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ドリトル先生と桜島

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第一幕その七

「本当にね」
「そうですよね」
「今だってね」
「毎日みたいに噴火して」
「火山灰を降らしているからね」
「それであの県には火山灰用のゴミ袋もありますね」
「そうなんだ」
 そうなっているというのです。
「あちらはね」
「鹿児島県の地域性ですね」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「もうね」
「桜島が毎日みたいに噴火して」
「それで火山灰が土壌になっていてね」
「鹿児島県の土壌になっていますね」
「だから長い間お米があまり採れなくて」
 日本人の主食であるこれがというのです。
「苦労してきたんだ」
「だから薩摩芋が日本に入って」
「凄く助かったんだよ」 
 この作物がというのです。
「鹿児島県昔の薩摩藩の人達はね」
「そういえば薩摩藩の志士の人って貧しい出の人多いね」
「そうそう、西郷さんも大久保さんもで」
「黒田清隆さんもよね」
「松方正義さんも」
「うん、薩摩藩は八十万石近くの石高を幕府に定められたけれど」
 先生は皆に薩摩藩の事情をお話しました。
「実際は三十八万石しかなくて」
「半分位?」
「それだとね」
「八十万石近くでも実際は三十八万石位だと」
「もうね」
「そんな風だったからね」
 だからだというのです。
「財政は苦しかったし江戸から遠いね」
「うん、かなりね」
「九州の南の端にあるから」
「かなり遠いよ」
「どうしてもね」
「参勤交代で行き来するにも」 
 薩摩藩から江戸まで、です。
「幕府は一年ごとに交代でする様に言ったけれどね」
「それも大名行列でね」
「それぞれのお大名の石高に合った規模で」
「一年ごとにやっていたのよね」
「江戸時代の大名の人達は」
「鹿児島から東京までを行き来するなんてね」
 それこそというのです。
「当時一人でもかなり旅費がかかったのに」
「それも大名行列になると」
「かなりの旅費になるね」
「しかも遠いしね」
「それを八十万石近くの規模でやっていたんだ」 
 薩摩藩はというのです。
「実際は三十八万石位なのに」
「それも遠路はるばる」
「そう考えるとね」
「薩摩藩の参勤交代は大変だったね」
「そうだったね」
「そうだよ、しかも薩摩藩はお侍が多かったんだ」 
 このこともです、先生はお話しました。
「実はね」
「ただ遠くて実際の石高が少ないだけじゃなくて」
「お侍さんも多かったんだ」
「そうだったの」
「例えを言うとね」
 先生はお話しました。
「加賀藩百万石の前田家で二万二千位だったんだ」
「百万石でそれだけなんだ」
「確か前田家って石川県だったね」
「あそこだったね」
「そう、あそこにあって実際の石高もそれ位でね」
 百万石だったというのです。 
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