌春には准将となるのですが、それらはまた別のお話です。】
新暦16年、「6歳児の集団検診」で娘が相当な魔力の持ち主だと解ると、ミゼットは娘や夫ともよく話し合った末に、実家のある都市から弟夫婦が住む隣の都市へと引っ越しました。
弟は「分家筋」という扱いなので、随分と「気楽な生活」をしており、しかも、夫婦の間には、すでに2男1女があって、その1女(第二子)であるリアンナは、ディオーナと同い年です。そういう親戚が身近にいる環境で育った方が娘のためにも良いだろう、と考えての転居でした。
転居先の家は、「管理局の外部協力者でもある特定建築業者」に大急ぎで建てさせた、セキュリティも抜群の特注品です。
自分の母親が管理局の准将だと知った娘から、『周囲から「親の七光り」だとは言われたくないから』と頼まれたこともあって、ミゼットはこの都市では名門の苗字を隠し、「ヴェローネ・パストレア」と名乗ることにしました。もちろん、弟夫婦や管理局員一同にも口裏を合わせてもらいます。
夫も意図的に仕事を減らし、やや「専業主夫」に近い生活をしてまで、妻と娘のために尽くしてくれました。
翌17年の3月には、娘が弟夫婦の家から「今にも死にそうな子猫」を引き取り、その年の4月には、その娘が地元の魔法学校の初等科に入学しました。
新暦18年に「カラバス連合との戦争」が始まると、ミゼット提督はいよいよ「自宅には滅多に戻れない身の上」になってしまいましたが、その際にも、夫と娘は不平を漏らすことも無く、彼女の仕事を応援してくれました。
結果としては、二人とも「つまらない交通事故」で死んでしまいましたが、それでも、ミゼットは今でも、亡き夫と娘には深く感謝をしています。
【ちなみに、あれ以来、ミゼット提督は、ミッド中央政府にも直接に働きかけて、オートモービル(自動車)の事故を減らすための法制度改革を進めさせていました。
その後、オートモービルに「運転制御AI」の搭載が順次、義務化されていったのも、実は、彼女からの働きかけによるところが大きかったのです。
もちろん、現代(新暦90年代)では、すべてのオートモービルに高度な「運転制御AI」が搭載されており、人間の運転手がいなくても交通事故など滅多に起こりません。
(と言うより、無人運転の時の方が、むしろ事故率は低くなっています。)】
新暦21年の夏には、管理局もようやく、カラバス連合との三年戦争に勝利し、その立役者となったラルゴ提督とミゼット提督は、当分の間、毎日のように繰り返される「戦勝パーティー」の類に「引っ張りだこ」となりました。
しかし、ある日、ミゼットは夫から『自分はどうしても断れない仕事の都合で明日まで家に帰ることができず、今夜は娘が家で一人きりになる』と聞かされると、とうとう我慢できなくなって、その日のパーティーを途中ですっぽかし、後は「ラルちゃん」(当時はまだ髪がフサフサしていたラルゴ・キール提督)に任せて、娘のために独りで自宅に帰って行ってしまいました。
実を言うと、ニドルスが初めてこの家で「ディオーナの母親」と出逢ったのは、そうした状況下での出来事だったのです。
そして、夫と娘の事故死から2か月後、新暦22年の3月に、ミゼット提督は「三年戦争」での戦功によって、43歳で少将に昇進しました。
しかし、実のところ、特に嬉しくも無く、『いよいよ〈本局〉に縛りつけられて、ミッド地上の自宅に帰る時間が無くなってしまった』ことが、むしろ悲しいぐらいでした。
実は、ニドルスがあれ以来、長らく「ヴェローネおばさん」に会えずにいたのも、もっぱらそのせいだったのです。
そして、今は新暦25年の10月。
ミゼット・ヴェローネ・クローベル(46歳)は、久しぶりにニドルス(15歳)を自宅に招き、自分の経歴として、おおよそ以上のような話を語って聞かせたのでした。
さらに続けて、ミゼット・ヴェローネはまたこんなことを語り始めます。
「実は、あなたの御家族についても、あれから少しばかり調べさせてもらったわ。お兄さんは……随分と歪んでしまった人みたいね」
「ええ。まあ……」
「ところで、あなたはもう聞いてる? 彼は昨年の暮れに早くも出所して、年末のうちに首都圏で行方をくらませたそうよ」
「……いえ。今、初めて聞きました」
「もう一度ぐらいは、会ってみたい?」
「いや、それは勘弁してください。向こうから距離を取ってくれたのなら、こちらとしては大歓迎ですよ。もう二度とアイツの顔など見たくはありません」
ニドルスは本当に吐き捨てるような口調でそう答えました。
そこで、ミゼット・ヴェローネはわざとひとつ「嫌がらせ」のようなことを言います。
「でも、執務官になって首都圏の事件を担当したら、ばったり出くわすことだって、あるかも知れないわよ」
「それなら……研修で、一応は希望も訊かれるそうですから……ミッド以外の世界、なるべく遠方の世界の事件を優先的に回してもらえるように、希望を出しておきますよ」
「そうね。そうして少し経験を積んだら、今度は『巡回任務中の艦船に同乗して、あちらこちらの世界を巡ってみる』というのも、あなたのような子には向いているのかも知れないわね」
彼女がそう考えた根拠はよく解りませんでしたが、ニドルスにとっても、それは妙に納得のゆく未来像でした。
「それから、実は、ここからが今日の本題なのだけれど……ニドルス君。あなたにひとつ頼みたいことが……あなたにしか頼めないことがあるのよ。聞いてくれる?」
「はい。僕にできる範囲のことでしたら、何なりと」
ニドルスがそう即答すると、ミゼット・ヴェローネは、またいささか躊躇いがちに語り始めました。
「この家は元々、ディオーナのために建てた家だったんだけど……あの子のお墓は夫の墓と一緒に実家の方で用意してもらったから、ここにはもう何も無いの。
だから、この家ももう、売り払うなり取り壊すなりしてしまっても構わなかったのだけれど……今まで、私の気持ちの整理がつかなかったのよ。
それに、『犬は人に付き、猫は家に付く』とも言うし……ジェルディスも、ずっとこの家の中だけで育てて来た子だから、今さら他の家に移しても、その家には馴染めないんじゃないかと思って……私もこの家屋に関することは、ずっと先送りにして来たの」
自分のことが話題にされたと解るのでしょうか。
ふとジェルディスがのそのそとやって来て、ソファーの上に上がろうとしましたが、ただ背伸びをするばかりで、もう昔のように跳び上がることもできないようです。
ミゼット・ヴェローネは、実に悲しげな面持ちで、体の弱って来た白猫を優しく自分の膝の上へと抱き上げました。
「もしかして……ジェルディスはもうどこか体が悪いんですか?」
「この子は元々、生まれてすぐに死にかけていた子だから。昔から、良く言えば『とても大人しい子』で、悪く言えば『あまり元気の無い子』だったわ。だから、怖くて子供を産ませることもできなかったし……それ以前に、発情期のようなものも特に無かったの。
それで……私は管理局の将軍として〈本局〉勤めが忙しくなって、もうあまりこの家に帰って来ることもできなくなっていたから……この三年あまりの間、ずっと、この子の世話と家屋の維持管理のためだけに、実家から紹介された住み込みの使用人を一人、この家に置いていたの。
でも、先日、その使用人から『どうも猫の調子が良くなさそうだ』と報告を受けて、私も慌てて獣医に診てもらったんだけど……この子はまだ八歳なのに、どうやら、もう今度の冬は越せそうにないらしいのよ」
ミゼット・ヴェローネは、滔々と語り続けました。
「これは、もちろん、私の身勝手な感傷なんだけど……せっかく猫に生まれて来たのに、この家の中に閉じ込められたまま、こんな『狭い世界』しか知らずに死んでいくのは、何だかとても可哀そうなことのような気がして来たの。
それで、最初は『体さえ丈夫なら、いくらでも外に連れて行ってあげられたのに』と思って……次には『いっそのこと、私の使い魔にしてしまえば良いんじゃないのか』とも思ったんだけど……よく考えたら、役目が私の秘書では、ほとんど将軍用のオフィスに籠りっぱなしになるから、広い世界を見せてあげることには、今ひとつ結びつかないのよ。
それでも、このまま放っておいたら、この子はもう長くはないわ。……だからね、ニドルス君。できれば、この子をあなたの使い魔に、執務官の補佐としていろいろな世界へ行ける子にしてあげてほしいの。……私のお願い、聞いてくれるかしら?」
これは、本来なら、決して「軽々しく引き受けて良い話」ではありません。「人造」とは言え、使い魔は仮にも「生命体」であり、『何かの命を預かる』という行為には、必然的にそれ相応の責任が伴うからです。
古来、『使い魔は最初から契約で縛り、契約期間の終了とともに使い捨てにする』という魔導師は全く後を絶ちませんが、ニドルスの性格では、そんな薄情なこともできません。
ましてや、ジェルディスは「あの」ディオーナの飼い猫なのです。一度、引き受けたら、途中で見捨てることなど、できるはずもありませんでした。
使い魔の寿命は、素体となる動物の種類や年齢や健康状態にはほとんど関係が無く、一般に四十年以上、五十年未満。ここで一度、引き受けたら、ニドルスはその四十何年間かの生涯を最後まで責任もって見届けるしか無いのです。
また、『子は親の鏡』と同じような意味合いで、『使い魔は魔導師の鏡』と言われることがあります。つまり、『その使い魔の出来を見れば、魔導師の実力も窺い知ることができる』という意味です。
「執務官としての評判」を考えれば、あまり出来の悪い使い魔など造る訳にもいきませんが、だからと言って、いきなり「渾身の最高傑作」を造ってしまうと、今度は『使い魔による魔力消費が大きくなりすぎて、魔導師が自分自身の魔法を最大出力では使えなくなってしまう』などといった事態にもなりかねません。
実のところ、使い魔を造るのは、なかなか魔力加減の難しい作業でした。
【フェイトの場合、『アルフは「当時のフェイトにとっては」渾身の最高傑作だったが、フェイトの魔力も当時はまだまだ成長の途上だったので、二年後の新暦65年の段階では、フェイトはすでに、アルフによる魔力消費など全く気にせず、自分の魔法を存分に使えるまでに成長していた』という設定で行きます。】
なお、ベルカ系の宗教用語では、人間の心の全体を「一個の霊的な実体」と見做して、これを「身魂」と呼びます。俗に言う「意識」も「無意識」もすべて含めて、一個人の心は全体で「一個の」身魂です。
もちろん、霊的な実体なのですから、特定の姿や形はありません。例えば「腕は腕、脚は脚」といった具合に、部位ごとに役割が固定されている訳でもありません。だから、優秀な魔導師であれば、自分の身魂の一部分を小さく切り取って、独立体として活動させることもまた可能であり、そうした独立体のことを「念霊」と呼びます。
ただし、念霊はあくまでも霊的な存在なので、当然ながら、何らかの「器」に宿らせないと、この物理次元ではその存在を長く維持することができません。
こうした宗教用語を借りて言うならば、使い魔とは「動物の体という『器』に、魔導師の念霊を宿らせて、魔法で人間のような姿に変身させた存在」のことなのです。
ちなみに、ここで言う『宿らせる』は、実際には、単に『憑依させる』という意味ではなく、『素体となる動物自身の身魂に融合させる』という意味です。
だから、『どんな動物でも自由に使い魔にできる』という訳ではありません。
喩えるならば、『同じ接ぎ木でも、互いによく似た種類の植物同士を接いだ方が上手く行く』のと同じように、素体にできる動物は「ある程度まで人間によく似た性質の身魂を持った動物」に、事実上は「四本の脚を持った陸上哺乳動物」に限定されます。
また、接ぎ木をするには、まず台木の方を伐らなければいけないのと同じように、素体となる動物は事前に充分に弱らせる必要があります。
つまり、普通に元気に生きている状態でも、完全に死んでしまった状態でも、その動物を使い魔にする作業は上手く行きません。そのため、普通は、老齢や病気やケガなどで生命力の弱った(もしくは、本当に死にかけの)動物が素体となります。
また、その動物自身の身魂という「根っこ」があるため、使い魔は造った直後から、いきなり「フル稼働」させることができます。言わば、使い魔とは、育成のために時間や手間をかける必要の無い「即戦力」なのです。
ただし、基本的には魔導師の念霊で動いているので、使い魔の「魔法に関する能力」が主人のそれを上回ることは決してあり得ません。
裏を返すと、「身体能力」に関してはその限りでは無く、例えば、犬が素体ならば「超音波でも聞こえる」とか、猫が素体ならば「夜目が利く」とか、熊が素体ならば「怪力を発揮する」とかいった能力が、使い魔には最初から(魔導師が意図するまでもなく)当然に具わっています。
ただし、元々が動物なので、使い魔は一般に手に武器を持つことが苦手で、充分な空戦スキルを獲得することも極めて困難なようです。
【なお、通常の陸上哺乳動物の身魂は普通、人間で言えば「夢現の半覚醒状態」のような、半ば無意識の「寝ぼけた」状態にあるため、一般に使い魔の意識には「自分が動物だった頃の具体的な記憶」が残ることはありません。
(特定の個人に対して「漠然とした印象」が残ることは、しばしばあるのですが。)
また、「個体名を与えられて、よく訓練された猟犬や競走馬」などは、例外的に「人間の通常の覚醒状態」にも似た「明瞭な意識状態」を獲得する場合がありますが、そのように「自我意識」が強くなってしまうと、今度は「念霊との融合」が上手く行かなくなってしまうので、実のところ、あまりにも賢すぎる個体は、かえって「使い魔の素体」には向いていないのです。
ちなみに、魔導師の念霊は「その人物の身魂の、もっぱら無意識の部分」から造られるため、使い魔が「その魔導師自身の具体的な記憶」などを継承することも、原則としてはあり得ません。
ただし、例えば「内向的か、外向的か」などといった無意識レベルの「基本的な心のあり方」はしばしば使い魔にそのまま反映されますし、また、使用言語に関しても、使い魔は必ずその魔導師にとっての「母語」を生得的に習得しています。】
ニドルスにとっても、本来ならば、ここは大いに悩むべきところではありましたが、それでも、彼はほんの数秒で決断しました。
「解りました。お望みのとおり、ジェルディスを僕の使い魔にします。やり方を教えてください」
そして、ミゼット・ヴェローネは眼を潤ませながらも感謝の言葉を述べて、ニドルスに使い魔の作り方を教えました。
ニドルスは元々、魔法に関しては「とても器用で、もの覚えの良い少年」です。彼はすぐに、その方法を正確に理解しました。
【原作では、幼少期のクロノに対して、魔法の先生となった使い魔たちの側から『不器用で、もの覚えの悪い子だった』という評価がなされていましたが、この作品では、『それは、あくまでも「ニドルスと比較すれば」の話だった』という設定で行きます。】
やり直しの利かない「一発勝負」になりますが、ニドルスほどの腕前ならば、きっと大丈夫でしょう。
ミゼットはニドルスを信頼し、いよいよ白猫に睡眠薬を飲ませました。ニドルスは床に専用の魔法円を展開し、早くも眠りに落ちた白猫の体をその中心にそっと横たえます。
そして、魔法は成功し、新たに「銀髪の少女」の姿となった使い魔は、また改めてジェルディスと名付けられ、以後、ニドルスの「固有戦力」となったのでした。
【なお、このように『使い魔を造る』という魔法は、ほぼ「ミッド式魔法」に特有の技法であり、少なくとも、「ベルカ式魔法」には、こうした技法は存在していませんでした。
古代ベルカには多くの「獣人」が存在していたので、わざわざ「死にかけの動物」を加工したりしなくても、ただ『獣人を使役すれば良い』というだけのことだったのです。
(当時の獣人たちには、必ずしも「充分な人権」は保障されていませんでした。)】
こうして、新暦26年の春、無事に研修を終えたニドルス(16歳)は執務官に就任し、その日のうちに使い魔のジェルディスを補佐官に登録しました。
そして、ニドルスは大変に優秀な「使い魔、およびデバイス」のおかげで、初年度から「とても新人とは思えないほどの活躍」を成し遂げました。
また、その活躍ぶりを見たミゼットの紹介で、ニドルスは翌27年度から、しばしばクレスト・ハラオウン艦長(29歳)の艦にも乗り込むようになります。
そして、その頃から、何人もの女たちが彼を「優良物件」と見做して、入れ代わり立ち代わり声を掛けて来るようになりましたが、ニドルスはそんな「下心のある女たち」になど目もくれず、そうした尻の軽い女たちからは『あの男って、ゲイなんじゃないの?』などといった事実無根の中傷を受けながらも、ただひたすら禁欲的に職務に邁進していったのでした。
なお、新暦28年の夏には、兄ヴェナドゥス(22歳)が『ヤクザ組織同士の抗争で死亡した』との通知が届きましたが、すでに「法的に絶縁」をしているので、当然に相続権も破棄されており、結局は、ヴェナドゥスの「内縁の妻」と名乗る妊婦ゼレナ・ベルミード(24歳)が単独で、彼が遺した「相当な額の遺産」のすべてを相続しました。
(もちろん、それらの金はもうキレイに「洗浄」されており、当局も「法律の上では」その相続にケチをつけることなど一切できませんでした。)
その妊婦の側から『是非に』と面会を申し込まれたので、ニドルスも一度だけ彼女と会って話をしましたが、その後、その女性とも完全に縁が切れます。
これで、ニドルスは正真正銘「天涯孤独の身」となりましたが、今さら「これといった感慨」は特に湧きませんでした。彼にとっては、兄の話はもう六年前に終わった話だったからです。
【また、余談ながら、翌29年には、リアンナ・クローベル(ディオーナと同い年のイトコ)が、父方の伯母に当たるミゼット提督の紹介で、テオドール(42歳)の長子ベルンハルト(20歳)と結婚しました。
彼女は後に、ヴィクトーリアの父方祖母となります。
(なお、この時点では、テオドールもまだ一介の執務官であり、将来、ダールグリュン家の当主になる予定など全くありませんでした。)】
ページ上へ戻る