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ドリトル先生の落語

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第九幕その十

「中国語でもドイツ語でもスペイン語でもね」
「結論が違うんだ」
「そんな場合があるのね」
「先生が考えても」
「同じ人がそうでも」
「流石にキングスイングリッシュとアメリカ英語では然程違わない感じがするけれど」 
 それでもというのです。
「どうもね」
「言語が違うと」
「思考に使うそれが」
「同じ人が考えても結論は違う」
「そうなるんだね」
「そうなんだ」
 これがというのです。
「どうもね」
「成程ね」
「そのこと面白いね」
「いや、いい勉強になったよ」
「前にも聞いたかも知れないけれど」
「そうしたものだね」
「そうだよ、あと言語も時代によって変わるね」
 このことも言う先生でした。
「特に文章はね」
「日本語も英語もそうだね」
「昔の言葉って違うわ」
「古典って言うけれど」
「そうなってるね」
「シェークスピアも原文は違うしね」
 ご本人が書いた文章はというのです。
「あの人は素性がわからないとも言われているけれどね」
「実際は誰だったかわからないってね」
「そうも言われてるね」
「哲学者のベーコンさんがそうだったとか」
「実は俳優さんだったとかもね」
「色々言われてるね、ただね」
 それでもというのです。
「その人生は一応年表として残っているよ」
「一応その年表になっている人がシェークスピアさん」
「そう言われてるね」
「色々言われていても」
「そうよね」
「そしてそのシェークスピアさんの文章はね」
 それはというのです。
「これがね」
「結構以上にね」
「今の英語と違うんだよね」
「同じ英語でも」
「時代が違うと」
「中国語でも昔と今で文章が違うよ」
 この言語もというのです。
「文語と口語があってね」
「それって日本語と同じ?」
「そういえば」
「文語と口語があったら」
「それなら」
「うん、中国語は文法は欧州と同じでね」
 そしてというのです。
「漢字を使っていてね」
「そんなに文章が違うか」
「あまり違わないと思っていても」
「それでもなんだ」
「また違うんだ」
「そうだよ、違っていてね」
 それでというのです。 
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