ドリトル先生と桜島
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第十幕その五
「果たして」
「是非遺族の人達の前に突き出したいね、そんなこと言う人」
「どうなるか見ものだね」
「それで自分が巻き添えになったらどうか」
「その時もね」
「そうした人こそ自分が危なくなったら助かろうとするよ」
他の人の命や気持ちは考えなくてもというのです。
「それも自分だけが必死にね」
「絶対にそうだね」
「そんな他の人のこと考えない人って」
「もうね」
「そうに決まってるね」
「あの大臣も同じタイプだよ」
まさにというのです。
「自分だけだよ」
「だから平気で外遊出来て」
「それでそんなこと言えたんだね」
「殺しておけばよかったとか」
「そういう風に」
「そうだよ、鹿屋で運動家のお話をしたけれど」
先生はしゃぶしゃぶのお野菜を食べつつ言います、見ればステーキやローストビーフ等は全部食べ終えています。
「あの大臣もテロを肯定する人もね」
「運動家と同じね」
「とどのつまりは」
「自分だけの人」
「自分の主張や安全だけが大事で」
「他はどうなってもいい人ね」
「そうだよ、そうした人達を政権に選んでね」
そうしてしまってというのです。
「宮崎は大変なことになって」
「その他もこともだね」
「大変なことになったね」
「国防も経済も」
「震災の時は特に」
「マスコミの報道を鵜呑みにしてね、けれどね」
先生はそれでもとお話しました。
「日本のマスコミについてもこれまで言っているね」
「物凄く質が悪いね」
「その運動家みたいな人達と仲良しで」
「ヨイショしている人達が多いね」
「雑誌も新聞もテレビもね」
マスコミの媒体ではというのです。
「特にテレビはね」
「そうだよね」
「無茶苦茶酷いよね」
「まともなキャスターやコメンテーターなんて」
「果たしてどれだけいるか」
「しかもね」
さらにお話する先生でした。
「テレビは直接視て聴くからね」
「文章と違ってね」
「文章は読んで文章を頭の中で具現化するね」
「そうして考えるけれど」
「音や声までね」
「けれどテレビはね」
この媒体はというのです。
「目に映像が直接入って耳に音声が入るからね」
「もう頭に直接来るね」
「映像も音声も」
「文章みたいに仲介せずに」
「雑誌や新聞と違って」
「だからそこで言われることはね」
まさにというのです。
「影響力が大きいんだ」
「そうだね」
「テレビの影響力って大きいね」
「映画も映像と音声が出るけれど」
「さらにね」
「映画は映画館で観るけれど」
それでもというのです。
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