ドリトル先生と桜島
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第八幕その九
「そのおいこらとかがあったね」
「あの西郷さん達がお話してた」
「その鹿児島の言葉なの」
「昔の」
「そうなのね」
「今じゃ殆ど喋られる人がいなくなったけれど」
それでもというのです。
「かなりご高齢の人はね」
「まだ喋られるんだ」
「ああして」
「そうなんだ」
「うん、鹿児島弁は独特で」
それでというのです。
「他の地域の人にはわかりにくいね」
「今の鹿児島の言葉もね」
「聞いていてもね」
「訛が凄くて」
「それでね」
「そうだけれど昔の鹿児島弁は」
そのお爺さんやお婆さんを見てお話します。
「ああした風だったんだ」
「ううんと、本当にね」
「わからないね」
「何を喋っているのか」
「全くね」
「他の地域の人が聞くとわからない」
全くというのです。
「その為にああした風になっているしね」
「自分達でわかる様になんだ」
「お話しても」
「その為の言葉なんだ」
「そう、例えば僕達が日本語に全く無知でね」
今暮らしているお国でというのです。
「日本の人達があれこれお話していてもわからないね」
「うん、全くね」
「どうしても」
「それでもね」
「それと同じでね」
それでというのです。
「昔の鹿児島の人達はね」
「敢えてだね」
「わからない言葉を作って」
「それで喋っていたんだ」
「だから他の場所の人達が来ても」
鹿児島にというのです。
「全くわからない様にしたんだ」
「何をお話しているか」
「そうしていたんだ」
「そのうえで秘密を守っていた」
「そうなのね」
「そうなんだ、薩摩藩の事情があって」
それでというのです。
「そうした言葉で喋ってたんだ」
「事情?」
「事情っていうと」
「薩摩藩のそれって」
「前にお話していたね、薩摩藩は密貿易をしていたって」
このことをお話するのでした。
「そうだったね」
「ああ、清とかオランダと」
「それをやっていて」
「それで利益を得ていたんだったね」
「薩摩藩は」
「何しろ八十万近い石高を定められたのに」
豊臣秀吉さんその後の幕府にです。
「実際は三十八万石位だよ」
「半分以下でね」
「その格式だって定められたら」
「その格式の行動をしないといけないし」
「お金もかかるね」
「しかもお侍が多かったし」
薩摩藩はというのです。
「五万もいたから」
「確か実際に百万石以上ある加賀藩で二万三千位」
「薩摩藩の半分以下だね」
「百万石以上で」
「そうなっていたわね」
「だから薩摩藩はね」
この藩はというのです。
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