ドリトル先生の落語
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第九幕その八
「あれではね」
「駄目ですね」
「そう、そしてね」
さらに言う先生でした。
「僕もお笑いはユーチューブで観てね」
「それで、ですね」
「舞台でもね」
「今日ご覧になられましたね」
「それでよかったよ」
笑顔でのお言葉でした。
「春琴さんもね」
「そうだったんですね」
「外見はイギリスの人だけれど」
それでもというのです。
「喋り方や動きはね」
「完全に日本の人のそれですね」
「そうなっていてね」
それでというのです。
「凄くね」
「よかったですね」
「そうだったよ」
こう言うのでした。
「本当にね」
「そうなんですね」
「ただね」
「ただ?」
「いや、努力すれば」
そうすればというのです。
「元々の言語が英語でもね」
「日本の落語が出来ますね」
「春琴さんは生まれはイギリスでも」
それでもというのです。
「日本にいて長いしね」
「学生時代からで」
「お子さんの頃から日本に馴染んでいて」
それでというのです。
「日本語も堪能で」
「思考に考える言葉もですね」
「そうだよ」
本当にというのです。
「日本語だよ」
「そうなんですね」
「そうなるとね」
頭の中で考えることに使う言葉が英語ならというのです。
「かなり違うよ」
「そうですね」
「だからね」
それ故にというのです。
「日本の落語もだよ」
「お上手ですね」
「そうだよ、お仕事としてね」
そのうえでというのです。
「やっていけるんだよ」
「そういうことですね」
トミーも頷きました。
「思考に使うことまで日本語だと」
「かなり大きいよ、僕だってね」
先生もというのです。
「日本語でね」
「考える様になっているよね」
「今ではね」
「日本に来てからね」
「そうなっているね」
皆もまさにと言います。
「本当にね」
「先生もそうなったね」
「普通に日本語を喋って」
「日本語で考えているね」
「そうなるまでに僕はあまり時間がかからなかったけれど」
それでもというのです。
「けれどね」
「生まれた国の言語からだね」
「別の言語に変えるのって難しいね」
「どうしてもね」
「生まれた時から聞いていて読み書きしているって凄く大きいから」
「そうだよ、だからね」
それでというのです。
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