阿古邪の松
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第一章
阿古邪の松
平安の頃の話である。
藤原豊光が陸奥に国司として入った時娘であり琴の名人として知られている阿古邪もこの国に父と共に入った。
阿古邪は楚々とした外見で見事な長い黒髪と白い肌を持つ少女だった、兎角いつも琴を弾いていてだった。
琴をこよなく愛していた、陸奥の者達はその彼女と彼女が奏でる琴の声を聴いてこれはと唸って話した。
「いや、噂には聞いていたが」
「見事な琴だ」
「あの様な琴の声が聴けるとは」
「阿古邪殿の琴の音は素晴らしい」
「実にな」
「聴けて幸せだ」
こう話した、その中で。
豊光はいつも国司の屋敷で琴を奏でる娘にこう話した。
「実は千歳山の方に面白い若者がいると聞いた」
「面白いといいますと」
「そなたは琴だが」
これの名人だがというのだ。
「その若者は笛らしい」
「笛の名人ですか」
「うむ、名を名取太郎といってな」
そうしてというのだ。
「陸奥一のだ」
「笛の吹き手ですか」
「そうらしい、それでそなたの琴とな」
「共にですか」
「音を奏でてみるか」
「そうして下さいますか」
阿古邪はそれならとだ、父に是非もないという声で答えた。
「私は琴も好きですが」
「楽自体がだな」
「好きなので」
「そうだな、それで笛もだな」
「好きです」
その通りだとだ、父に答えた。
「まことに」
「ではな」
「その方をですね」
「ここに呼んでな」
「共にですね」
「奏でてみるのだ」
「そうして頂ければ何よりです」
父に願ってだった。
そのうえでその名取太郎を屋敷に読んでもらった、するとすらりとして気品があり落ち着いた流麗な顔立ちの青年が来た。
青年が笛を奏でると実際にだった。
極めて流麗な音でだ、阿古邪も聴き惚れ。
自身の琴を奏でた、すると笛と琴は見事な調和を見せてこのうえない素晴らしい楽を見せた。その後でだ。
阿古邪は微笑んでだ、太郎に話した。
「この度はです」
「はい、私もです」
「満足されましたか」
「この上ないまでの楽が出来たので」
「左様ですね、満足しました」
「この世の最期に」
「最期とは」
阿古邪は太郎の残念そうな言葉に怪訝なものを感じ彼に問い返した。
「それは一体」
「はい、実は私の命は明日までなのです」
「お元気な様に見えますが」
「そうなる運命なのです」
「そうなのですか」
「今生の最期にこうして貴女の琴と共に楽を奏でることが出来て」
それでというのだ。
「まことにです」
「満足されたのですか」
「思い残すことはありません」
こうもだ、太郎は阿古邪に話した。
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