剣の丘に花は咲く
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第五章 トリスタニアの休日
第七話 狐狩り
前書き
アンリエッタ 「シロウさん、どうぞこれを」
士郎 「あ、ああ。ありがとう」
アンリエッタ 「さあ食べてください」
士郎 「うむ……なんだか苦いな……何だか舌がピリピリするし」
アンリエッタ 「もっともっと食べてください」
士郎 「あ、ああ……ああ?」
アンリエッタ 「どうやらやっと薬が効いてきましたね」
士郎 「く、薬、だと? い、一体どうして?」
アンリエッタ 「ふふふ……それは、後のお楽しみですわ」
アンリエッタに捕まった士郎。
薬で身動きがとれない士郎にアンリエッタは何を……!
風雲急を告げる次回! 『選びなさい苦痛か快楽か』
極限の狭間! 何を選ぶ士郎ッ!!?
夜が明け、時が立ち、中央広場にサン・レミの聖堂の鐘が十一回鳴らされ、十一時が知らせる中、劇場の前に立つ二つの影がある。それはルイズとアニエスだった。二人は先程まで劇場近くの路地で隠れていたのだが、一台の馬車から降りた男が劇場の中に入るのを確認したアニエスが路地から出てきたのだ。
厳しい顔で劇場を見つめるアニエスをルイズが睨めつけるような視線で見上げている。
「で、結局教えてくれないのね?」
「……」
「……キスするわよ」
「ひっ?!」
「……冗談よ」
ポツリとルイズが呟いた言葉に、自分の身体を抱きながら可愛らしい悲鳴を上げて飛び上がるアニエス。そんな様子に小さく笑みを浮かべたルイズが顔を逸らすと、遠くからやってくる男女が目に入る。
「姫さまに…………シロウ」
士郎は店の中での執事服ではなく、最初に買った平民が着るような粗末な服を着ている。その隣のアンリエッタは見覚えがある平民の服を着込み、さらに髪型が変わっている。二人はまるで恋人のようにピタリと寄り添いながらこちらに向かってきている。
「おはようルイズ……って。何か機嫌悪そうだな?」
ルイズの傍まで歩いてきた士郎が口元をへの字にするルイズに苦笑いを向けると、ルイズは士郎の足を踏みながら傍らに立つアンリエッタに笑い掛けた。
「姫さま心配しましたよ。一体どうしたんですか……というより何故シロウと?」
「ごめんなさいルイズ。どうしてもシロウさんが必要でしたので。黙って借りてしまいました」
「シロウの……ですか……。はぁ……で、シロウはお役に立ちましたか?」
ギリギリと士郎の足を踏む力を更に強めながら、士郎を見上げるルイズ。士郎は脂汗を浮かせながらも痛みを我慢している。
アンリエッタはそんな二人の様子に気付かず、赤く染めた頬を両手で挟みながら士郎を見上げ、
「は、はい……色々と……本当に色々と力になって下さいました」
「……そ~ですか……色々、ねぇ」
「何だルイズ」
「別に……どうもしないわよ」
士郎の脇腹をつねりながら会話するルイズたちを脇に、アンリエッタは目の前で膝をつくアニエスに声を掛けた。
「用意は出来ていますか?」
「はっ。用意は既に整ってございます」
「わかりました……それでは」
アニエスの言葉に頷くと、アニエスは背後を振り返る。
そして、そこに立つ者たちに向かって声を掛けた。
「あなた達にはこのタニアリージュ・ロワイヤル座を包囲してください」
背後を振り返ったアンリエッタの目の前には、マンティコアから降り立ったマンティコア隊を中核とする魔法衛士隊の隊長が立っていた。
隊長はアンリエッタと跪くアニエスを交互に見ながら戸惑いの抜けない顔で頷く。
「は、ハッ。りょ、了解いたしました。し、しかし、その前に事情が聞きたいのですが。先程アニエス殿から陛下がここにいるとの報告を受けここに来たのですが、その、状況が未だもって全くつかめず」
「すみませんが時間がありません。説明は後ほど必ずしますので、今だけは黙ってわたくしの命令に従ってください」
ぞろぞろと魔法衛士隊が集まってくるのを見て、野次馬が増え出すのに気付いたアンリエッタが、士郎から受け取ったローブを深く被り顔を隠しながら真剣な目で隊長を説得すると、何か言おうとした口を閉じた隊長が重々しく頭を下げた。
「わかりました。それでは蟻の子一匹すら通さない完璧な包囲網を築き上げてみせます」
「頼りにしてます……それでは行きますわよ」
「御意」
隊長に小さな笑みを向けたアンリエッタは、次に横に跪くアニエスに声を掛けた。
アニエスは短く応えると、歩き出したアンリエッタの後ろにつく。
そんな二人に対し、ルイズが声を向ける。
「待って下さい姫さま。わたしもお供します」
「いえ、それは結構です。これはわたくしが着けねばならない決着ですので」
「それでも」
「ルイズ、これは命令です」
なおも食い下がろうとするルイズに、足を止めたアンリエッタ振り返ることなく諌めると、諦めたようにルイズは顔を俯かせた。
反論が起きないことを確認したアンリエッタは、劇場に向かって歩き出す。
劇場の入口の前まで来たアンリエッタは、後ろにいるアニエスに何か伝えると、アニエスはどこかに消え、アンリエッタは一人で劇場に消えていく。
残されたルイズと士郎であったが、唐突に士郎がルイズに声を掛けた。
「ルイズ、俺も少しここを離れる。すまないがここで待っていてくれないか」
「それでわたしが黙って待つと思うのシロウは?」
ニッコリと笑みを向けてくるルイズに士郎もニッコリと笑みを返す。
「……思わないが、そこを何とか」
「……後でわたしの命令を三つ聞いてくれたらね」
「一つ」
「三つ」
「二つ」
「三つ」
「二つ」
「四つ」
「……増えてないか」
「……どんどん増えるわよ。いつ」
「三つでお願いします」
「よろしい。……じゃあいいわよ。いってらっしゃい」
士郎に背を向けたルイズは、手を肩越しにひらひらと振りながら美味しそうな匂いを漂わせる屋体に向かって歩き出す。士郎はそんなルイズの後ろ姿を暫らく肩を落とした姿で見ていたが、やがて溜め息を一つつくとアニエスが向かって行った方角に向け歩き出した。
「はぁ……なんでさ……」
舞台の上で芝居が始まる中、もう一つの芝居の幕が客席で上がっていた。
題名はそう、『女王の狐狩り』とでもつけようか。
アンリエッタは艶然とした笑みを横に座る男を見る。
「さあ、あなたがここにいる理由をお聞きしてもよろしいですか……リッシュモン殿?」
「ほう、私がここにいる理由? 私の職務には芝居の検閲も含まれているのですよ? それが理ゆ――」
「トリステインの情報を売るのも……ですか?」
アンリエッタが顎先に指を当て小首を傾げると、同じ様にリッシュモンが首を傾げる。
「はて、何のことですかな?」
「……ここであなたと会うはずのアルビオンの密使は、全てをしゃべり今はチェルノボーグ監獄にいますよ」
「ほう……」
アンリエッタの決定的な言葉に、しかしリッシュモンは余裕の態度を崩さない。それどころか楽しげな笑みさえ浮かべている。
「ふむ……姿を隠していたのは私をおびき出すためということですか」
「そういうことです」
「参考までに聞きたいのですが、私を疑いになった切っ掛けはなんだったのですか。うまく隠せていたと思っておりましたが」
アンリエッタの顔に、寂しげな表情が浮かぶが、それは直ぐに溶けるように消えてしまう。
「わたくしに注進してくれた者がおりました。あの夜、手引きをした犯人があなただと」
「……そんな者が」
「何故、あなたはこんなことを……。王国の権威と品位を守るべき高等法院長が国を売るようなことを……幼い頃、わたくしをあんなに可愛がってくださったあなたが……なぜ……」
「くっ、はっはっは……やはりあなたは子供ですね。好意と愛想の違いが分からないとは」
「そう……ですね」
口の端を曲げて笑うリッシュモンにアンリエッタは小さく頷く。
今まではよかった。
騙されても利用されても被害を受けるのは自分で済んでいただろう。
しかし……。
もう……それではすまされない。
自分は女王だ。
王が騙されれば……利用されれば……それは自分だけの問題ではない。
だからこそ、二度と騙されないため、利用されないため、真実を見抜く目を、揺るがぬ心を持たなければならない……。
そのためには、今まで甘受していたものを捨てなければならないだろう。
許されていた甘さを捨てなければならないだろう。
切り捨てる非情さを持たなければならないだろう……。
……良かったですわね高等法院長。
あなたが記念すべき第一号です。
厳しい顔のアンリエッタは厳しい顔でリッシュモンに向き直り、指を突きつける。
「高等法院長、女王の名においてあなたを罷免します」
アンリエッタに責められながらも、リッシュモンには動じるようすはない。それどころか睨みつけてくるアンリエッタに対し肩を竦め首を振ってみせた。
「ほう……罷免されると。さて、それではどうしましょうか」
椅子から立ち上がったリッシュモンは舞台を背にするように歩くと、両腕を広げてアンリエッタに向き直った。
「どうしようもありません。外には既に魔法衛士隊が包囲しております。下手な強がりは見せず潔く杖を置きなさい」
「……誰にものを言っている」
「なんですって?」
「誰にものを言っているのかわかっているのか小娘ッ!」
「な、何を――」
穏やかな笑みから一変させ、怒気に顔を染めたリッシュモンは、杖をアンリエッタに突きつける。態度を急変させたリッシュモンは動揺するアンリエッタに対し見下した視線を向け声を張り上げた。
「この程度で私を捕まえたと思っているのかっ!」
リッシュモンの声と共に、背後の舞台で芝居を演じていた男女六名の役者たちが上着の裾やズボンをから杖を引き抜く。そしてリッシュモンと同じようにアンリエッタに向け杖を突きつけた。
周りに座る客たちは、急な殺気渦巻く状況に騒ぎ出す。
「静かにしろっ! 死にたくなければ黙って見ていろっ!!」
リッシュモンが血走った目でぐるりと客席を睨みつけると、立ち上がり叫び声を上げていた客たちが腰を抜かしたように座り込んだ。荒々しい呼吸の音だけが劇場に満ちる。
「護衛をつれず一人でここに来るとは、まさかここまで来て私を信じていたのですか? それともただの馬鹿だったのですかな」
馬鹿にするような物言いに、しかし、アンリエッタは怒ることなく、先程のリッシュモンのように笑みを浮かべた。
「よかったですわ」
「なに?」
「実は落ち込んでいたんです」
「何を言っている」
頬に手を当て小首を傾げながら溜め息をつくアンリエッタに、リッシュモンが苛立ち眉間に皺を寄せる。
「これが我が国の役者の実力かと心配していたのですが、偽物だったのですね」
「……強がりもいいですが、そろそろ行きましょうか」
杖を突きつけながらアンリエッタへと歩み寄るリッシュモン。
「アルビオンへ……ですか?」
「ええそうですとも、何あなたにとってもそんな話しではないはずですよ。どうせあなたのような無能な女が王などになっても苦しいだけでしょう。アルビオンでトリステインに対する人質となれば後は好きにしたらいい」
アンリエッタの身体を好色な視線で舐めまわすように見ると、いやらしく笑いかける。
「恋人が死んで寂しいのだろう。アルビオンまでの道のりは長い……私が慰めてやろうか」
アンリエッタの腕を取ろうとリッシュモンが腕を伸ばし、
「結構です」
「なっ?! はぶっ!?」
パンッ!! というカン高い音が響いた。
リッシュモンの身体が椅子を倒しながら転がっていく。
身体をずらしリッシュモンの腕を避けたアンリエッタがリッシュモンの頬を叩いたのだ。
突然の出来事に、舞台上に立つリッシュモンの部下も動けない。その隙にアンリエッタが手を横に振るう。
「狐の爪と牙を取り除きなさい」
その瞬間、ドドドドンッ! という何十丁もの銃が一斉に発射された音が響き、黒煙が辺りに立ち込み火薬の嫌な臭いが広がった。立ち込める黒煙に視界を潰されたリッシュモンが、痛む頬を抑えながら立ち上がる。頬を抑えながら、残ったもう一方の手を水を掻くように動かし始める。段々と視界が戻ってくると、
「なっ、馬鹿な……」
目に映る光景にわなわなと震える言葉が漏れた。
そこには二つのものが映っていた。
一つは舞台上で全身から血を吹き出し倒れ伏す部下の姿。
もう一つは部下たちに向け拳銃を向ける客の姿。
否、客ではない。その正体は客に扮した銃士隊の隊員たちだった。リッシュモンが部下に舞台の俳優をさせていたように、アンリエッタも同じように部下に劇場の客に化けさせていたのだ。化けさせた部下は最近作り上げた銃士隊……若い平民の女性で構成された部隊。平民を見下すリッシュモンがそんな部隊の隊員を覚えているわけがなく、そこまで計算してアンリエッタは銃士隊を配置させたのだ。
憎々しげに睨みつけてくるリッシュモンに、アンリエッタは凍えるような冷たい視線を向け、
「さあ、行きましょうか……もちろんアルビオンではなく牢に、ですが」
酷薄な笑みを浮かべた。
「はっ、ハハハハハハハハハッ!!」
「…………何が可笑しいのですか」
唐突に笑い始めたリッシュモンに対し、アンリエッタは目を細め警戒する。無数の銃口や剣先を向けられながらも、笑いながらリッシュモンがゆっくりとした仕草で舞台上に上がっていく。
「止まりな――」
「ハハ八ハハハハッハハハ…………陛下……以前あなたは私にアルビオンに攻め入る理由を不意をうたれる前に討つためとおっしゃいましたが、それは真実ではございませんね」
「な、何を」
アンリエッタの制止の声をリッシュモンが遮る。アンリエッタが戸惑う隙に、リッシュモンが舞台上に上がってしまう。舞台に上がったリッシュモンを銃士隊が取り囲む。アンリエッタが何かを命じるか、リッシュモンが怪しい動きを一つでもすれば一瞬でリッシュモンを殺せるだろう。
リッシュモンの言葉にアンリエッタの身体がビクリと震える。リッシュモンはニヤついた笑みで舞台上から客席にいるアンリエッタを見下ろす。
「あなたはただ敵を打ちたいだけだっ! 恋人を殺された怒りを、憎しみを払うために、そのためだけに攻め入るのでしょう。ハハ八ハハハハッハッ!! なんと哀れなトリステイン! たった一人の女の復讐のためだけに必要のない戦争をさせられるとはっ!! ハハッハハハッハハ……なんと馬鹿らしい」
「黙りなさいっ!! 銃士隊っ! この者を――」
アンリエッタが銃士隊にリッシュモンの捕縛を命じようとするが、それよりも早くリッシュモンは行動を起こす。
「この程度で動揺するとは……だからお前は小娘だというのだっ!」
「なっ?!」
取り囲む銃士隊がリッシュモンを取り押さえようとするが、
「遅い」
床を蹴りつけると同時に、リッシュモンが立つ床がパカリと音を立てて開いた。銃士隊がリッシュモンを確保しようと駆け寄るが、伸ばされた手は間に合わずリッシュモンは床の下に消えてしまう。追いかけようと穴に飛び込もうとするが、それよりも早く床は元に戻った。銃士隊が床に剣を突きたて無理矢理開けようとするが、魔法が掛かっているのか、床は容易には開かない。
「……陛下、如何いたしましょうか」
銃士隊の一人が恐る恐るとアンリエッタに顔を向ける。リッシュモンが逃げた床を睨みつけていたアンリエッタは顔を上げると、必死に床の仕掛けをこじ開けようとする隊員たちに向け指示を下す。
「出口があるはずです! 四名はここで待機! 残りは出口を捜しなさいっ! 絶対に逃がしてはなりませんっ! 急ぎなさいっ!」
『レビテーション』を使いリッシュモンが降りった先は、光が差さない暗闇が広がる地下通路につながっていた。それはリッシュモンが非常時の際における脱出用に造らせた抜け道であった。
魔法で杖の先に明かりを灯したリッシュモンが通路の先に向かって歩き出す。
「くそ、予想外だ。あの女があそこまでやるとは……」
苦々しく呟く。
通路の先は自分の屋敷にも通じている。正体がバレてしまってはここにはいられない。まずは屋敷に戻り、金を持ってアルビオンに亡命する。女王を攫うことは出来なかったが、手土産は他にもある。それを使えばこちらの要求をいくつか聞いてもらえるだろう。一個連隊でも預かることが出来れば、ここへ戻り、あの生意気な小娘を捕まえられる。捕らえたらどうしてやろうか。
くくく……そうだな、女に生まれたことを後悔するほどに辱め、奴隷にし、自ら殺してくださいと申し出るまで責めてやろう。
アルビオンに亡命した後のことを想像しながら歩いていると、魔法の明かりを遮るものがあった。
道を塞ぐように目の前に立つ者に驚き足を止めたリッシュモンは、杖を突きつけ誰何の声を上げる。
「誰だっ!?」
杖を向けたことから、通路に立ち塞がる者の顔を魔法の明かりが浮かび上がらせる。未だ距離があることからハッキリとはその姿が現れはしなかったが、リッシュモンはその姿に覚えがあった。
「……貴様、確かアニエスといったか……」
剣を抜き、目の前に立つ者は、銃士隊のアニエスであった。
平民上がりの近衛隊等覚えるようなリッシュモンではなかったが、最近よく見かけることや、昨日、雨の中屋敷に女王が誘拐されたと伝えに来たことから名前を覚えていたのだ。
待ち伏せされたと一瞬焦ったリッシュモンであったが、他に仲間がいないことに気付くと、あからさまに馬鹿にした顔をアニエスに向けた。
「飼い主が馬鹿なら犬も馬鹿ということか。命が惜しければさっさとどけ。ゴミを片付ける時間も惜しいのでな」
剣や銃を持っているとはいえ、メイジではない唯の平民。しかも一人しかいないとは、驚異でもなんでもない。この抜け道を知っているとは、大方劇場の設計図でも手に入れたのだろうが、功を焦って一人出来たのだろう。
杖を振りアニエスに退くよう指示をするリッシュモン。
リッシュモンが杖を振るたびにアニエスの顔が闇の中消えたり現れたりする。
「……何のつもりだ」
杖を振るう手を止めると、アニエスが杖の明かりに照らされる。アニエスはリッシュモンに銃を向けていた。リッシュモンはアニエスに杖を向けている。
「平民の貴様に寛大にも教えてやるが、この距離では銃は当たらんぞ。それに私は既に呪文を唱え終えている。後はそれを解放するだけで貴様を殺せるのだ。貴様にはあの小娘に命を掛けるほどの価値があると思っているのか?」
絶対の勝利を確信しているのだろう。逆の立場である絶対の敗者に掛ける声は慈悲深く聞こえるほどに優しかった。だからこそ、その声は強烈な不快感を引き起こす。
「く、くくく」
笑い声が、狭い通路に反響する。
「何が可笑しい」
唐突に笑い出したアニエスに、リッシュモンは眉をひそめる。自分の陥った状況に気付き、気でも触れたかと思うリッシュモンに、アニエスが歪んだ笑みを向けた。
「何、貴様を殺せるのが嬉しくてな」
「何を言っている?」
意味がわからなかった。
先程アニエスに忠告した通り、アニエスに勝ち目はない。それは相手も気付いているはずだ。魔法を遮るものが何もなく、狭いこの地下通路に呪文を唱え終えたメイジと向き合って勝てる平民等いるわけがない。
なのにこいつは今なんと言った?
私を殺せるだと?
何を言っているのだ?
本当に気が触れたのかと思うリッシュモンの前で、アニエスが口を開く。
「覚えているか、私が昨日貴様の屋敷から去る時に尋ねたことを……二十年前の『ダングルテールの虐殺』のことを」
「ダングルテール……? 貴様、まさか……ははっ! そうか貴様はあの村の生き残りということか! 道理でああもしつこく聞いてきたというわけかっ!」
昨日、アニエスが屋敷に女王が拐われたと報告に訪れた際、唐突に関係がないことを聞いてきた。その時は女王が拐われたということに意識があり、特に気にしてはいなかったが、そういうことか……となるとこいつがここにいる理由は。
「私怨……というわけか」
「そうだ、貴様に無実の罪を着せられ、殺されていった我が故郷の復讐だ」
二十年前、アングル地方の一つの村が国家に対する反乱の疑いで滅ぼされた。それを立件したのがリッシュモンである。国家に対する反乱、しかしその真実はロマリアの異端諮問『新教徒狩り』であった。
それをロマリアの宗教庁から見返りを受けることで、リッシュモンは真実を握りつぶしたのだ。
「そうかそうか、そういうわけか……」
「貴様は……貴様という奴は」
アニエスとすれ違う際等に時に向けられた暗い視線を不快に思っていたが、その理由がやっと分かりリッシュモンが納得するように頷く。その悪びれもしない姿に、アニエスが唇を噛み締める。噛み締めた口の端から赤い血が流れ地面に落ちた。
「罪なき民から搾り取った金に、貴様は何も思わないのか……っ!」
「何を思うだと? 平民が死ぬことに何を思えと? 貴様は肉を食う際、一々殺された家畜のことを考えるのか?」
「きっ貴様ああああアアアァァァァッ!!!」
可笑しそうに笑うリッシュモンに、アニエスの頭に一気に血が昇った。叫び声を上げながらアニエスは、リッシュモンに突きつけていた銃を投げ捨てると、剣を抜き放ち襲いかかる。
それを冷静に見ていたリッシュモンは、焦ることなく呪文を解放した。
杖の先に生まれた巨大な火球が、唸りを上げてアニエスに向かっていく。
「死ね」
アニエスは向かってくる火球を、事前に水袋を仕込んでいたマントで受けようとマントに翻そうとしたが、
「っ?!」
後方から凄まじい殺気を浴び、アニエスの身体が凍る。
立ち止まったアニエスの横を、音を切り裂きながら何かが通り過ぎ、
「は?」
アニエスに当たる寸前の火球を破壊し、リッシュモンの腕を杖ごと破壊した。
「ッッッギャアアぁアアああアアあアッ?!!」
飛来した何かに腕どころか肩を大きく抉り取られたリッシュモンは、腕を吹き飛ばされた勢いで地面に転がる。杖が破壊され、辺りが闇に沈む。闇の中、音を立てて血が吹き出す肩を残った手で押さえ込みながら、リッシュモンは地面を転がり回り悲鳴を上げている。
「な、何が」
突然視界が闇に染まり、闇の向こうからリッシュモンの悲鳴が聞こえる。あまりの状況の変化にアニエスが戸惑っていると、真後ろから声をかけられた。
「そいつの持つ情報は重要だ。殺さず捕らえたほうがいい」
「っ誰だっ!?」
振り返るが、そこには闇が広がるだけで何も見えない。アニエスは憎い敵の悲鳴を背中に、正体不明の声の主に向けて剣を構える。
「何者だっ!?」
「……敵ではない。俺のことよりも後ろのそれを気にしたほうがいい。そのままだと出血多量で死ぬぞ。……復讐もまずは知っていることを喋らせてからにしろ」
「っ……くそっ! 逃げるなよっ! 貴様には聞きたいことがあるからな!」
「……すまんが俺は帰らせてもらう」
「なっ……待てっ! 逃げるな貴様っ! せめて名前を言えっ!」
目には見えないが、気配が遠ざかっていくのを感じ、アニエスが声を張り上げるが、
「後ろのはいいのか?」
「ちっ……くそっ!」
謎の人物の忠告に、アニエスが悔しげに舌打ちをすると、悲鳴が弱々しくなっていくリッシュモンに
向け駆け出していった。
謎の人物の気配が完全に消えたことにアニエスは気付いたが、追いかけることはしなかった。ただ苛立たしげな目で、足元に転がる縛られたリッシュモンを見下ろす。弱々しいが呼吸はある。血を止めるための道具等がなかったが、殺せない代わりにせめてもの仕返しと治療をと火を押し付けて止血したのだ。
「……あいつは一体」
止血にも利用した、破壊された杖を燃やした松明で辺りを照らしていると、
「これは……」
壁に深々と突き刺さる奇妙な剣を見付けた。
慎重に引き抜くと、それは見たことも無い剣だった。
柄は短く、それに反して刀身は長い。
見たところ大した業物ではないように思える。軽く振ってみるが、どうにもしっくりと来ない。刀身のバランスが悪いのか、それとも他に要因があるのか、理由はわからない。
燃える松明を床に下ろすと、アニエスは無言で壁に向け謎の剣を構える。
「フッ!」
息を吐くと同時に突きを放つ。
ザキッ! という鈍い音と共に剣が壁に刺さるが、刀身の半分どころか精々五、六サント程度だ。
「どういう事だ……」
これが迫る火球を破壊し、更にリッシュモンの腕を吹き飛ばしたものであるのは間違いない。
しかし、どうやって?
これを見付けた時、八〇~九〇サントはある刀身が全て壁に埋まっていた。
先程、全力を持って壁に突き立てたというのに、十分の一以下の五、六サント程度しか埋まらなかったのに。
どうやったのか……?
魔法か?
しかしそんな魔法見たことはおろか聞いたこともない。
それにこれは見たところ唯の剣だ。
魔法を使ったとしてもこのようになるとは思えない。
それにあの殺気……
復讐に燃え上がっていた思考を一気に冷却させる程の殺気。
「……何者なんだ」
アニエスが持つ奇妙な剣が、アニエスの感情を現すかのように細かく震えた……。
狐狩りから三日後。
『魅惑の妖精』亭の二階にある一室の中、士郎は身体を小さくしていた。
「シロウさんには本当にお世話になって……」
「ふ~ん……で?」
椅子代わりにベッドの上に座る士郎を挟むように、ルイズとアンリエッタが座っている。二人に挟まれる士郎の顔色は悪い。アンリエッタは士郎に身を寄せ、頬を染めながら見上げ、ルイズは士郎の服と共に脇腹の肉を掴みながら身体を寄せている。そしてそれを目の前に立つアニエスが下衆を見るような目で見下ろしていた。
アンリエッタが身体を――胸を押し付ける度にルイズが笑顔と共に脇腹の肉を抓る。
柔らかな肉の感触と共に脇腹に走る鋭い痛みを感じながら、士郎はこうなった状況を思い出す。
『魅惑の妖精』亭に戻った士郎たちが仕事をしていると、アンリエッタとアニエスが現れたのが始まりだった。二人はリッシュモンの裏切りの詳細を説明すると、二階の部屋を借りると、士郎たちと共に中に入った。アンリエッタがルイズに情報収集のお礼や事件の詳細を説明しているうちは良かったが、アンリエッタが世話になったと頬を染めながら士郎にお礼を言った時から可笑しくなっていく。
きちんと部屋に備え付けられていた椅子から離れると、わざわざ士郎が座るベッドの横に座ったのだ。さらに士郎の膝に手を置き見上げてくるなど、ただならぬ雰囲気を漂わせ始めると、ルイズも同じように士郎の横に座った。
そして、それからアンリエッタとルイズの攻防が始まったのだ。
「シロウさんは本当に優しい人です」
「そうよね~お人好しだからどんな人にもいい顔するのよね~」
「……痛い痛い」
「それだけでなく、とても……その……お強くて」
「……何が? ねえ、何が強いのかな?」
「……なぜ俺に聞く」
アンリエッタが褒めるたび、ルイズが脇腹を捻りながらにっこり笑いかけてくるのが怖い。
そして正面に立つアニエスのこちらを見る目も怖い。
何とかこの状況から脱出しなければと、こちらに鋭い視線を向けてくるアニエスに顔を向けた士郎は、
「あ~……ところでアンリ――姫さま。こちらの女性は?」
「そういえば正式な紹介がまだでしたね」
何とか話題を変えられたかと安堵する士郎に、アンリエッタがアニエスを紹介する。
「わたくしの数少ない信頼する者の一人で、銃士隊の隊長を務めるアニエス・シュヴァリエ・ド・ミラン殿です。女性ながらその剣と銃の腕前は他の追随を許さないほどです。今回の件では、一度は逃げられた裏切り者をたった一人で見事捕まえたのです。まさに英雄と言われるに相応しい方です」
「裏切り者は優れたメイジでもあったと聞きましたが、それをお一人で捕まえるなんてすごいんですね……まあ、他の実力は低いみたいだけど」
「っ! ……あっあれは!」
「どうかしたのですか?」
ルイズが流し目でアニエスを見て何か呟くと、顔を真っ赤にさせたアニエスが身を乗り出してきたが、アニエスの突然の豹変に目を丸くするアンリエッタに気付くと、真っ赤な顔でブルブルと身体を震わせながら元の位置に戻る。一度大きく息を吐いて気を切り替えたアニエスは、士郎たちに顔を向け顔を振った。
「英雄などではありません。そもそも私一人で捕まえたわけでは……」
「ああ、そう言えばそうでしたわね」
「どういうことです?」
一人ではないと言うアニエスの言葉に、ルイズが疑問の声を上げると、アンリエッタが頬に手を当てルイズに顔を向け。
「それが、裏切り者を捕まえた際、手伝った者がいたということなのですが、それがどこの誰か分からないのです」
「手伝った者?」
「はい、裏切り者が私に向けて放った魔法を破壊し、更には裏切り者の腕を杖ごと吹き飛ばしたのです……正確に言えば、裏切り者を捕まえたのは私ではなく、その謎の人物ということになりますね」
「魔法を破壊って……一体どうやって」
ルイズの疑問に応えるように、アニエスは店に入ってきた時から手に持っていた何かの包を解き始めた。中から出てきたのは、あの地下通路で手に入れた謎の剣。
「これです……これで魔法を破壊し、更には裏切り者の腕を吹き飛ばした」
「これって……剣?」
「そうです、剣……だと思います」
「思いますって、どういうこと?」
床に取り出した剣を立てるアニエスにルイズが聞くと、アニエスは剣を持ち上げると、誰もいない空間に向けて剣を振り下ろした。剣の達人と言われるだけに、その動きは洗練され、鋭い風切り音を立てながら剣が振るわれる。
「見た目は唯の剣に見えますが、振ってみると剣だという確信が持てなくなります」
「何故?」
「一言で言うと、とても振りにくいのです。これで剣戟を行うことになれば、相当な剣の腕の持ち主でも不覚を取るほどには」
「……そんな剣がどうやって魔法を破壊し裏切り者の腕を落としたのよ」
「それがわからないからここに持ってきたのです」
そう言ってアニエスはルイズとアンリエッタに挟まれる士郎に顔を向けた。アニエスに睨まれるように見つめられた士郎は、頬を指で何度か掻くと、苦笑い浮かべる。
「何か?」
「貴殿は遠い異国から来たと聞きました。私はこのような剣は見たことも聞いたこともありませんのが、あなたなら何か知っているかと思い持ってきたのだが……何か覚えは」
「……さて……どうかな」
士郎が首を捻ると、ドアがノックされた。
「ごめんねシロちゃん。お客が増えてきて手が足りないのよ。ちょっと下に降りてきてくれないかしら?」
ドアの向こうからスカロンの声が聞こえてきた。アンリエッタがアニエスに目配せすると、アニエスは無言で剣に布を巻き始める。ベッドから立ち上がったアンリエッタはルイズに一度軽くお礼を言うと、身を屈めて士郎の耳元に顔を近づけると、
「この間は素敵な経験をありがとうございました……また、お願いいたしますね」
「っ! またって」
ルイズに見えないように、士郎の顔で自分の顔を隠したアンリエッタは顔を耳元からずらすと、唇を士郎の首元に寄せ、
「なっ?!?」
「それではまた」
チュッと微かに音を立てて士郎の首元を吸うと、微かに赤く染まった顔で士郎たちに笑い掛け、ドアからアニエスと共に出て行った。
士郎はアンリエッタに吸われた首元を手で抑えながら、ゆっくりと横を向く。
「……シロウ……姫さまと一体何があったの?」
とてもいい笑顔で笑いかけてくるルイズに、士郎は今日は眠れないなと確信を持った。
「……なんでさ……」
後書き
士郎 「ちょっ! やめっ! ちょおおおお!」
アンリエッタ 「ふふふふ……どう? 喋る気になった?」
士郎 「っく! こ、この程度っ! 俺が耐えられないわけが……っ!」
アンリエッタ 「ここまで我慢出来るなんて流石ですね」
士郎 「ふ、ははは。まだまだ甘いな……この程度の責め苦……まだまがぁ!」
アンリエッタ 「わたくしの本気はまだまだですよ、それこちょこちょこちょ~」
士郎 「あはははっははははははひっい、息があっ! 息ができ!」
アンリエッタ 「さあっ! このままでいるかしゃべるか選んでくださいっ!」
士郎 「っくっくあっ!」
アンリエッタ 「さあっ! 今まで抱いてきた女のことを喋りなさいッ!!?」
士郎 「……っ言えるかああああああっ!?」
爛々と目を輝かせ士郎の昔の女のことを聞き出そうとするアンリエッタに、士郎はいつまで耐えられるのか!!
そしてゲロってしまった時、士郎の運命はどうなるのかッ!!?
というかコイツ、自分が抱いてきた女の数覚えているのかな?
それでは次回『男は船、女は港、港の数は数えきれず』
港の名前、ちゃんと言えるかな?
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