失敗は成功のもと
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失敗は成功のもと
前書き
今から話すことは、私が高校生だった時に経験したことです。
「おい。お前はなんであんなパスも取れないんだよ。ほんっと下手くそだな。失敗ばっかじゃん。足手まといだよ。練習から出て。」
「そうだそうだ〜。足手まといはどっか行け〜。キャハハハハ」
(あぁ、まただ、また失敗しちゃった。バスケって難しいなぁ。)当時、高校一年生の私は、今までほとんどやったことがなかったバスケに興味をもち、バスケ部に入りました。ですが、そこで待っていたのは、中学生ないし小学生の時からバスケをやっていた子たちによる"いじめ"でした。何もわからないままに部活に入り、優しい先輩から、基礎を手取り足取り教えてもらっていました。ですが、少し経って、大会のシーズンになると先輩たちは、私に付き合っている暇もなく、練習に励んでいました。そこからです。たびたびわたしのバッシュ(バスケ用のシューズ)や、ユニフォーム、水筒など、いろいろなものが無くなっていきました。返ってきてもぼろぼろ。ですが私は自分が上手くなればきっとなくなる、みんなと仲良くなれる、そう信じて練習をしていました。ですが、それが気に食わなかったのか、いじめはどんどんエスカレートしていきました。先輩たちの前でも堂々と足を蹴ったり、ボールをぶつけたり、私がミスをすると、先ほどのように罵倒してくる。そんな日々を3ヶ月続けていました。私の精神はズタボロで、鬱になりかけていました。そして、当時唯一と言っていいほど仲の良かった友達に連れられ、学校のカウンセリングに行きました。そして私はついに本音を口に出しました。
「バスケが下手でもしょうがないじゃないか。はじめたばっかなんだから。私が何をしたの。私の何が悪かったの。どうすればいいの。」
そして、こう呟いてしまったのです。
「"失敗"したんだ。失敗して、バスケ部に入っちゃったんだ。この学校にくるのも失敗だったんだ。なんで頑張って勉強してまで、こんな学校に入ったんだろ。元はと言えば、お父さんじゃん。お父さんが無理やりこの学校を受けさせるから、、いや、私が生まれてきたこと自体失敗だったのかも、、。」
そう言って、下を向いて黙った瞬間でした。カウンセラーの先生がこうおっしゃったのです。
「失敗したっていいじゃないか。失敗があるから成功があるんだ。いいかい。例えば、朝ごはんで、お米かパンか、選んでと言われたら世間では、米派とパン派にわかれるだろう?なぜかと言うと、もう一方よりこっちのが食べたい、という気持ちがあるからなんだ。じぁあもし、パンがなかったら?朝ごはんの選択肢としてあるのはお米だけ。そうなったら、米派しかいなくなるかい?そうではないだろう。パン派がいないなら米派という言葉が生まれない。もっと言えば、みんなそれに気づかないんだ。当たり前のように朝はお米をたべる。それと一緒さ。
何が一緒かって?失敗と成功だよ。成功した時は嬉しいかい?(私が頷く。)そうだろう。この学校に受かった、成功の瞬間は嬉しかっただろうね。でもその感情は君が失敗を知っているからなんだ。もし、仮に全く失敗しない、成功しかしたことがない人がいるとしよう。そうしたら、テストは毎回一位、高校大学に受かるのは当たり前、部活でも毎回一位、その人は毎回成功した時にこう思うだろうね。『いつも通りだ。なんも楽しくない』ってね。なぜなら、失敗したことがないから、成功が当たり前なんだ。その人からしたら"失敗"がないから、その反対の"成功"という概念そのものがない。そんな人生、生きてて楽しいかな。確かに人によっては楽しいかもしれない。でも、僕は勉強が上手くいったり、スポーツで勝ったときは嬉しいと"思いたい"。だから、さっきの人みたいに成功が当たり前で、楽しい、嬉しいと思えないような人生は歩みたくない。だから、君のような人生は誇りを持つべきだ。"失敗は成功のもと"とはこのことだろうね。君が失敗すれば、君の中に成功が生まれるんだ。だからといって失敗しろと言ってるわけではない。努力して、努力して、失敗しても、その後に、頑張って、頑張って、頑張って、何かを成し遂げた時に、それはきっと"成功"であってくれるよ。だから、今は失敗したっていいんだ。その後が大事だよ。」と。この言葉は私を救いました。溢れ出る涙を、ハンカチで何度も拭きながら家に帰って、家族にこのことと、いじめのことを話しました。そうすると、父親は私に謝り、私にバスケを教えてくれる時間を増やしてくれました(父親は学生の頃バスケをしていたので)。さらに、学校に報告してくれて、そこからいじめはだんだんと少なくなっていきました。そして私が高校3年生の最後の大会、いじめてきた子たちを退けてレギュラーに選ばれました。大会の結果は県大会のベスト3でしたが、それは私にとって努力してつかんだ"成功"でした。
その後、私は大学の教育学部に入り、体育の教育免許を取りました。そして、私は毎年、新入生の最初の学年集会で話す場を設けてもらい、このように話始めています。
「みんなは、朝ごはんに、お米とパン、どっちを食べますか?」
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